【医療ミステリー】裏切りのメス―第48回―
【前回までのあらすじ】
尾方肇との面談を終えたチーム小倉のリーダー下川亨は、同じくチームメンバーの湯川利晴と尾方について話し合った。やはり疑いが晴れず引き続き、湯本が調査することとなった。一方その頃、安井会グループの病院内でも看護師体制で問題が起こり、チーム小倉の面々は対応に追われていた。
陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。
<思わぬアクシデント>
証人となる人物に医療用麻薬オピオイドを盛って朦朧とさせて、空白の時間をつくるという発想は、我ながらよく思いついたものだ。しかし、しょせんは尾方肇を犯人と決めつけるための勝手読みの推理にすぎない。何の証拠もないのである。元刑事の湯本利晴も一瞬、目から鱗という顔をして「ありえるかもしれない」と言ってくれたものの、あまり賛同した様子ではなかった。
いずれにしても、この日を境に、しばらく犯人探しどころではなくなった。湯本と会った翌日(2017年2月27日)、4月1日にオープンする予定の医療モールにトラブルが発生したからだ。入居予定の皮膚科の医師が突然、亡くなってしまったのである。明け方に心筋梗塞を発症。家族が異変に気づき、救急車を呼んだが、病院に到着するころにはもう心臓は動いていなかった。まだ、42歳という若さだった。
皮膚科は医療モールの10診療科のうちで目玉になるはずだった。ターゲットの中心は幼児から少年少女の世代。アトピー性皮膚炎の治療に特化した診療科を想定していた。少子化の時代に冒険に映るかもしれないが、十分、勝算はあった。
医療モールができる群馬県南部の地方都市には、南米出身の日系人が多く住む地区があり、こちらで生まれ育った5世や6世の子どもが大勢いたのだ。そうした環境をバックに、まず小児科と産婦人科。さらには皮膚科も患者が見込める診療科だと確信していた。医療モールをつくろうと決めたときから、この3つは必ず入れようと考えていたのである。
急死した皮膚科の医師には気の毒だが、湯本と2人で通夜には顔を出したものの、それ以上の追悼は何ひとつしなかった。こちらとしてはとにかく、早急に対策を立てなければならない。医療モールがスタートする前に、診察にあたれる皮膚科の医師を見つけてこなければならないのだ。
といって、とりあえず穴を埋めればいいというものではない。各診療科がひとつひとつクリニックの形態をとり、開業医たちそれぞれが経営責任を負うのが医療モールの方式だが、私たち運営者側としては、統一したイメージを形成していかなければならない。医師たちに思い思いに突っ走られては困るのだ。施設の特色を壊さないためにも、全体の調和が非常に大切なのである。もし、ひとりでも評判の悪い医師がいたら、他の診療科にも影響が及び、ビルに閑古鳥が鳴くなんていうことにもなりかねない。
そうならないために、入居する開業医の審査にあたっては、医療モールの運営責任者となる湯本、私、そしていまは亡き蒔田直也の3人が面談に臨み、熟慮の末、選んだのだ。医療技術に関しては平均点以上あれば合格。まずは、人柄を中心に判断した。
医療施設を運営している以上、必ずといっていいほど、クレイマー問題にぶつかる。患者から文句を並べ立てられて、医療者側がキレたらおしまいである。だからといって、のらりくらりと受け流すような優柔不断な態度をとれば、患者の気持ちを逆撫ですることになりかねない。結局、誠実に接するしか、切り抜ける手段はないのである。医師の人格が問われるのだ。
だが、それでもどうしようもないケースも出てくる。理不尽なクレームを繰り返すモンスターペイシェントが出現したときは、医師や看護師ではお手上げの状態になる。医療モールの責任者に元刑事の湯本を据えたのも、防波堤の役割を担ってもらう場合も考えてのことだ。湯本は強面のタイプではないものの、やはり、警察官らしい威圧的な雰囲気をどこかに残していた。
皮膚科の医師探しは思った以上に難航した。安井会グループ傘下の9病院から、皮膚科の医師を派遣することも考えたが、そうなると、医療モールの趣旨から離れてしまう。各診療科は入居した開業医がそれぞれ責任を負うのが本来の姿。しかし、複数の派遣医師を使ってひとつの診療科を形成する場合、運営者側が直接、経営を担わなければならない。それでは、開業医らしい、患者の痒いところに手が届くような診察はできない。医療モールには、ベルトコンベア式に患者を診る総合病院の感覚は無用なのだ。
私は一匹狼で医療コンサルタントをやっていたときの伝手を頼り、開業医志向の皮膚科の医師を探した。誰でもいいというわけではない。水準以上の医療技術があればいいといっても、医療モールの看板診療科にしたいのだ。できれば、最新のアトピー性皮膚炎治療に通じている30代から40代前半の医師が望ましかった。近年は有効な新薬が次々に登場。既成概念が染みついているベテランよりも、そうした情報にヴィヴィッドに反応する若手や中堅の医師に来てもらいたいのだ。
結局、大学病院に勤める37歳の皮膚科専門医が入ってくれることになった。父親は近隣の都市で眼科を開業。自身もゆくゆくは開業したいという考えを持っていたが、眼科を継ぐ気はなかった。同じ場所で皮膚科を開業する場合、これまで継続的に眼科に来ていた患者を失うことになる。それはクリニックにとって、あまり有利な経営方針とは言えなかった。眼科と皮膚科を並立するほどの広さもなかったので、父親が現役でいる間は勤務医を続けるつもりだったという。
だが、大学病院の医局の教授を頂点とするヒエラルキーの中で働き続けるのは、それほど快適なものではなかった。皮膚科では外来医長の肩書は与えられていたが、医学部の階級でいえば、准教授の下の助教にすぎなかった。ピラミッドの上のほうが停滞しているような状況では出世は望むべくもなく、医療モールへの誘いは、彼にとっては渡りに舟だったのである。
こちらとしても、最新情報に触れる機会の多い大学病院のスタッフだった人材が来てくれるのはありがたかった。決まったのは、医療モールオープン初日まで1週間を切った3月26日のことだった。
<自信みなぎる吉元竜馬>
4月1日(土)の開館セレモニーには、地元の有力者が大勢、集まった。市長、副市長、部長クラスの市幹部、市医師会の会長などが顔を揃え、市を挙げて歓迎している様子が伝わってきた。市の支援によって、医療モール前を通る無料循環バスの運行もスタートしている。
チーム小倉からは全員が出席した。全員といっても、4人だけである。2ヵ月余り前までは6人だったのに、そのうちの2人、蒔田直也と白木みさおはもう、この世にはいない。
医療モールは安井会グループとは別の法人を立ち上げ、そこが運営する形になっている。だが、運営側を代表してまず最初にあいさつしたのは、安井会グループで理事長を務める小倉明俊だった。その正体は天才脳外科医、吉元竜馬である。真相を知っているのはいまや、チーム小倉結成当時からのメンバーの私と佐久間君代の2人だけだ。
吉元が小倉になりすましている事実が明るみになれば、チーム小倉のプロジェクトはすべて瓦解する。だから、吉元にはあまり目立ってほしくないのだが、ここのところ、自信を持ちだしたのか、公の場にも堂々と顔を出すようになった。医療モール開館セレモニーであいさつすると言ったのも、吉元本人だった。
「市のみなさまのおかげで、ここまで漕ぎ着けることができました。今後は安井会グループが全面的にサポートしていく体制をとりますので、非常に質の高い医療を提供できると思います。成功は間違いありません。ひいては、それが市の活況にもつながっていくはずです。一緒に地元を盛り上げていきましょう」
吉元の力強い言葉に万雷の拍手が起こった。続いて、市長と市医師会会長が祝辞。最後に、医療モールの理事長となった安井芳次があいさつし、セレモニーは終了した。
その日から医療モールの診療科も診察をスタート。幼児から90代の高齢者まで、幅広い世代が次々に施設の中に入っていく。駆け込みで開設し、懸念していた皮膚科も、午前9時から午後5時まで予約でぎっしり埋まっている。3階に設けた健診センターも1ヵ月先まで予約が入り、まさに順風満帆の門出を切った。
本体の安井会グループの経営も順調に推移している。白木の死後、看護師体制が崩壊しかかっていた千葉県の病院も、佐久間がすぐに現地に飛んで、ことなきを得た。ただ、蒔田と白木が抜けた穴をどうやって埋めていくかは、まだ何も解決していない。このままでは、残されたチーム小倉のメンバーたちの中から、過労で倒れる者が出てもおかしくないだろう。何より、それ以前の問題として、彼らの死にまったく報いられていないばかりか、その真相すらつかめていないのだ。
糸口が見つからないまま、時間だけが刻々とすぎていく。忙しさにかまけて、2人の死から目を背けているのも事実だった。そろそろ真剣に向き合わなければと思っているときに事件は起きた。
2017年4月16日──。この日は第3日曜日である。佐久間と夫婦の時間をすごす日だった。犯人の狙いがチーム小倉だと思い至るべきだったのだ。ついに、私たちがターゲットとなる日が来た。
(つづく)