自分の趣味をラノベ風に書いてみたら 第4回『ネコと和解せよ』
テキスト:金澤流都 https://twitter.com/Ruth_Kanezawa
イラスト:真藤ハル https://twitter.com/shindo_hal
第4回 『ネコと和解せよ』
趣味、というのとはまた違う気がするが、今回はうちのねこの話をしたいと思う。漢字で「猫」でなく、ひらがなで「ねこ」なのは、字面がかわいいからである。それにうちのねこは、漢字で「猫」と書くようなしゃちこばった生き物でなく、のんびりぼんやりと「ねこ」をしているような気がするのだ。だから、この文章のなかでは、「ねこ」と呼ぶことにする。
うちのねこはかれこれ16歳になる。ちなみに名前はいちおう「たま」という。
中学校の夏休み、部活にいく途中に道端で死にかけた仔ねこを見つけた。明らかに栄養失調で、このまま放置したら数日と経たずカラスのエサになってしまうだろうと思って、拾わずにいられなかった。少なくとも死にかけの仔ねこを見捨てるほどわたしは薄情ではなかった。拾うと仔ねこは死にかけているとは思えない元気さで、わたしのジャージの肩によじ登ってきた。まるっきし「ピカチュウ! 君に決めた!」の状態である。
学校について美術室に入り、わたしの第一声は「先生! 段ボール箱ありませんか!」だった。先生のくれた段ボール箱に、その仔ねこを入れた。仔ねこはなにか文句をにゃあにゃあ言っていて、お前さっきの死にかけは演技だったのか、と思ってしまった。
部活を終え仔ねこを家に連れ帰ると、当時存命だった祖母に叱られた。祖母はねこが大嫌いだったのである。当時我が家は四人家族で、父と祖母が反対派、わたしと母が賛成派になった。でも拾ってきてしまったのである、仕方がないと大した議論もなく我が家で飼うことが決定し、わたしと母は仔ねこを獣医さんに連れていった。
その獣医さんは昔犬を飼っていたころもお世話になった方で、父と高校の同級生だった女医さんなのだが、とても豪快で陽気な先生で、小説家の中島らもにめちゃめちゃそっくりの顔をしていて、我が家ではこっそり「らも先生」と呼んでいる。本人の前で言いそうで怖いが、とにかくらも先生によるとうちのねこは栄養失調だけでなく風邪をひいていて、耳には耳ダニがぎっしり詰まっている、という判断だった。らも先生が仔ねこの耳を掃除すると驚くべき量の白や黒の塊の耳垢が出た。食べ物で例えると気持ち悪い気もするが、腐ったカリフラワーのごときもっそもっその塊がぼろりと出たのである。弱っているからダニを殺す薬が使えないそうで、耳掃除のローションと栄養剤と抗生物質が出たような記憶がある。
結局はねこが元気になるまで一年くらい耳掃除を続けたわけだが、しかしその耳ダニ由来の耳垢は、ティッシュペーパーの上で微かに(もぞ……もぞ……)と動くのであった。相当なホラーだったと思うが、ホラーはまだまだ続いた。
なんと、ネコカイチュウまで出たのである。仔ねこはトイレを覚えるまで適当にその辺に用を足すので、部屋の床一面に新聞紙を敷いておいたのだが、その新聞紙の上にころがっているねこのUNKOの表面で、そうめんみたいなやつがウニョウニョ動いていたのである。思わず家の中でカメムシを見つけた時に勝るとも劣らないすごい悲鳴が出た。しかもそのときは真夏である、そうめんシーズンの真っただ中である。
のちに虫下しをもらってどうにか退治したけれど、でもその夏は台所に茹でたそうめんが一本落ちているのに「ギャッ」となる日々を過ごした。
しばらくして、突然ねこが血尿を出したこともあった。獣医さんに調べてもらうとうちのねこは結石持ちであることが分かり、それまでは普通のキャットフードを食べさせていたが、獣医さんに専用の処方食のキャットフードを売ってもらって、今に至るまで処方食を与えている。この処方食というやつが、普通のキャットフードよりだいぶいいお値段がするのである。
ここまで書いたとおり、うちのねこは病気にしょっちゅうかかるねこで、若いころは獣医さんに結構な頻度で連れていった。獣医さんでは人間のような保険が利かないので、注射一発数千円なんてザラであるが、それでもらも先生の価格設定はかなり安いほうらしい。とてもリーズナブルかつ適切な治療をしてくれ、とても助かっている。
だから我が家では、ねこについて「機種代金0円、有料オプション多数」などと冗談にして言っている。携帯電話って、ねこを拾ってきたころのガラケーの時代はタダで機種変更できたっけな……と、昔のことを懐かしむ程度に、うちの猫は長生きしてくれている。
あれだけねこを飼うのに反対した祖母も、結局一緒に昼寝したり、入院してちょっとボケかけたときに「ねこがゲロを吐いていたから片付けてくれ」なんていう夢を見て実際の出来事だと勘違いしていた。父もおつまみのサバの缶詰を分けてやるくらいねこが好きだ。祖母と同じく「猫」が嫌いだった母方の祖母も、「ねこがこんなに可愛いものとは思わなかった」と、ねこを可愛がっていた。
さきほども書いたとおり我が家のねこの名前は「たま」という。名付けた中学のころは漢字で「弾丸」という字を当てていたのだが、もうそんなに暴れ回るわけじゃないし時効だよね、とひらがなで「たま」と呼んでいる。
若いころは人間の食べたフライドチキンの骨だの魚の骨だのを台所のゴミから引っ張り出したり、高いところによじ登ったり、キャットフードを一気食いしたりしていたが、最近は流し台にも上らないし、キャットフードも残しておいて後からぽりぽり食べている。
良くも悪くもたまはババアになったんだなあ、とうちのねこをみるたびしみじみ思う。最近はずっと寝ている。父の安楽椅子のオットマンにころがって、スヤスヤとずっと寝ている。ときどき、「ふああーよく寝た~」と伸びをして、それからまた寝る。
我が家のたまは黒ねこである。写真写りがすごく悪い。映えない。でもそういうところが、人にこびないプライドを感じてかわいい。
何年か前に牙が一本傾いてしまったときは、牙が口から飛び出して明らかにカタギでない顔をしていた。その牙も抜けてしまい、いまではよくそっちからヨダレをたらしている。そのヨダレというのがすっげえ獣臭くて、あまりの異臭に手につくと悲鳴が出る。
ねこというのはとても面白い生き物で、いぬが人間の友達ならねこは人間の上司だと思う。人間に、「ちょっとトイレ片付けてくれない?」とか、「ちょっと水取り換えてきてくれない?」とか、そういうことを喋れないくせにものすごく真面目に命令してくるのである。
いぬのようにでっかい声は出さないし、分かりやすい笑顔もないし、芸も教えれば覚えるのだろうがとりあえずやる気はない。物静かで不思議な上司である。
だからその上司に、「アタチはきょうも可愛いのニャ」なんてセリフをつけたのを見ると、なんだかげんなりする。ねこというのは敬わねばならない生き物である。「ネコと和解せよ」である。「ネコは見ている」である(田舎に住んでいると、「神と和解せよ」「神は見ている」という、キリスト教の団体が貼っていったらしい不気味な看板とよく出くわすのである。「ネコ」というのは「神」の字を加工したもので、たまたまネットで画像を見て笑った)。
ねこは一匹一匹全然性格が違うのが面白い。YouYubeで人気のまるちゃんは箱に入りたがるが、うちのねこは箱や袋に興味がない。たぶんねこ用のベッドとかねこちぐらを買っても入ってくれないのではなかろうか。
風呂場にも興味がないし、テレビに写る鳥にも興味がない。若いころは自然番組の鳥に反応してテレビの前でぴょんぴょんしていたが、いまは捕まえられないと分かったのか、びっくりするほどガン無視である。ねことしてその態度はいかがなものだろうか。
ここのところ人間の食べ物で好きなのはツナ缶とサバ水煮缶くらいで、チキンだの刺身だのにはあまり興味がないようだ。でも人間が物を食べているのを見ると腹が空くらしい。食べるものがなくても「なんかよこせ」と迫ってきて、それもまたかわいい。
うちのねこにどれくらい寿命が残っているのかは分からない。獣医さんが言うにはいまはねこのほうがいぬより長生きするというが、それでももう10年生きるのは難しかろう。
でも、あの日勇気を出して、道端で死にかけていた仔ねこを拾ったのは、正解だったのだと思う。動物は死んでしまうから飼いたくないという人がいるが、飼っている間の楽しさで、じゅうぶん悲しみからお釣りがくると思うのだ。昔飼っていた雑種犬は、母方の祖母の家で猫いらずを食べて死んでしまったが、それでも思い出すのは楽しかった思い出ばかりだからだ。
一日一日を大切に、ねこの寝ている顔を慈しんで見るのは、楽しいことだ。
そんなときには、大昔一世を風靡した演歌のワンフレーズを変え歌にして歌ってしまう。「どうして こんなに かわいいのかよ ねこという名の 宝物」と。
ねこは家にいてなにかしてくれるわけではない。ボーっと寝てキャットフードを食べて用を足して寝る、ときどき思いついたように甘えてくる、それだけなのであるが、それだけでずいぶんと楽しい暮らしになっている気がする。
我が家では、「もしたまがいなかったら今ごろ一家離散してるぞ」などと冗談を言う。「子はかすがい」ならぬ、「ねこはかすがい」である。
いつまで元気でいてくれるかは分からない。だが、うちのねこは最高にかわいい。
Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
前連載『アラサー女が将棋はじめてみた』
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