プレハブ小屋のラーメン屋「一(かず)」ですすった俺史上最高の一杯。
だれでも思い出の数だけ、涙の数だけ、噛みしめた”味”がある。クックパッド芸人藤井21が思い出す、子供の頃に食べたなんの変哲もない「醤油ラーメン」。
『たんぽぽ』に出てきた醤油ラーメンを探して
あの味を超えるラーメンにはもう決して出会えない。
そんな大層なことを言ったところでそのラーメンは、やれ魚介と豚骨のダブルスープだとか、奇抜なトッピングが乗っていたりなんてことはない。
何の変哲もないただの醤油ラーメンだった。
でもきっとあの味を超えるラーメンには出会えない。そう思わせるラーメンだった。
あれはまだ僕が小学生の頃だった。
夜9時からのテレビのロードショーを見ていた。
その日放送していたのは伊丹十三監督の『たんぽぽ』。
半熟とろとろ卵の「たんぽぽオムライス」を世間に広めたこの映画は、宮本信子さん演じる未亡人のたんぽぽが、ひとりで切り盛りする寂れたラーメン屋をトラック運転手のゴロー(山崎努)やガン(渡辺謙)たちが店を立て直すストーリを中心にした、食のオムニバス映画。
この日僕はこの映画を初めて見ていた。
この映画が鮮明に記憶に残っている。
今でも結構細かいシーンまで覚えていたりする。
餅を詰まらせるおじいさん、ずるずる音を立てて食べるスパゲッティ、海女の女の子が採った牡蠣。
そしてなによりその映画に出てくるラーメンが美味しそうだった。
チャーシューと小口のねぎ、そしてメンマが乗っただけの普通の醤油ラーメン。
当時我が家の不文律に夜9時過ぎたら寝なければいけないというものがあった。
しかし小学生にとって夜9時を超えて起きているのはかなり困難で、そんなルールがなくてもちゃんと寝ていたのだが、その日は映画を見終えるまでしっかりと起きていた。
眠気を忘れるくらい映画が面白かった。
眠気など吹き飛んで、映画を最後まで見た後で父親が一言「ラーメン食い行くか」と言った。
寝間着のまま父親の運転する車に乗って5分くらい。
国道沿い、畑に囲まれた一カ所にぼんやりと明かりが見えた。
プレハブ小屋のラーメン屋
畑の隅の方にそのプレハブ小屋のラーメン屋があった。
入り口にかかった暖簾には漢字で「一」とだけ書かれている。
中を見ると客席は6席のカウンターだけ。店内は調理場を入れても正味6坪ないくらい、冷蔵庫は家庭用の冷蔵庫を持ち込んでいたし、電気は電源を引いてないから店の脇に発電機が置いてあった。
そんな質素なラーメン屋が「一(かず)」だった。
狭い店内はその時満席で、店内に待っているスペースなんてもちろんないので再び外に出て冬の寒空の中待っていた。
待っている間父親が「みんなあの映画見てラーメン食べたくなったんだろうな」なんて言っていた。
田舎の夜は本当に暗い。
プレハブ小屋から漏れる薄い明かり以外は国道をたまに通り過ぎる車のヘッドライト以外明かりは無い。
暗い、そして寒い中待っているにも関わらず、深夜に外にいる高揚感とこれから食べるラーメンへの期待で、興奮は高まる一方で寒さは微塵も感じなかった。
程なくして中にいた客が出てきて入れ替わるように店内に入った。
カウンターの中では小柄な赤ら顔の人の良さそうなおっちゃんがラーメンを作っていた。
壁には紙で書かれたメニューで「醤油ラーメン」と「チャーシューメン」と「ネギラーメン」のみ。
あ、映画みたいだと思った。
僕はラーメンを、父親はチャーシューメンを注文した。
出てきたラーメンはチャーシュー、小口のねぎ、メンマが乗った普通の醤油ラーメン。
あの時の味を言葉で表現しろと言われても、なんと言うか、ただ美味しかったとしか言えない味だった。
なんの変哲も無いただの醤油ラーメン、でもこの時の僕には世の中で一番美味しいラーメンだった。
それから一には足繁く通うようになった。
中学生の頃は放課後に行ったりもした。
自宅は中学校から徒歩5分もかからない超近距離にあったので自宅とは反対方向に行かなければ一(かず)には行けない。
だからわざわざ遠回りして一(かず)に通っていた。
大学生になってお酒が呑めるようになると、呑んだ帰りに一(かず)で〆のラーメンを食べたりもした。
その頃になるとカウンターでラーメンを食べながらおっちゃんといろんな話しをした。
次の日にはどんな話をしたか覚えてないようなそんな他愛もない話だったけど、行きつけのラーメン屋でおっちゃんと話している。そんな自分が少し大人な感じがして嬉しかった。
おっちゃんは機嫌が良い日はチャーシューを多めに入れてくれた。
「若いんだからいっぱい食えよ!」「米食え!でもうちにはないから持ってこい!」ってよく言っていた。
商売っ気がない人というか良い人というか。
おっちゃんは店をたたむらしい。
大学を卒業する頃だったと思う。その日もラーメンを食べておっちゃんと話をしていた。おっちゃんがふとこの店をたたむって話をした。
それからも最後の日まで何事もなかったかのようにおっちゃんの所に通い続けた。
行くたびにおっちゃんに「他でラーメン屋やるのか」とか「これからどうする」とかなんとなく聞けなくて、最後の日もいつもと同じようにラーメンを食べておっちゃんと他愛もない話をして普通に帰った。
閉店してしばらくするとおっちゃんのプレハブ小屋は跡形もなくなっていて周りと同じように畑になっていた。
何年かするとそこには奇麗なアパートが建っていた。
SNSも盛んな時代じゃないし、食べログみたいなサイトも当時なかったので、店の情報はおろか写真も残っていない。
それでもあのラーメンの味は決して忘れない。
ラーメン屋は日本中にたくさんあって激戦区なんて呼ばれる所がある中で色んな味のラーメンが数多存在する。
それでも多分あのおっちゃんのラーメンを超える味には今後も出会わないと思う。
そんななんの変哲もない僕の醤油ラーメン。
文:藤井21(クックパッド芸人)
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