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自分の趣味をラノベ風に書いてみたら 第2回

第2回 『ノゲノラ』

 わたしはゲームが好きである。下手の横好きだが、ゲームが好きである。

 わたしが生まれて初めて遊んだゲームは、ゲームボーイの「ポケモン赤」である。友達が持っていたその未知のおもちゃに強く惹かれ、小学一年生のときにゲームボーイポケットを買ってもらってポケモン赤を始めた。それはまさに未知との遭遇であった。学校が終わって帰ってくると、宿題なんかほっぽり出してゲームボーイにかじりついた。小さなモノクロの画面には、夢と希望と憧れがぎっしり詰まっていて、わたしは冒険へのあこがれをメラメラと燃やした。
 これがゲームに育てられたわたしの人生の始まりである。

 ゲームボーイをゲームボーイカラーに買い替えたときも、色鮮やかな(今思えば随分と薄い色だが)世界に感動した。「アトリエシリーズ」に激しく影響され、小学五年生くらいのころなりたい職業は「錬金術師」だった。どういう小学生だ。中二病ならぬ小五病である。
 据え置き機も、ロクヨンから始めた。「星のカービィ64」とか、「牧場物語2」とか、面白いゲームはたくさんあった。勝負事は好きだけど苦手だったので友達とスマブラやマリオパーティをやると確実に最下位だったが、それでもゲームが大好きだった。
 このころはずっとゲームをしていても疲れなかったし、いくらでも遊んでいられた。ゲームがなによりも楽しかった。

 その、小学生時代に積み上げた「ゲームが好き」というのは、中学に入って暴走する。口を開けばゲームの話ばかりしていたし、ノートの落書きもゲームのキャラクターばかりだったし、オタク雑誌の読者投稿コーナーにゲームのキャラクターの下手くそなイラストを送りつけたりもした(もちろん選外だった)。

 当時大好きだったのが、ゲームキューブの「バテン・カイトス」である。壮大なファンタジーで、グラフィックも当時としては限界のレベルの美麗さで、圧倒的ストーリーにそりゃもう夢中になって遊んだ。キャラクターが一人一人みな魅力的で、ゲームキューブを一台壊すほど熱中した。これは比喩でなく、本当に一台壊したのである。グラフィックが美麗すぎて読み込みが壊れたのだ。あの爆破しても壊れないことで有名なゲームキューブが、である。
 このゲームはバトルが独特で、カードをタイミングよく選択していくというバトルシステムなのだが、決められたカードを順番に出すとレアカードが手に入るスペシャルコンボというのがあって、たとえば「ヌルめの燗」+「あぶったイカ」+「絵画・無口な女」+「弱い光属性の魔法」を並べると「船の模型」が手に入る、というどっかの演歌みたいなスペシャルコンボが発動するのである。ホントですよ。元ネタを知って大笑いした記憶がある。
テレビを自由に使える深夜に、エンディングを眺めて涙目になったのを覚えている。このゲームの物語は、本当に最高だった。いまでも設定資料集とサントラを大事に持っている。

 もう一つ忘れられないのが、「黄金の太陽」だ。このゲーム、特に後編のほうに夢中だったころが、ゲーム愛がいちばん暴走していた時期だった。
 このゲームは前後編になっていて、前編の「黄金の太陽 開かれし封印」がまあ、とんでもない傑作だったのである。ゲームボーイアドバンス最高レベルのグラフィックに、子供心をくすぐるカッチョイイ音楽、冒険心を煽る謎解き系ダンジョン、とにかくまあとんでもないゲームなのである。初めてプレイしたときの衝撃は、子供心にはまさにトラックにはねられて異世界に飛ばされたような衝撃だった。
 この「黄金の太陽」シリーズは本当に面白くて、わたしはこのゲームのなかに登場する超能力「エナジー」を使えないかと鉛筆をにらんで転がそうと念じた。もちろん鉛筆はぴくりとも動かなかった。

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 中学に入ってすぐのころに発売された後編の「黄金の太陽 失われし時代」も素晴らしかった。グラフィックの美しい新技や、さらに手ごわい敵、魅力的な謎解きなども語彙を失う面白さだったし、前編では脇役だったガルシアというキャラクターが主人公で、すごいイケメンだったのである。その出会いの衝撃は、ゲームボーイアドバンスの画面の中で展開される物語が、ありありと脳内で映画のようになるほどだった。
 今思えば中学校三年間いちばん好きだったキャラクターはガルシアかもしれない。これは少々歪んでいたが、完全なる恋だった。中学生とはいえゲームのキャラクターに恋しているというのは今思うとなかなかの暴走ぶりである。
 自分の見た目にコンプレックスを抱えていたわたしは、そもそも現実の男子にまともに扱われることはないと思っていた。だから非現実の若者であるガルシアに対してもまともに扱われるとは思えず、ガルシアを主人公にしたいわゆる「ボーイズラブ」的なものを妄想してニヤニヤしていた。
 なので、当時のノートはぎっしりとガルシアのイラストで埋まっていた(ノートを探してみたが処分してしまっていた。でもガルシアを描いてノートを埋めた記憶がある)。
 自分とガルシアが付き合っているところは想像できないのが、我ながらなんともいびつな青春だったんだなあ、と今になって思う。このごろの言葉で言えば「こじらせ限界オタク」とか言うんだろうか。当時はそんな言葉はなかった。最近は便利な言葉がたくさんある。
 後編を夏休みにクリアして、わたしはあまりに素晴らしすぎるストーリーに泣いた。学校に提出する夏休みの日記にも、「RPGをクリアして泣きました」と書いた記憶がある。夏休みの日記に書くようなことではないような気がする。

 そういう、ゲーム大好き中学生だったわたしは、学校の弁論大会でゲーム擁護論をぶちかました。年寄りはなぜ若者の犯罪が起きるとゲームのせいにするのか、と、大真面目に学校の先生がたに向かって言ったのである。なんとその弁論大会で、わたしは学年二位の成績をもらい、学校祭で全校生徒及び保護者他校生その他もろもろの前で、ゲーム擁護論を堂々と語るという、今思うと恥ずかしいことをしたのだった。これもゲーム愛の暴走である。なかなかの変態ぶりだと思う。友達の小学生の弟が感動していた、という噂も聞いたが、彼はちゃんとした大人になれただろうか。

 さて、中学を出た後に統合失調を患って、しばらくゲームどころでない日々が続いた。それは本当に暗黒の日々だった。ゲームをしたいのに集中できない、画面を見ていても楽しくない。例えて言えばポケモンでイワヤマトンネルにフラッシュなしで迷い込んだような真っ暗な日々だった。
 そこから回復してきたころ始めたのが、「ポケットモンスターブラック」だった。本当に熱心に遊んだ。友達から個体値種族値努力値、というポケモン廃人の入り口を示され、黙々とポケモンを育て続けた。
 正直、友達の教えてくれたポケモン廃人への定跡は、あまり興味もわかなかったけれど、その友達に見捨てられたくなくて必死で頑張った。バトルでも友達に勝てなかったけれど、それでもそれが楽しいのだと思い込んでいた。今にして思えば馬鹿だったのである。ゲームでしかつないでおけない友達なんて友達とは言わない。

 その後、3DSを買い、ポケモン友達にせがまれてポケモンYとポケモンオメガルビーで遊んだが、それらより好きだったのはやっぱり「とびだせ どうぶつの森」だった。ただただのどかなどうぶつの森は最高に楽しかった。ああ、この世界に暮らせたらなあ、と想像するだけで、日常が随分と明るくなるのだった。ゲームを進めていけばたいがいのものが買える財力が手に入るので、現実もこんなふうに潤沢なお金があったらな、など思いつつ、公共事業で変な建造物を続々と作り、村人のお使いに奔走し、それを発売の2012年秋から新作発売の2020年3月まで続けた。
 わたしはいまはプレイしていないが、村人として暮らしている母が、ときおり思い出したように3DSで遊んでいる。ちなみに村の名前は「ぞうもつ村」という。あまり考えずつけた名前なのでこんな名前になってしまった。しかしなにかのスマホのゲームで軍の名前に「ぞうもつ団」とつけた記憶もあるので、どうやら「ぞうもつ」というのはわたしの心に刻まれているようだ。どういう理由でぞうもつ、なのかは分からない。

 そんなこんなで30歳になったいまは、スイッチライトを買って「あつまれ どうぶつの森」と「棋士・藤井聡太の将棋トレーニング」をプレイしている。スイッチが買えたのはエッセイの原稿料のおかげである。ありがたやありがたやと原稿料を使わせていただいた。ありがとうございます。
 でもお金を稼ぐ大変さを知ってしまったいま、万円単位のお金を使うというのは実に度胸がいることだった。いつの間にか小心者になっていたのである。ゲームキューブを躊躇なく買い替えたあの頃の思いきりの良さに戻りたい。

「あつまれ どうぶつの森」の島につける名前はさんざん悩んで、「いびしゃ島」にした。「ふりびしゃ島」のほうが語呂がいいが、わたしは熱血の居飛車党である。
 でも、なんというか……SNSでよく見る、やり込んできれいに区画整理された村というのに興味がわかない。「森」、なんだから草花や木々が自然に広がった美しい風景の中で暮らしたいと考えてしまう。初期からやっている人間のエゴなのであろうか。
 3月中に釣っておきたい魚はほぼ釣れなかったが、まあ年単位で遊ぶのだろうし、とのんびり構えることにしている。なんせ「とびだせどうぶつの森」では村人に釣り好きと噂されるくらい魚を釣りまくったのである、こちらでもシーラカンス御殿を立ててやろうと画策している。

 それから「棋士・藤井聡太の将棋トレーニング」、以下「将トレ」のほうは、コロナウィルスが蔓延する2020年4月、公民館の将棋道場がガチの濃厚接触なのでしばらく行かないと決めて、しかしその間にただでさえヘボなのがもっとヘボになったら困ると買ったのだが、予想外にいきなり藤井聡太先生の声でゲームタイトルを読み上げてきたり、かわいいポーズを決めた写真がバン! と表示されたり、詰将棋などの問題を解くと「よくできました!」「すばらしい!」などとあのちょっとモソっとした声で言ってくれるのが面白くてプレイしている。
 しかも、このゲームは実際に将棋を指すと、たとえば飛車先を伸ばせば「居飛車」という字がドン! と表示され、飛車のいる筋に銀を繰り出すと「棒銀」という字がドン! と表示される……という愉快なものである。しかも棋譜の読み上げまでついているのだからなんというか、ちょっと大げさにいうとNHK杯に出ている気分である。
 簡単な駒の動かし方から始まって、定跡まで勉強できるというのだから心強い。「ひふみんの将棋道場」と相当迷ったのだが、「ひふみんの将棋道場」のほうは簡単な詰将棋と数段階レベルの指し将棋しかないそうなので、加藤一二三先生には申し訳ないが「将トレ」のほうを買って正解だったかな、と思っている。
 なにより、「将トレ」で嬉しかったのは、届いてパッケージを開けてみたら、ゲームソフトのカバーの裏に藤井聡太先生の「飛翔」という揮毫がされていたことである。もちろん印刷だろうが、開けたときの驚きはすさまじかった。例えるなら、藤井聡太先生の初戦で加藤一二三先生がチーズを食べているのを見た時と同じような衝撃である。
 しかしプロ棋士といってもまだ若い藤井聡太先生である、パッケージの着物姿に違和感しかない。なんで若い棋士の先生方というのはああまで着物に着られてしまうのだろうか。

 これから先も、きっとやりたいゲームはぞくぞく発売されるのだろう。目下のところ夏に発売予定の「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル リマスター」を買うつもりでいる。
 望み薄ではあるがもし続編やリメイクが出るなら黄金の太陽やバテン・カイトスも間違いなく買うだろう。ただ問題なのは、20歳を過ぎたあたりからRPGをクリアする根性がなくなってしまったことである。その根性の足りなさたるや、遭遇するとテレポートして逃げるポケモン、ケーシィなみである。
 ポケモンは物語がシンプルで短いので楽しくシナリオをクリアできたが、長編のファンタジーRPGをクリアする自信がないのだ。「黄金の太陽」のDSで出た続編「黄金の太陽 漆黒なる夜明け」をクリアできなかったのもそうだし、何度か「マジカルバケーション」という、中学のころゲームのラストダンジョンまで進めたのにうっかりセーブデータを消してしまったゲームボーイアドバンスのソフトをやり直そうとして挫折している。現役で動くゲームキューブに、ゲームボーイプレイヤーを接続して「マジカルバケーション」を差し込み遊んでみたのだが、序盤のストーリーでお腹いっぱいになってしまうのである。

 小学生のころは一日六時間くらいゲームしていて全然平気だった。あのころのような集中力はないが、それでも楽しく遊んでいる。それは、作っているひとたちが、楽しく遊べるゲームを作ろうと努力されているからだ。
 子供のゲームは一日一時間まで、という条例を出した県が昨今話題だが、楽しいことをなんで悪にするのか理解に苦しむ。一本五千円のゲームソフトの向こうには、無数の、楽しいものを作ろうと努力する人がいるのである。ゲームを悪とすることはその人たちを否定することである。この世には、ゲームを作って給料をもらっているひとが、確かにいるのである。
 楽しいことはいけないことなのだろうか。ゲームが楽しい、というのと、勉強が楽しい、というのは、根本的になにも変わらないとわたしは思う。
 大人になったいま、そりゃ小学生のように一日中ゲームをする体力はないが、しかしそれでもゲームは楽しい。これからも、自分のペースで楽しめたらいいな、と思う。

Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
前連載『アラサー女が将棋はじめてみた』
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa

イラスト:真藤ハル

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