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【医療ミステリー】裏切りのメス―第19回―

【前回までのあらすじ】
「安井会グループ」との交渉に横やりを入れてきた「HOグループ」の思わぬ正体に今後の対策に悩む「チーム小倉」。そして、チームの事務長・蒔田直也と知遇のある、埼玉県警の湯本利晴刑事がHOグループを追っている知り連絡をとった。湯本刑事から「HOグループ」が乗っ取った病院の院長が自殺事件を聞かされる。しかも、それは殺人事件の疑いがあるという。これをネタに安井理事長の説得を試みることとなった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<湯本の手助け>

 刑事の湯本利晴がサポートを申し出てくれなければ、どうなっていただろうか。たぶん、チーム小倉がターゲットとする安井芳次との3度目の面会はかなわなかっただろう。

 しかし、最初から湯本の助けを期待していたわけではなかった。警察の力を借りるのは気が引けるというか、ポリシーに反していた。何しろ、無罪を勝ち取ったとは言え、私は逮捕され拘置所に入れられた身である。警察に対しては恨みしかないのだ。湯本に頼る前に、まずは蒔田直也に安井の診療所に電話を入れてもらった。

 本来なら代表の私がかけるべきだろうが、プレゼンテーション力で圧倒的に優る蒔田に任せたのだ。それと、4日前に安井に引導を渡す言葉を吐いたのが私だったというのも大きかった。私の声を聞いたら屈辱感がよみがえって、安井は冷静な判断力を失うに違いなかった。すぐに電話を切ってしまうかもしれない。その点、蒔田に対しては、埼玉県の総合病院を再建した男として、一目置いている節があった。

 私、吉元竜馬、佐久間君代の3人はかたずを飲んで、蒔田が安井相手に説得するのを聞いていた。蒔田は、新たに現れた病院乗っ取り屋の尾方肇がいかに危険な人物かを並べ立てた。安井の声は聞こえないが、蒔田がめずらしくしどろもどろになっているのを耳にして、苦戦しているのが手に取るようにわかった。

 これ以上、続けても仕方がないと判断したのか、蒔田は「また改めて」と電話を切った。そして、私たちに向かって「いやぁ、取りつく島がないですね」と、お手上げだという表情をした。

 安井について「知らない仲じゃない」と言っていた湯本に甘えるしか、選択肢はなかった。「安井が面会をOKした」と連絡があったのは、蒔田が湯本に電話してからわずか10分後だった。湯本と安井の間にどんな因縁があるのか、わからなかったが、蒔田の推察はこうだった。

「杉本甚太郎を調べているうち、安井に行き着いたのではないでしょうか」

 なるほど──。蒔田の分析はいつも鋭い。私は病院乗っ取り屋、尾方肇の出現にばかり気を取られ、安井の小学校と中学の同級生である杉本の存在をすっかり忘れていた。杉本は北関東でパチンコ店を20店近く展開するスギモトホールのオーナーである。

「杉本はライバルチェーンの出店計画を潰すために、近隣での病院開設を安井に依頼している。これに絡んで何か事件があったんだと思います」

 事情はどうあろうと、湯本が連絡してくれたおかげで、安井との3度目の面会は2013年4月13日午後2時と決まった。これがラストチャンスである。ここで何としても尾方を排除して、安井会グループをチーム小倉のものにしなければならない。あと3日足らずのうちに、尾方の非道ぶりを示す証拠を集めなければならなかった。しかし、大した成果は上げられず、当日を迎えた。

 前回まではチーム小倉のメンバー4人全員で臨んだが、今回は吉元竜馬と佐久間君代の2人は連れていかなかった。佐久間はともかく、吉元を湯本と会わせたくなかったのだ。そのうち顔を突き合わせることになるとしても、現段階では不安のほうが大きかった。

 何しろ、吉元は別の医師、小倉明俊になりすましているのだ。しかも、本物の小倉は2週間前に、東京・山谷のドヤ街で遺体となって発見されていた。医師時代の面影はまったくなく、容姿も変わり果てていたので、身元は不明のままになっているが、湯本に不審を持たれるのだけは避けたかった。相手は現役の刑事なのだ。吉元の態度に違和感を覚えて、いろいろ洗われると、真実にたどり着かないとは言い切れないのである。

<命をつけ狙われていた安井>

 午前11時半、湯本との待ち合わせ場所である埼玉県北部の町に着いた。今日は非番だという。情報交換してきた蒔田は何度も会っているが、私とは初対面だ。がっちりしている男だと勝手にイメージしていたが、思いのほか痩せ型で、吉元ほどではないが端正な顔つきをしている。私が意外そうな顔をしているのに気づいたのか、「警察学校時代は剣道を選択していたんですよ。柔道よりずっと楽なんでね」と笑った。

 腹ごしらえをしようと、湯本おすすめのうなぎ屋に行くことになった。少し北上し、群馬県に入ると、すぐにその店は見つかった。白焼きとうな重がセットになっているコースを頼んだ。「老舗ではないが、なかなかいける」と湯本が言うだけあって、たしかに美味しい。ふんわりと焼き上げる店が多いが、ここの蒲焼きは身が締まっていて、噛むほどにうなぎの旨みが口に中に広がっていく。

 本当は極上の純米酒が飲みたいところだが、運転があるので我慢するしかない。湯本と蒔田に勧めたが、「安井との交渉に差しつかえますから」と2人とも遠慮した。湯本は蒔田からいろいろ聞いていて、こちらの事情をよくわかっているようだった。何が狙いで、私たちが安井に近づいたのかも知っていた。

「ところで、湯本さんが安井を知ったのは杉本甚太郎の関係ですか」と私はたずねた。湯本は「その通りです」と頷いた。

「杉本と安井がグルになって出店を阻止したパチンコチェーンのオーナーが怒り狂い、多額の上納金を渡している地回り(地元密着のやくざ)に殺人を依頼したという情報が入ったんです。そのパチンコチェーン、スギモトホール、安井会グループの本部の所在地はいずれも群馬県。したがって、本来は群馬県警の仕事なんですが、地回りが埼玉県と群馬県の県境周辺を縄張りとする連中で、本部が埼玉県側にあったため、我々も護衛に当たることになった。通常なら民間の警備会社に頼むのが筋ですが、殺人指令となると穏やかではないので、警察が動かざるを得なかったんです」

 湯本がまだ、刑事になりたてのころだった。本来は警備課の仕事だが、人数が足りなかったため、所轄署の刑事第二課に配属されたばかりの新米刑事も、地回りに対する捜査名目で、警備に駆り出されたのだった。

「そこで僕が担当したのが安井の護衛だったんです。安井はまだ50歳前。すごくパワフルで行動範囲も広かった。当時、診療所は他の医師に任せていたので、病院の経営に専念していた。東京に進出する前で、埼玉県と群馬県を中心に6つの病院を持っていて、1日にそのすべてを回るんです。それが月曜から金曜まで毎日。僕も同行するんですが、20歳近くも若い僕のほうが音を上げていました」

 そうした生活が半年間、続いた。湯本が護衛の仕事から解放されたのは、殺人指令を出したパチンコチェーンのオーナーや、安井の命をつけ狙った地回りの幹部らが逮捕されたからだ。ただし、容疑はまったく別の事件に対するものだった。地元企業の労働組合役員を拉致監禁し、脅迫したというのだ。パチンコチェーンの労働組合組織化をこの組合役員が指導。それを阻止しようとして、オーナーや地回り幹部が実力行使に出たというわけだ。

「そのあともオーナーは余罪がいくつも出てきて、結局8年の長期刑を食らった。舵取りを失ったパチンコチェーンの経営は一気に悪化し、他の大手チェーンに身売りするしかなくなった。カネの切れ目が縁の切れ目で、地回りもまったく相手にしなくなり、刑期を終えてからは行方知れずになっています」

<僥倖(ぎょうこう)>

 いずれにしても、半年間の密着は安井と湯本の関係を単なる業務上のつきあいだけにとどまらせなかった。

「安井と出会ってから14年になりますが、プライベートな交流がいまでも続いています。さすがに最近は3ヵ月に1回くらいですが、一時は週に1度は顔を合わしていた。ディナーを一緒にするのです。このうなぎ屋も安井が連れてきてくれた店です。一回も結婚せず、家族のない安井は、僕のことを息子のように思っているのかもしれません」

 安井から警察を辞めてうちに来ないかと誘われたこともあったという。それなりのポジションを用意していたようだ。

 湯本の話を聞いているうちに、私はこんな幸運が舞い込むことがあるのかと、内心、飛び上がらんばかりに歓喜していた。誰も信じられない安井が心を許せる人物と初めて会った気がしていたのだ。彼が味方につくのなら、尾方肇のようなカネのためだけに近づいてきた奴に負けるはずがないと確信したのである。

 面会時間が迫っていた。うなぎ屋を出て、安井の待つ診療所に向かった。
(つづく)


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