【医療ミステリー】裏切りのメス―第52回―
【前回までのあらすじ】
一酸化炭素中毒で命を狙われたチーム小倉のリーダー下川亨と妻・佐久間君代。事件のあらましを推測していくうちに、医療用麻薬で眠らされ、小型発電機を使った犯行ではないかと憶測した。事故で処理される可能性が高いことから警察に被害届は出さず、自らで調査することにしたチーム小倉。まず、一番疑いのある尾方肇のアリバイから調べることとなった。
陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。
<事件の証拠>
「もうひとつ、聞き忘れていたことがあるんだが」
つい先ほどまで都心の病院にいた私と佐久間君代は、湯本利晴が運転するマークⅡに乗っていた。ちょうど四半世紀前に出たX60系のセダンで、15年前に中古を格安で購入したものだという。走行距離はとうに40万㎞を超えているそうだが、乗り心地は思ったほど悪くなかった。湯本はこれから群馬の医療モールに行かなければならないので、私たちを埼玉県北部の安井中央病院まで乗せていってくれることになった。私もハイエースで東京に来ていたが、ごく軽い一酸化炭素中毒とはいえ、一応、病み上がりなので、車はそのままマンションのガレージに置いてきた。私は病室で聞けなかったことを湯本にたずねた。
「蒔田直也君と白木みさおさんが殺されたときは、医療用麻薬のオピオイドが使われていたけど、私たちに対してはどうだったのかな」
「病院で大ごとになってもまずいかと思い、調べてもらっていないんです。蒔田さんと白木さんの事件のときは、赤ワインにオピオイドが混ぜられていた可能性が高い。とりあえず、下川さんの部屋にあった赤ワインの空のボトルを持ち帰ってきました」
蒔田の部屋に残されていた空のワインボトルは3本あったが、オピオイドは検出されなかった。いずれもていねいに洗われていたからだ。
「今回、犯人は僕が部屋に来るのがわかって、あわただしい中で逃げたはずなので、ボトルを洗うひまなどなかったのではないでしょうか。そこでとりあえず、証拠となるかもしれないブツを押さえておこうと思ったのです。ところで、下川さんたちは昨晩、ワインは飲まれたのですか。部屋には空のボトルが1本あるだけで、それ以外にアルコール類は見当たりませんでしたが」
「東京のマンションに行くのは基本的に月2回だけだから、酒はあまり置いていないんです。昨晩、2人で飲んだのはその1本だけかな。そんなへんな味はしなかったけど」
後部座席にいた佐久間も「普段飲んでいるチリ産のワインだったけど、いつもと同じでした」と言った。
「ともかく、埼玉県警の科捜研に調べてもらいますよ。民間人となったいま、勝手に警察官を使ったらまずいのだけど、とても仲がよかった所員がひとりいるので、仕事の合い間にやってくれるでしょう。コルク栓も持ってきたので、それも調べてもらいます」
「コルク栓を何のために?」
「オピオイドをワインに混ぜているとしたら、注射器を使っている可能性が高い。栓の上から注射針を差し込んで注入したと思われます。コルク栓を覆うアルミのキャップシールも調べる必要があるのですが、下川さんの部屋のゴミ箱に捨てられていたそれは、破けてクチャクチャになっていて、針を刺した跡を見つけるのはまず無理でしょう。そこでコルク栓を調べてもらおうと考えたわけです。コルクスクリューで穴が開いてしまっているので、針が刺されていたかどうか、確認するのは難しいですが、コルクの内部を調べてみる価値はありそうです」
「なるほど──。針を刺している途中でオピオイドの液が漏れて、コルク内に付着している可能性があるということか」
湯本は大きくうなづいた。月曜日のわりに道は意外に空いていて、午後1時前に安井中央病院に着いた。湯本は私たちを降ろすと、「尾方肇の当日の行動がわかったら、すぐに連絡します」と言い残し、医療モールに向かった。
<思いがけない木村の出所>
それから5日後(2017年4月22日)の土曜日昼すぎ、湯本から「尾方のアリバイについて話したい」と連絡が入った。この間、湯本には相当な迷惑をかけてきたので、ねぎらいと感謝を込めて、ふぐ料理を出す群馬県南部の割烹に招待することにした。
午後7時、店に湯本が姿を現した。相変わらず、顔色は悪い。検査を受けるように再三、言っているが、なかなか時間が空かないようだ。医療モールの運営を任せきりにしているうえ、私と佐久間の命を救ったりと、忙しさの原因をつくっているのはこちらなので、あまり強くも言えない。
まず、白子酒で医療モールの成功を乾杯した。とらふぐの旬は真冬の12月から2月あたりとされているが、白子がもっとも美味しいのはいま。とらふぐは春から初夏にかけて産卵期を迎えるので、ねっとりと濃厚になって旨みも増すのだ。
割烹の店主に頼んで、白子づくしのコースにしてもらった。一尾から取れる白子の量は限られている。他の客にも饗したいところなので、2人のためだけに何尾分も出すわけにはいかないのだが、無理を聞いてもらった。医療コンサルタント時代に、この近くで開業している医師に連れられ、たびたび来ていて、店主とは馴染みになっていた。
白子ポン酢、白子焼き、白子の天ぷら、白子のグラタン、白子の塩釜……。とらふぐの白子料理がこれでもかと運ばれてきた。4月下旬とはいえ、夜になるとまだ寒い。白子酒を何杯をお代わりしているうち、からだがぽかぽかと温まってきた。湯本が「尾方にはアリバイがありました」と切り出した。
その言葉を聞いても別段、驚かなかった。手口から、私と佐久間を狙ったのは、蒔田と白木を殺した犯人と同じに違いない。だが、真っ先に頭に浮かんだ尾方犯人説には無理があると感じていた。いや──。蒔田と白木が殺されたときから、それはわかっていたのかもしれない。ただ、そうなると、また別の人間を疑わなければならない。それを考えるのが怖くて、尾方を犯人と決めつけようとしていたのだ。
「下川さんと佐久間さんを狙った犯行があった時間、尾方は木村恭二郎の出所祝いパーティーに出ていたんです」
「木村がもう娑婆に!?」
北関東を根城にする広域暴力団・鈴代組のフロント企業ベルファイナンスの社長だった木村は、安井会グループの創設者、安井芳次に対する襲撃事件で6年の懲役を食らっていた。主犯と見られた尾方が懲役4年だったのと比べ、2年も長くなったのは、傷害罪に銃刀法違反が加わったせいだけではなかった。警察の取り調べで一切、口を開かなかった木村は、法廷でも完黙を貫き、著しく心証を悪くした。
「木村は4月14日(金)に出てきたようです」
それにしても、出所が早すぎるのではないか。たしか、刑期は2019年6月までだったはずだ。6年の刑期のうち2年2ヵ月を残して、仮釈放が認められたことになる。
刑期の3分の2を終えた時点で仮釈放をもらうケースを、受刑者が使う隠語で「3ピン上がり」という。法的にはもっと刑期が縮まる可能性もあるのだが、実際はこれ以上早く出所が認められるケースはほとんどない。3ピン上がりだとしても、木村の場合、今年(2017年)6月の出所ということになる。それがさらに2ヵ月、早まっているのである。
「府中刑務所に入っていたんですが、かなりの模範囚だったようです。ただ、反社会的勢力の人間が仮釈放をとるのは簡単ではない。再犯率が高いですからね。それでも認められたのは、まず、身元保証人がしっかりしていたこと。尾方の義理の母で、教職者だった峯田友子がなってくれた。それと、鈴代組と完全に縁が切れていた点も大きかったといえます」
鈴代組組長の鈴山峰雄は木村の従兄だが、関係は修復不能なほど悪化。刑務所に入ってまもなく、組から破門状が届いた。ただ、破門といっても、額面通りに受け取るわけにはいかない。受刑者が仮釈放を得るためだったり、組の組織防衛を図るための偽装破門が少なくないからだ。
「仮釈放を審査する地方更生保護委員会でも、偽装破門をかなり警戒している。しかし、木村の場合は、破門状が届いてから3ヵ月後に、彼の牙城であるベルファイナンスを組が勝手に他の金融機関に売却。誰の目にも鈴代組が木村を切ったのは明らかで、委員会としても、その事実を注視。もはや、組に復帰する可能性はないだろうと判断したのです」
地方更生保護委員会がもうひとつ重視したのは、今年2月に73歳の誕生日を迎えた木村の健康状態だ。腎機能がかなり低下していて、府中刑務所の勤務医からも「近く透析が必要になる」という診断が出されていた。それも、仮釈放を早める理由になったという。
「出所する木村を府中刑務所に迎えにいったのは尾方です。彼をいっぱしの病院乗っ取り屋に育て上げたのは木村ですからね。なんだかんだ言って、とても慕っている。出てくる日時がわかるとすぐに、新宿歌舞伎町の風林会館近くのクラブを押さえのです」
<アリバイ成立か>
私と佐久間が狙われた4月16日、尾方は夜8時からそのクラブを貸切にしてもらい、木村の出所祝いパーティーを開いた。日曜日なので定休日だったが、尾方はホスト時代からそこのママと懇意にしていて、ホステス数人も出勤してくれることになった。
「尾方も木村も鈴代組と縁が切れていることもあって、ベルファイナンスの元社員を除いて、暴力団関係者らしき人物はほとんどいなかった。ほかに参加したのは尾方のパートナーのジャイー(尾方佳子)やその養母の峯田友子。あとは木村の東大時代のゼミ仲間といったところで、総勢15人。傍目からは学識経験者の集まりのように映り、ホステスたちもどう接したらいいのか、戸惑っていたようです」
木村が大学で専攻していたマルクス経済学がなぜ、いまや見向きもされなくなったのか、そんな議論がお開きになる午前1時まで続いたという。
「その間、尾方が抜け出すようなことはなかったのですか」
「実を言うと、僕がいた所轄署の刑事が2人、偵察に来ていたんです。安井芳次襲撃事件はうちのヤマですからね。終わった事件とはいえ、一応フォローしているようです。彼らの話によると、尾方が店の外に出ることは一度もなかったと」
やはり、尾方肇は犯人ではなかった。蒔田と白木の事件も尾方ではないだろう。犯人探しは振りだしに戻ったようだが、私の頭にはあるひとりの存在が浮上していた。
(つづく)