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【医療ミステリー】裏切りのメス―第14回―

【前回までのあらすじ】
 病院再建屋集団「チーム小倉」が狙いをつけた「安井会グループ」は、大きなスポンサーを失い、経営は風前の灯だった。さっそくリーダーの下川亨は、同グループの安井芳次理事長に融資話を持ちかけると、すぐに食いついてきたのだった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<競艇場での出来事>

 安井会グループの総帥、安井芳次と会う日は1週間後の2013年4月6日と決まった。電話越しから聞こえる安井の声は、一代で北関東有数の病院グループを築いた人物とは思えないほど弱々しかった。集まっているチーム小倉のメンバーに「これは勝てるぞ」と宣言した。

 当日の作戦を練ったあと、「シャンパンの帝王」と呼ばれるクリュッグ・クロ・ダンボネで乾杯した。しかし、その日は誰もそれ以上、酒を口にすることはなかった。私たち4人はそれぞれ、これから数日の間、さまざまな準備に奔走しなければならなかったからだ。

 翌3月31日、私はチーム小倉の仕事に取りかかる前にやらなければならないことがあった。山谷のドヤ街にいる本物の小倉明俊にカネを渡しにいかなければならなかった。だが、そこで思いもかけない事件が起きていた。

 前年夏、小倉を発見した私は、医師免許を譲ってもらうにあたって、原本の代金として100万円を現金で支払い、それとは別に3ヵ月ごとに20万円を半永久的に振り込む約束をしていた。その年の12月中旬、小倉から私の携帯に連絡が入った。預金通帳やキャッシュカードの入ったカバンを盗まれてしまったので、今後は手渡しでカネをほしいというのだ。すでに9月末に1回目の20万円を振り込み、12月末に2回目を振り込む予定だった。とりあえず、小倉に会いにいった。すっかりこの町の住人になっていた彼は、いつもと同じ路地の片隅に座って、ワンカップの酒を飲んでいた。

「競艇場で盗まれたんだ」

 開口一番、小倉はこう言った。そして、「通帳にはほとんどカネが残っていなかったから、実害は大してないんだがね」とつけ加えた。アルコール依存とすさんだ生活のせいで実年齢より30歳近く老けて見えるものの、3ヵ月前と比べると心持ち、肌つやがよくなり、元気を取り戻しているように映った。

 100万円の現金を手にした小倉は初めて競艇場に足を踏み入れた。それまでギャンブルの経験はなかった。カネを増やそうなどという気はなかったが、山谷で酒をあおっているだけの毎日が退屈だったのだ。大穴ばかり狙った。たまに当たったが、2ヵ月もしないうちに100万円は溶けてなくなった。振り込まれた20万円も下ろし、これも舟券につぎ込んだ。

「金遣いが荒いのを周囲に見られていたんだろうね。スタンドでボートが水面をぐるぐる回る様子を眺めながら一杯やっていたら、ウトウトしてしまったんだ。気がついたらカバンがなくなっていた。でも、届ける気もなかった。どうせ出てこないだろうしな」

 正直、私は安堵した。小倉がカバンを盗られたと騒ぎ立てても、アル中のたわ言と相手にされない可能性が高いが、もし競艇場が警察を呼んだりしたら、やっかいなことになる。本気で捜査でもされたら、関西の関係者にも連絡をとるだろう。小倉の医師免許を私が持っているとわかれば、すべての目論みは崩れ去ってしまう。

 小倉がカバンに執着しなかったのは、こちらにとっては幸運だった。これで、年末に出所してくる吉元竜馬が小倉明俊になりすます計画が成功する公算が一段と高くなったのは間違いなかった。医師免許が本人の手元になくなってからは、彼の持ち物で小倉明俊に結びつくのは預金通帳とクレジットカードしかなかった。それを失ったいま、小倉が小倉であることをすぐに証明するのは難しくなったのだ。

 もっとも、小倉自身、小倉明俊に戻ろうとする意欲はすでになくなっていた。その代わりに、3ヵ月ごとに20万円が入ってくることだけは約束されていた。十分な額とは言えなかったが、ギャンブルで使い果たすようなことがなければ、山谷で不自由なく路上生活を続けられるはずだった。

<小倉が殺された⁉>

 それから3ヵ月がすぎた3月31日正午すぎ、私は山谷のいつもの場所を訪ねた。3回目の20万円を渡すためである。

 だが、そこには小倉の姿はなかった。あたりを歩き回ったが、どこにも見当たらない。どうしたのだろうか。近くで路上生活をしている男がそばに寄ってきて、「そこの人は昨日の朝早く、救急車で運ばれていったよ。すでに亡くなっていたらしい」と教えてくれた。

「前日の気温は20度を超えていたんで、薄着のまま酒をかっくらって眠ってしまったんだろうな。昨日は底冷えするような寒さに逆戻りしたからな。山谷じゃ、凍死はよくあることだよ」

 とにかく、所轄の警察署に行ってみることにした。「昨日、山谷で亡くなったのは私の知り合いかもしれない」と告げると、対応した警察官の顔が少しゆるんだ。身元不明のままだと、何かと面倒なのだろう。もしかしたら身元がわかるかもしれないと期待しているのが手に取るようにわかった。

 すでに検視は終わり、事件性は薄いと判断されたようだった。私は霊安室に通され、遺体と対面した。たしかに、小倉明俊だった。だが、私は平静を装い、「知り合いとは違います」ときっぱり言った。警察官の落胆が伝わってきた。

 これから司法解剖もしくは行政解剖が行われるのだろうか。こちらとしても、知り合いではないと断言した以上、根掘り葉掘り聞くのもおかしい。この遺体と関係があるに違いないと怪しまれるかもしれない。私は長居は無用とばかり、早々に警察署を立ち去った。

 たぶん、遺体の身元が判明することはないだろう。70歳近くに見えるこの遺体を42歳の男と結びつけるのはまず困難だ。実年齢よりずっと老けた似顔絵が作成されても、それが小倉明俊だとわかる者が現れるとは思えない。私を除いては……。

 ただ、小倉の遺体と対面して、ひとつだけ気になることがあった。かすかに甘い香りがしたのだ。どこかで嗅いだにおいだ。私の医療コンサルタントとしての顧客の関係者に、同じにおいを発していた人物がいたのを思い出した。

<疑念を呼ぶ香り>

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 都内の開業医が診療所の事業承継について私のところに相談にきたのだが、継がせようとする長男がとんでもないドラ息子だった。莫大なカネを積んで私大医学部に入ったと、もっぱらの噂で、大学時代の6年間はポルシェを乗り回し、いつも違う女性を横に乗せていたという。それでも国家試験には現役で合格したそうだから、要領はよかったのだろう。父親は長男が30歳になったとき、診療所を継がせることにした。

 私が診療所を訪れると、父親と一緒に、いかにも遊び人風の長男が姿を現した。このとき、彼の吐く息から独特の甘いにおいがした。それからまもなく、この事業承継話は消滅してしまう。長男が覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまったのである。所持の現行犯だった。ポルシェを運転中、スピード違反で捕まり、挙動がおかしいことを不審に思った警察官がダッシュボードを開けると、覚せい剤が出てきたのだ。

 彼が持っていたのはヤーバーと呼ばれるタイで流行っている覚せい剤の錠剤だった。東南アジアに旅行した際に手に入れ、日本に持ち込んだらしい。このヤーバーを使用すると、息から甘いにおいがするのだ。それと同じにおいが小倉の遺体の口のあたりから漂ってきたのである。

 これはどういうことなのか。小倉と会っているとき、薬物に手を出しているように感じたことは一度もない。知らぬ間に誰かがウイスキーにヤーバーを大量に混ぜたのではないだろうか。それを飲んで、小倉は死に至った。だとしたら、これは殺人ではないか。実際、酒に覚せい剤を混ぜて殺害する手口はいくつも報告されている。

 妄想に違いないと思いながらも、その考えを完全に打ち消すことはできなかった。路上生活者には似合わない多額のカネを持っていると思われていた小倉を狙った昏睡強盗なのか。それとも、もっと怖ろしい陰謀が背景にあるのか。帰りの車の中で、頭がぐるぐる回っていた。

 マンションに戻ったのは夜9時をすぎていた。隣の部屋にいる吉元竜馬を呼んで、小倉が死んだことを話した。ただ、薬物のにおいのことや、殺されたのかもしれないという自身の勝手な想像は伏せておいた。私が話し終えると、しばらく沈黙が流れ、吉元は「そうか」と呟いた。

「小倉さんには悪いが、彼が死んだという事実は、僕が小倉明俊として生きやすくなったことを意味するんだろうな。とにかくいまは、チーム小倉のプロジェクトに邁進するしかない。吉元という名を捨てさせられた僕には、これしか道は残されていないんだから」

「そうですね。安井芳次と会うまで、あと6日。他人の不幸にかまって、感傷に浸っているヒマなど、どこにもありはしません」

 私たちの緊張は徐々に高まっていた。
(つづく)


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