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極私的・心に残る言葉(外国人編) -20代フィリピーナ/黒人のゲイ/中国人留学生-

 ひとつの言葉が、心を動かす。
 「Yes,we can」とか「I shall return」なんていう大仰な言葉でなくとも、ふと耳にした誰かのひと言がずっと頭から離れず、その人の一生を左右する…なんてことが、たまにある。

 だいたい記憶に刻まれる言葉というのは、自分の心をざっくりえぐるような痛みを伴うものだったりする。
 40も過ぎると子供の頃の思い出なんて曖昧になってきて、小学校低学年の記憶なんぞきれいさっぱり忘れてしまうものだが、担任の教師から激しい折檻とともに受けた理不尽極まりない罵倒はなぜか一語一句、生涯脳裏から離れない。
 しかし、年をとると思い出は宝であるということを改めて気付かされる。だから、そのひと言がなかったら過去のある瞬間の記憶は残らなかったかもしれないと考えると、当時はあれほど復讐を誓った先の担任教師にさえも、感謝の気持ちを覚えるのだ。

 もっとも、これは大人になってからも同じ。日常をただなんとなく生きていると、ありとあらゆる体験が煙のように記憶から消えてゆく。ところがそこに忘れがたいキーワードがひとつあるだけで、いつでも脳から引き出せる思い出になるのだから言葉というのはやはり偉大である。

 ここで書き連ねるのは、全て自分の私的な体験だ。己にとっては墓場まで持っていくであろう重い言葉でも、それが皆さんにとって何ら共感を呼ばない可能性は充分ある。というか、個人の思い出とは得てしてそういうものだと思う。

 でも、あえて書く。

 皆さんの記憶の中にも、きっと同じように心を動かす言葉があり、この文章がそれを思い出すきっかけになるかもしれないと信じ、死ぬほどどうでもいい話と承知の上で書いてみる。どうかお付き合いいただければ幸いである。


01 笑顔で彼女はそう言った

 昨年の夏頃、フィリピンにいた。自分が訪れたのはマニラ北方のクラークという都市で、もともと米軍基地と共に歓楽街で知られた、まともな観光客はまず行かない場所である。
 先の大戦時にはこの地のマバラカット飛行場から初めて神風特別攻撃隊が飛び立ったことでも有名で、米軍撤退後に空き地同然になった基地内には今も慰霊碑が残っている。
 普通に過ごしていたらきっと治安の悪さとメシの不味さくらいしか思い出に残らなかったであろうこの地で、あるフィリピーナが発したひと言がその時の情景と合わせて強烈に脳裏に焼き付き、今でも忘れられずにいる。

 簡単に言えば自分はそこで可愛いフィリピン人女子と知り合い、いい関係になったのだが、その日はたまたまマニー・パッキャオ(スラム出身でありながらボクシングで世界チャンピオンにのし上がったフィリピンの英雄)の試合をやっていた。ホテルで彼女と行為を致した後、一緒にTV中継を見ながら応援していたら、試合が終わる頃にはめっちゃ仲良くなってしまったのである。
 打ち解けたせいなのか、彼女は英語と翻訳アプリを駆使して、身の上話を教えてくれた。その子の家庭環境は控えめに言っても「悲惨」のひと言。そこに彼女自身の生まれ持った無計画さも相まって、明日の食事にも事欠くような、でもいつも笑顔の20代フィリピーナだった。
 さらに彼女はシングルマザー。つい数年前、韓国人の男の子供を身ごもった後に捨てられたのだそうで、女手ひとつで親兄弟を支えながら、生涯自らの父親を知ることがないであろう我が子を育てているのであった。

 行為後にその話を聞かされ、さらに赤ちゃんの写メを見せられて罪悪感に襲われたことをよく覚えているが、彼女は少しも悲しい顔を見せることなく、こう言った。

「He is my life」

 この子は神様から授かったもの、だから私の人生そのもの。
 そう言いながら、彼女はまぶしいほどの笑顔を浮かべていた。
 フィリピンはいろいろな面で好きになれない国である。メシはアジア随一のまずさで、治安は絶望的なまでに悪く、街並みを少し歩けばむき出しの貧富の格差を目の当たりにすることになる。まして自分が訪れたクラークは、世の悪徳が全て集まったような救いようのない都市。そこで食うや食わずの暮らしを送る彼女に、聖母のような心が宿っていることに驚かずにはいられなかった。

 フィリピン人の信仰は素晴らしいと心から思うし、どれほど貧しくても我が子へ無上の愛を注ぐ彼女の言葉と笑顔もまた、素晴らしい。
 滞在中、見てはいけない光景をたくさん見たが、彼女のおかげでその時の旅はいい思い出として自分の中に残っている。


02 問答無用の強い言葉

 川崎の漫画喫茶で黒人のゲイに迫られた時のひと言も、やはり忘れられない。
 当時自分は20代後半。とある週末、川崎クラブチッタでパーティーがあり、仕事終わりにそのまま直行したのだが、思ったよりも早く着きすぎたので近所の漫画喫茶で時間をつぶしていた。トイレを終え、さて行くかというところで見た感じ18歳くらいとおぼしき黒人の若者がドアのところに立ちはだかり、こっちを上目遣いで凝視しているのに気づいたのだった。

 その黒人はいきなり「タッチミー」と言ってきた。一瞬何のことか分からなかったが、英語をそのまま訳せば触って欲しいということだ。
 漫画喫茶にもハッテン場はあるのかは知らないが、大変申し訳ないことに自分はその性癖がないゆえに、つたない英語で「ソーリー、アイムナットゲイ」と答えた。その自分に対して、その黒人が言い放った言葉が今でも忘れられない。

「But I am」

 バット、アイ、アム。
 脳裏から消し去りたいけれど、どうやっても忘れられないこの3ワード。何が言いたいかというと、人間、頭を使って覚えたことは時間とともに忘れるが、心で感じたこと、特に心に響いた言葉というものは、一生忘れないということだ。
 このエピソードはどちらかといえばかなり忘れたい部類。でも、その時の黒人の言葉と視線は、間違いなくあの世まで持っていくことになると感じている。

03 ある留学生の友情表現

 その時には分からなくても、だいぶ時間がたってからあの時の言葉はこういう意味だったのかと気付かされることもある。大学時代、たまたま仲良くなった中国人留学生が何気なく自分に言った言葉がまさにそのタイプだった。

 今でこそ中国人留学生なんて掃いて捨てるほどいる日本。下手したら日本人の学生よりも経済的に恵まれていたりして、昔のように寝る間も惜しんで学業とバイトに打ち込む苦学生は減ったが、自分が現役の頃は中国が豊かになりつつある時代。中国人留学生はみんなお金がないかわりに、本当に優秀な人たちばかりだった。

 中でも自分が友人になった中国人留学生は、勉強も運動も万能で、誰よりも努力をする見上げた男だったのだが、周囲の日本人学生からすると「なに頑張っちゃってんの」という風に見られてしまうのか、ゼミの中でいつも浮いた存在だった。でも自分も大学では下手したら彼以上に浮いていたので、自然と仲良くなった。
 付き合い始めて分かったこととして、彼には冗談が一切通じないということがある。きっと子供の頃からただひたすら、脇目も振らず死ぬ気で勉強してきたに違いない。心に遊びが全くなく、日本だけでなくおそらく中国でも、ひとりだったのだろうと想像せずにはいられなかった。
 もっとも自分とて大概であったので、本当によく気が合った。そうして長い時間を一緒に過ごした大学時代も終わりにさしかかり、彼がもうすぐ帰国するというタイミングで、彼は自分にこう言った。

「ワタシガ中国ニ帰ッテ偉クナッタラ、貴方モ中国デ偉クシテアゲマス」

 その時は正直「何を言っているんだこの人は」と思った。当然だが、そういうつもりで付き合っている気持ちは毛頭なかったからである。
 でも今、中国で暮らすようになり、中国人の考え方を理解するにつけ、彼の言葉がしみじみ思い出される。あれは間違いなく、彼にとってこの上ない友情表現だったのだ。

 幼い頃から勉強に打ち込み、とんでもない競争を勝ち抜いて海外留学まで果たした彼にとって、国に帰って偉くなること、そして故郷に錦を掲げることは人生における唯一の目標と言っていい。
 偉くしてあげるという言葉は一見とんでもなく上から目線に見えて、彼の価値観からしてみれば友を思う最大限の気持ちそのものなのであった。

 今頃彼は中国の中央官庁で働いているかもしれないし、どこか中国の片田舎で名士をやっているかもしれない。いや、融通が全く効かないタイプなのであまり出世していないような気もする。
 いずれにしても、あの当時の彼の中には自分への溢れんばかりの友情があったのだと思うと、思い返す度に心がちょっとほっこりする。何も中国で偉くしてくれなくても、それで充分であると自分は思っている。

自分の言葉はどうなのか?

 と、ここまで3つのエピソードを書いていて思った。
 おそらく全員、言った方は1ミリも自分の言葉を覚えていないのではなかろうか。単に自分にとって忘れがたいだけで「ヒーイズマイライフ」のフィリピーナも「バットアイアム」の黒人も、ふと出会った日本人のことなどきっと忘れているはずだ。

 そうなると、逆のことだって考えられる。己は全く記憶にないものの、自分が放った何気ない言葉が誰かの心に突き刺さり、今でもずっと残っているのかもしれない。
 心温まるような言葉ならまだいいが、そんな気の利いたことを自分が言っていたとは到底思えない。むしろ誰かのトラウマになるようなえぐい言葉を投げかけておきながら、本人はすっかり失念している可能性の方が全然高い。

 言葉はいつも人の心をいい方向に動かすとは限らない。だから、恐ろしい。一度口から出たら最後、自分からは離れてひとり歩きしてしまうのだ。
 ふとした日常、何気なく放つひと言ひと言に、気をつけて生きたい。そしてできれば、多くの人に記憶されるような、いい言葉を発したいものである。

<執筆者プロフィール>
もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。


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