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【医療ミステリー】裏切りのメス―第35回―

【前回までのあらすじ】
チーム小倉のリーダー・下川亨は、埼玉県警の湯本利晴刑事をスカウトするため、都内で落ち合った。スカウトの話に逡巡する湯本だが、下川は切り札として、医療モール計画を打ち明け、その責任者について欲しいと頼み込んだ。それから2日後、湯本からスカウトを受けるとの連絡が入った。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<新たに加わった2人>

 2016年9月、湯本利晴は正式にチーム小倉の一員となった。前月までに、勤務する埼玉県北部の警察署の退職手続きや引き継ぎをすべて済ませていた。

 さらにもうひとり、チーム小倉に加わったのは、佐久間君代のかつてのパートナー白木みさおだ。すでに5月から8月にかけて、白木が運営するレズビアンネットワーク「毬子会(まりこかい)」の看護師人脈を使い、安井会グループの東京の病院で起こった内紛の解決にあたってもらっていた。

 白木自身はまだ、都内の別の病院で看護師長を担っていたので、直接乗り込むことはなかったが、彼女が選別し送り込んだ看護師2人がリーダー格として活躍。白木の的確なアドバイスもあって、わずか3ヵ月足らずで、安井会グループにとって東京における唯一の拠点の瓦解を防いだ。

 やはり、白木もこれまで勤めていた病院を8月末で退職。9月からチーム小倉のメンバーになった。

 これでチーム小倉は私(下川亨)、吉元竜馬、蒔田直也、佐久間君代、湯本利晴、白木みさおの6人体制になり、運命をともにすることになった。といっても、すべての情報を共有したわけではない。新たに加わった湯本と白木は、吉元竜馬という天才外科医の存在を把握していなかった。

 安井会グループの理事長、さらにはその中核施設である安井中央病院の病院長を務める小倉明俊は、吉元がなりすましている医師である。当初からのメンバーである吉元本人、私、蒔田、佐久間の4人はその事実を共有していたが、新メンバーの2人にはそれを明かしていなかった。白木はともかく、「医師なりすまし」という犯罪状態を元刑事の湯本が知れば、放置していいものかどうか苦悩するに違いない。

 立ち上げメンバー4人で話し合った結果、この際、湯本と白木の2人には黙ったままにしておこうと、示し合わせたのである。そして、これまでも決めていたルールだが、立ち上げメンバー4人だけしかいない場合でも、「吉元竜馬」の名前は絶対に口にしないことを改めて確認し合った。

 すでに小倉明俊という医師はこの世にいなかったが、その事実は公にはなっていない。吉元はあくまでも、「小倉明俊」として存在するのだ。

 もう一点、全体で共有していないことがあった。私と佐久間が結婚しているという事実である。本人たちは当然として、6人の中でほかに知っているのは、婚姻届上で保証人になってくれた白木だけだ。吉元、蒔田、湯本の3人にはいまだ伝えていない。これは吉元のなりすましと違って、ころあいを見てオープンにしなければと思っている。すでに、結婚してから3年以上もたっているが……。

<医療モール計画>

 9月17日(土)午後6時、6人体制になって初めてのチーム小倉の会議が安井中央病院の理事長室で開かれた。主要な議題は来春オープン予定の医療モールについてである。

 7月末に売買契約を済ませた群馬県南部の駅前のビルは土地900㎡、建物は3階建てで延床面積2000㎡。購入価格は2億円だった。売主は当初、3億円を要求していたが、駅前の一等地とはいえ、人を呼び込めず、ショッピングモールが撤退した場所である。そうそう買い手が現れるとも思えず、こちらとしても相手の足元を見て、大幅に値切った。

 このプロジェクトの責任者となった湯本がこれまでの進捗状況を話し始めた。8月に入ると、湯本は週に一度だけ署に行って残務整理をする以外は、有給消化でまとめて与えられた休暇を使い、医療モールプロジェクトに力を注いでいた。

「前理事長の安井芳次先生の協力もあって、入居する10の診療科はすべて決まりました。なんだかんだ言って、北関東では安井会グループの名前は大きい。かつて、そのワンマンぶりや乱脈経営が批判されてきた安井先生ですが、三十数年にわたって、グループの病院だけでなく、診療所の運営も手がけてきただけあって、開業医人脈も相当、広い。安井会グループが始める医療モールなら入りたいという医師が予想以上に多くて、枠はすぐに埋まってしまったのです」

 応募してきた医師は、すでに診療所を開いている者や、これから開業に踏み切りたいという者など、30人を超えた。その中から書類選考や面談を経て、10人に絞った。面談には湯本と蒔田、そして私の3人が臨んだ。

 本来なら医師の視点を入れるべく、吉元も加えるべきなのかもしれないが、あえて外した。大学病院でエリートコースを歩んできた吉元が、開業を目指す医師たちを見ても、欠点ばかりが目につくだろうと想像できたからだ。

 医療技術レベルが低すぎるのは問題外としても、平均点以上であれば十分。開業医に求められるのは、患者への接し方である。へりくだるのはかえってマイナスだが、医師としての威厳を保ちつつも、見下して患者を不愉快な気持ちにさせることがあってはならない。地域に根ざす医療モールでは、ひとつの診療科での評判が全体に及んでしまうのだ。面談ではその人柄を重点的に見るようにした結果、かなり満足のゆく陣容が組めた。

 医療モールに入る調剤薬局は、安井中央病院前にもある調剤チェーン企業に打診して、招聘することにした。北関東一円に展開する調剤薬局チェーンで、どんな種類の薬でも迅速に調達できるのが強みだ。1階にこの調剤薬局と4つの診療科、2階には6つの診療科を配置することになったが、3階をどうするかがまだ決まっていなかった。

「僕としては、居宅介護支援や訪問介護などを組み合わせた介護系施設を開設したらどうかと思うのですが」と責任者の湯本が提案した。

「あのあたりも高齢化が進んでいて、需要は非常に大きい。安井会グループの病院とも連携できますから、一石二鳥ではないでしょうか」

 それに反論したのが白木みさおだった。

「たしかに、地域医療の観点からも、介護系事業の重要性は日増しに高まっていますが、黒字化するのがとても難しい。ただでさえ厳しい本業の病院事業を圧迫することになりかねません」

 これまで湯本はチーム小倉の会議にオブザーバー参加したことがあるが、白木は初めて。彼女の物怖じしない態度が頼もしく映った。

「白木さんの言っていることはもっともですが、何か代案はありますか」と湯本がたずねた。

「あくまでも私の意見ですが、健診センターがいいのではないかと思います。私が8月まで勤めていた病院も、診療報酬が年々削られる中、経営改善のために医業外事業を検討していたのです。そして出した結論が健診センターでした。3年前にスタートすると、病院の財務もまもなく黒字に転換。都心と地方の差はあるかもしれませんが、検討してみる価値はあると思います」

「健診センターを開設するには、高額の医療機器を入れなければならない。リスクは小さくない気がしますが」

 この湯本の懸念に、言葉を挟んだのはチーム小倉の頭脳ともいえる蒔田直也だった。

「実を言うと、僕も医業外事業の検討をしたことがあるんです。診療報酬は政府の匙加減によって、刻々と変わる。安定した収益源を確保する必要があると痛感していました。病院の医業外事業で真っ先に思いつくのが介護系事業ですが、白木さんが言うように、赤字になって経営を圧迫するケースが少なくない。その点、健診センターの利益率は平均で30%を超え、まさにドル箱。最新の医療機器を入れても、すぐに元が取れるのです」

「そうなんですか。まったく知りませんでした。時間があまりないので、来週から検討に入りたいと思います。医療モール3階の事業は健診センターが第1候補ということでよろしいですね」

 湯本の提案に、他の5人のメンバー全員が頷いた。

<青天の霹靂>

 2017年4月の医療モールオープンに向けて、計画は着々と進んでいた。健診センターの開設も正式に決定。地元自治体の協力を得て、医療モールを通る無料巡回バスの運行も決まった。

 このプロジェクトがうまくいけば、別の場所でも医療モールをつくろうと考えていた矢先だった。2017年1月22日(日)朝5時40分、都心の自分のマンションで佐久間と2人、まだ就寝していたとき、私の携帯が鳴った。湯本からだった。

「蒔田さんと白木さんが死んだ!」
(つづく)

※来週は取材のため、休ませていただきます。第36回の掲載は8月18日となりますので、よろしくお願いします(筆者)。


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