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【医療ミステリー】裏切りのメス―第28回―


【前回までのあらすじ】
「チーム小倉」のリーダー下川亨は知己の刑事・友部隆一から尾方が鈴与組の舎弟になった本当のいきさつを聞く。中国人少女・林佳怡(リン・ジャイー)に貢がせたと脅された尾方だが、それは鈴与組の罠だったのだ。
 その後、友部は細々と尾方の調査を続けており「最近、尾方が林佳怡と一緒にいるところを見た」と話始めた。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<ラブホテルに潜伏>

 多摩地域の警察署の刑事、友部隆一が新宿で尾方肇を見かけたのは約1年前の2012年5月初めのことだった。2009年春、尾方は埼玉県北部にある220床の中堅病院の乗っ取りに成功。その後、埼玉県警の所轄署が立件に向け動いたが、逮捕には至らず、湯本利晴刑事らが細々と捜査を続けていた。

「尾方が堂々と姿を現したということは、ほとぼりが冷めたと判断したのだろう」と友部は自分の見立てを話し始めた。すでに午前3時をすぎていたが、思いがけない話を聞いて、私は酔いも眠気もいっぺんに吹っ飛んでいた。それにしても、尾方はなぜ、自身を転落させる発端となった中国人少女、いまは31歳になった林佳怡(リン・ジャイー)と会っていたのか。

「埼玉県警が触りだした以上、こちらがさして尾方を追う理由はなかったんだが、刑事の習性なのか、とにかく、大久保公園で落ち合った2人のあとをつけたんだ。あいつらは職安通りを越え、新大久保のコリアンタウンに入っていった。そしてそのまま、ラブホテルの中に消えてしまった」

「男女の仲を確かめ合ったと」

 私はこんな陳腐な言い方しかできない自分が情けなかったが、ほかに言葉も見つからなかった。友部はそんなことを気にするふうでもなく、語り続けた。

「それもあるだろうが、単にラブホテルにしけ込んだのとはワケが違う。そのラブホテルの一室を尾方は定宿というか、住まいにしていたんだ」

 友部の調べでは、その部屋を月極で10万円で借りていたという。ラブホテルのそうした利用の仕方があるとは知らなかったが、週に2度、従業員が掃除をして、シーツも替えてくれるというのだから、決して高くはないだろう。

「ラブホテルで暮らし始めたのはその2年ちょっと前からだそうだ。埼玉県の所轄で尾方らによる病院乗っ取り事件の帳場(捜査本部)が立ったころと一致する。尾方にもすぐ、そのネタが入ってきたのだろう。暴力団の情報網は僕ら警察以上だからな。それで姿を消した先が新大久保のラブホテルだったというわけだ」

 暴力団というのはマスコミと似ているところがある。どちらも、情報で食っているという点では一緒だ。それをどうやってカネにするか、その手段が違うだけだ。むしろ、私が舌を巻いたのは、友部の情報収集能力だった。彼が把握していたのは、埼玉県警の所轄署の動きだけではなかった。

「埼玉県の病院の件だけなら、起訴されても詐欺や業務上横領で済みそうだから、尾方としても何とかなると高をくくっていたはずだ。それよりも、その3年前に尾方が手がけた群馬県の病院の件が蒸し返されるのが怖かったんだろう」

<再び行方をくらませた尾方>

 それは、尾方が初めて臨んだ病院乗っ取りだった。60床の小規模病院からわずか2ヵ月足らずで1億5000万円を収奪してしまったのだ。勢いに任せて、ただ手形を乱発するだけの荒っぽいやり方だった。当然のように病院は倒産。それからまもなく、理事長兼病院長だった男性の遺体が群馬県南部の諏訪山の山中で発見された。

 地元紙がベタ記事で扱っただけだったが、以前から尾方の情報を集めていた友部が報じられていない細部まで知っていても不思議ではない。私が驚いたのは、その件で尾方が不安を覚えていると、友部が見ている点だった。友部は「殺人の疑いもある」とはっきり言ったのだ。

 この病院理事長の死について、群馬県警ではすでに自殺で処理していた。ただ、県警の一部の刑事はそうは見ていなかった。わずかながら、他殺を思わせる状況証拠があったからだ。彼らは捜査本部を立ち上げるべきだと主張したが、それが通ることはなかった。

 私たちチーム小倉の面々は、湯本刑事を通して、そうしたいきさつを知った。埼玉県警の湯本がその情報にタッチできたのは、別の合同捜査で仲良くなった群馬県警の刑事の存在があったからだった。

 一方、警視庁の友部はそれを知る環境にはない。群馬県警が自殺と判断したところまでは把握できても、県警内部で殺人を疑う声があったことをキャッチするのは相当、難しい。友部が所属するのは、東京の西の端っこのほうにある小さな所轄署なのだ。しかも、ベテランとはいえ、階級は巡査部長にすぎない。簡単に情報を得られる立場ではなかった。

 医療関連の何か特別なルートを持っているのだろうと思ったが、どこでそのネタを仕入れたのか、あえてたずねることはしなかった。聞いても、はぐらかされるに決まっているからだ。それよりも、チーム小倉にとって今後、脅威となる可能性が高い尾方がいまどうしているのか、その行方の手がかりが欲しかった。

「友部さんはその後も、尾方を追っているのですか」

「そうしようとしたんだが、ラブホテルのオーナーや関係者から話を聞いているうちに、そのことが尾方の耳に入ったんだろうな。それだけが原因ではないんだが、奴は姿をくらましてしまった。以降、どこにいるのかはわからない。もっとも、僕がいつまでも尾方を追っているというのも変な話でね。埼玉県警にケンカを売っているようなもんだからね。向こうのネタなんだから。尾方をたまたま、新宿で見かけたから、ちょっと調べてみたくなっただけだしね」

「ラブホテルにいた2年もの間、尾方は何をしていたんですか。ただ部屋に閉じこもって、じっとしていたというわけでもないでしょ」

「夜はひそかに出歩いていたようだ。学生時代、アルバイトをしていたホストクラブの仲間が歌舞伎町で洋食居酒屋をやっていて、そこに週に3回は顔を出していた。カウンターだけしかなくて、5人座ればいっぱいになる小さな店で、閉店間際になると来て、いつも決まって牛肉のカルパッチョを頼んで、赤ワインを1杯だけ飲んで帰っていくのだそうだ」

「中国人女性のジャイーが店に一緒に現れることはなかったのですか」

「それは一度もなかった。そもそも、よりを戻したのも、僕が新宿で2人が落ち合うのを見た、ちょっと前らしい。15年間はたぶん、音信不通だったのだろう。尾方のことを好きだったジャイーがやっと見つけ出したといったところか。僕の想像だけど、2人はたぶん、いま一緒にいるんじゃないかな」

 ジャイーとの関係がどうなっているかは、大いに興味が湧くところだったが、友部もそれほどくわしいわけではないようだった。

「それより僕が面白いと思ったのは、尾方がラブホテルを拠点に仕事というか、人助けをやっていたことだ。何をやっていたと思う?」

「まさか、バイニンとかじゃないでしょうね。そこまで落ちぶれてはいないと思いますが……」

「ヤミ医者だよ。薬を売っていたという意味ではバイニンと同じだが、尾方が扱っていたのはヤクじゃなくて、病気を治すための薬だ。奴が借りているラブホテルの一室で、実際に患者を診ていたというんだ」

<闇医者>

 尾方は医学部5年生の秋に、ホストクラブで16歳のジャイーに貢がせた一件をネタに、鈴代組に罠を仕掛けられ、中退を余儀なくされている。医療現場での研修経験がないどころか、医師の資格すら持っていない。

「乗っ取りのために病院に乗り込んで、いろいろ見ているうち、内科ぐらいなら自分でもできると思ったのだろう。そんな尾方にラブホテルで実践の機会がめぐってきた」

 ラブホテルに住むようになって1週間がたったころだった。部屋の外からウンウンと唸る声が聞こえてきたので、尾方が廊下に出てみると、30代前半のプエルトリコ系の外国人女性がみぞおちのあたりを手で押さえながら七転八倒していた。胃けいれんを起こしていたのだ。

「尾方は自身の頭痛対策のために持ち歩いている鎮痛剤を与え、おなかをマッサージした。10分ほどすると、痛みは治まり、女性はケロッとした顔で帰っていったという。その後もそうした応急処置をする場面が何度かあって、あそこの医者は健康保険証がなくても、格安で診てくれると、尾方の部屋を訪ねる患者が増えていったんだ」

 尾方は薬代しか受け取ろうとはしなかった。病院乗っ取りの舞台で数億円を動かしてきた男の矜持だろうか。正規に薬を仕入れることはできないので、医薬品卸会社の社員が横流しするものを使った。かつて、私やチーム小倉の懐刀の蒔田直也が勤めていた医療系コンサルティング会社でも、横流しの医薬品を扱っていたことを思い出す。相手は早く捌きたがっているので、接触さえできれば、簡単に手に入るのだ。

「オーバーステイの外国人や、ヤミ金に追われる多重債務者など、何らかの理由で保険証が持てない人たちのあいだで、あまりにも評判になったため、尾方もヤバいと思い始めていた。そこに僕の聞き込みが重なって、ラブホテルから出ることにしたんだろう」

 マンションの外が明るくなり始めていた。

「始発も出るから、そろそろおいとまするよ」

「いま、聞いた話、埼玉県警の知り合いの刑事に教えてもいいですかね。ちょっと、捜査がいきづまっているようなので」

 友部は一瞬、言葉に詰まった。管轄の違う刑事に、せっかくの情報を教えたくないのだろう。だが、そんなことで戸惑った自分を恥じ入るように、友部は「いいよ」と笑顔を見せた。

「また、あのラフロイグ30年物を飲ませてくれるのが条件だ」

 こう言い残し、友部は帰っていった。
(つづく)

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