【医療ミステリー】裏切りのメス―第40回―
【前回までのあらすじ】
刑期を8ヶ月も前にして仮釈放を受け、外に出ていた尾方肇。暴力団関係者の場合、仮釈放を受けることは難しいが、尾方は恋人のリン・ジャイーと獄中結婚し、彼女の義母を利用して仮釈放を得ていた。果たして、「チーム小倉」のメンバー2人の死と尾方は関係しているのか。様々な疑念がのリーダー下川亨の頭をよぎるが、いまだ真相は闇につつまれていた。
陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。
<忙殺される日々>
蒔田直也と白木みさおの死因の詳細がわかったと、湯本利晴から連絡があったのは、2017年2月3日(金)夕方のことだった。夜9時に私の部屋に説明に来ると湯本は言ったが、あいにくその日は用事が入っていて、戻るのはだいぶ遅くなりそうだった。群馬県南部の自治体の地域医療構想担当者と会食の約束をしていたのだ。
これまで、こうした行政関係の接待は蒔田が一手に引き受けていたのだが、もうこの世にいないとあっては、私が代わりを務めるしかなかった。蒔田と白木が亡くなってまだ2週間足らずしかたっていないというのに、目先の仕事をこなさなければならないのは正直、しんどかった。でも、チーム小倉の仲間が不慮の死を遂げたからといって、そこで立ち止まるわけにはいかないのだ。湯本には明日、昼食を取りながら、話を聞かせてもらうことにした。
その晩の接待は散々だった。まだ30代半ばのその役人は酔いにまかせて、現実味に乏しい理想論ばかり並べ立てた。群馬県を医療立県にすべく、わが市が牽引役となるとぶち上げたのだ。大学病院、製薬会社の研究機関、医療機器メーカーなどを誘致して、一大医療都市を構築すると──。
おいおい、待ってくれという気分だった。その前に医師をどうやって呼ぶかだろう。地方の医師不足は深刻なのだ。チーム小倉が運営する安井会グループは、この役人がいる隣の市に病院を擁しているが、医療界での評判は悪くないにもかかわらず、医師を集めるのに四苦八苦している。
医療都市をつくって、医師を呼び込むという発想自体、否定するものではない。しかし、成算のないところに、おいそれと大学病院や企業が来るとは思えない。どれだけ、時間をかけるというのだ。地方の医師不足は待ったなしの状況なのである。
まず、医師がなぜ、大都市圏にばかり集中し、地方に来たがらないのかを考えるべきなのだ。十分な報酬はもちろんだが、何より、生活空間として魅力を感じてもらわなければならない。医師本人とその家族が暮らしやすい場所かどうか。彼らがこの地で将来のビジョンを描けるかどうかが問われているのだ。実現性が乏しいお題目を唱えていても、何の解決にもならない。
「医者たちを優遇しろとは言いませんが、まずは彼らが来たいと思う街にしなければ、いつまでたっても、医師不足は解決しませんよ。そのためにはとにかくカネをかけなければ」
目の前の役人は露骨に不愉快そうな顔をし、そのあとは黙々と酒を口に運ぶばかりになってしまった。その日は午前さまになるのも覚悟していたが、一軒目でお開き。10時前には自分の部屋に戻った。こんなことなら、湯本に10時に来てもらうようにしておけばよかったと後悔したが、さすがにいまから声をかけるわけにもいない。私は安い甲類焼酎の水割りを飲みながら、そのままソファーで寝てしまった。
<検出された医療用麻薬>
翌土曜日午後1時、湯本と安井中央病院で落ち合い、タクシーで群馬県との県境に近い埼玉県北部の料亭に向かった。タクシーを使ったのは、多少は飲むつもりだったからだ。不謹慎かもしれないが、チーム小倉の仲間の死について話をするのは、素面(しらふ)のままではつらかった。このところ、やたらと酒量が増えていた。
料亭に着くと、6畳ほどの個室に通された。深刻な話はあとまわしにして、まずは腹ごしらえをすることにした。メインは上州牛のすき焼き。赤身の上品な旨みが特徴のブランド牛だが、この季節の楽しみは肉ではない。主役は地元特産の根深ネギである。寒くなると、すき焼きに砂糖など入れる必要がなくなるほど、糖度が増すのだ。肉はあくまでも、ネギを美味しく食べるための脇役にすぎない。
酒はこの土地の地下を流れる荒川水系の伏流水を使った純米酒。クセがなく、牛肉のエキスを吸い込んだネギを噛みしめながら、口の中に流し込むと、甘みがじわじわと舌の上に広がっていく。
たわいない話をしながら、久しぶりのすき焼きに舌つづみを打っていたが、たっぷりあった肉もなくなってきた。「追加を頼みましょうか」と聞くと、湯本は「もう、おなかいっぱいです」と腹をさする仕草をした。そろそろ、本題に入ることにした。
「蒔田直也君と白木みさおさんは、やはり殺されたのですか」
「その前に、死因が何だったのか、説明しておきましょう。後輩の佐山翔刑事から、かなりくわしい話が聞けました」
「先日、一酸化炭素中毒が疑われると言っていましたね」
「司法解剖を担当した大学医学部による血液生化学検査の結果は、たしかに血中の一酸化炭素ヘモグロビンが高かった。ただ、2人とも死に至るほどの数値ではなかった。ひとつの原因にはなっているものの、それだけで亡くなるケースはまずないというのが大学医学部・法医学者の見解でした」
2人が亡くなっていたのは、蒔田の部屋の中で、もっとも広いリビング。密閉された空間ならともかく、一酸化炭素が致死量に達するほど充満するとは考えにくい。とはいえ、その症状が重いか軽いかは別にして、2人が一酸化炭素中毒を起こしていたのはまぎれもない事実だ。
「一酸化炭素はどこから出たものなのですか」
「発生の原因については、事故か事件かに関わることなので、あとでまとめて説明します。先に、もうひとつの死因として浮上してきた事実に触れておかなければなりません。司法解剖の薬毒物定性検査で、ある成分が2人の体内から見つかったのです」
「毒物ですか? だとしたら殺人だ」
「ではありません。検出されたのはオピオイドです」
オピオイドはケシから採取されたアルカロイドを原料とする麻薬系鎮痛剤。日本では主に、がんの痛みを抑えるために使われる。安井会グループ傘下の9施設のうち、安井中央病院など4施設で緩和ケア病棟を設けているが、そこでは頻繁に使う薬だ。強い痛みの出る末期がん患者の治療には欠かせない。
「オピオイドはうちの病院でもよく扱いますが、それが死因とは考えにくいのではないですか。服用する上限が特に決められているわけではありませんしね。これまでと同じ量で効かなくなってきたら、意識レベルに問題が出ない限り、量を増やしていくのが一般的な使い方です。オピオイドによる死なんて、にわかにはイメージできません」
「日本の場合はそうでしょうが、乱用すれば、死に至ることもめずらしくない。一般の人でも手に入れやすいアメリカでは、オピオイドの過剰摂取で何十万人もの死者が出ていて、服用自殺も少なくないと聞いています」
<警察の見解>
一昨年(2015年)夏、日本の大手自動車メーカーの常務役員に抜擢されたアメリカ国籍の女性がオピオイドの錠剤を航空便で密輸したとして逮捕された。結局、不起訴処分となり、そのまま帰国したが、本人の罪の意識は薄かったようだ。アメリカでもオピオイドを購入しようとすれば、一応、処方箋が必要だが、ネットを通せば、処方箋なしに簡単に入手でき、乱用の結果、死亡事故に至るケースがあとを絶たないのだ。
「日本ではオピオイドは鎮痛剤といっても、一部を除き、あくまでも麻薬としての扱いです。アメリカに比べ、ずっと厳格に扱われてきた。しかし、医療の現場では入手しやすいのも事実です」
「蒔田君や白木さんが麻薬の快楽を得るために、使っていたと言いたいのですか」
「僕だって、そんなことはありえないと信じています。ついこの間まで、2人とは何度も顔を突き合わせているわけで、そんな雰囲気はまったく感じられなかった。ただ、彼らの体内からオピオイドが検出されたのはまぎれもない現実なのです」
「2人はオピオイドをどれくらい摂取していたのですか」
「正確な量までは定かでないものの、致死量には至っていないというのが司法解剖にあたった法医学者の説明だった。一酸化炭素中毒とオピオイドが複合的に作用して死に至ったという見解です」
つまり──。どういうことなのだ。私は湯本の言葉の真意を測りかねていた。
「結局、警察はどう見ているのですか」
「まず一酸化炭素中毒ですが、備え付けの給湯器が原因ではないかと見ています。あそこのマンションは築20年以上たっていて、蒔田さんの部屋の給湯器は一度も交換されていない。警察でも一応、調べてみたところ、たまに不完全燃焼を起こす危険性があることがわかったというのです」
一緒のマンションに住む私の部屋の給湯器も、たしか同じ型だったはずだが、一度も不具合が生じたことはなかった。
「オピオイドの摂取方法については、内服液タイプのものを赤ワインに混ぜて飲んだようです。何杯も杯を重ねているうちに、過剰摂取になってしまったのではないかというのが警察の見方です。こうした状況から、警察は事故死と結論づける方向に傾いていると、佐山翔刑事は語っていました」
納得いかなかった。そもそも、蒔田は快楽のために薬物を使用するような人間ではない。アルコールはたしなむが、私と違って、酒に溺れるようなことはないし、どんなに飲んでも決して乱れなかった。
「まさか、これで捜査が終わりなんてことはないでしょうね」
「……」
押し黙ったまま、湯本は必死に言葉を探しているようだった。
(つづく)