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初めての大麻使用(『マリフアナ青春治療』著・工藤悠平より)

 書籍『マリフアナ青春治療』。著者は実業家、投資家として活躍している工藤悠平氏。この本は常識と価値観を揺さぶる彼の人生と学び、そして社会に対する疑問を綴った書籍となっている。

 頸椎ヘルニアが突如発症!
 死ぬほどの激痛に悶え苦しむ
 そして、人生は大きく変わった
 日本ではなぜ医療用大麻の解禁はなされないのか、への疑問──
 頸椎ヘルニアの治療薬として日本の病院で処方されるのは、今やアメリカでは悪名高き、副作用の多い大量の薬だった。
 著者はただただ死にたくなるほどの激痛から逃れるため、ロサンゼルス、シアトル、バクーバーへと大麻治療の旅に出た……。日本の非常識は海外の常識、海外の常識は日本の非常識だった!

町山智浩(コラムニスト)絶賛推薦!!
「著者は病を癒やすために大麻にたどりつき、大麻が合法なカナダへの移住を決断する。本書は日本人の大麻恐怖症への治療薬だ。」

『マリフアナ青春治療』の一部を少しだけ公開。興味を持った方はぜひ一読してください。

第1章 発病、二度の渡米
初めての大麻使用

 糖尿病の検査入院では、合併症の有無を確認するために様々な検査を受ける。胃カメラや大腸検査、CTスキャンなどだ。入院中は毎日が検査の連続だった。
 その際、大腸検査でポリープが発見された。通常であれば大腸検査の過程でポリープの除去も可能なのだが、僕の場合はヘルニアに対し処方されていた薬の影響から、日を改めての手術となった。さらに、発見されたポリープは3個であり、そのうちの一つは悪性である可能性があるとのことだった。
その手術は日程の都合上、一度退院し、1カ月空けての予定が組まれた。

 この時点で病院から処方されていた薬は鎮痛薬、痺れ止め、胃薬、抗うつ薬、血行改善薬、抗炎症薬、睡眠薬、痛み止めテープ、糖尿病薬、漢方であり、1日に飲む錠剤は合わせて20錠を軽く超えていた。もはやこれだけで腹が膨れるほどだ。

 さらに痛み止めテープは、日に当たると肌が負けてしまい火傷のようになっていた。腰痛に使う分には気にならないのだが、首から肩にかけて使用するのは、真夏ですらマフラーを巻くなどして日に当たらないようにする必要があった。
 この処方薬の中の血行改善薬が、大腸ポリープ除去に際して手術が後日になる要因とのことだった。この薬を使いながら手術を受けると血が止まりにくくなってしまうらしい。

 さらにこの頃には、顔面の右側が軽い痙攣を起こしていた。右目の下が不規則にぴくぴくと波打つのだ。

 日本に居続けるためには夜行性にでもならないとまともな生活すらできない。自己管理不足により陥ってしまった病とはいえ、これほどの苦痛を強いられるなんて……。

 また、アメリカに渡る前にも手術で治る可能性もあったことから、再度病院巡りを行った。しかしながら、前述のブロック注射と同様の理由で、手術はあまりにもリスクが高く、最終手段としてしか行えないと断られ続けた。ここに至っては、このまま生き続けるくらいなら、どれだけのリスクを負ってでも、たとえ失敗して死んでも構わないから手術をしてほしいと何人もの医師に泣きついた。しかしながら手術を引き受けてくれる医師を見つけることはできなかった。

 渡航先はラスベガスを選んだ。意外に思う方も多いかもしれないが、米国本土に旅行として行くには渡航費が他の場所よりも安い。また、何度か遊びに行ったことがあったため、土地勘もそれなりにあった。さらに、当時ちょうどラスベガスのあるネバダ州で嗜好目的の大麻が解禁されたため、現地で病院の受診をしなくても大麻が手に入るようであった。

 ただし、日本人が観光で行った場合に、大麻の購入が現地でできるかどうかが不明であったため、何もかもが行ってみなければわからないという状況だ。

 アメリカに渡る際、とりわけ困ったのが右記処方薬の中にアメリカでは麻薬指定されているものがあり、たとえ日本の医師の処方だとしても、アメリカに持ち込むだけで逮捕されてしまう可能性があったことだ。この薬はケシを原料としていたわけではない。もはや麻薬とは何なのか、薬とは何なのか、わけがわからない。しかしながら、アメリカに渡る以上は現地の法律に従うしかないため、日本で処方された薬の一部を持っていかないことにした。

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アメリカに持ち込むことができただけでこの量だ。糖尿病薬である1種類以外は全て頸椎ヘルニアのための薬だった。しかし、これだけの量を服用しても耐えがたい激痛に悩まされていた。

 不安と後ろめたさがあるなか、無事ラスベガスに到着した。数度来たことがあるとはいえ、やはり不慣れなアメリカでの到着当日は、移動やらホテルのチェックインやらで慌ただしく、大麻の購入には至らなかった。

 宿泊する部屋に入って驚いた。部屋のドアには通常の禁煙マークの横に大麻の葉に禁止マーク、つまり室内ではタバコに限らず大麻も使用するなと促すマークが増えていたことだ。
以前に訪れたときと同じホテルを取っていたのだが、当時はそのようなマークを見たことがなかった。

 日本人の感覚としては、なんとも不思議な気持ちだ。そんなことを考えながらも、時差ボケと飛行機移動の疲労が幸いしてか、久々にゆっくり寝られたと記憶している。

 翌朝、激痛により叩き起こされた。

 ここまで来ても幼い頃から教え込まれた「ダメ。ゼッタイ」の後ろめたさがある。

 しかしながら激痛に後押しされタクシーに飛び乗った。そして、マリワナ!マリワナ!と運転手に告げた。タクシーの運転手は陽気に、

「okay!」

 と答え、近場の大麻販売店に連れていってくれた。

 恥ずかしい話だが、僕は英語を全くといっていいほど話せない。大学受験の際には必死に勉強したものの、10年以上という歳月をかけて、僕の脳内の英語に関する情報は、旅行会話以外すっぽり抜けてしまっていた。その旅行英会話のレベルも何とか観光をしのげる程度だった。

 大麻販売店は想像以上にセキュリティが厳しかった。店の入り口には映画でしか見かけないような屈強なボディガードのような男が立ち、ベルトには拳銃がぶら下がっていた。メイン通りである華やかなストリップ通りとは雰囲気がまるで違った。入店するかどうか迷い、店の付近を数分うろついていたところ、不審者だと思われたのか、屈強なボディガードのような男が声をかけてきた。何を言っているのかさっぱりわからない。どうやら、とりあえず中に入れという雰囲気のジェスチャーをしているようだったので、そのまま入店することにした。

 店内は外とは打って変わり、近代的な病院の待合室のような雰囲気だった。受付はガラス越しであり、やはり多少の物々しさは感じたられたが。
受付でペイン!と伝えたところ問診票のような紙を渡され、促されるままにサインをした。

「...recreation or medication?」(医療目的か娯楽目的か?)

 と聞かれたため、medication!(医療目的)と答えた。しかし店員はその答えに戸惑った様子で、また長々と話をし出した。観光地の土産屋などの話し方とは異なり、完全なネイティブ発音で、かつ早口のため、想像していた以上に聞き取れない。

 どう考えてもこちらはただの迷惑な客だろうが、店員も必死に説明してくれている。僕はコミュニケーションを取ることを一旦諦めて、キャナイバイ?と聞いた。店員は安心したような笑顔で、

「Yes! Off course!!」(もちろん大丈夫!)

 と答えてくれた。そしてIDのチェックをされ、待合室でしばらく待機した。

 後から調べてわかったのだが、嗜好目的の大麻販売店でも医療目的の商品を扱っている。誰でも医療目的の大麻の購入が可能なのだが、アメリカ国内での医療目的ユーザーが受けられる割引が受けられないことを説明してくれていたようだ。ただし、厳密にいうと医療目的と嗜好目的の大麻に明確な違いはないようだ。医療用と嗜好用の大麻の違いは陶酔作用のある成分の含有量で分けられることが多く、医療用でも陶酔作用は含まれるためである。

 名前を呼ばれて別室に通された。そしてさらに驚いた。日本国内ではまだ見られないほど近代的な内装のショップだった。壁中に商品説明が流されているモニターがあり、ガラスケース越しながらも様々な大麻商品がディスプレイされているのだ。

 まさに一昔前のハリウッド映画のSFの世界だ。

 さらに顧客や患者一人一人に担当の店員が付き、ニーズに合った商品を紹介してくれる営業形態だった。
僕の担当になってくれた店員からも日本のおもてなし精神が感じられるほど親身に真剣に向き合っていただいた。しかしながら僕は終始、ペイン!ペイン!ユアリコメンドプリーズ!としか言えなかった。なんと迷惑な客だったろうと、いま思い出しても申し訳なく思う。

 このときの僕は店内の商品をゆっくり見回すほどの余裕もなかった。

 店員のオススメらしき2つの大麻商品を購入することにし、会計を済ませた。その商品を手に持ったまま外に出ようとしたところ、店員が物すごい形相で追いかけてきて何かを言っていた。
どうやら大麻商品はカバンなどにしまって持ち運ばなければならないらしい。やはり解禁されたばかりのため、大麻の扱いにはかなりの注意が必要なようだ。

 そのままホテルの部屋へ戻り、先ほど購入した包みを開けてみたところ、密封された細長い筒状のものが2本入っていた。その時点でかなり強い匂いが僕の周りの空気を包んだ。筒の中を確認したところ、タバコをひと回り大きくしたものが入っていた。medicationと伝えたにもかかわらずタバコが来てしまったと落胆したのだが、大麻とはそもそもそういうものだった。なるほど確かにこれでは部屋の中で使うわけにはいかない。外の喫煙所に移動して周りを見渡してみるも、誰もが普通のタバコしか吸っていないようだった。購入まではなんとか漕ぎ着けたが、今度は使い方がわからない。またしても落胆し、気晴らしにメインの観光地であるストリップ通りのホテル街をひたすらウロウロしていた。

 ラスベガスは日差しが強く、痛み止めテープを貼ることなど到底できなかった。激痛と、大麻を使用することの間で葛藤し続けた。

 ホテルに戻ったのはその日の18時くらいだったと記憶している。昼間に確認した喫煙所を通ったところ、明らかにタバコではない匂いがした。その人たちの様子を伺うと、持っているのは紛れもない大麻だった。その人たちは4~5人で談笑しながら一本の大麻タバコを回していた。
小走りに近寄り、キャナイスモークヒア?と聞いたところ、大笑いしながら、

「Why not!?」

と返された。

 つまり、その場での喫煙は問題ないということなのだろうと判断した。

 すぐに部屋に戻り、購入した2つの大麻をネットで調べた。細かな成分表示とは別に「Blue dream」「Bubba kush」と書かれている。これが品種名らしく、確かに2つとも痛みに効くようだ。ネット情報を頼りに初心者向けらしき「Blue dream」を持って喫煙所に戻った。

 先ほどまでいた人たちはすでにおらず、また他の喫煙者もそこにはいなかったため、またしても使い方を聞き逃してしまった。ただ、タバコと同様、火を付けて吸うことくらいはこの時点で容易に想像はできた。

 痛みから解放されるかもしれない期待、後ろめたさ、恐怖心、様々な感情が乱舞するなか、大麻に火を付けた。

 一口、二口、タバコのように吸い込む。しかしタバコのような「吸った感じ」が全くない。さらにもう一口吸ったところで体に妙な異変を感じ、怖くなって火を消した。

 喫煙所での使用は数十秒程度だっただろう。

 なんともいえない違和感のなか部屋へ向かった。この違和感はたとえるなら、頭の先から足の指先まで柔らかく溶けていくような感じだった。筋肉が弛緩しているような感覚なのだが、意識は特に朦朧とはせず、アルコールで泥酔したときのようなフラフラする感じとも違う。
また、日本で処方されていた薬とも違った陶酔感だった。日本で処方されていた薬も麻薬やそれに類するものであるため、量が増すに従い陶酔感は出ていた。そのため大麻を使用することである程度の陶酔感が出ることは覚悟していた。

 しかしながら何よりも恐怖心が勝っていた。やはりとんでもないものに手を出してしまったのではないか、もうまともには戻れないのではないか、そんな思いが頭の中をグルグルと駆け巡った。

 ホテルに戻り、そのままベッドに横になった。落ち着いた頃には肩の痛みが引いていくのを感じた。痛みで凝り固まり盛り上がっていた右肩がみるみる戻っていくのを感じた。

そして、そのまま眠りに落ちた。

 具体的には覚えていないのだが、この日はとにかくたくさんの夢を見たような気がする。十数年間思い出しもしなかった友人や、一度しか行ったことのないような旅行先でのでき事、とにかく不思議な夢だった。

 何時間寝たのかも覚えていない。

 翌朝、自然に目が覚めた。

 昨日まで数カ月間悩まされていた激痛がそこにはなかった。

 腕や顔の痙攣も止まっていた。何が起きたのかのみ込むまでに時間が必要だった。この数カ月間そのもの全てが夢だったのではないか、自分はそもそも体調なんて崩していなかったのではないのか。とりあえずカバンの中をあさった。そこには確かに日本から持ち込んだ大量の薬と痛み止めテープがあった。

 ホテルを出て街を歩いた。日差しを気にすることもなく、歩く振動に怯えることもなく、普通の日常を取り戻していた。

 当たり前の観光をした。
心から求め続けた日常を取り戻すことができた。
街の華やかさを感じることができた。

 しかしながら、夕方くらいから少しずつ痛みが出てきてしまった。さすがに魔法がかかったわけではなく、大麻が奇跡の万能薬というわけではないことを悟り、ホテルに戻った。

 前日に使用した3吸いは、購入量の1割にも満たない程度だった。つまり1週間程度の滞在であれば2本も買う必要がなかった。
インターネットで大麻の危険性をどれほど調べても、過剰摂取による死亡例は見当たらなく、さらに、僕が日本の病院から処方されていたような薬ほどの依存性もないらしい。

 それならば、昨日よりも量を増やせば一日くらいは痛みから解放されるのではと思い、前日に試さなかった「Bubba Kush」の封を切った。ネット情報では痛みを止める作用のほかに、眠くなる作用が強いようだ。

 まだ一度だけの経験ではあったが、なぜか大麻に対する恐怖心は減っていた。前日の使用直後こそ恐怖心や身体に起こった違和感を警戒していたが、一度寝て起きたところ、陶酔感から完全に元に戻っていたためであろう。むしろ数カ月間服用し続けた日本の薬に対する恐怖心が増していた。

これは油断だった。

「Bubba Kush」を普通のタバコを吸うように何口も吸った。昨日同様、3吸い程度で軽く陶酔感は出ていたのだが、けっして死にはしないだろうと構わず倍量ほど吸ってしまった。

 ホテルに戻る道すがら、すでに酔いが回っており、アルコールに泥酔したような状態だったと思う。さらに口や目がひどく渇いていた。そのままなんとかベッドにたどり着き、寝てしまった。どれほど寝たのかはわからないが、トイレに行きたくなり目が覚めた。そのときもまだ酔いは覚めておらず、ふらつく足どりで用を足した。寝ぼけまなこのままベッドに戻る最中で盛大に転んだ。

 学生時代にはアルコールの飲み過ぎで転んだり吐いたりなんてことは日常茶飯事だったのだが、アルコールの陶酔感は意識も朦朧とさせてくれるため、次の日になってから、

 何があったんだ!?

 と振り返ったりして、盛大に転んだりしてもその瞬間はさほど気にしないと思う。

 しかしながら、大麻の陶酔感はアルコールに比べると中途半端で、転んだことを妙に冷静に反省していた。ただ、頭はそれなりに冷静でも、体に力を入れにくかった。自分の部屋の中だからこそ、その後は何事もなくベッドに戻れたのだが、もしもこれが外出先だったとしたら、アルコールの飲み過ぎと同程度の危険性はあったように感じた。やはり、使用感を知らないままに大量に大麻を使用することには危険性があるのだ。

 翌朝、自然に目が覚めた。

 昨日転んだ際にぶつけた箇所が軽く痛んだが、肩の痛みは引いていたし、痙攣も起きなかった。一日中普通に観光をしても、痛みも痙攣も起きずに過ごせた。

 残りの数日間は、就寝前に僕の中での適量を使用し続けた。その後は2日目のような失敗をすることはなかった。そして、やはりかなりの量の大麻を残してしまった。当然それらは日本に持ち帰ることなどできないので、現地で破棄することとなった。
ラスベガスの最後の3日間は、生活に支障が出るほどの痛みが終日出なくなっていた。そのため、日本に戻ったら元の生活に戻れるのではないかと期待していた。日本から大量に持ち込んだ痛み止めテープは、一度も使わなかった。しかしながら、日本で処方されていた薬は医師から、
「たとえ痛みが引いても急にやめてはならない。」
と言われていたため、飲み続けていた。その薬は急に服用を止めることで離脱症状が出る可能性があるからだ。

 痛みを忘れた意識とともに僕は日本へ飛んだ。

工藤悠平(くどう・ゆうへい)
1986年生まれ。青森県むつ市出身。実業家。投資家。
早稲田大学大学院会計研究科(英文学位: MBA)
修了後、事業再生コンサルタントを
経てカナダへ移住。カナダ政府、難民保護課勤務
『マリフアナ青春治療』が初著書。










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