見出し画像

騙されても、ぼったくられても …それでも愛して止まないカンボジア

 次の休みは、どこへ行こう?
 カレンダーを見るたびに、ついそんなことを思案してしまう旅行好きの皆さん。「もしまだ訪れたことがないのなら…」という前提付きではあるものの、おすすめしたい国がある。それは、アンコール遺跡を戴く歴史ある王国であり、アジアで最も発展が目覚ましい国のひとつ、カンボジア。

 長く続いた内戦を終え、平和を取り戻したはずが、未だにその傷跡をしっかり引きずるカオスな国である。
 カンボジアはかつて、旅人たちから「幻の国」と呼ばれてきた。一体、何が幻か。その言葉の意味は、訪れる者によって同じではない。
 無私の心を持ったボランティア、一攫千金を夢見るビジネスマン、そして「なんでもあり」なお国柄で無法の夢を叶えようとするクズ男。同じ国を目指していながら、彼らがカンボジアへ寄せる想いには天と地ほどの違いがある。誰もがこの荒れ果てた国に、何がしかの白昼夢を見てしまうのだ。

 最貧国、なめたらあかん。

 カンボジア人は言うに及ばず、「商は詐なり」を地でいく華僑たち、そして何かをやらかし母国にいられなくなった海千山千の在カンボジア日本人などにとって、何も知らずにやってくる者などカモ以外の何物でもない
 確かに、カンボジアを訪れる者の中には商売で成功する人とていなくはないし、人助けも無駄ではないだろう。しかし、大半は数年もすれば泣きを見て帰国する羽目になる。要するに、なかなか手強い国なのである。

画像1

 なんでわざわざ貴重な休みを使って、そんなところに行かねばならんのか。理由は簡単、驚きがあるからだ。
 自ら「キングダム・オブ・ワンダー」(不思議の王国、もしくは驚異の王国)と称するのはダテじゃない。そこには、日本人の感覚からすればのけぞるほどの驚きと不条理に満ちている。
 一回行けばお腹いっぱい、でもしばらく経つと刺激が忘れられず再び訪れたくなる…そんな摩訶不思議の国・カンボジア。ここではまともなガイドブックがあえて避けるトピックを中心に、その魅力を紹介したい。

アンコール遺跡なんていつでも見れる 
行くなら悪徳の都・プノンペン一択

 さて、カンボジアとひと口に言っても、それなりに広い国。初めて訪れるのなら、一体どの都市を訪れるべきか?
 普通の頭なら、真っ先に浮かぶのはアンコールワットのあるシェムリアップ。だが、あえて断言するなら、この際遺跡は無視していい。灯台ならぬアンコールワット下暗し。観光都市・シェムリアップでは遺跡に目が行き過ぎて、「生身のカンボジア」を見逃してしまう恐れがある。行くなら悪徳の都・プノンペン一択。特に旅行で驚きを求める方なら、これで決まりだ。

 日本からの行き方はいろいろあるが、東京からならベトナム経由が一般的。もしチケット代を安く抑えたいなら、上海経由便もしばしば叩き売りとしか思えない額のエアーが見つかる。余裕がある方は全日空が満を持して開通させた成田発の直行便を使えばよい。
 空港に降り立ったら、タクシーを使ってホテルに向かう。よほどの真夜中着でなければプノンペン市内に着くまでにまず大渋滞にドハマリする。下手をすると空港の駐車場から出るだけで数十分かかることもある。
 車中から見えるのは、あちこち工事中の雑然とした町並み。アジア最貧国の首都でありながら意外なほどに栄えていて、高層ビルも珍しくない。とはいえ、やはり圧倒的に目につくのは熱帯の気候でコンクリートが痛みまくったボロ屋であり、味わいのあるバラックだ。

 そんな街で、なぜか日本でも珍しい高級外車をやたらと見かける。ポルシェやランボルギーニなんぞをお目にかかれる率、日本よりも圧倒的に高し。一台数千万円はするであろう高級車と1日1ドル以下で暮らす貧民の手押し車が自然と風景に溶け込む街、それがプノンペンなんである。
 そういう都市であるから、人の心はすさんでいる。カンボジア、特にプノンペンで暮らす人々は総じて当たりが激しい。貧しい国には「アジアの純真」が残っている! などという甘い考えは、プノンペンに数日滞在すればもろくも崩れ去るはずだ。

画像2

カンボジア人の気質に触れて
文化の違いを噛みしめる

 人の心に影をさす原因は、一生涯どころか永遠に輪廻転生を繰り返しても埋めがたい貧富の差だけではない。筆者の見立てでは、カンボジアの主要民族であるクメール人の気質も大きく関係していると思われる。
 クメール人は誇り高く、そして自分の感情にどこまでも正直な人々である。外国人、基本嫌い。特にたびたび戦争をしてきたベトナムに対しては敵意を剥き出しにする。よその国から来た観光客はお金を落としてくれる大事なお客様、という考えは周辺国に比べると圧倒的に希薄である。
 むろんどの国の人々であろうと、そういう思いは心の根っこに多かれ少なかれあるものだ。しかしクメール人は、それを露骨に顔に出す、というか出てしまう

 バイクタクシーの兄ちゃんやマッサージ屋のお姉さんなどと馴染みになったと思っても、懐が寂しいからとチップをひとたびケチろうものなら、ムッスリと顔をしかめる。また、あらかじめ値段交渉を済ませておいても、金を払う段になって「やっぱりあと5ドル」などと言ってきて、それをはねつけるとこれまた見事にしかめっ面。むしろ否はお前にあると言わんばかりで、はっきり言って感じはよくない。
 当たり前だがこういう人は、商売に向かない。今でこそ成金カンボジア人が珍しくなくなったとはいえ、長らく華僑系がこの国のビジネスを牛耳ってきたのはそのためだ。

 もっとも、これをいい方に捉えれば、自身の欲求に対して正直な人々ということだ。彼らの言葉には裏表がある。というか1秒でバレる嘘を平気でつく。しかし、感情表現について言えば、どこまでもストレートであると感じる。
 「できれば苦労はしたくない」
 「日々楽しく暮らしたい」
 「てっとり早く金が欲しい」
 そんな思いを隠さないカンボジアの人々には、普通の日本人が持ち得ない豊かな表情がある。旅行中たびたび金をたかられ嫌な思いをしながらも、何故か彼らを憎めない理由はそんなところにあるのかもしれない。


数少ないプノンペンの観光名所
期待感ゼロで赴くべし

 さて、まがりなりにも一国の首都であるプノンペン。何かしら観光名所くらいあるだろうと期待されている方には酷であるが、これと言って見どころなし。あえて挙げるなら、東洋が誇るダークツーリズムの聖地「トゥールスレン虐殺博物館」だろうか。

画像3

 ポルポト時代に政治犯から一般民衆まで最大2万人が虐殺されたといわれるこの地は、うだるほどの暑さの中でも背筋に走る寒気を存分に味わえる、まぎれもない負の観光遺産。かつてのプノンペンは強盗や殺人なんて日常茶飯事、何も虐殺記念館なんぞに行かずとも死が身近に感じられる都市だったが、それなりに治安がよくなった今ではある意味貴重な存在である。

 プノンペンのカオスを感じたいのなら、ダウンタウンの北にある「ワットプノン」をたずねてみるのもいい。と言っても仏塔を見物しに行くのではなく、その周囲にたむろする人々の生態を観察しに行くのが目的。地球の歩き方などにも載るプノンペン屈指の観光名所でありながら、なぜかその周囲には最底辺の街娼が夜な夜な現れる。それどころか昼間っから客引きをしている強者すらいるほどだ。
 関心を持っているそぶりを見せたらたら最後、とことん食らいついてくる。それはあたかもバイオハザードの世界。できれば財布は持たずに探検したいものだ。

画像4


 そこまでリスクを負いたくないなら、王宮前広場に行くとよい。むろんここでも見るべきは周囲の人間模様である。子供が物売りとして普通に働いている。物乞いだって大勢いる。目をそむけるのではなく、そのたくましさをしっかりと目に焼き付けねばければプノンペンに来た意味がない。
 王宮前で目を引くのは、小鳥を売る人たちである。ペットでもなければ、そのまま焼いて食べるわけでも決してない。カンボジアはタイやミャンマーなどとタメを張る仏教国。囚われの小鳥を逃がすことで、功徳を積めると人々に信じられているのである。古代インドから伝わり、日本のお寺でも「放生会」として今なお行われている宗教儀式ではあるが、カンボジアではそれが商売になるというわけだ。

画像5


 ここで外国人である自分も「ひとつ善行でもしてみるか」と思うわけだが、ふと空を見上げると放たれる小鳥を狙っていると思しき大型鳥が群れをなして飛んでいる。
 それって意味、あるのかしら。などとためらっているうちに、信心深いカンボジアの人々はどしどし鳥を買い求め、よりよい来世のために功徳を積んでいく。この一見無意味、というか明らかに無駄な行為の中に、カンボジアの不条理さが凝縮されているようにも感じられる。

 ちなみに王宮の裏手あたりに、プノンペンを訪れたならぜひ味わっていただきたいレストランがある。それは、「Sara」というエチオピア料理店。何でカンボジアくんだりまで来てアフリカ料理を食わねばならんのかと思われるだろうが、騙されたと思って行ってみて欲しい。
 とにかくメシがマズいカンボジアでは外国料理のレベルもとことん低いが、ここのドロワット(エチオピア風カレーのようなもの)は日本国内でも充分通用するレベル。クメール飯にうんざりした胃袋に、心地よい刺激を与えてくれることは間違いない。

キングダム・オブ・ワンダー
カンボジアで脳裏に刻まれる思い出作りを

 既に多くの読者諸兄はお気づきだろうが、カンボジアで見ていただきたいのは、遺跡ではなく人である。
 アンコールワットは今日明日で消えたりしない。しかし、豊かになるにつれてカンボジアの人々の心は、徐々にではあるが変わりつつある
 カンボジアで内戦後初めての選挙が行われたのは1993年。さらにさかのぼれば占領軍だったベトナムが撤退したのが89年、悪名高きポルポト政権が倒れたのは79年のことである。当然のことながら、20代の若者はその時代を知らない。

画像6


 家族を虐殺されたのか、それとも自身がかつて少年兵であったのかは知るよしもないが、50代、60代のお年寄りの中には、目の奥から得体の知れない闇を感じる人もいる。そこまで歳はいっていなくても、地を這うような暮らしに疲れて生気を失っている人とて珍しくない。しかし、多くの若者たちからは、そのような暗さをあまり感じない。
 ゆえに、旅に驚きを求めるのならカンボジアが、そして人々の心が洗練され尽くされる前に訪れていただきたいと思うのだ。

 と言っても、彼らの気質が5年や10年でガラリと変わると思えないのもまた事実。行くなら今! とまでゴリ押しするつもりはないが、台湾やタイなどで物足りなさを感じるようなら、ぜひこの不思議の王国に足を踏み入れてみてはいかがだろう。そしてとことん騙され、ボラれまくっていただきたい。

 嫌な思いもまた貴重な旅の経験。すぐに記憶が薄れるようなありきたりの観光旅行より、よっぽど人間の芯を鍛える。その意味では、カンボジアは決して貴方を裏切らないはずだ。
 次の休暇はぜひ、不思議の王国で未知の驚きに触れてみよう。大丈夫、命までは取られない

画像7

<執筆者プロフィール>
■もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?