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東京にある「絵になる廃線」 第2回 絵になる廃線「東京都水道局小河内線(後編)」

かつて日本各地に存在したローカル線の「廃線跡」を見つけて歩き、今はもう列車が来ない駅を訪れるなど、「鉄道に乗らない旅」を楽しむ人たちが密かに増殖中。ひとりでも仲間と行っても満喫できる、廃線の魅力や旅の楽しみ方を、エッセイストで地図研究家の今尾恵介さんが紹介します。

  ▲後半は第ニ水根橋梁より、奥多摩むかし道を通り、第四境橋梁、第三氷川トンネルへ。

蒸気機関車の煙がもくもくと集落へ

▲中山集落付近の「奥多摩むかし道」より奥多摩湖を俯瞰する。

 さて、試しにこの鉄橋の上を見に行ってみたが、草が茂っていて進むのは難儀そうなので、奥多摩むかし道へ迂回しよう。山道を一気に上り、国道を走る自動車の音をはるか下に聞ききながら中山の集落を抜けて行く。

 所々で奥多摩湖を俯瞰することができた。旧街道なので、馬頭観音や石仏などが目につく。馬の水呑み場と案内板のある石の水槽は古そうなもので、「東京府馬匹(ばひつ)畜産組合連合会」と彫られている。

 調べてみるとこの組合は、羽田競馬場や洲崎競馬場(江東区東陽)、八王子競馬場など戦前の競馬の主催者でもあったらしい。いずれにせよ、馬が大切な交通機関であった時代の話である。甲州へ抜ける主要街道であったこともあり、途中には商店の廃墟もいくつか残っていた。

▲かつて青梅街道として賑わった頃の商店と思われる建物が残る。

「奥多摩むかし道」こと青梅街道の旧道は、新国道411号につかず離れず並行しているが、あちらがトンネルに入るたびにこちらは迂回するので、累計の距離としてはだいぶ差がありそうだ。梅久保の集落を過ぎたあたりで高い橋脚をもった廃鉄橋が見えた。

 コンクリートの橋桁も撤去されずに残っていて、列車が走ってきてもおかしくないほど「新品」に見える。それもそのはずで、戦後の昭和27年(1952)竣工というのは、廃線としては新しい部類で、ちゃんと使っていればまだまだ耐用年数に余裕はある。

▲国道の白髭トンネルから見上げる小河内線のコンクリート橋。

 間もなく境の集落に差しかかった。このあたりは広大な「大字境」に属しているのだが、そのうち小字の境がここである。

 地名の由来としては「小河内と氷川の境」、またはかつて「武蔵と甲斐の境だった」という説もあるという。現在の多摩川流域は山梨県側まで広がっており(丹波山村全域と小菅村の大半、甲州市の北部)、考えてみれば中途半端なところに都県境つまり武蔵と甲府の国境が通っているので、かつて境界が東寄りだった説もありそうな話ではある。

 敷設してそれほど経っていなさそうな「福祉モノレール」の線路が段々畑の上の方へ続いている。このモノレールは高齢者や障害者が自力で車道まで歩いて出るのが困難な場合に、その住民の申請により奥多摩町が設置するもので、昨今では各地で見られるようになってきた。その上を高い鉄橋が跨いでいるが、これも小河内線のものだ。先ほどの白鬚トンネル上のと異なるのはガーダー橋であることで、緑色に塗られたそのガーダーはそれほど古びて見えない。やはりこれも西武鉄道が塗り替えたのだろうか。

▲プレートガーダーが残る第四境橋梁。福祉モノレールの新しい線路が潜り抜けている。

 60代後半とお見受けする地元のおじさんに話を聞くと、小河内ダムの建設工事に伴ってこの鉄橋を貨物列車が走っていた頃を記憶されていて、急勾配を上っていくので煙がすごく、こちらの集落の方までもくもくと降りてきたそうだ。なるほど平均25パーミルを超える急勾配で、しかも2つのトンネルに挟まれた区間で煙が立たないはずがない。

 放置されてすでに半世紀以上を経ているのだが、畑を見回っていると、たまに鉄橋の部品と思われるものが落ちていたりするという。橋桁が落ちなくても、部品が頭の上に落ちてきたら心配だろう。

「レッドアロー」が走ったかもしれないアーチ橋

▲南氷川の「奥多摩むかし道」にほど近い第一弁天橋梁。

 小留浦(ことづら)の近くの槐木(さいかちぎ)の休憩所を過ぎると「むかし道」は廃線の真上を通る。ここから斜面を少し下って廃線に降り立った。振り返ると電化を想定して立派なトンネルである。ここからはレールの残った線路を歩いてみよう。ガーダー橋の上を渡る個所もあるが、しっかりした部分を歩けば不安はない。「むかし道」が横切っている部分には、この線には珍しく踏切があったのだろう。

 この先は氷川の町に近いので次のトンネルは短いことだし、歩いて抜けてしまおう。銘板には「第三氷川 施工 熊谷組 昭和27年」と見える。少し歩いて振り返ったら「立入禁止」の文字があったけれど、「逆走」が幸いして後の祭りである。集落を俯瞰しながら築堤を歩くと、向こう側の斜面の麓に特徴的な奥多摩駅舎が見えた。左手には奥多摩工業のプラント。

 日原の石灰鉱山からは「曳鉄線」というエンドレスの複線ケーブルカーでここへ石灰石が集められているはずだ。小河内線跡はその先ほどなく私有地に入ってしまうので、このあたりで周慶院というお寺の墓地に降りていく。 

 なかなかの急斜面に設けられているから、お墓参りも足下に十分注意しないと危ない。日原街道まで下りると下栃久保バス停で、鍾乳洞・日原方面の表示があった。もちろん石灰鉱山と鍾乳洞は全国どこでもセットである。あの涼しさが恋しい季節になってきたが、トンネル内も意外なほど涼しい。

▲良い状態で残っている第三氷川トンネル。

 その先へ進むと見えてくるはずなのが全線最大の構造物で、コンクリートアーチの日原川橋梁である。前日にグーグルアースで見た限りでは「土砂崩れ」のように写っていたので、てっきり撤去されてしまったと思い込んでいたのだが、何かのエラーだったようで、現地へ来て見れば健在であった。木々に隠れて正面からアーチの全貌が見えないのは難点だが、優美な姿の一端を見せてくれただけで満足すべきだろう。西武鉄道の特急「レッドアロー」がここを通る姿を思い浮かべつつ……。

▲奥多摩駅の北方に位置するコンクリートアーチ橋の日原(にっぱら)川橋梁。

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