【初公開ノンフィクション】ひかりはここに 〜片目を奪われたフレンチブルドッグ〜
「もうこんな犬いらんから、やるわ―――」
片目を奪われる、という虐待を受け、さらに育児放棄で捨てられたフレンチブルドッグ、洸陽(こうよう)。 新しい飼い主が傷ついた彼を引き取り、共に生きる決心をしました。けれども、いままで恐怖の世界で暮らしてきた洸陽は、心と身体に深い傷を負っていたのです。
「私はこの子に洸陽という名前をつけました。暖かく、優しい光となって、洸陽の上に燦々と降り注ぎますように...」
涙と無力感の日々。そして愛情と努力の毎日。それに応えるかのように、日ごと心に明るさを取り戻していく洸陽。
人と犬のあいだに流れる深い川をめぐる 喪失と再生のノンフィクションです。
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・本稿は『柴犬ライフ』『BUHI』編集長である小西秀司氏から寄稿されました。
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00| 生き物係
毎年、桜を見ると思い出すことがある。
小学生の頃、動物が大好きだった私は「生き物係」をやっていた。昔は今と違い、野良犬があたり前のように人と共生していたし、誰の犬なのかわからない「地域犬」もたくさんいた。私の小学校では「チビ」と呼ばれている茶色い雑種の犬を子どもたちが飼っていた。といっても子どものことだから、気が向いたときに給食の残りのパンをやるくらいの世話だった。それでも「生き物係」だった私は、いちばんたくさんチビの世話をしていたし、いつもチビのことを気にかけて大事にしていた。
そんなある朝。学校へ来てみるとチビは校庭の隅で泡を吐いて死んでいた。
「○○ちゃんが、チビにチョークを食べさせていたよ」などという話があって、みんなは、チョークを食べさせたからチビが死んだのだと思いこんでしまった。今思えば、毒入りのえさが置かれていたにちがいない。
「お前が悪い」
「お前がちゃんと見ていないからだ」
「お前がチビを殺した」
彼らは、犬が死んでしまった衝撃を、私を責めることですませようとしたのだと思う。いつのまにか、チビは私のせいで死んだことになっていた。
今の私なら言い返すこともできただろう。けれどもその頃の私は気が弱く、恥ずかしがり屋で引っ込み思案だったから、ただ泣くしかなかった。何も言い返せずに、 「違う」という一言を口にすることができなかったばっかりに、私は自分がチビを殺してしまったのだと思いこんだ。先生に話せば内緒で犬を飼っていたことがばれて叱られると思い、どうしても言えなかった。
家に帰って母にそのことを話すと、「これからは、そういう犬がいたら家に連れて帰ってきなさいね」と言われた。その一言で、私はどんなに救われただろう。チビを助けてやれなかった自分が、やっと許されたような気がした。
母と一緒に、公園で泣きじゃくりながらチビの亡骸を埋めた。その公園も今はなくなり、高層マンションが建ち並んでいる。もうチビにも会えなくなってしまった。
そこには毎年桜が咲き続ける。たくさんの人が訪れ、「きれいだね」と桜を見上げる。 私は桜を見るたびに、幼くて力足らずだったあの頃の自分と、誰を恨むことなく 天国に行ってしまったチビのことを思い出す。チビの分まで他の命を大切にしたい。
それからというもの、捨て犬や捨て猫を見たら、連れて帰って我が家で一緒に生活することが普通になっていた。
01| 半蔵
「花ちゃん、これ見て!」
友人のS美が、私の働く美容院に駆け込んできたのは、2006年の冬のことだった。「花ちゃんの大好きなフレンチブルドッグやで。飼い主がもう飼えんゆうて新しい家族を探してるって。どう? 飼ってみない?」
お客の前髪を左手の指ではさんだまま、私は差し出された写真に目を向けた。「ありがとう、Sちゃん。今仕事中やからあとで話を聞くわ。その写真、ここのエプロンのポケットに入れて」
S美が切り取って持ってきたのは、地域新聞の折り込みチラシの、ほんの小さな スペースに載っていた半蔵の写真だった。
「僕、半蔵です。僕をもらってください」
どんな事情かわからないけれど、飼い主がもう飼えなくなったので、誰かに預かってほしいと書いてある。もしも、誰も名乗りをあげなかったらこの子はどうなるのだろう。
......私なら、できる。私なら、小さい頃からどんな犬の世話だってしてきた。
怪我をしていようと疾患があろうと大丈夫。きっとこの子を大切にしてやれる。お客の髪をカーラーで巻きながら、この子を引き取るのは私しかいない、と考えていた。
行動力だけが取り柄の私だ。いったん思いこむと止まらない。仕事から家に帰るとすぐに、連絡先の番号に電話をかけた。
「地域新聞の折り込みチラシを見て電話してるんですが...。半蔵ちゃんのこと訊いてもいいですか」
「ああ、半蔵。半蔵はここにはいないのよ。私はボランティアでね、中に入ってお世話をしているんです」 声からすると、50歳代くらいと思われる女性のようだ。
「飼い主さんはいま妊娠中でね。上の子どもも小さくて手間がかかるし、体がしんどくて寝てる日も多いから、代わりに連絡取ってあげてるのよ」
間にはいってくれたNさんは、そう言って飼い主さんについてはなにひとつ教えてくれなかった。
「半蔵ちゃんはどうなんですか。そちらではもう飼えないんですか?」
「それがね、そのうちの子どもがどうやら犬アレルギーみたいでねえ。そのうえ、犬自身にもアレルギーがあって、病院代がかさむみたいなのよ。これから子どもが増えたらまずますお金もかかるしね。犬にかける予算がないみたい。まあ、赤ちゃんができたら犬の世話なんかしてられないよね」「アレルギーってどんな?」「なんか皮膚がぼろぼろで、毛も抜けて汚らしい感じ」
「病院へは連れていったんですか?」
「病院もねえ、お金もかかるしそんな暇ないからあんまり連れていってないと思うよ。 連れていくとなったら車も汚れるし、子どもの体に悪いしなあ」
「半蔵ちゃんは、家の中にいる子なんでしょ?」
「ううん。車庫の中につないでいたみたい」
陽の当たらない車庫の中に一日中つながれたままで、皮膚病を患い、じっと座っ ているその姿を想像すると、私はなんだかかわいそうになってきて、自分が新しい飼い主の名乗りを上げていることも忘れて質問を続けた。
「知っている人とか友だちとかで、もらってくれる人はいなかったんですか?」
「それがねえ。あっちこっちに頼んではみたんだけど、どこの家にもなつかなくてね。 今は飼い主さんの実家が預かってるらしいんだけど、もう、保健所にやってしまうしかないって言ってるらしいのよ」
「保健所!」
私は、いきなり「保健所」と聞いて言葉を失った。処分したいということだろうか。なつかないってどういうことなのだろう。食事はちゃんともらっているのだろうか。病院にも連れていってないって......皮膚は大丈夫なのだろうか。
心配でいてもたってもいられず「ぜひ半蔵ちゃんを預かりたいと思っているんです。 アレルギーのことや食事のことを訊きたいので、飼い主さんの連絡先を教えてもらえますか。迷惑にならないように気をつけますから」そう何度も頼んでみたが、Nさんは、飼い主の名前も連絡先も教えてはくれなかった。
職場でハサミを握っていても、半蔵のことが頭を離れず気になってしかたがない。保健所に行くなんて、処分するなんて、絶対に許せない。翌日もNさんに電話をして、アレルギーのことや、どんな薬を塗っているのか、ごはんはちゃんと食べているのか、体重は何キロあるのかなど、つぎつぎと質問をした。けれども、飼い主ではないNさんにいくら聞いたところで、「よくわからない」という答えしか返ってこな かった。
半蔵を引き取ることを固く心に決めたあと、単身赴任の夫に電話で報告した。すると、どうして元の飼い主が手放すことになったのかと聞いてきた。
「飼い主さんに赤ちゃんができて、もう飼えないってことらしいんよ」
「普通、子どもが生まれても、飼っている犬を放りだすなんてことをするか? 子どもができるなんてわかりきったことじゃないか。それって普通の犬なんか? 噛むとか吠えるとかそういう犬なんじゃないんか?」
「犬はアレルギー性の皮膚炎。人間の子どもにもアレルギーがあるらしくて」
「それみろ。もう最初から病気があって、お金も手間もかかるんじゃないか。わざわざそんな犬を引き取って苦労することはないやろ。トワだけじゃ駄目なんか?」
「そうじゃないんよ。トワにも兄弟を飼ってやりたいと思っていたところだし、その子はこのままだと保健所に行かされるっていうからほっとけへんねん」
「トワに兄弟が欲しいんだったら、ペットショップで元気な子犬を飼ったらいいやんか。それに、かわいそうだからって保健所行きの犬を全部引き取ってたら、きりがないだろう」
夫の意見、それが正論なのはわかっている。だけど世話をするのは私だ。ほとんど家にいない彼に迷惑がかかるわけではない。自分勝手かもしれないが、私は半蔵 の写真に運命を感じたのだ。だから、絶対に私の子にするのだと心に決めていた。
最初のうちは、私があまり同じことをしつこく訊くのであきれていたみたいなのに、 次第にNさんのトーンが高くなっていった。彼女のほうから電話をかけてくることが多くなったのだ。私のことを信頼し始めてくれたのだろうか。
「これは、飼い主さんがあなたに訊いといてねっていうから訊くんだけどね」ああ、いつもこの前ふりだ。「旦那さん、いらっしゃるのよねえ。旦那さんの収入ってどのくらい?」「え? 旦那の収入?」
私は目を白黒させるばかりだった。
「そんな高給取りじゃありませんけど、私も一応働いてますから、半蔵にはじゅうぶんなことをしてやるつ もりです」
もしかしたら、高収入の家庭じゃなければ、半蔵は渡せないということなのだろうか。
「家は持ち家なの?」
「はい。ちょっと手狭になったので引っ越しするつもりですが、もちろん犬たちのことを最優先に考えています。大丈夫です」
「ひと月にいくらぐらい、犬のためにお金をかけられるの?」
「私、給料はほとんど犬のために使っているんですよ。だから心配はいりません、ほんとですよ。半蔵ちゃんに医療費がもっとかかるようでしたら、ちゃんと仕事を増やして働きますから」
犬を預かるにあたって、身上調査といったところか。それとも、私のことをまだ 信頼できないと感じているのだろうか。
「ねえ、Sちゃん。半蔵のことなんだけど。間に入ってくれてるNさんて、この頃あたしの資産調査みたいなことばっかり訊くんよ。なんでわざわざそんなこと訊くんだろう?」
今日は夫の仕事は休みだ。だけど半蔵のことに関しては相談しづらい。久しぶりにS美に電話をした。
「あのさあ、それって『金だせ』ってことなんと違うん?」「え 金だせって?」
「そう。ただでは渡したくないんやわ、きっと。だってフレンチブルドッグって、ペットショップで買ったらすごい高いんやろ?」
「でも、広告には『僕をもらってください』って。譲りますとか、お金がいくらいるとかいうのは一言もなかったよ。それに、病気がある子だから、これからたくさんお金がかかるわけだし。それを承知で引き取るって言ってるのに」
「それはこっちの都合でしょ。花ちゃんがあんまり欲しがってるんで、惜しくなってきたん違う? ただではやらんぞ、みたいな」
まさか。私は、正直にNさんの質問に答えていた自分を思い出して、情けなさとともに腹が立ってきた。半蔵を渡す代わりに、いくらぐらいお金が取れるか値踏みをしていたのだろうか。そういえば、 Nさんは話の合間に「高かった犬だからねえ」と何度も言っていた。そのことを私は、半蔵がいかにいい犬かを伝えたいのだろうと単純に思っていた。さりげなくお金の話をして、私にお金を払う気を起こさせようと思っていたのかもしれない。
だから、なかなか半蔵を渡さないのだろうか。新しい飼い主が決まったのだから、すぐに連れてきてくれてもいいはずなのに、毎晩電話で話すばかりで話が前に進まない。がっくりしたと同時に、そんなふうに扱われている半蔵がまずます心配になってきた。けれども、すべては憶測に過ぎない。いずれにしてもこちらはお金を渡さない。そして一刻も早く、半蔵を保護することだ。
「準備はもうすっかりできてるんです。半蔵ちゃんをいつ連れてきてくれますか。それともこちらから行きましょうか?」 数日後、たまりかねた私は電話口でNさんに切り出した。
「そうねえ、飼い主さんに伝えておきます。小さい子どももいるしねえ。なかなか外出できないと思うけど」
「じゃあ私から伺います。遠くても平気ですよ」
「いえいえ、こちらから連れていきますから」
すこしして、飼い主のKさんから初めて電話があった。私は思いきり親しみをこめて挨拶したが、どうやら彼女にはそんな気持ちはないようだった。
「半蔵を連れていきたいんですけど、花さんのおうちはどのあたりですか?」
雑談をすることもなく、すぐに本題に入る。「連れてきてくれるんですか ありがたいんですが、うちにはお兄ちゃん格の犬がいるんで、急によその犬を家に入れるよりは、外で挨拶させて慣れさせて、それか ら家に連れてきたほうがいいと思います。警戒して喧嘩したら大変ですから」
「そうですか。じゃあ、おうちの近くの公園へ連れていきます。明日でいいですよね。上の子を保育園に迎えに行ってからになるから、夕方四時頃で」
その時間は仕事が入っていたが、私は頭の中でさっと計算をして、「大丈夫ですよ。じゃあ、緑公園で。桜並木が長くあるところです。すぐわかると思います。そこの 入り口で待ってます。うちは散歩がてらだから、時間は遅れても大丈夫です」と返した。
「はい、じゃそれで」
あっけなく電話は切れた。
翌日、私がお昼過ぎに帰ってきたので、いつも長時間の留守番をしているトワはとても驚いていた。昼寝途中の寝ぼけまなこで玄関まで迎えにきて、うれしそうに 足下をぐるぐるまわる。実は仕事を午後から休んで、買い物に行くことにしたのだ。
最初にNさんと電話で話して以来、すぐに半蔵を渡してくれそうになかったし、 ほかにも候補者が名乗りを挙げてくるのを待っているようなそぶりも見えたので、 私はまだ半蔵のものを買いそろえていなかった。それでも、いつも写真で見た半蔵 の顔を思い出しては、首輪はこれ、リードはこんな感じ、などと頭に思い描いていた。 だけど改めてお店に行って品物を見ると、「やっぱりこっちかな? 半蔵にはこれが似合うかな? 」なんて悩みに悩んだ。半蔵がくるのを待っている時間がたまらなく 楽しかった。私はもう、地に足がつかないような、うれしくてふわふわした気持ち になっていた。
いまさっき購入したばかりの、半蔵用のキャリーやベッドやトイレシートをすべて車に押し込み、きょろきょろしているトワを助手席に乗せて、 動物病院へ向かう。間にはいってくれているNさんや、飼い主のKさんにいくら尋ねても、半蔵のからだのことが全然わからない。 Nさんの機嫌がよく、わりとなんでも話してくれたときを見計らって、半蔵が通っていた病院の名前をさりげなく聞いておいたのだ。 直接獣医さんに訊いたほうが正確だし、信頼もできる。
T動物病院は、市内でも名前の知れた動物病院で、なかなか評判もいい。もしも先生の感触がよかったら、これからずっと半蔵を診てもらうことにしよう。半蔵に関する質問だけでは行きにくいので、トワのフィラリアの薬をもらうことを口実にした。
病院に着いたのが午後二時過ぎ。夕方四時に公園で待ち合わせだから、あまり混んでいるようなら引き返せばいい。朝はまずまずのいい天気だったのに、昼過ぎくらいから空が黒くなり、ぽつぽつと冷たい雨が落ちてきた。
狭い駐車場になんとか車を入れて、助手席側からトワを抱え、大きなバッグを肩にかけて動物病院の自動ドアの前に立ったとき、携帯電話が鳴った。Kさんだ。
「もしもし、雨が降ってきたでしょう。ちょっと出かけられないので、半蔵を連れて いくのは明日にしますね」
「は? 明日。そうですか、そうですね。はい」
雨で延期か。私は気落ちしながら、受付で「ボストンテリア♂ トワ フィラリ アの薬」と書いて、順番を待った。
しばらくすると、スタッフの女性が診察室から出てきて、私とトワを呼んだ。中に入ると挨拶もそこそこに、私は半蔵についてしゃべり始めた。
「フレンチブルドッグの半蔵ちゃんなんですが、飼い主さんの都合で、私が引き取ることになったんです。それで、あの子のアレルギーのことを訊いておきたくて」
「半蔵ちゃんですね」先生は迷惑そうな顔もせずに、カルテを出してきてくれた。
「半蔵ちゃん。2003年10月5日生まれ、と。今は二歳四ヶ月になりますね」
「一歳だって聞いてますけど 」
「いえ、この子で間違いなければ二歳ですね」
新聞の広告には一歳と載っていたから、そのまま信じて確かめなかった。たぶん、若いほうが新しい家族が見つかりやすいから嘘をついたのだろう。こんなのは、よくあることだ。
「一度だけ皮膚のアレルギーがひどくて診たけれど、その後は来てませんねえ。もう 一年以上になります。僕も心配しているんだけど。皮膚疾患はほったらかしにすれ ばするほど元に戻すのが大変で、しっかり治しておかないと再発もあるから、しばらく通ってほしいっていったんですが」
私は言うべきかどうか逡巡して、思い切って打ち明ける。
「先生、実は皮膚疾患だけじゃないんです。あばら骨が浮き出てひどい状態で、どうやら満足な食事も与えてもらってないみたいです。どう考えても大事にしてもらっ てるようには見えません。そんな子を引き取るにあたって、どんなことに気をつけたらいいかお訊きしたいんです」
「...そうですか。そこまでひどいとは僕も知らなかった。内臓の状態は連れてきて検査してみないと何ともいえません。それから、皮膚だってどこまで悪くなっている かわからない。愛情を持って育てていないとなるとしつけもできていないでしょうね。 しつけの入っていない成犬の里親になるのは、かなり難しいと思いますよ」
次の人が診察の順番を待っているのもかまわず、私は先生を質問攻めにした。なりふりかまわない私に、先生はやや圧倒されていたようだが、ていねいに答えてくれた。だけど最後には「それはもう、半蔵ちゃんを連れてきてもらわないとなんともいえないです」という言葉に落ち着いてしまい、私はそのたびになぜかがっかりした。先生のいうことはもっともなのに。
私の腕にはもう、半蔵がいる。半蔵を感じている。ろくに食事も与えられず、かゆみで夜も眠れずに、体中を掻きむしりながら毎日を過ごしている半蔵のことを思えば思うほど、その姿は私の胸の中でずっしりと重みを増してゆく。半蔵はもう、私の家族なのだ。
家に帰ると、いちばん陽当たりがいい私の寝室に、半蔵のベッドを置いた。しばらくは私と一緒に三階で眠らせよう。トワは二階。慣れるまでは、トワにすこしだけがまんしてもらおう。トワは新しいベッドやトイレ、キャリーに興味津々で、ずっと匂いをかぎつづけている。トワもうれしいのだろうか。私だってうれしくて走り 出したいくらいだ。
しばらくは卒業式・謝恩会のシーズンなので、仕事場である美容院には若い女性 がひっきりなしにやってくる。「この人のセットが終わったら食事にしよう」なんて思っていても、すぐに次のセット。食事ができないのはまだましなほうで、ひどいときにはトイレに行く時間もない。一日中ハサミを使うから、右腕は常に腱鞘炎。 痛み止めの注射を打ってもらい、仕事を続けることもしょっちゅうだ。無理な姿勢 で立っていることが多いせいか、腰もひどく痛む。
とはいえ、今日の夕方には半蔵に会えるのだ。そう思うと、力が湧いてくるようだった。私はわくわくしていた。昼食抜きで頑張っていると、同僚がそばに来て耳元でささやいた。
「花さん、さっきからずっと携帯光りっぱなしです。何か急用じゃないんでしょうか」
「――少々このままでお待ちくださいね」
カーラーを巻き終えて、私はスタッフルームへ向った。 Kさんから電話だ。何だろう、もしかして時間変更だろうか。
「もしもし。今日ね、主人が使うからって乗っていってしまってね、車がないのよ。だからそうねえ、明日は日曜だから出かけられないし。月曜でいいかしら」
「...わかりました。月曜ですね、同じ時間で」
また延期だ。こういうこともある、驚きもしなければ落ち込みもしない。私は自分に言い聞かすように、努めて平気なふりをした。でも、私は半蔵に会いたい。早く会いたい。どうしていつもこう不都合な条件がそろってしまうのだろう。
急に、右腕の肘から下が重く痛んできた。
02| 冷たい目と赤い血
約束の月曜日。「今から半蔵を連れていきますから」と、急にKさんから電話があった。私が言葉を発するひまもなく、一方的に電話は切られた。 この電話だって、ほんとうは飛び上がるほどうれしいはずなのに、また10分後に は撤回されるのではないかとちょっと憂うつな気持ちで、私は半蔵のために用意した部屋を見渡した。
ふと、 Kさんは半蔵を渡す気なんてほんとうはないのかもしれない、と思った。 これは肥大した警戒感からの、ちょっぴりすねた考えだった。私は半蔵のふとんを またベランダで陽に当てて干し、食器をもう一度洗った。半蔵の服をハンガーにか けて眺めてみた。そうして幾度も時計に目をやり、ワイドショーを見るともなく見 て時間を過ごし、半蔵と会える時間がくるのを待った。携帯が鳴るたびにKさんからではないかと思い、どきり、とした。
約束の一時間前になってもキャンセルの電話はない。「トワ、行こう。あの公園だよ、ブランコのある、あの場所。半蔵とやっと家族になれるねんで!」
もしかしてどろんこになって遊ぶかもしれないから、トワには普段着を着せよう。 半蔵と仲良く食べられるように、クッキーと骨ガム。それから、車の中でそそうが あってもいいように、トイレシート。洗いたての毛布も持っていこう。
大きなかばんにどんどん詰め込んで車に載せているのを見て、トワはなんとなくうれしそうだ。頼むね、トワ。私がいちばん頼りにしているうちの長男。きっと半蔵はいい子だよ。
待ち合わせの時間より30分以上も早く公園に着いた。道路との境に植えてある桜 の木はみなつぼみを固く閉じて、北風があたるのを嫌がっているみたいだった。でもそのつぼみも時がくればきっと咲く。この桜が満開になったら、トワと半蔵と一 緒にここに来よう。家族になった記念写真を撮ろう。空はどんよりと曇っていたけ れど、私は寒さも忘れ桜のつぼみに見入っていた。
約束の時間を10分も過ぎたころ、白い軽トラックが「ガラガラ――キッ」と音を立てて公園の入り口に止まった。運転席には、私と同じくらいの年齢の女性が無造作に髪をたばねて座っていた。隣にはチャイルドシートがあって、1歳くらいの赤ちゃんが座っている。
Kさんだ。半蔵が来た――。
胸の鼓動が高まり、トワのリードを持ったまま小走りで車に駆け寄ると、私は思わず中をのぞきこんだ。半蔵は、いない。Kさんは、私とは目を合わさないで車から降り、後ろの荷台のほうに歩いて行った。え? 荷台には冷凍食品の名前が書か れた段ボール箱しか載っていなかった――まさか。 妊娠中でお腹の大きいKさんは、段ボールの箱を大儀そうに両手で持ち、体の前 に提げて歩いてきた。そのふたはきっちりと合わさっていて、しかも荷造り用のテー プまで貼ってある。
一瞬、わけがわからなくなった。
「こんにちは、お世話になります」
なんとかそれだけ言うと、私はもう次の言葉が出なかった。
入り口からいちばん近いベンチに座り、Kさんがペリペリっとテープを剥がしたとたん、ふたがぱかっと開いて見覚えのある顔がのぞいた。地域のミニコミ誌に載っていた写真と同じ。パイドできりっとした顔つきの――半蔵だ。
「こうして持ってこないと臭くてね。何度も洗ったんだけど。それにこの子は車が嫌いで暴れるから」 Kさんは初めて少しだけ笑い声を出した。けれど私は笑えなかった。彼女の手には薄汚れた軍手がはめられている。
軍手をしたまま、彼女は半蔵を「よっこいしょ」と外に出した。さっそトワが挨拶のためにそっと近寄り、お互いに匂いの嗅ぎ合いを始める。半蔵は上手に挨拶をしている。トワとの相性は悪くなさそうだ。よかった――。それにしてもひどい 匂い。私にはアカラスだとすぐにわかった。きっと毛穴にダニが生息して皮膚病を 起こしているのだ。きちんと病院に通えば治る病気なのに。
初めて目の前にした半蔵は、見れば見るほど痛ましかった。まさかここまでひどいとは想像できなかった。体中がかゆいのだろう、落ち着くひまもなく後ろ足であちこちを掻きむしっている。あごの下からお腹にかけてはまったく毛が生えておらず、 皮膚全体が化膿してピンク色の地肌がのぞいている。あばら骨の見え方も異常なほどだ。写真ではわからなかった半蔵の全身が見えてくるにつれ、私は驚きと不安のために血が引いていくのがわかった。
後ろ足で体中を掻くたびに血が飛び散る。前脚には、何年前からあるのかわからない輪ゴムが巻き付いていて、肉が切れて膿んでいる。そしてなにより私が打ちのめされたのは、半蔵が飼い主のほうを一度も見なかったことだ。もちろん、私にもぜんぜん興味を示さない。それは、ふつうに愛されて育ってきた飼い犬の姿とはほど遠いものだった。
トワとの挨拶が終わって初めて、半蔵がこちらを見た。
怖い――。
幼い頃から犬とともに育ち、犬が大好きな私でさえそう思ったのだ。もしかしたら、犬のことがわかるからこそ、半蔵の視線にたくさんのものを感じ取ったのかもしれない。
私がいまだかつて見たことのないような目の色。温かさはかけらもなく、憎しみだけが冷たく燃えているようだった。どれほどひどい扱いを受けたら、こんなに冷たい目の色になるのだろう。半蔵が大切にされるどころか虐待を受けていたであろうことは、容易に想像できる。私はその相手を憎む気持ちが生まれてくるのを、なんとか止めようとした。
私は、沈黙に耐えかねて口をひらいた。「この子、やせてますよね」「そうですか こんなものでしょう」
「半蔵ちゃんはどんなものが好きなんですか。おもちゃとか食べ物とか」
「さあ なんでしょうねえ」
そうしている間もKさんは、半蔵を撫でることや抱き上げることはおろか、触 れようともしない。気の短い私は思わず文句を言いかけた。――もう飼えないとはいっても、今までは半蔵の飼い主だったんでしょう? 愛情のひとかけらもないの? 半蔵のことをこれっぽっちも知らないだなんて、今までいったい何してたのよ――。
だめだ、ここでけんか腰になってはいけない。私は言いたい言葉を全部飲み込んだ。 まずは半蔵を一刻も早く家に連れ帰り、おいしいものを食べさせて、温かいふとん で寝させてやるのだ。そうだ、抱っこされることの気持ちよさも教えてやらなければ。 いまここでこの人が気を悪くして半蔵を連れ帰るようなことになったら、この腕に 半蔵を抱くことだけを待ち望んで過ごしていた日々が、すべて無駄になってしまう。 私は、深呼吸をひとつして口をひらいた。
「脚についている包帯は何ですか。怪我でもしたんですか? 」
「ああ、それ。きのう去勢手術を受けさせたんで、点滴注射のあとなのよ。出血が 止まらなかったから、包帯で押さえてあるの」「去勢......手術 」
「ええ、アレルギーがある子だし、子どもができたらかわいそうでしょ。病院の先生は、今は体力が弱っているから、もう少し元気になってからって言ったんだけど、 まあ、私がお金を出しといてあげようと思ってね」 Kさんは弾丸のようにしゃべった。私の中で、何かがぼろぼろとくずれていった。これほど打ちのめされたことはない。この人はいったい半蔵のことを何だと思っているのだろう。アレルギーの皮膚炎があり、あばら骨も浮き出て衰弱した状態で去勢手術をするなんて。しかも、まだその傷も癒えていない翌日に、段ボールに入れて 私に手渡すなんて。
きょとんとしているトワの目を見ながら、私は思った。彼女にとっての半蔵の存 在価値は、今流行のフレンチブルドッグだから繁殖に使える、ということだった のではないか。この人にとって唯一の「半蔵の価値」を私に渡したくないばかりに、 無理やり去勢手術を受けさせたのかもしれない。それは憶測ではあったが、うがった見方とも思えなかった。
向こうに置いてある軽トラックの中から赤ちゃんのぐずる声がした。Kさんは伸び上がって赤ちゃんの方を見ると、ゆっくり立ち上がった。
「ご心配でしょうから、これが私の住所と連絡先です。ブログで毎日この子のことを 書きますから。写真もアップします。見てみてください。この子のこと必ず、幸せにしますから」私が懇願するように絞りだした言葉も、どこかむなしく、まったく 響くことのないただの言葉のかたまりになって、消えた。
Kさんは半蔵のリードを私の手に渡すと、「それじゃあ、よろしくね」と言って、 はじめて半蔵の背中を、軍手をしたままの手で少し触った。そして次の瞬間、その手をさっと自分の鼻先にやった。「やっぱり臭いね」
赤ちゃんの泣き声が大きくなり、 Kさんは小走りで車に戻っていった。最後まで私に目を合わせることはなかった。
半蔵は、今まで飼い主だった人が走り去っていくのを見て、その後ろ姿に「ワン!」と思いきり叫んだ。彼女にはたぶん届かなかっただろう。半蔵の声も、心も。
キリキリキリ――とセルの音が響いて、軽トラックが桜並木の横を通り過ぎてゆく。半蔵は、車の後ろ姿を目で追い続けていたようだった。
たとえ愛されていなくても、飼い主だとはわかっていたのだ。あんな人でも、半蔵にとっては、まぎれもなく飼い主だったのだ。
ふと足下に目を落とすと、さっき渡したはずの、私の連絡先を書いた紙が落ちて いた。私はそれを拾ってジーンズのポケットにいれ、すこしだけ泣いた。つらいこと があればあるほど、私は絶対に負けたくないと思う。半蔵を幸せにするのだ、絶対に。涙はこれで終わりにしよう。
「さあトワ、帰ろう。これからは半蔵と、ずっと一緒に暮らすねんで。よろしく頼むで!」
リードを何気なくたぐりよせ、半蔵を抱きかかえようとした瞬間。「ガウガウガウ 」威嚇の声とともに、半蔵の歯が私の腕の皮膚を突き通していた。
「いたっ 」一瞬のことで何が起きたのかわからず、立ちすくんだ私の腕を、赤い血が流れていった。
半蔵が人になつかないというのはこういうことだったのか。皮膚がぼろぼろで、 痩せていて。半蔵の傷はそれだけじゃなかったのだ。いちばんの傷は心にあった。しかも、底の見えない淵のように深く、それは刻まれていることだろう。
私は、人を信じることができなくなっている半蔵がかわいそうでたまらなかった。
03| 無力
あれだけ心配して待ちつづけていた半蔵が、今、目の前にいる。憎悪の感情をあらわにして、私を見ている。これまで私は、半蔵の体の状態のことしか考えていなかった。どうしていいのかわからず、ただ、ぼろぼろの紐をつなぎとめただけのリードをながめて何分かを過ごした。そろそろ家に連れ帰らなくてはいけない。一日でも、一時間でも早く病院に連れていって診てもらい、せめてかゆみ止めの薬くらいもらっ てやらなければ。これでは一日中眠れないだろうから。
ふと半蔵に目をやる。半蔵は私と目が合うと「ウ――」と威嚇をする。だけど目をそらすと攻撃してくる様子はない。むしろトワに興味をもったようで、匂いの嗅ぎ合いをしたり、「ちょっと遊ぼう」という感じでおたがいに誘い合うそぶりをしている。犬は大丈夫なのか――。
きっと今まで散歩も満足にしたことがなかったのだろう。車にもたぶん乗せていない。なのに段ボールに入れられて車で運ばれ、初めての場所にぽん、とほうり出されて。家族以外の人間をほとんど見たことがないのに、いきなり見ず知らずの私に捕まえられそうになったら恐ろしいに違いない。トワがいてくれてよかった。トワといっしょなら歩くかもしれない。
私は片手に半蔵が入れられていた段ボールを提げ、トワのリードを握った。もう 一方の手で半蔵のリードを持って、少し引っ張ってみる。最初はいやいやをするよ うに少し首を横に引いたが、トワが楽しそうに歩くのを見て、横についてきた。やった。あとは車に乗せるだけだ。
「半蔵、私が今日からかあちゃんなんだよ」
私は半蔵と目を合わせないように、横を向いたまま、それでも話しかけながら歩いた。半蔵は名前を呼ばれても反応はしなかったが、トワとじゃれ合いながらつい てきた。あとは車に乗せるだけだ。私は助手席を開け、トワを先に乗せた。半蔵は 当然、躊躇している。私はそっと近づき、「半蔵、怖くないよ。かあちゃんだよ」と 声をかけながら、そっと背中のあたりを撫でた。警戒度合いは低いようだ。少なくとも唸ってはいない。今だ。私は半蔵を抱きかかえ、トワの隣に押し込むようにし て助手席にほうりこんだ。
成功。思わずガッツポーズをとって運転席に回り、エンジンをかけた。緊張はし ているようだがおとなしくしている。もともとの恐がりではなさそうだ。私はちょっとほっとした気分で、先週訪れた動物病院のドアをくぐった。
名前を呼ばれ、私はトワと半蔵を連れて診察室に入った。すると、先生もスタッフも目を丸くして半蔵を見た。
「この子が、半蔵ちゃん?」
まさかここまでひどいとは思わなかったのだろう。私が連れてきたのは、まだ固まっていない血を手首につけたままの、ガリガリに痩せて毛がない犬。飼い犬には見えない。先生は、しばらく言葉が出ないほどだった。
「まず体重を量りましょうか」
半蔵は見知らぬ人に取り囲まれ、消毒薬の匂いに包まれた部屋で緊張感を高めたのか、グルルル......と威嚇の声を出している。
「危ないですよ。この子は人間不信になっているようなんです。さっき私も噛まれましたから」
先生はスタッフ全員を呼び集めると、半蔵に噛みつき防止のエリザベスカラーをつけ、抱きかかえて体重計に乗せた。体長が60センチある大きなフレンチブルドッグであるにもかかわらず、体重は9キロと、あきらかに痩せすぎだ。
「皮膚は、やはりアカラスですね。前に連れてきてもらったときはアカラスは出なかったけど。免疫が落ちてアカラスが繁殖したんだな」と先生は言った。「ひどい耳だなあ。綿棒もはいる隙間がないくらい真っ黒に汚れて。半蔵ちゃん、すまないね、ちょっと失礼するよ。おこんないで」
低い声で唸っていた半蔵は、スタッフに体を押さえられ耳を触られると、今度は 恐怖に体をこわばらせ、「キャーンキャーン」と、おおげさな悲鳴を上げた。
「ごめんね、半蔵。ちょっと辛抱して」
威嚇か恐怖。この二つしか半蔵にはないのか。今にも死にそうな声を出して、怖がっている半蔵を見ると泣きそうになる。悲鳴を上げるのに必死になっている間に、先生はさっと腕に注射針を刺し、血液を採ろうとした。
「あ、やっぱり。採りにくいですね。血管が細い」
私の目に涙がたまってきた。先生は、「大丈夫ですよ、きっと元気になるから」と 私を励まして、肛門にさっと綿棒を挿入した。
血液検査と検便の結果がでるまでしばらく時間がかかる。診察室を出て待合室の椅子に座ろうとした瞬間、半蔵を見た50歳代くらいの女性が、さっと自分のチワワを抱きかかえて奥のベンチに逃げていった。たぶん皮膚病がうつるとでも思ったのだろう。
半蔵を足下におく。エリザベスカラーをつけたままあっちこっちを見て、目が合っ た人に向かって「ガウ――ガウ――」とうなり続けている。しかたがない。あんなに怖い目に遭ったのだから。
そんな私たちの様子をじっと見ていた、さっきとは別の40代くらいの女性が、自分のゴールデンレトリーバーを奥の留め具につないでから近寄ってきた。
「この子、アカラスだね。かかったらすぐに病院に連れてきてたらこんなにひどくはならなかったはずよ。何ヶ月もほったらかしにしてたんでしょう。どうしてそんなことするの。それに、このあばら骨。かわいそうに。ちゃんと食事やってるの? 検便は毎月しているの? お腹に虫がいるかもしれないよ」と矢継ぎ早に私に言葉を投げかけてきた。
彼女にしてみれば、私がずいぶん頼りなく見えたのだろう。犬のことがかわいそうに思えてほうっておけず、ついおせっかいをやいてしまったのだ。だけど、そのときの私はぺしゃんこになるほど傷ついた。――何が分かっていてそんなことを言うのだ。私だって犬の飼い方くらい知っている。この子がこうなったのは私のせいじゃ ない。私だってこれからどうすればいいのかわからなくて、今にも泣きだしそうなのだ――。そういって怒鳴りたかった。だけど結局、その言葉を飲み込んだ。
「この子は、事情があって私が預かったんです」それだけを言い、背中を向けてしまうことしかできなかった。
女性はもっと何か言いたそうにしていたが、完璧に拒絶の態度を示す私にちょっとあきれた様子で、自分の犬のもとへ帰って行った。そして、そばにあった雑誌を手に取って、もう私とは目を合わせなくなった。
いつか、「きれいな犬ね」とみんなに言われるようにしてみせよう。「栄養状態も体格もちょうどよくて、毛並みのきれいな手入れの行き届いた犬ね」、きっとそう言わせてやろう。半蔵の悪口は誰にも言われたくない。誰にも何も言わせないくらい に――。
この日の検査でわかったことは、主に栄養失調と皮膚疾患。まだ詳しい検査が必要だけれど、弱った体に麻酔をかけたり、これ以上血を採られたりすることは、半蔵の肉体だけではなく、精神的にも負担が大きいということであきらめた。たとえ精密検査で詳しいことがわかったとしても、半蔵の人を憎む目は数値には表れない。 薬も注射も効果がない。先生には助けてもらえないのだ。どうやって治したらいいのか、道が見えない。
いきなり車で見知らぬ所へ連れて行かれ、知らない人たちに取り囲まれて、触られたり押さえられたりしたのだ。私には、半蔵の体よりも心のほうがずっと心配で、とても重く感じられた。
「疲れたよね、ごめんね半蔵。家に帰ろう」
体に触ろうとするだけで、半蔵は「ガウガウ」、そして「キャーン」と悲鳴を上げる。それを怯えた目で見るトワをまた車の助手席に乗せ、家に帰りついた。不安が波のように押し寄せてくる。
唸り続ける半蔵。だけど、抱えてしまえば攻撃はしてこない。もしかして、元の飼い主に抱っこされたことがあったのだろうか。
やっとの思いで大荷物と一緒に半蔵を部屋にいれた。しばらくはトワと一緒に部屋の中を散策している。トワと一緒にいるときには、半蔵の目に少しだけ安心感が浮かぶ。人間は嫌いでも、犬がいると心づよいのかもしれない。
落ち着いた頃を見計らってそっと近づき、全身状態をチェックする。目にもたくさん傷があり、充血している。毛がない部分は思ったよりも広範囲だ。半蔵が座りこみ、後ろ足で全身を掻いた。かさぶたと血が飛び散る。とにかく匂いがひどい。まずはお風呂にいれなくては。
噛まれても大丈夫なようにビニール手袋をはめて、半蔵を風呂場に連れていった。リードを水道の栓に固定する。まんべんなくシャワーをかけ、シャンプー剤でやさしくからだを洗う。何度すすいでもお湯が茶色く濁る。ほんとうはブラシでごしごし洗いたいけれど、皮膚の弱っている半蔵に刺激を与えるのは禁物。そっと洗い流すだけにした。半蔵は相変わらず唸り続けている。水道の栓につないだままでドライヤーをかけると、白いフケがあたりに飛び散った。皮膚が乾燥しきっているのだろう。それに、さっき動物病院で耳垢をだいぶ取り除いてもらったとはいえ、まだまだ耳の奥が見えないほどに汚れている。
それにしても、ほんとうに長い一日だった。半蔵も疲れただろう。
シャワーの後、トワと並んで食事をさせる。食欲はあるようで、半蔵のために選んだフードをがつがつがつと、あっという間にたいらげた。そして、もっと欲しいというようにこちらを見た。
「私がかあちゃんだということに、少しは気がついた?」じっと見つめながら話しかけると、半蔵は威嚇されたと勘違いしたのか、唸り始めた。
「もうあんたを苦しめるものは何にもないよ。誰もおらんよ。これからかあちゃんとトワと楽しく暮らすんよ。安心して、な、半蔵」
私は半蔵の名前をずっと前から考えて、決めていた。『絆蔵』だ。「半」という字 を「絆」という字に変えたのだ。もう二度と切れない絆でありますように。私たち家族と強い絆で結ばれますようにと。
絆蔵の目は憎しみに満ちている。生きているのにまるで死んだような瞳。誰も信じていない。誰も愛していない。絆蔵が今までどれだけつらい目にあってきたのか想像ができる。食事もろくに与えられず、内臓が弱ってすぐには元に戻らないやせ方。しつけもされていないし、人間との接し方を知らない。ましてや他の犬との接し方なんてわかるはずもない。
トワは絆蔵を遊びに誘う。おもちゃをくわえて目の前に差しだし、「取り合いっこしよう」と誘う。絆蔵は――おもちゃと認識してはいないが――獲物を差し出され たので奪い取ろうとする。トワはさっとかわして「取りあげてみれば」とばかりに逃げ回る。それは本来、犬たちにとっては楽しい遊びのはずなのに、遊んだことがない絆蔵は、「なんだ、こいつ?」と怒っては「ガウガウ」と吠え、トワを追いかける。 身のこなしの早いトワがさっと逃げると、それがまた絆蔵には気にくわないらしい。 トワが近づいた瞬間、本気でトワの顔に噛みつく。何かしらコミュニケーションを取ろうとしているようだが、犬とのつきあい方を知らないために、トラブルが起きて しまう。
いらついているのは昼間だけではない。皮膚のかゆみのために安眠できず、起き出しては座り込み、後ろ足で全身を掻きむしる。耳を、外から内から掻こうとする。 昨晩も、ほんの何分という間隔で起きあがり、全身をバリバリと掻きむしっていた。 こんな状態で眠れるはずがない。私も気になって眠れなかった。つらいかゆみをなんとかしてやりたい。
安心とは無縁なところにひとりぼっちだった絆蔵。大好きなはずの飼い主からの飼育放棄。どんなに不安で寂しい思いをしていたことか。私はまた、元の飼い主の車を目で追っていた、きのうの絆蔵の顔を思い出した。傷ついた心が癒える日は来るのだろうか。
翌日になってから、気になっていた、奥が見えない耳の穴をよく見てみる。耳垢がたまっているだけではなくて、内側の皮膚が腫れあがり、ふさがっているようだ。放置するわけにはいかない。このままでは、いつまでも耳のかゆみでイライラするに決まっている。私は満腹になってうとうとしている時間を見計らって、絆蔵を抱え込もうとした。
「ウ――ガウガウガウ 」
さっと手をよけて、こちらへ顔を向けないように捕まえたつもりだったが、絆蔵の素早い動きには勝てない。一瞬でまた手を噛まれた。右手の人差し指からぽたぽたと血が流れる。甘かった――。たぶん明日は仕事に行くことができない。この手ではハサミが持てないだろう。私はティッシュで出血を抑えながら座り込んだ。
痛い――。かなり本気で噛まれたらしい。犬歯が刺さったあとが深い。そこから止まることなく血が流れ出す。
絆蔵、私がかあちゃんだよ。かあちゃんは絆蔵のことを傷つけたりはしないんだよ。そういうものなんだよ、かあちゃんて。いつも絆蔵が快適でいられるように、元気で楽しく過ごせるように。そんなことばかり考えているんだよ。だから何も怖がることなんかないのに。
言葉の通じない絆蔵に、私の気持ちはいつ伝わるのだろう。伝わる時が来るのだろうか。しかし弱気になっている場合ではない。とにかく今は耳掃除をしてやらなければいけない。それに、ここで私が絆蔵を怖がって耳掃除をやめてしまえば、絆蔵はきっと、自分の力が勝ったと勘違いをする。犬の心の安定のためには、主人の力が絶対だということを知る必要がある。絆蔵の威嚇にひるむということは、絆蔵の恐怖心が私の愛情に勝ってしまうということだ。これだけは絶対に譲れない。何 としても、絆蔵が持つ恐怖心と憎悪に私の愛情のほうが勝つのだということをわからせたかった。私も怖かった。だけどここで負けるわけにはいかないのだ。絆蔵に、というよりも彼が受け入れざるを得なかった、悲しい過去に。
「だめ! かあちゃんを噛んだら!」私は叱責し、絆蔵を床にねじ伏せ、上から押さえつけた。力で押さえつけられると、今度は「キャーン」と悲痛な声を出す。それは、普通の飼い犬なら一生出すことがないような悲鳴に聞こえた。きっと想像できないほどつらく痛い目に、何度も遭っているに違いない。
「絆蔵、ごめんね」心でそう言いながら、私は絆蔵の顔に軽く噛みついた。母犬が子犬のしつけのためにそうするように。
「噛まれたら痛いでしょ! 絆蔵だって痛いでしょ。だから、噛んだらだめ! だめなんだよ! 」
私は絆蔵を押さえつけながら叫んだ。絆蔵は私の言葉を理解できずにさらに怖くなったのだろう。「キャーン、キャーン」と、さらにひどく鳴いた。魂の底から怖がっているような声だった。
物音を聞いて、母が階段を上がって走りこんできた。近くの実家にまでこの声が 響いていたのか。
「やめなさい。なんてことを――。そんなにせんでも。絆蔵ちゃんだってわかってくるよ、きっと。そこまでせんでも」
母は私の腕をつかんで絆蔵からひき離した。般若のような顔をして私は闘っていたに違いない。血で真っ赤に染まったティッシュが重い音を立てて落ちると同時に、忘れていた指の痛みがもどってきた。恐怖でパニックになった絆蔵は、暴れ回り、トワにやつあたりをして噛みついた。
「なんてことすんの、絆蔵 」私は絆蔵を捕まえて再び押さえつけた。素手であったにもかかわらず、絆蔵は恐怖に体をすくめて反抗してこない。「キャーン」と悲鳴を上げ続けているだけだ。
どうしたらいいのだろう。私はいつもより焦っているようだった。なぜか焦燥感に駆られる。のんびりと構えていられない。
「幸せにします。大事にします」だなんて、思い上がりだったかもしれない。耳掃除ひとつしてやれないのだ。「弟ができたよ」なんて、トワにも偉そうなことを言って。いちばん怖がっているのはトワじゃないか。この悲鳴を聞いたとたんに、彼は部屋の隅に隠れて小さくなってしまって、しばらく出てこない。
絆蔵はもともと攻撃的な性格ではなかったはずだ。目を合わせたり、体に触ろうとしたりさえしなければ、攻撃はしてこない。ごはんの時間になるとトワと一緒に並んで待つし、おやつを用意すると少しうれしそうな顔をして走り寄ってくる。かといって私になついたわけではなさそうで、目を合わせると、その目には恐怖と威嚇の色が浮かぶ。当然、自分の名前にはまったく反応しない。耳がふさがっている から聞こえないのか、それとも名前を呼ばれたことがないのか。たぶん、自分の名前が呼ばれたあとで、楽しいことがあったためしがないのだろう。名前に反応するという、飼い犬の基本のようなものさえ絆蔵には身に付いていないのだ。
風呂場から洗濯ネットを持ってくる。怪我をした右手の人差し指を守るために、 絆創膏の上からくるくるとティッシュを巻いて輪ゴムで留めると、ゴム手袋をつけた。唸りながら私の一挙一動を横目でにらんでいる絆蔵に近づき、「絆蔵、かあちゃんなんだよ。怖くないんだよ、かあちゃんだよ」と言いながら、前脚から肩を押さえ込 んでネットに入れようとした。
案の定、絆蔵は私の右手首に噛みついた。だけど今度はゴム手袋の上からなので、少し痛いが突き刺さってはこない。今だ。
絆蔵を抱えて洗濯ネットの中に入れ、ファスナーをさーっと閉めて顔だけを出した。こうすると足が思うようには動かないので、逃げ出すことも、私に噛みつこうとして体の向きを変えることもできない。足が自由にならなくなった恐怖のためか、 絆蔵はまた悲鳴を上げた。「キューン」というその鳴き声は、「やめて、こわい」と 言っていたのかもしれない。
「絆蔵、耳掃除しないと夜寝られないんだよ。かあちゃんが絆蔵を呼ぶ声も聞こえないんだよ」
改めてのぞき込んだ絆蔵の耳は、綿棒を何十本替えてもきれいにならなかった。この黒い垢はなんだろう。とりあえず、入り口付近の耳垢だけを取り除き、点耳薬を垂らした。液体の冷たさに驚いて、また絆蔵が暴れた。あと少し。私は洗濯ネットの上から、皮膚の薬をあごと胸のあたりにすりこんでやった。
ネットの中で暴れる絆蔵。ファスナーを開けてやると、飛び出して走り回る。一直線に、タンスの陰に隠れているトワに向かい、「ガウガウガウ」と怒りの声を上げて噛みついた。お腹を見せて降参のポーズをしているトワ。
「絆蔵! またトワにやつあたり? 噛んだらあかん! トワは家族!」また私は 絆蔵を床に押さえつけた。
「キャイーン、キャイーン」悲鳴を上げる絆蔵を押さえつけ、今度はサークルの中にいれた。いったんはハウスの奥にもぐりこんだ。
やつあたりばかりされているトワの顔は傷だらけだ。また目の下に傷ができてしまった。うっすらと血がにじんでいる。トワをまず避難させるべきだった。
「ごめんね、かあちゃんが絆蔵を連れて帰ってきたばっかりに。こんなことになるとは思わなかった。トワに迷惑かけて、ほんまにごめん。せっかくの男前にいっぱい傷つけてしまって」
私はトワを膝に抱き、しばらく背中と頭をさすり続けた。トワは何も言わず、がまんしているように見えた。
「キャインキャイン 」また絆蔵が鳴き始めた。今度は要求吠えだ。私に撫でられているトワに対して、嫉妬の気持ちを抱いたのだろうか。そんなはずはない。抱かれたり撫でられたりする気持ちよさを、まだ絆蔵は知らないはずだ。たぶんサークルから出せということだろう。
「絆蔵、要求吠えはしたらだめ。かあちゃんが絆蔵のために気持ちいいようにしてあげるから、安心してかあちゃんを信頼して」
自分の名前もわからないのに、私の言葉など理解するはずもない。絆蔵はますます大きな声を張り上げた。
「絆蔵はかあちゃんの家族なんだよ。うちの家族のきまり。要求吠えはしちゃいけない。黙りなさい」
私はまたゴム手袋をつけると、サークルを開き、絆蔵を押し入れにいれて戸を閉めた。厳しすぎるのかもしれない。間違っているのかもしれない。けれど、言葉の通じない、まだ心が通じていない絆蔵に、何とかして、どんな形でもいいからメッ セージを伝えたかった。
「黙るまで出さないよ!」
真っ暗な押し入れの中でなんとか出口を探そうとしているのか、ガサガサ音がする。そして、脱出不能だとわかるとまた悲鳴を上げる。絆蔵と私の根比べ。おとなしくなって、絆蔵。安心して。仲良くなろう。早く私の気持ちをわかって――。
「ガウ......ガウ......」――出せ、出せよ――と要求し続けていた声がしだいに「キャ ン...キャン...」――出して、出して――というように寂しそうな鳴き声に変わり、やがて静かになった。
絆蔵が要求をあきらめた! 私は飛んでいって絆蔵を押し入れから出し、トワと同じようにひざに乗せて背中を撫でてやった。
「絆蔵、かあちゃんだよ。かあちゃんが抱っこしてあげてるんよ、気持ちいいねえ」
心が少しだけ通じた――、と思ったのも束の間。目を合わせるとまた唸り始めた。 私は一生懸命笑顔を作って「敵じゃないんだよ」というオーラを出し続けたつもりだった。
「ガルルル――」唸り声が大きくなってきた。私が背中を撫でている手を離そうとした瞬間、「ガガガガ 」絆蔵は怒りをあらわにし、全身でぶつかってきて、私の腕に噛みついた。流れる血。
「絆蔵、どうしてわからんの。あたしはかあちゃんなんだって!」
絆蔵にとって私は母どころか「鬼」に見えるのかもしれない。これじゃ恐怖の上塗りをしているだけではないか。私はなぜこんなにも焦っているのだろう。まるで 明日がやってこないみたいに。私は非力で、どうしようもなく無力だということに、 打ちのめされそうだった。
04| 弱いものの気持ち
絆蔵をハウスに入れたものの、相変わらず何分かおきに起き出しては「ガッガッ ガッ」と体中を掻きむしる。耳の中に後ろ足の爪を入れて掻こうとしているのがわかる。それほどまでにかゆいのだ。噛みつかなければ、私が耳の中も背中も掻いてあげられるのに。いったいこんな夜がいつまで続くのだろう。どうすれば絆蔵の耳や皮膚が治ってゆくのだろう。そして絆蔵の心も。今までどれだけの傷ついた犬や猫を保護して育ててきたか。私は自信があった。どんなに心や体が傷ついた子たちだって、一生懸命に世話をして、心を通じ合わせることができた。なのに、このざまはどうだろう。そして、この焦燥感はいったいどうしたというのだろう。
両親は動物が好きだった。だから私は、生まれたときから犬や猫に囲まれて育った。家族として一緒に住んだ犬や猫たちは、ペットショップで高価な値段がつけられ、売られていた子たちではない。両親は、捨てられたり傷ついたり死にかけたりしていた犬や猫を保護しては、家に連れ帰りめんどうを看ていたのだ。
みんなさまざまな事情を抱えていた。まったく目の見えない猫。耳が聞こえない老犬。ノミアレルギーに冒された犬や、交通事故で下半身不随になった猫もいた。もちろん、一度はほかの家で飼われていた子もいたが、幸せな生活とはほど遠いみたいだった。そして、元々ノラ猫で、人間を嫌っている子も多かった。
そういう動物たちが一緒に暮らしていると、互いに喧嘩をして傷だらけになることもあるし、飼い主である私たちが傷を負ったことも数え切れないほどある。母は大きな犬に攻撃されて、鎖骨を折ったことがあった。それでも私たちは保護し続けた。私が「動物は保護するべきもの」という考えを強く持っているのも、両親の影響が大きいと思う。不幸な子、傷ついた子をほうっておけないのだ。
何歳のときだっただろう。飼い犬の食事当番が私に割り当てられたことがあった。
「絶対に、あんたがごはんをあげるんだよ」と母に言われ、毎日きちんと世話をしていた。ただし一度だけ、遊ぶのに夢中になって帰宅がすごく遅くなり、食事をやれなかったことがあった。そんな私に母は言った。
「あんたは、親がいつだってごはんを用意してくれているけど、犬や猫はあんたがごはんをやらないと、何もできずにただ空腹に耐えているだけなんだよ。弱いものの気持ちを考えなさい」
そしてその日は、私自身の晩ごはんがなかった。しかし何年も後になってから、あの時は両親も夕食を食べずに、私が帰ってきて犬の食事の世話をしてやるのを待っていたことを知った。両親も犬と一緒に、そして私と一緒に、空腹に耐えてくれていたのだ。
だから今でも、新しい飼い主を探していたり、虐待を受けていたり、体や心に障害がある動物たちを見ると、全部ひきとって自分でめんどうを看てやりたくなる。 せめて一頭でも二頭でも、不幸な立場にある子を幸せにしてやりたい。そんな思いを幼い頃から心の底にずっと持ち続けていた。だから、初めて絆蔵を写真で見たあの日から、絆蔵の幸せを祈り続けていた。けれどもいま、絆蔵は目を合わせれば私を威嚇するように唸るだけ。近寄ることもままならない。
絆蔵が私に噛みつくくらい、たいしたことではない。そんなこと実は大きな問題 ではない。だけど、私にはわかる。絆蔵が人を憎む気持ちはとても強い。絆蔵が人間を好きになり、信頼してくれる日が来るなんて、今はとても思えない。それがわかるから、途方に暮れてしまう。
闘いの日々が続いた。浅い眠りのなかで、私は煩悶する。こうやって毎日噛まれるばかりで、なんの進展もないのだろうか。だとしたら、絆蔵はずっと人を憎み続けて生きていくのだろうか。生きることは絆蔵にとって、もはや苦しみそのものに変わっているのではないか。
絆蔵、私はあなたを育てる自信がないよ。ごめんね、絆蔵。もう、この手で絆蔵のこと殺してもいいかなあ。私じゃ絆蔵を幸せにしてやれないよ。私が思い上がっ ていた。そんなにも生きることがつらいなら、私が殺してあげるよ。私のこと、思い切り憎んでもいいよ。
だから、殺し――
そのとき、冷たくはっきりとした輪郭を持った、誰かの声が脳裏に響いた。
「だから言ったじゃないか。わざわざ傷ついた犬を引き取って育てるなんて、無理だって。お互いにつらい思いをするだけだっただろう」
私は心臓が飛び出しそうになって、上半身を勢いよく起こした。覚醒した今も、動悸が激しい。いやな夢だった。
05| あろえとトワ
2004年の春のことだ。私はついにフレンチブルドッグを手に入れた。フレ ンチブルドッグとの生活を、長いこと夢に見ていた私は、とてもわくわくしていた。 かわいいかわいいブリンドルの女の子。「虫がつきませんように」との思いから「あろえ」という名前をつけた。
いよいよこれから楽しい生活が始まるというときだった。たった3日目でその生活は暗転した。あろえは夜中にいきなりけいれんを起こし、嘔吐をくり返した。私は驚いて夜間病院に駆け込んだ。応急処置のおかげで、一命は取り留めたものの、 点滴をはずすわけにはいかず、入院生活を送ることになってしまった。
購入先のペットショップに問い合わせると、水頭症の疑いがあるとのことだった。
「すぐに代わりのフレンチブルドッグを用意するので、返品してください」と言う。
返品? 私にとってもうあろえは大切な家族なのに。まるでものを扱うみたいに「返品」と言われ、怒りを覚えた。病気があろうと障害が残ろうと、私の家族なのだ。
「自分の責任で最後までめんどうを看たいので、交換はしたくないです」と私は訴え続けた。「返せ」「返さない」のやりとりが続き、そのペットショップとは、裁判沙汰にさえなろうかという状態にまでもめていた。
ある日、いつものようにあろえのお見舞いのために病院を訪れた私を見て、スタッフが「あれ?」という顔をした。
「あろえのお見舞いに来ました。どんな様子でしょう?」
「あろえちゃんは退院しましたよ。花さんもご存じだったのでしょう?」
そのペットショップは「私の許可を得た」と嘘をつき、病院の代金を支払ってあろえを連れ去ってしまっていた。先生が聞いた話によると、産んだお母さんのところに戻すのだという。
いったいあろえをどこにやったのだろう。お母さん犬のところだなんて嘘に決まっ ている。なんとかしてあろえを取り戻したい。私は手を尽くした。
あろえを買ったペットショップはこの近辺でも悪名高く、すでに何件もの訴訟が起きており、その処理には何年もかかるらしかった。
どんなに手を尽くしても、いくら私がお金をかけ、私の人生をつぎ込もうとも、あろえを取り戻すことはできなかった。あろえを失ってしまった喪失感に、私はすっかり元気をなくしていた。
しばらくして、夫の東京への単身赴任が決まった。夫はいつまでも落ち込んでいる私を見ていたたまれない気持ちになったのか、こう言った。
「次の犬を飼いなよ。かわいいボストンテリアの子犬が近所のお店におったで。見てきたら?」
そして私はトワと出会った。もうこの子とは絶対に離れない。永遠に離れたくないという願いをこめて、トワという名前をつけた。
その年の暮れ、「年末は家には帰れない」と夫から連絡があった。お正月が終わっ て、一段落してから休みが取れそうだという。
夫が単身赴任になってから、そういう生活はもう慣れっこになっていた。けれども今はトワがいる。何でもトワと話をするし、散歩に出れば、トワに話しかけてくれる人が大勢いる。だから寂しくはない。 朝、鏡をのぞいて髪の毛をとかした瞬間、左のこめかみの上のほうに白っぽいものが見えた。なんだろう 髪の毛をすくい上げてよく見ると、それは地肌だった。私は鏡にすり寄ってその部分を凝視した。髪が、ない。ちょうど十円玉くらいの大 きさに毛が抜けて、地肌が丸見えになっている。しばらくは鏡の前で呆然とするしかなかった。ケガでもしたのだろうか。整髪料のなんらかの成分がいけなかったのだろうか。それともひどいアレルギー? カーラーの使いすぎ? 結ぶときに引っ張りすぎたのかもしれない。最近、寝る前に飲むアルコールの量が多いからだろうか。あるいはストレス。ありとあらゆる原因を考えてみたけれど、わからない。
年が明けて、夫が久しぶりに帰ってきた。私の髪を見て、「気にするなよ、きっとあろえのことがあってつらかったから、ストレスがあったんや。また生えてくるよ」 となぐさめてくれたのに、私の心はぜんぜん癒えなかった。こんな時、ほんとうに申し訳なく思う。
十円玉大だった抜け毛部分は、いつしか五百円玉ほどにまで大きくなり、かなり目立つようになっていた。
06| 絆蔵の笑顔
あれほど苦しいと思った絆蔵との生活だったが、すでに絆蔵と別れることができなくなっている自分に、あらためて気がついた。時間と努力はむだではなく、えんえんと続いている闘いの日々も、心を通わせるためには必要な手続きに思えてきた。
耳掃除や皮膚の手入れのたびに敵意をあらわにし、私に唸り、噛みつくのは変わらない。それでも、どのタイミングで飛びかかってくるかがわかってきた。次第にうまくかわせるようになり、顔を押さえることができるようになった。それにともない、手や指の怪我もぐんと減った。
私は、トワを右手に、絆蔵のリードを左手に持ち、いつものように散歩に出かけ た。散歩コースにあるバス停の前で、五歳くらいの男の子とそのお母さんがバスを待っていた。
「見て、ゆうくん。あの大きいほうの犬きちゃないなあ。皮膚病ちゃうか。あんなに痩せて。どんな飼い方してんだろうねえ」母親が息子に話しかける声が耳にはいった。
「ママ、かわいい。触ってもいい 」
「だめだめ 皮膚病がうつるよ!」
この会話はこたえた。一生懸命やっているのに、なんでそんなことを言われなけ ればならないのだろうと一瞬落ち込み、絆蔵のリードをぐっと握りしめた。絆蔵は 私の大切な家族。こんど彼女に会うときには、「見て、あのかわいいきれいな犬。触りたいね」と言わせよう。
絆蔵の耳の中はとてもきれいになっていた。あんなに真っ赤で痛々しかった首の 下の皮膚も、もとの白さに戻りつつある。まるで老人斑のような黒いシミだらけだっ たところが、薄いそばかすくらいの色になっていた。毎日脱毛が激しく、フケがたくさん飛び散っていたのもずいぶんとましになり、その皮膚からは、赤ちゃんのような柔らかい産毛がふわりと生えてきている。この毛の柔らかさと白さが、絆蔵の
「生き直し」の証のようであり、それを見るたびに、私のやっていることはむだではない、絆蔵は確かに生まれ変わっているのだと思うことができた。
普通の家庭犬のように、頭や顔回りを撫でられてうれしがるというまでにはなっていないが、私を見る目の色に、少しだけ温かさが交じってきたような気がする。 私がそばに寄っていき、撫でたり目を合わせたり声をかけたりしなければ、威嚇してくることはないし、トワとはとても楽しそうに遊んでいる。トワがお腹を見せてすり寄っていくと、よろこんでふざけ合いに参加し、飛びついたり飛び乗ったりする。 追いかけっこをして遊ぶことも多い。だから私は安心してトワにお守りをまかせて、仕事に行けるようになった。
トワと絆蔵の記念写真は、いつも絆蔵が「じろり」とにらんだ顔。それでも私はうれしかった。
犬社会のルールを学ぶなら、やはり犬たちがたくさんいる場所だろう。広大なドッグランは走るだけでも楽しいものだ。今までストレスだらけだった絆蔵の気持も明るくなるにちがいない。
そう考えて、はじめて絆蔵をドッグランに連れて行った。彼はほかの犬に対して攻撃することはないので、安心してリードを離すことができる。さっそく絆蔵は探 検を開始する――と思いきや、いい匂いがするからか、ドッグカフェの厨房あたり を気にしている。その後は出口付近を陣取り、次から次に現れるはじめて見る犬 たちに興味津々。犬同士の挨拶を上手に交わしているところを見ると、なかなかの社交上手だ。それでもまだ、どうやって遊んでいいのかわからない様子を見せるが、 いずれうまくできるようになるはずだ。今まで遊んでこなかったぶんをこれからど んどん取り戻していけばいい。
遊び疲れてそろそろ帰ろうか――というときに、何気なく撮った写真。それを家 のパソコンの画面で見て驚いた。 絆蔵が、笑っていた。
トワのように無邪気な笑いではないけれど、微妙に口角が上がり、うれしそうな 目をしている。私はこれを見たいがためにがんばってきたのだ。
怖い顔や悲しい顔しか持っていなかった絆蔵に、笑顔を取り戻させること。徐々にだけれども、すべてはよい方向に向かっている気がした。私は絆蔵のこの笑顔に、 真夏の厳しい太陽に負けない明るさで笑いかける、ひまわりを思い浮かべた。
07| ハルとの日々
多頭飼いが夢だった私は、トワに兄弟を迎えてやりたいと、インターネットを見たり、ペットショップをのぞいたりしていた。その中に気になる子がいて、ひまさえあれば写真をながめていた。とあるサイトで見つけた、ボストンテリアの男の子 だ。どうしようかなと思っているうちに、どんどん値段が下がっていき、ついには 「お買い得」というラベルが貼られた。その子は生後7ヶ月になっていた。寂しそうな表情、力のない目つき。私はほうっておくことができなかった。
会ってみたい。私はそのペットショップを訪れることにした。
その子は、ショップの端に置かれている、まるで鳥かごのような安っぽいケージ に入れられていた。ケージには大きな紙が貼り付けられ、「お買い得」と大きな文字で書かれてある。その奥で、小刻みに震えていた。
「あの......この子。ネットのサイトで見たんですけど」 声をかけると店員は、「ああ、ぶるぶるちゃんね。いつも震えているからぶるぶるちゃんて呼んでるんですけど」と言った。すると、奥から店長が電卓を持って飛んで出てきた。「この子はもう売れ残りだから、これだけにしておきますよ」
澄んだきれいな目をしていた。けれど私とは決して目を合わそうとしない、感情のない、作り物のような目でもあった。
手を差しのべると、小さな体を震わせ、頭を隠して怯える。抱き上げると手足に思い切り力を入れてふんばり、悲鳴をあげる。軽い――まるで骨と皮だ。生後7ヶ月にしてはあまりに小さすぎる。ケージの外に出してみると、歩行もままならないほどに筋肉の発達が遅い。糞尿まみれで体はひどい悪臭を放ち、毛並みはパサパサ。
私が抱いたり歩かせたりとチェックしているのを見て、店長は「こっちのチャンピオン犬がいいですよ。こちらも値引きしますから」とニコニコしながら勧めてきた。 私は「考えてからまた来ます」と言い残すと店を出た。しかし、あの小さな子を家族として、トワの兄弟として引き取ることをもう決めていた。
帰りの車の中で、私は一生懸命にその子の名前を考えた。ましろ。ひなた。くりあ。なんだか女の子っぽい名前しか思いつかない。あの子は男の子なのに。
そうだ、ハル、ハルだ。あの子に早く陽だまりを見せてやりたい。春の陽の光の中に連れ出してやりたい。それと、胸を張って堂々と生きる、胸を張るの、ハルだ!
あくる日、私はトワを連れて、ペットショップにハルを迎えに行った。まだ開店前で、店のシャッターが開くのをじっと待っていた。
ハルを家族として引き取るにあたっては、当然家族から反対された。体が小さく て売れ残っているような子は、いろいろな障害がある可能性もあるし、何らかの疾患を持っていても不思議ではない。そういう子を育てるのが大変なことを母はじゅうぶん知っていた。夫に相談しても答えは同じだった。
だけどすでに私は決心していた。この子のめんどうを看るのは私しかいない。この子には、私しかいないと。
今思えば、あの頃は元気で堂々としている犬には興味が持てなかった。不安や不調に苛まれていた私は、元気でエネルギーに満ちた犬ではなく、傷ついた子になぜ か心惹かれていたのだった。
2005年二月。生後七ヶ月でわずか 2, 3キロしかないハルとの生活が始まった。動物病院で検診を受けた結果は「栄養失調」、それから便に虫も見つかった。とにかくハルは体も心もか細く、何もかもを恐れていた。おもちゃを見せても怯えるば かり。何も食べようとしない。怖がって体を触らせてくれない。
私は嫌がるハルを少しずつ外に連れ出し、さまざまな景色や犬、人に会わせた。 生きることの楽しさを感じてほしかったし、ボストンテリア本来の明るさと活発さを思い出させてやりたかったからだ。
一週間が過ぎた。相変わらずハルは怯え続けている。それでも少しずつ目の色が変わってきた。「ハル!」と呼ぶ私の声に反応を示すようになり、私の手からごはん を食べるようになった。トワにちょっかいを出されて、少しだけやり返すようにも なった。
犬として普通にできることが増えていくのがうれしくてたまらない。二週間後には体重が三キロに増えた。少しだが走れるようになり、トワに自分から寄っていくようになった。ごはんを催促し、私の膝で寝てくれた。そして、私の顔をペロペロとなめてくれた!
三週間後、思い切ってボストンテリアのオフ会にハルを連れていった。ずっとひとりぼっちだったハルに、友だちを作ってやりたかったのだ。怯えて物陰で過ごすかもしれないという私の想像とは違い、ハルは少しずつ他の犬たちに慣れ、楽しそうに走った。少し怖いと思ったときにはトワの陰に隠れた。たくさんの仲間たちと走り回るハルを、私は涙が出そうなくらいうれしい気持ちで見つめていた。何週間か前には歩くことさえおぼつかなかったハルが、こうやって楽しく走り回っている。こんなに生き生きとしたハルを見るのは初めてだ。これからも何度でも、ハルの笑顔が見たい。それを見られる私は幸せものだと心の底から感じていた。
誰に話してもきっと信じてもらえないだろう。私は仕事中にハルの声を聞いた。 自宅から何キロメートルも離れた私の職場で。「キャイン」とも「おかあちゃん 」とも聞こえる小さな声が、私の耳に届いたのだ。妙な胸騒ぎがした。こんなことは今までなかった。だけど確かにハルの声は聞こえた。「体調がすぐれないので」と同僚に謝り、急いで外へ飛び出した。
家に帰り部屋の戸を開けると、私の足下には小さなハルが横たわっていた。
「ハル、ハル!」声をかけて抱き上げた。冷たい。私は立っていることもできずに座り込んだ。体が震える。ハルは氷のように冷たい。
別室にいたトワを呼んだ。トワはうれしそうにボールをくわえてきてハルにすり寄るが、反応のないハルを見て、不思議そうに私を見上げる。
夜間救急病院に電話をすると、「救急病院ですから、死んでしまった子は診ることができません」と言われた。なすすべもなく、朝までハルを抱いたまま、ハルが 目を覚ますのを待った。寒い寒い夜だった。毛布でハルを包み、強く抱いて呼びかけ続けた。しかしハルは目を覚まさなかった。私の呼び声に反応してはくれなかった。ハルと暮らして、たった34日目のことだった。
夜が明けて、動物病院へハルを連れていった。大学病院で解剖しなければ、死因は詳しく分からないらしい。おそらく心臓か脳に障害があったのではないかということだった。死因がわかったところでハルが帰ってくるわけではない。私はハルを連れて家に帰った。動かなくなってしまったハルの瞳は優しくて、澄んでいて、とてもきれいだった。
三日後、トワを連れてハルの旅立ちに行った。その日は小雨。まるでハルの涙のようだと思った。「最後のお別れをしてください」とうながされ、私はハルの頭を撫 でた。ハルは私を恨んでいるだろうか。どうしてハルの体の状態に気づいてやれなかったのだろう。健康診断のときにもっと細かく調べてもらっていたら、悪いところがわかって、もっと早く治してやれたかもしれない。私がハルをこんなにも早く死なせてしまったのだ。
「ごめんね、ハル」そう言おうとした瞬間、隣で私を見ていた年配の女性が優しく声をかけてくれた。
「その子には、ごめんなさいではなくて、ありがとう、って言ってあげてくださいね」
彼女もきっと、大切な家族である犬か猫を亡くしたに違いない。お参りのための線香とお花を抱いていた。その言葉を聞いたとたん、私はへたりこんでしまった。 泣いて叫んでハルの名前を呼び、ハルを抱きしめた。こんなにも涙が出るものなのかと思えるくらいに泣き続けた。
「この子は幸せな子でしたね。あなたに出会えて、きっと感謝してるはずですよ」と、その女性は言った。
鉄の扉が冷たい音を立てて閉じようとしたとき、トワが大きな声で吠えた。トワはハルに帰ってきてほしかったのだ。私はトワを抱きしめ、ハルにお別れをした。
小さな容器に入って、ハルが家に帰ってきた。トワは部屋中を歩き回ってハルを探していた。こんな白い固まりを見せても、ハルだなんてわかってくれないだろう。
心に穴が空いてしまったというよりは、心そのものがどこかに行ってしまったような気がする。長い長い月日が過ぎたような。もしかしてあっという間の出来事だったのかもしれないけれど。
そんな日々の中、あるとき髪をとかしていると、何十本もの髪の毛がばさーっと 抜け落ちた。声も出なかった。しばらく落ち着いていたあの脱毛がまたはじまった。 全体的に髪の毛が少なくなって、大きく地肌が見えている。思い切って皮膚科に行 くと、予想通り「円形脱毛症」と言われて、ステロイドを処方された。私の髪はどうなってしまうのだろう。もしかして全部抜けてなくなってしまうのだろうか。そう思うと不安でしかたがなかった。髪型だけでカバーするのにも限界がきて、毎日ウィッグをつけて職場に行くようになった。
ハルを亡くして、あれだけつらい目に遭ったというのに、私はまた、犬を飼いた いと思うようになっていた。ハルの死をむだにはしない。私が幸せにしてあげられる犬はまだまだいる、そう信じていた。
私は動物保護センターに里親希望の名乗りを上げた。立場の弱い子たちを一頭でも救いたい。もうペットショップで犬を買う気はなかった。動物保護センターからはすぐに断りの連絡がきた。理由は大きく二つ。一つ目は、私が仕事を持ってい て留守番の時間が長いこと。そして二つ目は、先住犬がいること。がっかりしたが、 センターの言っていることは正しい。
体も心も傷ついた犬たちには、愛情は充分過ぎるほど与えてやってほしい。いつもそばにいて温かさを感じさせてやってほしい。だから、留守が長い家庭は避けたい。それから、その子だけを見ていつも抱きしめてやってほしいから、先住犬はいないほうがいい。
それもそうだ。「はい、どうぞ」と渡してくれるほうが逆に信じられない。けれど、 私が一頭でもかわいそうな状況にある犬を引き取って大事にしてやりたいと強く願うのは、すべてトワの存在があるからなのだ。弱々しかったハルの瞳に明るさが戻ったのも、きっとトワのおかげ。そして私がハルの死をやっと受け入れられるようになったのも、トワがそばにいてくれたから。トワの存在は、「先住犬」という一言で 片づけられるものではない。トワの存在があるから私は強くなれる。そして、弱い立場の犬を助けたいと思うことができるのだ。
私の髪の毛の状態は改善しない。真っ黒な不安の固まりが胸に渦巻く。
毎朝、枕の上には抜け毛がごっそりとあった。ウィッグの数もずいぶん増えた。 鏡の前に立つと私は自分がいやになった。自慢だった長い髪もかなり抜け落ちてしまった。
08| ママ、もう泣かないで
もうすぐ夏が本番をむかえようとしていた。私は仕事でくたくたになりながら、 夜10時頃に帰宅した。バッグから鍵を出してドアに差したところで、「キィ―― 」 という、声とも音ともつかないような音を耳にした。犬の声には聞こえなかった。 まさか絆蔵の声だとは思いもしなかった。だけど、胸騒ぎがする。もしかして? 私は家に飛び込み階へ駆け上がった。
不安は的中した。声の主はやっぱり絆蔵だったのだ。体を大きく痙攣させながら、 聞いたことのないような大きな声で叫び続けている。
「絆ちゃん、どしたん? 苦しいの? どこが痛い? しっかりして」
抱きかかえて叫ぶことしかできなかった。トワは部屋の隅で小さくなって震えて いた。 そして絆蔵は、逝ってしまった。
なんで? どうして? 受け入れることなんてできるわけがない。これだけ一生懸命生きた絆蔵が、何か悪いことでもしたというのだろうか。それとも私が何か悪いことをした罰なのか。絆蔵はようやくこれから幸せになるはずだったのに。
絆蔵の声をもう一度聞きたい。冷たく硬くなってゆく絆蔵を抱きながら、ただそれだけを祈った。祈りは届かず、すべてがゼロになった。
「善人ぶるのはやめたら?」と言われたことがある。「自己満足だよね」とも言われ た。私の周囲の人はみな、絆蔵を引き取ることに反対だった。
ある知人は私の傷だらけの手を見て、犬一匹まともに飼えないのか、というような態度で「飼い犬に噛まれたの? 情けないなあ」と薄笑いを浮かべた。「犬を引き取って育てるのってかっこいいねえ。飽きたら私にも飼わせてよ」と軽い口調で言う人もいた。私は気にしなかった。絆蔵が少しずつ私に心を開いてくれて、その心に光を取り戻してくれればそれでよかった。
はじめて私の声に反応してくれた日。私に体を預けてくれた日。そして、はじめて笑った日。私は癒された。絆蔵を引き取ってよかったと、心から思った。私たちは、これから楽しく暮らすはずだったのだ。
衣装ケースの中に愛用のベッドを入れ、冷たくなった絆蔵をそっと寝かせた。大好きだったおやつ、洋服。そして、絆蔵そのもののようなひまわり。花に囲まれている絆蔵は動かない。トワは絆蔵に寄り添うように、じっと座っていた。
三日後。霊園に行くため、絆蔵を車に乗せて家を出ようとした。その瞬間、さっきまで晴れ渡っていた空が嘘のように、いきなりどしゃ降りになった。そういえば、 ハルが逝った日も雨だった。
私のブログで絆蔵のことを知り、応援してくれていた大勢の人や、トワを介しての友人たちが、先に来て私を待ってくれていた。絆蔵のために、仕事や家事をおいて駆けつけてくれた。遠くからはるばる来てくれた人もいた。だけど、何か言おうとすると泣いてしまうことがわかっていた私は、ただ黙って下を向くばかりだった。
絆蔵と最後のお別れをする。そっと撫でると、絆蔵は鼻血を出した。そして目からも赤い血が流れた。――絆蔵、もうどこも痛くないよ。苦しくないから安心して。 むこうで友だちをたくさん作ってね。私やトワのことをきっと覚えていてね。もう一度生まれ変わっても必ず私に会いにきてね。私をちゃんと見つけてよ。噛んでもいい。吠えてもいい。にらんでも憎んでもいいから、私に会いにきて――。
ゴ――ッとボイラーの音がして、絆蔵が空に上がっていくのが見えた。トワは私の足下でうろうろしている。空に伸びていく白い煙。絆蔵が空に上っていく道。
待合室に入り、呆然と座りこんだ私の周りに絆蔵やトワと仲の良かった犬たちが 集まってきた。トワは急にテンションが上がり、はしゃぎ始める。
こんなとき、どんな言葉が私の心を軽くすることができるだろうか。誰が私の心の痛みを和らげることができるだろうか。私の気持ちを気遣ってか、犬のお母さんたちはみな離れて座り、黙ったまま待っていてくれた。
私の顔をなめようと、何頭もの犬たちが寄ってきた。みんなが私に「元気出して!」と言ってくれているみたいだった。そうか。みんな私をなぐさめに来てくれたんだね。どうもありがとう。
係の人が絆蔵の骨を見せてくれた。体のわりには少ない気がする。黒く焦げてうまく焼けなかったところは、悪かったところだという。心臓・腎臓・膀胱・胃腸、もうどこも痛くないよね。さあ、家に帰ろう。
帰宅してからパソコンを開くと、見知らぬ人からメールが届いていた。
タイトルは、「絆蔵です」。きっといたずらだ――。ブログで絆蔵が亡くなったこ とを知り、おもしろがって送ってきたにちがいない。胸がきゅっと締め付けられるような感じがして、おそるおそるメールを開く。
そこには、「ママ、もう泣かないで」というタイトルの詩が貼り付けられていた。 そしてひとこと、「返事はいりません」と添えられていた。その詩は、天に旅立った犬がお母さんに残した心温まるメッセージだった。けっして私を傷つけようとして送ってきたものではなかった。
心がいくら痛んで、魂がのっぺらぼうになってしまっても、容赦なく時間は過ぎてゆく。トワのワクチンを受けにいく予定日が何週間も過ぎてしまった。
車に乗せられて、トワは無邪気によろこんでいる。いつも助手席にいるはずの絆蔵は、もういない。
「花さん、どうぞ。あれ? 今日は絆蔵ちゃんは?」
「亡くなったんです。先月27日に何の前触れもなく、ほんとに急に」
できるだけ平静を装って答えたつもりだった。ここで絆蔵の顔を思い出すと泣いてしまう。先生の質問に答えるために、心の中で「あれを伝えよう、これも訊いてみよう」と考えながら、先生の次の言葉を待っていた。
「そうですか。残念ですね、いい子になってきたのに」
『トワくん、絆蔵くん』と書かれたカルテ。先生は修正ペンを取り出し、絆蔵の名前を抹消した。
「絆蔵くん亡くなったそうです。カルテ処分お願いします」
看護師さんは、「はい、わかりました」と絆蔵のカルテをトワのものと離し、別の箱にストンと置いた。すべては事務処理だった。動物病院では日常的に行われていることなのだろう。絆蔵の名前が白く塗って消されたとき、ほんとうに絆蔵は死んだのだ、もうこの世にはいなくなって、絆蔵の名前はなくなったのだと思い知らされた。
「ワーン、キューン」注射に大げさに痛がるトワ。少し笑われて、スタッフに見送られ病院を後にした。トワを助手席に乗せ、運転席に乗り込んでセルを回した瞬間、 涙があふれ、前が見えなくなった。ごしごしと目をこすりながら、私は大きな声で泣きながら家に帰った。
トワは以前より甘えん坊になってきた。わざとトイレシート以外の場所でおしっこをしたり、急に私に体当たりをしたりする。椅子の脚を噛んだり、ベッドのふとんから綿を引っ張り出してしまったりした。すべて子犬の頃によくしていたいたずらだ。人にも犬にも優しくて、いままでそんなことなかったのに、きのうは犬のプー ルでほかの犬に吠えて噛みつこうとした。公園では幼い子に飛びついて泣かせてしまった。
私のこの不安定な気持ちが、トワに伝わっているのかもしれないと思った。「今のかあちゃんの気持ちはこんなんだよ」と教えてくれているのだろうか。
ふと髪に手をやると、また脱毛した。
ずっと皮膚科には通い続けている。あまりにひどくなるばかりで治る気配がないので、先生が大学付属病院に紹介状を書いてくれた。そしてそこに書かれていた病名の「悪性円形脱毛症」という言葉は、私の心を重くした。
紹介された病院で検査した結果、自己免疫低下症だということがわかった。詳しい病名は「橋本病」。橋本病とは、甲状腺臓器特異性自己免疫疾患のひとつで、早い話が、甲状腺に対する自己抗体ができてしまい、そこを破壊していくことから甲状腺機能低下に陥り、さまざまな症状が出てくる。女性に多く、脱毛も症状のひとつ。完治には長い時間がかかると言われ、病院に通い始めて、かれこれもう一年以 上になる。それでも、何かよい兆しを見つけてくれるのではないかと、少しの希望を胸に抱えて通い続けている。
09| 「もういらないから、あげます」
2006年の夏の盛り。その頃の私は、時間さえあれば、新しい飼い主を捜して いる犬たちのサイトばかりのぞいていた。絆蔵を突然失った寂しさを埋める何かを 探していたのかもしれない。 トワが散歩に誘っている。
「はいはい、じゃ、もうパソコン終わりにしようかな」画面をのぞき込んだ瞬間だっ た。私の胸がキン、と音を立てて締まり、そのあと心臓がどきどきと音を立てた。
「絆ちゃん、絆ちゃんじゃないの?」
そこには、絆蔵そっくりのパイドのフレンチブルドッグがいた。指が震える。マ ウスで紹介文をクリックする。『フレンチブルドッグの男の子です。色は白黒のパイドです。体重は10キロくらいです。性格は甘えん坊で可愛い子です。あまり手はかかりません。お散歩も上手に歩けます。去勢手術、混合ワクチン済み。気の強い同居犬と喧嘩をして、左目を失ってしまいました。生活には何の問題もありません。フィラリアは成虫が弱陽性、ミクロフィラリアは陰性です』
片方の目を失ってしまっただなんて。
目の前にはまた、絆蔵と同じような境遇にある悲しいフレンチブルドッグがいる。 でも、この子は絆蔵じゃない、ほかの子なのだ。この子に何があったのかはわからない。けれどもきっと、幸せではなかっただろう。
「不幸な犬をわざわざ選んで引き取る。苦労したあげく、死んだら泣き叫んで悔やむだけ。善人ぶるのもいいかげんにしたら?」
知人の言葉が胸に蘇り、心が音を立てて痛む。私はまだ絆蔵の死を受け入れられずにいる。なのに、里親探しのサイトを毎日のぞいてしまう。絆蔵を探しているのだろうか。それとも、ぽっかりと空いた心を埋めてくれるほかの子を?
絆蔵の代 わりはどこにもいないのに。 絆蔵を失ってあれだけ泣いた。それでもまた、この子が気になっている。あんなに苦しい思いをまたしたいのだろうか。私はやっぱり偽善者なのだろうか。
結局私は、飼い主探しのボランティアをしているTさんに、「すこしの間でもいい のでその子を預かりたい」とメールを送った。トワとの生活や、絆蔵との出会いと別れを書き記したブログのアドレスも添えた。 Tさんはブログも丁寧に読んでくださり、絆蔵と暮らした日々のことを理解し、私をねぎらってくれた。そして、「どうか一時預かりと言わず、この子の飼い主になってください」と言ってくれた。
その後、まずは会ってからということになり、 Tさんがその子を連れて家に来た。
「どうしてこんなことに......」思わずそう訊かずにはいられなかった私に、Tさんが話してくれた。
彼女は「近所の犬の目が腐っている」と知り合いから聞いて、見に行ってみた。 そこには左目が飛び出している犬がいた。飼い主に会い、「このままでは化膿して命さえ危ないかもしれないので、病院に連れて行ってください」と頼んだそうだ。飼 い主は「痛がっていないので、病院に行く気はない」と言い張った。何度も何度も訪問して、病院に行くように頼んでも態度は変わらない。「じゃあ私が連れて行きますけど、いいですか?」と訊いたところ、「もういらないから、あげます」と言ってこの子を渡されたという。近所の人に話を聞くと、暑い日も寒い日も外に放り出されていたらしい。フレンチブルドッグは暑さには特に弱いというのに。
当然、散歩している姿は誰も見たことがなく、近所の人が通ると短いしっぽを振って、ひとなつっこく寄ってきていたらしい。目を怪我した原因は、同居犬との喧嘩。 放置されたために化膿して腫れあがり、ついに眼球が飛び出してきた。顔には無数の傷があり、歯も折れていて、前歯は一本もない。Tさんが引き取って左目を摘出する手術を受けさせてくれたのだ。
体が弱っていたために傷の治りが悪く、傷口が開いてしまい再手術を受けた。ようやくその傷も癒えてきたので、幸せにしてくれる飼い主を募集しているとのことだった。年齢も誕生日も、名前さえも不明。「私でいいんですか? 仕事をしているから留守が多いし。その分、一緒にいる時間は大事にしますけど、ほかの犬もいます。ほんとにいいんですか?」そう念を押す私に、Rさんは逆にこう訊いた。「ほかに立候補してくださった家庭もありますが、 私はあなたを信じています。この子を幸せにしてくれるのは、花さんしかいないって、 私にはわかります。それより、病気もたくさんもっている子です。手間もお金もか かると思いますが、ほんとに、この子でいいですか?」
「私はこの子がいいんです 」そう力をこめて返事をした。私はこの子の母になり、 抱えきれないくらいの愛情をもって幸せにすると誓った。
その子は、じっと見つめている私に気がつき、寄ってきてぺろぺろと顔をなめた。
「今までよくがんばったね、よく生きててくれたね、もう大丈夫だよ」
涙をこらえるのに必死で、これ以上言葉が出ない。かわりにしっかりと抱きしめた。あと何週間かして、傷もしっかりと治ったら、私の家族になる。
『洸陽(こうよう)』。温かい光・太陽の光・あざやかな光が差し込む・日が当たる。
私はその子に洸陽という名前をつけた。光がいっそう温かく、優しいものとなって洸陽の上に燦々と降り注ぎますように。
絆蔵と初めて会った公園にトワと出かけた。絆蔵を思い出すような場所に行けるようになったのも、トワがいてくれるからだ。絆蔵の笑顔のように、太陽に向かってすっくと立っているひまわりはもうない。けれども、どこまでも澄んだ青い空はなにも変わりがない。公園に続く道を絆蔵とトワを乗せて車で何度も通った。もともとここは大好きな場所だった。絆蔵の元の飼い主とここで出会ってからは、なんとなく避けてしまっていたのだ。なぜなら、ダンボールに入れられていた絆蔵の姿を思い出すのがつらかったから。
絆蔵はこの道を車で通るたびに何かを見つけて、しばらく吠えていた。トワは知らん顔していたから、絆蔵だけに何かが見えるのかといつも不思議だった。
ここは絆蔵が元の飼い主と別れたところだ。もしかしたら絆蔵は、まだここに彼女がいると思っていたのだろうか。それとも、ここで呼べば彼女が戻ってきてくれると思って吠えていたのだろうか。胸がきゅんと痛くなり、私は歩みを止めた。トワが私をのぞきこむ。
もうすぐ夏が終わろうとしていた。私は一日も早く洸陽と暮らしたかった。そこでTさんをせかし、予定より早くうちに連れてきてもらった。
これまで、私には想像もつかないようなつらいことがあっただろう。だけどもう大丈夫、心配はいらない。私はお金持ちではないけれど、愛情はたっぷりあげられる。洸陽の部屋も用意した。おなかがすいたら一緒にごはんを食べよう。寂しくなったら一緒に寝よう。傷が痛んだらずっとさすってあげる。外が見たくなったら一緒 に散歩しよう。いろんな景色を一緒に見よう。
10| 洸陽は洸陽
洸陽はいつも笑っている。「洸ちゃん」と呼ぶと、初めて聞く名前なのに、うれしそうによたよたと走り寄ってくる。私が撫でると、うっとりする。犬として当たり前の行動だ。それなのに、洸陽のこの行動を目にしたときに、私は心の中がきゅっとつねられたような痛みを感じた。違和感に近い感情かもしれない。なぜだろう。
もちろんお手やおすわりなどできるはずもない。洸陽はしつけをされていないのだから。そんなことは承知の上で育てることにしたのだ。おやつのときもごはんのときも、水を飲むときも、まるで飢えた野良犬のように振る舞う洸陽。その姿を見て、私の心にむくむくと見当違いの言葉が現れてきた。
「絆ちゃんはできたのに...絆ちゃんはこんなことしなかったのに...」 絆ちゃん、絆ちゃん......。そう、私は洸陽を呼ぶときには必ず、「絆ちゃん」と呼び間違えていた。無意識に、そしてなかば意識的に。それから、洸陽が絆蔵でないことに気づいて愕然とするのだ。もしかして私は、とても大きな間違いを犯してし まったのかもしれない。
洸陽は、トワが「遊ぼうよ」とおもちゃを押しつけると、その意味がわからずに 怒りだし、トワを追いかけて上に乗りかかる。私は大声で洸陽を叱る。叱られると 洸陽は悲鳴を上げ、体を丸めて震えながら固まってしまう。
今まで誰も優しくしてくれる人がいなかった洸陽にとっては、私にすがることが自分を守ることだとすぐに悟ったのだろう。洸陽は私を独占したがった。私が少しでもトワにかまおうとすると猛烈に怒り、トワを攻撃する。それは単なる小競り合 いの程度を越えていた。洸陽には歯が八本しか残されていない。その、ほとんど残っていない歯を使ってトワを噛む。トワの顔からは血が流れ、止めに入った私の手も何回か噛まれた。犬同士の関係ができ上がるまでにはそんなこともある、と私は悠長に構えることができないでいた。
私は洸陽を叱り、サークルに入れ、無視をした。洸陽は狂ったように鳴き叫ぶ。 甘えたい犬にとっては、主人に無視をされることほど厳しい罰はないのだ。しばらくして、疲れて鳴きやんだ洸陽をサークルから出し、「わかった洸陽。おとなしくしてたら、こうやって抱っこしてなでなでしてもらえるんよ。トワを攻撃するのは絶対だめよ」と教えた。
洸陽は、それほど厳しく扱われても、私に笑顔を向け、ほんとうにうれしそうな 声を出して甘える。けれど気づいてしまった。絆蔵を失ってからまだ一ヶ月しか経っていない私の心の中は、ほんとうは絆蔵でいっぱいだったのだ。
洸陽は絆蔵ではない。なのに私は、洸陽を絆蔵だと思いたかった。心に空いた穴をどうにかしてふさぐために、洸陽をそばに引き寄せたのだ。あのときパソコンの画面で見つけた洸陽は、洸陽ではなかった。左目はなくなっていたけれど、私にとっ ては絆蔵だったのだ。
私はなんてひどい人間なのだろう、そう思って、呆然とした。
「もうやめておきなよ、犬を引き取るのは。どれだけ体も心も傷ついた? トワちゃんだってどれだけ苦労したか。絆ちゃんを幸せに天国に送り届けただけでじゅうぶ んだよ、もう、そんなにわざわざ苦労を背負わなくても」
周囲に反対されても、「私は洸陽を幸せにする」と振り切った。障害がいくつもある子だって大丈夫、自分ならがんばれると思っていた。初めて洸陽に会ったとき、 人間が大好きだと知って「絆蔵のことを思えば、この子のほうがずっと簡単に育てられる」と勝手に考えていた。洸陽に左目がないとか、虐待を受けていて心に傷が あるかもしれないとか、犬が苦手とか、そんなことは全然問題ではなかった。洸陽と一緒に暮らす上での最大の問題は、私の心の中にあったのだ。
トワと洸陽を連れて、いつもの道に出た。私の左手は絆蔵のためにあった。もっと長く、この道を絆蔵と歩けると思っていた。絆蔵のリードの重みがなつかしい。夏だというのに冷たくて寂しい私の左手。その左手にはいま、洸陽のリードがあるというのに。私の足は止まってしまい、頬に涙が流れてくる。
「...どうして、どうして絆ちゃんはここにおらんの?」
ついに私は声を上げて座り込んでしまった。なにごとかと心配そうに私をのぞきこんだトワに、またもや洸陽がやきもちを妬いて喧嘩をしかける。トワを抱きあげるとさらに洸陽は怒り、足下で吠え続けた。なだめようとトワを下ろした瞬間に、 洸陽がトワに噛みついた。
「やめて、絆ちゃん!」 違う......洸陽だ。
トワを噛もうとした洸陽の歯なのか、反撃しようとしたトワの歯なのかわからなかったが、私の手の甲から血が出ていた。もう、帰ろう。散歩なんてしたくない。絆蔵のときのように、二頭一緒になんて無理だ。引き返そうとしたそのとき、小さな悲鳴が聴こえた。
洸陽が側溝に落ちてしまっていた。洸陽は左目がないので、左側が見えないのだ。
その瞬間、なにかが私に降りてきて、優しく包み込み、語りかけてきたようだった。洸陽を洸陽として愛すること。すべての事柄が、世界が私にそれを要求していた。言葉ではなく、リードを通した重みや、この街の風景、絆蔵との思い出、トワの存在、手の甲から流れる血、あらゆるものごと全体の恩寵を私は感じ、私は理解した。 洸陽は素直でまっすぐで、私に愛されたくて、私だけを見ている。
洸陽が同居犬と日常的に喧嘩をして、たくさんのけがをしてきたことは、すぐにわかった。片方の目を失ってしまったのはもちろん、顔中にあるひっかき傷や噛み傷。 それに、どうやったらこんなものがつくのだろう、刃物で切ったような鋭い傷もあっ た。洸陽は、人間の手によっても虐待を受けていたようだ。
頭を撫でようとして手を差し出した瞬間、ビクンと体をすくめて頭をよける。急に体を触られたときも同じ。ボール遊びをしようと、トワに向かってボールを投げただけで悲鳴をあげ、部屋の隅に逃げて震える。それがおもちゃであろうと何であろうと、何かが飛んでくるのを見るとパニックを起こす。
それから、ものが当たる音や落ちる音、破裂音などにも恐怖を示す。雷や救急車の音には全然平気なのに。掃除をしようと私がほうきを持った瞬間、「キューン」と 悲鳴をあげて、自分のサークルの中に逃げ帰るのだ。
私の生活に、いくつもの制限事項が入り込んだ。おもちゃは投げない。先に洸陽に声をかけてから、そっと転がす。頭をなでるときは、下のほうから手を差し出す。 体に触るときは、見えない左側ではなく、右側からそっと近寄っていく。大きな音を出さないように、静かにものを置く。洸陽がいるときはほうきを持たない。傘であろうと何であろうと、洸陽のほうへ向かっていくような動きをするものを持たない。
こうやって日々気をつかっていても、洸陽は突然パニックを起こす。寝ているときに突如、「ギャ―― ウウ―― 」と鳴きながら、部屋中をぐるぐると、何分も走り回るのだ。尻尾は恐怖のために巻き込まれ、おしっこを漏らしている。
「洸ちゃん、どうした? もう大丈夫よ。かあちゃんここにおるよ」
優しく声をかけて抱きしめようとするのだが、体に触った瞬間「キャーン」と大きな悲鳴をあげ、よけいにパニックになって走り出す。私にはなすすべもなく、洸陽が疲れて走るのをやめるまで待つしかない。あまりに頻繁に発作を起こすので、 病院で診てもらったが、特に病気などは見つからず、「悪い夢でも見たんでしょう」 と言われただけだった。
なにかいやな記憶を夢で見たのだろうか。つらかったときのこと。叩かれたこと。 犬に噛まれたときのこと......。それとも、私やトワには感じられないような、ある小さな物音や匂いが、洸陽のいやな思い出を誘い、脳を刺激したのだろうか。
走り回って疲れ果て、洸陽はようやく眠った。心臓に障害を持つ彼には、このパニック症状は相当こたえるはずだ。この子は苦しんでいる。この子にも深い闇があるのだ。眠ってしまった洸陽を膝に抱いて、さすり続けた。
洸陽にとって私は、おそらく生まれて初めて出会った、自分を預けられる人間なのだろう。温かい寝床を用意し、抱っこしてくれて、食事の世話をしてくれて、自分を可愛がってくれる人。この人を失ってしまったらもう自分は生きていけないと、本能で感じとっている。だから常に私を100パーセント自分のものにしようと躍起になる。私を奪おうとするトワが許せない。洸陽にとっては生きるか死ぬかの問題なのだ。でも、もしかしたら、洸陽がいつも機嫌よく私にすり寄ってくるのは、 私を好きなのではなく、そうしなければ――いい子でいなければ――食事がもらえ ない、いじめられるかもしれない、そんなふうに思っているのかもしれない。そうだとしたら、とても寂しい、切ない話だ。
人を憎んでいた絆蔵とちがい、洸陽は人が大好きだ。名前を呼ばれたり、抱っこされたり撫でられたりするのも大好き。いつもそれだけを求めて、憧れて生きてきたにちがいない。ところが、反対に犬が大嫌い。洸陽が生まれてから出会った犬という生き物は、自分に敵意をもち、生命の危険さえ及ぼす攻撃性を持って、いつも彼を恐怖に陥れていた相手だったのだ。洸陽は犬と見れば恐れ、先に攻撃をする。あれほどの大けがをさせられているのだから、自分の身を守ろうとするのは当たり前。当然、トワの存在は洸陽にとってはただの恐怖だったはずだ。相手から攻撃してこなくても、大事なかあちゃんを自分から奪っていく「うっとうしい」存在なのだ。
時間をかける、馴化させる。これしか方法はない。私は注意深く見守り、やるべきことをやろう。焦ってもろくなことはないのだ。絆蔵の時に感じていたあの焦燥 感は決してよい結果を生まなかった。
私は学ばなくてはいけない。
ある朝、顔を洗ってから部屋に戻ってみると、二頭は私の匂いのするふとんの上で寄り添い、体を寄せ合って眠っていた。ああ、トワと洸陽はこんなに近づいても大丈夫になったのかと、しばし見とれていた。
11| 誕生日
しつけもできていなくて、トイレも失敗ばかりだった洸陽が、「お手」「おすわり」をマスターし、「待て」や「伏せ」も上手にできるようになった。どんなに私が長時間離れていても、厳しくしつけをしても、洸陽は私のもとに帰ってくる。私にすり 寄って、顔をぺろぺろと舐めてくれる。
洸陽と遊んでくれた友人は、みな口をそろえて「おとなしいかわいらしい子だね、 お利口さんだね」と言ってくれる。何をするにしてもおっとりとしていて、人が大好きで、洸陽の周りには陽なたのように温かいオーラが取り囲んでいる。そんな洸陽を見ていると、過去に虐待を受けていたとはとても考えられないくらいだ。私の勘違いじゃないかと思ったこともある。
だけど洸陽と暮らしてみてはっきりとわかったことがある。虐待は、決して憶測ではなかった。洸陽がとるひとつひとつの動作や反応を見れば、どんな虐待を受け ていたかがわかる。私が普通に生活している何気ない動きに急に怯え、体を硬直させ、その目が恐怖にひきつってしまうことが何度かあったのだ。そうか、こうやって蹴られたんだ。こうやって殴られたんだ――想像するだけで悲しくなった。
洸陽の体をよく見ると、小さな古傷が無数にある。体の傷は治っていても、洸陽が持つ心の傷の深さは測りようがない。分離不安も出ている。単に甘やかされてなった分離不安ではない。洸陽の心の中の小さな影が、形になって現れているのではないだろうか。洸陽の心の闇を私も一緒に探らなくてはいけない。
10月5日。この日は、私が大切に思っていた、亡き絆蔵の誕生日だった。絆蔵が生きた時間はたったの二年と九ヶ月。彼は、強い絆を私に残し、風のように私の前から姿を消してしまった。
絆蔵の心は憎しみに満ちていた。毎日吠えられ、唸られ、噛みつかれた。触れさせてもくれなかった。私は、「こんなに愛しているのにわかってくれない」と腹を立てた。いま思えば私自身、あのころは激しい感情に翻弄されていたのだろう、犬に対する基本的な接しかたを無視して、なにかに取り憑かれたように強引なやりかたを押し通した。
けれども時を経て、初めて見た絆蔵の笑顔。絆蔵が笑い、私も笑った。みんな泣き笑いだった。手や顔が傷だらけ。網戸は破れたし、カーペットはシミだらけ。ソファはぼろぼろ。それでも、私たちは家族になれたのだった。そして洸陽へとつながる絆を、絆蔵が用意してくれた。
絆ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。私にとって大事なこの日を、生まれた日がわからない洸陽の誕生日に決めた。
洸陽が抱えている問題は、精神的なものだけではない。体のあちこちに障害がある。フィラリアの成虫がいることは早くから知らされていた。暑い日も寒い日も、 外の木につながれて外飼いされていたのだ。フィラリアは容赦なく洸陽を襲い、フィラリア成虫が心臓の右心房に入り込むことによって機能が低下し、その分左心房が がんばらなくてはいけないので、心臓の左側が肥大しているフィラリア症特有の症状がある。心音や心電図の結果も決してよくない。「見た目よりは、体は老化しているかもしれない」と先生に指摘されている。フィラリアの成虫を取り除くためには、 危険性の高い手術をするか、成虫が寿命で死ぬのを待つかのどちらかしかない。体の弱った洸陽に手術は無理だ。ときどき、犬好きの人のブログで「フィラリアを克服しました 」という報告を読んでは、うらやましいと思う。いつか私も「フィラリア克服」というタイトルでブログを書きたい。
ところで、洸陽は外飼いをされていたせいか、柔らかくて暖かいものにとても憧れている。たとえば毛布。真夏でも毛布の上に乗り、その柔らかさを確かめるようにほおずりしながら眠る。部屋にクッションを見つけると、自分が乗れないような 小さなものでも、とりあえず座ってみる。そして洸陽は清潔好きだ。我が家に来たばかりの頃は、トイレに大小便をするということがよくわからなくて、ベッドや毛 布の上でしていたけれど、次第にトイレで排泄することを覚えた。最近ではなんと 「おまる」で大便ができるようになった。
以前は私が帰宅すると必ず、水飲みボウルの中に大便が浮いていた。たちの悪いいたずらか、私に対する嫌がらせなのかとも思ったけれど、洸陽がそんなことをするわけがない。部屋を汚したくなかったのかもしれないと、水飲み用とは別に、トイレに大便用のボウルを置いてやった。するとその中に、ほぼ100パーセントの 確率でしてあった。おしっこもトイレシートの上できちんとする。そんなとき、排泄物や泥で真っ茶色に汚れた体で保護されたときの洸陽を思い出して、ちょっぴり切なくなる。
12| とりもどす
二、三日前から洸陽の元気がない。じっとしゃがみこんだままだ。熱はない。食欲もあるし、便もきれい。なのにどうしたのだろう。いつもなら、「洸ちゃん、おい で」と呼ぶと飛んでくるのに、今日は寂しそうにこちらを見るだけ。そして小さく震えている。
おおげさかもしれないが、こんなとき、どうしても最悪の事態を想像してしまう。 よくない癖みたいなもので、なんとか直していきたいが、いままでの経験からかな かなか難しい。職場に電話して休みをもらい、病院へ行くことにする。詳しく診てもらったが、肝臓の数値が少し悪いくらいで、原因が特定できないと言われて帰ってきた。
夕方、散歩に連れていくために、抱きかかえて階段を下りようとした瞬間だった。
「キャイーン」と洸陽が悲鳴を上げた。そのまま車に飛び乗り、また病院へ急ぐ。
「すごく痛がってるんです。レントゲン撮ってください 」
先生は腕や足をぐりぐり回たり押さえてみたりして、チェックをした。
「歩かせても、足を動かしてみても、どこにも異常はないようですけど...」
洸陽はされるがままでじっとしている。どこかが痛いのは確実だが、骨でなけれ ばレントゲンには写らない。痛み止めを打ってもらっての経過観察になった。
翌日、元気のない洸陽をふかふかの毛布の上に置いて仕事に行き、急いで帰ってきた。シートで上手に排尿できるはずの洸陽が、毛布の上におもらしをしてい た。きっと歩けないほど痛いのだろう。洸陽がこんなにつらそうな顔をしているのを見たくない。痛む場所がわかればなんとかできるのに、どこなのかわからないから、もどかしくてたまらない。
やはり、洸陽をこのままにはしておけない。とにかく先生にもう一度診てもらおうと、ふたたび病院へ行った。診るなり先生は、「体を丸める姿勢といい、これはかなり痛そうですよ」と言った。痛いところが特定できないので、とにかく全身をくまなくチェックする。レントゲンを撮るのにもかなりの時間がかかった。そしてようやく見つかった。洸陽は「胸椎重度異型性」だったのだ。以前、トワの背骨のレントゲンを撮ってもらい、素人でもわかる骨の変形が見つかっていた。しかし洸陽の場合は、それとは比べものにならないほど、ひどい変形だった。
「これはかなり重症です。軽い変型を持っている犬はたくさんいます。それは先天性のものです。だけどこの子は違うように思います。たぶん成長期になんらかの強い圧力がかかったり、落ちたり、衝撃を受けたり、というようなことがなければここまでひどくはならないですよ。こんな複雑な異型性は見たことがないです」
「なんらかの力......」
虐待などという言葉は想像したくなかった。それはもう終わったことにしたかった。だけど、それ以外に原因が考えられない。どんなにひどい目に遭ってきたのだろう。
「もともとの変型に加齢が加わって、体全体に負担がかかり、神経を圧迫しているんだと思いますよ。将来的にはヘルニアへの進行もあるかと思いますし、麻痺もないとは言えません。下半身不随になる可能性も十分にあるし、排便に苦痛を伴う可能性も......」
次々に発せられる重い言葉に、頭をがんと打たれたようになっている私に、先生は続けた。
「覚悟はしておいてくださいね」
どうやって家にたどり着いたのか覚えていない。痛み止めの注射が効いているのか、 洸陽は私のそばですやすやと眠っている。ほんの一週間前までは、いたずらをしたり、トワと大げんかをして、部屋の中をめちゃくちゃにしていたのに。今となっては、 頼むからまた走りまわって部屋の中を荒らしてほしいとさえ思う。
いったい、虐待の過去はいまの洸陽からどれだけのものを奪っていくというのだろう。自分の足でしっかりと立ち、好きなところへ行き、土や草の感触をほおばって、 陽の光を浴び、歩くこと。そんな当たり前のものまで全部奪っていくのだろうか。
それでも、二週間ほどの投薬治療が効を奏し、痛みのためにうずくまるということはなくなった。しかし、薬もあまり長期にわたると内臓に負担をかける。外出したり散歩をしたりと歩くことが多いと、二、三日は元気なくじっとしたまま、という繰り返し。洸陽の骨のためには運動はし過ぎないほうがいい。けれど、筋肉が衰えるとかえって骨に負担がかかるから、適度な運動は必要。こんなジレンマの中に私はいた。薬の副作用で喉が渇く。水をたくさん飲むと今度は下痢をして、夜は熟睡できない。そんなときは添い寝をする。呼吸が乱れてきたら、背中をさすってやる。そんな洸陽がいとしい。いつもそばにいてあげたいと思う。
洸陽を洸陽として愛する。すべてのものごと全体の恩寵というべきものを感じたあの日――。
絆蔵の代わりには誰もなれないし、洸陽の代わりもいない。洸陽のこの笑顔を守りたい。ずっとこの子と歩いていたい。それだけを思うようになった。身勝手な自分を恥じた。目の覚める思いで、私はなにかを取り戻した。
時を同じくして、私は13年間続けた美容師の仕事をきっぱりとやめた。洸陽の脊椎に異常が見つかり、いつどんな状態になるかわからないということが、なにより大きい。
元来負けず嫌いな私は、厳しい状況になればなるほど、自分に喝を入れて仕事をしてきた。無理な姿勢で長時間立っているので、慢性的な腰痛に悩まされていたし、 接客業ならではの精神的ストレスもあったが、絆蔵に腕や指を噛まれ腫れあがったときも、絆創膏を貼ってハサミを握った。そして気がつけば 年。苦しいことも多かったが充実もしていた。大切な友人や仲間、尊敬できる人にたくさん出会えた。 友人たちはどんどん独立して自分の店を持っていき、「一緒にやろう」と誘ってくれる仲間もいた。専門学校から講師としての依頼もあったし、独立しないかというオファーもあった。しかしすべて断った。
その後はペットショップでアルバイトをすることに決め、同時に、動物についての勉強も本格的に始めることにした。「好き」という感情だけでは動物を育てていけないことはわかっている。もしかしたら、好きだからこそ現実を見ることに目を背け、 それ以上前に進めなくなることだってあるかもしれない。だからこそしっかりと勉 強をして、知識を増やしたい。忙しくなるし、経済的にもきつくなることは目に見 えている。けれども、犬たちと一緒にいられる時間がかなり増える。ハルや絆蔵のときのように、ひとりぼっちで逝かせたくはない。それこそが、私の胸にいちばん重くのしかかっていることだった。気がかりな洸陽の体調管理にも、もっと時間をかけてやれる。
ペットショップでアルバイトをしようと思ったのは、動物が好きだからという単純な理由だけではない。実は今までに、ペットショップに対して不信感をもったことが数回ある。
初めて飼ったフレンチブルドッグのあろえ。彼女は、私のところに来てからたっ た三日で水頭症の発作を起こし、楽しい思い出を作る暇もなく、目の前から消えていった。そのときの販売元のペットショップの対応には納得がいっていない。電話もほとんどつながらず、私の要求などまったく聞いてもらえなかった。犬を買うのはペットショップで、というのが当たり前だと思っていた私にとっては、衝撃的なできごとだった。現在そのショップは廃業している。
そして、ハルとの出会いと別れ。ハルも原因不明の病気で、わずか七ヶ月の命を終えてしまった。ハルが売られていたショップも今は廃業している。すべてのペット ショップがこうではないだろう。たまたま私は、そんな店と出会ってしまった。私の知識不足で、自分自身も犬たちも悲しい思いをすることになってしまった反省から、動物に対する知識を増やしたいと思うようになったのだ。
あろえやハルのように、すぐに死んでしまうような犬たちを一頭でも減らしたい。絆蔵や洸陽のように、つらい思いをして生きていく犬たちを減らしたい。何らかの形で私が役に立つことができるのならば、挑戦してみたい。
さっそく、いくつものペットショップの採用面接を受けた。ペットを物扱いするようなところでは働きたくなかったので、動物をいちばん大切にしているお店を探した。そして、採用された。
13| 手術
四月は何かと医療費がかかる月だ。狂犬病注射に、フィラリアの血液検査と予防薬、フロントラインもまとめて買う。洸陽はいつもの心臓の薬と、心電図とエコー 検査。かなりの金額にはなるが、二頭が元気でいてくれるためなら惜しくはない。
まずは大げさなトワから、毎回恒例の狂犬病ワクチン接種。病院の外まで届きそうな大きな悲鳴をあげ、スタッフ三人に押さえつけられて接種終了。終わったとたん涼しい顔になり、さっさと車に乗り込んですましている。
次は洸陽の血液検査。「あ――。虫、いませんねえ。ミクロも親虫も見あたりません。フィラリア完治、ですね」
「うそ!?」
まさかの完治だ。思わぬ結果に私は思わず飛び上がった。やった、洸陽のフィラリアが治った。虫がいなくなった。フィラリアをやっつけたのだ。うれしくて泣 きそうになるのをぐっとこらえて、洸陽を撫でた。よかった、ほんとうによかった。 「フィラリア完治しました!」と、ブログに意気揚々と書き込む自分を夢見ていた が、まさかこんなにあっけなく実現するなんて。洸陽は体が弱いので、虫を取り出す手術や危険を伴う注射などはせずに、親虫が心臓の中で寿命を迎えて死んでしまう、それだけを願っていた。ほんとうによくがんばってくれた。そしてやはり、洸陽は強運の持ち主だと思った。洸陽のカルテから病名がひとつ減った。私はまだ桜の残る公園に行き、フィラリア完治の記念写真を撮った。
そんなふうに幸せをかみしめた日からひと月あまり。私はこの日、取り返しのつかないことをしてしまった。
風が強かった。いつものように、出勤前にたくさんの洗濯物をベランダに干していた。トワと洸陽の服、タオルケットにバンダナ、足ふき用のタオル。なんだかちょっと幸せな気持ちで。
出勤時間が迫ってくる。物干しにタオルをかけ、洗濯ばさみで留めようとした瞬間にさっと風が吹いてきた。私はタオルが飛ばないように手で押さえようと、思わず手にしていた空の洗濯かごを部屋の中にぽんと投げ入れたのだ。普通の家庭ならば、それで何かが変わったり、何かが起きたりするようなことではないだろう。洗濯かごは、だらんと足を伸ばして昼寝をしていた洸陽の耳をかすめて床に落ちた。 決して命中したわけではない。それと同時に聞こえた大きな悲鳴。
「キャーン 」
「ごめん、洸ちゃん、当たった?」
私はあわてて部屋の中へ入った。洸陽の表情は、単純に、落ちてきたものが当たっ てびっくりしたというようなものではなかった。体をこわばらせ、おしっこをもらし、よだれを流して震えている。いけない。洸陽が、飛んでくるものにどれだけの恐怖を感じていたか。ものが体に当たることをどれほど恐れていたか。洸陽とのほのぼ のとした生活が続いているうちに、そんな大切なことを忘れてしまっていたなんて。
「ごめん洸ちゃん。かあちゃん、うっかりとものを投げてしまったね、ごめん。わざとじゃないんよ。だから気にせんといて。忘れて。ほら、かあちゃんだよ」
洸陽は私を見ようとしなかった。私が撫でているその手さえ恐れている。体じゅうをチェックした。どこにも傷はないようだし、どこかが痛そうでもない。
「洸ちゃん、歩いてみて。どこか、痛い?」
洸陽は腰が抜けてしまって歩けない。ただ震えて、すくんでいるだけだ。洸陽の心にまた闇を引き寄せてしまった。抱っこしようとすると、か細い声で「きゅーん」 と鳴いた。その声はまるで、「もうしませんから許してください。叩かないでください」と言っているみたいだった。これほどまでに悲しそうな顔をした洸陽を見るのは初めてだった。私はなんてことをしてしまったのだろう。それと同時に思わずにはいられなかった――どうしてこれくらいのことでこんなに怯えるのか。過去にいったい何があったのか。洸陽の心の傷の深さを改めて思い知った。
「ごめん、ほんとにかあちゃん、わざとしたんじゃないんよ。洸陽を傷つける人はもう、どこにもおらんのよ。わかって」
言葉は通じない。洸陽は怯えているだけだ。失敗をしてしまった自分に対する後悔と怒り、洸陽に対する申し訳なさ。そして、こんなになるまでに洸陽を追い込んだ「虐待」という敵に対する憎しみが、むくむくと頭をもたげた。そうだ、病院で先生に診てもらえば何かヒントがもらえるかもしれない。そう思った私は、洸陽を抱き上げようとした。けれども、私が手を差し出しただけで、またおもらしをした。 大好きな存在だったはずの私が、一瞬にして「いじめる人」になってしまった。今の洸陽にとっては、私の存在自体が恐怖なのだ。ひとまず洸陽のそばから離れたほうがいい。私は、洸陽の大好きなおやつをそばに置いて、仕事にでかけることにした。
帰宅後、洸陽を見るとぐっすり眠っていた。ほっと胸をなで下ろし、「洸ちゃん、 ただいま」と声をかける。私の声を聞いた瞬間、洸陽は震え始めた。大好物だったはずのおやつも、食べずにそこに残されたままだった。その日、洸陽は食事も摂らなかった。どんなに大好きなものばかり並べても、見ようともしない。きっと私の存在がだめなのだ。
私は近くに住む母を呼び、母の手から食事を与えてもらった。すると、差し出すその手におそるおそるだが口をつける。食べた――ということは、私を拒絶しているということがはっきりした。今まで一生懸命築き上げてきた絆は、こんなにも簡単に壊れるものだった。せっかく近づいた洸陽との距離が、また遠くなってしまっ たことが悲しかった。以前よりも、もっと離れてしまったのかもしれない。けれど どんなに遠回りでつらい道のりでも、もう一度、洸陽との絆を取り戻そう。私は声をかけながらそっと洸陽をなで、さすりつづけた。
それから数日が経った。洸陽は少しずつ私の存在に慣れてきたようだ。顔をぺ ろっと舐めてくれたときには飛び上がるほどうれしかった。でもその調子で、さっと私が立ち上がると、「キャイン」と悲鳴をあげてすくんでしまう。今日は、出勤前の私の挨拶に、洸陽が少し笑い返してくれたような気がしていた。
帰宅すると、ちゃんとおまるにうんちがはいっていた。よし、元気なようだ。そして洸陽のほうへと目を移すと――腹這いになっている洸陽の両方の足が、あり得ない方向に曲がっている。
「洸ちゃん 」私が呼びかけると反応して、起きあがり、歩こうとしたが、ぺたんとその場に倒れてしまった。後ろ足が完全に麻痺しているようだ。立てなくなってし まったために、両方の後ろの足は体の下に敷かれている。
「洸ちゃん、どしたん? 立てへんの? 洸ちゃん、来て。歩いて」
洸陽は悲しげに涙までためている。一生懸命立とうとはするが、どうして立てないのか自分でもわからなくて戸惑っているようだ。おまるに便がはいっているということは、そのときまでは歩けていたという証拠。先日の洗濯かご事件では、洸陽の耳のそばをかすっただけで、足に何かが起こるとは考えにくい。抱きかかえると「キューン」と少し痛がった。だけどそんなことは言っていられない。私は洸陽を抱いて病院へ急いだ。
洸陽には、もともと胸椎形成不全やヘルニアがある。将来、重いヘルニアの症状が出ることや、下半身不随になる可能性も大きいと言われていた。だから部屋には、 滑りにくい絨毯を敷きつめ、ソファには上り下りが簡単にできるような段差を置いた。高い場所から落ちないように、洸陽が上りそうなものはすべて部屋からのぞいた。 だけど、洸陽がつらかったことを思い出してパニックになったときは、部屋を縦横 無尽に逃げ回った。私には見えないけれど、洸陽にとってはとても怖いものがそこにあったのだろう。片方の目が見えないのと、自分の頭を守る格好で走り回るので、 あっちのタンス、こっちの壁、と激突しながら暴れたことも何日かに一度はあった。
「かあちゃんがおるから大丈夫よ」と言って抱きかかえようとすると、もっとパニックになる。こんなときの洸陽にとっては、家族もなにもないのだろう。自分に向かってくるものはすべて、自分を傷つけるために存在しているにちがいない。私はな すべもなく、洸陽が疲れて走るのをやめるのを待つしかなかった。そんな洸陽との毎日を思い出していた。
病院ではすぐにレントゲンを撮ってくれた。洗濯かごがかすめたときからまだ日は浅く、私との信頼関係も、まだ完全に復活したわけではない。何度も行って顔見知りになったとはいえ、慣れない人たちに体を触られ、足をひっぱったりねじったりされ、30分以上も冷たいレントゲン台の上に置かれている。洸陽の心は恐怖に満ちているのだろう。名前を呼びかけ続ける私にも目を合わそうとはせず、ただ震え ているだけだ。
「たぶん『急性神経性椎間板ヘルニア』です。症状としては、とても重いです。後ろ足の反応は全くありません。麻痺しています。本来ならば緊急手術です。この麻痺が大きくなってきて肺にまで達したりすると、死んでしまうこともありえますから」
死ぬ? 洸ちゃんが? 私は座りこみそうになった。
「この麻痺は一刻を争う状態です。ヘルニアが進行して神経がさらに侵されたら、たぶんもう歩けなくなるでしょう。そうなる可能性のほうが、高いと思います」
先生の言葉が冷たく私の心に突き刺さった。
「手術をすれば麻痺は治るのですか。間に合うでしょうか?」
「今すぐなら、手術をして歩けるようになる可能性は60パーセントぐらいだと思います。でも、手術自体が洸陽ちゃんにとっては大きな負担だし、リスクもあります」
「......リスク。じゃあ、薬とかで治す方法はあるんですか?」
「ステロイドの注射で神経の圧迫を一瞬止めることはできます。でも、この薬も副作用が強くてね、内臓にとても負担をかけるんです。いつまでも続けられる治療法ではないんですよ」
先生は結論を急いでいた。手術をするならば、一刻も早くしないと治る可能性はどんどん低くなっていくのだ。
「洸陽は、手術に耐えられるでしょうか?」
先生の言葉をひとことも聞き逃さないように、いつものようにメモを取りながら、 私がしっかりしないでどうする、と心に言い聞かせていた。胸がつまって言葉にな らない。涙があふれ出てくる。
「若くて元気な子なら手術をお勧めしますが、洸陽ちゃんは心臓が強くないのでな んとも言えません。手術のためには、一応MRIの検査をします。そのときにも全身麻酔が必要です。手術時にももちろん全身麻酔です。かなり危険だとは思います。そこはお母さんが判断してください」
下半身麻痺による排尿障害がすでに出ていた。そういえば、もう何時間もおしっこをしていない。とりあえず、強いステロイド剤注射を何本か打ち、カテーテルで尿を抜いてもらった。洸陽の体では、一日排尿ができないだけで尿毒症になり、命さえ危ないのだ。入院を強く勧められたが、こんな精神状態の洸陽を病院の冷たいケージの中に置いて帰ることはどうしてもできなかった。洸陽のそばについていてやりたい。もしも何かが起こったとしても。
翌日にまた、尿を抜くために病院に連れていく約束をして、私は洸陽を連れて家に帰った。
一日で、手術するかどうかの結論を出さなければならない。麻酔のリスクが大きいのは重々わかっている。だけど、もう一度洸陽に歩いてほしい。フィラリアを完治 させた洸陽だ、また奇跡を起こしてくれるのではないか。私は洸陽を信じたい。思いっきり走る洸陽をまた見たい。洸陽の笑顔を見たい。だけど、麻酔のせいで洸陽の心臓が止まってしまったら。そうしたら、二度と洸陽の笑顔が見られなくなってしまう。
「手術をお願いします」
この一言を、力を込めて言えるほどのはっきりとした判断をまだ下せないまま、 翌日ふたたび病院へ行った。洸陽は便も出なくなっていたが、カテーテルを使って 排尿させるとその刺激で出た。不安そうに私を見る洸陽。きのうと同じステロイド剤の注射を打ってもらう。その瞬間、強烈な吐き気をもよおし、苦しそうにえづいて、今朝私の手から食べたものをすべて戻してしまった。
「先生、ステロイドはやめてください。手術をお願いします」
こんなにつらい治療は見ていられない。たとえ60パーセントでも、治るほうに賭けることにしよう。苦しそうにしている洸陽を見て、ようやく心が決まった。
先生はすぐに大阪市内の専門病院に連絡をとってくれた。しかし予約がいっぱいで、今からでは五日後の手術になるということだった。その五日の間に、麻痺の進行と完治率の低下は避けられない。先生はあちこちに電話をして、奈良市内の大きな病院に頼んでくれた。そこの先生が、「準備して待っていますので、すぐに連れてきてください」と言ってくれた。
紹介状、レントゲン写真、血液検査などの書類一式を渡され、入院準備のために一度帰宅する。洸陽の愛用していた毛布。いつも遊んでいたおもちゃが入った袋。 そしてお守り。この一年間で、眼球摘出のための二度の手術を含めれば、三度目の 手術を受ける洸陽。心臓は弱っていないだろうか。私はやはり最悪のことを考えてしまう。頭を振る。必ず無事に帰ってきて。絶対に死んだりなんかしないで。
不安でしかたのない私の気持ちをかきまぜるかのように、外はどしゃ降りだった。 それでも止まない雨などない。きっとこの大雨もいつかは止んで、真っ青な空が私と洸陽を待っている。そう願いながら車を走らせた。
病院に到着すると、まず先生が手術についての説明をしてくれた。年間何百件の椎間板ヘルニアの手術をしている病院だが、それでも犬の椎間板ヘルニアの手術の死亡例はたくさんあるということだった。手術はとても繊細なもので、麻痺などの障害を残すこともあるし、もし無事に脊髄を取り除けたとしても、一割くらいの確率で神経に炎症を起こし、その炎症が脳にまで達して死亡した例もある。だから手 術が終わっても安心はできず、術後一週間はいちばん危険な時期で目が離せないと説明を受けた。
洸陽の場合は非常に重篤なケースの上に、以前のフィラリア感染、心肥大、不整脈、加齢などのマイナス要因が多く、もし無事に手術が成功しても、歩けるように なる可能性は40パーセントだという。 ただでさえ難しい手術が、洸陽の場合はもっと難しく危険だと何度も何度も念を押された。それほどまでも危険で、成功の可能性を高めるのが難しい手術だったな んて。意気込んで家を出てきたものの、私の心は揺れた。
「手術ですぐに歩けなくても、リハビリをがんばれば、もしかして歩けるようになることもありますか?」
震える声で訊いた私に、先生は、「可能性はあります。自力での排便・排尿も、できるようになるかもしれません」と言ってくれた。
もしも手術が成功しても、歩けるようになる可能性は低い。その前に、麻酔で心 臓が止まってしまうかもしれない。なかなか判断を下せない私の質問に、先生はて いねいに答えてくれた。だけどどうなるかは誰もわからないのだ。やってみないことには。今は可能性の話をしているだけなのだから。
私は決心した。きっと洸陽は今まで通り自分の足で歩けるようになる、そう自分に言い聞かせて手術の同意書にサインをし、手術台に洸陽を乗せ、ひとまず自宅に帰ることになった。最低三時間はかかるという手術。その間私は何をして、どうやって過ごせばいいのだろうか。とにかく家に帰ろう。車に乗って走り始めた瞬間、 不安が胸いっぱいに広がってきた。大丈夫、洸陽はきっと元気に帰ってくる。手術中に死んでしまうなんてあるわけがない。私のいないところで死んでしまうなんて。 最後に見た洸陽の不安そうな顔、そして震えながらサインをした自分の手が脳裏に 浮かび上がった。私が決めたことで洸陽が死んでしまったら......。心に言い聞かせるほど不安は増大し、ついに私は急ブレーキを踏み車を止めた。
「先生ごめんなさい やっぱり手術をやめたいんです 」
「いま、麻酔をかけたところです」
間に合わなかった。手術前の説明がただでさえ長引き、手術開始時間も大幅に遅れていたのだ。私はもしかして、とんでもないことをしてしまったのだろうか。動揺しながらも必死で車を運転した。どこをどう走ってきたのかさえ覚えていない。
家に帰ると、トワが洸陽を探して私の周りを歩き回っていた。トワ、大丈夫だよね。洸陽は絶対に元気でここに帰ってくるよね。私が一生懸命リハビリして、洸陽は絶対に歩けるようになる。またみんなでお散歩に出られるよね。私はトワを抱き、一心に言い聞かせていた。
そこへ電話がかかってきた。まだ手術開始から一時間ほどしか経っていない。洸陽の身に何かあったのだろうか。もしかして最悪のことが?
受話器をとる。院長先生の声だ。
「洸陽ちゃん、がんばりましたよ。無事に目を覚ましています」
よかった......。しばらくは声にならない。どきどきし過ぎてして痛くなった胸をなで下ろそうとしたとき、院長先生の次の言葉が私を凍らせた。
「洸陽ちゃんの骨は非常に奇形が強く、手の施しようがありませんでした。残念ですが、造影剤を投与した段階で、手術は緊急停止の処置をとりました」
「え?」
電話を持ったまま座り込んでしまった私に、院長先生はていねいに、いきさつを説明してくれた。
「もちろん洸陽ちゃんは無事です。まだ麻酔から覚めたてで、もうろうとしていますが問題もなく心臓も動いています。心配はありません」
じゃあ、何があったんですか。声にならずに私は先生の言葉を待った。
「ヘルニアの手術はまず、骨に針を刺して造影剤を流し込みます。造影剤写真の画像を見ながら、悪さをしている脊髄を探り当てるんです。そしてその脊椎を取り除く手術を開始するのですが、洸陽ちゃんの場合は、造影剤を流し込んだ時点で、他の骨の奇形がひどすぎて造影剤が止まってしまったんです。そして漏れ出してしまいました。こんな状態では患部の特定ができません。だから手術を断念せざるを得ませんでした」
予想もしていなかった結果にどうしていいかわからず、しばらく呆然とした。そしてだんだんと、洸陽がもう歩ける足を取り戻す手だてはないのだという厳しい現実を、頭の上にずっしり載せられたということがわかってきた。
洸陽はヘルニアを克服することはできなかった。これからは寝たきりになるのだろうか。もう二度と、自分の足で歩けることはないのか。もちろん排便・排尿もできない。痛みがあるときには注射を打ち、一日二回、カテーテルで尿を抜き、薬で便を出すのだ。
私は心の中で何度も謝った。洸ちゃん、無理させてごめんね。しなくていい手術だったのかもしれないね。でも命だけは助かった。ほんとうによかった。たとえどんな姿だって、生きてさえいてくれたらそれでいい。元気になったらカートに乗っ て散歩に行けばいい。車いすも作ってあげる。一緒に海に行こう。今まで私は洸陽のもう一つの目だったけれど、今日からは洸陽の足にもなろう。病院に迎えに行く朝まで洸陽のことを考えて、千羽鶴を折り続けた。
翌日は、うってかわっての快晴だった。
きのうはどうやって帰ってきたかわからなかった道を、もう一度車で走った。やはり顔を見るまでは心配だ。
「お待たせしました」
院長先生に抱かれて連れられてきた洸陽を見たとたん、ほっとする。
昨日のうちにきれいに掃除しておいたカートに洸陽を乗せた。腕には注射の跡が たくさんあり、背中は広範囲にわたって毛がそられている。手術の大きさを思い知 らされた。
「ちょっと元気ないね、だいじょうぶ?」
「ごはんは完食でしたよ。それより、おかあさんのほう、大丈夫ですか?」
私も相当疲れた顔をしていたのだろう、そういえばここ最近ほとんど寝ていない し、食べてもいない。これから洸陽の介護生活が始まるのに、私がこんな調子じゃだめだ。これでは命がけで闘った洸陽に顔向けができない。
院長先生から改めて詳しい病状の説明があった。洸陽は、「急性神経性椎間板ヘルニア」ではなかった。ヘルニアと同じような症状だったので、専門の先生方もこれを疑わず、通常通り椎間板を取り除く手術を開始した。しかし、ヘルニアと思われる部分の前に骨の奇形があり、そこで造影剤が止まってしまうために手術は中断された。そして、よく調べると、その骨の奇形部分の椎間板を被っている硬膜が破裂していたらしい。その破裂した箇所から造影剤が漏れてしまっていたのだ。
先生もあまり経験したことのないきわめてまれな病気で、正式な病名はなく、強いていうならば、「椎骨奇形による硬膜破裂」ということ。生まれつきの骨の障害に加え、何らかの無理な衝撃が加わることで硬膜が弱くもろくなり、破裂を起こしたのではないか、という先生の見解だった。これ以上の硬膜破裂を防ぐ方法もなく、 いつ破裂するのか見当もつかない。一度破裂した硬膜は元に戻ることはなく、それに伴う下半身麻痺は治しようがないという。私は、気になっていたことを思いきって訊いてみた。
「硬膜が破裂したことと、今までに虐待を受けていたこととの因果関係はありますか?」
「関係なくはないと思われます」
やっぱり――。
「ほんとにもう手の施しようがないのですか。ほかに何もないのですか?」
私は思わず先生に詰め寄った。だってあまりにひどすぎる。何の罪もない洸陽が、 虐待で心身ともに苦しめられ、そしてそれがもとで今度は歩けなくなるなんて、そんなこと受け入れられるわけがない。
「唯一考えられる方法は、手術をして奇形した骨を切り、つなぎ治し、また切って、 その繰り返しで、できるだけ骨の状態を正常に近づけていくことです。もちろん長時間の手術になりますし、洸陽ちゃんの心臓がそれに耐えられるとは思えません。 洸陽ちゃんにはかわいそうですが、この状態で余生を過ごさせてあげてください」
「先生、それじゃあ、リハビリとかで、なんとか少しずつ歩けるように......」
「麻痺が治ることはありません」
わかっていた。そう言われることはわかっていたのだ。ゆうべ一晩考えに考えて、 それを受け入れる心の準備もできていたはずなのに、はっきりと言葉になって先生の口から出るのを聞くと、ショックで震えてしまった。
「洸陽ちゃんの骨の障害は、確認できている重症なものだけであと三ヶ所あります。 それが今度破裂したら、命の保証はないんです」
もう何にすがってよいのかわからなくなった。立っているのが精一杯だ。
「帰ろう、洸ちゃん。トワが待ってるよ。ほんとによくがんばったね」
会計の場所でお金を払おうと私がカートを離れたとき、洸陽が小さな声で「キュ ンキュン」と鳴いた。
洸陽が私を呼んだ。私のことを、またかあちゃんと呼んでくれたのだ。ああ、よ かった。洸陽が生きている。そして私を必要としてくれている。
それでも、叩きつけられた厳しい現実に私は打ちひしがれていた。洸陽はもう歩ける足を取り戻すことはない。それどころか、次に硬膜の破裂が起きたときには命 さえも危険なのだ。
家に帰ってトワに会うと、洸陽がやっと笑顔になった。私はうれしかった。それに、 ひさしぶりに洸陽が私の腕枕で寝たのだ。
14| 介護生活
翌日はペットショップの仕事を休ませてもらい、お客として顔を出して、マットや低反発ベッド、介護用食器、おむつ、トイレシートなど、洸陽の介護用品を買いそろえた。
「そう、洸ちゃん、寝たきりになってしまったの...。精神的にもまだまだ大変でしょ。しばらく私たちががんばっておくから落ち着くまで仕事休んでいいよ」
同僚が気を遣ってくれる。でも、今回かかったお金のことを思えば、逆に働かなくてはいけないと思う。検査費、手術費、そしてこれからかかっていく毎日の治療代と介護用品の数々。お金がじゅうぶんになければ洸陽を守ってやれないのだ。
今より給料のいい美容師の仕事に戻ろうかとも考えた。けれど長時間拘束の仕事では、満足のゆく介護をしてやれないだろう。それに比べて、ここならこっそり洸陽を連れてきておいておくことができる。ほんとうは職員が自分のペットを持ち込 むことはよくないのだが、同僚が、「こういうときはしかたないでしょ」と言ってくれた。そうすれば、時間を見計らって水を飲ませたり、尿を抜いたりすることができる。働きながら洸陽の介護ができる。
ステロイド注射のために病院へ行った。先生によると、若干の効果が見られるようなので、もう少しだけ続けることになった。
はからずもこの病院の常連になってしまった洸陽は、スタッフとも顔なじみになり、
「洸ちゃん、おはよう」と、みんなが声をかけてくれる。注射は大嫌いな洸陽のはずなのに、声をかけられるのがとてもうれしくて、ニコニコして愛嬌をふりまいている。
病院の帰り、カートに乗って少しだけ散歩をした。外は五月とはいえ初夏の気候。 とても暑かったので、早めに切り上げてすぐに家に帰ることにした。散歩が嫌いだったはずの洸陽が、なぜかとてもいい顔をしている。そういえば、今日は暑かったから水をたくさん飲んだ。帰っておしっこを出さなければ。
初めて挑戦するカテーテルでの採尿。うまくできるか不安に感じていたところへ実家の母がやってきた。母は看護師で、しかも泌尿器科病棟勤務なのだった。こんなのは手慣れたものだ。洸陽は素直にされるがままになっている。250ccほどの大量の尿が出た。
次は排便。洸陽を横に寝させてお腹をそうっと押していく。意外とすんなりと出る。すっきりしたのか、洸陽はぐっすりと寝てしまった。私もほっとした。
洸陽は今日も生きている。それだけで素晴らしいし、幸せだ。私はついつい、ああであってほしいとか、こうでなくちゃいやだと、欲ばかり出てきてしまう。犬は人間と違って、つらいことや嫌なことから逃げたり、自分で命を絶ったりすることはできない。どんなことも自然に受け入れて、その日一日を精いっぱい生きている。 そして洸陽はいつも笑顔だ。
ところで、私の日々の介護はこんな感じに進む。
毎朝六時に起床すると、まずは床一面に散らばった排泄物の掃除。以前は全く力 が入らず排便などできなかったのが、今は薬のおかげなのか、勝手に出るようになった。これはきっといい兆候なのだろう。おしっこも、少し動くと出てしまう。多少は力が入るようになった証拠だろうか。お腹を押して出してやり、それでもまだ溜 まっているようならカテーテルを使って出す。長い間尿を体に溜め込むと膀胱炎になりやすいので、できるだけひんぱんに抜いてやる。今はステロイド剤を服用しているせいでのどが乾き、たくさん水を飲むので、尿がたまらないように気をつけなければいけない。
排便したいときは、すぐにわかる。「キュンキュン」と鳴いて落ち着きがなくなったらその合図。排便感を感じるということは、まだまだ下半身に感覚が残っているのだろうか。だとしたら喜ばしい。お腹を押して、スムーズに出ればいいのだが、 なかなか出ないときは、手袋をつけて指を肛門に入れてかき出してやる。「母は強し」というのはほんとうだ。洸陽のためならこんなこともできるのだから。
私は朝がとても苦手で寝起きも悪いのに、洸陽が動くと目が覚める。どうしても私のベッドで一緒に寝たいようで、サークルの中から鳴いて私を呼ぶ。しかたなくベッドに上げてやると、安心してよく眠る。私はおむつをつけてやり、洸陽を抱いて寝る。かぶれやすいので、日中はおむつを極力使用せず、できるだけそばについて排泄の手伝いをしてやる。おむつが濡れて気持ち悪くなると、洸陽は鳴いて私を呼び、排便したくなると鳴いて合図する。まるで人間の赤ちゃんと同じだ。洸陽がすやすやと寝ているのを見ると、私も心が安まってようやく眠れる。
きれい好きな洸陽は、ちゃんとトイレに行って排泄しようとする。だけど下半身が自由にならないので、這っている間に尿や便が出て、体中が汚れてしまう。すると、なんだかすまなさそうな表情をする。心配しなくていいよ、私がきれいにしてあげるから。まだお風呂には入れないので、タオルで拭いてやる。思い起こせば、毎日 毎日、こんなに洸陽と密着して生活したことはなかった。
数日間つづけた強いステロイド剤の注射もようやく終了した。吐き気があってつらそうなので、これからは飲み薬だけになる。
以前からなんとなく、介護というものは大変だろうと思ってはいたけれど、まさかこういう形で自分が介護をする立場になるとは思ってもみなかった。あちこち汚してしまう洸陽についてまわって体を拭き、床を拭き、トイレシートを替える。定期的に尿や便をとる。夜もゆっくり寝られないので体調が悪くなり、三半規管が乱 れるのかめまいがする。イライラしてしまうこともある。絶好調というわけにはいかないが、それでも気持ちは下降していないのが自分でわかる。洸陽はいつものように私に甘え、笑顔を向けてくる。
トワは最近、洸陽の足が麻痺していることに気づいたようで、遊びには誘わなくなった。だけど、そっと寄り添って寝ている姿を見かける。洸陽がうちに来て九ヶ月。いつかは仲良くなれる日がくると思っていたけれど、こんなにも早く、二頭が寄り添って寝られるようになるとは思わなかった。ほかの犬がそばにくるだけで恐怖を感じ怒りをぶつけていた洸陽。今は、寄り添ってくるトワに体を預けていっしょ に寝ている。トワはきっと、動きたくても動けない洸陽の気持ちをわかってくれているのだろう。
脚の屈伸運動、それから湯船でのリハビリ。心身をリラックスさせるアロマオイルも焚くことにした。これは、洸陽の記事が雑誌に取りあげられたときに、見知らぬ人から「使ってください」と寄せられたものだ。友だちからは千羽鶴が届けられた。 そして、洸陽のことを心配してくれたブログの読者の方がたくさん、おむつやトイレシートを送ってくださった。人の気持ちというのはほんとうにありがたい。こんなことにも気づかせてくれるのだ、介護生活ってやつは。
そんなある日、美容師をしていたときの仲間に頼まれ、老人ホームにボランティアでヘアカットに行った。そこは、認知症が重度に進んだ人が多いところだった。
突然の悲鳴が聞こえたり、物が飛んできたり......。ボランティアを始めた頃は、慣れないために驚いて、少し怖かったが、最近は慣れてきた。髪を切っている間、何度も何度も同じ話をするおばあちゃん。ずっと笑ってばかりいるおじいちゃん。 寝たきりの人。私を孫だと思いこんで「ミキ、ミキ、それでな......」と話しかけ続けてくれるおばあちゃん。
その日会ったのは、車いすに乗った小柄で可愛いおばあちゃん。とてもしっかりしていて、会話のやりとりもよどみない。
「ねえ、おばあちゃん」私は思いきってそのおばあちゃんに、気になっていたことを訊いてみた。「体が不自由になって、いちばんつらいことって何ですか 何がいちばん困りますか?」
「そうやなあ......。お世話してくれる人がつらそうな顔してることやなあ。迷惑かけてすまないなって思うわあ」
どきり、とした。てっきり、「好きな食事ができないこと」とか「きちんとトイレができないこと」とかいう答えが返ってくると思っていた。私は、嫌そうな、めんどうくさそうな顔をして、おじいちゃんやおばあちゃんたちのヘアカットをしてはいなかったかと一瞬振り返った。自分の体が不自由なせいで、人に迷惑をかけたり 大変な思いをさせたり、それがいちばんつらいことなのか。
「それなら、いちばんうれしいことは何なんですか?」
「それはな、お世話してくれる人が楽しそうにしたり、笑ったりするのを見ることや」
言い終わっておばあちゃんは笑った。
伸びていた髪をきれいに切りそろえ、肩にかけていたケープをはずすと、「きれいになったわあ。ああ、さっぱりした。ありがとうな」と、また笑った。私は「いいえ、 どういたしまして」と答えながら、心の中で「おばあちゃん、大切なことを教えてくれてありがとう」と思っていた。
今思えば、ちゃんと口に出しておばあちゃんにありがとうの気持ちを伝えられたらどんなによかったか。だけどそのときは、心からの笑顔で満たされているとはいえない自分の胸のうちが少し恥ずかしくて、素直になれなかった。
笑顔は伝染すると聞いたことがある。人から人へ。もちろん犬と人との間だって。 笑顔があれば、どんな病だって治ることがあるかもしれない。
15| 奇跡
朝起きて、なにげなく洸陽のトイレを見る。トイレシートの上にうんちが乗っている。私は、寝ぼけ眼でこっちを見ている洸陽と、トイレシートの上のうんちを交互にながめる。絶対そうだ、昨晩はなかった。これは洸陽のだ。
信じられない。けれど、自分で這っていって、トイレでしたのだ。
少しは感覚が戻ったのだろうか。当初、おむつ生活になるのだからもうトイレシー トは必要ない、ならば洸陽のトイレをしまおうと思った。それでももしかして、トイレを見たら、以前そこでしていたときのことを思い出すかもしれないと考え直して、そのままにしておいたのだ。あきらめなくてよかった。洸陽のことを信じていてよ かった。
座り込んだままで排泄するので、下半身がいつも汚れる。人間用のベビーバスにおとなしく浸かってお尻を洗われている洸陽の姿を見ると、いとおしくてたまらない。下半身麻痺を起こす前とくらべて体重は一キロも減ってしまい、下半身はガリガリに痩せている。だけど、表情がとても柔らかくなってきた。自分の下半身が動かないことに、少し慣れてきたのかもしれない。怯えて震えることはなくなったし、ずっとリラックスしている。笑顔も増えた。この子はまた奇跡を起こすかもしれない。 奇跡が起こるのは確率ではないし医学でもない。信じること、それに尽きる。
洸陽が昼寝をしている間に、日頃ずっと留守番ばかりのトワと散歩にいく。
帰ってみると、洸陽はふくれっ面でいた。トワが遊んでいるおもちゃを横取りしにいく。もちろん、トワのおやつも横取りしようとする。そして不自由な体ではそれがままならないとわかると、私のそばに来て抱っこをせがむ。私を独り占めしたいのだ。
甘えん坊でわがままで、まるっきり赤ちゃんな洸陽が帰ってきた。普段なら怒って仕返しをするはずのトワも、洸陽の体のことがわかっているのだろう、かなり我慢をしている。昨晩は、洸陽の汚れたお尻をペロペロ舐めてあげていた。今までならありえない光景だ。これだけでも私にとっては奇跡なのだけれど。
下半身麻痺を治すための手術を受け、それが中止になったあの日から18日目の朝だった。洸陽が朝ごはんを食べ始めて......。 立っている。洸陽が、立っている!
何かにもたれているのだろうか。私は目を疑い、洸陽の周りをぐるっと見回した。そばには何もない。洸陽の足だけ。洸陽が立っている。立ってごはんを食べている!
あたふたしている私をよそに、洸陽はくちゃくちゃと口の端からたくさんこぼしながら食事をしている。まるで自分の子どもが初めて歩いたのがうれしくて写真に撮る母親のように――いや、そうではない。それ以上の喜びだ。だって、0パーセントと言われた確率を洸陽がひっくり返したのだから――急いで写真を撮り、ビデオまで回してしまった。
しばらくすると疲れたのか、また座り込んで食事を続けている。私はデジカメの画像を見がら、ついさっきのことが夢ではないことを確認した。
生きているだけでいい。笑顔で家族みんなで楽しく過ごせればいいと思っていた。 だけど、奇跡は起きた。
劇的な効果は期待できません、と言われながらも、お風呂に入れ洸陽の足をさすり、筋肉が衰えないようにそっと動かした。洸陽のことを信じようとしていた。けれど私は、「信じる」と言葉で言いながらも「0パーセント」という言葉に翻弄され ていた。努力しても無意味なのかもしれない。絶望と希望の日々を繰り返し、洸陽の笑顔だけに支えられて過ごしていた。
後日、洸陽のために注文してあった車いすの会社から、お試しの車いすが届いた。 でも、うまく乗れない。なんだか乗るのを嫌がっている気もする。降ろしてやると 前足だけでぐいぐいと得意そうに歩く。まるで「かあちゃん、こんなのいらないよ。 僕自分の足だけで歩くよ」と言っているみたいだった。
洸陽は歩けるようになるつもりでいるのだ。わかった。私は洸陽を信じよう。数字なんて信用しない。車いすは注文を取り消すことにした。
それからは職場のペットショップに連れていき、休憩時間に毎日歩く練習をした。 最初は足をひきずるだけ。そして四本の足で一メートル。今日は二メートル......。 その距離はどんどん伸びてゆく。10日ほどで、ショップの中を勝手に徘徊するほどまでになった。この子が、三週間ほど前までは下半身麻痺で寝たきりだったなんて誰が信じるだろうか。私は洸陽が歩き回るのを少し誇らしげに、そして、涙をこらえながら見ていた。
ただ、ふいに尿が漏れてしまうこともある。座り方もおかしい。筋肉が落ちているからまだよたよたしていて、走ることはできない。今後また麻痺が起こる可能性もある。だけど洸陽は生きている。自分の足で歩いている。普通の犬に比べたらよっぽど遅いけれど、それが洸陽の生き方なのだ。
麻痺を発症してから約一ヶ月。衰えていた後ろ足の筋肉も戻りつつあり、低い段差なら乗り越えられるようになった。カテーテルは全く必要なくなり、薬は心臓の薬だけに減った。尿が漏れてしまうのは相変わらずだが、麻痺を引き起こした際、 同じように膀胱も麻痺を起こしたためだろう。当時は、自分の意志に反して垂れ流しの状態だったけれど、少しずつコントロールできるようになってきた。
毎日、リハビリを兼ねてほんの数分、外を散歩する。洸陽はおしっこがしたくて片足を上げようとする。すぐよろけるので、体を支えて転ばないようにしてやる。 足を上げたときには出ないのに、足を下ろし再び歩き出した時に、ジャーッと出てしまう。足におしっこがいっぱい掛かってしまい、洸陽はあれ? という顔をしている。ここまでできるようになっただけでも素晴らしい。私は不思議そうな顔をしている洸陽を「洸ちゃんすごいね。上手におしっこができたね」と褒める。
カテーテルで排尿させる必要がなくなったので、洸陽を家において仕事に出られるようになった。しかし、帰宅すると部屋が大変なことになっている。かろうじて便はシートの上に乗っているが、尿は床一面に飛び散っている。当然、体のあちこちは黄色いシミだらけ。それを見るとついため息が出てしまう。が、ここで落胆してはいけない。排泄が全くできなかった頃に比べると、そして、「治癒率0パーセン ト」と言われたことを思い出せば、うれしくて涙が出るくらいなのだ。
まずは床の拭き掃除。そして洸陽の下半身を洗う。リハビリマッサージをしたあとは洸陽のペースで散歩する。洸陽の部屋の掃除をしてから大量の洗濯、そして食事の用意。やれやれ。でも、こうやって手のかかる子ほどかわいいというじゃないか。 わがままだったり、掃除したばかりのところに汚れた体をこすりつけられたり、取り込んだばかりの洗濯物の上にお漏らしをされたりしても、洸陽の顔を見ていると 叱る気になれない。こうやって手のかかる子こそが親孝行なのかな、私は幸せだな、 と思う。今回洸陽に教えられたことはあまりにも大きい。
洸陽の麻痺は完治した。おめでとう。そして心からありがとう。
七月に入り、洸陽の定期検診のためにいつもの病院へいく。
「洸陽くん、どうぞ」と呼ばれて、私は洸陽を連れ意気揚々と診察室に入った。当然洸陽は歩いてゆく。「ええええ―― 」先生始めスタッフの驚嘆の声が響いた。「ほんとに、洸ちゃん?」どよめきのあとでみなさんが、思わず拍手をしてくれた。みんなの視線の先には、四本の足でしっかりと立って歩く洸陽がいる。
「信じられない」
「すごい、歩けるようになるなんて」
「がんばったんだね」
次々に頭を撫でられ洸陽は得意気だ。先生も「信じられない。科学的、医学的には絶対に考えられない」と言いながら、「きっと、昔歩いていた頃の感覚を、脳ではなくて足が覚えていたんでしょうね」と続けた。もちろん再発の心配がないわけではないが。
家族みんなで一緒にがんばってきたこの一ヶ月。一緒に泣いたり笑ったりしながら下半身麻痺を克服した。いちばんうれしいのは洸陽自身だろう。不可能を可能にした、現実には起こりえないことを起こしてみせたのだから。
先日、洸陽を助け出すのを手伝ってくれたボランティアさんから、衝撃的なことを聞いた。絆蔵が逝ってしまった7月27日。この日に洸陽は、ひどい状況だった前の家から助け出されたそうだ。絆蔵が亡くなった日に洸陽は生まれた――生まれかわった――。絆蔵が火葬された日、洸陽は眼球摘出の手術を受けた。
絆蔵と洸陽。この二頭に共通するものは、彼らは深い傷を持っているということ。 けれど、痛みの表現は全然違っていた。絆蔵は人に対する憎しみ、怒りを全身に表していた。洸陽は虐待を受けた反動からなのか、人に対する執着心と、分離不安を抱えていた。
絆蔵を失って、絆蔵の死をきちんと受け入れられなくて、洸陽を絆蔵だと思いこもうとしてその間違いに気づいては、呆然とした日々もあった。いまは、洸陽は洸陽、 私の大切な家族の一員として受け入れられるようになった。私が絆蔵にしてあげられなかった多くのことを、洸陽にめいっぱいしてあげたい。きっと絆蔵もそれを望んでいると思う。
16| 闇に射す光
2007年の八月は、「ほたる」の初盆だった。ほたるは私の姪。五歳でこの世を去ってしまった。心臓が悪かったらしい。
ほたるは四歳になってもひとこともしゃべらなかった。声は出るのだが、「ガガ~アア」というくらいで、両親にも、何を言っているのか聞き取れなかった。表情も、普通の子どもと比べて非常に少なく、親や兄弟以外には、絶対に目を合わせない子だった。
私の顔は覚えているようだが、声をかけても反応しないし、手を伸ばして頭をなでても無反応だった。ほたるの両親は彼女のことを心配して、ほたるを連れ日本中の病院を渡り歩いた。ほとんどの病院では、はっきりとした病名がわからず、先生はあっさりと「個人差がありますから」とか、「成長するとそのうちに治りますよ」 とか、親が子を思う気持ちをまったく汲んでくれないような対応しかしてもらえなかった。
ようやくある病院で病名が判明した。とても難しい病名で私にはよくわからない。簡単に言えば、先天的に脳の一部に不具合があるために、言語・理解力・認知力などに欠け、四歳のときでも二歳児くらいの知能までにしか成長していないと言われ た。そのときは、体はいたって健康だった。今後成長するにしたがって自然に治癒 していく場合もあるということで、両親はそのような病気専門のリハビリ病院に通わせ、普通の子どもたちと同じ小学校に入学させることが目標だった。
両親の執念で、やっとほたるの闇を見つけることができた。闇を見つけられれば、 光もどこかに差してくるに違いない。周りのおとなたちがたくさんほたるに話しかけ、笑いかけていくことで、できるだけ多くの言葉を覚えて欲しい。そして何よりも、ほたるの笑顔をたくさん見たい。そんな両親の一途な思いで、ほたるは愛情いっ ぱいに育っていた。きっとほたるは、ほかの子たちとは歩幅が違うだけ。どんどん前には進んでいけないけれど、一歩一歩、成長するに違いない、そう誰もが信じてほたるに接していた。
ほたるは動物が大好きだった。公園に行くと、散歩をしている犬を追いかけてい く。聴き取りにくい声でギャーギャー言いながらいきなり追いかけてくるから、たいていの犬はびっくりして触らせてはもらえなかったようだ。そこで両親は、動物の図鑑や動物が出るビデオを毎日見せていた。そんなときのほたるはとてもうれしそうな顔をしていた。主治医にそれを話すと、たくさん動物と触れ合わせてくださ
い、それが彼女にとっては能力を伸ばすためのいちばんいいトレーニングです、と 言われたという。
そんなある日のこと。私はトワを連れてほたるの家に行った。ほたるは、すたすたとトワに近づいてきた。そしてトワに自分の右手を差し出すと「とぉぉ――が......おてぇぇ」と言った。たぶん、「トワ、お手」と言いたかったのだろう、い つも私がトワに向かって言っていたのを聞いて、覚えていたに違いない。
「ママ」が言えなかったほたるが、トワに話しかけたのだ。ほたるのママは「『トワ、 お手』って言いたかったんだよね。ほたる、言えたんだよね」と何度もほたるに話しかけ、手で目尻をぬぐった。トワは素直にほたるに駆け寄り、ほたるに体をなで られている。いつも無表情なほたるの顔が笑顔でいっぱい。こんなほたるの顔を私 は初めて見た。それから私は、機会を見つけてはトワと洸陽を連れてほたるの家を訪れ、ほたると一緒に散歩に出ることにした。
洸陽は人が大好きで、声をかけられることがとてもうれしい。ほたるも何のためらいもなく洸陽に寄っていき、体をなでる。洸陽にとっても純粋なほたるの心が、 傷ついた心を癒してくれるのではないだろうか。トワはほんとうは子どもが少し苦手。普通ならば子どもを見ればさっと離れていくのに、ほたるに対してはちらちらと私のほうを見ながら、されるままになっている。ほたるがどんなに奇声をあげても、じっとしている。
「ほたるの力になってあげてね」という私のメッセージが伝わったのだろうか。言葉を持たない犬が、言葉を教えることができた。これは私にとっても新しい発見だった。
両親の心にも、そっと光をともしたほたるだったけれど、あっけなくこの世を去っ てしまった。こっちのほうがいっぱい犬がいて、もっともっといろんな犬と出会え るよ、なんて誰かが誘ったのかな。
ほたるは空の上で、今も「お手~」と言いながら犬を追いかけているんだろう、 きっと。
17| ひとつの答え
ほとんどパニックを起こすこともなくなっていた洸陽が、また夜中に発作を起こして怖がったり、不安そうにしたりするようになった。理由はわかっている。私のせいなのだ。私がとても不安定な状況でいるからだ。
洸陽はとても感受性が強く、私が苦しんだり悩んだりしていると必ず不調になり、 おしっこが出なくなったりする。
私が電話で夫と喧嘩になったとき、トワは寂しそうな顔をしてタンスの陰に隠れ てしまった。次の朝、トゲトゲした顔で起きてくると、洸陽は私の顔を舐めにきてくれた。まるで、「かあちゃん、しっかりして」と言っているみたいに。なにもかもわかっているようなそぶりが、私の胸をきゅっと締めつけた。
私は夫と別れることに決めた。
それについては幾度となくふたりで話し合ってきた。大切な人だったから、失いたくない気持ちもあった。だけどやっぱり別れたほうがいい。
夫とは五年前の誕生日に結婚した。私たちは仲がよく、どこへ行くのも一緒だった。 そのうち彼は事業を立ち上げてとても忙しくなり、一緒には住めなくなってしまった。私も仕事を持っていたので、簡単についていくことができない状態だった。
「俺がいないと寂しいだろう」と、トワを家族に迎えることを勧めてくれたのも彼だったし、お金を用意してくれたのも彼。トワのこともとてもかわいがってくれた。 けれど私は犬たちの世話に振り回されて、喜んだり落ち込んだりの繰り返しで、彼に優しくできなかった。甲状腺の病気で髪が抜け、外に出ることや、人に会うこと を避けるようになってしまったときもあった。彼にもやつあたりをした。
ある日彼が久しぶりに家に帰ってみると、絆蔵が家族に仲間入りしていた。なつくどころか絶えず唸り続け、手を出すと噛んだ。そばに寄ることさえできない。夜になると吠えるためにゆっくり眠れない。妻である私の手は傷だらけで、仕事にも行けず、料理や家事もままならない。これじゃいやになるだろう。彼が思っている 「飼い犬」のイメージとは100パーセント違っていたことを、私はわかっていた。 「なんでわざわざこんな苦労を背負いこむんだ」と夫は怒った。
その後たったの四ヶ月で絆蔵は死んでしまい、私は精神的にも肉体的にもぼろぼろになった。その傷も癒えない次の月に、私はまた、絆蔵に似たフレンチブルドッグを連れ帰ってきた。洸陽だ。
「ハルが死んでしまったとき、どれだけトワが悲しい思いをしたのか忘れたんか。悲しい顔をしてハルを探して歩き回っていたトワの姿を忘れたんか! 自分だって、 もう二度とトワに悲しい思いをさせない、兄弟をつくるのはやめるってあれほど言ってたじゃないか!」めずらしく夫が怒りをあらわにした。
「傷ついて片方の目まで失ったこの子をほうっておけなかったんよ」
私はこう繰り返すだけだった。
「傷ついたり放り出されて不幸な目にあっている犬は山ほどおる。それならその犬を全部めんどう看たらいいじゃないか。結局、フレンチブルドッグが好きやから、同じフレンチブルドッグを前の子の代わりに引き取ったんだろう。それって偽善と違うんか。自分勝手な気持ちと違うんか」
彼の言うことに間違いはない。私は自分勝手だった。だけどこの言葉は、私の心を傷つけるのにはじゅうぶんだった。どうして洸陽なのか。それをわかってもらうためには、私たちが何年かの間に広げてしまった距離や空間や時間の差を埋める作業を、気が遠くなるほどのエネルギーを使ってしなければならないことはわかって いた。しかし、そこまでしてわかってもらおうとはもう思えなくなっていた。
「犬というのは、ペットショップで金を出して元気な明るい子を買って、呼んだり抱いたり連れ歩いたりして一緒に楽しく暮らすもの。わざわざ金と心配のかかる障害がある犬を飼うなんて信じられない」
そう言い切った彼に、「そうじゃない......」と説明ができなかった私が悪かったのだと思う。
夫は、自分の夢を実現するために海外に行きたいと話した。私は「ついていけない。いや、ついていかない」と言った。
行かないと決めたのだ。
交わす言葉の行間で、私はこんなに強くなったということを伝えたかった。私はあなたなしで生きていく。そう答えを出したのだと。
18| 新しい大きな家族
一歳になったばかりのイングリッシュ・ブルドッグの男の子。知り合いのペットショップの看板犬で、ジェームズと呼ばれてスタッフにかわいがられていた彼が、新しく私の家族に加わることになったのは、2007年の初秋のことだ。
ペットショップで売れ残った動物の行き先はどこか。縁があって買われ、家族の 一員として暮らしていく犬たちとは全然違う場所。ときには、働いている私たちでさえも、どこへいくのか詳しくわからないときもある。友人によると、ジェームズは繁殖場行きが決まっていたそうだ。
私は彼に会うのを楽しみにしていた。ほんわかとしたオーラをもったこの穏やかな子が、毎日の仕事で疲れていた私の心をどれだけなごませてくれたことか。けれどももちろん、いい家族と出会ってほしいと願っていた。しかし思いは届かず、とうとう一歳の誕生日が近づいてきた。私はそわそわとした気持ちになった。どうし たらいいのだろう。
洸陽という手のかかる犬――しかも犬嫌い――を抱えたうちでは同居はとても無理だろう。トワにしてもかなりのストレスになるに決まっている。でも連れて帰ってやりたい。繁殖場に行くなんてあんまりだ。私の悩みは日に日に大きくなっていっ た。
実は、どうしても私がジェームズをその繁殖場にやりたくない大きな理由があっ た。そこに行く前に声帯を取る手術をするかもしれないといわれていたからだ。
本来ブルドッグ系はあまり吠えない犬種だ。近所に迷惑をかけることはまずないとは思うが、声帯を取ることは繁殖場ではよくあるらしい。声帯が無いからといって、 吠えなくなるわけではない。かすれた息の音を思い切り立てながら吠え続ける犬もいる。飼い主に伝えたいことがあるから吠えているのに、声にならないからますます大きな声を出そうとしてどんどん息の音はひどくなり、のど全体を痛めているようにも聞こえる。
繁殖に使わないと決めていて、病気予防や不幸な犬を増やさないために卵巣や精巣を取ってしまう不妊手術とは根本的に違う、身勝手な手術だと思う。犬にとって のコミュニケーションの手段をひとつもぎ取られた、生きる権利をひとつ奪われた、そんな悲惨な犬たちがいるのだ。
ゆるんだ表情で、私を癒してくれたジェームズがそんな姿になるなんて、想像したくなかった。何としてもそれを止めなければならないと思った。それには私が、ジェームズを買って連れ帰るしか方法はない。
うちのすぐそばに母が住んでいた。母は父を早くに亡くし、たくさんの猫たちと暮らしていた。彼女はもともと犬好きでもある。もしかして......と打診してみたけれど、やはり、23,7キロの大きなジェームズを見て、首を縦には振らなかった。
しかしその後も根気づよく説得を繰り返し、世話はほとんど私がするということ、トワや洸陽とのコミュニケーションがうまくいけば、最終的には私が引き取る予定 でいることを話して、ようやく了解がもらえた。
かくして、「明日繁殖場に連れていかれる」という瀬戸際で、ジェームズは私の母の家族として迎え入れられたのだ。
名前は『心朗(ごろう)』に決めた。心は真ん中でいちばん大切なところ。朗は、ほがらか・澄んで明るいという意味。心朗の持つ、おおらかで素直な雰囲気から、雄大で広い心を持つ子に育ってほしいと思って名付けた。
19| 強さとチャームポイント
10月5日の誕生日を無事に祝って数日が過ぎた。
これからも長生きしようと誓ったばかりだというのに、また洸陽の調子が悪い。 後ろ足の麻痺が起きたのだ。朝起きて、おはようを言いに寄ってきた洸陽の足もとがあぶなっかしい。
「洸ちゃんどしたん? 足痛いん? 歩けへんの?」
再発――。いちばん恐れていたことだ。再発したら命の保証はない。そう断言さ れていただけに、洸陽がしっかりとは歩けなくなっているのを見たときには背中が凍りついた。しかし前回ほどではないようだ。弱々しいながらも歩いている。トイレで排泄しようとするが、出ない。だけど少しずつ漏れてしまっている。自分の力でコントロールができていないようだ。やはり、再発が起きたのだろうか――。
まずは排尿させてやらなければならない。しまいこんでいたカテーテルを、引き出しの中から出す。
「洸ちゃん、大丈夫。怖いことなんてなんにもないからね。かあちゃんおるから」
撫でながら、カテーテルで尿を抜いてやる。便はどうだろう。そっとお腹を押してみるが出そうにない。もう慣れたものだ。便を柔らかくする薬を飲ませ、二~三 時間後、そっとお腹を押してやるとスムーズに出た。
洸陽は、また自分の体が不自由になってしまったことにストレスを感じ、パニックになり、食事を摂らなくなってしまった。リラックスして寝ることができず、呼吸は乱れている。この状態では心臓にかなり負担がかかっているはずだ。私は洸陽を抱いて病院へ行った。水を飲まなくなってしまったので、まずは点滴を受ける。 再発の原因は、はっきりとはしないが、ここ数日の気候ではないかということだった。極端に変動する気候には注意する必要があるようだ。
この年の猛暑を乗り越えた洸陽の心臓。健康診断では、心電図の感じから、たぶん十歳くらいだろうと言われていた。やはり、去年よりは悪くなっているという。 心電図から、呼吸も一時的に停止しているらしいことがわかっている。寝ているときにも、ときどき無呼吸状態になる。呼吸が戻ってこず、そのまま死んでしまう可能性だってある。洸陽はどうなってしまうのだろう。
受け止めよう。これからこの子に起きるどんなことも、私は受け入れよう。洸陽は生きている。不規則なリズムでも心臓はちゃんと鼓動を打っている。入院を勧められたが、こんな状態の洸陽をひとり病院においてくるわけにはいかず、自宅に連れ帰った。
つらいことばかり起きる洸陽の人生。だけど、洸陽は自分の人生を呪ったりはし ない。すべてを受け入れている。どんな逆境も不運にも笑顔で応えている。何かが起きたときにはびっくりして震えるけれど、必ずまた笑顔に戻り、自分の生活を楽しんでいる。人が大好きで、甘えん坊で無邪気で素直。まるで赤ちゃんのような洸陽。だけどほんとうは強いのかもしれない。すくなくとも、私よりはきっと。
10日ほど経って、洸陽の容態は安定してきた。便が硬いときには、手袋をはめた手でかき出してやらなければならないときもあるが、尿はだいぶ自分の力で出せるようになってきた。懸命に生きている洸陽。心臓の音を確かめる。温もりを確かめる。生きている。
ここのところ寒くなってきたので、私のふとんに入れてやっている。時々、おもらしをされてしまうけれど、それは洸陽が悪いわけではない。夜中に起きて洸陽の体を拭き、ふとんを替える。「眠いのになあ......」とちょっとは愚痴も言いたくなるけれど、洸陽がすっきりしたうれしそうな顔をしているのを見ると、ほほえんでしまう。朝までもう少し、かあちゃんと一緒に寝よう。
最近はトワや心朗まで私のふとんに入ってくる。時々、場所の取り合いで喧嘩が起きるが、私の一喝で収まる。そして、笑顔。まだまだ洸陽からは目が離せない不安定な容態だ。しかし、人は守るものがあれば強くなれるのだ。
洸陽と心朗が並んで小さなざぶとんの上に座り、ストーブの前でその炎に向かっ てぼんやりしている。そんな何気ない光景が目の前にある。
犬が嫌いな洸陽が、トワと仲良くできるまでには一年くらいかかった。トワがいくら遊ぼうと誘ってもそばに寄るだけで恐怖で怒り、噛みついた。だから、心朗を一緒に住まわせるなんて無理だろうと思っていた。しかしたったの三ヶ月でこの状態になった。心朗の無邪気で敵意のない心を洸陽が見抜いたからなのか、洸陽自身が成長したのか、それはわからない。けれど、あの、犬が大嫌いだった洸陽が、心朗と仲良くしている。まるで昔からの家族のように。
甘えん坊の心朗はそんな洸陽が大好きだ。洸陽の手足を舐めたり、体をすり寄せていく。洸陽はマイペースだから、気分が乗らないときは怒りだし、心朗を噛むこともある。それでもめげずにまた甘えてすり寄っていく。それが心朗のいちばんいいところだ。心朗が来てくれて、明らかに我が家には笑い声が増えた。とても透明な心をもった心朗だから、たくさんのトラウマを抱えた洸陽のことを、少しずつ理解しているのかもしれない。
洸陽が夜泣きをした晩、心朗は私を呼びにきた。行ってみると、洸陽が寒さで震えていた。それから、兄弟三人が一緒になって私のベッドで寝るようになったのだ。 洸陽が鳴くと心朗も鳴く。誰よりも洸陽のことを心配している優しい心朗。ときどき、タイミングがずれていたり、空気が読めていなかったり、人の話を聞いてなかったり。そんな心朗のテンポが私は大好きだ。心朗はもう立派な家族の一員になっていた。
2008年が幕を開けた。以前、カテーテルで抜かないと尿が出なかったことを思えば贅沢な悩みなのだけれど、最近の洸陽の尿は漏れっぱなしの状態だ。食欲旺盛、元気でよく遊ぶし機嫌もよく――歩くのだけはちょっと不安定だけれど――、 どこといって悪いところはなさそう。だが、排尿に関しては改善がみられない。あれほど完璧だったシートでの排尿は全くできなくなり、ところかまわず出てしまい、 部屋中がおしっこまみれ。もしかして、私の気を引くためにわざとやっているのだろうか。しかしどうやらそうではないらしい。いきなりおしっこがじゅっと出たのに驚いて、その場から逃げ出したりもする。どうして足が濡れているんだろうと不思議そうにながめたりもしている。わざとしているわけではない。洸陽が悪いわけではない。麻痺の後遺症なのだ。わかってはいるのだけれど。
ぞうきんを持って洸陽の後ろをついて回り、きれいに拭いたらすぐまた別のところでおもらし。買ったばかりの毛布の上で、取りこんだ洗濯物の上で......。置いてある私が悪いのだが、帰宅後に部屋を開けると、どっと疲れが出る。これが何日も 続くと、時にはイライラしたり怒りたくなるときもある。ため息も出るし、ちょっ ぴりいやみも言ってしまう。それでも、家にいるときくらいはリラックスさせてやりたい。だからおむつはつけたくない。ケージに入れっぱなしにするのもかわいそう。 結局は拭いて回るしかないのだ。
数日後、今度は洸陽の尿がまったく出なくなった。掃除して回るのがいやだなんて、文句を言っていたばちがあたったのかもしれない。おしっこを拭いて回ることがどれだけ幸せなことだったのか、私はそのときになって気がついた。
つい昨日まではあっちこっちにお漏らししていたのに、何も出ない。膀胱を押してみて、少し歩かせて運動させても出ない。そう思っていると、急に、今まで溜まっていたぶんが一気に流れ出た。そして夜になると洸陽は震え出した。
「どうしたん、洸ちゃん。寒い? 痛い?」
「抱っこしてあげるからこっちへおいで」
震えてばかりで声をかけても来ない。歩き方もおかしいし、ごはんも食べない。 病院へ行くと、下半身にかなりの痛みがあるらしいということだった。震えるのは痛みをこらえているから。足の痛覚はほとんど麻痺している状態。以前完全な麻痺状態になったときには、とくに左後ろ足の反応が悪かった。今回は右足が悪いという。
わかっていた。だけど、訊かずにはいられなかった。
「手術はできないんでしょうか?」 先生は口数少なく「無理、ですよ」と答えた。
今できるのは痛みを抑えてやることくらいなので、痛み止めの注射を打ってもらう。すぐに効果があり、自分で排尿することができた。ステロイド系の痛み止めの薬を処方してもらい、自宅で療養することになった。洸陽は心臓の薬も飲んでいるので、正直ステロイドには頼りたくない。だけど、これほどまでの痛みに黙って耐えている洸陽を見るとしかたがない。尿が出ないと体にも悪い。じっと痛みをこらえてすくんでいる洸陽のかたわらで、トワも心朗もおとなしくしている。
奇跡の回復を果たした洸陽だけれど、病気はこうしていつまでも彼を脅かし、再発を見せる。今回のような状態はこの先何度も起こりうる、と先生は言った。やがて寝たきりになる日も来るかもしれない。
洸陽の、脊椎損傷・脊椎異型性による麻痺後遺症は治らない。この現実は受け止めなければならないと思っている。だから、まだ歩けるうちに外の世界を楽しませてやりたい。自分の足で多くの道を踏みしめてほしい。あらゆるものをその目で見てほしい。
洸陽の体をさすりながら、そっと右足に触れてみる。なんの反応もなくだらんとしているのが悲しい。私には洸陽の体をもとに戻してあげることはできない。だけどこれからも、洸陽と私とそして家族みんなで闘っていくのだ。決してひとりぼっちにはさせないし、見捨てたりはしない。私の愛情で、洸陽が失ったたくさんのものを埋め尽くしてやりたい。
洸陽は病気と闘っている。小さな体で、一生懸命生きている。私は、泣いたり笑ったり、ときには途方に暮れたりしながら毎日を過ごしている。そんな今、洸陽のことがいとしくてたまらない。
春はすこしずつ近づいてきている。寒さもようやく和らいで、気温もちょうどいい。洸陽にもおでかけができる季節がやってきた。いつもはトワと心朗をつれてよく行くドッグランに洸陽を連れて行った。洸陽にはまだノーリードは無理なので、リー ドをつけたままにした。
さっそくいろんな犬たちが挨拶にやってくる。洸陽の大嫌いな、茶色の中型犬もいる。トワと同じボストンテリアもいる。穏やかな性格の犬やちょっと攻撃的な犬、 いろいろな犬たちと挨拶をした。興奮すると吠えたり噛みつこうとしたりで、見ているだけでもハラハラしたが、おとなしい犬には自分から匂いをかぎに行ったり、 何よりも、犬が大好きな人たちがたくさん来て、頭をなでたり抱っこしたりしてくれたのはとてもうれしかったみたいだ。
五歳くらいの男の子が洸陽を見て、「この子、ここ、目がないの? 目が見えんのかわいそうやなあ」と素直に言った。するとその子のお母さんが、「洸陽ちゃんの目はかわいそうじゃないんよ。洸陽ちゃんの『チャームポイント』なんよ」と 言ってくれた。
チャームポイント――そう、ここが洸陽のチャームポイント。
洸陽が失った左目は、恐怖や不安が見える目。そして、いまある右目は、幸せなことやうれしいことが見える目、としてみたらどうだろう。都合がいい考えかたも、時には力になってくれる。思いこみでもいい。左目を失くした洸陽にこれから見えるのは、幸せでうれしいことばかり。
楽しそうに走り回っている他の犬たちを見て、洸陽も自分が走っているような楽しい気分になったかもしれない。洸陽を迎えた当初は、ノーリードでドッグランを 走らせてやりたい、いつかきっとできるようになる、そう思っていた。けれど、今はもうどうでもよくなった。このままの洸陽でじゅうぶんだ。
2008年五月。洸陽が下半身麻痺を発症してから一年が経った。
洸陽の後ろ足の神経の一部は死んでおり、回復の見込みはない。痛覚検査をしても一部には反応がない。一度死んだ神経は決して再生しない。なのに歩いている。むかし歩いていた感覚を洸陽の足が覚えていて、「勘」で歩いているとしか思えない、そう先生は言う。私はそれを、洸陽の歩こうとする意志、と考えている。
何度でもくりかえし言いたいことがある。洸陽に限らず犬はみな、決して自分の不幸を恨んだり、ひねくれたり、悲嘆にくれたりはしない。まっすぐに自分の運命を受け入れる。洸陽が再び歩けるようになったのは、彼自身が誰よりも強く「歩きたい」という意志を持ち続けたからだと思う。私は学ぶ。犬たちを見て、私は勉強させてもらっているのだ。洸陽の足はまだまだ再発の可能性もあるし、後遺症もたくさん抱えている。だけど私は洸陽と怖がらずに生きていく。
20| 自分との闘い
30歳を過ぎてから定期的に受けていた子宮がんの検査。何年か前から「高度異型性」だから要注意とは言われていたものの、先生から「がん検診の結果についてお知らせしたいので来院してもらえますか」と電話があったときには、相当なショックを受けた。今までは電話一本で検査結果を知らせてくれるだけだったのに。だいぶ落ち込みはしたが、なんとか覚悟を決めて、先生のところへ出かけていった。
「今回はクラスⅣの陽性反応が出ました」
落ち着いた声で淡々と病気の可能性の説明をする先生。ドラマでよく見るような 告知シーンではなく、あっさりと、がんがある事実だけを告げられた。だから私も意外と冷静にその言葉を受け入れていたように思う。だけど心の中は嵐のように乱れていて、先生がわかりやすい絵や図を見せて説明してくれても、何ひとつ頭の中に残らず、無表情にうなずいていただけだった。
「今後については、精密検査が欠かせませんから、まず大学病院に行って細胞診と組織診をしてください」と紹介状を手渡された。
とりあえず一旦帰宅したものの、何も手につかない。がんは死の病いというのは昔の話で、今は、早期治療で治癒した人は大勢いる。特に子宮がんは、相当なレベ ルでなければ摘出してしまうことでほとんど完治することが可能だ。運よく子宮を残すことができたら子どもを産むこともできる。最悪のことを考えて嘆き悲しむほ どのものではない。だけど、私は父をがんで亡くしている。だから、がん=死とい うイメージが、いくら振り払おうとしてもついてくる。
今は深刻な状態ではないとしても、がんには転移や再発がつきものだ。もしそんな状態になっていたら......。私はパソコンに向かい、がんに関する情報を集めた。 希望の持てそうな情報、自分を落ち込ませてしまう情報、ありとあらゆる情報が私を持ち上げたり突き落としたりして翻弄する。何をしていても不安が頭から離れず、 眠れない日が続いた。
そして何よりも気になるのが犬たちのこと。もしも私が入院・手術ということになったら――。彼らは私がいないストレスに耐えられるだろうか。ごはんを食べな くなるのではないだろうか。急に洸陽の発作が起きたらどうしよう。
母が彼らのめんどうを看るとは言ってくれたが、耐えられないのは犬たちではなくて、ほんとうは私のほうなのだ。毎日同じふとんで眠り、彼らの声で目覚め、いっ しょに食事をし、散歩をし、彼らのものを洗濯し......。毎日が犬たち一色だった私が、彼らと離れて一日でも過ごせるものだろうか。
この子たちのいない病院のベッドの上で、私はがんばれるのだろうか。
そしてもしも――私が死んでしまうようなことがあったら彼らはどうなるのだろう。些細なことから考え過ぎだと笑われそうなことまで、何十、何百という心配や悩みがぐるぐると頭をかけめぐる。ああ、何も心配事がなく、明るく家族で楽しく生きていける日々がこんなにもありがたかったなんて。私は、がんという事実をきちんと受け止められずにいた。だけど、くじけてしまっているのでは決してない。 私はこの子たちのかあちゃんなのだから。
その後大学病院で組織検査をし、結果を聞きに行った。がんのレベルで言えば、初期の初期、0期の上皮内がん。そして、子宮頸部全体の組織を更に調べる必要があるということから、子宮頸部円錐切除手術を勧められた。
子宮頸部円錐切除手術というのは、外子宮口を中心とした円を底面として、がん細胞の取り残しがないように円錐状に子宮の一部を切除する方法。切除された組織は標本にして病理検査が直ちに行われる。その結果、更にがん細胞が見つかれば 後日、子宮頸部の追加切除手術や、場合によっては子宮の全摘出手術を行うことになるかもしれないとのこと。切除された組織の結果が出て初めてほんとうのがんレベルが分かるという、予防と治療を兼ねた手術らしい。早期発見の0期のがんだと思っていても、組織診の結果、実はもっとレベルの進んだがんであった、そして再手術、ということも可能性としてはあるようで、あくまでも今の私の状態は、現時点でのレベル0期だということらしい。他の組織への転移や、浸潤しているがんではないとわかりホッとしたのも束の間、手術後の組織診の判断を待つまではほんとうの安心ではないと聞いて、再びショックを受ける。
先生の話を聞きながら、希望のある言葉に胸をときめかせ、不安なキーワードに落ち込み、心をあっちへやりこっちへやりしたので、すっかり疲れてしまった。わかってはいたけれど、やはり手術は避けられないらしい。そして退院後もまめに通院が必要で、重い物を持ったり走り回ったりの運動はしばらくはできない。後遺症としてはリンパ浮腫や排泄障害、疑似更年期障害などが起きることもあるという。 だけど、恐れていた抗がん剤投与や放射線治療も今のところは必要なし。子宮を温存できるから、赤ちゃんを産める可能性も残されている。ラッキーと言われればそうなのだろう。それよりも、きっと一生気になっていくのは再発の不安。早期発見だし、0期ならば5年生存率は100パーセント、そう言われても気分は盛り上が らない。単純に手術は怖い。
この年の暮れ、京都の病院で手術の日を決めてきた。入院・手術は翌年の二月。 入院期間は五日間。普通は三~四日らしいのだが、私の場合、他の持病もあり、ポリープもいくつか見つかっているので少し長めになるらしい。
そして、ずっと気にしていた犬たちのこと。私が入院中は、母がめんどうを看てくれる予定だったのだが、思い切って友人宅に預けることにした。母が私の世話のために病院に来てくれれば、おのずと留守番ばかりになってしまう。それに、私が退院しても、すぐには犬たちの世話をするのは難しいかもしれない。友人たちの「うちで預かってあげるよ」という優しい言葉に甘えてしまうことにした。
留守番が続いたり、私がいるのに何も世話をしてやれなくて、散歩も行けずお互いにストレスを感じるよりは、友達のいる家で楽しく過ごすほうが彼らにとっても いい。私自身も、安心して治療に専念できる。
トワと心朗の預け先は決まった。問題は洸陽だ。いろんなトラウマを抱えている し、環境が変わることによるストレスからどんな発作が起きるかもしれない。強烈な恐怖心があるから犬のいる家はだめだし......。結局洸陽はこのままうちにおき、 友人が世話のために通ってくれることになった。洸陽にとってはこの方法がいちばん安心できるやり方だろう。
手術日も決定し、犬たちの預かり先も決まり、あとはいよいよ私自身が覚悟を決める番だ。
自分の中にあるがん細胞が憎らしくてしかたない。病気になってから、自分がどんどんわがままになっていくのを感じる。がん宣告を受けた人が、がん治療と同時に心療内科への通院やカウンセリングを合わせて行う、というのがわかる気がする。それほどまでに「がん」という言葉は重い。闘おうという意志はもちろんある。 犬たちのために、そして支えてくれる人たちのために、元気にならなくちゃと思う。でも、一瞬でもそういうことをすべて忘れて、弱いただ一人の患者になって泣き言を言いたかった。
ずっと手術の日が来なければいい。このまま逃げて過ごしていきたい。これが本音なのだ。
しかしついに入院の日がやってきた。前日までにトワと心朗を友人宅に預け、家に残る洸陽のためには、細かく指示を書いて母に渡しておいた。残るは自分の覚悟を決めるだけ。看護師さんや手術担当の先生・麻酔科の先生、薬剤師の先生などが 次から次へと部屋に来ては手術とその後の治療の説明をして、山のような書類にサイン。それだけで疲れる。ついていてくれた家族は一旦帰宅し、私ひとりが取り残された。やっぱり眠れない。看護師さんに頼んで睡眠薬をもらい、悶々とした夜を過ごした。
睡眠薬のお陰でぐっすり眠れたが、翌朝六時には起こされ、脈拍・体温・血圧の測定。昨晩九時から絶食絶飲で、お腹がすいて目が回りそうだった。手術着に着替 えて手術室からの呼び出しを待つ。 予定時刻より30分遅れて呼び出しがかかった。看護師さんに付き添われ、二階にある中央手術室に歩いて向かう。
「がんばってね」「すぐ終わるよ」と励ましの声をかけられても、なかなかリラックスできない。極度の緊張と不安に襲われる。そんな心理状態でストレッチャーに乗せられて、手術室へ運ばれた。
目が覚めたのは、「ご家族を呼んでください」という先生の声だった。ああ、終わったんだ、とほっとした。無事に病室に戻ってこられてよかった。日頃自由に動けていた普通の生活に、感謝の気持ちがわいてきた。月並みだが、健康というのは、 失ってみて初めてありがたさがわかるものなのだ。
入院五日目。担当の先生は、「あと二日ほど様子を見て......」と言っていたが、私は先生にお願いをして、早めに検査をしてもらった。異常がないことを確かめた上で退院の許可をもらい、先生や看護師さんやお世話になった方への挨拶を済ませ、 家族の車に乗り込んで病院をあとにした。
まずは自宅に荷物を置きに帰り、洸陽と対面する。洸陽は体ごと喜びを表現してくれた。お留守番ありがとう、洸陽。
私はやはりいてもたってもいられなかった。トワを迎えにいこう。事前に練習のため預けたときは、迎えに行くとちょっとすねた顔をしていた。今回は、「トワ~」 と呼んだ私の声に、耳がピンッと立って反応し、ダッシュで走り寄ってくれた。そして、うれしいときにいつもやるジャンプ! 術後間もない体の私はちょっと慌てたけれど、感激した。相変わらずぷよぷよな触り心地の体を抱きしめ、トワの匂い をかいでいたら、入院中のストレスがすうっと抜けていった。
それから心朗のもとへ。私が顔を見せてもそれほどはしゃぎまくるというわけでもない。ホームステイ先がとても楽しかったようだ。相変わらずのマイペースで、 すっかり自分の家だと勘違いをしてくつろいでいる心朗の様子を見て安心するやら、ご家族の皆様に恐縮するやら。しかしまだ、この重い心朗を連れ帰ってめんどうを看ることはできそうもないので、もう少しだけおいてもらうことにした。
そんなこんなで、「絶対安静」の忠告を無視し、退院初日からあちらこちらへと動き回った。まだ少し熱があるし、体も重い。しばらくは自宅で安静生活を送らなければならない。全員そろうのはまだ先だけれど、やっぱり家族みんなで暮らせる のがいちばんいい。
手術は大変だったが、思い返せば入院生活は貴重な経験だった。今までのこと、 そしてこれからのことをしっかりと考える時間を与えてくれた。人生というのはおもしろいものだ。病気をしたことで考え方が少し変わった。変な言いかたかもしれないが、病気になった私はラッキーだったのかもしれない。現金なものである。
神様は乗り越えられる苦悩しか与えないとよく言うが、ほんとうにそう思う。けれども、私ひとりではがんばれなかっただろう。たくさんの人に支えられて無事に 退院できた。まだまだ闘いは続くし、もしかしたら、また苦悩の日々がやってくる かもしれない。それでも、ここでひとつの山を乗り越えられたことは、私の自信になった。
そして翌月、術後の診察に病院を訪れる。切除した細胞の病理結果が出たのだ。 結果は「CN3」。上皮内がんと、ゼロ期の状態を合わせた状態で、正式病名は、 がんではなく「高度異型性」と確定。手術で悪い部分はすべてきれいに取り除くことができたらしい。追加手術の必要もなく、もちろん放射線などの化学療法も必要なしということだった。あとは三ヶ月に一度の細胞診、一年後からは半年毎の検診と、
まめな通院が欠かせないが、とにかくよい結果にほっと胸をなでおろした。五年ほど様子を見て再発しなければ、ひとまずの「完治」だ。私はまだまだ生きていかなければならない。そう、愛する犬たちと。
22| あなたの場所
2009年四月、実は我が家にもう一頭家族が増えた。年齢不明のイングリッシュブルドッグの男の子。彼は繁殖場の崩壊のために放棄された。そこにいた数頭のブルドッグの中でもいちばん状態が悪く、最初に救出され、一時預かりのボランティアさんの家庭で保護されていた。
初めてこの子の写真を見た時に、私はまた絆蔵を思い出した。絆蔵を最初に見たときと同じような激しいやせ方、むきだしのあばら骨、生気のない顔。だけど今回は絆蔵を投影していたのではない。洸陽を引き取ったときのような感情の乱れはまったくなかった。この子を助けてあげたいという純粋な気持ちだけだった。それでも私は迷った。以前の私なら、誰の意見も聞き入れずにさっさと自分一人で決めて連れ帰っていたことだろう。しかし今回は、自分の体調の不安もあり、なかなか決断することができなかった。もしも自分の体が不調になってしまえば、この子にもっとかわいそうな思いをさせてしまう。ボランティアさんに連絡をとりながらも、ほんとうにこれでよいのかと毎日画面の写真を眺めてはずっと悩んできた。
けれど、決めた。この子を救いたい。自己満足かもしれないし、偽善だと思われるかもしれない。実際、友人には「ほんまにあんた、犬を助けずにはおれん病気やな」とあきれられてしまった。確かにそのとおり。だけど私は覚悟を決めてこの子を迎え入れた。この子の命を守ることで、自分自身も大切にしたい。投げやりな生き方はできない、前向きに生きていこう。そう決めたのだ。
これで我が家は四兄弟になった。四男のこの子の名前は、『大咲(だいさく)』に決めた。この 子の大きな花は、私たち家族がきっと咲かせてあげよう。もう、土や糞を食べなく てもいいのだ。歩けないくらいに伸びた爪は、私が切りそろえてあげる。喉が渇いたら水が飲める。お腹がすいたらごはんが食べられる。そんな、普通で当たり前な生活をしよう。寂しかっただろう。辛かっただろう。痛かっただろう。よくがんばっ た。よく生きていてくれた。今日から私たち家族と生き直しをしよう。
かあちゃんがいて、兄弟がいる。ここがあなたの場所だ。もうどこにも行かなく ていい。寒くて震えることはもうない。焦らなくていいから、ゆっくり、ゆっくり、 私たちと家族になろう。
23| 笑顔
犬たちが引き寄せる縁、というものがある。
人間関係において、それを何度も感じていた私は、この出会いに関してもそう思わずにはいられなかった。しばらくして私が彼に特別な感情を抱くようになると、 彼自身も好意を打ち明けてくれた。
そして私は再婚した。
彼は犬好きで、もともと犬談義で盛り上がった仲だった。彼はいろいろな事情のある四頭を受け入れてくれた。そしてバツイチである私のことも、全身全霊で受けとめてくれた。私はとてもうれしかった。
焼鳥屋の経営者である彼は、いままで孤独な日々を過ごしていた。私たちは「家族」を夢見て、幸せになりたいと願っていた。そして、それは誰かを幸せにしたい、ということと同義だった。
自然ななりゆきで一緒になった私たちは、家族になったその決意表明として新しい焼鳥屋をオープンさせた。このお店のキャラクターはトワ。大きく看板に描かれたトワのキャラクターを見るたびに、やっと暖かい場所にたどり着いたんだ、とい う思いをあらたにする。
そしてこのお店は、利用するお客さんにも、ここにくるとほっとするね、あったかいね、と言われるような場所にしたいと私たちは思っている。小さくても、豪華でなくても、誰かを照らし続ける暖かい光のあるお店にしたい。すべてのできごと は繋がっている。
誰かの笑顔で、誰かがまた笑うのだ。
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