【医療ミステリー】裏切りのメス―第24回―
【前回までのあらすじ】
埼玉県警察刑事の湯本利晴から、「安井会グループ」安井芳次理事長襲撃事件の実行犯、鹿間凌が逮捕されたとの報がもたらされた。
湯本によれば、鈴与組の関与は濃厚で組織内で内部分裂があり、組のナンバー2と尾方肇が今回の事件を画策していたらしいと聞かされる。「チーム小倉」の交渉を邪魔していた尾方が警察の捜査対象になったことに、多少の安心を覚えるリーダー下川享だったが、「安井会グループ」再生へ、やることは山積みだった。そんな時、チームの佐久間君代が下川の部屋を訪れた。
陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。
<佐久間君代との結婚>
「本気にしちゃうよ」
「もちろん、私は本気よ」
2週間前、実生活上のパートナーになってもらえないかとたずねた際は、佐久間君代はあまり肯定的な反応は見せなかった。中年男が冗談めかしに口にした言葉に、まともに応えるわけにもいかなかったのだろう。男の側が自身が傷つかないように最初から逃げ道をつくっているのだから、女性に対する態度としては失礼この上なかった。しかし、佐久間はそれを真意と受けとめ、私の誕生日に合わせて、OKサインを出してくれたのだった。
「どうせなら、結婚しないか」
また、小ずるい言い方をしてしまった。なぜ、「どうせなら」という照れ隠しのような前置きをつけるのだろう。この日も含め、7年の間に持った関係はわずか2度ながら、佐久間を離したくないという気持ちが私の頭を支配していた。フェミニストではないものの、自分はもう少しスマートな考え方をする男だと信じていたが、46歳になって初めて、ひとりの女性を束縛したいと思ったのだ。
「喜んで」
佐久間の返事はえらくシンプルだった。さっそく、結婚の手続きを進めることになった。安井会グループの再建に向け、私たちチーム小倉が本格的に始動したいま、プロジェクト以外のことにあまり時間を割くわけにはいかないのだ。すみやかに手続きを完了させなければならない。
安井芳次襲撃の実行犯は捕まったが、事件を誘発した実質的な主犯格の尾方肇はまだ逃亡したままだ。尾方の性格が粘着質なら、私たちに対しても刃を向けてくるだろう。そうでなくても、これからどんな不測の事態が待っているとも限らない。できることはあと回しにせず、すぐに片づけておいたほうが無難なのだ。
だが、それは言い訳かもしれない。佐久間の気が変わらないうちに、という気持ちがどこかにあったのは否定できない。彼女のほうも同じだったかもしれないが……。
「今日、このまま婚姻届を出してしまおうか」
すでに午前0時を回り、私の誕生日は終わり、金曜日になっていた。佐久間も私も、結婚するのに何が必要なのか、さっぱりわかっていなかった。それまで2人とも、結婚とは無縁の人生を歩んできたのだ。正確に言うと、私は1990年代半ばに一度だけ結婚しているのだが、わずか3ヵ月で破綻している。
以降も何人か恋人はできたものの、結婚を考えるまで煮詰まることはなかった。相手がそれを望んでいたときもあったかもしれないが、私のほうからそうした空気をつくることはなかったのである。一方、レズビアン性向の強いバイセクシュアルの佐久間は、異性の恋人がいた時期はほとんどなかった。
<証人>
一度目の結婚からずいぶんたつので、そのやり方もすっかり忘れてしまった。インターネットで婚姻の手続きを調べると、それぞれの戸籍謄本、そして証人が2人、必要なことがわかった。佐久間は東京出身、私は東北出身だが、4年前、両親が相次いで亡くなったあと、都内に本籍を移していた。今日中に戸籍謄本は用意できるだろう。
問題は証人だ。チーム小倉の他の2人に頼めば、それで済む話だが、懸念がないわけではなかった。蒔田直也はともかく、吉元竜馬がなりすましている小倉明俊の名前を証人として載せていいものだろうか。
当事者たちの結婚の意思を知っている20歳以上の人間なら誰でも証人になれ、あとは用紙に必要事項を記入して印鑑を捺すだけ。印鑑は三文判でも構わない。形式的なものなので、追跡調査をされる心配はなさそうだが、証人の本籍地を記入する欄があるのが気になる。小倉明俊という人物を何かの拍子で調べられたりすると、やっかいだ。たぶんそんなことはありえないだろうが、無理に吉元(小倉)に頼む必要はない。不安の種は残すべきではないのだ。
「当面は、私たちの結婚を公にしないほうがいいんじゃないかしら。蒔田さんはいろいろ汲み取ってくれると思うんだけど、吉元先生に知られるのは、どこか怖さを感じる。なぜなのかはわからないのだけど」
前回、私がプロポーズしたとき、佐久間が気にしていたのはチーム小倉の結束が壊れることだった。4人のうち2人が夫婦というのは、何かと座りが悪いというのである。
「吉元や蒔田には黙っておくとするか。結婚の証人はどうしようか」
「私にいい考えがある。朝になったら連絡をとるから、それまで待っていて」
こう言い残し、佐久間は私の部屋を出ていった。私と一緒にいるところを他の2人に気づかれないように細心の注意を払っているのだろう。現在、この埼玉県北部の月極マンションには、グループ病院へのアクセスを考え、彼らも住んでいるのだ。
朝7時すぎ、佐久間からの電話で起こされた。証人の当てがついたという。
「私が看護専門学校時代に入っていたレズビアンサークルのメンバー2人が証人になってもいいって。そのうちのひとりはいまも、このサークルで代表世話人を務めていて、かつて私のパートナーだった人です。来週月曜日の夜だったら2人とも時間がとれるそうなんだけど、それで進めていいかな。私ひとりで会ってもかまわないけど」
「朝早くから、ありがとう。私も同席するよ。会う場所はこっちで用意しておくから、食事でもしよう」
佐久間の昔のパートナーを見てみたい気持ちもないわけではなかったが、それより仕事のことを考えていた。すでに佐久間にも頼んであるが、安井会グループの看護師体制の立て直しに、彼女たちのレズビアンネットワークを活用させてもらおうと思っていた。その中心人物と会えるのなら、その機会を逃す手はない。
<『毬子(まりこ)会』>
月曜日夜7時、私は佐久間と連れ立って、新宿のワシントンホテルを訪れた。3階のロビーに行くと、すでに相手の白木みさおと立山葉子が待っていた。あいさつもそこそこに、すぐに最上階の25階に上がった。レストランに入ると、眼前に西新宿の夜景が広がっている。
「このたびは、佐久間君との結婚の証人になってくださるそうで、ありがとうございます」
「君代から急に結婚が決まったと連絡がきて驚きました。男勝りの彼女を嫁にもらってくれる人が現れるなんて、本当にびっくりです」
佐久間の髪型と同じく、ショートヘアの白木がおどけたように言った。とても気さくな感じの女性だ。
「もう君代から聞いていると思いますが、看護専門学校で私が3年のときに、彼女が新入生で入ってきたんです。こちらにいる立山は彼女の同級生。みんな、同じサークルに入っていました」
コース料理が次々に運ばれてきた。赤ワインのボトルが3本、空くころには、白木はますます饒舌になっていた。
「サークルは『毬子(まりこ)会』といって、レズビアンの集まりなんです。毬子というのは少女小説家の吉屋信子の同名の作品から採りました」
吉屋信子なら私でも知っている。パートナーは女性だったと記憶している。
「君代とは昔、つきあっていたんですよ。同棲まではしなかったけど、互いのアパートを行き来する関係でした」
すでに佐久間から聞いていたので、動転するようなことはなかった。私のほうも、あけすけに疑問をぶつけてみた。
「では今回、佐久間が結婚することになって、嫉妬はしなかったんですか」
すると、白木は豪快に笑いだした。
「相手が女だったら、ちょっとはするかもしれないけど、男との結婚を邪魔する気持ちはありませんよ。それに、君代とパートナー関係だったのもずいぶん前ですからね。私も別の恋をしていますし」
私はチーム小倉のプロジェクトの話を切りだした。現状を説明し、今後どうしていきたいかを熱く語った。
「白木さんはOGとなったいまも、毬子会の代表世話人を務められているそうですね。しかも、この会には他校の学生やOGも参加し、看護師の大きなネットワークが築かれていると、佐久間から聞いています。ぜひ、いろいろ協力していただきたい」
「私たちにできることがあれば、何でも言ってください。かつてのパートナーの旦那さんの頼みとあれば、どんな無理でもさせてもらいます」
白木はまた大きな声で笑った。
帰りのタクシーの中で、私は佐久間にたずねた。
「君も白木さんも雰囲気はタチ(能動側)だけど、どちらがどういう役割だったの」
低俗すぎる質問かなと思いながらも、聞かずにはおれなかった。
「レズビアンだからといって、タチとかネコ(受動側)に分けられるとは限らない。私と白木さんの場合は両方ともリバかな」
「リバって」
「リバーシブルの略。ケースバイケースでタチでもネコでもできる。下川さんの前ではいまはネコだけど、そのうちタチに豹変するかもよ」
今日は埼玉県の月極マンションには戻らず、都内の私のマンションに行くことにした。部屋に着くと、2人は3度目の関係を持った。
翌2013年4月30日朝、私たちは一緒に区役所に行き、婚姻届を提出。晴れて正式な夫婦となった。
(つづく)