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ハードコア・中国人クリスチャンは中華の大地で神の国を夢見る-中国の地下教会に行ってきた-

クリスチャンの信仰心は受難によって磨かれる

 イスラエルの米大使館、エルサレムに移転決定。

 もう昨年のニュースではあるが、世界の多くの人々がトランプ大統領を批難する中、当時自分の周囲にはこの一件を拍手喝采で称える人々、というかチャイニーズの皆さんがやたらと多かった。キリスト教右派、もしくはキリスト教原理主義のハードコア・中国人クリスチャンである。

 筆者が中国でキリスト教に巡り合ってもうすぐ1年。主のお導きかそれとも聖霊さまのはたらきか、理由はまったく不明なれど、これまで接してきた人たちは揃いも揃って「聖書に書かれていることはすべて事実」「イスラエル至上主義」「トランプ熱烈支持」という本気度高め方ばかりだった。

 14億近い人口を有する中華の大地におよそ1億人いると言われる中国人キリスト教徒。その活動を徹底的に抑え込むべく宗教弾圧の嵐が吹き荒れる中国で、チャイニーズ・クリスチャンたちは度重なる受難をバネに信仰を先鋭化させていく。

 中には信仰心をするどく尖らせすぎるあまり、常識の枠を突き破って果てしない高みにたどり着いてしまう人とて少なくない。さらに言えば、そんなプログレッシブなキリスト者ほど、聖者のごとき善良な心の持ち主であったりする。

 本人は大真面目、でも傍から見ている分には戦慄を覚えること無きにしもあらずな、急進的チャイニーズ・クリスチャンの兄弟姉妹たち。その美しくもエキセントリックな信仰の姿を通じて、宗教アレルギーが何かと強めな日本の皆さんに信じることの素晴らしさをお伝えしたい。
 

オカルト感すら漂う教会ほど高学歴の中国人が集まる不思議

 クリスチャンにとって毎日の祈りは神と繋がり、神を身近に感じるための欠かせない行為。ではあるが、人間というのはいいかげんなもので、自分のような信仰心の弱い者は食事前の祈りすら忘れたり、人前で恥ずかしいゆえに省略、なんてこともついしてしまう。

 逆に言えば信仰心に厚いキリスト者にとってうっかり忘れるなんてことはありえず、キレッキレの信徒ともなればむしろ極限まで祈りまくりの日々を送っていたりする。

 中国では時に、そんなに祈らなくても充分あなたの声は天に伝わっているのではと思うくらい、ノンストップで神を称える言葉をつむぐ猛者とて少なくない。一緒にお祈りする前にトイレに行っておかないと後悔することすらあるほど、無限にしてエンドレス。

 もともと中国人はクリスチャンに限らず、話を聞くより自分が喋りたい人が圧倒的に多く、誰もが落語家や漫談師の素質を持つ主張多めな国民性。30分くらい祈り倒すのは朝飯前で、エルサレム訪問歴のあるハードコア系信徒の友人(見た目はステキ女子)などは、昨日徹夜で祈っちゃったテヘとか言って目の下にがっつりくまを作りながら「ところで今日暇だったら1日ぶっ通しで祈らない?」などと誘ってきたりする。

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 こんな風に書くとやばい人みたく思われる方がいるかもしれないが、彼女自身は海外留学経験があり頭の回転も抜群にいい。というか、原理主義的なキリスト教にのめり込む中国人はおしなべて教育レベルが高い。

 これを自分は、キリスト者としてどうあるべきか、何が正しいのかということを掘り下げて考え、聖書を徹底的に読み込むのには勉強が得意な人の方が向いているからと考えている。ゆえに前衛的グループが揃いも揃って高学歴の人たちの集まりだったりすることが中国では割とある。

 自分の頭ではまだ理解できていないのだが、友人が所属する教会ではクリスマスを否定し、安息日は日曜ではなくユダヤ教と同じ土曜、さらに豚肉は不浄ゆえ口にしてはいけない、だって聖書にそう書いてあるんだもの、ということだった。

 さらに賛美歌は半分くらいヘブライ語で、教会にはエルサレム旧市街にある嘆きの壁の映像がリアルタイムで映し出されていた。でも信徒の皆さんは中国人であり、交わされる言葉はもちろん中国語という果てしない異次元トリップ感。

 ところが、それがまた何故か居心地が良い。信仰的には圧倒的マイノリティーであるがゆえに結束が半端なく強く、同じものを信じる同士として家族を超えるほどの濃密な関係が生まれるからだ。長く居たら自分もそのうち「エルサレム永遠の都」とか言うようになっていたと思う。幸い、ではなく残念なことに、筆者は引っ越しのためにその教会がある地を離れることになり、それ以来心優しき兄弟姉妹たちとは会っていない。

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矛盾に満ちた中国社会だからこそ人々は救いを求める

 キリスト教というのは言うまでもなく、世界でもまれに見る伝導の力を持つ宗教である。どれほど中国共産党が宗教鎖国をしようが、伝道者たちはどこからともなく中華の大地にも入ってくる。むしろ締め付けが厳しいほどに、人々はより過激な教えを求めているようにすら見える。

 ある日、友人に「アメリカからすごい先生が来るから会ってみない?」と言われ、誘われるままに教えを請いに行ったら、その先生とは神の声が聞こえてしまう人だった。

 開口一番「あなたはいつ救われたの?」と聞かれ、一瞬何のことか分からなかったのだが、要はいつ信徒になったのかという質問だった。イエス・キリストを信じる者は、その血によって罪を洗われる。そこで「あ、自分救われてたわ」と改めて気づいた次第。

 半年前くらいっすかね、と自分が答えるやいなや先生は爆裂トークをぶちかまし、それを要約すると「日中韓がキリスト教化して東アジアに神の国が打ち立てられる」というエホバの声を聞いたとのことだった。さすが先生、話のスケールがやたらと大きい。

 真面目な中国人信徒がその日はいつ来るんでしょうかと聞くと、先生の答えは「うーん、来年だね」。いくらなんでも早すぎるだろ、などと口を挟める空気ではなく、先生は絶好調で日本人である筆者にも「天皇制は反キリスト」とタブーを恐れないお言葉をくださった。

 神に力を授けられた力を使い、癒やしによって全ての病気を治してしまうという中国人にも出会ったことがある。出会ったというか筆者の恩師がステージ4のがんを患うお父さんのために、足繁く異能者のもとに通っていたのである。

「こんな風に奇跡が起こるの、みんな本当に治るのよ」と見せてもらった癒やしの集いなる動画は、車椅子の人が突然歩けるようになったりするなかなか香ばしい内容で正直絶句してしまったが、少女のように純真な心を持つ先生は微塵も疑いを持っていない様子。

「現代人はたくさんの罪を抱えているから長生きできないけれど、聖書にある通りアダムは930歳まで生きたのよ」

 だから罪を認めればお父さんの病気だって治るの、と涙ながらに語る愛しの恩師に、自分が一体何を言えるというのか。常識で考えればはっきり言ってオカルトと紙一重、信仰も祈りも何ら意味もないもののように思われるかもしれない。でも彼女にとって聖書は絶対で、クリスチャンとして生きることは希望そのものなのである。

 どれほど現実世界が残酷であっても、必ず救われるという想いが心に安寧をもたらす。ありとあらゆる矛盾に満ちた中国社会において、共産党がいくら激しく思想統制を敷こうが、あまたの中国人たちがキリスト者の道を選ぶ理由は、突き詰めればそこにある。

 宗教に走る人は心が弱い、スキがあるという考え方をする日本人は決して少なくない。断言できるが、逆である。チャイニーズ・クリスチャンたちは金や権力、その他あらゆる一切の現世利益を否定し、時には命の危険すら冒してでも信仰を守る。
 
 なんじの敵を愛せよ。共産党にも許しと神の祝福を。どれほど弾圧されようがあえて受難を受け入れ、愛で応えるキリスト者こそ、真の意味での「無敵の人」に他ならない。彼らの祈りは、きっといつか天に届くと信じたい。というか自分も一人のクリスチャンとして、中華の大地に神の千年王国が打ち立てられる日が来ることを、大絶叫で祈らずにはいられない。

感谢,赞美您,天父!
奉耶稣基督的圣名、阿们!

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<執筆者プロフィール>
■もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。



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