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【医療ミステリー】裏切りのメス―第20回―

【前回までのあらすじ】
 「安井会グループ」安井芳次理事長との再交渉に臨んだ「チーム小倉」。助っ人として手を貸してくれることとなった埼玉県警の湯本利晴刑事は、過去、安井理事長が地元のやくざにつけ狙われていた際、その護衛を務め、それ以来プライベートでも親密な付き合いをしているという。心強い味方をつけ、「チーム小倉」は安井の説得に向かった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<3度目の面会>

 2013年4月13日(土)午後2時、約束の時間ちょうどに安井芳次の診療所に着いた。のっけから驚かされた。入口で安井が立って待っていたのだ。私と蒔田直也は間違いなく、招かざる客だったはずだ。そこに埼玉県北部の所轄署に勤める刑事の湯本利晴が加わっただけで、形勢は見事に180度逆転したのである。私の車から降りる湯本の姿を確認すると、安井の表情がみるみるゆるんだ。

「安井先生に教えてもらった例のうなぎ屋に寄ってきたんですよ。相変わらず白焼きが美味かった」と湯本が言うと、安井は「そうだろ」と顔をほころばせた。さすが、湯本が「安井は僕を息子と思っている」というだけのことはある。たわいないやりとりに、閉ざされた重い扉が再び開く予感がした。

 時間はあまりない。今日中に決着をつけなければならないのだ。すぐに本題に入った。最初はうまくいった蒔田得意のプレゼンテーションも、いまは通じなくなってしまった。うなぎ屋での打ち合わせで、私たちは湯本による説得にすべてを賭けるしかないという結論に達していた。

「安井先生、尾方肇はとんでもない男ですよ。奴はダメです」と湯本は切り出した。

「電話でも話しましたが、尾方のバックには暴力団の鈴代組がいるんです。あいつと手を組んだら、安井会グループのすべてを根こそぎ持っていかれますよ」

 私は安井に、信用調査会社から入手した尾方が率いるHOグループの報告書を渡した。それを見ながら、湯本が尾方の病院乗っ取りの手法を説明した。そして、湯本は6年前の尾方の病院乗っ取りデビュー戦の顛末を語り始めた。3日前、チーム小倉の緊急対策会議の際に蒔田が湯本に電話し、すでに私たちは話の概略は聞いていたが、今回初めて耳にするエピソードも少なくなかった。

<露呈した凶悪な本性>

「安井先生の護衛をしていた時期に仲良くなった群馬県警の刑事から聞いたんですが」と前置きして、事件の詳細を話し始めた。尾方に乗っ取られた群馬県の小規模病院が倒産後、理事長兼病院長だった男が山中で遺体となって発見された事件だ。

「向精神薬を大量に服用していたので、群馬県警は自殺で処理したんです。致死量に達するには相当な量が必要で、他人が無理やり飲ませるのは難しい。自殺という結論に達するのも仕方がないのですが、検視官はそう断定するにはわずかながら疑問の余地もあるとの見解を示していた。僕の知り合いの刑事も釈然としないと話していました」

 群馬県警の刑事の見立てはこうだった。元理事長は死亡推定時刻と思われる時間帯の5~7時間前、高崎市のクラブで飲んでいた。そこでまず、向精神薬入りのウイスキーを飲まされたようだというのである。

「死に至る量にはほど遠く、元理事長の意識を朦朧とさせるのが目的だった。そのクラブのママは鈴代組の幹部の妻で、元理事長が来ていたことは認めましたが、小一時間いただけだという。ただ、ホステスは水割りを2杯飲んだだけなのにひどく酔っ払っていたと証言しています。ママがタクシーを呼んで、それで帰らせたというのですが、そこがどうも怪しいのです。タクシーを運転していたのが松代組の関係者ではないかと、群馬県警の僕の知り合いは疑っているのです。そのまま、元理事長は拉致されたのではないかと」

 一言も発せず黙って聞いていた安井の顔が心なしか青ざめている。湯本はさらに続ける。

「尾方が同行していたかどうかはわかりませんが、犯行に及んだのは2~3人でしょう。元理事長を群馬県最南端の諏訪山の山中に運び殺した。発見場所と殺害場所は一致しているものと思われます。ただ、ゲソコン(足跡)は採取できていない。落ち葉が厚く溜まっていて、取りにくい状況ではあったものの、ひとつも見つからないというのもおかしい。もし自殺なら、ゲソコンを取られるのを気にせず歩くはずです。となると、ゲソコンを残していないのは逆に、犯罪のにおいがプンプンする。プロの仕業ではないかと推察できるのです」

 問題は、致死量に達する向精神薬をどう飲ませたかだ。遺体には無数の小さな傷がついていたが、薬の大量服用で苦しくなった元理事長が七転八倒しながら、からだじゅうを掻きむしったものと見られていた。

「傷は犯人たちが薬を無理やり飲ませようとした最中に、意識を取り戻した元理事長が暴れてついたものでしょう。そこで犯人たちは元理事長をおとしなくさせるために、首を絞めた。ただ、死ぬほど強くではない。タオルのようなもので、ゆっくり絞めたのでしょう。だからあともついていない。失神させたあとは、鼻をつまむなどして口を開けさせ、薬を水で流し込んだのだろうと、知り合いの刑事は推察していました」

 絞殺の場合、まぶたの裏の毛細血管が破れて出血、顔が充血して膨らむ、小便や精液を漏らす、といった証拠が残りやすい。そこで、犯人は首を絞めたとき、死に至らしめることはしなかったのだろう。それでも検視官は「手を縛ったあとと、絞める際に首にできるくぼみがかすかにある」と指摘した。湯本の知り合いの刑事は他殺を主張したが、自殺説をくつがえすほどの決定的な証拠は得られず、それ以上の追及はできなかったという。

「この刑事はいまでも、6年前の事件は尾方肇らによる他殺だと確信しているようでした。それにしても奴らはなぜ、殺害という危ない橋を渡ったのか。その動機は、元理事長が尾方や、軍資金を出していた鈴代組のフロント企業・ベルファイナンスの代表・木村恭二郎を、特別背任や詐欺で刑事告訴しようと動いていたからです。病院を乗っ取られ、瞬く間に食い尽くされたうえに、命まで奪われるとは……。筆舌に尽くしがたい非道さです」

<おびえる安井>

 安井のからだがブルブルと震えだした。「まさか、奴らからカネを借りる契約を結んだのではないでしょうね」と湯本はたずねた。

「いや、まだだけど。明日、ゴルフ場で尾方と会う約束になっている。ベルファイナンスの木村も来るそうだ」

 思った通りだった。明日の日曜日、尾方らは一気に本契約まで持っていってしまうつもりなのだ。契約書に署名捺印したら最後、理事長印を勝手に使われ、手形を乱発。借りた額の何倍ものカネを引き出され、病院はすぐに立ち行かなくなるだろう。そこで反撃に出れば、6年前の元病院理事長のように消されてしまうかもしれないのだ。

「安井先生、明日の約束はすぐにキャンセルしてください。せっかく、こちらのチーム小倉のみなさんが病院グループ再建に力を貸してくれると言っているのだから、任せたらどうですか。先生が骨の髄まで吸われるのをこのまま黙って見ているわけにはいきません」

「そうした凶暴な人間との約束を直前になって反古にしても大丈夫だろうか」

 病院グループを独裁的に運営してきたトップとは思えないほど、おどおどしていた。これまでの強気一辺倒だった態度はすっかり影をひそめていた。湯本は安井を励ますように「大丈夫です。僕がついていますから」と言った。

「14年前、パチンコチェーンのオーナーや地回りから命を狙われたときも、安井先生は動じなかったじゃないですか。あのときは半年間ずっと、先生の護衛に当たらせてもらいましたが、今回も守ってみせます」

 安井は私たち3人が見ている前で、震える指先で電話機のダイヤルを押した。スピーカー機能を使い、私たちにも通話が聞こえるように設定した。すぐに尾方が出た。

「先生、どうしました」

「いや、明日のゴルフだけど、キャンセルさせてほしいんだ」

「体調がお悪いんですか」

「……」

「明日はベルファイナンスの木村社長にも来てもらうんで、病院の資金調達の話もできると思ったんですがね。ゴルフが無理でしたら、木村社長と2人で診療所のほうにうかがいますよ」

「それは困る。できれば、もうつきあいはやめたいんだ」

「それはどういう意味ですか」

「尾方さんとはもうお会いしたくないんです」

「いまさら、何を言っているんですか。ベルファイナンスの木村社長とも話をつけ、融資のOKまでもらったんですよ。もう引き返せないんです」

「……」

「このままではすみませんよ」

 湯本が安井から受話器を取り上げ、「このままではすまないとはどういう意味だ」とドスのきいた声で言った。

「あんた、誰だ」

「埼玉県警の湯本だ。オマエとは何度か顔を合わしているはずだが、もう声を忘れたか」

「刑事が出てくる幕じゃねぇだろ」

「とにかく、安井先生はオマエらとはもう会わないということだ」

 湯本はガチャンと電話を切った。
(つづく)

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