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アラサー女が将棋はじめてみた 第20回

第20回 目指せアマ初段

 プロ棋士の先生が書かれた入門書には、たいてい「アマ初段と認められて一人前」とか、「アマ初段は勉強すればだれでもなれます」とか書いてある。それはつまり、わたしのようなヘボでも、プロ棋士の先生目線で見ればアマ初段になれる、ということである。

「アマ初段」というのは、言葉の響きがカッコイイ。

 アマ初段になったなら、すごく強い小学生と平手で指せるかもしれないし、なにかいやな目に遭ったとき心の中で「わたしはアマ初段だぞ……おまえにはできないだろう……」と、自尊心を回復できるかもしれない。公民館で支部長さん相手に駒落ちで指しているときに、脇から覗いてきた勝利者賞のおじさんに「金澤さん、アマ初段も遠くないんじゃないですか~?」みたいなことを言われ、おお、と自信を持ったりもした。

 だからわたしも素直に目標を「アマ初段」に定めて、こつこつ将棋の勉強に励んできたつもりなのだが、しかしどうやらアマ初段はわたしには恐ろしく遠いようなのである。

 本屋でなんとなく立ち読みした本のなかに、「アマ初段レベルは三手の読みの比較ができる」と書かれていた。つまり「わたしが指す→相手が指す→わたしが指す」の想像を、次の手をどれにするかいくつもある候補を比較して、一番いい手を選ぶ……ということである。

 ハッキリ言おう。無理である。

 そりゃやってみようとしたことはあった。しかしひとつ考えるのにも恐ろしく時間がかかってしまう。もしチェスクロックなんか出してきたらあっという間に時間が削れて秒読みになるだろう。そんなことになったら当然「三手の読みの比較」どころではない。あわてて二歩をしてしまいそうだ。

 NHK将棋フォーカスの前の司会者の伊藤かりんちゃんは、「プロ棋士相手に二枚落ちで勝つ」、という条件を突破してアマ初段と認めてもらっている。それについて公民館にやってくるおじさんたちは、「プロ棋士相手に二枚落ちで勝ったらアマ初段よりずっと上だと思う」と言っていた。

 そこはやはり「タレント」である。

 タレント、という人種はなにをやっても上達するのが早い、というのがわたしの見解である。たとえばTOKIOのメンバーだって、鉄腕DASHで大工仕事や農作業をあっという間に覚えて、ちょっとした木造建築ならささっと建てられるレベルになったし、果物を食べて糖度を当てる、なんてこともできるわけである。

 いまのNHK将棋フォーカスの司会者の向井葉月ちゃんが、当面の目標としてプロ棋士の先生に提案された「アマ一級」の条件がベラボーに厳しいのも、やはりタレントだからだと思うし、それなら向井葉月ちゃんにプロ棋士の先生が提案した条件、たとえば「三手詰めの詰将棋を三十秒で解く」などというのは、ふつうのアマ一級よりレベルの高いものなのだろうと想像できる。

 だとしても「三手詰めの詰将棋を三十秒で解く」なんて、現状のわたしではまず無理だ。ほかにももろもろ、難しい条件が出ていて、それを見て「む、むり……」と思ってしまった。アマ一級が無理なのである、アマ初段はもっと無理である。

 ふだん公民館で四枚落ちで指しているとき、おじさんたちはふんだんにヒントをくれる。「まあここなら手は二つだなあ」とか「普通に指せばいいんだよ」とか、そういうことをちょいちょい教えてくださる。

 だからわたしはおじさんたちに勝っているのである。ノーヒントで勝てるとは思えない。おじさんたちは「ううーん指せる手がないなあ」とか、「それをやられてこっちが参ってるんだよなあ」などとおっしゃるが、わたし一人の力ではなんともならない。

 その証拠に、スマホアプリの「ぴよ将棋」で、わたしは平手で十級相当のコンピュータ相手にヒイコラして、何度もヒントボタンを押してなかなかそこから伸びなかった。「ぴよ将棋」ではヒントや待ったを三回以上使うとレートに反映されないのだ。最近ようやく九級まで伸びたわけだが、それにしたってアマ初段は果てしなく遠い。

 もちろん成長を感じないわけではない。渡辺明先生の「将棋・ひと目の手筋」という本がある。その本は初心者向けの、部分図で次の一手を考える本なのだが、その本を読み始めたときはトンチンカンなことばかり考えていたのに、ここ最近なんとなく正解が分かるようになってきた。

 それに、公民館でいい手を教わったとき、最初はメモ帳にメモしていたのだが、最近はどんな手だったかだいたい覚えていられるようになった。「だいたい」なので細かいところは忘れていることもあるが、それでもなんとなく上達したのだと思う。

 あくまで「なんとなく」なので本当に上達しているのかは分からないが、自分も捨てたもんじゃないな、と思いながら勉強している。

 どれくらい勉強すればアマ初段にたどり着くやらさっぱり分からないが、もっとたくさん勉強しなければなれないことは確かだ。いまの課題は「序盤」である。指し始めてすぐのところで、どう指していいかわからなくなるのである。守りを固めるために中央の歩を突いて金銀を二段目三段目に上がったり玉を早逃げさせて守るべきか、はたまた飛車先の歩を突いて攻めてみるべきか分からなくなって、どっちも半端にしてのちのち後悔するのである。

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 公民館にやってくる純文学のおじいさんに「序盤を研究せばいいよ」と言われたので、本気で定跡を勉強しようと思いなおした。NHK杯もちゃんと見ている(つもりである)。

 アマ初段への道は果てしなく遠く、それに至る勉強は果てしなくしんどい。

 でも楽しくなければ続かないのに勉強が続いているところを見るに、第10回で書いたように、わたしはしんどくても「勉強することが無限にある」という状況が好きらしい。

 小中と、一人でノートを二ページ埋める「一人勉強」というのをやらされた秋田県民なので、そういう体質になったのかもしれない。小学校のころは作文で、中学に上がってからは英単語か漢字の書き取りでノートを埋めていたズボラ人間なのだが、しかしそれでも中学で英単語と漢字がさらさら書ける快感と、それでテストの点数がぐんぐん伸びる快感を体験しているので、快楽物質的な意味で勉強することが好きなのだろう。

 たとえば詰将棋の正解の手順を見つけたときの嬉しさや、手筋の本で次の手を当てたときの嬉しさ、公民館のおじさんたちに勝てたときの嬉しさ、そういうものを、もっと勉強していっぱい体験すれば、アマ初段も近づくのではなかろうか。

 勉強することが気持ちいいというのは嬉しいことだ。

 勝負の素質や才能の点を尋ねられると、なんせマリオパーティですら勝ったことがないので「ううーむ」となるのだが、それを勉強の努力でカバーできれば、それこそ「アマ初段は勉強すればだれでもなれます」の境地に至れるのではあるまいか。
 
 アマ初段になるには具体的にどれくらい強くなればいいのかわからないが、公民館にいけば将棋を教えてくれる人がいるし、このエッセイを書くことで将棋の本も買える。

 なんとありがたい環境だ、と感謝しかない。
 
 将棋は「新しいソフトが出る」とか、「新しいハードが出る」とか、そういうことがない。盤と駒さえあれば電源すら不要で遊ぶことができる。

 しかも完全な攻略法はいままで見つかっておらず、数多く攻略本、つまり棋書も出ているがどれも正解ではなく、それゆえに好きな戦法を選ぶことができる。好きな戦法を選んだうえで、それを深める努力をすることによって強くなる。ゲームアプリと違って追加課金も必要ない。

 自分が学ばなければ強くなれないというのは厳しいが、そのための努力が楽しい。

 わたしはマリオパーティどころか家族とババ抜きをしても勝てない人間であるが、それでも将棋を勉強するのは楽しいし、ちょっとずつ強くなっていくのを感じるのは気分がいい。

 将棋についての連載はいったん終わるが、いつかもっと強くなっておじさんたちと平手で指して互角の勝負がしたい。アマ初段じゃそれは厳しいかもしれないが、いつか臆せずに、思った通りに指して、自分の戦法を貫いて、純粋に勝負を楽しんでみたい。

イラスト:真藤ハル

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Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa


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