メスvol9

【医療ミステリー】裏切りのメス―第9回―

【前回までのあらすじ】
 医療コンサルタント・下川享は、東京のドヤ街・山谷地区で、目的の元消化器外科医の小倉明俊を見つけた。医療過誤裁判で精神を疲弊させ、世捨て人のようになった小倉に近づいた下川は、小倉の医師免許を買い取ることに成功する。すべては、天才外科医と呼ばれた吉元竜馬を自らの計画に組み込むために。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<吉元竜馬の逡巡> 

 2013年1月3日、吉元竜馬が刑務所から出て1週間がすぎた。その間、私が住むマンションの隣の部屋でくつろいでもらっていた。私のマンションは5LDKの広さがあり、10年前に離婚したこともあって、居室は余っていた。しかし、塀の中で抑圧された時間をすごしてきた吉元に、外に出てからも気を使わせるのは申し訳ないと思い、別の部屋を用意しておいたのである。

 この部屋は3ヵ月前、隣に住む老夫婦が介護付き有料老人ホームに入居することになり、吉元の出所後の住まいとして購入を決めたものだ。築50年の古いマンションということもあり、老夫婦もすぐ払ってもらえるならと、格安で手に入れることができた。

 食事どきは私の部屋に来てもらい、帝国ホテルから取り寄せたおせちを2人でつまんだ。酒は純米大吟醸の十四代龍泉を用意した。吉元が出てきたら飲ませようと思って、伝手を頼って苦労して入手した山形の幻の酒だ。

 おせちだけでは飽きるので、私が唯一できる手料理のタルタルステーキを供した。といっても、料理というほどのものではない。材料を細かく切って混ぜ合わせるだけだ。馬肉の赤身の生、玉ねぎ、ケッパー、ピクルスを包丁で細かく叩き、塩コショウで味を調え、卵の黄身を和える。本来はオリーブ油を入れるが、私の場合は代わりに馬肉の脂身のタテガミをたっぷり加える。コクが出て酒の肴にぴったりの一品になる。吉元も「生まれて初めて食べた味だ」と喜んでくれた。

 この間、仕事の話は一切しなかったが、いつまでもおせち気分に浸っているわけにはいかない。我々が始動するために、そろそろ本題に入らなければ……。私は話しづらいところから切り出した。

「先生、吉元竜馬という名を捨ててもらえませんか」

 吉元は怪訝な顔をした。

「小倉明俊という人になってもらいたい。それが唯一、先生が医師として復活する方法なのです」

 押し黙ったままの吉元に、私は消化器外科医の小倉を探し出し、医師免許を買い取った経緯をこと細かに説明した。

「小倉さんはもう医師に戻る気はないそうです。ずっと関西の病院で働いていた人ですから、首都圏で活躍してきた吉元先生と重なる部分もない。小倉医師になりすましても、それが発覚するリスクはほとんどないと思っていいでしょう。何より、彼の医師免許の原本はこちらにあるのですから」

 問題はそんなことではないと、吉元の目が語っていた。彼は憤怒の表情を見せながらも、沈黙を続けた。口を開けば、相手を罵倒しそうだと思ったのだろう。怒る理由は、私にもよくわかっていた。彼は、30代の若さながらすでに脳外科医として押しも押されぬ地位を築いていた吉元竜馬として復活したいのだ。小倉明俊という知らない医師の名前を名乗ることは、これまで積み重ねてきたすべてを捨てろということである。吉元竜馬としてのキャリアは犯罪を犯した医師というところで終わってしまうのだ。にわかには受け入れられないのは当然だった。

<名を捨てる覚悟>

 吉元が出所した日、私は「医師免許は必ず復活させる」と約束した。だが彼は、その言葉を吉元竜馬名義の医師免許が再発行されるのだと、とらえたのである。実は、このときすでに、私の手許には小倉から譲渡された医師免許があった。だが、その事実をすぐに伝えるのはためらわれた。吉元の気持ちが落ち着くのを見計らっていた。それが今日だと思った。

「先生が冤罪で医師免許を失う羽目になったのは、あまりも不幸だと私も思う。でも、真相を告白してくれた看護師の杉本莉緒さんの家で申し上げた通り、再審請求をしても通る保証はない。冤罪を仕掛けた側の杉本さんが証言すればともかく、彼女の反応を先生も目の前で見たでしょう。我々に告白するのがやっとで、それ以上を期待するのは無理なんです」

「それでも、私は闘って、医師・吉元竜馬に戻りたい」と吉元は振り絞るように言った。

「よくわかります。先生の名誉は回復されるべきだと思います。しかし、客観的に言って、勝ち目は薄い。よしんば、新たな証言者が現れ、裁判で冤罪が証明されて医師免許を取り戻したとしても、そこまでに10年以上はかかるでしょう。現在38歳の先生もそのときには50歳前後になっている。外科医としてのピークもすぎていると言わざるをえない。そこに費やす時間があまりにも、もったいないのです」

「だけど、僕がもし別の人物になることを受け入れて医師に復帰しても、幸福になる道が開けているとは到底思えない」

「私は、吉元竜馬という医師がどうすればこれまで以上に輝き、活躍できるか、先生が刑務所に入っている間、ずっと考えていた。そして、結論に達した。吉元の名前は捨ててもらうことになりますが、今後を考えれば、先生にとって私が導き出したもの以上の策はないと思っています」

 普段の私は周囲から「どこか冷めている」と評され、喋り方にもあまり抑揚がない。だが、このときはいつもよりもずいぶん饒舌になっていた。吉元をなんとか説得しようと、気持ちが入り込みすぎていたのだろうか。私の語った言葉は半分が本当で、半分が嘘だった。吉元が医師として復活することは、彼のためだけではなく、私のためでもあったのだ。

<一大病院チェーン計画>

 吉元竜馬という天才をこのまま埋もれさせてはならない。そうした強い使命感があったのは事実である。その一方で、1年前に東京拘置所で出会って以来、常にこの男の利用価値を考えていた。外科医としての腕はもちろん、その聡明さは私の未来を切り拓く壮大な医療ビジネスにつながると確信していたのだ。それを実現するには、たとえ他人名義であろうと、医師免許は必要不可欠のアイテムだった。私は自分の構想を吉元に伝えて、納得してもらわなければならなかった。

「先生は病院乗っ取り屋の存在を聞いたことがありますか」

「後期研修医時代に当直バイトに行っていた病院がいきなり閉院になった。そのとき初めて、そうした連中がいることを知った。その数ヵ月前から病院はNグループ出身の医療コンサルタントらに牛耳られ、瞬く間に資産を根こそぎ奪われたという話だった」

 Nグループは病院乗っ取り屋でもっとも古い組織。彼らが編み出した手法は、以降に登場する病院乗っ取り屋たちのお手本となった。経営が悪化している病院に融資をちらつかせ、乗り込む。そして、経営権を掌握して理事長印を手に入れると、手形を乱発し、一気にカタをつけてしまうのである。手形はグループが関係する反社会的勢力系の金融会社に流れ、診療報酬が押さえられてしまう。その結果、病院は運営資金がショートし、閉鎖に追い込まれてしまうのだ。

「こうした病院乗っ取り屋のやり方をヒントに、医療ビジネスを展開するための案を練りました」と私は自分のプランを話し始めた。

「ただし、カネだけ収奪して、病院が潰れようとお構いなしというのとはまったく違う。経営権を握るところまでは一緒ですが、そのあとも我々が責任をもって病院を再生していくのです。乗っ取り屋に狙われるような病院は、経営陣に問題があって苦境に陥っているケースがほとんど。がんとなっている幹部たちを一掃し、我々の傘下に収め、病院の一大チェーンを築くというのが私の構想です。そこで先生の力を借りたい。というより、中心となって引っ張っていってもらいたいのです。先生のために医師免許を手に入れたのも、病院の理事長として経営を担ってもらいたいからです」

「僕は医師です。経営の才能など、どこにもありはしない」

「それについてはまったく心配していないどころか、期待のほうがはるかに大きい。先生は難しい脳神経外科手術で何度も執刀医を務め、輝かしい実績を残してきた。執刀医は手技を求められるだけでなく、手術チームの扇のかなめ。その経験は経営でも必ず役に立つ」

「経営に専念しろということですか。僕はまだ手術室に立ちたい」

「ころあいを見て、先生にもメスを握ってもらうことになると思います。ただ、それは吉元竜馬ではなく、小倉明俊としてです。先生には脳神経外科だけでなく、消化器外科や心臓血管外科などの手術もできるオールラウンドの外科医になっていただきたい。脳神経外科だけが突出して、その名医ぶりが評判になってしまうと、いつ吉元竜馬とばれないとも限りませんから」

 天才外科医と称されるだけあって、「外科全般、こなせる自信はある」と吉元は胸を張った。ただ、私の一大チェーン構想に乗るかどうかは、まだ決めかねている様子だった。「一晩、考えさせてほしい」と言い残し、吉元は自分の部屋に戻っていった。
(つづく)

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