第10回写真

【医療ミステリー】裏切りのメス―第10回―

【前回までのあらすじ】
 東京で世捨て人をしていた脳外科医・小倉俊明から医師免許を買い取った医療コンサルタント・下川享。その医師免許を手に、元天才外科医・吉元竜馬へ「小倉へのなりすましによる医師免許復活」を提案し、同時に自身が考える「病院一大チェーン構想」に協力を要請した。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<プチ整形>

 吉元竜馬は自分の部屋に戻ってからも、したたか飲んだのだろう。翌日、私の部屋に現れたのはとうに10時をすぎていた。やはり、吉元竜馬の名を捨てろと言われたことがショックだったに違いない。涙を流したのか、まぶたが腫れ、端正な顔からは生気が失われていた。

 黙ったまま、席についた吉元に「おはようございます」と声をかけた。返事はなかった。テーブルにはコンビニで買ってきたバケットとサラダを置いておいたが、それらには手をつけず、私が手動のエスプレッソマシンで入れたコーヒーだけ口にした。それを飲み干すと、吉元は呟くように「下川さんの提案を受けることにするよ」と言った。

 一段階、前に進んだことに、私は内心、快哉を叫んでいた。吉元がパートナーになってくれることは、単なる前進ではない。私が模索する病院一大チェーン構想の実現に向けて、絶対に欠かせないパーツであり、果てしなく大きな第一歩なのだ。

 しかし、これで終わりではない。さらに越えなければいけないハードルがあった。「言いにくいのですが、先生にはもうひとつだけ、お願いしなければならないことがあります」と切り出した。

「顔をほんのちょっと、いじってほしいのです」

 意味がわからなかったのか、吉元は当惑したように私の目を見つめた。

「これから先生には小倉明俊という医師になってもらうわけですが、容姿を少しだけあちらに寄せてもらいたいのです」

 吉元は察したようだった。

「僕に整形をしろということですか」

 私は頷き、こう続けた。

「そっくりになる必要はありません。そもそも顔はかなり似ているので、メスを入れるほどのことはないと思うんです。美容外科で先生の切れ長の二重をちょっとバタくさくしてもらえればと。美しい顔を逆に落としてしまうのは気が引けるのですが……」

 外科全般をこなせると豪語する天才外科医も、さすがに美容外科にはくわしくないようだった。私の医療コンサルタントとしての顧客の中には美容外科を開業する医師がいた。カネの亡者のような奴で、一族はもとより愛人まで架空職員にして、税金をケチっていた。いつ脱税で摘発されてもおかしくない状況だったが、さらに節税できないか、私のところに相談に来たのだった。

 しかし、この相談は節税指南だけではすまなくなってしまった。その守銭奴ぶりはともかく、腕は確かな医師だったが、患者から訴訟を起こされそうになったのだ。60代の女性患者に腹部の脂肪吸引手術を行ったところ、事前に「美しいラインができます」と説明されていたのに、かえって醜くなってしまったと怒っているという。

「先生、クレーム処理をなんとかしてください」と医師は泣きついてきた。こんなときだけ先生と呼びやがって思ったが、医療コンサルタントなんて、よろず相談屋みたいなものだ。雑用を断っていたら、顧客をどんどん失ってしまう。

 被害を訴える女性患者と会うと、患部の写真をまず見せられた。そして、こちらが「そこまではけっこうです」と言っているのに、「ちゃんと見てもらわなければ、わからないでしょ」と、下着を下にずらし、その部分を露わにした。なぜ、こんなものまで見せられなければいけないのか、情けなくなった。ともかく、そこは波状に変形し凹凸ができていた上に、余った皮膚が大きくたるんでいた。

 私は「クリニックのほうで改善ができると言っているので、もう一度、治療をしてみたらいかがでしょうか。もちろん、費用はいただきません」と提案。「あんな医者、信用できない。うまいことばかり言って、あまりにヘタクソじゃないの。あそこにかかるくらいなら死んだほうがましよ。訴訟の準備もしているから」と取りつく島もない。

 訴訟になって悪評が立ったら、人気商売の美容外科はひとたまりもない。時間をかけて女性を説得し、500万円を支払うことで決着した。医師はもっと安くならないかと言ったが、冗談じゃない。これでも粘った末に、やっと納得させた金額だ。愛人にはせがまれるたびに、何百万円もするブランド品を平気で買い与えるくせに、肝心なところでカネをケチるのだ。結局、私の努力に対しては、2ヵ月ごとにもらっている数万円のコンサルタント料に、1円の上乗せもなかった。

 その代わりにこの医師には貸しができた。いろいろな秘密を握っているので、こちらが求めれば、便宜を図らないわけにはいかないだろう。吉元の目の手術は奴に頼むことにした。手術をしたこと自体、絶対に外に洩らさないように約束させた。

 手術といっても、ごく簡単なものだ。吉元から言わせれば、「こんなものは手術じゃない。応急処置のようなものだ」と、施術した医師を同じ外科医と呼ぶことさえ、ためらわれるといった反応だった。

 実際、手術時間はわずか20分。埋没法といって、メスを使わず、まぶたを糸で止めるだけ。いわゆるプチ整形と言われている方法だ。このクリニックで価格が一番高いタイプの埋没法をやってもらったが、それでも両目で30万円足らず。ただし、カネは払っていない。さんざん尽くしてきたのだから、当然だろう。

 だが、わずか30万円をまけさせたことを相手はいつまでも覚えているだろう。今度は向こうがマウントポジションをとってくる番かもしれない。払ったほうがよかったかと、あとで少し後悔した。開業医とつきあっていると、こちらの金銭感覚までおかしくなってしまう。

 吉元の目は幅広でくっきりした二重になった。小倉明俊の容貌に寄せられたかどうかはわからないが、雰囲気はだいぶ変わった。これが私の狙いだった。一番大事なのは、小倉に見えるかどうかではなく、吉元竜馬と見抜かれないことだ。

 小倉を知る者は関西に集中しているので、こちらで出会う可能性はもともと少ない。たとえ、その中の誰かが上京して吉元を見て、小倉ではないと言い切れる仲間がどれほどいるのだろうか。ほとんどいないに違いない。小倉という人間がすでに忘れ去られつつある存在になっているからだ。

 医療過誤で逮捕された小倉は、裁判で無罪を勝ち取ったものの、その間にすっかりアルコール依存症になってしまった。そして、医者仲間が大阪・西成の立ち飲み屋で見かけたのを最後に行方知れずになっていた。そのときでさえも、かつての風貌とはだいぶかけ離れ、声をかけるのもはばかられたという。

 5ヵ月前、東京・山谷のドヤ街で小倉を見つけ出したときは、その変わりように驚いた。といっても、私が実物と対面するのは初めてだったが、写真とは全然違っていたし、何より42歳という年齢がまったく信じられなかった。やっと会えた男は70歳近くに見えたのである。

 知り合いが小倉を探そうとしても、まず山谷にいるとは思わないだろうし、仮に居場所が特定できて目の前にいたとしても、そのまま通りすぎてしまうだろう。つまり、この世に小倉明俊が2人いることに気づく人間が現れるような事態を怖れる必要はほとんどなかったのだ。

 とはいえ、いまの小倉とは違って、吉元竜馬を知っている人間は首都圏にはたくさんいる。さらに慎重を期すべく、私は吉元に尋ねた。

「ところで先生、これまでひげを生やしたことはありますか」

「いや、一度もないね。学生だったころ習ったのは、医者という奴は忙しさにかまけて、ずぼらになりがちだから、身だしなみだけはきちんとして、常に清潔感を保つように努めなさいと。患者に不快感を与えないように、ひげもきちんと剃れと言われたので、しっかり守っている。もっとも、生やしたいと思ったこともないが」

「患者が不快感を持つとしたら無精ひげのことでしょう。でも、ひげを一度も生やしたことがないのなら、なおさら都合がいい。吉元竜馬とばれないためにも、念には念を入れて、ひげを生やしてもらえませんか」

「それはかまわないが、どんな感じをイメージしているの」

「たとえば、黒沢映画『赤ひげ』の三船敏郎なんかどうですか」

 吉元にはぴんとこなかったらしい。インターネットで検索して「赤ひげ」のポスターを見せた。

「これはむさ苦しすぎるでしょ。ちょっと嫌だな」

 もみあげから続くあごひげ、口のまわりもぐるっとひげが囲み、三船敏郎の顔の3分の1をひげがおおっている。むさ苦しいと言われれば、たしかにその通りだ。

「とりあえず、ひげのスタイルは先生にお任せします。これから3ヵ月ほど伸ばしてもらって、ご自身で形を決めてください。そのあたりから計画を本格的に始動させたいと思っています。先生はダンディだから、きっと似合いますよ。楽しみにしています」

<チーム作り始動>

 病院一大チェーン構想実現に向けたプロジェクトの本格的スタートは2013年3月と決めた。あと3ヵ月足らずしかない。私はその準備のために駆けずりまわらなければならなかった。まずは、私と吉元竜馬以外のコアメンバーのオルグである。

 重要なのは、看護師をとりまとめる看護部長と、病院のマネジメントを担う事務長の人選だ。すでに私の頭の中では候補は絞られていたが、まだ同意はとっていない。吉元が私のパートナーになる確約がなければ、このプロジェクトは成り立たず、その前に声をかけるわけにはいかなかったからだ。彼が刑務所を出所してOKをとりつけ、ようやく次のステップに進めることになった。

 プロジェクトを展開するにあたって、病院乗っ取り屋の手口を大いに参考にさせてもらおうと思っているが、奴らに狙われるような病院の経営陣は総じて無能である。そうしたところには優秀な人材が集まらず、例外なく看護師の確保に四苦八苦している。

 近年の病院業界の看護師不足は深刻な状況だ。看護師側からすると、完全な売り手市場であり、この病院が嫌だと思って退職しても、すぐに次の就職先が見つけられる。わざわざ評判の悪い病院に勤め続ける必要がないのだ。看護師体制が崩れてくると、さらに評判が落ち、患者からも見放されるという悪循環に陥っていく。

 常勤だけでシフトが組めない場合は、派遣会社を通して看護師を雇い入れることになるが、入れ替わりが激しく、安定した体制が維持できない。しかも、高額の人材紹介手数料もかさみ、病院の資金繰りは悪化。病院乗っ取り屋の格好の餌食となってしまうのである。

 私の構想では、ろくでもない経営者から経営権を奪うところまでは、こうした病院乗っ取り屋と同じだが、その先が違う。乗っ取り屋は病院の資産を手っ取り早く現金化することを目指すが、こちらは傘下に収めた上で再建を進めていくのだ。そのためには、自分たちで看護師を集めることが重要になってくる。再建中の病院に好きこのんで来る看護師はほとんどいないだろう。看護部門のトップである看護部長に、看護師を動員できる力があれば、それに越したことはない。

 私が看護部長の最有力候補と考えているのは、佐久間君代という31歳の看護師だった。30代そこそこで看護部長とはまずありえない人事だが、それだけ彼女の能力を高く買っていた。

 佐久間と最初に出会ったのは7年前。私が医療コンサルタントを務めた東京・大田区のクリニックで、看護師として働いていた。同院は腫瘍内科を標榜し、主に抗がん剤治療を行っていた。病床数は診療所の上限の19床で、稼働率は95%を超えていたが、医師は院長ひとりだけ。大儲けしていた。私への依頼はご多分に漏れず、節税対策だった。

 このクリニックの内情を知ろうと、あるとき、佐久間を飲みに誘った。品川のバーに入り2人でスコッチを傾けていると、酔いがまわってきたのか、彼女は次第に饒舌になっていった。

「あの院長は看護師を人とも思わず、こき使うんです。先月だって、まもとに休みがとれたのは3日だけですよ。月の労働時間は220時間を超えているんです」

 佐久間が勤めだしたころは8人の看護師が在籍していたが、次々に退職。わずか2年の間に4人まで減ってしまった。途中で何人か看護師が入職したが、あまりのハードワークに3ヵ月ともたず、みんなやめていったという。

「もっとまとまな職場に変わりたいです」
「もし、院長に黙っていてくれれば、世田谷区の総合病院なら紹介できるよ。向こうも看護師が足りないから、すぐに入れると思う」

 数日後、その総合病院に佐久間を連れていき、看護師長や事務長らと顔合わせした。その場で翌月からの転職が決まった。

<レズビアンネットワーク>

 品川のバーに行った晩、私と佐久間は男女の関係になった。といっても、その日一度きりだ。ホテルのベッドで、彼女はこう告白した。

「私はバイセクシュアルなんです。どちらかというと、レズビアンのほうが強いかな」

 彼女の顔をじっと見た。髪はショートで、どことなくボーイッシュな感じもする。だからレズビアンというのはあまりに短絡的な見方だが……。いずれにしても、このことが今回、非常にプラスに働くのである。

 その後も数ヵ月に1回程度、佐久間と会って情報交換をしていた。酒を飲んでも、もうホテルに行くことはなかった。まだ、彼女は私が紹介した世田谷区の病院に勤めていた。肩書は看護師長になっていた。この病院に勤めだして6年半しかたっていないのに、ひとつの病棟を任される立場に抜擢されるとは、よほど人望があるのだろう。

「私が看護師を連れてくるのも評価されているんだと思う。実は、看護専門学校時代にレズビアンのサークルに入っていたんです。その学校だけでなく他校も一緒にやっているサークルで、OGも含めると500人近く在籍する大きな組織です。その人脈があるので、看護師を見つけやすいんです」

 その話を3ヵ月前に聞いていたので、私のプロジェクトに絶対、佐久間を入れようと決めていた。2013年2月初頭、私のマンションに来てもらった。もちろん、男女の仲を復活させようなんていう気はさらさらなかった。私はこと細かに自分の計画を説明した。

「いまの病院は下川さんに紹介してもらったものだし、今度は私が協力する番ですね。ぜひ加わらせてください」

 鬼に金棒とはこのことだろう。事務長の当てもついている。これまた、たぐいまれな能力を持った人物だ。史上最強の病院再生チームが医療界に殴り込みをかけるのはまもなくである。
(つづく)


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