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『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』(著・向谷匡史)【全文無料公開】


一章 因縁生起(いんねんしょうき)

「親鸞」とかいうおかしな坊主がわしの事務所に現れよった

来し方を顧みて、「もしもあの時」という出会いが誰しもある。
人生は善くも悪くも、この偶然の出会いによって変わっていく。
だが、それは本当に偶然なのだろうか?
組長の、未だ解けざる疑念である。

浄土から娑婆に還って来た男

「コラッ、殺(い)てもうたろか!」
いきなり言われてみい。
わしら、その場で拳銃(チャカ)弾いとるがな。
反対に、
「すんまへんが力貸しておくなはれ」
手ぇモミモミしながら寄ってこられたら、
「なんやねん、話聞こやないか」
胸襟(きょうきん)、広げるがな。
相手がどう話を切り出すかで鬼にもなりゃ、仏にもなる―それが極道や。
ところが、そのガキ、事務所に入ってくるなり、こう言(ゆ)うたんやで。
「あのう、こちらに悪人がたくさんいらっしゃると聞いてきたんですけど」
涼しい顔してな。
わし、飲みかけのコーヒー吹き出したがな。
「なんじゃ、われ!」
若いもんの三郎が怒ってもうて、後ろから襟首つかんでぶん投げたもんやから、そのガキ、吹っ飛びよった。紺色の作務衣(さむえ)着て、頭、ツルっ禿(ぱげ)や。剃り跡が青々としとる。
「やめんかい!」
わし、あわてて止めたよ。極道の事務所でケガ人が出たゆうことになったら、お巡り、素っ飛んでくるがな。まして相手がカタギやゆうことになったら面倒なことになるやろ。暴対法やら暴排条例やらで、当局はわしらを狙(ねろ)うとるからね。
さすが若頭(かしら)はそのへんのこと、ようわかっとるさかい、
「兄(に)ィちゃん、大丈夫かい」
すぐに助け起こしておいて、
「このアホ!」
三郎の頭、灰皿でカチ割った。
血ィ、ダラダラや。これ、カタギを脅すときの常套(じようとう)手段やね。相手に手ぇかけたら傷害でパクられるさかい、目の前で若い衆をブッ叩くんや。若い衆もそこは心得とるから、「ギャーッ!」―転げ回ってプロレスごっこやね。カタギはそれ見て震えあがるがな。
ところが、作務衣のガキ、
「いやいや、みなさん悪人なので安心しました」
ニコニコしとる。
若頭とわし、目が合(お)うた。首をゆっくり横に振っとる。陽気がようなって、いま木の芽どきやからね。いろいろおるのとちゃいまっか―目がそう言(ゆ)うてた。
「兄ィちゃん、こっち座りや。おい、コーヒーや」
わし、ソファを勧め、若い衆に命じてから、
「で、なんぞウチに用があるんかい?」
念のため、きいた。
「実は私、お浄土から娑婆(しゃば)に、悪人を救うために参りました。親鸞(しんらん)と申します」
「親鸞?どこぞで聞いた名前やな」
「僧侶です」
「さよか。けど、お浄土いう地名はあんまり聞かへんな」
「地名ではありません。極楽のことです」
「なんや、極楽のことかいな。そら遠路、ご苦労なこっちゃ。で、何しに?」
「還相(げんそう)です」
「幻想?めくらましかいな?」
「いえ、還相です」
親鸞とかいうガキが、人差し指でテーブルに何や知らん難しい漢字を書いて、
「死んでお浄土に行くのが往相(おうそう)、お浄土から娑婆に還(かえ)ってくるのが還相でして、説明すれば長くなるんですが、これは仏(ぶつ)の働きのことを言い……」
「そうか、そうか、わかった。わし、浄土へ行ったことないさかいな。また今度、ゆっくり聞かせてもらうがな。で、どこぞ、痛いとこないか?」
「大丈夫です」
「なら安心や。ほなら、わし、用事あるさかい」
笑顔をつくって立ち上がった。
一応、機嫌とっとかな、二週間は気が抜けへん。モンゴルの力士でおったやろ。何日かたってから診断書取って被害届を出したのが。そういう時代や。この親鸞とかいうガキ、警察に因果を含められて被害届けを出すっちゅうこともある。お宅ら知らんやろが、「暴力団お断り」のホテルにチェックインして、パクられた者(もん)もおるんやで。「極道いうことを隠して泊まった」という理由や。当局はそこまでやってきよる。このガキも、ひと昔前なら袋叩きにして放り出すところやが、そうもいかん。時代は変わりよった。
「お邪魔しました」
「また来いや」
「ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げて帰って行った。

わしらの世界、頭のイカレた男はなんぼでもおる。ちょっとやそっとのことではビックリせぇへんけど、自称にしても、事務所に坊主が飛び込んできたんは初めてことや。極道が坊主と縁を持つのはズドンと殺(や)られたときくらいやからな。真っ昼間から縁起でもないで。
「おい、塩や!塩をまかんかい!」
若い衆に命じたら、若頭の安倍が鼻で笑(わろ)て言うた。
「親鸞とかいうんは、たしか鎌倉時代におったエライ坊さんでっせ。浄土真宗を開いた大親分ですわ。あのガキ、頭がおかしゅうても、名前だけは立派なのを騙(かた)っとる」
なるほど、それでどこかで聞いた名前なんやな。安倍は大学を出とる。私立の三流やが、この業界じゃインテリや。出身学部は応援部ゆうとるが、それでもたいしたもんやないか。

「それは縁起の誤用です」

翌日の昼過ぎ、わし、いつものように事務所に顔出した。このあとサウナ行って、馴染(なじ)みの鮨屋で軽く腹ごしらえして、クラブまわりして、気にいった女(こ)をつれて朝までアフター。わしの日課や。
遊んで暮らしとるように見えるやろけど、好きでやっとんのとちゃうで。これも仕事のうちや。余裕かまして生きとることが極道の力の証明になるさかいな。組長が額に汗して働いとってみい。〝あの組はしょうもない〟ゆうてカタギにナメられてまうがな。せやから組の実務は若頭(かしら)にまかせて、わしは夜ごと札ビラ切ってクラブをハシゴして見せとるいうわけや。

で、昼過ぎのことや。
サウナ行こう思てソファから腰を上げたところへ、事務所のドアが開いた。
「こんにちは!」
明るい声に振り向いて、
「あっ!」
あの作務衣のガキ―親鸞とかいう若い坊主が、左腕を包帯で吊って入って来よったやないか。
ケガしとる。
これ、ヤバイで。
「ヤクザ事務所で暴力をふるわれました!」
医者の診断書でも持って所轄へ駆け込んでみてみい。手ぇ出した三郎は当然やが、止めんかった若頭もわしもアウトやし、組長は使用者責任とかいうのも問われるさかいな。わし、いま事情があって娑婆(しゃば)を留守にするわけにはいかんのや。
「ようきたな」
わし、笑顔や。若頭の安部は状況わかっとるさかい、顔に「ヤバイ」と書いてある。ノーテンキなのは三郎や。
「何の用や」
目ぇ三角にしとるから、「黙っとらんかい!」―後ろから三郎の頭叩(はた)いて、
「兄ィちゃん、医者、行ったんか?」
わし、猫なで声や。
「いえ、ちょっとした打ち身ですから、自分で湿布しました」
「診断書はなしやな」
「ハッ?」
「何でもあらへん。座ってコーヒーでもどないや」
三郎に命じた。

この男は三十前やろ。余裕あるやないか。三郎にブン投げられたんやで。フツーの人間なら事務所に近寄らんはずやが、平気な顔して来よった。うちの組は武闘派のイケイケで、閻魔(えんま)一家ゆうたら泣く子かて黙る。わし、鬼山鬼太郎はそこの組長や。通称「人斬りの鬼ヤンマ」―。せやのに、こいつ、ビビリもせんと、涼しい顔して、わしを見とる。頭がイカレとるせいやろうとは思うが……。それとも、なんぞ魂胆があるんか?

「兄ィちゃん、寺はどこやねん?」
念のため、きいてみた。
「ありません」
「寺が無(の)うて、どないしてメシ食うてんねん」
「ですからお浄土へ行き、お浄土で仏(ぶつ)にならせていただき、いまこうして……」
「わかった、わかった」
話がややこしゅうなりそうなので手を振って制して、
「そもそも、なんでウチの事務所に来たんや?」
話題を変えた。理由をきいてもしゃあないけど、なんぞ機嫌よう雑談して帰せば警察へ駆け込むこともないやろ。
ところが、
「縁起(えんぎ)です」
大マジメな顔で言いよった。
「縁起?縁起で来たんか?ウチの組、そない縁起がええのんか?」
「それは縁起の誤用で!間違いです!」
ピシャリと言いよった。
わしに向かって、そないなキツイ言い方する人間はおらん。三郎がこめかみに青筋立てて、チラチラと若頭の顔見とるがな。「勝手なこと言わせといてええんですか」―目で指示を仰いどるんやが、若頭は、わしがなに考えとるかわかっとるさかい、下向いてスマホをいじっとる。
親鸞が意気込んで言うた。
「縁起とは因縁生起(いんねんしょうき)の略です。仏教の根本原理をなすもので、こういう字を書きます。ちょっと失礼―」
と言って机の上のボールペンを執ると、電話の脇のメモ帳に《因縁生起》と書きつけて、
「字のとおり〝縁によって起こる〟という意味で、〝縁起がいい〟とか〝悪い〟というのは仏教から生まれた言葉ではありますが、本来の意味とまったく違うのです」
「ほう、それは知らんかった」
うっかり相づちを打ったのがマズかった。
親鸞、すっかり調子づきよった。

兄弟は「同時」に生まれる

「因縁の《因》は直接原因、《縁》とは間接原因のことです。たとえば花が咲いているとします。どうして咲くのでしょうか?」
子供だましみたいなことをききよった。
「タネがあるからに決まっとるやないか」
「タネだけで咲きますか?水や土、光などさまざまな条件がそろわなければ咲きません。これらの間接的な条件が《縁》というわけです。花はさまざまな因縁によって咲かせているのです。花はたとえで、すべての存在は縁起の中にあるということです。お釈迦(しやか)さまは『華厳経(けごんきょう)』において、『重々無尽(じゅうじゅうむじん)』と説いてらっしゃいます。これを『一即一切(いちそくいっさい)一切一即』と言い、華厳思想の中核をなすものです」
「なるほど、重々承知か」
「いえ、重々無尽です」
そう言(ゆ)うてメモ帳に字を書きつけて見せた。若頭の眉がピクリと動いたけど、もちろん笑うはずがない。
「わかっていただけましたでしょうか?縁起とは、二つの異なるものが関わり合っているということではなくて、関わり合いのなかで異なった二つが成立しているという意味です」
と言うたが、わしの顔が納得しとらんことを見てとったんやろう。
「こんな例はどうでしょう、兄と弟は、どちらが先に生まれたと思いますか?」
ときいてきよった。

「兄に決まっとるやないか」
ムッとして答えると、
「兄が先と答えて当然です。しかし、縁起の道理から言えば兄弟は同時に生まれているのです。兄は、弟が生まれて初めて兄になる。弟が生まれなければ、兄になることは絶対にありません。弟も同様で、先に生まれた者―つまり兄がいるから弟になるのです」
うまいこと言いよる。黒いもんでも白いもんと言いくるめるんは極道の得意ワザや。これだけアゴが立ちゃ、ええ極道になるで。
「坊主にしとくの、もったいないな」
そう言うたけど、キョトンとしとる。極道は無理か。
「そうするとや」
安倍がスマホから顔を上げて言うた。
「親分子分の関係も、それといっしょやな。子分のおらん親分はおらんし、親分のおらん子分もおらん。親分と子分という別々の存在がくっついて〝親子〟になるんやのうて、〝親子〟という関わりの中において親分と子分として存在するいうことやな」
大学出は言うことが違(ちゃ)うやろ。たいしたもんや。けど、あとで安倍がなんでこないなこと言うたか真意がわかるんやが、このとき気づいとったらよかったと悔やむことになる。
それはともかく、
「お宅が言う縁起と、ウチの事務所に来たことと何の関係があるんや?」
話をもどしたら、
「あっ、そうでした」
いま気づいた顔で、
「あのう」
「なんや」
「私はコーヒーよりお茶のほうがいいんですが。仏法の話は、お茶のほうが調子が出ますので」
三郎、唖然としとった。
この若い坊さん、マジメやけど、ちょっとピントがズレとるんちゃうか?

風吹きゃ桶屋が儲かる

お茶をひと口すすって、親鸞とかいう坊主、こないなこと話し始めた。
「昨日申し上げたように、私は悪人を救うべく娑婆に還ってくることになったんですが、悪人が多いのは大きな組織が密集している京阪神だろうということで、最初は神戸に行くつもりだったのです。ところが、寝過ごしてしまって神戸駅で降りそこなったんです。疲れていたもので……。それでK駅で降りて、お腹が減ったのでマクドナルドに入ろうと思って駅前広場に出たら『暴力団追放宣言の街』という看板が目に入ったので、清掃活動していたおっちゃんに尋ねたら、この街にもヤクザは多いって。それでこちら―閻魔一家の場所を教えてくれたんです」
「わしらは悪人か?」
眼ぇ剥(む)いたら、三郎のこめかみが青く脈打っとる。
「私の言う悪人とは凡夫(ぼんぷ)―人間すべてを言いますが、ヤクザの人というのは煩悩(ぼんのう)が濃縮された世界に生きてますから、便宜的に悪人と呼んでいます。このことについては、またお話しする機会があればと思います」
「もってまわった言い方やな」
「つまり、私が寝過ごさなければ、お腹が空いていなければ、駅前広場に行かなければ、清掃活動の人がいなければ、そして私がその方に問いかけなければ……、そもそも『暴力団追放宣言の街』という看板が掲げてなければ、これを目にしなけば、私はここにこうして来ていない。まさしく因縁生起じゃないですか」
「屁理屈やろ」
「じゃ、組長はどうしてヤクザになったのですか?」
「先輩がおったからや」
「何の先輩ですか?」
「高校や。学校でめんどうみてもろた。わし、中退したけど」
「どうしてその高校へ?」
「勉強でけんからや。不良の名門高やで」
「勉強が嫌いだった?」
「親が離婚して、わし、お袋と一緒や。カネが無(の)うて、朝早(はよ)うから起きて新聞配達して、勉強なんかする時間があるかい」
「どうしてご両親は離婚なさったのですか」
「オヤジに女ができた」
「どうして?」
「オフクロの性格がきつかったからや」
「それなのにどうしてお二人は結婚を?」
「よう知らんが、オヤジの勤め先の上司が……。なんで、そないなこときくんや」
「あなたがヤクザになった理由をさかのぼっていけば、まさに『重々無尽』―。《因》が《果》を生起し、《果》が《因》となって、さらに《果》を生じるということが、我が身の人生を通しておわかりだと思います」
「なるほど。『風吹きゃ桶屋(おけや)が儲かる』っちゅう言葉があるが、あれと一緒やな」
「なんですか、それ?」
「坊主のくせして知らんのかいな?」
「私が娑婆にいた鎌倉時代には、そんな言葉はなかったような……」
モゴモゴ言うとるから説明したった。
「大風が吹いたら土ぼこりが立つ。土ぼこりが目に入れば盲人が増える。盲人は三味線を買う―そのころ盲人は三味線弾きになるもんが多かったからや。で、三味線が売れれば、三味線に使う猫の皮がいるから、猫が殺される。猫が減ったらネズミが増える。ネズミは丈夫な歯で桶をガリガリ囓るよって、桶屋が繁盛して儲かる。こういうことや」
「素晴らしい!」
大きな声出しよって、ビックリしたのは、こっちやがな。
「こんなにわかりやすいたとえがあったとは知らなかった」
親鸞がしきりに感心しとる。誰かて知ってるやろ。「それほど感心するほどのことやないで」―わし、声に出さんで言うた。

ごちゃごちゃ言うとるうちに三十分もたっとる。
サウナの時間や。
「わし、これから用事があるんや」
「続きは?私の話を聞くのがイヤなんですか?」
「そうなんや」
と言いたいところやが、気分を害して警察に被害届け出されたらえらいこっちゃ。
「聞きたいに決まっとるとやろ。重々承知やで」
「重々無尽です」
このガキ……と思たが、わし、大人や。
「ぜひ、また来て聞かせてんか」
笑(わろ)ておべんちゃら言うたところが、
「明日来ます」
マジメな顔をして言いよった。
「明日?今日の明日か?」
「はい。同じ時間―午後の一時に。これもご縁ですから、仏法のお話をさせていただきましょう。セミナーです。気軽にお聞きいただければと思います」
「セ、セミナー……」
わし、返事がノドに詰まってもうたがな。

親鸞が帰ったあと、若頭の安倍がうんざりしとる。
「オヤジ、ホンマにあの坊主、ここに来させるんでっか?」
さすがに言うたな。ここはヤクザ事務所や。泣く子も黙る閻魔一家の事務所やで。頭のイカレた坊主がノコノコやってくるところとちゃう。せやけど、事情が事情や。
「一週間ほどの辛抱や。万一いうこともある。警察へ被害届け出されてもええようにしとかなあかん。事務所でセミナーとかいうんをやっといたら大丈夫や。警察も被害届け受理せんやろ」
「ぬるいこと言わんと、半殺しにしたったほうが早いんちゃいますか」
「わかってるやろ。あの親鸞はフツーやない。何しでかすかわからへん」
「なら、若いもんに殺(や)らせまんがな」
「坊主殺(や)ったら七代祟(たた)りよる。イカレ坊主かて、坊主は坊主や」
「そら、そうかもしれまへんが……」
安倍の言うことは、わしもようわかっとる。けど、いまは非常時や。広域組織の関東鬼神会がこの街に進攻してきよった。金融のカンバン上げて様子見とるが、わしが微罪でも逮捕(パク)られたら一気に攻めて来よるやろ。身辺には気ィつけなあかん。あの坊主には気ィつけなあかんのや。
「一週間の辛抱や」
「わかりました」
安倍、頭下げよった。親分が白や言うたら、黒いもんでも白うなる。ヤクザ社会は親分が絶対や。

十二縁起

坊主に悪態をつくのはチンピラ風情で、親分や幹部クラスになると敬意をもっとる。命懸けの毎日やから、「葬儀=坊主」と連想して一目置くようになる。ジギリ―組のために身体を懸けることやが、ジギリ懸けて死んだ組員の組葬ともなると、そら立派なもんや。坊主が引導を渡してくれるんやと思えば、頭の一つも下げるがな。
それともう一つ、大事なことは、坊主は厳しい修行をしとることがある。わしら極道も修行や。そこに共感する気持ちも起こるんやな。

翌日、午後一時―。
十分前に親鸞はやって来た。三日続けて会えば多少の情も移って贔屓(ひいき)目に見るようになるんやろう。頭がイカレとっても、涼やかな目をしてるやないか。濃紺の洗いざらしの作務衣も、春先の陽光によう似合(にお)うとる―そないなことを思たもんや。
「話は奧で聞こか」
応接間に通した。
ついでに言うとくと、事務所はわしの所有で、鬼山ビルゆうて三階建てになっとる。一階が事務所と応接室、二階が大広間、三階が《部屋住み》をやっとる若い衆の寝ぐらや。
部屋住み言うんは、事務所や親分の家に寝泊まりして、便所掃除から洗濯まで一切の雑用をこなす。修行や。三郎がそうやね。部屋住みは十人おったが、残ったのは三郎一人や。みんなケツ割って逃げて行きよった。少子化で人材確保もままならんよって部屋住みを置く組は少のうなった。せやけど、ヤクザのイロハは部屋住みで叩き込まれる。わしは必要や思ていまも続けとるが、若頭の安倍は近代ヤクザを目指しとるから、そうは思とらんようやな。安倍の考え、わからんわけでもないが、何でも近代化すりゃええもんとちゃうというのがわしの考えや。

「これ、本物ですか?」
親鸞が応接間の剥製の虎をまじまじと見とる。閻魔一家初代―わしで八代目やけど―剥製の虎は初代から受け継がれてきたもんや。ワシントン条約で、虎はもう輸入でけんから〝組宝〟になってもうた。鷲の剥製も、象牙もある。壁には墨痕(ぼっこん)の〝名入れ提灯〟が掛かっとる。昔ながらの組事務所や。安倍は口にも顔にも出さんへんが、時代遅れやゆうて反対しとることはわしにはわかっとる。
「この湯呑み、組の名前が入っているんですね」
親鸞が手に取って感心しとるが、ヤクザの事務所じゃ当たり前やろ。
「それでは、昨日に引き続いて縁起のお話しをします」
湯呑みを置いて、
「お聴聞(ちょうもん)されるのは親分さんひとりですか?私は組をあげて聴聞してくださるものと思っていました」
親鸞が残念そうな顔しとるから言うてやった。
「極道かて霞(かすみ)食うて生きとるわけやない。何やかんや忙しいんや。わし一人じゃ、力不足や言うんか?」
眉間(みけん)にシワも入るがな。
「とんでもない。組織の要(かなめ)である親分さんが何といっても肝心です」
親鸞、あわてよったが、
「さて、今日の講義は《縁起》の続きです」
説教になったら一転、態度は堂々したもんや。

話は「十二縁起」とかいうもんやった。お釈迦さんがさとった内容やそうで、
「お釈迦さまは《苦》の原因を追究し、その根源が無明(むみよう)にあると見極め、それを十二の段階を立てて説明したものです」
と、そないなこと言うてたが、
「ぶっちゃけ、何で人間は悩んだり苦しんだりするのか―と、こういうことです」
この親鸞青年は顔に似合わず、ざっくばらんな言い方をするやないか。
「十二縁起というのは、要するに昨日親分がおっしゃったように、〝風吹きゃ桶屋が儲かる〟の十二の展開です」
親鸞がちょっと早口で話し始めた。
「まず、①無明(むみょう)(無知)によって②行(ぎょう)(生成のはたらき)があり、行によって③識(しき)(識別作用)があり、識によって④名色(みょうしき)(心身)があり、名色によって⑤六処(ろくしょ)(眼(げん)・耳(じ)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つの感覚機能)があり、六処によって⑥触(そく)(対象との接触)があり、触によって⑦受(じゅ)(感受作用)があり、受によって⑧愛(あい)(根本的な欲望)があり、愛によって⑨取(しゅ)(執着(しゅうじゃく))があり、取によって⑩有(う)(生存)があり、有によって⑪生(しょう)(生まれること)があり、生によって⑫老死(ろうし)(老いと死)がある―というものです。
老死こそ人間にとって最大の苦悩であり、老死は必然にして避けられないものであっても、この苦悩から解き放たれるには、⑫から逆にたどっていって①の無明を滅(めつ)せればいいというわけです。
このことをお釈迦さまは、『これ有るときかれ有り、これ生ずるよりかれ生じ、これ無きときかれ無く、これ滅するよりかれ滅す』とおっしゃっています。『これ』と『かれ』はすべてのものの関係性のことで、縁起とは、すべてのものが時間的にも空間的にも互いに因となり縁となって相依(そうえ)相関の関係にあると明示していらっしゃるのです」
親鸞は言葉を切ると、わしの顔をのぞきこんで、
「あのう、わかりますか?」
「アホか!わかるわけないやろ!」
わし、猛烈に腹立っとる。
「極道は命(タマ)を取るの、取られるので毎日を生きとるんや。なにが十二縁起じゃ!そないな能書きが何の役に立つんじゃ!」
親鸞、ゆっくりうなずいてから、
「役に立ちませんね」
静かに言いよった。

現実は甘受するもの

親鸞が言うには、お宅らは学者ちゃうんやから小難しいことは気にせんでええいうことや。十二縁起の順番を諳(そら)んじてもしゃあないということ。なにが大事か言うたら、
「仏法に触れることで日々(にちにち)が充実し、生き方が少しでも楽になること」
これに尽きると何度も言いよった。そのためには、苦悩の原因を知らなアカンわけやけど、そうなると難解な十二縁起の話になってまうので、《縁起》いうことに気づくだけでええと言うんや。
「昨日、どうして組長はヤクザになったのか質問したことを覚えていますか?原因を探っていったら、どんどんさかのぼっていって結局、この世に生まれたことが原因ということになってしまう。つまり、原因を求めることは無意味であるにもかかわらず、〝あいつが悪い〟〝あいつのせいでこうなった〟〝あのときこうすれば〟と後悔する」
そして、こう言うた。
「小石につまづくのだってそうでしょう。なぜその道を歩いていたのか、なぜその石につまづいたのか、なぜその道でなければならなかったのか、なぜ足もとを見ていなかったのか……。さかのぼれば一果万因―一つの結果には万を超える原因が存在することに気づくでしょう。これを別の言葉で《衆縁和合(しゅえんわごう)》と言います」
昨日も思たように、アゴが立つのは極道顔負けやが、どこの馬の骨かわからん若造に極道の事務所で勝手なことばかり言わしとくわけにはいかん。
「縁起に気づいて、どないせえ言うんや」
それがどうした―というツッコミは極道流やが、親鸞、動じへん。
「だから現実は受け容(い)れるのです。意に染まない現状に不満を抱くことを愚かと知り、淡々とこれを受け容れ、ここから新たなスタートを切る。こういう生き方をすれば不満や苦悩から幾分かは解き放たれるはずです」
仏教教義の《縁起》(因縁生起)で知っておくべきことは、物事には原因がないということ。いや、原因と結果が影響し合い、立場を変えて網の目のようになっとるから、「原因はなく、あるのは結果だけ。如実知見(にょじつちけん)―すなわち、ありのままを見てそれを甘受する。現状はただ受け容れるものである」と、親鸞は熱心に言うとる。「日々(にちにち)に一喜一憂するなかれ。すべてを呑み込み、大河の滔々(とうとう)と流れて大海に至るがごとく生きる」―これが現実を甘受する生き方やそうや。
「具体的に言えば……、組長、ゴルフは?」
「昔は毎日や。暴対法でゴルフ場は入れんようになってもうた」
「台風などでコースがクローズになったことがあると思いますが」
「あるで、何回も。雪が降ってもクローズや」
「ガッカリでしょうね」
「子供かて遠足の日に雨が降って中止になったらガッカリするやろ。極道もおんなじや」
「でも、雨が悪いわけじゃない。組長や子供を困らせようと思って降っているわけでなく、自然界のさまざまな要因―つまり因縁生起によって雨になったに過ぎない。ところが私たちはそれを素直に受け容れることができず、〝よりによってなんで今日、雨が降らなければならないのか〟と恨めしく思う。
ところが、〝今日は雨だから次の機会にすればいい〟と、現実を縁起として受け容れればどうですか?腹立ちも幾分かおさまるはずです」
「まあ確かに、そう考えれば楽やろな」
鼻で笑(わろ)たら、
「組長」
マジメくさった顔で、わしの顔をのぞきこみよった。
「私が〝若頭の安倍さんを殺してください〟と頼んだら殺してくれますか?」
「なんやて!」
常人と違(ちや)うと思とるが、親鸞の話はジェットコースターみたいに急落したり急上昇したりや。それも、言うにことか欠いて、なんちゅうことを言いよる。

「アホか、なんでわしがカシラ弾(はじ)かなアカンのじゃ!」
怒鳴りつけた。言うてええことと悪いことがある。昨日、今日やってきた得体の知れん若造が、言葉が過ぎるやないか。
ニラみつけたら、親鸞、こう言うた。
「では、安倍さんが裏切って、組長の命を狙ってきたらどうしますか?」
「わしのほうから行くがな」
「そこです!組長がいま安倍さんを殺さないのは、組長が善人だからという理由ではない。殺す縁(理由)がないから、そうしないでいるだけです。ところが、裏切るという縁が整えば殺してしまう」
そして、こう言うた
「さるべき業縁(ごうえん)のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」
縁によっては、どんな行いをするかもわからないのが人間という存在で、その縁は過去から因と果が相依しながら現在、未来に至り、果としてどんな行動をとるかわからないと言う。
もっともな話や。
「せやけど」
と、思うところを言うた。
「わかっておっても納得でけんのが人間やないのか?如実……何やったかいな?」
「如実知見です」
「そのことにしても、現実っちゅうもんがや、そう易々(やすやす)受け容れられるもんとちゃうやろ?」
これ、当たり前のことや。能書きと現実は常にズレとるがな。
「おっしゃるとおりです」
相変わらず涼しい目で、
「ただし、縁起の道理を知るか知らないかは、やがて人生において大きな差になってあらわれます」
ひと呼吸置いて、
「縁起を知っている人は、〝あいつが悪い!〟と一因(単因)を持ち出して怒ったときに、〝そうじゃないんだ〟と反省します。怒りの真因は、一因で物事を見た自分にあることがわかっているからです。ところが縁起の道理を知らない人は、相手に因があると思いこむため怒りが納まらない。原因でないものを原因とするのですから、解決するわけがない。結果、人間関係を壊してまうんです」
「ええ話や」
「わかっていただけて何よりです」
「けど」
「けど?」
「わし、サウナの時間やねん」

三十万円、包んだ。
謝礼や。
断るやろ。けど、なにがなんでも受け取らせて領収書をもらっとかなあかん。本人が警察駆け込まんでも、なにかの拍子に警察の耳に入ったら無理やり被害届けを出させよる。万一に備えて、わしら仲がよかったいう証拠がいる。そのための領収書や。祝儀袋やと仰々しゅうなる思て、茶封筒に入れた。
「これ、少ないけど謝礼や」
差し出したら、
「どうも」
さっとフトコロに仕舞って、
「坊主も霞(かすみ)食べて生きているわけではないので」
ニッコリ笑顔で言いよった。
「領収書、頼むわ」
「はい」
釋(しやく)親鸞―と、テーブルのボールペンでさらさらと署名して、
「日付は入れますか?」
なんや知らんけど、けっこう世慣れてるみたいやないか。

二章 三法印(さんぼういん)

欲をなくしたら人間終わりや。「煩悩」、大いに結構やないか!

―— 幸せは「変わらず」を願い、不幸は「変わる」を渇望する。
すべての人間が有する素直な感情であり、故にすべての人間は苦しむ。
だが、苦悩は本当に我が心の裡うちに棲んでいるか?
組長の、未だ解けざる懐疑である。

仏教の基本

今日は初代組長の祥月(しようつき)命日や。
事務所二階の広間に幹部や役付き連中三十ほどが集まって、「男になりたい、男で生きたい、男で死にたい」の手締めをやるのが、ウチの組の習わしになっとる。

「よーう!」
わしの音頭で一同、シャンシャンシャンと手ぇ打って、
「男になりたいたいたいたい」
「男で生きたいたいたいたい」
腹の底から声を出すんや。

「そーりゃ!」
わしが合いの手入れて、
「男で死にたいたいたいたい」
「男で死にたいたいたいたい」
「男で死にたいたいたいたい」
「よーう!」
シャンシャンシャン
シャンシャンシャン
シャンシャンシャンシャン

どや、ええやろ。
初代は毎月の月初め、組員みんなを集めてシャンシャンシャンをやっとったらしいわ。これが極道の生き方やゆうてな。わしが代目(だいもく)継いだときに復活させたんや。伝統は大事にせなあかんのじゃ。
「組長」
三郎が耳元で言うた。
「あの坊主、下で待っとります」

親鸞、応接間におった。
「ちょっと早めに着いたもので」
「かまへん」
「いまみなさんで、死にたいとか生きたいとか大声でおっしゃっていましたが、どうかなさったんですか?」
「ウチの儀式や。男になる、男で生きる、男で死ぬ―これが極道いうもんや。けど、若頭(かしら)はこういうの嫌(きろ)うとる。若いもんもそうや。古い―こう思うとる。口にも顔にも出さんけど、わしにもわかるがな。けど、わしの目ぇ黒いうちは続ける。時代がどう変わろうと、極道は変わったらあかんのや」
「変わります」
「ハッキリ言うやないか。極道のこと、わかって言うとるのか」
「知りません。知りませんが、極道さんも必ず変わっていきます」
「何でや」
わし、眉間に皺が寄った思うけど、親鸞、お構いなしや。
「そういうことになっているんです。実は、今日は《三法印(さんぼういん)》のお話をしようと思ってきたんです。ちょうどよかった」
親鸞のヤツ、応接テーブルの上に指で漢字を書いてから、
「三法印とは『諸行無常(しょぎょうむじょう)』『諸法無我(しょほうむが)』『涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)』の三つのことを言います。これに『一切皆苦(いっさいかいく)』を加えて《四法印(しほういん)》と呼ぶこともあります。『印(いん)』とは文字どおり印章(しるし)という意味で、これら四つの特徴を持っているものが仏教ということになります。言い換えれば、この四つがあって初めて仏教となる。どの一つが違っていても、それは仏教とは言わないのです。
これから順を追って説明しますが、『一切皆苦』は人間の《苦》を説くものですからあとで説明するとして、三法印についてお話します。まず最初の『諸行無常』とは、あらゆる物事は常(つね)ではない―すなわち、すべてのものは刹那(せつな)において変わっていくという意味です」
なんや今日も難しそうな話になりそうやないか。理屈っぽいのはかなわんけど、極道が変わると言われたんでは黙って聞いてられん。
「変わってええものと悪いものがあるやろ」
「それは組長の勝手な思いです。私たちの思いとは無関係に森羅万象(しんらばんしよう)は変わって……」
「勝手な思いとはなんちゅう言い草や!変わったらあかんもんもあるんじゃ!」
わし、大声を出した。すべてのもが変わっていくなんてことがあってたまるかい。あってはならんのじゃ。
「兄(に)ィちゃん、村田英雄が歌(うと)うとった『人生劇場』を知っとるやろ」
「ムラタヒデオ?」
「わし、この歌、涙が出るほど好きや」

♪時世(ときよ)ィィョォ時節(じせつ)は変ろォォとォままよョ~
吉(き)ィ良(ら)ァのォ仁吉は男じゃァないィィか……

頭の部分を歌うて聞かせた。
そら世のなかは変わっていくやろ。クルマかて自動運転の時代や。AIとかいうロボットが将棋の名人と勝負して負かしとる。けど、変わったらアカンもの、変えたらアカンものもあるんじゃ。わしらは任俠道に生きとる。先人より脈々とつながっとる任俠道や。男になりたい、男で生きたい、男で死にたい―これが極道の生き方や。変わってええわけないやろ。
「何がインテリ極道じゃ、何が経済ヤクザじゃ!」
思わず怒鳴ってもうたが、
「しかし、若頭の安倍さんや若い人は考え方がちがうんでしょう?」
痛いとこ、つきよる。
「せやから、変わったらアカンもんがある言うてんねやろ」
「しかし、組長。きのう因縁生起(いんねんしようき)の話をしたように、すべての物事は縁によって生滅変化し、一瞬たりとも休むことはありません。これを真理と言います」
「そんなこと、わしにもわかっとる。オギャーと生まれた赤ん坊はガキになり、大人になり、年寄りになって死んでいきよる。変わっていくんは当たり前や」
「それは生(しょう)・住(じゅう)・異(い)・減(めつ)という段階的に変化する《段階無常》のことで、お釈迦さまの言う無常ではありません」
親鸞、青々と剃りあげた頭を突き出すようにして、
「無常とは《刹那(せつな)無常》―すなわち、すべてのものは瞬間瞬間に生滅変化を繰り返しているということです。目には見えませんが、髪の毛や爪は一瞬のあいだに伸びつづけているし、細胞も変化しています。社会も、人の心も、人間関係も、価値観もすべて、刹那において消え、新たに生まれ、生滅変化を繰り返しているのです」
「口の減らん若造やな。髪の毛や、爪や細胞のことまで知ったこっちゃない」
「では、川の水を見てください。ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず……。同じ水に見えて、元の水とは違います。《無常》とはそんなものだと思ってください」
「うまいこと言うやないか」
と感心したら、「私の言葉ではないのです」と、はにかんで言うとった。鎌倉時代に生きとった鴨長明(かものちょうめい)いう人間が、『方丈記(ほうじょうき)』とかいうもんに書いとるんやて。自分が言うたことにすればええのに、正直なやっちゃ。
ま、《無常》いうんは理解でけんでもない。ウチのカミさん、若いころはスタイルよかったんやけど、四十半ばの声聞いて、下っ腹、プルンプルンになりよった。
「わかるで」
「わかりますか?」
「ああ、わかる」
「よかった。それでは組長、これまで裏切られたことはありますか?」
親鸞の問いは、いつも唐突や。

「変わる」を受け容れよ

自慢やないが、裏切られたことはある。
裏切りまではいかんでも、後足で砂をかけられたことなら、なんぼでもある。盃かわした親子やったらケジメ取るけど、相手がカタギならそうもいかん。
「お願いします、助けておくんなはれ」
と言うてわしにすがっておきながら、ノドもと過ぎたら、コロリと熱さを忘れとる。
このあいだも、商店街のオヤジ―不動産屋やけど―こいつに土地の件で、ちょっとした頼み事したら、渋い顔や。このオヤジが韓国クラブのホステスとモメたとき、頼まれてわしが話をつけてやったんやで。女のケツに関東のヤクザもんがついとったさかいな。それなのに「謝礼は払うとる、義理は果たしとる」―とはあからさまに言わへんけど、そういう思いなんやろ。わしの頼みを断った。頭にきたけど、極道がカタギに手ぇ出したら当局を喜ばせるだけや。いまは辛抱。そのうちシメたろ思うとる。
その話をしたら、親鸞、うなずいて、
「どうして腹が立つんですか?」
アホなことききよった。
「人に世話になっときながら、手のひら返したからやないか」
「それは違います!」
わしに向かってそんな口きくの、こいつだけやで。お茶運んできた三郎がビックリして、こぼすとこやった。

親鸞の言い分は、こうや。
「組長が怒ったのは、その人が手のひらを返したからではなくて、〝手のひらを返すわけがない〟という思いが裏切られたからです。腹立ちの原因は相手にあるのではなく、組長自身にある」
わしが悪いと言うとる。人の世話して、恩を裏切られて、それでもわしが悪いんか?
「なんでや!」
「人の心は変わります。結果として裏切ったり、手のひらを返すことになる。無常ということに気づかない、あなたの思いに腹立ちの原因があると、私は言っているのです」
しばいたろか思たが、ここは辛抱や。
「ほなら兄ィちゃんは、手のひらを返されるかもしれんと思て付き合(お)うとるんか?淋しい人生やな」
皮肉を言うたが通じへん。
「太陽が東から昇ることに不満がありますか?」
また唐突なことをききよる。
「東から昇ることになっとるやないか」
「それと同じです。人は裏切る、手のひらを返すというのは、太陽が東から昇るのと同じく自明の理であるということを知れば、淋しくもなんともありません」
「理屈や」
「そのとおり理屈です。実際、そう思って生きることは難しいですね。だから、相手は裏切らないものと思って日々を過ごせばいい。そうしておいて、結果として裏切られ、腹が立ってきたときに《無常》に思いを馳せ、人間はそうしたもんだと自分に言い聞かせれば、少しは気持ちが楽になります。それに―」
「それに何や」
「昨日の味方が今日の敵になるのなら、昨日の敵が今日の味方になることもある。裏切られることもあれば味方にもなる。《無常》は悲観することばかりではありません」
「それ、当たっとる」
わし、思わずヒザを打った。
「くっついたり離れたりは、ようあることや。カタギの世界は知らんけど、ヤクザ社会は敵と味方がコロコロ変わりよる。いま敵やからゆうて悪口を言うんは厳禁や。人間関係が無常いうんはようわかる」
「私が言いたいのは処世術ではなく……」
当惑しとったが、姿勢を正して、
「無常であることを知らず、このままであって欲しいと願う気持ち、このままつづくのはイヤだと現状を厭(いと)う気持ちが自分を苦しめることに気づいてください。快楽が未来永劫につづくこともなければ、苦も同様に続くことはない。無常という言葉には儚(はかな)いイメージがありますが、そうではないんです。《変わる》ということを受け容れることで、物事の見方はガラリと変わる。こめかみに青筋立てることもなくなります」
こめかみに青筋立てるいうんは、わしのことかいな。おとなしい顔して、よう言うやないか。
「組長、そろそろサウナの時間ですね」
「それが」
わし、苦笑して、
「刺青(いれずみ)入っとるもんは、あのサウナは入れんようになってもうたんや。今日からやて。いままで入浴させといて、いきなりアカンはないやろ。若い衆を走らせて店をつぶしたろか思たが、いま無常の話聞いとったら、これも時代の流れや。しゃあないなという気になってきたわ」
親鸞、うなずいてから、
「こういう言葉があります」
と言うて、釈迦の言葉とかいうんを口にしよった。

《あらゆる行は無常なり、と智慧を持って観るときに、かれは苦を厭(いと)い離れる。これ清浄にいたる道なり》

清浄にいたる道かいな。
わし、極道やで。
笑(わろ)た。
笑うしかないやろ。

すべては「借り物」と知れ

今日は朝からよう晴れとる。
夜遊びが過ぎて太陽が眩しいが、それでも青空を見上げると気分はええもんや。
親鸞とかいう坊主が事務所へ顔を出し始めて、今日で五日目。早いもんやな。もう三十分もすればやって来る。今日も熱心に説くことやろう。小難しい理屈こねとるし、意味はようわからんが、何となく「それもそうやな」という気にさせられんこともない。
けど、わしも忙しいんや。関東鬼神会と小競(こぜ)り合いがつづいとる。いきなり支部の看板上げたらドンパチになるから、向こうはダミーの金融会社を出しておいて、じわりと浸透してきよる。若頭(かしら)の安倍は臨戦態勢や。鬼神会が悪さしてへんか、大勢の組員引き連れて毎晩、地廻りしとる。「頭のイカレた坊主なんかに構(かも)うとる場合とちゃいまっせ」―安倍はそう思うとるやろし、わしも抹香(まつこう)臭い話なんか聞きとうない。けど、警察はわしを引っ張るネタを探しとる。もうあと何日か、親鸞と仲ようやってゼニ渡しとく必要がある。面倒やが、しゃあない。
「こんにちは!」
頭のテッペンから抜けるような屈託のない声や。
「お邪魔します」
「邪魔やな」
「はっ?」
「独り言や」
「では、今日は昨日に引きつづき、三法印の『諸法無我』についてお話を……。あのう、事務所、何だか殺気立っていません?」
「気のせいやろ。ウチの組は平和主義や。妙な勘ぐりはせんといてくれ。で、諸法ナントカがどないしたんや」
「諸法無我です。これは、すべてのものは因縁によって生起するものであることから、永遠に変わらない実体はない、ということです」
例によってわしの顔をのぞきこむ。「理解できていますか」―目がそうきいとる。わかるわけないやろ。わし、感情が顔にあらわれるからね。
親鸞、うなずいて、
「すべては関係性において存在するということから、実体はないという教えです」
言葉を切って、
「これは何ですか?」
目の前の湯呑みを手に取って言うた。
「湯呑みや」
「では、こうしたらどうですか」
言うなり、湯呑みを床に投げつけよった。
ガシャン!
ハデな音立てて粉々に割れよった。
「床のこれは湯呑みですか?」
「ガラクタや」
「でも、床に投げるまでは湯呑みでした」
「壊れてもうたら湯呑みとは言わん」
「では、湯呑みとは何ですか?」
「……」
「湯呑みという実体があるわけではなく、お茶を淹れて飲む器をたまたま湯呑みと呼ぶに過ぎないということになりませんか?床に散ったガラクタも、割れた破片で人を傷つければ兇器と呼ばれる存在になります」
うまいこと言いよる。さらに親鸞は椅子を例にして、これを壊したらただの木片。火にくべたら薪になる―そう言(ゆ)うてから、
「組長、一万円札を出してください」
わしがクロコの財布から一万円を抜き取って渡すと、ビリビリに破きよった。
「これは何ですか?」
「わかったがな、紙クズや、諸法無我や。よう理解でけた」
苦笑いしたら、
「大事なことはここからです」
親鸞がマジメくさった顔で言うときは、たいてい小難しいことや。

わし、無意識に顔をしかめとるはずやが、親鸞はお構いなしに話しはじめた。
「森羅万象―すなわち、すべてのものに実体がない以上、それにこだわるのは矛盾です。役職も、家族も、健康も、そして自分も、この命もすべて実体はなく、因縁生起という関係性において存在しているだけです。実体がないにもかかわらず、これは自分のモノであると思いこんでいる。執着(しゆうじやく)ですね。これが苦を生むのです」
また頭が痛うなった。その諸法無我がわしの人生にどう関わってくると言うんや。能書きは屁の突っ張りにもならんがな。
「それで何が言いたいんや?」
親鸞のヤツ、例によってゆっくりうなずいてから、
「お釈迦さまがこう言っています。《何ものも〝自分のもの〟ではないと知るのが知恵であり、苦しみから離れ、清らかになる道である》―。つまりすべてを〝仮の存在〟あるいは〝借り物〟と考えればいいのです。命だってそうです。死への恐怖は命を失うということからきています。命を自分のものと思っているから〝失う〟という思いが出てくる。そうではなく、借りたものであって、いずれ返さなければらないものだと考えれば、死も違った見方ができるのではないでしょうか」
そんで、こう言いよった。〝自分〟という役柄を与えられ、それを演じ、命を返すと同時に娑婆での役柄も終わり、お浄土に往生して仏になる……。
「能書や」
と、いつものわしなら鼻で笑うところやが、このときは「なるほど」と腑に落ちたところがある。閻魔一家は、このわし―不肖・鬼山鬼太郎が八代目やが、閻魔一家はわしのもんやない。初代から受け継がれてきた組を、わしがたまたまこうして預かっとるだけや。次ぎの者(もん)に無キズで渡さなあかん。そう思て毎日を生きとる。つまり〝借り物〟を生きるゆうことやな。
そのことを親鸞に言うたら、
「すごい!」
目ぇ丸うして、
「まさに命の継承とおなじですね。私のこの命は先祖代々から受け継いだ命であり、次ぎにバトンタッチしていかなければいけないものであると自覚すれば、〝自分の命だからどうしようと勝手〟ということにはならない。まさに坊主が説く命です」
しきりに感心しとる。〝風吹きゃ桶屋〟の話をしたときもそうやったけど、妙なことに感心する若者やで。

さとりの世界

壁の時計を見た。
三十分ほどたっとる。きのう安倍が「刺青可」のサウナを見つけてきよった。ここから小一時間ほどと遠いけど、しゃあない。サウナはわしの一番の楽しみや。堂々と裸になって刺青さらすことができるんはサウナやから。さあて、今日の講義はもうええやろ。
「ありがとさん。サンボウイン、ムジョウにムガやな。今日も勉強なったで。ほな、ご苦労さん」
謝礼をテーブルに置いたら、
「まだ《涅槃寂静(ねはんじやくじよう)》が残っています。あと十五分―。駆け足ですが、これで今日の三法印の説法は終わりになります」
勢い込んで言いよる。人の心が読めんのか、わかっていてそうしとるのか知らんが、熱心なヤツやで。
「ほな手短に頼むわ。予定、つかえとるよって」
「承知しました。まず、涅槃寂静というのは、こういう字を書きます」
と、テーブルのメモ用紙に書いて、
「涅槃とはさとりの境地、寂静は安らかであるという意味です。つまり、さとりの境地は寂静―安らかな境地であるというわけです」
そう言うた。

お宅ら、わかるか?
わかるようでわからん説明やが、さとりの境地を「涅槃」ゆうとは知らなんだ。けど、けったいな字やな。なんでこの字がさとりの意味になるねん。不思議に思て字ヅラをじっと眺めとると、
「解読しようとしてもムダですよ」
察して言いよった。
「涅槃とは梵語(ぼんご)(古代インドのサンスクリット語)の《ニルヴァーナ》を音写(おんしや)したものですから、いくら字ヅラを眺めても意味はわかりません。中国にはカタカナがありませんから、仏教が中国に伝わるときに漢字に音写したんですね。ニルヴァーナ(涅槃)とは《吹き消された状態》という意味ですから、涅槃という字とは何ら関係しません」
「なんや、当て字かいな」
「そうです。中国伝来の仏教は梵語の音写がなされていて、たとえば阿弥陀仏(あみだぶつ)の《阿弥陀》は梵名(ぼんめい)のアミターバ、あるいはアミターユスを音写したものです。ですから、阿弥陀という仏の名前の由来はいくら考えても字ヅラからはわからないのです。ちなみにアミターバは《量(はか)りしれない光を持つ者》、アミターユスは《量りしれない寿命を持つ者》の意味で、漢訳すれば《無量光仏》《無量寿仏》、音写して《阿弥陀》になるのです」
「兄ィちゃん、よう知っとるな。それで、何が吹き消されたんや?」
「煩悩の火です。ローソクを思い浮かべてください。燃えている火が煩悩。それを、フッと息を吹きかけて消す。火が消えた安らかな境地になった状態をさとり、すなわち涅槃というのです」
「なるほど、ようわかった」
ここで席を立とうかと思たが、「煩悩」いう言葉にちょっと引っかかった。
興味があるんや。
昔、三代目山口組に菅谷政雄(すがたにまさお)いう親分がおってな。亡くなってもう四十年近くなるけど、最高幹部で、最盛期は菅谷組千二百人を擁して日本各地に進出しとる。おしゃれでカッコもよかった。全国区の極道スターや。わし、当時は駆け出しやし、一家違いやからもちろん口をきいたこともないけど、極道をやるならあんなになりたい思たもんや。その菅谷親分の通称が、煩悩をもじって「ボンノ」やった。
聞いた話によると、小さい時分からワルガキで、手を焼いた両親が寺につれて行ったが素行は一向におさまらん。そんで坊主が、
「これ、煩悩!いたずらをしてはいかん!」
そう言うて叱ったそうや。それ以来、ボンノが愛称になったということや。
当時、この話を聞いて、わし、煩悩はどないな意味なのか辞書で調べたことがある。欲望とか何とか書いてあった。悪さの元ゆうことやろけど、実のところようわからなんだんや。それから何十年もたっとるけど、親鸞が「煩悩の火」と言うたことで思い出した。
「で、その煩悩とやらは……」
と言いかけたときや。

―コラッ、令状(ふだ)持っとんのか!
事務室で三郎の怒声がしよった。
―なんやと!
相手が言い返しとる。
―おまえらのためを思て手ぶらできたんやないか!令状持って来たら事務所、ひっかき回すことになるでぇ。それでええんやったら取って来たる!
ケンカ腰や。

「何事ですか?」
親鸞の目が問うとる。
「県警のマル暴や。―三郎!入れたれや!」
ドアに向かって、わし、怒鳴った。
あの声は警部補の麻生や。わしらの業界で「仏(ほとけ)の麻生」と呼ばれとる。麻生が仏やないで。極道が麻生にシメられてホトケになりよるから「仏の麻生」や。麻生の野郎、ウチの組を潰すことに執念を燃やしとる。関東鬼神会の件もあるよって、ここは嚙みつくんやのうて、いなすんや。
ドアを勢いよく開けて麻生が入ってきた。
「なんや、客かいな」
ジロリと親鸞を見て言うた。
ちょうどええ。グッドタイミングや。親鸞と仲がええとこを見せとこやないか。
「この兄ィちゃんは坊さんやで。このあいだから説法に来てもろとるんや」
「坊主?極道の事務所で説法やて?」
鼻で笑(わろ)て、テーブルの謝礼封筒に目を止めた。
「鬼山、おのれはなに企(たくら)んどるんじゃ。極道が坊主つこうて霊感商法やっとるんやないやろな」
「ちゃうわい!勉強しとるんじゃ。おのれ、サンボウイン知っとるか?ムジョウにムガやで。あとネハンや。これ、音写やで」
「おまえ、偉(え)ろうなったやないか」
冷笑して、
「お宅、どこの寺の何者や」
親鸞に問いかけたところが、
「私は還相回向で、お浄土から娑婆にもどってまいりました。名は親鸞と申します」
屈託のない笑顔で言うた。
麻生が黙ってわしの顔を見る。ゆっくり二、三度うなずいてから親鸞に視線をもどすと、やさしい声で言いよった。
「兄ィちゃん、わしは県警の麻生いうもんや。こいつらに何かされたら、すぐに一一〇番するんやで。素っ飛んでくるよって」
そんで、厳しい顔でわしに向き直って、
「社会的弱者を食いものにしたら黙ってへんで!」
捨てゼリフ残して帰りよった。鬼神会ともめとるさかい、様子見に来たんやろが、親鸞と仲ええとこ見せるつもりが逆効果になってもうた。社会的弱者や思うとる。親鸞、放り出せんやないか。
「組長、予定の時間をオーバーしてしまいましたね。では、煩悩の話は明日ということにしましょう」
親鸞が立ち上がった。

煩悩とは何か

翌日の昼―。
今日は前置き抜きで、いきなり本題に入りよった。説法も六日目や。親鸞も気合いが乗っ取るんやろう。
「煩悩とは何だと思いますか?」
「欲のことやろ」
「正解です。かなり成長されましたね」
「たいしたことあらへん」
今日もよう晴れて初夏の陽気や。ノドも渇いとるさかい、わしは昼間から冷たい缶ビールや。
グビリとひと口やって、
「飲むか?」
「いえ、結構です」
手ぇ振ってから、
「煩悩をざっくり言えば組長のおっしゃるように《欲》のことになりますが、きちんとした言い方をすれば〝私たちを苦しみ悩ます心のはたらき〟ということになります。煩悩はいくつあると思いますか?」
今日は質問攻めかいな。
「百八つやろ。大晦日に除夜の鐘は百八撞(つ)いとるがな。あれは煩悩の数だけ撞いとるんや。若いもんはともかく、年配の日本人なら誰でも知っとる」
「おっしゃるとおりですが、煩悩の数は時代や部派、教派、宗派によって諸説あるのをご存じですか。もっとも少ないもので三つ、もっとも多いもので八万四千となっていますが、一般的に百八とされるということです。
では、なぜ百八つかといえば、これもさまざまな説があります。四苦八苦という言葉から《四九=三十六》と《八九=七十二》を足して百八とする説、暦を分類し《十二ヶ月+二十四節気(せつき)+七十二候=百八》という説、さらに《六種の根本煩悩×六道×三世=百八煩悩》とするものなどがあります。《六種の根本煩悩》とは貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あつけん)の六つのことで」
と、例によって卓上のメモ帳に字を書きつけると、そこから線をあっちゃこっちゃに引き延ばして、わしに見せながら、
「《根本煩悩》を根っことして、こういうふうにさまざまな煩悩が枝を伸ばしていったものを《随煩悩》と言い、総計百八になるというわけです。ちなみに《三世》とは過去・現在・未来のこと、《六道》とは輪廻転生(りんねてんしよう)する世界のことで、天道(てんどう)・人間道(にんげんどう)・修羅道(しゆらどう)・畜生道(ちくしようどう)・餓鬼道(がきどう)・地獄道(じごくどう)のことを言います」
「煩悩も百八でちょうどよかったやないか。八万四千もあってみい。除夜の鐘撞くのは大変やで」
笑(わろ)て缶ビール、グビリやけど、親鸞は愛想のない顔で、
「除夜の鐘は、鎌倉時代に宋代の中国から日本に伝わったものです。一年の終わりに際して百八つの煩悩を消除し、新たな気持ちで新年を迎えたいという人々の願いが込められているんですね。また、念珠(ねんじゅ)(数珠(じゅず))の珠(たま)も、宗派によっては煩悩の数(百八)になっていて、これを繰り数えて仏さまの名を唱えることで、煩悩が断ち消えて心身が清浄になるとします。鐘を撞いたり、念珠の珠を繰り数えてみたり、煩悩消除という願いは、こうして脈々と受け継がれているのです」
「人間の知恵やな。それで煩悩が消えるんやさかい、ありがたいことやないか」
「違います!煩悩は死ぬまで絶対に消えないのであります!」
またや。わしが何か言うと眼ぇ、爛々と光らせて反論しよる。
「消えなんだら、涅槃へ行かれへんやないか」
「そうです、行けないのです」
そして抑揚をつけ、歌を詠むようにして、
「凡夫というは無明(むみよう)・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋(いか)り腹だち、そねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで止(とど)まらず消えず絶えず……」
煩悩にまみれたわしらは死に臨むまで、怒りや腹立ちや嫉(そね)みや妬(ねた)みは決して消えることがない―そないな意味やそうや。
わし、ボンノにちょっと興味があっただけやのに、なんや知らんがディープな話しになってきよった。

「いま《六種の根本煩悩》―貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あつけん)のことを言いましたが、これらについてお話しをしたいと思います。六種のうち貪・瞋・痴の三つを特に《三毒》と呼び、すべての煩悩はここから生ずるとされます」
「ほう、煩悩にも格があるとは知らなんだ。三毒の貪・瞋・痴が一家の大幹部で、残りの根本煩悩の慢・疑・悪見が役付幹部、残りの百二は兵隊ゆうことになる」
「私、ヤクザ組織についてはくわしくないので……」
「まあええがな。で、三毒がどないなっとる言うんや」
缶ビールをグビリとやった。
「まず、《貪》です。これは貪欲(とんよく)ともいい、むさぼる心のことです。なければないで欲しいし、あればあったでもっと欲しい。手に入れたものに執着するだけでなく、〝もっともっと〟とむさぼる欲で、私たちはこの欲に振りまわされて生きているのです。お金やモノはもちろん、地位や名誉、権力、さらに愛されたい、尊敬されたい―といったものもこれに入ります」
「そら、誰かてゼニは欲しいやろし、尊敬もされたいがな。あかんのか?」
「あきまへん」
「関西弁になっとるで」
「すみません、組長のがうつってしまいました」
「ええがな。で、なんであかんのや?」
「欲望とは満たされざる心のことです。〝もっと、もっと〟と欲望をいだき続けるということは結局、死ぬまで満たされないということになり、ここに苦が生じるのです。たとえば……、K市は閻魔一家の縄張りなんですってね。一昨日、ちょっと早めに来たとき、三郎さんと雑談していて教えていだきました」
「せや、ここはウチの縄張(シマ)や。K市だけやない。あちこちに支部を出しとる。閻魔一家ゆうたら県下で聞こえた組や。ゆくゆくは全国制覇―とまでは言わんが、組を大きゅうしたい思うとる」
「K市だけでは満足できませんか?」
アホなこときくんやないで。一を手に入れたら二、二を手に入れたら三、三を手に入れたら四やろ。登山と同じで、てっぺん目指すんが男やで。
「裏山登って弁当広げて満足するようじゃアカンのや。勤め人かて、係長になった次は課長、課長の次は部長をめざしてナンボやろ。極道かて同じや」
「楽じゃないですね」
「そらそうや。日本全国どこへ行っても極道のおらん町はないさかい、支部一つ出すのかて命懸けや」
「縄張りを守るのも大変でしょう?」
「わしらの世界じゃ〝死守(しもり)〟言う。死ぬ気で守る、死んでも守るいう意味や。みな虎視眈々(こしたんたん)と狙っとるさかい、ボケっとしとったら、すぐに浸食されてまう。神経ピリピリや。いま、関東鬼神会がK市にちょっかい出しとるさかい、わしら死守やで!」
つい力が入ってもうて、ビールを鷲掴みのガブ飲みや。

親鸞、わしの気持ちを察したんやろ。
ちょっと黙ってから、言い方を変えよった。
「お釈迦さまのこんな言葉があります。『たとえ金貨の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない』―。最初は小さくてもいいから自分の家が欲しいと思う。それを手に入れたら、もう少し広い家が欲しくなる。この〝欲しい〟は現実に対する不満です。満たされているはずなのに、不満をいだき、イライラし、焦燥し、それが苦になる」
それやったら、わからんでもない。わし、ホステスのアケミゆうんを愛人にしとるんやが、これまでなんぼ指環を買(こ)うてやったことか。ダイヤ買うたったら今度はルビー、ルビー買うたったら次はサファイア、サファイア買うたったらその次はエメラルド、エメ買うたったら……。指環だけやないでぇ。ネックレスが欲しいだの、ブレスレットが欲しいだの、きりがない。〝おのれ、ピカピカ光らせてからに、キャバクラのネオンサインやないか〟ゆうて怒鳴ったらふくれっツラしよった。
「ようわかる。アケミがそうやな」
「アケミ?」
「何でもない」
親鸞、何か言いたそうにしとったが、気を取り直すように、
「貪欲からいろんな煩悩が派生しているわけですが、ケチもそうです。これは《慳(けん)》という煩悩です。モノを分け与えるのをケチるだけでなく、情報なんかも自分だけが独り占めして人には教えないとか、心のケチな人のことを言います。《慳》という漢字は《心(忄)+堅》から成り立っていることから心が堅―すなわち、自己の利益を守るため堅牢(けんろう)なバリヤーを張りめぐらせて人を寄せつけないという意味になります」
おるな、そういうヤツ。この業界、ぎょうさんおるがな。そういう意味では極道は《貪欲》だらけやないか。
わしがうなずくのを見て、
「さて、求め続けて得られなかったら、どうなりますか?」
また質問しよる。
「腹立つがな」
「そのとおり!」
ときどき大きな声出すんは、親鸞の悪いクセやで。

瞋・痴

親鸞の解説によると、「欲望=怒り」になるそうや。
「求めて得られなければ腹が立つということは、欲望は怒りを含んでいるということになります。この怒りが《瞋》で、瞋恚(しんに)とも呼ばれる煩悩です。瞋も恚も『怒り』という意味ですから、心のなかでメラメラと激しく燃え盛る。ゆえに、貪欲は瞋恚を内包する」
親鸞はそう説明してから、《瞋》が厄介なのは人に牙を剥くことやと言う。カネやモノ、地位、名誉、人望、あれが欲しい、これが欲しいと渇望しながらそれが手に入らないと、
「何でや」
と自分に腹が立つ。
それが昂(こう)じてくると、
「自分は手に入らないのに、何であいつは手に入れとるんや」
と、相手が憎らしゅうなってきて、激しく攻撃するようになる。
しかし、なぜ自分はその人間に怒っとるのか、本質がわかってへん。怒りは瞋(いか)りと書くそうやが、自分でもようわからんまま瞋り続けるんやから、ハッピーでないことは確かやな。そのうち人間関係も壊れてまうということや。
親鸞は、こないな言い方をした。
「《瞋》は、火のついたマッチを枯れ木の山に落とすようなものです。最初は小さな炎ですが、次々に枯れ木に燃え移り、すべてを焼き尽くす。貪欲が〝もっと、もっと〟と貪(むさぼ)り続けるのと同様、《瞋》の炎もどんどん燃えさかっていって、最後は自分をも燃え尽くしてしまうのです。他人に対して、自分の境遇に対して、自分の人生に対して怨念をいだいて生きていく」
それ、わからんでもない。わしが駆け出しのころのことや。クルマが欲しゅうて、国産の中古買(こ)うた。ローンや。ところが同世代(タメ)のS男はベンツや。それも、でっかいSクラスの新車や。
「なんであいつはベンツで、わしは国産の中古やねん」
腹立つわ。組に内緒でシャブを売っとるんとちゃうか、と思たりしてな。憎らしゅうなればなるほど自分がみじめになるし、みじめになればなるほどS男が憎らしゅうなる。火のついたマッチと枯れ木やね。そんで最後はちょっとしたことで大ゲンカして、犬猿の仲や。わしがベンツ買えんことと、S男が買えることとは何の関係もないにもかかわらず、腹を立てた。
「あれが瞋恚とかいうもんやな」
この話を親鸞にしたら、大きくうなずいて、
「《瞋》も一筋縄ではいかないものです」
と、《瞋》の派生煩悩について話し始めた。
「《瞋》から派生した煩悩はいくつもありますが、やる気のある人間、上昇志向の強い人間は《恨(こん)》に身を焦がします。たとえば、出世競争でライバルに先を越されると、どんな気持ちになりますか?」
「くやしいがな」
「それからどうしますか?」
「巻き返したろ思て努力するがな」
「それだけですか?」
「どういう意味や」
「ライバルに対する気持ちです」
「そら、ええ気はせんやろ」
「あいつさえいなければ―そうは思いませんか?」
「……」
「あいつのせいで自分は出世が遅れた、あいつさえいなければ―と逆恨みし、陰険な気持ちに心がふさがれてしまう。これが人間です。これが《恨》の煩悩です」
言いにくいことをハッキリ言いよる。

まだある。
給料が安い、背が低い、結婚のチャンスがない……こないな悩みはすべて《瞋》から派生した《悩(のう)》という煩悩やて。なんでかと言うと、自分の努力ではどうにもならんという、そのことに対して瞋りが起こるんやそうな。
そういえば、わしの娘の美香―高校三年で一人娘やけど―身長のこと言うたら、とたんに機嫌が悪うなる。背が低いんや。女は小柄のほうが可愛いとわしは思うけど、本人はそやない。けど、いま親鸞の話聞いてわかった。娘が悩んどるのは、背が低いこと自体やのうて、どうやっても高うならんことや。自分の力ではどうにもでけん、そのことに腹が立っとるんやろう。本人はそこに気づいとらんやろうけど。
わしの女房も知りおうたころはスラリとして可愛かったんやが、いまは横幅が広うなってコロコロしとる。これも体形のこと言うたら怒りよるけど、これは痩せる努力をしよう思てトライしてもつづかへん、そのことに怒っとるんや。
親鸞がうなずいて、
「病人の怒りは、病気そのものより、自分の意志と関わりなく発病してしまったことへの怒りが根底にあるんです」
「厄介やな」
「厄介です」
「何とかならんのか?」
「なりません。なぜなら、私たちは煩悩という厄介なものを宿しているという真理に気づくことができないからです。これを《痴》と言います。《痴》は愚かさのことで、《無明》とも言われます。無明は字のごとく、明かりのない暗い世界のことで、暗いゆえに真理が見えなくなっているのです。真理が見えないから貪りと瞋りを繰り返す。《貪・瞋・痴》の三毒はぐるぐる連還し、この身を焦がしていくことがおわりいただけると思います」

ノックがして、
「失礼します!」
三郎が缶ビール二本と、ピーナッツをお盆に載せて持って来た。この部屋に冷蔵庫を置いてもええんやけど、そうなったら組長のわしが自分で取り出さなあかん。客人の手前、みっともないやろ。遅からず早からず、若い衆がさっとお茶入れ替えたり飲み物を持って来るかどうか、ここで組のしつけの良し悪しを見られる。
「あッ、遅うなって、えろうすんまへん」
三郎、あわてとる。わし、親鸞と話しとるうちに空になった缶ビールをいつのまにか握り潰しとった。三郎はそれを見て、缶ビールを持って来るのが遅うなったんで、わしが癇癪(かんしゃく)を起こしたものと勘違いしたんやろな。
極道は親分の顔色見て動く。一を聞いて五をさとるか、十をさとるか、それとも百をさとるか。これが器量や。わしが駆け出しのころ、他組織とモメたときのことや。
「Aのヤツ、ヒマそうやないか」
先々代の一言でAはアワ食って、すぐさま配下の若い衆を走らせよった。ズドン。音出して相手方の幹部は瀕死の重傷や。先々代は「やれ」言うて命令したわけやないけど、「ヒマそうや」の一言で腹を読んだわけや。流行りの言葉で言うたら、忖度(そんたく)したということやな。そのAが先代で、わしの親分ゆうことや。一を聞いて一をさとるようじゃ、極道は務まらん。三郎も、ええ若い衆になったもんや。
わし、思わず頬がゆるんだんやろう。
「煩悩の話、面白いですか?」
親鸞が勘違いして、
「じゃ、あと三つ、残りの根本煩悩―《慢(まん)》《疑(ぎ)》《悪見(あつけん)》について話をさせていただきます」
「けど、サウナに……」
「承知してます。あと十分、取り急ぎ説明します」
イヤや言うわけにもいかんやろ。
わし、缶ビールをグビリや。

《慢》は「うぬぼれ」「思い上がり」の煩悩やて。そこかしこにおるやろ。自慢話をペラペラしとる奴(や)っちゃ。極道はそんなんばっかしで、武勇伝なんか話半分どころか〝話半分、八掛け、二割引き〟。十の話やったら、正味は三・二。そんなもんや。《慢》は字ヅラから見てそういう意味やろとは思とったが、ここから派生する煩悩にいろんな《慢》があることには驚いた。
「たとえば、同等の人間であるのに、自分の方がエライとうぬぼれるのが《過慢(かまん)》。相手が自分より優れていても、同等だと思うこともこれに入ります。ひらたく言えば、同期に対して『おまえなんかに負けるわけがない』という過剰な自信。先輩に対して『自分といい勝負だ』という過剰な自己評価です」
そして、これに足元を掬(すく)われると親鸞は言う。
それ、わかるで。ある組の幹部が酒の席で器量を自慢したら、
「それは頼もしい。ひとつ仲裁に入ってもらえまへんか」
抗争の仲裁人を押しつけられ、アワを食っとった。器量もないのに頼まれたら、本人が苦しむだけや。「人間は自慢話に首を絞められる」と親鸞は言いよったが、
「さらに」
と語気を強めて、
「同僚や先輩相手ならまだしも、自分より明らかに優れている人間に対して、自分の方が力量があると思い誤る煩悩があります。これが《慢過慢(まんかまん)》で、〝最強の慢心〟です」
最強やなんて俗な言い方をしよったが、こういう人間、たまにおるな。
「幹部がナンボのもんなら」
ゆうて、飲み屋で吠えとる。鼻っ柱が強いのはええねんけど、実力がまるっきり伴わなんだら、ただのアホ。なるほど、最強の慢心や。
あと、自分が一番正しゅうて、ほかの者(もん)はカスやと見下しとるのが《増上慢(ぞうじようまん)》。「あんなの、たいしたことあらへん」と、自分より優れた人間を過小評価するのが《卑慢(ひまん)》。ビックリしたのは《我慢(がまん)》や。これも煩悩やて。極道ゆうたら我慢の世界やないか。我慢して、我慢して、耐えて、耐えて、最後に男になる。なんで《我慢》が煩悩やねん。
「おっしゃるとおり、ならぬ堪忍するが堪忍、辛抱する木に花が咲く―。我慢は美徳です。何事も我慢することなくして成就はありえません。だから人生訓は、冷たい石の上にも三年座り続ければ暖かくなると教えるのです。ところが仏教の説く《我慢》は『我(自分)+慢(慢心)』―すなわち、自分に執着することから起こる慢心とするのです」
「それが何で美徳になったんや」
「転用ですね。『我を張る→見栄を張る→やせ我慢』から転じて〝堪え忍ぶ〟になっていったのでしょう。察するに、それが自分に対する執着に起因するものであろうとも、自分の意見や信念に固執しなければ何事も成就しないということを、人間は経験則で学んだのかもしれません。《我慢》は煩悩ではあるが、固執こそ成功のタネでもある―と、僧侶の私が言っていいのかどうかわかりませんが、これ、現実論です」

疑・悪見

《疑》は決断できずにためらい続けること。
親鸞に言わせたら「自分の価値観」に対する固執いうことや。仏法に対して「ホンマかいな」と、あれこれ疑ってかかるため、「よし、学ぼう」という決断がでけんことやと言うとった。
ま、人の言うことを何でもかんでも「ハイ、ハイ」ゆうて信じるのも考えもんやけど、猜疑心は確かに問題やな。関西で組が割れて大抗争になったときのことや。割って出た側がガンガン攻めとったら勝負はもつれたはずやが、トップが決断でけんかった。
(このケンカ、勝てるか?犠牲者の数は?当局の動きは?攻めんでも共存でけるのやないか?わしのケツ掻いて(そそのかして)貧乏クジ引かせようとしとるんやないか?)
猜疑心や。それで決断でけんままズルズルいってもうて、最後は相手側に切り崩されてもうた。なるほど《疑》は煩悩やで。
「さあて、根本煩悩はあと一つやな」
時計見て、わし言うた。
昼間のアルコールはようきくよって、缶ビール四つ飲んでええ気持ちや。サウナ行って汗流して水風呂入ったらさっぱりするやろ。親鸞もわしの気持ちをわかっとるさかい、最後の《悪見》の解説はさらりや。
「自分の主張が絶対に正しいと執着し、頑として曲げない煩悩のことです。我を張るのが《有心見(うしんけん)》で、答えが出ないテーマであるにもかかわらず自分の意見に執着するのが《辺執見(へんじゆけん)》です。では、今日はここまでということで」
腰を浮かしかけたところで、
「ちょっと待った」
わしが引き止めた。
「何か」
「我(が)を張るのは煩悩か?」
「そうです」
「答えが出ないにもかかわらず、それは絶対にアカン言うて決めつけるのも煩悩か?」
「そうですが、それが何か?」
「娘がそうや、女房がそうなんや!」
わし、思わず叫んどった。

さっき高三の一人娘がおる言うたけど、演劇の道に進むゆうてきかんのや。部活で演劇部に入っとるさかいな。どこぞの劇団に入るゆうとるけど、女房はそんなもんアカンゆうて大反対や。
「なんでやのん!」
娘は食ってかかるがな。
「役者やってもうまいこといかんやろ!」
女房が怒鳴ると、
「何でうまいこといかんてわかるの!」
「わかります!」
「だから、なんでやのん!」
「わかるゆうたらわかるの!」
いつもケンカや。
極道やっとっても人の子の親や。わしとしては、娘に好きな道に進ませてやりたいし、女房の言うこともようわかる。
「どないしたらええ?」
五十ヅラ下げたわしが、若い親鸞に人生相談や。
親鸞、腰をおろして、
「なるほど、娘さんは我を張る《有心見》、奧さんは自分の意見に執着(しゆうじやく)する《辺執見》といったところですね。娘さんはまだ若い。煩悩がどうとか説明しても、たぶん聞く耳を持たないでしょう。ここは大人である奧さんが自分の煩悩に気づき、一歩引くべきだろうと思います」
そういうて、こんな話をしてくれた。
お釈迦さんが、弟子に「死後の世界はあるか」と問われたとき、黙ったまま何も言わんかったそうや。経典は釈迦が説いた教えを書き留めたもんやから、この問いに対して答えの書きようがない。それで経典は《無記》と記した。なんでお釈迦さんが答えんかったかゆうたら、死後の世界は誰にもわからんからや。わからんことに対して、「ある」「ない」の主張は、どっちも《辺執見》という煩悩が言わせとることになる。答えの出ない問題に固執するのは際限のない議論に陥るだけで、何の利益にもならないということをお釈迦さんは沈黙で説いた。
親鸞はそう言うてから、
「娘さんの将来を案じるのは母親として当然です。しかし反対したからといって、娘さんは聞く耳を持つでしょうか?母娘が仲違(たが)いするだけです。案じて反対にこだわるのは煩悩だと気づき、気持ちよく好きな道に進ませてあげてはどうでしょうか。先のことは先になって考えればいいでしょう」
「せやな。娘が納得するまでやらしたったらええ」
気持ちがスーッと軽うなった。わしかて、極道になったときは母親を泣かせたもんや。母子家庭やさかいな。刺青を背負(しょ)ったときも、抗争で相手組員を刺して重傷負わせたときも泣きよった。結果がどうあれ、娘は娘の人生を生きて行くやろ。
「今日は時間を超過してしまいましたけど、煩悩のことはおわかりいただけたかと思います。何か質問があれば」
「ある」
わし、ハッキリ言うた。
「煩悩はそんなに悪いもんなんか?」
親鸞の話を聞いとって、それがずっと気になっとった。
「お宅の言うこと、ようわかる。わかるけど、人間、欲がなかった進歩せぇへんのちゃうか?わしら見てみい。ええクルマ乗って、ええ服きて、クラブで札束切って、ええ女連れて街を肩で風切って歩く。そんな極道になりたい思うから、斬った張ったに身体を懸けとるんやないか。勤め人かて同じやろ。上見て努力でけんヤツを〝負け犬〟言うんや」
ここは、わしも譲れへん。何のためにこれまで極道張って生きてきたんや。今日あるのは根本煩悩のお陰やないか。

「納得でけん!」

わしが眼ぇ剥いてビビらん人間は、これまで一人もおらんかったが、親鸞はやっぱり変わっとる。
柳に風や。
平気な顔して、こう言いよった。
「煩悩に突き動かされて努力する人は、鼻先のニンジンを追いかけて走り続ける馬と同じです。ニンジンは〝満足〟をたとえたもので、決して〝満足〟というニンジンを食べることはできません。先ほど《たとえ金貨の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない》というお釈迦さまの言葉を紹介しましたが、このことを意味しているのです」
ああ言えばこう言うで、ホンマに口の減らん若造やで。
「なら言うたるが、どうせ欲望が満たされんのやったら、金貨の雨をじゃんじゃん降らせてもろたほうがええやないか。どや?」
「では、私も問います」
ひるまず言い返してきよる。
「稗(ひえ)や粟(あわ)しか食べたことのない人は、麦メシを食べたいとは思わない。食べたことがないのですから、これは当然ですね」
「せやな」
「ところが麦飯を食べてみたらおいしかった。となれば、稗や粟だけの生活に嫌気がさしてきて、麦メシを食べたいという欲望がひとつ増える。つぎに米のメシ―銀シャリを食べたらどうですか?麦メシでは満足できなくなる。つまり欲望というやつは、それが満たされるたびにどんどんふくらんでいって際限がなくなり、結果、自分を苦しめることになるんです」
給料も、地位も、家も、快適な生活も、あれもこれもと渇望しながら人間は生きている。欲求を励みとし、努力が成果となって現れているうちは人生は楽しく張り合いもあるが、思いどおりの成果が得られなければ焦燥に身を焦がすことになる―そないなことを親鸞は言うんや。
「つまり、少欲知足(しょうよくちそく)。足るを知れということ。お釈迦さまが入滅に際して語った言葉を集めた『遺教経(ゆいきょうぎょう)』という経典ありますが、このなかでこんな言葉を遺してらっしゃいます。『多欲の人は利を求めること多きが故に、苦悩も亦(また)多し。少欲の人は求なく欲なければ、則(すなわ)ち此(こ)の患(うれ)いなし』―。お釈迦さまは、満たされざる焦燥の心とは、求めるものが得られないことではなく、得られてなお求め続けることにあるとおっしゃっているんです」
言わんとすることはわかる。
わかるが、納得せぇへん。
欲があるから努力して出世もするし、豊かにもなる。欲は努力のタネや。欲が無(の)うなってみい。頑張るもんはおらんやろ。
「そら、お釈迦さんが間違うとる。欲は大事や」
「では、徳川家康は?」
「……」
「家康がこう言っています。『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし』―。溜め息が聞こえてきそうですね。もっともっとと求め続け、最後は日本に君臨した天下人でさえ、満たされないのです」
それ言われたら、わしも返事に詰まる。
詰まるけど、やっぱり納得でけんのじゃ。

三章 四諦八正道(したいはっしょうどう)

カタギが「八正道」なら、わしら極道は「八悪道」や!

―生苦(しょうく)・老苦(ろうく)・病苦(びょうく)・死苦(しく)・愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)。苦しみの人生から、いかにすれば解き放たれるのか。そのためには、まず苦の正体を知ること。組長の、新たなる一歩である。

人生は苦である

今日は、親鸞を昼メシに連れていくことにして、焼肉屋の個室を予約させた。そこまでせんでもええんとちゃうか言うて、若頭(かしら)の安倍は渋い顔しよったが、足を運ばせておいてメシのひとつも食わさへんかった言われたら、人聞きが悪いやろ。
関東鬼神会と小競り合いが続いとるんで、万一の襲撃に備えて、店の前にベンツ四台張り付けで警戒や。安倍が念のため同席した。安倍に言わせたら、親鸞とかいう坊主、どうも気に入らんとのことや。そらそうやろな。突然、空から降ってきよったんやから。鬼神会に通じとる者かもしれん―そう言うんや。
それで昨日、安倍が三郎に命じて、事務所を出た親鸞を尾行(つけ)させた。ところが、この先の信号の角を曲がったところで忽然と消えたんやて。
「人間が消えてどないするんじゃ。どこぞ店でも入ったんやろ」
「交差点の両脇は公園でっせ。店なんかありまへんがな」
真顔で言うとった。
おっちょこちょいの三郎のこっちゃ。おおかた女のケツでも見とれとったんやろ。親鸞はけったいなヤツやが、鬼神会とは関係ないやろ。わしが鬼神会の人間やったら、絶対に使わんがな。

そんなわけで、今日の昼は焼肉屋や。
「この店はウチで〝守(も)り〟しとるんや。わがまま言うてもかまへんで」
親鸞に言うたら、キョトンとしとる。〝守り〟の意味がようわからんのやろう。K市は閻魔一家の縄張(シマ)で、〝みかじめ料〟を取って縄張内(うち)にある飲食店の用心棒をしとるということを説明してやった。
「暴対法やら暴排条例で〝みかじめ料〟を取ったらあかんことになっとるけど、わしらと店は持ちつ持たれつや。酔って暴れる客、狼藉を働く客は、みんなわしらが退治するし、ツケの取り立てもする。〝みかじめ料〟は、ゆうたら坊主に渡す布施みたいなもんや」
そないな説明したら、親鸞、黙って考え込んどる。
「どないかしたか?」
「僧侶に財物を施すことを財施(ざいせ)、これに報(むく)いて僧侶が仏法を説くことを法施(ほうせ)といいます。そういう意味で言えば〝みかじめ料〟は財施になりますが、財施の本質は、財施をすることによって、お金を払いたくないという欲と執着を自覚することにあります。欲を自覚し、執着と葛藤し、あえて財の一部を手放すことに意味がある。そう考えると、果たして〝みかじめ料〟は布施なのか……。組長のご説明は非常にわかりやすいのですが、意味が違うと思います」
「ちょっと言うてみただけやから」
ブレーキかけたが止まらん。
「そもそも布施というのは修行の一つで、分かち合うことで自分だけの欲望を満たそうとする執着から解き放たれ、やすらぎの世界に生きることを目的にしています。したがって財施だけではなく、《無財の七施》があるのです」
早いとこ肉を焼こうと思とるのに、わしが余計なこと言(ゆ)うたばっかりに、親鸞がズダ袋をまさぐって書き付けを取り出すと、わしに寄こした。布施の説明やそうや。こないなことが毛筆で書いてある。

一、眼施(がんせ)……やさしいまなざし。
一、和顔施(わがんせ)……柔和な顔。
一、言辞施(ごんじせ)(愛語施(あいごせ))……やさしい言葉、あたたかみのある言葉、慈愛に満ちた言葉。
一、身施(しんせ)(捨身施(しやしんせ))……自分の身体をつかって奉仕をする。
一、心施(しんせ)……思いやり、気配り、誠意。
一、床座施(しようざぜ)……席や場所などを譲る。
一、房舎施(ぼうしやせ)……風や雨をしのぐところを人に与える。

「おわかりのように、《無財の七施》は思いやりのことです。相手を思いやる心がおのずと人望という花を咲かせ、人々が自然と寄り添ってきて、誰にでも愛される素晴らしい人間関係をつくっていくのです。《花開けば蝶自(おの)ずから来る》―。おわかりですか?」
「わかった、ようわかった。さっ、肉を焼こうやないか」
極道は焼肉が大好きや。何でか知らんが、西も東もそうなっとる。精がつくような気がするし、ジュージュー焼きながら組員たちと箸を伸ばすのはにぎやかで気合いも入る。網に肉を載せ、パッパとひっくり返して、タレにつけてフハフハ言いながら口に運んで、生ビールをグビグビ。手ぎわのいいリズムが極道の性分に合(お)うとるんやろう。

「それで今日の講義のテーマですが」
「カルビ、焦(こ)げるで」
「は、はい」
「ロース、炭になるがな」
「すみません」
「で、テーマがどないしたんや」
「それですが」
親鸞はカルビを箸でつまんだまま、
「今日は《一切皆苦(いっさいかいく)》についてお話をしたいと思います。前回、三法印のことはお話しましたね。《諸行無常》《諸法無我》《涅槃寂静》です。これに《一切皆苦》を加えて四法印とする考え方があることもお話しをしましたが、《一切皆苦》は《諸行無常》と《諸法無我》に含まれるとすることから、仏教の要諦(ようたい)を三法印とする考え方もあるのです。しかし《一切皆苦》は人間の《苦》を説くものですから、これについては別立てで説明をしたいと思い、あとにまわしたのです」
親鸞の言うことには、「一切皆苦とは、人生はすべて《苦》とする考え方で、仏教の根幹をなすもの」とゆうことやが、このクソ忙しいときに、そんな辛気臭(しんきくさ)い話を聞いてどないせぇっちゅうんや。
「九(く)か八か知らんが、人生、面白おかしゅう生きればええんちゃうか?」
ジョッキを口に運びながら言うたら、親鸞、キョトンとしとる。九は《苦》のシャレゆうことに気がつかん。マジメもええけど、骨が折れるやっちゃ。
「ともかく」
親鸞が咳払いしてから、
「お釈迦さまは、『人生は苦である』と定義づけしました」
もう一度、言うた。
ここから始めんと、話が進まんのやろう。
「娑婆という言葉がありますが、意味はご存じですか?」
「わしらが暮らしとる社会のことやないか。酒飲んで、女抱いて、面白おかしゅう暮らしとる。わしは何回も懲役行っとるが、刑務所から娑婆にもどって盛り場のネオン見たときは、心浮き浮きやで。それがどないしたんや?」
「それは本来の意味ではありません。娑婆は仏教の言葉で《忍耐》という意味です。あッ、組長、娑婆という字をいくら眺めても漢字からは意味はわかりませんよ。前にもお話しをしたように、これは音写語ですから。サンスクリット語の《saha(サハ)》に娑婆という文字を当てただけで、《saha》は忍耐の意味なんです。生まれながらにこの身に煩悩をかかえ、苦しみながら生きていくという意味で、この世―つまり人生を《苦》とするのです」
「ほなら刑務所のほうが楽やいうんか?娑婆は極楽、ムショは地獄やろ」
「いまはそういうことになっていますが、もともとは《娑婆=苦の世界》で、江戸時代に意味がひっくり返って《娑婆=極楽》になったと言われています。当時は遊郭の吉原を極楽、その外側―つまり、市井の人が暮らす社会は娑婆と呼ばれていました」
「そら、遊郭は男の極楽やで。兄ィちゃんもわかってるやろ」
「い、いえ、私は……」
「赤(あ)こうならんでもええがな。で、吉原がどないしてん」
「男にとって極楽でも、〝駕籠の鳥〟のお女郎さんたちにしてみれば、自分たちが棲む吉原は地獄で、自由に生きられる娑婆は―世間では苦の意味に用いられていても―極楽に見えるでしょう。それでいつしか意味が逆転して《娑婆=極楽》の意味に用いられるようになったそうです」
「くわしいやないか。女郎と言うんは……」
「お女郎さんのことはともかく」
親鸞がさえぎって、
「私が言いたいのは遊郭のことじゃなく、私たちが生活しているこの世の中―すなわち《娑婆》は、苦しみを耐え忍ぶ場所であるというのが、お釈迦さまが説く仏教の世界観であるということなのです」

苦の正体

お釈迦さんがなに言うたか知らんが、わしら、娑婆で楽しゅう生きてきたし、いまも生きとる。
「そやろ?」
ジョッキ呷(あお)っとる安倍に言うたら、
「お釈迦さんが勝手に〝苦しい〟言うとるだけでっしゃろ」
口のまわりに泡をつけて笑(わろ)たが、親鸞、びくともせえへん。
「では、うかがいますが、お二人とも夢や希望はないのですか?こうであればいい、ああであればいいという願いも悩みも焦燥もありませんか?いまの人生に満足していて、これ以上の望みはないのですか?健康に不安はありませんか?人生すべて思いどおりになっていますか?」
正面切って問われると、「はい、そうです」とは言いにくいわな。組をもっと大きゅうしたいし、ゼニも稼ぎたい。関東鬼神会の進出も正直、頭の痛いこっちゃ。このままいけばドンパチや。ヤバイことになる。健康のことかて、ピンピンコロリならいいが、頭の血管切れて寝たきりになるのはかなわん。そう考えたら、人生は思いどおりにはならん。そのことは認めたってもええ。
そう言うたら、
「でしょう?」
身を乗り出し、早口で言いよる。
「思いどおりにならない人生を、思いどおりにしようと思うことで起こる悩みを、お釈迦さまは《苦》と定義されたのです。出世したい、お金を稼ぎたい、恋いこがれる人と結婚したい、尊敬されたい、我が子をいい学校に入れたい、家が欲しい、健康でいたい、長生きしたい……。こうした思いが満たされないとき、私たちは焦燥感や絶望感をいだく。希望や夢といった美しい言葉も、ひと皮剥けば、自分の都合で勝手に思い描く欲に過ぎず、この欲に苦しむのです。
出世、お金、健康、人生のいっさいに興味なしとなれば《苦》とは無縁でいられますが、欲という煩悩がすべての人間に具(そな)わっている以上、一を手にすれば二を、二を手にすれば三を……と、前にお話しをしたように〝鼻先のニンジン〟を死ぬまで追い続ける。すなわち、人間の誰もが《苦》と二人三脚で人生を送るということから、お釈迦さまは《一切皆苦》と喝破(かっぱ)されたのです」
「カルビ、焦げるで」
親鸞の皿に放り込んでやったら、
「ありがとうございます」
礼を言うたが、心は肉にあらず。口へ運ぶことなく、しゃべり続ける。
「歳を取りたくないと思っても時々刻々と老いていきます。病気は自分の意志とかかわりなく発病します。何人(なんびと)といえども死から逃れることはできません。このことがわかっていながら、老いたくない、病気になりたくない、死にたくない、何とかならないものかという思いをいだいてしまう。この思いが《苦》なのです。
したがって、どうにもできないことは受容するしかない。受容し、それを認め、肯定することによって、《苦》から解放されていく。いいですか、《苦》そのものが生滅するのではなく、受容と肯定によって苦でなくなる。これがお釈迦さまのみ教えなのです」
焼き肉をジョッキでやりながら、「人生は苦である」なんて話を聞くんは初めてやで。こないな話になったら、わしも言葉がないがな。大学出の安倍も黙って網に載ったカルビをひっくり返しとる。

極道は殺(や)るか殺られるか、死と隣り合わせの毎日や。ドンパチやって、殺られればあの世やし、殺れば人生は終わりや。そんな人生を生きとるさかい、死ぬの生きるのという話には興味ある。勤め人かて、会社クビになったら一家して路頭に迷うやろ。一日一日に人生が懸かっとるいうことでは、わしらと同じやないか?
「人生は苦や」
と言われたら首を横には振られへんけど、お釈迦さんの言うことが当たっとるかどうかということになったら、話は別や。極道は猜疑心が強い。性格の問題やのうて、寝首搔(か)かれるのがこの世界やよって、疑り深(ぶ)こうなってしまうんや。鵜呑みにはでけんが、「それ、違(ちや)うやろ」とも言えん。取りあえず、肉を焼きながら話を聞くしかないやろ。ジョッキを置いて、親鸞の言葉を待った。

「お釈迦さまは《苦》をどう分析したか、まず概要をお話します」
親鸞が話し始めた。
「四苦八苦という言葉をご存知だと思いますが、これは仏教の言葉で、四苦は《生(しよう)・老(ろう)・病(びよう)・死(し)》の四つを言います。《生》はこの世に生まれたことの苦しみです。生きることの苦しみではなく、この世に生まれたこと自体を言います。《老》は老いることの苦しみ、《病》は病気になることの苦しみ、そして《死》は死ぬことの苦しみです。
これら四苦に次の四つの苦―《愛別離苦(あいべつりく)》《怨憎会苦(おんぞうえく)》《求不得苦(ぐふとくく)》《五薀盛苦(ごうんじようく)》を加えて四苦八苦とします。四苦と八苦があるのではなく、四苦+四苦で四苦八苦であることに注意してください。《愛別離苦》は愛する人と別れる苦しみ、《怨憎会苦》は怨みや憎しみを感じる人と出会う苦しみ、《求不得苦》は欲しいものがどうしても手に入らない苦しみ、そして《五薀盛苦》は執着によっておこる肉体的、精神的な苦しみを言います」
四苦八苦にこんな意味があるとは知らなんだ。苦労に苦労を重ねるという意味で、四苦に八苦かと思うとった。聞いてみな、わからんもんやな。
「せやけど」
と、わしは疑問を口にした。
「そもそも釈迦は何者で、なんでそないな難しいことを考えるようになったんや?」
「いい質問です」
親鸞、うなずいて、カルビを口に入れた。冷めて硬(かと)うなっとるんやろ。歯を食いしばるようにして嚙んどる。何や今日は話が長(なご)うなるような気がしてきた。

シッダールタの悲しみ

「仏陀(ブツダ)とは《目覚めた人(さとりをひらいた人)》という意味で、お釈迦さまの本名はゴータマ・シッダールタと言います。今から約二千五百年前の四月八日、インドの北方にあった釈迦国の王子様としてお生まれになります。おわかりのように《釈迦》という名前は釈迦国に由来します。釈迦族の一人であるゴータマ・シッダールタが、さとりを開いてブッダに成られたので、「釈迦牟尼(しやかむに)」と呼ばれます。『釈迦』とは釈迦族出身、『牟尼』とは聖者という意味です。また、世にも尊い方という意味で、『世尊(せそん)』とも呼ばれ、これらを合わせて《釈迦牟尼世尊》となり、これを縮めて釈尊(しゃくそん)と呼ばれるのです」
ほう、王子さんとは知らんかった。しかし、なに不自由なく育った人間が、なんでまた「人生は苦や」なんて言うようになるんや。わしがお釈迦さんやったら、ハーレムの生活しとるがな。
「せやろ、若頭(かしら)」
「そ、そうでんな」
スマホでメールでも読んどったんやろ。あわてて顔を上げよった。関東鬼神会とゴタゴタが起き始めてから、安倍は奥歯にモノが挟まったような、煮え切らん態度や。若頭いう立場やからピリピリしとるのかも知らんが、何となく気にはなっとるんやが……。
「お釈迦さまは幼少のころからとても感受性が強く、物事を深く考える性格だったと伝えられています」
「わしと真反対や」
「かもしれませんね」
「兄(に)ィちゃんも言うやないか」
ガハハッと笑(わろ)てジョッキ飲み干したら、安倍がすぐさま「ビールや!」ゆうてドアに向かって怒鳴りよった。
「で、お釈迦さまが十歳ころ、農耕祭に出席して多くの牛が犂(すき)を付けて田を耕すのを見物していたときのことです。犂で掘り起こされた土の中から小さな虫が出てくると、それを小鳥が見つけて啄(ついば)んで空に飛び上がった。そこへ今度は鷹が小鳥に襲いかかったのです。この光景を目の当たりにして、お釈迦さまは弱肉強食という現実に衝撃を受け、深い悲しみに沈みます。なぜ、生きものは殺し合わなければならないのか……。もの思いにふけり、長ずるにつれてますます深まっていくのです」
「甘いな、お釈迦さんは」
わし、新しいジョッキを手にして笑た。
この世のなかは弱肉強食や。わしらの世界を見てみい。拳銃(チヤカ)弾いて、縄張の取り合いや。リンチもする。殺して山に埋めるし、コンクリに詰めて海にも沈める。先代の下でわしが若頭やっとったころ、この街に敵対組織があったんやが、わし、この抗争で十年の懲役を打たれた。くわしいことはいまも言えんが、ホンマやったら無期刑やろうけど、十年で助かった。
「勤め人かて、商売人かて、みな弱肉強食やないのか?世のなか、プラスとマイナスと足したらゼロやゆうて評論家がテレビで言うとった。食う側と食われる側は足してチャラになる」
「それは弱肉を食らう側の言い分で、食われる側はたまらないでしょう。足してゼロと言ったんじゃ浮かばれない」
「兄ィちゃん、そんなぬるいこと言うとったら、寺を建てるどころか乞食坊主で終わってまうで。ゼニはしっかり稼がなあかん。で、お釈迦さんはどないしたんや?」
親鸞、何か言おうとしたが、言葉を飲んでから話を続けた。

四門出遊

「シッダールタはカピラ城で暮らしているのですが、ある日のこと、遊園―いまで言えばピクニックですが―馬車で東の城門から外へ出たところで醜い人間を目にします。歯が抜け、腰が曲がり、よぼよぼになった人間です。『あれは何者か』とシッダールタが侍者に尋ねると、『あれは老人です。人間は誰でも歳をとると、あのような姿になるのです』と答えます。それを聞いたシッダールタは遊びに行く気が失せ、城に引き返します」
次は、南の城門の話や。別の日に郊外の花園に行こう思て馬車で場外に出たところで、見るからに具合の悪そうな人間がおったそうや。
「あれは何者か?」
シッダールタが侍者に問うたら、
「あれは病人です。人間は病み衰えれば、誰もがあのような姿になるのです」
シッダールタは花園へ行く気がなくなって城に引き返す。
で、次は西の城門や。馬車で外へ出たら、人だかりがしとる。何事かと思て見たら、人が横たわっとる。
「あれは何か?」
「死人です。人間はいずれ必ず命を終えるのです」
侍者の言葉に、すぐさま城に引き返す。
「こうして」
と親鸞が言いよる。
「青年シッダールタは、この世に生を受けた者はすべてが老い、病み、やがては死ぬということに悩みます。老いることの苦しみ、病むことの苦しみ、そして死ぬことの苦しみ。さっきお話した《老》《病》《死》です」
「若いのに気の毒なこっちゃ。わしが若いころはイケイケで、毎日が女にケンカにバクチやった」
「組長と違って、お釈迦さまは感受性が強いんです」
「感受性が鈍うて悪かったな」
わしに軽口叩くの、この兄ィちゃんだけやで。わしが癇癪起こすんやないか思て、安倍が気ィもんどるがな。大丈夫や。どこの馬の骨かわからん自称・坊主相手に、わしが怒るわけないやろ。脅されたいうて警察駆け込まれたら、麻生警部補を喜ばせるだけや。
「で、釈迦はどないしたんや」
「先を急(せ)かさないでください。ここからがポイントですから」
親鸞の説明やと、シッダールタはやはり遊園に行くため、今度は北の城門から出たそうやが、そこで見るからにすがすがしい人間を目にする。
「そばに行ってくれ」
と御者に命じて馬車を近づけ、男に何者か問うと、
「私は沙門(しやもん)(出家者)です」
と、厳(おごそ)かに答える。
このときシッダールタは、沙門になることで《生》《老》《病》《死》の苦悩を脱することができると確信。二十九歳になったとき、妻子を置いて出家する。
「東西南北と出家。できすぎやないか」
わしが茶々を入れたら、
「これが『四門出遊(しもんしゆつゆう)』という物語で、『五分律(ごぶんりつ)』(第十五巻)に書かれているものです」
親鸞、ちょっとムキになって言いよった。このときわしは知らなんだが、親鸞が二十年間修行した比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)とかいうとこと訣別して山を下りるのが、奇しくも釈迦と同じ二十九歳のときや。親鸞も釈迦の出家に感じるものがあったんやろう。

苦苦(くく)・壊苦(えく)・行苦(ぎようく)

出かけとった店主が、駆け込むようにして挨拶に来よった。
わしが来とるゆうて従業員から連絡があったんやろう。閻魔一家率いる鬼山鬼太郎は「人斬りの鬼ヤンマ」や。去年の暮れやったが、店主がわしに挨拶がなかったんで、頭にきてテーブルひっくり返したってん。個室めちゃめちゃや。警察呼んだら店潰したるつもりやった。極道はナメられたら終わりやからね。店主の腕の一本でも斬り落としてきっちりオトシマエつけとけば、ほかの店が震えあがるがな。
それで懲りたんやろ。わしが顔出すときは、店主は女と寝とっても素っ飛んで来るようになった。やっぱり極道は暴力やで。鳥は空を飛び、魚は水を泳ぎ、極道は暴力で渡世する。ちょっと気取って言えば、そういうことや。
「これは親分、よう来てくれはりました」
中年のハゲ店主がモミ手で挨拶しとる。
「客人や。坊主や。見たらわかるやろ」
「これはようこそ。店主でございます」
「親鸞と申します」
立ち上がって礼をしたところが、店主の顔、固まってもうた。
「いま、親鸞と聞こえたような気がしましたが……」
「はい、親鸞です」
「お、お寺は……」
「ありません」
「ない?」
「はい」
「こらッ、なにをごちゃごちゃ言うとるんじゃ。親鸞はフリーの坊主や!浄土から還って来とるんや」
「そ、それは失礼しました。私、浄土真宗の門徒なものでして、親鸞様のお名前を聞いてちょっと驚きまして」
「アホんだら!おのれの宗派なんかどうでもええんや。向こうへ行ってろ!」
目ぇ三角にして怒鳴ったもんやから、店主、逃げるようにして出ていきよった。
わしが連れてくるのは女だけとちゃうことが、これでわかったやろ、「鬼ヤンマが坊主ときた」ゆうてウワサになるやろ。悪いウワサやないで。
「で、なんの話やったかな?」
「お釈迦さまの四門出遊です」
「せやった。お釈迦さんが家出したんやな」
「家出じゃなく、出家です」
「似たようなもんや。で、どないしたんや」
「これから難行苦行が始まるのですが、その前に、お釈迦さまがさとりを開くことで滅しようとした四苦八苦について、もう少しお話をしておきましょう。《苦》の実相を知ることこそ、いまを生きる上でなにより大事なことです」
安倍にメールが入ったんやろ。スマホのぞいてから、
「ちょっとヤボ用ができましたんで、失礼させてもらいます」
立ち上がった。
ホンマに用事か、お釈迦さんの話はもう聞きとうないのかわからんが、関東鬼神会とモメとるときやから、若頭(かしら)としてはなんやかんや用があるやろ。
「ドアの外に三郎を待機させておきますんで」
と言って出て行った。
つい話に夢中になって肉を焼くの忘れとった。金網を換えさせ、わしは肉を載せた。脂が火を弾くようにして焼けていく。わしの煩悩がますます燃え盛っていくような気分やで。

親鸞がウーロン茶をひと口飲んで、話し始める。
「四苦八苦という具体的な苦の話をする前に、苦は教学的に《苦苦(くく)》《壊苦(えく)》《行苦(ぎようく)》の三つに分類されていることに触れておきたいと思います。観念的な説明になると思いますので、ここは聞き流してくださって結構です」
と前置きしてつづける。
「《苦苦》は肉体的・感覚的な苦です。叩かれて痛いとか、病気の苦しみ、飢餓の苦しみといったものですね。寒熱飢渇によって生ずる苦と言われ、外的な、感覚的な苦のことを言います。これはわかりやすいでしょう。
《壊苦》は破壊や損失、喪失によってもたらされる苦です。愛する人との別れ、大切なモノを失うことの苦しみ、名誉の喪失、死、人生に失敗したという後悔の苦しみなど精神的な苦で、私たちが苦と呼ぶものの大半は《壊苦》と思ってください。
最後の《行苦》はちょっと難解かもしれません。生滅変化する万物の存在、一切の現象世界が遷(うつ)り変わっていくことから生じる苦です。無常そのものが苦と言っていいでしょう。これといった特定の、具体的な原因の見当たらない苦です。おわかりいただけましたか?」
わし、黙って箸を伸ばすと、焦げかけたロースをひっくり返した。

老苦

話には順序がある。そのことはようわかっとるが、極道は気が短いんや。何回もわしに講義しとるから、親鸞もそのことは承知しとるんやろう。軽く咳払いして、「では、さっそく四苦八苦について説明します」と言って話を先に進めた。
「まず、生・老・病・死の《生苦(しようく)》についてです。さきほど申し上げたように、《生苦》はこの世に生まれることの苦しみです。具体的な事象としての苦しみではなく、生まれ出たことによって、《老苦》《病苦》《四苦》といったものに苛(さいな)まれることになることから、これを苦とするのです。生活が苦しいとか、人間関係に悩むといったような〝生きることの苦しみ〟ではなく、それを超えた命そのものの苦と理解してください。ひらたく言えば、この世に生まれてこなければ一切の苦はない―こういうことです」
そらそうやろ。わしでも、わかるがな。《老苦》もわかるで。身体がゆうことをきかんようになったら、そら辛いもんや。愛人にしとるアケミかて、このころナニするんがわしはしんどうなった。若いころは女を見たら手当たり次第に口説いたもんやが、五十の声を聞いたら坂道を転げ落ちるような気分や。
そんな話をしたら、
「それは苦の本質ではありません」
ピシャリと言いよった。訂正するときは容赦ない。それだけ親鸞は真剣や言うことなんやろう。わしも器量で大目に見るがな。
「体力が落ちたこと自体に《苦》があるのではなく、昔は元気だった、歳はとりたくないと抗(あらが)う心に《苦》が生じるのです。〝歳を取ったから体力が落ちて当たり前だ〟と達観する人に苦しみはありません。わかりやすい例が……。あのう、奧さんは美容に関心がありますか?」
「あるなんてもんやないで」
毎日、鏡をのぞいて皺の数を一本ずつ勘定しとる。体重計には朝晩乗っとるし、フィットネスクラブにも通うとるし、寝る前は顔に栄養クリームを塗りたくって油絵のカンバスや。サプリも毎日飲んどる。シミ取りに美容整形外科にも行っとる。アンチエイジングとか言うやつやな。若返りの努力はええとしても、なかなか思うようにはいかん。皺は増えるし、顔の皮膚かて弛(たる)んどるし、下っ腹も出てきて歩くたびにゆさゆさ揺れとる。
「女房、溜め息ついとるわ」
親鸞、うなずいて、
「若くありたい、歳をとるのはイヤだという思いに溜め息をつくのです。若さは加齢に反比例するという事実に心から納得していれば、溜め息はありません。太陽が東から昇って西に沈んでいくように、人間は時々刻々と老いていく。これを逆行させることは不可能であるにもかかわらず、若くありたいと願うその心が、苦を生じさせているのです。若くあろうと努力すればするほど皺の一本一本が気になり、それが不平や不満をつくりだし、これが心を覆うと苦になって焦燥に身を焦がすのです」
そう言うてから、
「秦(しん)の始皇帝(しこうてい)を知っていますか?」
と問いかけてきた。
「くわしゅうは知らんが、中国に君臨した皇帝やろ。たしか不老長寿がどうとか言ってなかったか?」
「そうです。いまから二千三百年ほど前、中国を初めて統一した皇帝で、老いる苦しみから逃れるため、長生不老の霊薬を求めて部下三千人を各地に派遣します。日本にも来たと言われていますが、もちろんそんな霊薬があるわけがなく、始皇帝は長生不老どころか四十九歳で亡くなります。始皇帝は、自分では老いていくことに苦しんだと思っていたのでしょうが、それは本質ではない。老いを受け容れられない心に苦しんだのです。始皇帝の不幸は老いることにあるではなく、自分を苦しめている正体に気がつかなかったことにあるのです」
そして「老いていくことを受容し、年相応の自分に満足すれば、心は平静にして人格円満。それが表情や態度に出る。美しく老いるとは、そういうことではないでしょうか」と言った。

たしかにそうや。
ウチの組の先代も先々代もそうやったし、よその組で名のある長老は、みんなええ歳のとり方をして、年相応の貫禄や。長老たちの姐(あね)さんかてそうや。ケバイ化粧して若作りしとるのは、たいていデキが悪い女や。なるほど《老苦》の意味はようわかった。
「わしもええ歳をとるようにせなアカンな」
そう言うたら、《老苦》は容姿だけとちゃうんやて。「若いころはああだった、こうだった」と、昔の活躍や栄光にすがることも、《老苦》の一つやそうや。年老いた兵士は戦場を去って黙して語らず。「わしがもうちょっと若かったら」というその気持ちが、《苦》を生じさせると親鸞は言うとった。
「さすが坊主や。兄ィちゃん、若いのに年寄りの気持ちがようわかっとるな」
「ええ、まあ」
当惑の色を浮かべてから、
「いまは若い姿で娑婆に還(かえ)ってきておりますが、私も年老いてから浄土に参らせていただいておりますので」
つぶやくように言うとった。

病苦

皿の肉がいつのまにか無(の)うなってもうとる。ぺちゃくちゃしゃべっとったから、気がつかんかった。ジョッキも空いとるやないか。
「三郎!」
怒鳴ると同時にドアがさっと開いて、
「お呼びでっか!」
顔をのぞかせて言った。
呼んだからドアを開けたんやろ。悪い人間やないけど、極道として大成するには真っ直ぐ過ぎる。野球かてストレートしか投げられんピッチャーはプロでは使いもんにならんやろ。極道もカタギも組織でのし上がっていくには変化球は大事や。
「ホルモンとビール。センマイもな。親鸞の兄ィちゃん、なにか食べたいもんあるか?」
「いえ、私は」
「遠慮せんでええんやで」
「堪能しました」
「食が細いんやな」
「食べるより話をしたいんですが」
「熱心なのはええけど、あとの《病苦》と《死苦》は、わしにもわかっとる。病気になるのは苦しいさかいな。ウチと親戚づきあいしとる一家の総長が肺ガンで手術したとき、わし、病院に見舞いに行ったが、えろうやせ細ってな。骨と皮や。苦しそうにしとった。《病苦》はつらいな。昔から『健康がいちばんの幸せ』ゆうけど、病人に会(お)うたらホンマ、つくづくそう思うで」
親鸞の眉がピクリと動く。
これ、反論するときのクセやで。
「では、問います。健康でなければ幸せではないのですか?そもそも病気は意志の力で防げますか?」
ほら、嚙みついてきよった。

「病気は自分の意志ではどうにもならんやろ」
わしが当たり前のことを言うたら、
「そこです!」
待ってましたとばかり身を乗り出して。
「自分は絶対にガンにならないと決意していても、なる者はなってしまう。ガンどころか、風邪ひとつ引くのだって自分の意志とは無関係です。だから病気になるのは貧乏クジを引かされたような気持ちになって、何で自分がガンにならなくてはならないのかと理不尽に思う。みんな元気で生きているのに、なんで自分だけが病気になってつらい思いをしなくてはならないのか……。《病苦》とは、病気そのものではなく、理不尽さに苛(さいな)まれる苦しみのことを言うのです」
ウーン。それ、わからんでもない。娘の美香が小学校四年生のときや。胃がもたれる言うてな。食が進まへん。女房が病院へ連れて行ったら、胃に小さな腫瘍があると言われた。
(まさか!)
頭を殴られたような気分や。わし、ガンの家系やから、死ぬとしたら抗争事件で撃たれるかガンやろうと思とったが、まさか美香が……。ショックやで。検査結果は良性の腫瘍で内視鏡で取ったんやけど、検査の結果が出るまでは、
「よりによって何でうちの娘が……」
と、女房とそればっかりや。元気に遊んどる子供たちを見ると美香が不憫(ふびん)で、何でそんな目に遭(あ)わないかんのかと思た。
親鸞が言うように、いま振りかえってみたら、腫瘍のことはもちろんやが、「何でうちの美香だけが」という思いに苦しんだように思う。
「たしかに、それが《病苦》の正体かもしれんな」
「病気になるかどうかは、自分の意志とは関わりのないことです。だからこそ、〝病気になったらどうしよう〟という思いに苦しめられる。ガンになったらどうしよう、ボケたらどうしよう、寝たきりになったらどうしよう……。自分の意志や努力の及ばざることへの不安であり苦しみです。病気を病気として受け容れることができれば、〝なぜ自分だけが〟という苦しみから解放されるのです」
うなずくしかないやろ。自分の心いうもんを、もう一つ深(ふ)こう掘り下げてみたらいろんなことが見えてくるいうことか。こんなこと言うたらお釈迦さんに失礼やが、たいしたもんやないか。二千五百年もその教えが続いとるいうんは、そこに「なるほど!」と思わせる真理があるからやろう。
親鸞が「健康でなければ幸せではないのか」と言うた意味も、何となくわかるような気がする。病気を不幸せやと思う気持ちは、「何で自分だけが」という思いの裏返しということになる。健康もよし、病気もよし、それぞれを敢然と引き受けて今日を精一杯に生きていけ―そういうことなんやろう。
サウナ行こうかと思うとったが、もうちょっと親鸞の話を聞きとうなってきた。〝木の芽どき〟やよって頭(おつむ)のほうを心配しとったが、この兄ィちゃん、ひょっとしてとんでもない坊主かもしれん。《死苦》の話、聞いてみようやないか。

死苦

「死に対する恐怖は、生命(いのち)ある存在のすべてが根源的に有しているものです」
親鸞が厳しい顔で話し始めた。
「カエルは蛇を見たら必死で逃げます。人間の赤ちゃんはお腹が空いたら火がついたように泣いて乳をせがみます。生きることに対する執着と、死に対する恐怖は表裏になっている。だから死と同時に恐怖心も消える。意識がなくなるのですから当然ですね。したがって死に対する恐怖とは、死そのものではなく、〝死ぬ〟という必然的未来に対する不安ということになります」
この不安が《死苦》の正体や言う。要するに《病苦》とおんなじで、死ぬかもしれんという不安に苦しむいうということやろう。
そう言うたら、
「違います」
即座に否定して、
「《病苦》は可能性に対する不安ですが、《死苦》は必然に対する不安です。絶対に死ぬとわかっていながらも、死ぬのは絶対に嫌だとして気持ちの上では受け容れることができないでいます。絶対と絶対がせめぎ合うという矛盾。理屈でも感情でも割り切ることのできない絶対矛盾であるがゆえに、《死苦》は究極の苦悩ということになります」
「とするとや、死は絶対やから、《死苦》を押さえ込むには〝絶対に死にとうない〟という気持ちを何とかするしかない―そういうことやな」
「そのとおりです。《死苦》は自分の心がつくり出していると教えるのが仏教です」
「幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)を知っとるか?」
「バンズイインチョウベエ?」
「侠客の元祖や」
「そっちの方面はちょっと……」
「お宅、物知りやけど、知識が偏(かたよ)っとるんとちゃうか?」
「申しわけありません、不勉強で」
「まあええがな。で、その長兵衛が死ぬときや」
わし、仏教のことはようわからんけど、親鸞の話を聞いとって、幡随院長兵衛の死に際のことが頭をよぎった。

長兵衛は江戸時代前期の町奴(まちやつこ)や。町奴は義俠心に富んだ男伊達(おとこだて)のことで、無私にして無欲。長兵衛は弱きを助けて強きを挫(くじ)く庶民の英雄やった。
で、ある日のこと。旗本奴(はたもとやつこ)と町奴がモメた。旗本奴というのは旗本の次男、三男で、穀潰(ごくつぶ)しのボンクラ連中のことや。庶民をカツアゲしよるから、町奴とトラブルになる。で、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門から、頭(かしら)の幡随院長兵衛に呼び出しがくる。手打ちの話し合いということやが、長兵衛はこれを罠と承知で水野の屋敷へ出かける。
「怖がって逃げたとあっちゃ、名折れになる、人は一代、名は末代」
そうタンカを切ったそうや。
屋敷では酒肴が用意されとって、宴会が始まるんやけど、飲んどるうちに旗本奴の一人がわざと粗相(そそう)をして長兵衛の服を汚し、水野が風呂を勧める。
「兄ィちゃん、わかるか?ここが勝負や」
「どうしてですか?」
「裸になるやないか。丸腰や。せやから水野にしても長兵衛が風呂に入るわけがないと思うとる。水野の狙いは、〝臆病風に吹かれて風呂にも入れんかった〟ゆうて言いふらし、長兵衛のメンツをつぶすことやった。ところが―」
「ところが?」
「長兵衛は敵陣で素っ裸になり、悠然と湯船に浸かってみせたんや」
屋敷にはぎょうさんの旗本奴が待機しとった。長兵衛は堂々と槍で突かれ、三十六年の生涯を閉じる。死に際の見事さやな。命と引き替えに、幡随院長兵衛という名を、こうしていまも残しとる。
「つまりや、兄ィちゃんが言うとるように、長兵衛は〝絶対に死にとうない〟という思いを小さくすることで、死を素直に受け容れることができたということになる。度胸というんは、死を恐れないんやのうて、〝死にとうない〟を小さくすることかもしれんな」
親鸞がうなずいて、
「幡随院さんの処し方については是非はあろうかと思いますが、《死苦》に対する考え方としては示唆に富んでいますね。〝絶対に死ぬ〟と〝絶対に死にたくない〟という相剋(そうこく)を超越したところが、さすがということでしょう」
「お釈迦さんの死に際はどないやったんや?」
気になってきいた。

エライ坊さんが亡くなることを入滅(にゅうめつ)と言うんやと前置きして、
「お釈迦さまは八十歳で入滅します。法を説きながらインド各地を旅する途中、供養を受けたキノコ料理で激しい腹痛を起こし、これが原因でお亡くなりになるのですが、心静かに病の床に伏せながら、弟子たちにこう言います。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。おこたることなく修行を完成しなさい』と」
「あわてず騒がずやな」
「その数ヶ月前からすでに死期をさとってらっしゃり、自分が亡きあと、弟子たちの処し方についていろんなアドバイスをされています」
「わしも幡随院長兵衛やお釈迦さんのような死に方がしたいもんや」
心底、そう思た。「極道は畳の上で死なれへん」という覚悟は、「死にとうない」をどれだけ小そうできるかにかかっとる。
「わしにできるやろか?」
「無理です」
「ハッキリ言うやないか」
わし、いつものように眉間に皺が寄っとったはずやが、親鸞もいつものようにそれにはお構いなしで、
「凡夫―私たちのことですが、凡夫には釈迦の達観も、幡随院さんの覚悟も持てない。無理なんです。だから死ぬということに対して苦悩する。しかし、〝なぜ苦悩するのか〟ということについて学ぶことによって、《死苦》の真実に目覚めていきます。逆説的な言い方をすれば、真実に目覚め、死を必然のものとして得心し、自覚的な人生を送るには《死苦》という苦悩をくぐらなければならないということです」
なるほどな。親子ほど歳が違う人間の説教に耳を傾けるとは考えられんことや。わしが歳を拾うたんか、それとも極道やっとると次から次へと問題が起きてきよるから、あるいは人生にちょっと疲れてきとるのか……。これもなにかの縁や。たまには仏教の話を聞くのもええかもしれん。

愛別離苦

「生・老・病・死の四苦に続いて、あと四つ―《愛別離苦》《怨憎会苦》《求不得苦》《五薀盛苦》についてお話をしたいと思いますが、お時間は大丈夫ですか?何なら明日にしても構いませんが」
「かまへん。今日はサウナはやめや。―おい!」
「何でっか!」
三郎がドアを開けた。目が血走っとる。安倍からどういう連絡が入っとるか知らんが、鬼神会の件でなんぞゴタゴタでも起こっとるんやろう。事務所へ帰ったほうがええか、ちょっと迷ったけど、ここは安倍にまかせとこう。
「お茶、二つや」
三郎に命じて、親鸞に向き直った。
「では、続けます。お釈迦さまのお話は《苦》のことばかりで、聞いていると気が滅入(めい)ってくるかも知れませんが、〝人生は苦である〟というのがお釈迦さまの基本スタンスであり、《苦》からの解放なくして幸せな人生も、充実した人生もないとします。だからまず《苦》の正体を知る。すべては、ここから始まります」
「気ィつかわんでええがな。わしが面白おかしゅう生きとるゆうたかて、ミエ張って、やせ我慢して、義理に身体懸けて、極道は苦労と二人三脚や。いまさら《苦》の話を聞いたかて気が滅入ることなんかあるかいな」
「それでは《愛別離苦》からお話します」

《愛別離苦》は字のとおり、愛する者との別れや。説明はいらん。親、兄弟、妻、夫、子供、友人……。生き別れと死に別れがあるけど、生き別れはひょっとしてまた会うこともあるが、死に別れはそうやない。別れたままや。そして、その別れは必ずやって来よる。
わしも両親を二十年ほど前に相次いで亡くしとるが、親不孝ばっかりしとるからね。もう二度とこの世で会えん、孝行することもでけんのや思たら、人並みに悲しい思いをした。娘が小学四年のときに病気になった話はさっきしたけど、子供に先立たれた親は断腸の苦しみやろう。《愛別離苦》は、わしにもようわかる。
そないな話をしたら、親鸞が二度、三度とうなずいてから、こんな話をしよった。キサー・ゴータミーという名の母親と、お釈迦さんの話や。
古代インドの都市・舎衛国(しやえいこく)に住むゴータミーが幼い我が子を亡くし、半狂乱になった。死を受け容れられず、遺体を抱いたまま、
「子供に薬をください、生き返らせる薬をください」
と半狂乱になって町中を歩きまわった。そんな薬なんかあるわけないが、これが母親というもんやろな。
ちょうどそのとき、母親はお釈迦さんが舎衛国に説法に来ていることを知って、子供を助けてくれ、生き返らせてくれと懇願する。
すると釈迦は、こう言うた。
「よろしい。では、これから家々をまわって、ケシの粒をもらってきなさい。ただし、もらってくるのは、いまだかつて死人を出したことのない家に限ります」
ゴータミー、必死や。遺児を抱えたまま町中の家を走りまわる。そして一週間後、釈迦を再び訪ねた母親は言うた。
「すべての家をまわりましたが、死人を出したことのない家は一軒もありませんでした」
釈迦は慈悲の眼差しでうなずくと、次の詩を読み聞かせる。

《子供や家畜財産に
気を奪われてとらわれる
人を死王はさらいゆく
眠りに沈む村々を
大洪水がのむように》

こうしてゴータミーは、愛する我が子の死を受け容れることで、愛別という《苦》から救われ、出家して尼僧になる。
三法印で話してくれた《諸行無常》やな。すべては無常である以上、「死」という《愛別離苦》は地球に生きる七十億人すべてが必ず直面する《苦》であるいうことや。「この世のなかで、過去から現在に至るまで、自分の親しきものを失って流した人々の涙の量は、大海原の水の量より多い」―釈迦の言葉やそうだ。
「そして大切なことは」
と親鸞が言うた。
「愛する者との別れをとおして無常という真理に気づき、気づくことによって《苦》を乗り越えていく。新たな人生は、その先に開けていくのです」

怨憎会苦

これまで兄ィちゃんの話を聞いてきて、仏教の教えというのは何事も表裏一体になっとるということがなんとなくわかってきた。煩悩とさとりは対極にあるもんやけど、「煩悩即菩提(ぼだい)」と言うんやて。菩提はさとりのことや。「さとりと、それを妨(さまた)げる迷い(煩悩)とはともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となる」と、親鸞は難しいこと言うたけど、
「煩悩が氷で、さとりが水と思ってください。氷が多ければ多いほど、それが溶けたときの水もまた多くなる。すなわち『罪障功徳(ざいしょうくどく)の体(たい)となるこおりとみずのごとくにてこおりおおきにみずおおしさわりおおきに徳おおし』―。こういうことです」
わかりやすく言い直した。
つまり、人生の最大の苦しみである《死》かて、無常という真理に気づきを与えるということで一体になっとる。ならば「別れる」という苦があれば、「会う」という苦も当然あるわけで、それが《怨憎会苦》になるわけやな。
「《怨憎会苦》というのは怨み、憎しみあうという苦しみです。職場や学校、サークルなどで、〝あいつだけは顔を見るのもイヤだ〟という人間関係の《苦》です。ただ単に嫌う程度ならいいのですが、顔を会わすのかと思うだけで気が滅入ったり、怒りがメラメラと燃え上がるようになれば問題です。そのうちに〝あいつ、死ねばいいのに〟と抹殺すら願うようになる。こんな日々はつらい」
「そら、つらいやろな。職場どころか、関係が冷え切った夫婦かて一つ屋根の下に暮らすのは地獄やろ」
「組長が?」
「たとえばの話や」
兄ィちゃんは気配りしているようで無頓着なところがある。それだけ素直ということなんやろうが、坊主やからまだ許されとる。極道の世界やったら血ィ見るところや。もっとも、古女房との生活は地獄とは言わんが、極楽でないことは確かやな。これは女房に限らん。愛人のアケミかて、このごろは自己主張が強うなってきて、ときどき頭にくることもある。気心が知れる言うんは結構なことやが、「狎(な)れ」と紙一重やな。狎れてきたら、疎(うと)ましゅうなってくる。人間関係は万事、そんなもんかもしれん。
「おっしゃるとおりです。愛情でさえ、突き抜けると憎悪に転じるんですから、利害が絡んだり、性格的に合わない人間となればなおさらでしょう。では、《怨憎会苦》の本質は何だと思いますか?」
「本質も何も、イヤな相手はイヤやないか。理屈なんかあるかい」
わし、一人の極道を思い浮かべながら言うた。

ウチも親戚づきあいしとる組がいくつかある。関西凸凹会もその一つやけど、ここの若頭(かしら)がわしは気にいらんのや。凸凹会がちょっとばかし大きな組や思て態度がデカい。先月の食事会でも、関東に向けて鉄砲玉を飛ばせとか、わしらにネチネチ迫りよった。
「ほなら、凸凹会が飛ばしたらどないや」
頭にきて言うたら、
「うちの会長は、お宅たちの器量を見てまんのやで」
口の端をゆがめて言いよる。いちいちあげたら切りないけど、あいつはマムシみたいなやっちゃ。見るだけで叩き殺したくなる。思い出しただけで、手にした湯呑みが揺れてお茶がテーブルにこぼれたがな。
「あのガキとおんなじ空気吸うとると思うだけで、気分が悪うなる」
吐き捨てるように言うたら、
「そんなにイヤな相手なら、凸凹会と親戚づきあいをしなければいいじゃないですか」
あっさり言いよる。
「そうもいかん」
「どうして?」
「保険や。よその組とモメたとき、凸凹会が後ろ盾になっとったら安心や」
「欲ですね」
「なんやて!」
「怒らないでください」
さらりと受け流して、
「《怨憎会苦》の原因は相手にあるのではなく、自分にあるということを言っているんです。イヤな相手、憎む相手、怨む相手がいれば、会わないようにすればいいだけのことじゃないですか。会社だって、耐え難いほど嫌いな人間がいれば、さっさと辞めていけばいい。夫婦だって、関係が破綻していて修復が不可能ということであれば離婚すればいい。それだけのことです」

そのとおりや。
そのとおりやけど、会社辞めたら生活が困るがな。離婚かて、子供のこともあるやろし、介護の親を抱えとったら、そう簡単に別れることもでけん。専業主婦やったら生活費のこともある。家も何もかも全財産をくれてやったら離婚届けにハンコをつきよるかもしれんが、それはイヤやとなれば、一つ屋根の下で《怨憎会苦》になってまう。
「会わんようにすればいいと言うても、現実は、そう簡単にはいかんのじゃ」
「おっしゃるとおり、簡単にはいきません。ですが、簡単にいかない原因は自分にあるということに気づくべきです。怨憎しながらも相手に会うのは、自分に欲があり、打算があり、計算があるからじゃないですか?だから会いたくない相手と関係を継続し、継続することで怨憎を募らせていく。これが《怨憎会苦》の本質なのです」
「理屈や」
「本質です。いいですか、《怨憎会苦》は《欲》と《怨憎》が等量のときに起こるんです。正確に言うと、深く考えることがないため、自分で等量にしてしまっている」
仏教がそうなのか、親鸞の性格がそうなのかわからんけど、わしが異論を口にすると、反論は必ず理屈っぽうなる。順序立てて説明すればそうなるんやろうし、よくよく聞いてみれば納得もするんやが、極道が理屈を振りまわすときは、たいてい〝我田引水〟や。
それで、わしも理屈に対しては無意識に警戒する。せやけど、親鸞が口にする理屈は意外にすんなり腹に落ちてくる。利害関係がないからやろ。実際、わしを言いくるめても、親鸞が得することは何もない。

親鸞は、こんな言い方をしよる。
「凸凹会に後ろ盾になってもらうことと、そこの若頭が嫌いということを天秤に掛けて、後ろ盾のほうが大事だと思えば、針は後ろ盾に傾くため、若頭に対する《怨憎》に苦しむことは少なくなります。反対に、後ろ楯になるメリットより、《怨憎》に我慢ならないとなれば、針は《怨憎》に傾き、凸凹会と距離をとることになります。
ところが、後ろ盾にしたい、若頭も嫌い―と両者が自分のなかで等量になれば、針は真ん中にあって動きません。これが人間関係における葛藤の本質です。無意識から起こる葛藤は苦を生じ、《怨憎会苦》へと発展し、自分を苦しめることになる」
なるほど、相反することに対して軽重をつけたら、秤の針はどっちかに傾く。五分と五分でガチンコということにはならん。極道がケンカするんは、互角に勝負でけると思うとるからや。
「そういうことやろ?」
「ケンカについてはよくわかりませんが、苦の原因は相手にあるのではなく、自分の秤にあると知れば、百パーセントの解決にはならなくとも、気持ちは救われるのではないでしょうか」
「ま、それも一理ある」
仏教いうんは、常に「自分」を問題にするいうことやな。わしらの生き方と真反対や。わしらは常に「相手」を問題にする。これまで考えたことはないが、何十人、何百人という相手に応じて自分を変えていくのは、そらしんどいやろ。ところが「自分」だけ―自分の在り方だけを問題にすれば、相手が何百、何千人いたかて気は楽やで。
そう考えれば、仏教は辛気臭い話のようやが、実際は真逆で、いかに楽しく、幸せで、充実した人生を送ることができるかを説いたものかもしれん。極道として生きとるもんが「幸せ」なんてことを言うのはおかしいやろが、耳を傾けるだけの価値はあるやろ。
生・老・病・死の四苦に《愛別離苦》《怨憎会苦》ときて、残りは二つ。《求不得苦(ぐふとくく)》と《五蘊盛苦(ごうんじようく)》や。

求不得苦

求めても得られない苦しみ―これが《求不得苦》やと親鸞は言う。煩悩の三毒で説明してもろた《貪欲》に根ざしたもので、「たとえ金貨の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」っちゅうやつやな。「あれも欲しい」「これも欲しい」から始まって、たとえそれを手に入れても決して満足せず、「もっともっと」と貪る煩悩や。欲というやつは常に目の前にぶらさがっとるが、どんなに頑張っても絶対に口にすることができない〝鼻先のニンジン〟ということや。
このことについては、わしも腑に落ちてわかった。けど「欲しい」の対象はモノだけとちゃうんやて。
「なんで、あの人は力を貸してくれないのか」
「なんで応援してくれないのか」
「なんでわかってくれないのか」
といったことも、「欲しい」に入ると言う。「欲しい」は一筋縄ではいかんのや。
そこで、「モノが手に入らない苦しみや物欲の際限のなさについては、すでに《煩悩》のところで説明したので、ここではそれ以外の〝欲しい〟についてお話しをしたいと思います」―そうゆうて親鸞は話し始めた。
店に入って、そろそろ二時間がたっとる。バクチなら三日三晩でも平気やが、人の話を聞くゆうんは苦手や。そのわしが、仏教の話に耳を傾けとる。まさか、お迎えが近いんとちゃうやろな。妙な思いかてよぎるがな。少し疲れてきたが、親鸞は若いとはいえ相変わらず意気軒昂(いきけんこう)やないか。
「人間は幸せを求めるがゆえに不幸になる。この意味、わかりますか?」
また、問いかけで話しは始まった。

「誰もが幸せを求めます。ところが、幸せにゴールはない。他人からは幸せに見える人でも、当人はそう思っていない人はたくさんいます。いや、そんな思いは大なり小なり、みんなが持っているんじゃないでしょうか」
「そうかもしれんな」
馴染みのクラブにバイトで働き始めた二十半ばの主婦がおるんやが、彼女のことが思い浮かんだんで、そのことを話した。家計が苦しいのか思たら、そやない。刺激が無(の)うて毎日がむなしい言うとる。子供もおらん。亭主はマジメな勤め人やが、それが物足りんのや言うとった。
「なんの不満もないはずやが、不満がないことが不満いうことなんやろう。贅沢なもんやないか」
「幸せも不幸も、手にとって確かめられるような実体はありません。基準もありません。幸せだと思うか、不幸だと思うか、要は〝思う〟によって決まるものではないでしょうか。誰が見ても羨むような生活環境にあろうとも、当人が空虚な思いに苦しんでいれば決して幸せとは言えませんし、赤貧(せきひん)洗うがごとくの生活であっても、満たされていると思う人は幸せです。両者の違いは、現状に満足するか、それ以上の何かを求め続けるかです。求め続け、満たされないと思い続ける人生は不幸です」
そう言うてから親鸞は、お釈迦さんの次の言葉を口にした。
「知足(ちそく)の人は、地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なり」
お釈迦さんが臨終の床で説いた一節やそうで、意味は、
「もし、もろもろの苦悩から脱却せんと欲するならば、知足の教えを心に思い浮かべよ。足ることを知る人は、地面で寝るような暮らしを送っていても、なお安楽である。足ることを知らない者は、豪勢豪奢な家で暮らしていたとしても、まだ満足がいかない。足ることを知らない者は、裕福であっても心が貧しく、足ることを知る人は、貧しくとも心は豊かである」
これが《知足》―「足るを知る」という教えやそうや。
「どんなに満たされていようとも、〝あれも欲しい、これも欲しい〟と欲望の火をなおも燃え盛らせれば、常に満たされざる思いに苦しむということですね」
「さっき言うた〝鼻先のニンジン〟やな」
「はい。あるいは蜃気楼―。幸福というものは、実体として存在するものではない以上、幸福を求めていくのは蜃気楼を追いかけるようなもので、追いかけて、追いかけて、追いかけて、結局、つかまえることはできない。いまこうしてここに存在する自分に満足する人、あるいは満足だと思う生き方をする人は、鼻先のニンジンを追いかけることも、蜃気楼を負うこともない。《求不得苦》の苦しみは、追いかけることではなく、追いかけてなお追いつかざることにあるのです」
なるほどな。幸せを求めるがゆえに不幸になるということか。
「けど、そうは言うても、幸せになりたいと思うのは人情ちゃうか?」
「幸せは求めるものではなく、気づくものです。〝築く〟ではなく〝気づく〟。ところが私たちは〝築くもの〟と思っている。だから際限がなく、結果、《求不得苦》に苛(さいな)まれていくのです」


五蘊盛苦

「四苦八苦の最後の《五蘊盛苦》は、他の苦にくらべてちょっとわかりにくいかと思います。五蘊とは人間を人間たらしめる五つの要素―すなわち《色(しき)・受(じゆ)・想(そう)・行(ぎよう)・識(しき)》のことで、この五蘊に執着することによって生じる苦しみを《五蘊盛苦》と言います」
《色》は「身体」。《受》《想》《行》《識》は「心」の働きのことで、次のように言うとった。
《受》……見るという心の機能。
《想》……見たものについて何事かをイメージする心の機能。
《行》……イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す心の機能。
《識》……外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す心の機能。
「おわかりになりますか?}
「簡単に説明でけへんのか?」
「ひとこことで言えば、生きている限り、苦しみが次から次へと湧いてきて尽きることがないということです」
「兄ィちゃん、あれやこれや言うとったが、結局、話がぐるっとまわって《一切皆苦》にもどるわけやな」
やっぱり仏教の話は暗いで。気が滅入ってくる。わしがええ歳になって、そろそろお迎えが来る年代やったら耳も貸すやろうが、まだまだ人生の現役や。暗い話は足を引っ張られるだけやないか。
「坊さんには失礼やが、そない思わんか?」
「その批判は私も耳にします。人生は苦ばかりじゃなく、楽もある。なのにどうして楽のことを語らず、苦ばかりを語るのかというわけですね。でも組長、ここが肝心なところですが、《人生は苦なり》という言うときの苦は、楽の対極としての苦ではないのです。苦があって楽があり、楽があって苦があるという考え方を《苦楽相対》と言いますが、仏教に言う《苦》は苦楽相対するものではなく、〝苦は自分自身の煩悩がつくり出している〟ということを言っているのです。
つまり、人生、楽ありゃ、苦もあるさ―という意味の苦ではない。このことを知らない限り、苦を乗り越えることはできないのです」

なるほど、お釈迦さんの言うことはようわかった。親鸞は「生きていくことは不条理です」とも言うたが、これも納得や。人生そのものが不条理なのではなく、「思いどおりにならない人生を、不条理として憤(いきどお)っているだけ」ということや。
「なんで、自分の気持ちがわかってもらえへんのか」
「こんなに努力しとるのに、なんで報われへんのか」
「なんで、自分ばっかり貧乏クジを引かされんのか」
これらは不条理やあらへん。自分の勝手な思いに過ぎないというわけや。台風が来て、楽しみにしていた旅行が中止になれば、「なんで台風なんや!」と腹が立つ。言われてみれば、もっともな話や。
《一切皆苦》ということの意味は、これでようわかった。では、お釈迦さんはどうやって四苦八苦を乗り越えたんやろ。つまり、どうやってさとったのかということや。ここが肝心やないか。
「苦行です」
親鸞は言った。
「なるほど、やっぱりそうかいな」
「しかし」
奥歯にものが挟まった言い方をしよった。

苦行

二十九歳で城を飛び出たお釈迦さんは、修行の旅に出る。
「まず、仙人を訪ねます。百二十歳で、弟子三百人を擁するアーラーラ・カーラーマです。当時、インドでは禅定(ぜんじよう)(宗教的瞑想)をおこなう修行法と、肉体を極限まで痛めつける苦行をおこなう修行法があり、禅定の門を叩いたわけです。お釈迦さまは短期間で禅定の技法を身につけ、世間への欲望をすべて捨て去った『無所有処(むしようしよ)』の境地に達します。アーラーラ仙人は驚き、ぜひ後継者にとお釈迦さまに願い出ますが、この境地はさとりへの道ではないとして、お釈迦さまは去ります。
次に、同じく禅定を技法とするウッダカ・ラーマプッタ仙人を訪ねます。弟子が七百人ですから、この仙人も著名で、目指す境地は非想非非想処(ひそうひひそうじよ)―心のなかに想っているのでもなく、また想っていないのでもないという三味(ざんまい)の境地です。ここでもお釈迦さまはたちまちにしてこの境地に達します。ウッダカ仙人から片腕になって欲しいと頼まれますが、これも断って去ります」
禅定の修行を捨て、苦行に入るのはここからやて。
「やはり肉体を徹底的に鍛えなくてはならない」
お釈迦さんはこう考えたそうや。なんで苦行がさとりに至ると考えたかというと、肉体に苦痛を与えることで精神を浄化させ、その結果、奇蹟を起こす偉大な力が生じると考えられていたからやそうだ。
こうして釈迦は、沙門(出家僧侶)たちが集まる苦行林で苦行生活に入る。岩窟や森林に住んで、墓場やゴミために捨てられたぼろ布を身にまとったそうや。みずから進んで苦行に身を投じる。これから先、六年もやで。たいしたもんやないか。

当時、インドではどないな修行があったか。
「自餓(じが)・投淵(とうえん)・赴火(ふか)・自坐(じざ)・寂黙(じやくもく)・牛狗(ごく)といったものがありました」
と、親鸞がいくつか例をあげたが、内容を聞いてみて、目ぇ剥いた。「自餓」は、食べ物を食べないで餓えに耐える苦行、「投淵」は水垢離(みずごり)―つまり水の中に身を投ずること。「赴火」は火を身体に当て、火傷に耐える苦行やな。「自坐」は裸で歩きまわる苦行や。灼熱のインドやから、裸でうろついとると日焼けで肌が焦げる。気候温暖な日本でさえ、夏の海で肌を焼いたら火傷みたいになって痛い。ましてインドや。そら、つらいもんやろ。
「寂黙」はいっさい人としゃべらず、孤独に耐える苦行。墓場なんかに行ってやるんやて。これ、懲役行ってみたらわかる。懲罰くって独居房に入れられると、人と話でけんのがつらい。独居が長うなると、ブツクサ独り言をいうようになる。人と会話でけんというのは、それほど精神的につらいもんや。「牛狗」は、牛や犬のように道端で草などを食べて生活する苦行やそうや。
こんな苦行を六年もやったんやから、釈迦の目は落ちくぼみ、骨と皮だけの骸骨や。
で、さとりが開けたか?
「いえ」
親鸞は首を振って、
「苦行ではさとりが開けないことを知ったお釈迦さまはこれを捨て、息も絶えだえになって山を下ります。やっとのことでたどり着いたネーランジャラー河で身を清め、岸に伏しているところへ、セーナ族の村長の娘スジャータが通りがかります。やせ衰えたお釈迦さまを見て、手にしていた乳粥(ちちがゆ)(米をミルクで煮たもの)を与えるのです。こうしてお釈迦さまは体力を少しずつ回復していくのです」
そんなある日のこと。お釈迦さまは恬然(てんぜん)とさとる。

不苦不楽の中道

ネーランジャラー河のほとりで坐禅をしているときや。どこからともなく民謡を口ずさむ声が聞こえてきたという。夕刻やから、家路につく農夫が歌っとったんやろう。

「弦(いと)が強けりゃ、強くて切れる
弦が弱けりゃ、弱くて鳴らぬ
緩急正しく調子を合わせ
手振り、足振り、リズムに踊れ……」

弦は、琵琶のような弦楽器の弦のことや。弦を強く張れば切れやすくなるし、弛(たる)ましたんじゃ音はヨレヨレや。ちょうどええ具合に張る必要がある。当たり前のことやから、わしらがこの歌を聴いても何とも思わんが、お釈迦さんは違った。
ピーンと閃いた。
こういうのを天啓というんやろ。
「そうや、そのとおりや!」
と言うたかどうか知らんが、「中道」という一語が脳裡に浮かんだ。城での贅沢三昧の生活も、その対極にある苦行も、決してさとりに至るものではなく、中道でなければならない―そうさとったということや。
「つまり、両極端を離れるという《中道》そのものがお釈迦さまのさとりということであり、仏教の根幹をなすのです」
と親鸞はつづける。
「中道をさとったお釈迦さまは満月の夜、ネーランジャラー河の西岸にある菩提樹の下で深い瞑想に入り、生・老・病・死の苦悩は無明という原因から起こっているという縁起の理法を得る。これが先日、ご説明した十二縁起で最後は《無明》に至ります。そして、この十二縁起を、今度は《無明》から逆にたどっていき、《苦》の原因である《無明》という迷いを滅する四段階と八つの実践法―《四諦八正道(したいはつしようどう)》をさとるのです。四諦八正道というのは……」
「ちょっと待った」
「なにか?」
「こないなこと言うたらお釈迦さんに失礼やけど、六年も苦行しとって、行きついたさとりが中道とは、お釈迦さんもたいしたことないやないか。極端がアカンいうことは、極道のわしらでも知っとるがな」
「そこですね。どう説明したものか……」
考えこんどる。
返答に困るやろ。
けど、わしにしたら、親鸞が何日も難しい理屈こねてきとって、結論が「極端はいかん、中道がええ」ゆうてあっさり言われたんじゃ、詐欺におうたような気分やで。

お茶飲んどったが、モヤモヤ気分になってもうて、一杯飲みとうなってきた。
「焼酎や!」
怒鳴ったら、ドアを開けんうちに「ハイ!」ゆうて三郎の返事や。すっきりせぇへんから、やっぱりサウナ、行こかいな。親鸞はわしの顔色で察したんやろ。
「実は、中道は勘違いされやすいのです」
気を取り直したように話し始めた。
「中道というのは〝真ん中〟とか〝どっちつかず〟とか〝ほどほど〟にといった意味ではないのです。お釈迦さまに次の言葉があります」
と言って、口にした。

《(施しの食物を)得たのは善(よ)かった」「得なかったのも善かった」と思って、全(まつた)き人(完全で欠けたところのない人)は、いずれの場合にも平然として還ってくる。あたかも(果実をもとめて)樹のもとに赴いた人が、(果実を得ても得なくても、平然として)帰ってくるようなものである》

「おわかりになりますか?」
「わかるわけないやろ」
「僧侶が托鉢(たくはつ)します。食べ物の施しを受ければ喜び、そうでなければガッカリする。施しを受けて嬉しいが《楽》で、受けなければ不満に思うのが《苦》。喜びにも不満にもとらわれない心―これが中道ということです。
ちょっと理屈っぽくなりますが、施しの食べ物がそこに存在するかしないかは《客観》で、それをどう思うかは《主観》です。つまり二元論でものごとを見ている。だから対立という苦が生じます。しかし、施しがあってもなくてもよいという思いは、《客観》に《主観》を一致させ、一元論でものごとを見ることになります。だから対立は生ぜず、したがって苦も生じないということになります」
「そうか!」
「わかっていただけましたか?」
「極道の世界で、こんな言葉があるんや。『バカでなれず、利口でなれず、中途半端でなおなれず』―。この言葉が何を言わんとしているのか、なんとなくわかるようで、いまひとつわからんかった」
「はァ」
「生き馬の目を抜く世界や。バカじゃ、使いもんにならんし、利口な人間はハナから極道になんかならへん。中途半端はバカと利口の中間におってウロウロしとるヤツで、損得ばっかり考えとるから、極道のような厳しい世界は務まらん。となったら、極道になれる者は一人もおらんことになる。そやろ?」
「理屈から言えば」
「ところが、いま兄ィちゃんの言葉で目からウロコや。バカと利口という両極端を離れて、バカもよし、利口もよしと達観でける男が極道として大成する。そういう意味なんや」
「……」
「損も得も考えず、清濁を黙って合わせ飲む。これや、これが極道や!」
長年のつっかえがとれた気分やで。
「三郎、中道やど!極道は中道やど!」
酎ハイをお盆に載せた店主をしたがえて、三郎がちょうど部屋に入ってきたんで教えたったら、
「は、はい!」
直立不動で返事や。ええ若い衆になるやろ。

四諦八正道

親鸞が壁の時計に目をやった。
今日はしゃべりっ放しや。熱も入っとる。わしは飲みながらやからええけど、さすがに親鸞も疲れたやろ。ひと息ついて、ぬるうなった茶をうまそうに飲んどる。
ここまで仲ようなったんやから、これから先、何があっても警察に駆け込むこともないやろ。ついでながら、おかげで仏教のこともだいたいわかったが、やっぱり極道に仏教は無縁やな。わしが「人生は苦なり」言うてみい。世間に笑われるだけや。それに坊さんと縁を持つのは、歴代組長の供養と、若い衆が殺(や)られたときくらいでええやろ。
ためになる話を聞かせてもろたが、それはそれや。樹木は冬になったら葉っぱ落として生き延びるが、極道がそれをやったら落ち目に見られて、メシの食い上げになる。せやから、真冬でも目いっぱい枝を伸ばして葉っぱをつけとる。栄養分が無(の)うて苦しゅうても、ここは辛抱や。ミエだの、やせ我慢だの、煩悩だのと言われても、極道やっとる以上、それはしゃあないことや。
「講義もあと一、二回やな」
親鸞に言うた。いきなりやめるのもなんやから、地ならしや。兄ィちゃん、うなずいて、
「今日はあと五分か十分で終わりにしましょう。《四苦八苦》のお話をしたので、《苦》の結論に触れておきたいので」
そう言うた。

釈迦は中道を説いたあと、さとりに向かう方法として《四諦八正道》を教えたそうや。《四諦》とは四つの真理という意味で、《苦諦(くたい)》《集諦(じつたい)》《滅諦(めつたい)》《道諦(どうたい)》があるゆうて、親鸞が漢字をメモに書いて見せてくれた。《八正道》はその実践いうことや。
わし、高校を一学期中退しとるから勉強のことはようわからんけど、《諦》という字は確か「あきらめる」という意味やないか?ケチつけるわけやないけど、なんでこれが真理やねん。
「いい質問です」
親鸞が喜んどる。これまでもそうやが、話をする側としては質問されるんは嬉しいんやろな。
「おっしゃるとおり《諦》は、訓読みにすると〝あきらめる〟です。〝しょうがない〟という意味で、いい言葉としては用いられていませんが、もともと〝あきらめる〟とは〝明らかに見る〟という意味なんです。このことから《諦》とは、明らかに見たもの―すなわち真理という意味になるのです」
「なるほど、聞いてみなわからんもんやな」
酎ハイを掲げて、先をうながした。
「一番目の《苦諦》とは、これまで繰り返し説明してきたように《人生は苦である》という真理です。《四苦八苦》を思い出してください。二番目の《集諦》は苦の原因のことで、苦しみを招き集める原因は煩悩であるという真理です。三番の《滅諦》は、苦の原因である煩悩を滅した境地が涅槃(さとりの世界)であるという真理です。そして最後の《道諦》で、涅槃に至る八つの方法である八正道を説きます。つまりお釈迦さまは苦は四諦をもって消滅できると、お説きになったのです」
なんのことやらさっぱりやけど、質問すると長(なご)うなるんで、黙ってうなずいたら、八正道とかいうもんについて、これもズダ袋から書き付けを取り出して見せた。

正見(しようけん)……正しい見解。
正(しよう)思惟(しゆい)……正しい思索。
正(しよう)語(ご)……正しい言語。
正(しよう)業(ごう)……正しい行為。
正(しよう)命(みよう)……正しい生活。
正(しよう)精進(しようじん)……正しい努力。
正(しよう)念(ねん)……正しい思いの持続。
正(しよう)定(じよう)……正しい精神統一。

つまり、八つの正しい道や。この八つの正しい道を歩むことによって、煩悩を滅し、涅槃のさとりに至ることができるとゆうわけや。
「お釈迦さん、ええこと言うな」
「はい」
「せやけど」
「何か?」
「八正道をやっとったら、極道は生きていけんがな」
わし、兄ィちゃんのボールペンを手に取って、メモ帳に書かれた八正道をの「正」の字を、一つずつ口に出しながら書き換えた。
「悪見、悪思惟、悪語、悪業、悪命、悪精進、悪念、悪定……。八つの悪い道や。この八つの悪い道を歩むことによって、煩悩を燃え盛らせ、立派な極道になっていくんや」
酔うたわけやない。
せやけど聖人君子のような生き方を説かれたら、カチンとくるやないか。極道は反社会勢力や。そう言われとる。カタギの表社会から見れば、わしらは裏社会になるやろ。それは否定せん。けど、表裏は一体やろ?「八正道」があるなら「八悪道」もあるし、二つは一体や。
「それに」
「それに?」
「カタギがどれほど立派やゆうねん。政治家を見てみい、官僚を見てみい、非正規労働者を会社の都合でええように使うとる経営者を見てみい。わしらとどこが違うんや」
自分でもようわからんが、もやもやと腹立たしい気分になってきてもうた。
親鸞は、最後に、話はあと二回て言うとった。しゃあない。辛抱したろやないか。けど、極道に能書きは通じへんで。

四章 絶対他力(ぜったいたりき)

弱肉強食の世の中や。「自力」でなんとかすんのが男やろ!

―— 念仏一つで往生すると親鸞は説く。
意はわかれども、易やすき道であるがゆえに往くは難かたし。
信心とは何か、救われるとはどういうことなのか。
組長の、さらなる気づきである。

「極道」道

極道の数が年々少のうなってきた。
二万人を切ったのが、二〇一六年やと、テレビニュースが言うとった。その十年前の半分以下や。わしが生まれた一九六三年が最盛期で、十万人を超えとったそうやから、二割以下になったいうことになる。キツイ、アブナイ、将来の保証なし。これ以上の〝ブラック企業〟はないやろ。
それでもゼニが儲かるんなら辛抱もするやろが、バブルが弾けた平成は不景気の時代。中堅クラスの組員でさえ年中ピーピーしとる。極道なるヤツは、そりゃ、おらんわな。
「この業界、マンパワーでっせ」
と、さすが大学出の安倍は難しい言葉つこうとるが、実際のところ、いまこうして関東鬼神会に攻めてこられてみて、組の力は組員の数やいうことが身にしみてわかる。
わし、一歩も退く気ないし、ドンパチ上等や。けど抗争はゼニがかかる。ドンパチ始まったらシノギでけんから、組員を食わさなあかん。パクられた組員の弁護士費用、留守家族の生活費……。ヘタしたら〝戦費〟で組がツブれてまうで。
ツノ突き合わせるときは、相手は本気かハッタリか。そこを見きわめなあかん。鬼神会は本気でコトを構える気でおるんかどうか。話の落としどころはあるんか、ないんか。
「おまえ、どない思う?」
昼前、安倍が事務所に報告に来たんで、さっそく敵状分析や。
「向こうもメンツがありますさかい、ウチが突っぱねたら黙ってへんでしょう。兵隊を動員して乗り込ん来るいう話ですわ」
「関西で勝手なマネしたら、他の組が黙ってへんやろ」
「鬼神会と親戚づきあいしとる組が多いんで黙認でっしゃろ。そこらへんを考えたら、コトを構えるより共存共栄したほうが得策やないですか。戦略的互恵関係ゆうて、敵対する中国とアメリカかて共存共栄を目指しとります。昔のように縄張(シマ)を〝死守(しもり)〟する時代とちゃうんやないですか」
「ほう、子が親に意見するんか。わしも幸せもんやで」
安倍、さっと顔色変えて、
「出過ぎた口きいて、えろうすんまへんでした」
若頭(かしら)はナンバーツーやゆうても所詮、親と子や。越えられん一線がある。頭下げて、そそくさと出て行きよった。
極道にとって縄張は命や。戦略的互恵ナントカは、勝負する度胸のない組がやるこっちゃ。極道は縄張をよその組織から死守して、縄張内(うち)のカタギ衆に安心して暮らしてもらう。そのために用心棒代(ミカジメ)も取るし、賭場も開帳する。ゼニの取り立てもする。安倍も組の将来を考えて心配しとんのやろけど、愚直さも大事や。うまいこと立ち回ることばかり考えとったら足元を掬われる。
そんなことを思うとったら、
「組長、親鸞が来よりました」
三郎が応接間のドアから顔をのぞかせて言うた。

卜占祭祀

相手の心理状態は顔を合わせた瞬間にわかる。というより、会わせた瞬間にしかわからん言うことや。親鸞、気合いが入っとる。
「元気やないか」
「組長が本気で、私の説法を聞いてくれているからです」
「ただ聞いとるだけや」
「仏法は毛穴から入ると言います。居眠りしながらでもいいんです。繰り返し、繰り返し聞くことで、毛穴からしみていく」
「身体が抹香臭くなるがな」
わし、笑(わろ)たが、ホンマは溜め息つきたいところや。関東鬼神会との一件だけやない。娘の美香がこの夏前、劇団の一次審査を受けよる。娘は人生かかっとる。思いつめとる。女房も必死や。父親が極道やったら試験に落ちるかもしれんし、そうなったら、わしのせいや言(ゆ)うて二人して睨みよる。娘に一生怨まれるのだけは、かなわん。
「何か心配事でも?」
親鸞がきいてくれたとき、
(せや!)
と閃いた。
この兄(に)ィちゃんに合格祈願をしてもらえばええやないか。立派な木札―縦二メートルくらいの祈願札をつくってもろてプレゼントすれば、わしの気持ちが娘にも女房にも通じるやろ。辛抱して抹香臭い話を聞いてやってるんや。そのくらいのことさせたかてバチは当たらんやろ。それに、親鸞はエラそうなことばかり言うとるが、娘を合格させる祈願力が無(の)うて、何が仏法や。
親鸞に娘の試験のことを説明して、「ひとつ頼むで」と言うたら、
「ダメです!」
恐い顔して言いよった。
「何でや」
「祈願は自己中心の心―すなわち、欲望から起こるものです。願いが叶えば感謝の気持ちが起こりますが、叶わなかったらどうですか?〝あれだけお願いしたのに〟と不平不満の心が起こります。自分勝手な願いとは思いませんか?自分の都合で神仏に祈る生き方、これこそが問題なのです。どうぞ、祈願にすがりたくなったとき、自己中心の心から離れられない自分に気づいてください。この気づきによって自己中心の欲望から解き放たれ、新たな人生が始まるのです」
「能書きや!」
わし、声を荒げた。
親鸞の言うことがわからんわけやない。親鸞の言うとおりかもしれん。たぶん、言うとおりやろ。けど、人間は弱い。祈願したくなるのは当然やろ。
「神様、仏様、どうぞ助けておくんなはれ」
神仏にすがってどこが悪いんや。
人間の素直な気持ちやないか。

娘を思う親の気持ちを踏みにじられたようで、わし、腹が立った。返答によっては、このまま追い返したる。
けど、親鸞は落ち着き払って、こう言(ゆ)うた。
「祝言や葬儀にさいして、吉日だ仏滅だといったこと気にします。明確な理由があるわけではなく、古くからの慣習であり、迷信であることは誰でも知っています。知っていて、それにこだわるのはなぜかと言えば、慣習に逆らうことに何となく不安があるからです。
もっと言えば、私たちは―そうと意識するかどうか別として―明日をも知れぬ人生に漠とした不安をいだいて日々を生きているということです。占いや祈願などにすがる人は、すがることによって〝不安の正体〟に気づくことなく、一生を不安と二人三脚で歩きつづけることになるのです」
この不安の正体こそ、これまで説明した煩悩であると親鸞は言うて、和讃(わさん)とかいう自作の歌を口にした。

かなしきかなや道俗(どうぞく)の
良時(りようじ)・吉日(きちにち)えらばしめ
天神(てんじん)・地祇(じぎ)をあがめつつ
卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす

「悲しいことに、僧侶も在家の人々も、日時の善(よ)し悪(あ)しを選ぶことをすすめたり、天地の神々を崇(あが)めて、仏を崇めることを忘れている。占いや祈祷(きとう)を頼りとし、福を求めようとするとは」
そんな嘆きの意味やそうで、坊主が加持(かじ)祈祷によって病気を治したり、あれやこれやと祈願するのは決してお釈迦さんの教えではないと、これはすごい迫力で言いよった。ま、仏教もいろいろ宗派もあって、わしにはようわからんが、親鸞がイヤや言うとる以上、合格祈願は頼まれん。
けど、ただイヤですじゃ、愛想ないんやないか?
親鸞、わしの気持ちを察したんやろか。こないなこと言いよった。
「娘さんに伝えてください。合格を目標に努力するのではなくて、努力したら結果として合格した―こうあるべきだと。合格を目標にすれば、合格しなければ努力が無駄になる。努力した日々は何だったのだろうかと後悔するでしょう。そうではなく、今日という日を一所懸命に努力し、完全燃焼しようと思って生きれば、たとえ不合格でも努力した日々に悔いは残らない。明日という不確かなものを仰ぎ見て今日を生きるべきではなく、今日を今日として生きていく。このことを伝えてあげてください」
なるほどな。目標を持つのは大事やけど、そのことだけを目標に生きるのは、つまずいたときにしんどいかもしれん。カチンとくることもあるけど、ええことも言いよる。
「競馬と一緒やな」
「はっ?」
「馬券勝負で競馬をやると、ハズレたときにガッカリや。けど、馬同士が競争するという競馬そのものを楽しめば、ガッカリはない」
「似てはいますが……、ギャンブルとは、ちょっと違うんじゃないでしょうか」
当惑しとる。何事もマジメに考えすぎるところが、やっぱり欠点やろな。結果を考えんかったら、何だって気楽や。そのことでは親鸞の言うとおりや。けど、わしより二回りも若い兄ィちゃんが、なんでそないに老成してるんや?そもそも親鸞とか名乗るこの若者は何者なんや?
どうでもええと思ってきたことが気になってきよった。


平安時代の生まれやて?

「兄ィちゃん、生まれはどこや」
きいてみたら、京都の東南―日野の里や言う。それにしては訛(なま)りがないなと思たら、関東での生活が長かったそうや。
「関東で何しとったんや」
「布教です」
「そら、ご苦労やったな。実家は寺か?」
「いえ、父は日野有範(ありのり)と言って、藤原氏末流の下級貴族です」
とすると、この兄ィちゃんは貴族の末裔(まつえい)ということか?たいしたもんやないか。
「けど、貴族の末裔が何で坊さんになったんや?」
「一家の没落だと聞いています。私が得度するのは九歳のときで、母の吉光女(きつこうによ)を亡くした翌年にあたります。出家した理由はそのあたりに事情があったのではないでしょうか」
「なるほど、家庭環境やな。わしはその逆で、前にも言うたかしらんが、母子家庭や。それで極道になった。兄ィちゃんのように父子家庭やったら、わしも坊主になっとったかもしれんな」
ガハハと笑(わろ)てみせたが、親鸞はそれには乗らず、
「時代状況というものもあったと思います。当時の日本は、藤原氏を中心とした貴族政治から武家政治に変わろうとする激動の時代です。加えて天災地変の続発、さらに飢饉や疫病のために京の都は死者があふれ、鴨川に捨てられました。死骸が鴨川の流れを堰(せ)き止めたものです。こういう時代性もあって、父は私を僧侶にしたのではないでしょうか」
「兄ィちゃん」
「何でしょう」
「それ、いつの時代の話や?」
「平安末期ですが」
「へ、平安時代……」
親鸞が初めて事務所に来たときのことがよぎる。浄土から還(かえ)ってきたと言うた。
「兄ィちゃん。還相ナントカやな」
「還相回向(げんそうえこう)です。亡くなって浄土に往生することを往相回向(おうそうえこう)、浄土から仏のハタラキとしてこの世に還ってくるのを還相回向と言います。いまから一五〇〇年ほど前、中国浄土教の開祖とされる曇鸞(どんらん)が、著書『浄土論註(じょうどろんちゅう)』によって顕(あきら)かにしたものです。これを《往還・二相》と言い、浄土教では大切な教理……」
「もうええがな。ついでがあったら、またあとで聞かせてもらうさかい」
やっぱり春先やな。ええことも言うし、まとも以上にまともに見えるんやが、ちょっとなあ……。せやけど話がズレるんは極道もおんなじや。ヨタ話、眉ツバ話、大ホラ話ならみんながしとるから、わしは馴れとる。せっかく、こうして顔を合わせとるんや、話は楽しめばええ。
「それにしても九歳で得度は、また早かったんやな」
みたらし団子に手を伸ばして―あっ、言うの忘れとったが、親鸞が手土産に持ってきよったんや。わし、甘いもんは嫌いやが、みたらし団子は醤油味やさかい一、二本は食べる。そんなことを前に親鸞に話したかもしれへん。気をきかせて持ってきてくれたんやろ。ゆっくり話を聞こやないか。ホンマでもウソでも、ホラでも何でもええ。実際がとこ、兄ィちゃんの話はためになることもあるんや。

明日ありと思う心

わしが感心したのは次の話や。
「仏教は《今》を問題にします。《未来》も《過去》も字のごとく、《未来》は未(いま)だ来たらざるもの、《過去》はすでに過ぎ去って手の届かざるものです。したがって仏教では時間の流れを今、今、今、今……の連続とするのです。明日という日は来るかどうかわからないし、昨日にもどることは不可能ということです」
「なるほどな」
わし、みたらし団子を置いて考え込んだ。これ、極道の生き方とおんなじやないか?命懸けの毎日や。メンツがかかればズドン。明日はどうなるかわからん。つまらんことで懲役行ったあとになって、過ぎたことをあれこれ後悔してもどうにもならなん。
「兄ィちゃんの言うとおりや」
「おわかりいただけますか」
親鸞の顔に喜色が浮かぶ。
「わかるがな。極道の生き方と一緒やで」
「極道?」
「せや、極道や。ズドンで、明日はどうなるかわからんのじゃ」
「……」
親鸞、複雑な顔してわしを見とるが、ええ話やないか。明日をあてにするから、今日の生き方を迷う。関東鬼神一家がナンボのもんじゃ。
そのときドアがノックされ、
「県警の麻生さんがみえました」
三郎が伝えた。

わしが返事するより早く、麻生警部補が三郎を押しのけるようにして入ってきた。いつものことや。去年やったか、三郎が怒って「何さらすんじゃ!」と立ちふさがったら、公執(公務執行妨害)で現行犯逮捕や。あいつら国家権力やさかいな。逆らうのは天にツバするようなもんや。わしらが悪さするおかげでマル暴がメシ食えとるんやから、「持ちつ持たれつやないか」と言いたいで。
「兄ィちゃん、また来とるんか?」
麻生警部補が親鸞に言うた。
「はい、引きつづき仏法の講義をしています」
「悪いこと言わんから、ほどほどにするんやで」
麻生は、わしのハラ探りに来たんや。さっそく本題に入りよった。
「鬼神会はどないする気じゃ。手ぇ打つんか、ドンパチやんのか」
「極道の筋を通すだけや」
当たり前のことを言うたら、麻生が「フン」と鼻を鳴らして、
「鬼山、気ィつけよ。言うとったるがな、〝突撃!〟いうて振り返ったら自分一人やったいうこともあるんやで」
わし、顔色変わったかもしれん。まさか若頭(かしら)の安倍が……。一瞬、そないな思いがよぎった。そんなアホなことがあるかい。麻生の攪乱(かくらん)戦法や。
「そんときは一人で玉砕や」
高笑いしたら、
「あとで泣くんやないで」
肩を怒らして出て行きよった。

二十年を費やしてさとれず

事務所のドアが乱暴に閉まる音を聞いてから、親鸞が続ける。
九歳で得度して、すぐ比叡山延暦寺に上がったそうや。延暦寺は寺院の名前やのうて、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三地区に点在する堂塔の総称やて。点在ゆうたかて、三塔十六谷三千坊やから、山そのものがお寺みたいなもんや。
「しかも」
と親鸞が説明する。
「当時の比叡山は日本天台宗の総本山であるだけでなく、教学・戒律・密教・禅という四つの思想を学ぶことのできる総合大学でした。ここから巣立って一宗を開いたのは法然(ほうねん)(浄土宗)、一遍(いっぺん)(時宗)、栄西(えいさい)(臨済宗)、道元(どうげん)(曹洞宗)、日蓮(にちれん)(日蓮宗)など錚々たる宗祖がいます。不肖、私も比叡山から出て、やがて浄土真宗を開くことになります。
延暦寺は大教団ですから、弊害というのか、世俗の権力や享楽に染まり、僧侶にあるまじき堕落の一面もありましたが、仏道を極めんと命懸けで修行する人たちもたくさんいました。十二年間、山に籠(こも)って学問と修行に専念する厳しい修行を籠山(ろうざん)と言いますが、この制度が比叡山にはありました」
なるほど、極道の部屋住みと一緒やな。わし、先代の下(もと)で三年間、みっちり部屋住みしとる。掃除から洗濯から犬の世話から、来客の案内、お茶出し、電話番、洗車……、何もかもや。外出はメシの買い出しのときくらいやから〝着たきりスズメ〟のジャージや。そのまま寝ればパジャマにもなる。便利いうたら便利やけど、楽やないで。
その話をしたら、
「そうでしたか」
親鸞、感に堪えぬ顔しとった。

まさか坊主と極道が話が合うとは思わんかった。部屋住みの話をしたら親鸞、うなずいて、いろんな修行した言うて話し始めた。たとえば常行三昧(じょうぎょうざんまい)という修行は、十メートル四方ほどの常行三昧堂で不断念仏を行うんやて。阿弥陀仏(あみだぶつ)の名を称(とな)え、阿弥陀仏を念じながら、堂内の阿弥陀仏像の周囲をぐるぐるまわる。二十四時間、九十日が一サイクル。絶対に座ったらあかん。ご本尊のまわりに手すりがあって、疲れたらこれにすがって歩くし、身体が動かんようになったら、天井から吊り下がったヒモにつかまって休むんやて。
「厳しいな」
「はい」
「九歳から二十九歳まで二十年間、教学を学び、坐禅を組み、念仏を唱え、血を吐くような修行を積みました」
「たいしたもんや。さとったのはいつや?」
「さとれません」
「さとれなかった?」
「はい。―定水(じようすい)を凝(こ)らすといえども識浪(しきろう)しきりに動(うご)き、心月(しんげつ)を観(み)ずといえども妄雲(もううん)なお覆(おお)う……。私の心は常に細波(さざなみ)が立ち、心にさとりの月を眺めようとしても、煩悩に覆われて見ることができないでいたのです」
「二十年の修行を積んでもあかんか?」
親鸞、黙ってうなずいた。二十年やで、二十年。坊さんが比叡山に二十年も籠ってさとりを開けんのやから、わしら凡人はどないなことしても、さとりは不可能やな。
「はい。凡夫というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋(いか)り腹だち、そねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで止(とど)まらず消えず絶えず……。煩悩は死ぬまで消えないのです」
「前にそないなこと言うとったな」
「それは、のちになってわかったことで、比叡山にいるときはその真理に気づかず、苦悩しました」
「そやろな。実は―いまやから言うんやが、わし、部屋住みやっとったときに疑問を持ったことがあるんや」
「組長が?」
「うん。辛抱することで人間修行にはなると思う。それは確かや。けど、見方を変えたら部屋住みは楽なんや」
わし、前々から思うとること言うた。部屋住みはメシ食えて、寝るところがあって、じゅうぶんとは言わんが小遣いかてもらえる。言葉が悪いが飼い犬やな。ところが早い内から若い衆抱えて一派を持ったら、そうはいかん。メシ食うために必死でエサを漁る。野良犬や。飼い犬と野良犬と、どっちがはよう本物の極道になれるか。
「部屋住み修行は必要やとわしは常々言うとるが、それは若い衆に一本筋が通っとらんからで、極道に必須のもんとは思うとらんのや」
比叡山と極道の部屋住みと一緒になるのかどうか知らんが、なんとなく親鸞の言うとることがわかるような気がして、
「で、どないしたんや」
先をうながした。

聖徳太子の夢告

親鸞は、法然(ほうねん)とかいう坊さんのことを考えたそうや。京都東山の吉水(よしみず)で、念仏による救いを説いておったんやて。念仏いうたらナンマンダブ(南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ))や。ナンマンダブを称えるだけで職業や身分の貴賤に関係なく、すべての人が救われるという教えや。これを専修(せんじゆ)念仏とか言うらしいが、たいへんな人気で、貴族から百姓から盗人、遊女にいたるまで、あらゆる階層の人間が帰依(きえ)を受けとるんやて。
念仏を称えるだけで救われるんやから、そら人気も出るやろ。
「法然、あやしいのとちゃうか?」
思たとおりのことを言うたら、
「とんでもない!法然上人(しようにん)のことを悪く言ったら、私は怒りますよ」
目ェ剥いて怒りよった。組長を脅かす坊主なんて聞いたことないが、それほど心酔しとるんやろう。
法然は親鸞より四十歳年長やから、親子以上に歳がちがう。比叡山の先輩で、法然は四十三歳で山を下りるまでの三十年間、黒谷で命懸けの修行を積んどったそうや。しかも全国から俊才が集う比叡山で、「知恵第一の法然坊」と謳われたほどの人間なんやて。経蔵に籠って『一切経』とかいう経典の大全集数千巻―数千巻やで。求道(ぐどう)のため、これを紐解いて何度も読み返したいうんやからたいしたもんやないか。それでも納得できず、苦悶して最後の最後にたどり着いたのがナンマンダブの専修念仏というわけや。
「法然に会(お)うて、どないやった?」
「それが……」
「会いに行かんかったんか?」
「はい。法然上人の教えは、当時の仏教界からすれば異端でした。盗人や遊女まで念仏一つで救われるなんて、世の中を乱す邪説だと激しく非難されていたんです。私も迷いました。法然上人に教えを請うてみたい。しかし、二十年も修行した比叡山を捨てることにはためらいがありました」
「なるほどな」
親鸞の気持ち、わかるがな。極道かて、盃を下ろされた組がイヤになったからゆうて代紋違いに走ってみい。ややこしいことになりよる。まして法然とかいう一家は日の出の勢いやろ。わしらならドンパチや。
「違うか?」
「おっしゃるとおり、これから大変なことが起こります」
「やっぱり!兄ィゃんは若いから鉄砲玉で飛ばされたんちゃうか?わしが親分やったら殺(や)らせてまうがな。で、法然のこと、どこまでわかっとったんや?わしらが狙うときは、相手の立ち回り先から愛人のマンションから何でもわかっとる。くわしゅう話してみいな」
「ちょっと、身を乗り出さないでください」
親鸞が眉をひそめて、
「私が講義におうかがいしているのは仏教の話をするためです。トラブルについてはあとで話しますから、もう少し辛抱して話を聞いてください。念仏一つでなぜ救われていくか、ここが仏道の要なんですから」
「わかった」
わし、ソフアに背中をあずけた。みたらし団子は二串でじゅうぶんや。腹にものを入れてもうたから缶ビールっちゅう気分やない。缶酎ハイも炭酸やから腹がふくれる。せや、ブランデーでも舐めたるか。
「三郎!」
ドアに向かって怒鳴った。

迷いに迷うた親鸞は、洛中―京都のど真ん中にある六角堂に籠ることにしたそうや。百日間の参籠(さんろう)や。これから自分の進むべき道について、聖徳太子(しようとくたいし)の夢告(むこく)を求めたと言うとる。まさか聖徳太子の名前が出てくるとは思わんかったが、六角堂は聖徳太子の創建なんやて。太子は救世観音(くぜかんのん)菩薩の化身で、六角堂に参籠する修行者には夢告がある―そう言われとったそうや。
知らんかったが、聖徳太子は仏教を中国から日本に取り入れたお人で、「和国の教主」やゆうて親鸞は敬慕しとったんやて。「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」―この世にある物事はすべて仮の物であり、仏の教えのみが真実である―そないな意味の言葉を太子は遺しておるそうや。
で、参籠して九十五日目の未明のことやったそうや。親鸞が、わしの眼を真っ直ぐ見て言うた。
「白いお袈裟(けさ)をまとった救世観音様が。僧侶のお姿で……」
「現れたか!」
親鸞、コクリとうなずいた。
救世観音に化身した聖徳太子は、こないなことを言うたそうや。

仏道修行者よ。おまえがもし過去世の報いによって、戒律を破り結婚するようなことがあれば、私〈観音〉が玉女の身〈麗しき女人〉となって、おまえの妻になろう。そして、おまえの一生を仏道として美しく荘厳し、臨終には極楽へ導いていくであろう―。

要するに聖徳太子は、
「比叡山を下りて法然のところへ行け。案ずることなく、市井の人と同じ普通の生活をするなかで救われていく」
そう言うたわけや。
聖徳太子がホンマにそないなこと言うたかどうか、わしにはわからん。親鸞の錯覚かもしれんし、心の奥底で法然に惹かれとって、その思いが夢告になって現れたのかもしれん。夢枕に人が立つこともあるやろ。いずれにせよ、当の親鸞が「眼にお姿が見え、この耳にお言葉が聞こえました」と言うとるんやから、わしが四の五の言うことはないやろ。
それにしても、親鸞の話は思いもよらん方向に転がっていきよる。仏教は思うとった以上に奧が深そうやないか。

妻帯肉食

坊主は葬式をする人間や。子供かて、このことわかっとる。しかし、昔は違う。仏教は国家仏教で、国家鎮守(ちんじゅ)のためのものや。庶民のことなどハナから相手にしとらん。したがって説法を聞くことができるのは貴族など特権階級だけで、それが当たり前やった。
ところが法然が、
「それ、おかしいやないか」
と言うて〝待った〟をかけた。
「すべての人間を平等に救ってこそ仏教」
そう言うて門戸を開いただけやなく、念仏一つで救われると説いた。
これ、法然が考えたんやないんやて。いまから千四百年ほど前―中国・唐の時代。善導(ぜんどう)大師という高僧が著した『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物を研究していて、法然は次の一節を見つける。

《一心に専(もっぱ)ら弥陀(みだ)の名号(みようごう)を念じて、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の時節の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざる者、これを正定(しょうじょう)の業(ごう)と名づく、かの仏の願に順ずるが故に》

親鸞によればこの意味は、
「一心にひたすら阿弥陀仏の名前を称え、行動しているときも、家にいるときも、座っているときも、寝ているときも、いつでもその仏をひと時も忘れず、捨てないことを本当に正しい行いというのです。なぜならば、それが阿弥陀仏の衆生(しゅじょう)を救うという誓願による行いだから」
ということになる。
(釈迦が説いた真理はこれや!)
法然は確信し、浄土宗を開いたのだと親鸞は言うた。
「私は……」
法然に初めて会(お)うたときのことを思い出したんやろう。親鸞は感動に声を震わせながら言いよった。
「法然上人のご人格とお念仏という教えに心酔し、それから百日のあいだ、雨の日も風の日も一日も欠かすことなくお訪ねし、お聴聞を重ね、〝私の生きる道はこれ以外にない。もし私が法然上人にだまされ、そのために地獄に堕ちるようになっても後悔せず〟―そう決心したのです」
おおげさに聞こえるかもしれんが、わし、ようわかる。極道の世界も似たような出会いがある。だから親分(おやじ)のために身体懸ける。殺(や)られても、無期懲役打たれても後悔なんかせえへん。地獄にかて喜んで堕ちたる。それが男や。坊主も極道もホンマもんは似とるいうことやろう。
親鸞をちょっと見直したが、わしが衝撃を受けたのはこのあとの言葉や。
「そして私は法然上人に助言を仰いだうえで、妻を娶(めと)り、子をなし、肉を食らい、〝破戒坊主〟と世間から罵倒されるのです」
この兄ィちゃん、端正な顔に涼やかな目をして、度肝を抜くようなことをさらりと言いよる。

親鸞は、妻帯ということに頭を悩ませていたそうや。坊さんが嫁さんをもらうのが当たり前になったのは明治以降のことで、それ以前は妻帯・肉食などもってのほか。絶対にありえへんことやったが、親鸞に言わせればそれはあくまで表向き。坊さんたちの妻帯は〝公然の秘密〟で、世間は「隠すは上人(しょうにん)、せぬは仏」と陰で言うとったそうや。
親鸞は、これが許せんかった。
「僧侶の妻帯をどう思われますか」
法然に問うたら、
「坊さんの身で念仏できないというのであれば、嫁さんをもらえばよかろう。嫁さんがいるために念仏できないというなら、嫁をもらわなければよい。結婚するとかしないとかはどうでもよいこと。要は、念仏のさまたげになるかどうか、この一点で判断すればよい」
大切なのは念仏をすることであって、そのほかのことは世間がどう思おうといいではないか―そう言うた。
「よし!」
親鸞は決然として嫁さんもらうことにしたそうや。
女子(おなご)を抱きたかったら、ほかの坊主とおんなじように隠れてやればええやないか。
「それをなんでわざわざ結婚したんや?」
わしがあきれて言うたら
「法然上人のお説きになる専修念仏は出家・在家の区別なく、念仏によってすべての者が救われるとします。ならば自分が妻を娶り、子供をもうけ、肉を食し、在家にあって念仏の道を歩いてみせよう。そう思ったのです」
世渡りの不器用なやっちゃ。坊主の妻帯は公然の秘密であっても、「秘密」というタテマエによって世間は見て見ぬ振りをしているわけや。ところが「わし、結婚します。肉も食います」ゆうて宣言したらアウトや。親鸞に言わせれば、京の町は騒然とし、「色坊主!」「堕落坊主!」「破戒僧!」―悪口雑言(あつこうぞうごん)が浴びせかけられたそうや。
「後悔したやろ?」
「いえ」
「なんでや」
「ただ仏恩(ぶつとん)の深きことを念(おも)うて、人倫(じんりん)の嘲(あざけ)りを恥(は)じず」
親鸞はそう言うた。意味を問うのもなんやから黙っとったが、「世間がナンボのもんや」―そういう居直りや。
ええ根性しとるやないか。それは認めたる。ウチの組でスカウトしたいくらいやが、一つ気にいらんことがある。「念仏一つで救われる」という教えや。安易やろ?安易なこの教えでよしとする親鸞の気構えが、わしにはどうも気に入らんのや。
「男は命懸けの修行を通して、さとりを開くもんやないのか?」

難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)

親鸞、黙っとる。残った団子を口にくわえてから、ぬるうなったお茶を飲んだ。どう言うたもんか、迷っとるんやろう。
親鸞と法然―。できのいい二人の僧侶がそれぞれ二十年、三十年の過酷な行を積んでもさとりは開けんかった。ましてフツーの人間はどうやっても無理や。それはわかる。わかるが、やっぱりチャレンジするべきやろう。無理やから言うて、安易な念仏を称(とな)え、阿弥陀如来におまかせしてよしとするのは間違いやないのか。
「おい、黙っとらんでなんとか言わんかい」
キツイ声で言うたら、
「行をして自分の力でさとりを開こうとすることを『自力(じりき)』と言います」
親鸞が穏やかな口調で話し始めた。
「これに対して、阿弥陀仏の本願力(ほんがんりよく)―私たち衆生(しゆじよう)を必ず救いとるという阿弥陀さまの願いのお力によって浄土(極楽)へ参らせていただくことを『他力(たりき)』と言います。他力という言葉は、自分以外の力に頼るという意味でよく用いられますが、仏教においてはそうではありません。浄土に往生してさとりをひらくための〝仏の力〟のことを言うのです」
嚙んで含めるように続ける。
「いま『他力』は安易とおっしゃいましたが、念仏で救われるという行為は易(やす)きことからこれを易行道(いぎようどう)と言い、『自力』の修行を難行道と言います。難行道は、行為として難行であることはもちろんですが、むしろ難しさは『自力』という執着から離れられないことにあります。なぜなら、自分の力でなんとかしてみせるという考えこそ驕(おご)りであり、煩悩であるからです。
たとえば、組長が部屋住み修行をしているとき、同じ部屋住みの人間に対して〝自分はあいつより辛抱強い〟といった思いを持ったことはありませか?」
あるな。ケツ割ってトンズラしたもんは何人もおって、そのたびに「根性なし」ゆうて笑(わろ)たもんや。
「おわかりですか?『自力』には優劣を競う気持ちがついてまわるのです。さとりを目指しながら、どんどん煩悩の世界に搦(から)め捕(と)られていく。『自力』を捨て、『他力』という阿弥陀仏の本願に後生(ごしよう)をおまかせするというのは、私たち凡夫は自分の力を恃(たの)みとする煩悩にとらわれているため、なかなかできないことなのです」
「なに寝言ゆうてんねん!」
それで納得すると思たら大間違いや。
「阿弥陀仏がどこにおるんや?浄土がどこにあるんや?ハッキリ言うてみい。おるかおらんか、あるかないかわからんもんを、どうやって信じろいうんや」
仏教の話は、わしの〝土俵〟とちゃうから、どうも言いくるめられるような気がしてくる。ここは一発カマしとかなあかんのじゃ。

ところが親鸞、あわてず騒がずや。
「おっしゃることはよくわかります」
さらりと受け流して、
「でも、実体をこの目で確かめ、在るとわかったら信じる。それは信心とはいわないのです。在る、ないを超越して、阿弥陀仏に浄土往生をおまかせできるか、ここが肝心なのです。仏の生起本末(しようきほんまつ)を聞きて疑いあることなし―これを信心と言います」
極道の掛け合い(談判)と一緒で、みんな我田引水や。うっかりうなずいたらあかんのや。わし、黙って聞いとる。
「仏の生起本末というのは、阿弥陀仏がまだ法蔵比丘(ほうぞうびく)という修行者であったときに、衆生(人々)を救いとることができなければ、自分は悟りを得て仏に成ることはできないと誓って四十八の願を立てたことです。〝あなたを必ず救います〟という仏の言葉を聞いて疑いあることなし―いいですか、疑わないじゃないんです。〝疑わない〟も〝信じる〟も自分の意志であって、『自力』を恃みにする判断です。これに対して〝疑いあることなし〟は自分の判断は一切かかわっていない。これが、おまかせです」
たとえば、プールに母親が入っとって、我が幼子に「○○ちゃん、お母さんが受けとめるから飛び込んでおいで」と声をかけるようなもんやと言う。母親の言うこと素直に聞く子は何の疑いもなく飛び込むが、そうでない子は、
「大丈夫かな」
「ちゃんと受けとめてくれるかな」
と疑う。
だから飛び込むことがでけんと言うわけや。
「信心もそれと同じです。仏の力とは、はからい(考え)に凝り固まった自分に気づかせ、そこから解放してくれるハタラキのことを言うのです」
「ウーン」
わし、考え込んだ。自分のことに置き換えな、理解でけん。
「指を詰めるときと一緒やな」
「はっ?」
「イヤやな、とか、痛いかな、とか、親分はなんでわしに詰めさせるんや、とか、思い切ってノミを叩かなあかん、とか、あれこれ考えるんやのうて、〝指詰めんかい〟〝はい〟で、なにも考えずに指を落とす。そういうことやな」
「似てはいますが……」
「似てりゃ、取りあえずそれでええやないか。なんとなくわかってきた」
「なんとなく、ですか?」
「なんとなくや。ハッキリはわからん」
「それでいいのです。わからない、わからないでお聴聞していくうちに、ひょいと腑に落ちるときがやってきます」
親鸞は柔和な笑みを浮かべて、
「難中之難無過斯(なんちゆうしなんむかし)」
という言葉を口にした。「阿弥陀仏の本願の念仏を素直に信じて喜ぶことは難の中の難であって、これに過ぎた困難、これ以上の困難はない」―そういう意味やそうや。
ただナンマンダブ言うて手を合わせるだけや思とったが、奧は深いんやな。

自力と他力

「ひと息、入れよか」
三郎に言うて親鸞にジュース持ってこさせ、わしはブランデーを注ぎ足した。
グラスを手のひらで転がす。わしはせっかちやから、ブランデーが波打って膝に散りよった。馴れんことはするもんやないな。舌打ちしたところへ、わしのガラケーが鳴りよる。着信表示を見たら女房や。すぐに電源をオフにした。どうせろくでもないことや。夫婦の会話、人様に聞かせられへんやろ。
「どうされますか?もう少し『自力』と『他力』についてお話しをしましょうか?退屈でしたらやめますが」
ここまで話を聞いておいて、退屈なんて言われへんやろ。

「仏教は《自力》と《他力》の二つに大別でき、自力を《聖道門(しようどうもん)》、他力を《浄土門》と言います。聖道門はこの世でさとりをひらき、浄土門は念仏によって彼岸(涅槃)に至り、そこでさとりを開くものです。浄土門の法然上人はひたすら念仏することで極楽浄土へ行けるとしました。これが専修念仏で、〝私から仏〟ということで自力の要素が入っています」
ところが、法然の弟子であった自分―つまり、わしの眼の前におる親鸞は―やがて独自の解釈に至ったそうや。「念仏を称えようと思った、そのときすでに救われている」とし、これを自力の要素のまったくない「絶対他力」と呼んだんやて。
法然と際立った教義の違いは臨終や。法然は臨終のときに仏さんが迎えに来るとしたそうや。これを《臨終来迎(らいごう)》と言い、来迎があるようにと生前、念仏をたくさん称えて功徳を積もうとする。これが《自力の念仏》やて。
とろが親鸞の言う《他力の念仏》は、念仏の数は問わない。
「なぜかと申しますと」
と、当の親鸞が言う。
「念仏の一声一声に仏の智慧と慈悲のハタラキが具(そな)わっているからです。しがって、自分の力で浄土に往生するのではなく、阿弥陀仏の本願力(ハタラキ)で浄土に往生させていただく。阿弥陀仏が必ず救うとおっしゃっているのですから、すべてをおまかせすればいいのです。すべてをまかせきるということから、方向性は「仏から私」になる。「私から仏」が自力で、「仏から私」が他力。真反対の転換になることから《絶対他力》と呼ぶのです」
なるほど他力は易行道と言いながら、これは「難中の難」かもしれん。わしのように極道を長くやっとると、頼れるのは自分の力だけ、信用できるのは自分だけいうことが染みついとる。
極道だけやない。どんな組織も〝椅子盗りゲーム〟やろ?下から上がってくるヤツは蹴落とす、上を行くヤツは足を引っ張る、同僚は背後からズドンと殺(い)てもうて、上司は寝首を掻いて自分がとって代わる。
人さまとつき合いしとって、「疑いあることなし」とかノンキなこと言うとってみい。泣くのは自分やないか。
人間はツノを突き合わせて生きとる。そういう生き物や。弱肉強食とはよう言うたもんで、ちょっとでも気ィ抜いたらたちまち食い殺されてしまう。生きたいように生きたいと思ても、そうはでけんのや。親鸞かて、生きたいように生きようと、肉食妻帯して世間から袋叩きに遭(お)うとるやないか。

出る杭が打たれるのは世の習いや。法然が説く念仏の教えがどんどん広まるにつれて、既存宗派は朝廷を動かし、法然と親鸞は流罪(るざい)になったそうや。法然は四国の讃岐(さぬき)(現在の香川県)、親鸞は越後(えちご)(現在の新潟県)や。親鸞が赦免(しやめん)になるのは流罪から五年目、三十九歳のときやった。その二ヶ月前に、親分の法然が亡くなる。法然教団の跡継ぎをめぐってもいろいろあったんやろう。それに昔のこっちゃ。幼子を連れて京都までの旅は遠い。しばらく越後にどとまったのち、関東へ旅立ったそうや。
以後、二十年間、小島(茨城県下妻(しもつま)市)の草庵や、稲田(いなだ)(茨城県笠間(かさま)市)の草庵に住んで伝道に勤め、ここで『教行信証(きようぎようしんしよう)』とか言う代表作を書いたと言うとった。

それにしても、親鸞の昔話、なんや知らんが、えらいリアリティがあるやないか。ホンマ、こいつの頭の中、どないなっとんのや。

五章 悪人正機(あくにんしょうき)

善人より悪人の方が救われる? テキトーなこと言うてんやないど!

—―「善人なおもって往生を遂とぐ、いわんや悪人をや」
この言葉の真意を、誰が理解できるだろうか。なぜ悪人が救いの目当てになるのか。組長の呻しん吟ぎんと目覚めである。

裏切り

今日は人生、最悪の日や。
昼前、若頭(かしら)の安倍が事務所に来て、こう言いよった。
「引退してくれまへんか?」
いきなりやで。
なに言(ゆ)うたか意味がわからん。
わし、ポカンとしとったんやろ。
「引退してくれ―そう言うてまんがな。引退してわしに代目を譲るか、閻魔一家を解散するか、どっちでもええですよ」
そう言うてふんぞり返ったが、声が震えとった。そりゃ、そうやろ。自分の〝親〟に反旗を翻すんやから。まして、わしは〝人斬りの鬼ヤンマ〟やで。安倍も命懸けや。
「腹くくってモノ言うとんのやろな」
「組員の総意や」
「鬼神会にケツ掻かれたか」
「返事、明日までや」
それだけ言うて席を立った。

関東鬼神一家の絵図はわかっとる。安倍に代目を継がせて、組をまるごと吸収しようというわけや。
「うちとドンパチやっても勝ち目はない。あんたを直参(じきさん)に取り立てるから、このさい鬼山組長を引退させて代目を継いだらどうだ」
こう言うたはずや。
昔は極道の抗争ゆうたら、ドンパチの総力戦や。組の大きい小さいは関係ない。死ぬまでやる。組が潰れるまでやる。ところがバブルが起こって経済ヤクザとかいうもんが幅をきかす時代になってからは、抗争も損得でするようになった。ドンパチやるより、ナンバーツーあたりを抱き込んで、組長の寝首を搔かせたほうが得やいうことになる。寝首搔くほうにしても、義理やなんやは古いと思とる。そんなこんなで、あっちの組、こっちの組と内紛が起こっとる。
せやけど、うちの組だけは大丈夫。そう思とった。ところが、まさかや。
すぐ、主だった組員に電話した。
コールしとるが誰も出ぇへん。着信表示を見てシカトしとるんやろ。わしとサシで話しをして、ケツまくれる組員はおらん。「電話に出たらあかん」―安倍がそう指示しとるはずや。
(やられた……)
結論はもう出とる。安倍と差し違えたろ思たが、もう手遅れや。あがいたら恥の上塗りになる。

昼過ぎになって、親鸞がやってきよった。
「お気に召したようなので、みたらし団子を買ってきました」
いつものように涼やかな目で、ニッコリ笑顔や。わしが極道の正念場を迎えとるというのに、腹立つやないか。
「やめや」
「はっ?」
「講義はやめや。帰(い)ね」
「なにかあったのですか?」
言いながら、もうソファに座っとる。
「クーデターや」
わしも話し相手が欲しかったんやろな。さっき安倍が来て話したことを言うた。
「三郎さんの姿が見えませんが、三郎さんも?」
「みたいやな。恩を仇で返すっちゅうのは、こういうことを言うんやろ。三郎は十六のときから面倒を見てるんやで。チンピラやっとったんやけど、両親が交通事故で死んでもうてな。住むところがない言うから、うちで引き取って部屋住みをさせたんや。手もとにおいて可愛がったつもりやが、まさか後足で砂かけるとはな」

いま振り返れば、クーデターの予兆はあった。
―コトを構えるより共存共栄したほうが得策やないですか。戦略的互恵関係ゆうて、敵対する中国とアメリカかて共存共栄を目指しとります。
安倍がそないなこと言うたときに気づくべきやった。それをわしは「子が親に意見するんか」言うて嫌味で叱った。まさか天下の「鬼ヤンマ」が安倍ごときに寝首を掻かれるとは、夢にも思わんことや。
腹も立てば、愚痴も出るがな。
「わかるやろ?」
親鸞に相づちを求めたら大きくうなずいて、
「私も同じような経験があります」
そう言うた。
ビックリや。兄(に)ィちゃんみたいな素直な人間でも裏切られるんかいな。
「で、オトシマエ、どないつけたんや?」
追い返すつもりやったが、思わず話し込んでもうた。

愛憎違順

親鸞の話はこうや。
弟子に信楽房(しんぎようぼう)という者がおった。下妻(茨城県)の人間や。ここは親鸞が越後から流れてきて最初に布教した地やから、信楽房は生(は)え抜きの弟子ゆうことになる。僧侶としてもみどころがあった言うとる。せやから目もかけ、自分の署名入りの仏教の経典を何冊も与えたりして可愛がったそうや。信楽房もよう仕えた。親鸞は六十すぎて京都へ帰るんやけど、信楽房は何度も京にのぼって親鸞の世話をした。
「ところが、その信楽房が……」
と、親鸞が悲しそうな顔をして言うんや。
「法文(ほうもん)の解釈に異説を唱えたのです。私は叱責しました。わかってくれるものと思っていましたが、信楽房は怒りました。怒っただけでなく、私を非難し、荷物をまとめ、御本尊と御聖教(しようぎよう)(経典)を持って関東に帰ってしまったのです」
これに他の弟子たちが「裏切り者!」と非難し、いきり立った。当然やな。わしらの世界やったらヒットマンを飛ばすところやが、坊主はそんなことせぇへん。弟子たちが問題にしたのは、親鸞が署名して与えた聖教とご本尊を「取り返せ!」ということになり、高弟の蓮位房(れんにぼう)が、
「よっしゃ、拙僧が追いかける!」
立ち上がったところへ親鸞が現れた。
「信楽房のことは放っておきなさい。縁があれば人は集い、縁が尽きれば離れていくもの。すべては縁によるものゆえ、私の弟子であるとか、他人の弟子であるとか言って争ってはなりません。本尊や聖教を取り返そうなど、断じて思ってはなりません」
こう言ってたしなめたんやて。
「達観しとるやないか。たいしたもんや」
わし、言うた。
皮肉やない。さんざん面倒みた人間に裏切られて、「すべてはご縁です」と言うて平気な顔を誰がでけるねん。わしの言うたことが皮肉に聞こえたとしたら、人間はそないな達観はでけんことを知っとるからやろ。
「どや、兄ィちゃん」
突っ込みやない、批難や。わし、きれいごとは大嫌いなんや。返答によってはテーブルひっくり返すで!

けど―いつものことやが―わしのどんな剣幕にも、親鸞はびくともせぇへん。
こう言うた。

無明煩悩(むみようぼんのう)しげくして
塵数(じんじゆ)のごとく遍満(へんまん)す
愛憎違順(あいぞういじゆん)することは
高峰岳山(こうぶがくざん)にことならず。

「煩悩についてお話しをしたように、《無明》は迷いの根源のこと、《愛憎違順》は自分の心に順(したが)う者に親愛の情(こころ)をいだき、違(たが)う者には瞋(いか)りや憎しみをいだくことを言います。迷いの心が塵(ちり)のように立ち込め、自分の心に順う者だけを溺愛し、心に違う者を怒り憎む有様はまるで高い峰や大きな岳(やま)を見るようだ―そんな意味です」
恩を仇で返されたと批難するのは身勝手なこと―そういうことや。それは、わからんでもない。犬かて、尻尾振って足もとにまとわりついてくれば、そら可愛いもんや。頭の一つも撫でるし、エサかてたくさんやるやろ。ところが、その犬が手のひら返して吠えてみい。腹が立つ。まして嚙みついてきたら、棒切れで頭カチ割ったるやろ。
「当たり前やろ。それのどこが悪いんや?」
「あなたは裏切られたことに怒っているのですか?それとも、裏切られるはずがないという思いが違ったことに怒っているのですか?」
「どういうことや?」
「相手に対して怒っているのか、それとも自分に対して怒っているのか。どっちなのかと私は問うているのです」
返事、詰まってもうた。そんなこと、考えたこともない。裏切ったら、それは裏切ったもんが悪いにきまっとるやないか。
「屁理屈や」
「裏切りとは何ですか?」
「裏切りは裏切りやないか」
「あなたが、たとえば三郎さんに右の道に行って欲しいと思っている。ところが三郎さんは、左に行きたいと思い、左の道を選ぶ。あなたは怒る。なぜ怒るのでしょうか?」
「右に行け言うとるのに、左に行くからや」
「では、右でも左でも好きなほうへ行っていいと思っていたらどうですか?」
「怒るわけないやろ」
「おわかりでしょう。三郎さんが左に行ったからあなたは怒ったのではなく、右に行けという思いに三郎さんが従わなかったから怒った。あなたは、あなたの思いが裏切られたこと―すなわち、あなた自身に怒っている」
「……」
「人間はそれぞれがいろんな思いと価値観をいだいて生きています。自分の意に従う人間は可愛いく、意に反すれば腹が立つ。この愛憎違順という煩悩をすべての人間がかかえている。みんな、それぞれに言い分があります。百人いれば百の理がある。だから自分の勝手な思いで相手を非難し、憎しみ合って生きているのではないですか?そんな生き方に、どれほどの意味があるでしょう」
はい、そうですか―というわけにはいかん。いかんが、親鸞の言うこともわからんではない。わしは何に対して怒っとるんや?そないなこと、これまで考えたこともない。
「メシ、食いに行こか」
返事も待たず、わしは立ち上がった。
安倍たち、どんな悪さするかしれへん。事務所におったら親鸞に迷惑かける。それに、もうちょっと親鸞の話しを聞いてみとうなった。いや、親鸞にわしの話しを聞いてもらいたい。そんな気になった。

無慚愧

馴染みの和食屋に部屋をとった。
にぎやかに網を囲む焼肉の雰囲気やない。和食にした言うても、煮えたものを取り分ける鍋やすき焼きの気分でもない。ゆっくり話しをするんなら、お膳ものがええ。これやったらお互いが干渉せずにすむし、話しの腰が折れることもない。なにを食べるかは、そのときの気持ちがあらわれるということを、このとき初めて気がついた。
親鸞はお茶、わしは銚子を頼んだ。
手酌や。

人間は嬉しいとき、悲しいとき、悔しいとき、腹が立ったとき、不幸のどん底に落ちたときは、人に話しを聞いてもらいたいもんかもしれん。わしとしたことが、二、三杯キュッとやっとるうちに、独り言のように言葉が勝手に出てきよる。親鸞なら聞いてくれるという安心感があったかもしれん。
「先々代の盃受けて四十年や。一家名乗りを許されたんは二十六のときやから、三十年になる。一家を大きゅうするためにはドンパチや。縄張(しま)を取るのも守るのも、力しかあらへん。わし、イケイケやから陣頭指揮や。懲役、何回も行った。裁判で死刑や無期を打たれとったら、ここにおることはない。そういう意味では、極道として恵まれとるとこれまで思てきたが、その結果がこのざまや。笑うしかないやろ」
言葉を切った。
親鸞、小さくうなずくだけで、何も言わん。
「わし、〝人斬りの鬼ヤンマ〟ゆうて恐れられとった。若いころは無茶もした。怒鳴るより先に匕首(ドス)でブスリや。なんでそないに荒れとったんか……。これまで考えもせなんだが、安倍に裏切られてみて気ィついた」
ちょっと迷ったけど、親鸞にそのことを話した。

十代の不良時代のことや。友だちと二人で居酒屋で飲んどって、客とケンカになった。相手は看板(組の名前)を出しよったが、貧相な小男やし、こっちも酒飲んで気が大きゅうなっとる。二対一や。店の外に引きずり出してボコボコにした。わしらもすぐに逃亡(フケ)ればよかったんやけど、そこはまだガキや。店にもどって飲み直しとったら、極道たちが五、六人乗り込んで来た。
わし、店の裏口から逃げたけど、友だちがさらわれてもうた。不良仲間を通して、「友だちを帰したるから事務所に引き取りに来い」―そういうて呼び出しがかかったが、わし、ビビって行かれへん。アパートに隠れて震えとった。友だち、半身不随にされて街角に捨てられとった。
「そないな自分が恥ずかしかった。一人前の極道になりたい思た。もう二度と逃げん。イケイケや。組を持ってからは若い衆にもそうさせた。ビビっとる人間見たら、昔の自分が甦(よみがえ)りよる。腹立って、木刀でしばき倒した。そのうち〝鬼ヤンマ〟と呼ばれるようになっとった」
「ご自宅で犬を飼ってるとおっしゃいましたね」
「ああ、トイプードルや。娘が可愛がっとるが。それがどうかしたか?」
親鸞の話しはいつも謎かけみたいにして始まりよる。

「犬や猫を畜生と言います」
親鸞はこないなことから話し始めた。
「《畜生》というのは仏教語で鳥・獣・虫・魚の総称です。無智にして、ただ食・淫(いん)・眠を貪(むさぼ)り、それゆえ畜生は苦しむ、とします。あるいは地獄道・餓鬼道・畜生道の三つの世界を《三悪道》とし、悪行を重ねた人間が死後に行く世界だと仏道では教えるのです」
「言われてみれば、そうかもしれん」
確かに、うちの犬は食・淫・眠のことばかり考えとる。腹が減ったら女房にワンワン言うて催促し、春先になったらメスを追いかけとる。用のないときはグーグー昼寝や。
「人間はどうですか?」
「似たようなもんや」
「そうですね」
親鸞が相づちを打って、ミシュランのガイドブックが世界的権威を持つことを考えれば、「食」を貪るということにおいて、人間は畜生をはるかにしのぐと言う。「淫」は言(げん)に及ばず。「眠」を怠惰に置き換えれば、まさしく人間になるし、さらに趣味や旅行、癒しといったことも、広義の意味で淫に入る―そう言うてから、
「では、人間と畜生との本質的な違いがなにかわかりますか?」
「答えはわかっとんのやろ。さっさと言うたらどうや」
「無慚愧(むざんき)は名(な)づけて人(にん)とせず、名づけて畜生とす」
《慚愧》の《慚》は自分に恥じること、《愧》は天に恥じるという意味の仏教語やて。無慚愧―すなわち、自分に対して、天に対して「恥ずかしさ」という思いをいだかざる人間を「畜生」と言うんやそうや。
「ここでいう〝恥ずかしさ〟とは、なにか失敗して恥ずかしく思うといったことではなく、煩悩にまみれた自分が、善人ぶって生きているという私の存在そのものを恥じ入るということです。組長は〝鬼ヤンマ〟と恐れられていることが、自分の過去に照らして恥ずかしいと言う。自分に恥じ、天に恥じ、《慚愧》の念を心のなかでずっと引きずっている。素晴らしいことじゃないですか」
ホメられるとは思いもせんことや。若頭(かしら)に寝首を掻かれて、わしは非常事態やで。これからどうするか身の振り方を考えなあかんというのに、なにが素晴らしいんや。
(兄ィちゃん、どうかしとるんちゃうか?)
説教はいつも熱心やけど、今日は―どう説明したらええかわからんが―真剣勝負を挑むような凄味があった。何かを伝えようと必死でおることだけはようわかったけど、何のためにそうまでして、わしに話しをする必要があるんや?それも不思議やけど、素性の知れない若造の話に耳を傾けとる自分が、わしはもっと不思議や。
盃を飲み干した。銚子が空になっとる。お代わりを頼もうかと思たが、やめた。女将が入ってきたら、親鸞の話しの腰を折ることになってまう。
「私は命を狙われたことがあります」
「兄ィちゃんが?」
親鸞、何を言い出すんや?

山伏の悔恨

親鸞が越後から関東に赴いた当時のことやったと言う。常陸(ひたち)国(のくに)(現在の茨城県)は山伏の弁円(べんえん)が一大勢力を張っていたそうや。山伏と言うのは加持祈祷(かじきとう)やな。病気も治せば、家内安全から自然災害を封じることまで、現世利益(げんぜりやく)は何でもござれやから、農民たちはこぞって弁円の信者になっとった。
そこへ親鸞が突如として現れ、稲田(茨城県笠間市)で布教を始めた。当初は弁円も余裕や。どこの馬の骨かわからんような坊主がなんぼのもんや―そう高(たか)をくくっとった。女房子供もおるし、肉も食(く)ろうとるというやないか。エセ坊主や。すぐに化けの皮が剥がれるに決まっとる。
ところが、日を追うごとに、念仏の教えが評判になっていく。やがて弟子もでき、常陸国はもとより、遠く相模(さがみ)国(のくに)(現在の神奈川県)など関東一円から続々と親鸞のもとに人が集まってきた。弁円の信者は激減や。このままでは死活問題になる。
頭にきた弁円は親鸞を殺すことにして、板敷山(いたじきやま)で待ち伏せする。親鸞が布教のためここをよく通るからや。板敷山は山伏の修験の場で、護摩壇(ごまだん)もある。勝手知ったる弁円の〝庭場〟やな。ところが、すれ違(ちご)うてばかりで、なかなか目的が果たせんかった。それで業(ごう)を煮やし、刀剣を振りかざして稲田の草庵(そうあん)へ乗り込んできた―と、あとで弁円がそれまでの経緯を親鸞に話したそうや。
驚いたのは親鸞の弟子たちや。
「裏口から早く!」
急(せ)かしたが、
「いや、会おう」
親鸞はそう言うたそうや。

ヤバイとなったら体(たい)をかわす。ひとまずかわしておいて態勢を整え、それからやりかえす。これがケンカのセオリーやろう。わしが親鸞なら迷わず体をかわす。いきがって命を落とすヤツ、なんぼでもおる。
「なんで会う気にやったんや」
話しの腰を折るようやが、気になるんできいてみた。
すると親鸞は、
「もし、私が弁円殿の立場であれば」
と、殺しに来た相手に〝殿〟をつけて、こう言うた。
「私も押しかけて行くでしょう。信者が離れていくということは、これまで心血を注いで民衆に説いてきた教えが否定されたことになる。弁円殿にしてみれば耐えられないことでしょう。それに―」
「それになんや」
「恨(うら)むも、恨まれるも、ともに仏法を伝える尊いご縁ではありませんか」
「ご縁やて?」
「そうです、ご縁です。道行く人も、すれ違ったりぶつかったりすることによってご縁が結べる。ありがたいことではありませんか」
わしはそこまで達観でけんが、親鸞は念珠を手に弁円の前に出て行ったそうや。
弁円の眼、血走っとる。
「やい、肉食妻帯のクソ坊主!わしが成敗してくれる!」
叫ぶや、弁円が剣を大上段に振りかぶった。
「どうした?」
「じっとしていました」
「何でや?」
「斬り殺されたら、それもご縁です」
「弁円はどうした?」
「驚いていました」
「そりゃ、そうやろ」
斬り殺されたらそれもご縁と思たら、親鸞は笑みが浮かんできたそうや。弁円はそれを見ると剣を足もとに落とし、膝をついて言うた。
「親鸞殿を妬(ねた)み、憎み、お命を狙っていたこの弁円、思えば恐ろしい悪鬼でした。どうか、お許しください」
悔恨の涙を流しとったと言う。

できすぎた話や。
誰でもそう思うやろ。けど、極道の世界におったら、この話は信じられる。男が男に惚れるんや。器量に惚れ込むんや。この人についていこう、ついていきたい―そう思う親分がおる。先代がそうやった。わしが大組織相手に不始末をしでかしたとき、先代が向こうの親分にこう言うた。
「わしの命で鬼山を勘弁してもらえるのなら、どうぞ取っておくんなさい」
命いらん―これが男や。
「弁円の気持ち、わしにはようわかるで。兄ィちゃん、弁円になんて言うたったんや」
「弁年殿はうらやましい―そう言いました」
「なんじゃ、それ?」
「私にも人を憎む心、殺したいと思う心は山ほどあります。でも、それを隠して生きている。善人ぶった偽善者です。それにひきかえ弁円殿は思いのままに振る舞っている。素直な心がうらやましいじゃないですか」
正直な男や。弁円が膝をついたのもわかるような気がする。弁円はその場で弟子になり、親鸞は明法房という法名を与えたそうや。
ええ話やないか。わし、感心して聞いとったんやが、親鸞の次の言葉に眼ぇ剥いた。
「組長は、安倍さんに感謝ですね」
「安倍?あの安倍か?」
「はい、あの安倍さんです」
「感謝やて?」
「はい、感謝です」
「コラッ、わしをおちょくっとんのか!アホなこと言うとったら承知せんど!」
頭に血が上ってもうた。

二種深信

わしが啖呵(たんか)を切ったらフツーの人間なら腰抜かすやろ。極道かて震えがくる。これまでそうやって渡世してきた。平然としとるのは、この親鸞だけや。けど、今度ばかりは返答次第で、わしも手ぇ上げるで。
「弁円殿が帰依(きえ)した理由はなんだと思いますか?」
静かに切り出した。
「器量に惚れた―そう言いたいんやろ」
「違います。私を通して、私のあずかり知らぬところで弁円殿は仏(ぶつ)のハタラキに触れたのです」
「……」
またや。また難しいことを言い出した。こういう展開になると、わしも思わず考え込んでしまうさかい、怒りはどこかへ飛んでまう。親鸞のペースやいうことはわかっとっても、つい耳を貸してしまうんや。
「さっき私は〝恨(うら)むも、恨まれるも、ともに仏法を伝える尊いご縁〟と言いました。これが《絶対他力》の講義でふれた仏のハタラキなのです。目をさませ、真理に気づけと仏が呼びかけてくださっているのに、煩悩に耳目を覆われた私たちは気がつかないでいる。弁円殿は、この私―親鸞憎しの一念で斬りかかろうとしたことを機縁として、仏のハタラキに気づいた。いえ、気づいたというのは正確ではありません。この身に仏のハタラキが至り届いていることを、仏のハタラキによって知らされたのです」
「それと安倍と何の関係があるんじゃ。なんでわしが安倍に感謝せなアカンのや。ごまかしたら承知せんど!」
親鸞は、わしの視線を跳ね返して言いよる。
「安倍さんによって、組長はいま引退に追い込まれようとしています。腹が立つでしょう。でも安倍さんのおかげで―組長にとっては煮え湯を飲まされたわけですが―それを機縁として、若かりしころ、仲間を見捨てて逃げたことが〝鬼ヤンマ〟として肩肘張った生き方になっているということに気づかされた。《慚愧》ということにも気づかされた。安倍さんのこのたびの行動もまた、仏のハタラキなのです」
「そないなこと言うたら、何でもかんでも仏のハタラキいうことになるやないか。犬が吠えても仏のハタラキなんか?道端でスッ転んでも仏のハタラキや言うんか?ヨタ言うたらあかんで」
「そうです。要はそれが仏縁となるかどうか。いや、仏縁として気づかされるかどうか。前に《絶対他力》ということを申しましたが、この気づきを与える仏の力を《他力》というのです」
言い返そうとして言葉が出てこんかった。わしの口から説明することはでけんが、何となく、何となく、親鸞がこれまで言うてきた「他力」ということが、皮膚感覚としてわかるような気がしたんや。

女将が銚子を二本、お盆に載せて運んできた。
「グッドタイミングやないか」
笑(わろ)たら、
「声を聞いていたらわかりますよ」
女も四十路(よそじ)をすぎたらズケズケ言いよる。
「わしの怒鳴り声がしとったんで、遠慮しとったんやろう」
「遠慮じゃありません。障(さわ)らぬ〝鬼ヤンマ〟に祟りなしです」
オホホホという笑い声を残して引き下がった。
「その〝鬼ヤンマ〟も堅気になるか」
手酌で二杯ほどキュッとやってから言うた。
言うてから、自分でもびっくりした。言葉がかってに口をついて出てきよる。
「わしはこれまで任侠道に生きてきた。強きをくじき、弱きを助けるやな。けど、ホンマにそうやろか。いま振り返ったら自信が無(の)うなってきた。任侠道を看板にして悪さばっかりしとったんやないやろか。いまさらわしに反省されても、これまでいじめられてきた堅気は腹立つやろが、これ正直な気持ちや」
「機(き)の深信(じんしん)ですね」

「なんや、それ」
「信心に関することです。わかりにくいかもしれません。お聞きになりますか?」
「わかるかどうか、聞いてみなわからんやろ」
「はい」
「話、聞こうやないか」

《深信》とは読んで字のごとく、「深く信じること」の意味で、《機の深信》と《法の深信》の二種ある。《機》は、わしら人間のことで、《法》は、わしらを救いとるという阿弥陀仏の本願のこと。本願は、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩だったとき、「衆生(人々)を救いとるまで仏にならない」と誓うたこと。親鸞がそう言うた。
で、それぞれの説明は次のようになる。

《機の深信》……自分は罪深い迷いの人間であると深く信じること。
《法の深信》……阿弥陀仏の本願によって、必ず往生すると深く信ずること。

「わかりやすく言えば」
と親鸞が説明してくれるには、
「罪深くて、地獄に堕ちるしかないこの私が救われる道は、阿弥陀仏の本願にすがることをおいて他にないと深く信じることです。自分の罪深さを信知(しんち)すればするほど、阿弥陀仏の本願を信知する。阿弥陀仏の本願を信知すればするほど、自分の罪深さを信知する。両者は不可分の関係にあって、これを機法一体と言い、浄土教の要の一つなのです。ただし〝信じる〟は、私の意志や判断ではなく、さきほど弁円殿の話しで説明したように、他力―仏のハタラキによって気づかされるということです」
「……」
「難しいですか?」
「せやな。仏のハタラキいうんが、いまひとつわからん」
「たとえば親の愛情に触れることによって、親不孝の自分に気づかされる。反対に、親不孝の自分に気づかされることによって、親の愛情に触れる。私の意志で気づくのではなく、気づかされてしまう。この作用をハタラキと言うのです」
難しいことは、わしにはようわからん。せやけど「念仏で救われる」「阿弥陀仏という他力によって救われる」という教えが難解やったら、庶民は見向きもせんやろう。ホンマは単純なんや。単純やから、それを信じることは難しい中でも一番難しいことなんやろう。親鸞が前から言うとった「難中之難無過斯(なんちゆうしなんむかし)」の意味はこういうことか。
これがわしの理解や。

悪人正機

銚子を三本あけ、四本目の首をつかんだところで、
「一杯いただけますか?」
親鸞が伏せていた盃を手にして言うた。
「珍しいな」
「今日で講義は最後です」
「別れの酒宴やな」
酒を満たしてやりながら、
「極道になるときは先々代から盃を下ろされ、足を洗うときは坊さんと盃や。極道とおさらばする葬式みたいやな」
笑(わろ)た。親鸞も笑た。わしの気持ち、もう吹っ切れ取る。
「組長はこれからどうされますか?」
「どうもこうもでけんやろ。ケンカするしか能がないんやから」
「僧侶になったらどうですか?」
「坊さんやて?」
笑いかけて、わしの顔が固まった。
親鸞、大マジメや。そりゃ、兄ィちゃんはアゴが立つからええやろ。何者か知らんけど、還相(げんそう)回向や言うて、鎌倉時代から還って来てどうしたこうした言うとったらメシが食える。わし、名前も顔も知れとるさかい、そんなんでけんがな。第一、今の今まで極道やっとったんやで。人も刺した。拳銃(チヤカ)も弾いた。恐喝はもちろん毎日のことやし、手形パクって人様の会社もずいぶんパンクさせた。賭博、ノミ行為、売春……、シャブ以外のシノギは全部やった。
「そのわしが坊主になる言うたら、阿弥陀仏さん、びっくりして空から落ちてきよるで」
わし、大笑いしたが、親鸞はニコリともせんで、
「びっくりなんかしませんよ」
「なんでや」
「阿弥陀仏の救いの目当ては〝悪人〟ですから」
「悪人?」
「はい、悪人です」
そう言えば、親鸞が初めて事務所へ来たときに言うた言葉を思い出した。
―あのう、こちらに悪人がたくさんいらっしゃると聞いてきたんですけど。
確かにそう言うた。涼しい顔してな。わし、飲みかけのコーヒー吹き出した。つい先日のことやないか。

「兄ィちゃん、わしらのこと悪人ゆうとったな。悪人がぎょうさんおるからここへ来たんや言うた」
「申しわけありません。安易に悪人という言葉を用いるべきではなかったと反省しています。ヤクザ社会は煩悩が集約されているという意味で言ったのです。仏法を説くなら、ヤクザ事務所が一番いいのではないかと思って」
「弁解せんでもええがな。阿弥陀さんかて、悪人が救いの目当てや言うとるんやろ。仏さんからも更生を願われとるんやから、極道も幸せもんや」
「違います」
「ムキにならんでもええがな」
「違うんです。ここで言う悪人とは、法律や道徳を基準とした悪人のことではなく、仏教の視点から見た悪人なのです。仏教では、善行を積んでさとりを目指す人を《善人》とし、悪人はその逆ということになります」
そりゃ、そうやろ。善行を積んでさとりをめざす。結構なことや。
「いえ、違うと私が言うのは、まさにそこなんです」
そして、親鸞はこう言うた。

「善人なおもって往生を遂(と)ぐ、いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、『悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願他力の意趣に背(そむ)けり」

どういう意味かというと、
「善人でさえ救われるのだから悪人はなおさら救われる。ところが、世間の人は常に『「悪人でさえ救われるのだから善人はなおさら救われる』と言っている。これは一見それらしく聞こえるが、阿弥陀仏が本願を立てた趣旨に反する」
ということやそうや。
すぐには意味が理解でけん。世間が言うとおり「悪人でさえ救われるんだから、善人が救われるのは当たり前」―これが正しいやないか?

ところが親鸞は、「善人でさえ救われるんだから、悪人が救われるのは当たり前」やと真逆を言うとる。おかしいやないか。善行を積んでさとりを目指しとる《善人》は、これでは浮かばれんやろ。
「せやろ」
「違います。善行を積むという人は大いなる錯覚をしていて、善行が積めると自分で思っているだけです。煩悩を解き放つことのできない私たちには善行は積めないのです」
そして、比叡山で行った過酷な常行三昧の修行について、動機は真摯であっても、過酷な修行に自分は耐えたという優越な気持ちは否定できないと言った。ここに修行の落とし穴があるそうや。
「わしは真冬に冷たい水を頭から五杯かぶった」
「わしは十杯や」
「わしは寒うて一杯もかぶれんかった」
「しょうもないやっちゃ」
これが、煩悩をかかえたわしらの修行やと親鸞は言う。修行は自分との闘いだけでなく、人と優劣を競うことでもある。善行に見えて善行やない。このことに気がつかない人間を《善人》と呼ぶ。
一方、《悪人》は、自分は煩悩にまみれとるから善行なんかとても積めん人間やと気づかされとる。さっきからくどいほど親鸞はこだわりよるけど、自分の力で気がついたんやのうて、仏に出遇い、仏のハタラキで気づかされた人間や。そんな自分―煩悩にまみれて救い難い自分を、阿弥陀仏が救いとると本願で誓うてくれてる。
「ありがたいこっちゃ」
と、ただただ感謝するしかない。だから親鸞は言う。
「自力を恃(たの)みとする傲慢な《善人》でさえ救われるなら、煩悩にまみれた自分に気づき、深く恥じ入る《悪人》が救われないわけがないのです」
「悪人か……。確かにわしは悪人や。大悪人やな」
納得してから、
「せやけど」
と疑問を口にした。
「善行を積む気はないし、自分は煩悩だらけという〝悪人〟の自覚もない人間はどないなるんや?」
親鸞はうなずき、にっこり笑って、
「そういう人が大部分だと思います。これからのご縁ですね。あとで振り返ってみたら、善行を積もうとしない、煩悩の自覚がない自分にも仏様の光が届いていたことに気づかされる。かつての私がそうでした。その結果、いま念仏を喜ばせいただく身になったのです」
そう言うて、法然が詠んだという和歌を口にする。

月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ

この意味について、親鸞は嚙んで含めるように、こう言うた。
「月の光はすべてのものを照らし、すべての里人に降り注いでいます。けれども、月を眺める人以外には、月の美しさはわからない。それと同じで、阿弥陀仏のお慈悲のこころは、すべての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて南無阿弥陀仏とお念仏を称える人のみが阿弥陀仏の救いをこうむることができる―そんな意味です」

このときの気持ち、うまいこと説明でけんけど、親鸞のそないな話を聞いとるうちに何かが―人生というんか、生き方というんか、将来というんか、何かが変わっていきそうな気がしてきた。ひょっとしたら、弁円もそないな気持ちやったんかもしれん。
「坊さんになるのも面白そうやな」
わし、笑(わろ)て言うた。
本気やない。せやけど冗談でもない。弾みやな。弾みで言うたら、
「ぜひ」
真顔でうなずきよったんで、ちょっとあわてたけど、ま、わしは悪人やからな。阿弥陀さんの救いの目当てや。
「兄ィちゃん、なんとかと言うとったな。氷が多いと水がどうとか……」
「罪障功徳(ざいしようくどく)の体(たい)となるこおりとみずのごとくにてこおりおおきにみずおおしさわりおおきに徳おおし―。組長はいい僧侶になると思います」
「ま、組のことが一段落してから考えてみるわ」
親鸞はうなずいて、
「仏教は、人生という海を航海する旅人にとって北極星のようなものです。昼間は周囲の景色を頼りにできても、夜になると真っ暗で何も見えなくなる。人生で言えば、どっちへ向いて進めばいいかわからず、進退窮(きわ)まったときです。やみくもに進めば座礁もすれば難破もする。そのとき、古来より不変の、北天の夜空にひときわ明るく輝く北極星をよりどころにするのです」
だが、北極星を仰ぎ見ることができるのは、頭上に北極星が輝いていることを知っている人間だけで、順風に帆を張って進む昼間は、北極星は決して見ることができない。その存在に気づくこともない―そう言うてから、
「すでにお気づきのように、《絶対他力》による救いとは、病気が治ったり、願いが叶ったり、苦悩がたちどころに解決したりすることではありません。阿弥陀仏の知恵と慈悲の光に照らされることによって、自己中心であった生き方に目覚め、そこから解き放たれ、生きる意味と生きる方向がしかと定まる。四苦八苦の人生において、どんな苦難をも乗り越えていくことができるのです」
「なんや勇気がわいてきそうやな。世間じゃ〝鬼ヤンマ〟ゆうて恐れとるが、弱いもんや。兄ィちゃんと話しとったら、おのれの弱さがようわかる。ありがとな。理解でけんところもあったけど、いろんな話しをしてくれて、ほんまに勉強になった」
「失礼なことを申したかと思います。お許しください」
「なに言うてんのや。せや、娘が喜んどった。合格を目標に努力するのではなくて、努力したら結果として合格した―こうあるべきやと兄ィちゃんが言うたこと伝えたら、気が楽になったそうや。わしからも礼を言うで」
「もっともっとお話しをしたいところですが、いずれの機会に」
親鸞は居住まいを正すと、一礼した。

独生独死独去

親鸞と別れた足で、関西極道の関係筋に挨拶をすませてから、夕方、早めに帰宅した。
「身体の具合でも悪いの?」
女房、びっくりしとる。アホなトイプードルもシッポを振りながら吠えとる。いつもならサウナで汗流しとる時間やな。このあとネオン街をひと回りして、家に帰るんは深夜か明け方や。そりゃ、びっくりもするやろ。
「わし、足洗うで」
いきなり言うた。
「風呂場に行って」
「アホ、堅気になるんじゃ」
女房、絶句や。
「ママ、どないしたん?」
娘の美香が二階から降りて心配しとる。
「パパが足を洗(あろ)て堅気になるんやて」
「ホンマ!」
喜んどる。学校や近所で「極道の娘」と言われるの、ちっちゃいころから嫌がっとった。「父ちゃんは、男の中の男やで」言うて胸張って見せて通じるんは、娘が幼稚園に入るまでや。周囲の人間の態度を見とったら、うちの父ちゃん、嫌われとるいうことがわかるがな。劇団の受験かて、極道の娘やいうことで落とされるんやないかと気をもんどる。わしが堅気になったら、そら喜ぶやろ。
「足洗(あろ)て何するの?」
女房はさすがに現実主義や。切り替えは速い。
「坊主になったろか思とる」
とは、まさか言えへん。頭が狂うたと思うやろ。あわてんと、様子見ながらまだまだ先のこっちゃ。
「これからゆっくり考えるが、とりあえず知り合いにゼニ投げて(貸し付けて)、なんぞ店でもやらせよう思とる。―ビールと刺身や」
女房に言うて、風呂場に行った。

サウナの風呂にはかなわんが、湯船に浸かると気持ちええな。浴槽の縁に首をあずけてボーッとしとるときが、いちばんの幸せや。
今日を振り返る。
大変な一日やった。青空から土砂降りの雨が降ってきたような気分や。本心を言うたら、腸(はら)がよじれるくらい頭にきとる。もし親鸞と出会(お)うとらんかったら、拳銃(チヤカ)抱いて走っとる。安倍の命(タマ)取ったら向こうは総崩れや。関東鬼神会にもヒットマン飛ばしたる。わしも生きとらんやろ。それでもええ。それが極道の生き方や。
けど、これまで何回か親鸞の話を聞いとるうちに、わしも心境の変化があったんやろな。理解でけたかはともかく、仏教が毛穴から入ってきよったんやろ。意地だメンツだゆうて神経をピリピリ尖らすのがアホらしゅうなった。
いま、わしは五十半ばや。明日のことはもちろんわからんことやけど、このままいけばまだ二十年は元気で身体が動く。ホンマに坊さんになるかどうかはともかく、これからどない生きるか、真剣に考えなあかんやろう。
帰り際、親鸞が色紙をくれたことを思い返した。

独生独死
独去独来
釋(しゃく)親鸞

そう書いてあった。「独生独死独去独来(どくしようどくしどつこどくらい)」と読むんやそうや。親鸞がわしに渡しながら、こう言うた。
「私が根本経典とする『無量寿経(むりょうじゅきょう)』の一節です。『人、愛欲の中にありて独り生まれ独り死し、独り去り独り来る。身(しん)みずからこれを当(う)くるに、代わるものあることなし』とお釈迦さまはお説きになられています。私たちは、生まれるときも死ぬときも、ただ独りでその苦難と立ち向かわなければならない。そして、私たちの人生は誰に代わってもらうこともできない、という意味です。
わが子がどんなに病気で苦しんでいようとも、親が代わってやることはできないし、自分の人生の苦しみを人に代わってもらうこともできない。人間すべて、かくのごとく独りであるという自覚をしかと持ち、自分の人生を独りで歩いて行くのだという決心をしてこそ、幸せで満ち足りた日々を送ることができるのではないでしょうか」
ええ言葉や。わしの座右の銘にすることにした。

往還二回向

風呂から上がり、ソファに座って冷たいビールでノドを潤す。
ノドも心も、スッキリしてええ気分や。
娘の美香がスマホをのぞきこみながら、隣に腰をおろして、
「あっ、親鸞という名前あるわ。けど……」
「けど、何や?」
「鎌倉時代のお坊さんよ。フェイスブックに登録してあるかと思て調べたんやけど、載ってへんわ」
「本人も鎌倉時代や言うとった」
「おかしな人とちゃうの?」
「かもしれん」
「かもしれんやのうて、おかしな人に決まってるやないの」
美香が大笑いしよる。
「けど、還相回向(げんそうえこう)で、いまこの時代におる言うとった」
「ちょっと待って、調べて見るから」
美香がスマホをいじって、
「あった!《往相(おうそう)回向》と《還相回向》のことやね」
「それや」
わし、グラスを置いて美香に向き直った。
「ちょっとパパ、そんな恐い顔せんといて」
美香が席をずらしてから、スマホの画面を読み始めた。
「中国浄土教の開祖とされる曇鸞(どんらん)の教説で、私たち凡夫(ぼんぷ)が阿弥陀仏の浄土に往生することを《往相》、そして浄土に往生して仏となった人が、迷いのこの世間に対してはたらきかけることを《還相》と言う。すなわち《往相》は、穢土(えど)(この世)から浄土に往(ゆ)くすがたのことで、《還相》は浄土から穢土に還(かえ)るすがたのことである。二つを合わせて《往還二回向》呼び、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗など浄土教における中心教義である。なお《回向》は、阿弥陀仏から私たちに回(めぐ)らし、振り向けられたという意味である」
「なるほど」
「まだ続きがあるよ」
と言って、美香が読み上げる。
「ただし、浄土からこの世に還ってくるといっても、実体的なものが還ってくるのではなく、阿弥陀仏のハタラキと一つになって還ってくるものである」
「実体的なもの……。人間が時代を超えて現れるわけやないんやな」
「当たり前やないの。いたら幽霊やわ。いややわ、パパ、大マジメな顔して」
美香が笑い転げた。
「せやな」
わしも笑(わろ)た。
幽霊や、幽霊に決まっとる。
この日を最後に、親鸞の姿を見ることは二度となかった。

あとがき

本書執筆の動機は、広域組織二次団体の若手組長に会ったことだった。
この組長は高級仕立てのダークスーツを着こなし、謙虚だが明瞭で、意志を的確に伝える話し方をする。話題も国内外の政治・経済から歴史、人生論と多岐に渡り、腕に嵌(は)めた超高級時計と足元のクロコの靴に気がつかなければ、一流ビジネスマンで通るだろう。ヤクザ社会の世代交代が取り沙汰される昨今、頷かされるものがある。
だが、打ち解けて会話すると、「義理」「筋」「縄張(シマ)」といった言葉の端々に「ヤクザ」が顔を出す。
「極道は損得で動くんとちゃいます。極道は極道の生き方と死に方があるんです」
というのはタテマエとしても、「自分たちはカタギとは違う価値観に生きている」という強烈な自負が彼らにはある。反社(反社会的勢力)と呼ばれ、国家から「社会の敵」と位置づけられながらも、ヤクザ・極道であることに矜持(きようじ)を持つ理由を、そこに見る。
だから、彼らの誰もが「頼れるのは自分の力だけだ」と口にする。私が会ったこの若手組長も、穏やかな笑みをたたえながら、
「坊さんは、二言目には〝生かされている〟という言い方をしとりますが、そんなぬるいこと言うてたら、この世界、三日と生きてはおれまへん。あたしらは生かされとるんやのうて、生き抜いとるんです。自分の力で」
私が僧籍にあることを意識しての揶揄(やゆ)だった。
このとき、本書を着想した。
現実世界を自力で生き抜くこの組長に親鸞が対峙(たいじ)して、「生かされている」という仏教教義を説き、さらに「悪人正機(あくにんしようき)」を説いたどうなるか。ヤクザを煩悩が凝縮された世界に見立て、これを写し鏡として仏法を説く手法である。
これまで私は、ヤクザの実戦心理術をテーマに多くの著作がある。仏教書も十冊を超える。ヤクザと仏教とのコラボ―それが本書である。

親鸞は六十を過ぎて関東をあとにして帰京すると、晩年は住まいを転々としながら執筆活動に専念する。「親鸞は弟子一人(でしいちにん)ももたず候(そうろ)う」と自身が述べているように、寺院を建立する意志はなく、「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎよう)」の精神で伝道を続け、一二六三年一月十六日(旧暦一二六二年十一月二十八日)、九十歳で往生する。
親鸞没後、末娘の覚信尼(かくしんに)が大谷の地に廟堂(びようどう)を建立し、第三代宗主・覚如(かくによ)上人がその廟堂を寺院としたことから本願寺が始まる。そして約二百年後、第八代宗主・蓮如(れんによ)によって本願寺は飛躍的に発展し、現在の大教団になっていく。
本書は、仏教や親鸞に興味はあるが、内容について詳しくは知らないという人を念頭に、入門書として書いた。仏教は奧が深く、本書は群盲(ぐんもう)が象を撫でたに等しいかもしれない。だが、象の全体の形はわからなくとも、象を撫でたことはまぎれもない事実である。これを仏縁として、象が実際はどんな形をしているのか、興味を持っていただければ幸いである。
なお、本書の執筆にあたり、若手ながら畏友の松戸市「天真寺」・西原龍哉副住職にさまざま助言を頂戴した。この場を借りてお礼を申し上げる。

二〇一八年六月
向谷匡史

向谷匡史(むかいだに ただし)
1950年、広島県出身。拓殖大学を卒業後、週刊誌記者などを経て作家に。浄土真宗本願寺派僧侶。保護司。日本空手道「昇空館」館長。主な著作に『浄土真宗ではなぜ「清めの塩」を出さないのか』(青春出版社)、『親鸞の言葉 明日を生きる勇気』(河出書房新社)、『ヤクザ式ビジネスの「かけひき」で絶対に負けない技術』(光文社)、『人は理では動かず情で動く』 (ベストブック)、など多数がある。



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救われます
15
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