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僕はまだ「間に合った」息子なのかもしれない #母への詫び状 第5回

介護で見つかる幸福もある。
BEST T!MESで好評連載中の「母への詫び状」第1回から第10回をnoteで再掲します。今回は第5回。30年ぶりに実家に帰った夕暮さん。是枝裕和監督の『歩いても歩いても』のシーンに、わが家を重ね合わせます。「間に合った」とは?

第4回はコチラ↑

よみがえる昔の記憶

 東京から30年ぶりに実家へ帰って生活を始めると、ひとつひとつ何をしても昔の記憶がよみがえってきた。

 食器棚から取り出す皿の模様や、居間の薬箱の赤チンや絆創膏。車庫に置いてある、ぼくが中学の技術家庭の授業で作った出来損ないのイス。

 なかには思い出したくない記憶もチラホラあるけれど、ほとんどは懐かしさに心が暖まる。が、そんな感傷に浸るために戻ってきたわけではない。

 介護生活を始めてしばらくした頃、是枝裕和監督の『歩いても歩いても』という映画をDVDで観た。これが当時の境遇に重なることが多く、ずしりと胸に響く作品だった。

 主人公は東京でマスコミの仕事をしている次男。寡黙で頑固な父親とは折り合いが良くないようで、実家に敷居の高さを感じている。そんな不義理の次男が、長男の命日に、結婚したばかりの妻とその連れ子をつれて実家へ帰る。懐かしい料理で歓迎する母。ぎくしゃくした父と息子の会話。その家族の夏の一日がていねいに描かれる。

『歩いても歩いても』の印象的なシーン


 とても印象に残ったのは、風呂場のシーンだ。

 阿部寛の演じる主人公が風呂場に行くと、丸ごと一個の大きなスイカが、バケツの水にひたされて冷やされている。田舎で育ったぼくらの世代にはおなじみの光景だ。お母さんの樹木希林が用意したのだろう。

 それを見つけた阿部寛は「おお、昔はこんなふうにバケツでスイカを丸ごと冷やして、家族みんなで食べたもんだな。懐かしいぜ」というような表情で(そんなセリフはないけど)、しばし子供に返る。

 が、次の瞬間、ふと目を移すと、真新しい手すりが浴槽に付いているのを見つける。昔のままの風呂場に、そこだけ不自然に新しい、介護用の手すり。

 一見、何も変わっていないように見えて、しかし確実に時間が流れていて、両親に老いが迫っている。もう昔のままではないのだということを、端的に描写したシーンだった。

昔と違う1割の異景

 ぼくが実家に帰って最初に感じたのも、これと同じだ。

 家の中身のほとんどは子供の頃のまま。まるで時間が止まった星にワープしたかのように、薬箱には赤チンがある。でも、ところどころは確かに変わっていて、その変化が重い出来事としてのしかかってくる。

 玄関先に水をまくためのポンプは、故障したまま動かなかった。天井の隅にはクモの巣が付いたまま、ほったらかしにされていた。父がまともなら、母が元気なら、こんなことはありえない。

 昔と変わらない9割のあれこれよりも、昔と違う1割の異景が、夕暮家に起きている事態の重大さを教えてくれていた。

 両親の身の回りの世話をするようになってすぐに、風呂場とトイレに介護用の手すりを取り付けた。ケアマネージャーにそうしたほうがいいと指示されたからだ。年寄りの家庭での事故の多くは、風呂場で起こるという。

 それでも最初の頃は、まだ母は自力で入浴ができた。

 やがて病状が悪化して、お風呂にも入れない日々が続き、そこから回復してまた、自宅でお風呂に入れるようになった。ここからは、ぼくの全面的な介助つきだ。週に1日はデイサービスの施設で入浴し、もう1日は自宅のお風呂に入る。

 母親をお風呂に入れてあげるという行為は、物理的な大変さのほかに、裸の母親を洗ってあげなくてはいけないところに、微妙なハードルが存在する。息子は特にそうだろう。しかし、いざとなれば何の抵抗もなくなるし、その程度のことに心理的な壁を感じているようでは、介護なんかできるわけがない。

 湯船につかった母は、背中をさすってあげると心地よさそうにした。

 胸とか腕とか、手が届くところは本人が洗い、背中はぼくの担当。でも、タオルでこするよりも、素手でさすってあげるくらいがちょうど良いらしく、ゆっくりと手のひらを回すと
「気持ちいいねえ。家のお風呂はいいねえ」
 と、目を細めた。

ギリギリで間に合った。そう信じたい。

『歩いても歩いても』には、主人公が「いっつも間に合わないんだよなあ」と、嘆く場面がある。そもそもこの映画は、是枝裕和監督が実のお母さんを亡くしたときに「いろんなことが間に合わなかったな」と思ったことが、制作の動機だったとインタビューで読んだ。ポスターにも「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」のコピーが付いている。

 ああ、もしかしたら、ぼくは間に合ったのかも知れないと、母の背中をさすりながら思った。

 親孝行したいときには親はなし。親の老い、気付いたときは間に合わず。
 世の中には、間に合わない息子のほうが多数派なのかも知れない。でも、自分はかろうじて、ギリギリで間に合った。そう信じたい。

文:夕暮 二郎(ゆうぐれ じろう)
昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。ツイッター https://twitter.com/yugure1962

※最新回はBEST T!MESをチェックしてみてください。〈隔週木曜更新〉


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