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【医療ミステリー】裏切りのメス―第34回―

【前回までのあらすじ】
チーム小倉の最大の懸念だった尾方肇が逮捕されてから3年が経った。その間、チーム小倉のプロジェクトは快進撃を続け、グループ傘下の病院を2施設増やすほどだった。そのため、チーム全員が多忙となり、リーダー下川享はチーム増員の必要性を感じていた。そこで妻・佐久間君代の看護師人脈から白木みさおを、そして埼玉県警の湯本利晴刑事をスカウトすることにした。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<新プロジェクト>

 2016年のゴールデンウィークは月曜日と金曜日を休めれば、最大10連休になると情報番組のキャスターが伝えていたが、あまり大型という感じはしなかった。そもそも、私のような根無し草の生き方をしてきた者に、そのありがたさを噛みしめる場面など、訪れるはずもなかった。

 サラリーマン生活の経験がまったくないわけではない。二十数年前、わずか2年足らずだが、医療系コンサルティング会社に在籍したことがある。労働基準法を守る意識が完全に欠如した経営者のもとで、休日もこき使われた。ゴールデンウィーク中も尻を叩かれ、営業先の開業医宅に夜討ち朝駆けをかけなければならなかった。とんでもないブラック企業だった。そこで、のちにチーム小倉の懐刀となる蒔田直也と出会えたのは思いがけない僥倖だったが……。

 チーム小倉が安井会グループを運営するようになっても、世の勤め人と同じペースで休むわけにはいかなかった。病院ではゴールデンウィークの間、通常の外来は受けつけておらず、機能しているのは入院病棟と救急だけ。ここ3年は安井会グループ傘下の9病院のどこかに必ず顔を出すようにしている私も、普段より多少は息抜きができるはずだったが、そうはならなかった。チーム小倉の新たなプロジェクトが進行していたからだ。

 チーム小倉に引き入れようと私が画策している湯本利晴刑事も、ゴールデンウィークの恩恵にあまりあずかってこなかったひとりに違いない。交替勤務の交番やパトカーといった地域課と違って、刑事課は暦通りの日勤勤務だが、緊急の事件が入れば、休日は吹っ飛ぶ。

<引き抜き交渉>

 ゴールデンウィークは一応、休みになっているということだったので、5月3日に会う約束になっていた。「事件が入ったら許してください」と言っていたが、予定の午後1時きっかりに姿を現した。警察から湯本を引き抜く話だったので、彼の勤務する埼玉県北部の所轄署から離れた場所のほうが無難かと思い、都内の和食屋を予約しておいた。地元だと、誰に聞かれているか、わからない。

 この店の名物は貝のフルコース。春から初夏にかけて旬を迎える種類が多く、店主の出身地の北海道で獲れるツブ貝の刺身は絶品だ。コリコリとした身を噛みしめながら、日本最北端の酒造が仕込んだ「國稀(くにまれ)」という銘柄の特別純米酒を流し込むと、口の中に磯の香りが広がっていく。

「遠いところまで、申し訳ない」

「こんな美味いものがいただけるのなら、どこでも参上しますよ。それに東京はよく来ますしね」

 長女と一緒に都内まで買い物に来ると3年前に言っていたのを思い出した。

「いまでも、娘さんと?」

「そうなんですよ。昨年、大学を卒業して、小学校の教員になったんですが、まだ父親にべったりで……。困ったものです」

 湯本は顔をしかめてみせたが、どこかうれしそうだ。相手が気分がいいうちにというわけでもないが、さっそく本題に入った。

「今日、ご足労いただいたのは、私たちの仕事を手伝ってもらえないかということなんです。できれば、チーム小倉に入っていただきたい」

 湯本は一瞬、沈黙した。こちらの言葉の真意を測りかねているようだった。10秒ほどたってから、口を開いた。

「それは、僕に警察を辞めろということですか」

「端的に言ってしまえば、そういうことです」

 また、湯本は黙ってしまった。どう答えればいいのか、言葉が見つからないのだろう。私は國稀を相手のグラスに注ぎながら続けた。

「これまでチーム小倉は4人だけでやってきました。しかし、もう限界が来ている。優秀な人材を加えなければ、立ち行かない段階なのです。といっても、能力があれば、誰でもいいというわけにはいかない。信頼のおける人物は誰かと考えたとき、真っ先に浮かんだのが湯本さんだった」

 こう言われて、悪い気がするはずはないだろう。湯本の顔がかすかにゆるんだが、なかなか口を開こうとはしなかった。思慮にふけっているようだった。決断するには、材料が足りないのかもしれない。

「そろそろ、この店も休憩時間に入ってしまうので、河岸を変えて、もう少し話をしませんか。湯本さんに何をやってもらいたいのか、もっとくわしく説明します」

 近くに知り合いがやっている昼から飲めるバーがあったので、そこに移動することを提案すると、湯本も同意した。これは脈があると、私は確信した。

<好事魔多し>

 カウンター席が7つしかない地下のそのバーは私の隠れ家的な場所だった。一緒に来たことがあるのは佐久間君代だけだ。マスターは私たちが結婚している事実を知っている数少ない人間のひとりだ。もちろん、彼がそれを他人に喋ることはない。

 私たちはマスターに勧められるままに、2000年を最後に蒸留をやめてしまった埼玉県の羽生蒸留所のシングルモルトを頼んだ。ワインの香りがする極上のウイスキーだ。オランダ産のゴーダチーズとの相性が抜群というので、それも併せて頼んだ。

「実を言うと、来春、医療モールの開設を計画しているのです。できれば、湯本さんにはそこの責任者になっていただいて、全体を見渡しながら、経営を切り盛りしてもらいたいと考えている」

 医療モールにはさまざまな形態がある。ビル1棟すべて、ショッピングモールの一画、マンションの低層部、オフィスビルのいくつかのフロア、戸建て集合型など、活用するスペースによって、その性格は変わってくる。共通しているのは、診療科目が異なる複数の診療所が同居する形をとることだ。経営形態は、各診療所の独立採算制。運営者側は、各診療所から賃料や諸経費を徴収する。

 私としては、ビル1棟すべてを医療機関だけで構成する形態を採用したいと考えていた。すでに、群馬県南部の駅前にあるビルに目星をつけていた。もともとは小規模のショッピングモールだったが、地方都市の景気後退の中で店舗が次々に撤退。閉鎖に追い込まれ、ビルの所有者が売り先を探していた。小売業は無理な場所でも、医療なら十分、採算がとれるというのが私の判断だった。

「内科、整形外科、眼科、耳鼻科、歯科など、10科くらいの診療所と、調剤薬局を入れようと思っている」と話すと、「病院とはどう違うんですか」と湯本が質問してきた。

「いま、政府は開業医による診療所と、中規模以上の病院の役割を明確に分けようとしている。診療所はかかりつけ医としての役割を担い、そこで対応できない患者を病院が受け入れる形を目指しているのです。高齢者は複数の診療科に行かなければならないケースが多い。それが分散していると、特に地方の患者にとっては負担が大きく、1ヵ所に集中している医療モールという形態の需要が見込めるのです」

「なるほど」と湯本が頷いた。私はさらに続けた。

「入口に総合受付を設置し、コンシェルジュを置いて、高齢の患者にとって使い勝手のいい場所にしたい。検査機器もそれぞれの診療所に設置するのでなく、共同利用できるようにする。開業医たちにとってはコストも抑えられるので、ウィンウィンの関係をつくりやすい。あとは、専用の送迎バスを運行させたいが、コスト次第といったところでしょうか」

 すでに羽生蒸留所のシングルモルトをストレートで3杯ずつ空けていたが、喋り続けている私はもとより、湯本もあまりアルコールがまわっている雰囲気はなかった。医療モールの話に集中している証拠だろう。

「内容はよくわかりました。ここで結論を出すわけにはいきませんが、前向きに考えてみたいと思います。僕も来年、50歳の大台に乗る。警察という組織に四半世紀以上もいて、別の世界を知りたくなっているのも事実。もし新たなことにチャレンジするなら、いまのうちかという気もしているのです。来春には長男も就職し、子どもが2人とも片づきますしね」

 もうひと押しだと感じた私は、あらかじめ考えておいた切り札を出した。

「まだ、本人には話していないのですが、病院経営者として、さらには開業医としての経験も豊富な安井芳次さんにも、医療モールの仕事を手伝ってもらおうと思っているのです」

 刑事になりたてのころ、湯本は半年間も安井の護衛にあたり、以来ずっと、親交を温めてきた。気心が知れた2人にコンビを組ませれば、うまくいくのではと直感していたのだ。私が医療モールを考えている場所と、安井がいまも診察している診療所は目と鼻の先。車で10分という距離だった。「湯本を助けてほしい」と言えば、安井が断る理由はなかった。

 それから2日後の昼、湯本から私の携帯に「医療モールの話、受けさせてください」と連絡があった。前日すでに、安井の了承も得ていた。

 すべてが思いのままにいっている。怖いほどだった。だがその先に、大きな落とし穴が待ち受けていた。
(つづく)


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