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【医療ミステリー】裏切りのメス―第57回―

【前回までのあらすじ】
 チーム小倉のリーダー下川亨と妻・佐久間君代は、事件の犠牲となった白木みさおの実家に向かった。彼女の弔いと彼女の母親にいくばくかの見舞い金を渡し、真犯人を突き止める決意を新たにした。
 まずは、吉元竜馬がなりすました小倉明俊が山谷で死亡した事件のその後を、調べることにした。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<友部刑事との再会>

 友部隆一と会うのは4年ぶりだった。私の東京のマンションで中央線の始発時間近くまで飲み明かして以来である。ファミレスに姿を現した友部は前より若返ったように見えた。私より7歳上だから、いま57歳のはずだ。

「えらくお元気そうですね。肌がつやつやしていますよ」

「定年まで3年を切って、刑事としてのゴールが見えてきたからかな。ラストスパートだと思って、けっこう張り切っているんだ。ところで、そちらの方は」

「妻の君代です」

 佐久間君代が「どうも初めまして。下川がお世話になっています」とあいさつした。

「えっ、下川さん、結婚してたの? 独身だとばかり思っていた」

「実を言うと、私のマンションで友部さんとお会いする1ヵ月半前に籍を入れたんですよ。ただ、そのときは当分、秘密にしておこうと2人で決めていた。それから4年がたって、やっとオープンにすることにしたんです」

 たしか、友部はひとり暮らしのはずだった。妻は男をつくって家を出ていったと、自嘲気味に語っていたのを思い出した。娘も就職して、都心にアパートを借りていた。触れてはいけないと思いながらも、「いまもおひとりなんですか」とたずねると、友部はいきなり、相好を崩した。

「半年前、女房が戻ってきたんですよ。男に捨てられたようです。かわいそうだから、置いてやっていますがね。コンビニ弁当ばかりだと厭きるので、その点はよかった」

 憎まれ口を叩きながらも、友部はどこかうれしそうだ。彼が若々しさを取り戻した理由がわかった。

「じゃあ、まだまだ稼がなければならないじゃないですか。定年後はどうされるんですか」

「警務部に任せています。どこか適当な仕事をあっせんしてくれるんです。警備会社になる可能性が高いかな」

 さすが、日本で社員に対する面倒見が一番いいと言われる会社である。不祥事を起こさない限り、退職後もまず食いっぱぐれることはない。

 友部の無邪気な声を聞いているうち、私は少し苦い気分になった。昨年9月からチーム小倉に加わった元刑事の湯本利晴の顔が脳裏に浮かんでいた。警察という最優良企業にそのままいれば、安泰に暮らせていただろう湯本を引き込んだ私の責任はあまりに重い。いまや、チーム小倉の未来は風前のともしびだ。

 友部は私の憂鬱な表情に気づいたのか、場の空気を変えようとするかのように、「尾方肇が逮捕されたんですってね」と切り出した。

「友部さんのおかげですよ。教えてもらった情報を埼玉の所轄署の刑事に伝えたら、それをヒントにすぐに潜伏先を割り出し、身柄を確保した。尾方はその後、懲役4年の判決を受け、前橋の刑務所に入っていたんですが、昨年11月に出所しています」

「それにしても、娑婆に出てくるのがずいぶん早いな。反社はなかなか、仮釈放は認められないもんなんだが」

「未決拘留を5ヵ月も算入してくれ、その上、さらに刑期が8ヵ月縮まっていますからね。友部さんもご存じのジャイー(林佳怡→現尾方佳子)と獄中結婚して、その養母の峯田友子が身元引受人になったのがプラスに働いたようです。峯田は元々、教職に就いていた人ですから信用されたのでしょう」

 私はエスプレッソをひっきりなしに口に運びながら、内心あせっていた。ファミレスのドリンクバーに用意されているコーヒーは以前と比べ、格段に美味くなった。コーヒー豆本来の香りがしっかり残っている。ファミレス同士の競争も激しくて、コーヒーの味にも気を使わないといけないのだろう。我が家で淹れる自慢の本格的エスプレッソにも引けをとらないほどだ。

<山谷事件の進捗>

 だが、いつまでも味わっているわけにはいかない。東京の日雇い労働者の町、山谷の路上で亡くなった小倉明俊の件をどうやって持ちだそうか、私は迷っていた。ストレートに聞くわけにはいかない。4年前に調べてもらったときは、山谷で見つかった遺体がゆくえ知れずになっている私の叔父かもしれないと、理由をでっち上げた。

 友部は、警視庁本部で身元不明情報を扱っている警察学校時代の同期にたずねてくれた。その遺体が私の叔父でないことはすぐに判明した。ここで私があの山谷の身元不明遺体がどうなったか聞くのは、あまりに怪しい。すでに私との接点がなくなっているはずの遺体に、なぜいまも関心があるのか、不審がられるに違いない。

 一番の得策は、友部の側からあの話題に触れることだった。こちらの気持ちを知る由もない友部は佐久間に興味を持ったのか、私との出会いを根掘り葉掘り聞いている。彼女も脚色せず、ありのまま答えていた。

 しばらくすると今度は逆に、佐久間が友部に、私とどうやって知り合ったのか、質問し始めた。このファミレスに来る前に、私が警察に捕まった際、取り調べたのが友部だと説明してあった。それをあえて聞くというのは、彼女なりの考えがあるに違いなかった。

「取り調べでも、友部さんからとても気を使っていただいたと下川は感謝していました」

「あれは冤罪だとわかっていましたからね。警察署の上層部の判断で、下川さんを逮捕することになったんだが、まともに調べても仕方ないと思っていたんで、ほとんど雑談していたんですよ」

「そのあとも、いろいろ親切にしていただいたとか。山谷で亡くなった人がもしかしたら自分の叔父かもしれないと、友部さんに調査をお願いしたそうですね」

「そんなこともありましたね。僕の友人に身元不明遺体を扱う担当者がいたんで、そのルートで調べてもらったんです。お礼に、下川さんからラフロイグの30年物を飲ませてもらったのは望外の利だったな。あんな極上のウイスキーを口にしたのは初めてですよ」

 とっておきのアイラモルトをごちそうしたのを思い出した。酒で相手を吊るのは私の常套手段だ。本物の小倉明俊から医師免許を提供してもらったのも、やはり入手困難なアイラモルトが決め手だった。自身がそうだから、酒飲みの気持ちはよくわかるのだ。佐久間はそんなことはおかまいなしに、さらに質問を友部にぶつけた。

「結局、下川の叔父ではなかったんですね」

 友部はうなづき、話を続けた。一層、熱を帯びる口調に、せっかく手に入れた情報を伝える相手がほしかったのではないかという気がした。根本的に、このベテラン刑事は話し好きなのだ。妻に逃げられていた時期は、テレビに語りかけていたに違いない。

「下川さんの叔父さんでないことはすぐに確認できたんですが、じゃあ、それが誰なのか、いまだに特定できていない。その遺体からは指紋が採取できなくて、山谷を管轄する警察署の中にも、おかしいと思った刑事が何人かいたようなんです。薬品を多く扱う職業に従事している人で、まれに指紋が摩耗しているケースがあるとはいえ、路上生活していた当該がそうした仕事をしているとは考えにくい」

 私はじっと耳を傾けていたが、強く関心を持っていることに気づかれるのを怖れて、一言も口を挟まず、心ここにあらずの顔をしていた。こちらの気持ちを察してか、佐久間が場を仕切る役を担ってくれた。

「捜査は行われているんですか」

「一度も帳場(捜査本部)が立ったことはないんです。何しろ、山谷では路上で寝ていて凍死するケースがめずらしくないので、死に方がちょっとおかしいくらいでは人員はさけられないと、警察署の上層部は考えたようでした。ただ、それではあんまりだと思った30代後半の中堅の刑事と新人のコンビが空いた時間を使って、独自に調べているようです。亡くなったのが誰なのか、なかなかたどり着けず、思ったようには捜査は進んでないようですが」

 困難を極めながらも、所轄の刑事2人がまだあきらめずに調べているのは、指紋がないという理由だけではなかった。

「事件の可能性が否定しきれないのは、遺体から覚せい剤らしき成分が検出されたからです。酒を飲んだうえに覚せい剤を使えば、凍死の危険性も高まる。となると、酒と薬物使用による事故死か病死と見るのが普通ですが、その覚せい剤は日本であまり使われている種類ではなかったのです」

<薬物の違いの理由>

 私は警察署の霊安室で遺体となった本物の小倉明俊と対面したときのことを思い出していた。その遺体からはかすかに甘い香りがした。それは、タイで流行っているヤーバーと呼ばれる錠剤タイプの覚せい剤を服用したときのにおいだった。

「当該がアルコール依存症だったのは明らかですが、検視官の見立てでは薬物の依存症はなかったという。つまり、普段は覚せい剤を使っていなかった。しかも、そんな簡単に入手できないものを用いたとなると、第三者の関与が疑われてくる。この当該を殺害する目的で飲ませた可能性も出てくるのです」

 友部の話を聞いているうち、私の吉元竜馬に対する疑念は確信に変わりつつあった。本物の小倉明俊の死、蒔田直也と白木みさおの死、そして私と佐久間に対する未遂、すべてに吉元がかかわっているとすると──。時系列と、使用された薬物の種類が違う理由が符合してくるのだ。

 蒔田と白木、私と佐久間に使われたのはオピオイド。末期がん患者の痛みの治療に一般的に処方される医療用麻薬だ。そうした分野にたずさわる病院関係者なら、不正に入手するのもそれほど難しくはない。

 だが、小倉が亡くなった2013年3月30日の時点では、吉元はまだ、安井会グループの理事長やその中核施設である安井中央病院の病院長には就いていない。前年暮れに刑務所から出所したばかりの吉元は、医師としての活動をまったく行っていないのだ。オピオイドを入手するのは容易ではない。

 あとの2件と違い、小倉に対してだけタイの覚せい剤が使われたのは、オピオイドを手に入れるすべがなかったからではないのか。ただ、この推理にはひとつだけ疑問がある。吉元はどうやってヤーバーを調達したのか。早急に調べてみることにした。
(つづく)


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