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【医療ミステリー】裏切りのメス―第50回―

【前回までのあらすじ】
 大学病院のベッドで目を覚ましたチーム小倉のリーダー下川亨。そばにいたチームのメンバー湯川利晴によると、昨晩、下川と妻・佐久間君代は一酸化炭素中毒で意識を失い、病院に運び込まれたのだという。湯川の救出が遅れていれば、大事に至った可能性もあった。死亡したメンバーの蒔田直也と白木みさおと同じ症状だった。下川は、これは事故ではなく、チーム小倉を狙った事件だと確信したのだった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<救出劇の全容>

 これまで私は、蒔田直也と白木みさおは殺されたと確信しながらも、事故の可能性も完全には否定しきれなかった。だが昨晩、私と佐久間君代の命が狙われたことで、敵の狙いがチーム小倉であるのがはっきりした。蒔田と白木の死因について、断定的な物言いを避けてきた元刑事の湯本利晴でさえも、私と佐久間が一酸化炭素中毒におちいった今回の件については、「事件性が高い」と言い切った。

 朝8時、病室に朝食が運ばれてきた。ベッドテーブルに、ごはん、鮭の塩焼き、おからの炒め煮、キャベツの浅漬け、ワカメと油揚げの味噌汁、グレープフルーツ、牛乳が並ぶ。

「ごはんでよかったですか」とベッドサイドの椅子に座る湯本が聞いた。

「クロワッサンやおかゆも選べたんですが、下川さんが眠っている間に勝手に決めてしまいました。一酸化炭素中毒を起こしたとはいえ、症状はそれほど重くなく、診察した医師からも普通に食事をしていいとお墨付きをもらっています。おかゆでは物足りないでしょうし、下川さんはごはん派だろうと思って……」

「ごはんで大正解。朝はコーヒーだけのことが多いんだけど、食べるとしたらやはり米だよね」と私は言って、冗談半分に「気つけの酒があれば、もっとよかった」とつけ加えたが、湯本はくすりとも笑わなかった。事件の流れを頭の中で整理している様子だった。

 朝にしては、意外に食欲があった。10分もかからないで、すべての皿をきれいに食べ終えていた。それを待っていたかのように、湯本は自身の推理を交えながら、私と佐久間の救出劇の一部始終を語り始めた。

「昨日は午後10時15分くらいから、下川さんのマンションの前に車を止めて、不審者が来ないか、あたりの様子をうかがっていました。それから1時間ほどたち、何か違和感を感じだした。怪しげな人影に気づいたわけではないのですが、第六感というか、元刑事の勘みたいのが働いたのかもしれません。とにかく、下川さんたちに危険が迫っている気がしたのです」

 昨晩は佐久間が10時すぎ、私もそれから10分後には就寝していた。日付が変わる前にふとんに潜り込むなど、めったにない。日中、4時間も歩き続け、からだには心地よい疲労がたまっていた。

「下川さんたちの身に異変が起こっているような気がした僕は、とりあえず携帯に連絡を入れたんです。ところが、下川さんは一向に出ない。佐久間さんの携帯も同様です。そこで、先日、番号を教えてもらったマンションの固定電話にもかけたのですが、やはり出る気配はなかったのです」

 固定電話の呼び出し音はまもなく、留守番電話に切り替わった。「下川さん、大丈夫ですか」と大きな声で呼びかけるようにメッセージを入れた。この声に私か佐久間のどちらかが気づけて、受話器を取ってくれればと湯本は期待した。だが、そうはならなかった。もう一度、かけ直し、再度、呼びかけたが、やはり反応がない。

 湯本は2人が熟睡しているのかと思った。だが、元刑事の勘が即座にそれを否定していた。留守番電話の最後に「いまから、そちらに行きます」とメッセージを吹き込み、湯本はマンションに入り、私の部屋がある7階にエレベーターで向かった。

「そのあとは先ほども言ったように、部屋の鍵は開いていて、ぐったりしている下川さんと佐久間さんを発見したわけです。そして僕は、つい直前まで犯人がこの部屋にいたのだと確信した。でも、そいつを追いかける余裕はなかった。まずは、2人の命を助けるのが先決でした」

 湯本もかなり気が動転していたようだ。昨年8月まで、現役の刑事として、さまざまな修羅場を見てきた男でも、身近な人間が目の前で危機に瀕しているとなると、冷静ではいられないらしい。119番するのがやっとだった。

「そんなにあせらなくても、よかったのかもしれません。幸い、下川さんと佐久間さんが吸い込んでいる一酸化炭素の量はそれほど多くなく、命にかかわるほどではなかったのです」

<一酸化炭素を生み出す装置>

 いくつかの疑問はあったが、とりあえずこちらから言葉は挟まず、湯本の説明を聞くことにした。「ここからは僕の推理ですが」と前置きして、湯本はこう続けた。

「3ヵ月前、蒔田さんと白木さんが亡くなったとき、一酸化炭素は練炭によるものと見ていたのですが、その見立ては間違っていたのではないかという気がしています。前回と今回がそれぞれ独立した事件だとすると、その方法も違うでしょうが、その可能性は低い。少なくとも、今回は練炭ではないやり方で一酸化炭素を発生させていると思われます」

 湯本も、一連の事件がチーム小倉の壊滅を狙ったものと見ているようだった。つまり、同一犯という見立てである。一酸化炭素を生じさせるために、この犯人は練炭ではない別の装置を用意したと、湯本は推察する。

「前回はともかく、今回は犯行時間があまりに短い。佐久間さんが寝たのは10時、下川さんは10時10分ころ。そこから完全に眠りに落ちるのに30分かかるとする。それを犯人が確認して、下川さんの部屋に一酸化炭素が発生する装置をセッティングする。一方、僕が下川さんの部屋に電話したのが11時15分。その5分後に部屋に入っている。犯人にとって、犯行に及ぶ時間は最長で40分。実際にはもう少し余裕をもった段取りを踏まないと、まず失敗する。となると、犯人に与えられた時間は20分前後しかなかったのではないでしょうか」

 私たちが寝静まったのを犯人がどう把握したかだが、蒔田と白木の事件と同じく、盗聴器を使ったのではないか。蒔田の部屋にあらかじめ、盗聴器を仕掛け、室内の状況を探っていたというのが私の推理だった。あくまでも素人考えにすぎないのだが、いまとなってはかなり信憑性が高い気がする。

 盗聴器を使ったとしても、回収してしまえば証拠は残らない。事実、蒔田の部屋からは盗聴器のたぐいはひとつも見つからなかった。今回の私の部屋については、まだ確認していないとのことだが、仕掛けられていたとしても、犯人によってしっかり回収されているだろう。いずれにしても、犯人が私の部屋に侵入したのは間違いないと、湯本は断言する。

「下川さんたちを診た救急医が命には別条ないと言ってくれたので、未明に部屋に戻っていろいろ調べてみたんですが、一酸化炭素が生じるような状況はどこにも見つからなかった。給湯器もチェックしてみましたが、不完全燃焼を起こしている気配はなかったのです。となると、第三の人物が部屋に入り込み、人為的に一酸化炭素を発生させたとしか考えられない」

 ただし、一酸化炭素を生み出す装置として使ったのは練炭ではなく、別の物というのが湯本の見立てだった。

「車の中とか、せまく閉じられた空間の中ならともかく、室内に置いた練炭が人体に影響を及ぼす量の一酸化炭素を排出するには、相当な時間が必要なのです。東京都生活文化局が行った実験では、危険とされる一酸化炭素濃度800ppmに達したのは、室内で練炭を燃やし始めてから1時間15分後だった。刑事時代、ある事件で無理心中か事故か判断しなければならないときがあって、このデータを参考にしたので、よく覚えているんです」

 では、犯人が練炭の代わりに用意した装置とは何だったのか。

「家庭用の小型発電機を使ったのだと僕はにらんでいます。これも、東京都生活文化局が実験をしている。稼働させて10分で一酸化炭素濃度は1600ppmを超えた。命にかかわる極めて危険なレベルです。短時間で犯行を完遂するには、もってこいの装置と言えるでしょう」

 発電機と聞いて、私は9年前の一酸化炭素中毒事故のニュースを思い出していた。2008年2月の厳冬期、長野県八ヶ岳連峰の赤岳の稜線に建つ山小屋で、宿泊客20人が頭痛、めまい、吐き気など、一酸化炭素中毒の症状を訴えた。うち15人はヘリコプターで病院に搬送。5人は自力で下山し、病院で診察を受けたが、幸い、いずれも軽症だった。

 当初、石油ストーブの不完全燃焼が一酸化炭素中毒を引き起こしたと見られていたが、実際にはその数値はかなり低かった。調査が進められていくうち、原因は24時間稼働させていた発電機の可能性が高いとわかったのである。

 このニュースがなぜ、脳裏に浮かんだかというと、時期は夏だったが、同じ山小屋に泊まった思い出があるからだ。いまから四半世紀も前のことである。

 医療系コンサルティング会社に勤めていた私はお盆休みに、同僚だった蒔田直也に連れられて、標高2899mの赤岳を目指した。蒔田は高校時代、ワンダーフォーゲル部に所属していて、登山が趣味だった。一方、私は山登りの経験がまったくなかった。蒔田の足手まといになりながら、なんとか頂上までたどり着いた。そのあと、山小屋で飲んだ缶ビールのなんと美味しかったことか。これまで何万本と私の胃の中に消えていったが、このときを超えるビールと出会ったことはない。

 蒔田は趣味を生かし、接待を兼ねて、自治体の医療担当者と一緒に埼玉や群馬の山によく登っていた。チーム小倉にとって、なくてはならない人材だった。私はあらためて、蒔田や白木の命を奪った犯人を何としても見つけ出し追いつめると心に誓った。
(つづく)


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