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【医療ミステリー】裏切りのメス―第16回―

【前回までのあらすじ】
 病院再建屋集団「チーム小倉」は初陣となる「安井会グループ」の安井芳次理事長の下へ乗り込んだ。
 チームの交渉役・蒔田直也の巧みなプレゼンテーションにより交渉は順調に進んだが、「安井を名誉理事長になっていただく」と話した瞬間から、暗雲が立ち込めたのだった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<王の沈黙>

 理事長の安井芳次に名誉理事長就任を促したのは、事実上の引退宣告だった。診療所と7つの病院を傘下に持つ安井会グループは彼が立ち上げ育てた王国である。まだ63歳。少なくともあと10年はいまの立場を死守できると考えていたに違いなかった。もしかしたら、自分の命がある限り、半永久的にその座に君臨し続けられると思い込んでいたのかもしれない。

 だが、王国はすでに崩壊寸前である。王はいつ追放されてもおかしくないのだ。にもかかわらず、その座にとどまれると信じていたとしたら、あまりにも無邪気だし、虫が良すぎる。しかし、安井には私の提案が意外だったようだ。困惑の顔を見せたあと、しばらく沈黙が続いた。なかなか口を開こうとしない安井に、私は言った。

「名誉理事長としての報酬は保証します。安井会グループを築き上げた最大の功労者なのですから、それに見合った額を用意するつもりです。ただ、いまは病院を立て直さなければならない。思い切った改革が必要なのです。それを実行に移すには、新しい体制でなければできない。私たちチーム小倉に任せてほしいのです。もちろん、安井先生にはこれからも目を光らせてもらって、いろいろアドバイスをしていただきたい」

 安井の表情は固いままだった。切れ者の蒔田直也が私に目配せした。今日はこのあたりでお開きにしたほうがいいという意味だろう。事前の打ち合わせで、蒔田は「一日ですべてを決めたがっていると思われるとなめられますから、初回はころあいを見ていったん引き揚げましょう」と話していた。

「本日はここまでにして、数日後にもう一度、会議をやりましょう。それまでに安井先生のほうでも少し考えてみてください」

 安井はほっとしたように頷いた。怒りと屈辱でいっぱいになった気持ちをどう落ち着かせるのか、逃げ道を探していたのだろう。次に会うのは3日後と決めた。群馬から都内に戻る車の中で、チーム小倉の作戦会議を開いた。

<手応え>

「雰囲気がうちの教授に似ていたな」と安井を評したのは小倉明俊こと吉元竜馬だった。教授とは、吉元の大学病院時代の上司、若山悠太郎のことである。若き天才に嫉妬した若山は冤罪を仕掛け、部下を奈落の底に突き落とした。無実の罪を着せられた吉元は刑務所に入ったうえに医師免許まで失い、別人になりすます羽目になったのだった。

「若山教授は自分の側に立ってしか、ものを見られない人だった。目の前の人間が何を考えているのか、まったく無頓着というか、思いを馳せることができない。あの安井という人も、相手の側に立った経験がないのでしょう。医者によくあるタイプですね」

 吉元は「自分も似たようなものだから、偉そうなことは言えないが」と前置きしながら、こう続けた。

「医学部を目指す奴は高校では受験勉強に明け暮れ、大学に入ってからもやらなければならないカリキュラムが山のようにある。要領よく立ち回る奴もいるけど、大半は世間の常識などないまま、医者になるんです。そして、研修医の段階から、製薬会社や医薬品卸の営業担当がすり寄ってきて、『先生、先生』と持ち上げる。患者だって、医者から嫌われたくない一心で、やたらとへりくだるんです。中には、モンスターペイシェントみたいなのもいますがね。そうやって、自己中心的な医者が出来上がっていくんです」

 30代そこそこで世田谷区の総合病院の看護師長に就いていた佐久間君代が同調するように口を挟んだ。

「そういった意味では、安井さんは医者という階層の典型ね。私のまわりにも、そんなのがいっぱいいた。彼らが権力を握ると、人を人とも思わなくなるんです。安井さんのようなタイプはとりあえずおだてておけば、うまくいくんだろうけど」

 佐久間には、看護師が医師の従属物的な扱いを受け続けているといった憤りがどこかにあるのだろう。医師に対する侮蔑が言葉の端々から感じられる。

「とはいっても、安井にいつまでもいい気分にさせておくわけにはいかない。理事長に居座られたままでは、こちらの構想は進まなくなってしまう。引導を渡さなければならないんだ」と私は言った。

「とにかく、あと1ヵ月後には手形の期日が来る。たしかなのは、このままでは彼らは手形を落とせないということだ」

「下川さんが30億円の通帳を開いたとき、安井の顔を見ましたか」と蒔田は先ほどの光景を振り返るように、チーム小倉の面々に語りかけた。

「奴の口元が思わずゆるんだんです。これで乗り切れると安堵したのでしょうが、その表情にはどこか卑しさがあった。みなさんも気づきませんでしたか」

「蒔田君の言う通り、安井の頭にはいまをどう乗り切るかしかないんだ。そのあと、グループをどう立て直していくかなんて、思い巡らすこともできないほど、追い詰められている。つまり、ここで私たちが譲歩する必要はまったくないということだ」

 放っておいても、相手のほうが折れてくるだろう。次の面談でも、提示した内容は一切変えないと決めた。誰も反対する者はいなかった。

<安井の心変わり>

 2013年4月9日夜7時、群馬の片田舎にある安井の診療所に到着した。この時間だと帰りが遅くなるなと思ったが、安井の指定だから仕方がない。前回は土曜日で診察は午前中だけだったので昼すぎに会うことができたが、平日の今日は6時半まで患者を受け入れているという。

「中規模以上の病院を7つも持っているのに、そちらではなく、小さな診療所でいまも自ら診察を行っている点だけは評価できる」と吉元は感心したように言った。

 最後の患者の診療を終え、姿を現した安井の表情は前回とはだいぶ違っていた。どこか晴れ晴れとしているのだ。気持ちの整理がつき、私たちの提案を受け入れると決心したのだろうか。だが、そうではなかった。

「せっかく二度もご足労いただいたのに申し訳ないのだが、あなたがたの支援は受けないことに決めました」

 どういうことなのか。一瞬、聞き間違いかと思った。私は慌てたように「どういう意味でしょうか」と尋ねた。

「ほかに支援してくれるグループが出てきたのでね。そちらにお願いしようと思っているのです」

「どちらのグループですか」

「それは申し上げられない」

「そちらのほうが条件がよかったということですか」

 安井は勝ち誇った顔で「そうだね」と答えた。この場でこれ以上、しつこく話しても、らちが明かないと感じた。何しろ、状況がよくわからないのだ。チーム小倉の他の3人も微動だにせず、一言も言葉を発しなかった。ギリシア神話のメドゥーサを見たために、石に変えられてしまったかのようだった。

「今日はこれでおいとましますが、考え直すようなことがあれば連絡してください。すぐに飛んでまいりますから」

安井は「そのときはよろしくお願いします」と外交辞令を述べたが、そんな気はさらさらないようだった。

 帰りが遅くなるのを心配していたのに、ずいぶん時間が余ってしまった。私は安井のゴルフ仲間の開業医に電話を入れ、「これから会えないか」と頼んだ。医療コンサルタント時代、医療機器導入に際し、メーカーとの折衝を手助けしたことがあり、旧知の仲だった。食事どきに4人も突然自宅に押しかけるなど、非常識きわまりないが、快く受け入れてくれた。期待した通り、すでにこの開業医のもとには情報が入っていた。

「一昨日の日曜日、相手のほうから安井さんのところに直接、アプローチがあったそうです。安井会グループが危ないというのは、このあたりの医療関係者なら誰でも知っている話で、その相手も以前から狙っていた。ところが、下川さんが安井さんと接触したことを知り、急遽、前倒しして動きだしたというんです」

 私たちが安井と会ったのは土曜日。その翌日に向こうも安井と接触したのである。蛇の道は蛇と言うが、それにしても早い。思わず私は「それは誰なんですか。どんなグループなんですか」と悲鳴のような声を上げた。

「通称HOグループと呼ばれ、医療ビジネスをいろいろ手がける集団だそうです。リーダーは尾方肇という人物だと聞いています」

 その名前を聞いて、蒔田直也の眼光が鋭くなった。チーム小倉としては、とにかく対策を立てなければならない。開業医に礼を言って、早々に引き揚げることにした。

 帰りの車中で蒔田は「尾方肇は最近、頭角を現した新興の病院乗っ取り屋です」と言って、こう続けた。

「だとしたら、チーム小倉が巻き返すチャンスかもしれません。あんな奴らが病院に入り込んできたら、短期間に食い尽くされて潰されるのは間違いないのですから」

 安井芳次を何としても説得しなければならない。消えかけた炎が再び燃え盛ろうとするのを実感していた。
(つづく)

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