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ミシュラン三ツ星とは「ただ、そのためにだけに旅行する価値のある卓越した料理」だ!

雑誌『一個人』編集部です。
世の中にグルメと言われる人は数多いますが、こんな人はなかなかいないんじゃないでしょうか?
「ミシュラン三ツ星」(東京じゃないですよ、本場フランス版)の食べ歩き、しかも自腹。さぞかし裕福で悠々自適な生活をしているかと思いきやサラリーマン。そんな、「ミシュラン三ツ星」の食べ歩きを生きがいにしている藤山 純二郎さんのグルメ紀行をご紹介します。
まず初回は「ミシュラン三ツ星」の食べ歩きに至った経緯と三ツ星レストラン初体験エピソードです。

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僕は【ミシュラン三ツ星】を獲得した全119軒のうち、114軒を制覇している。ただし、これらは取材ではない。僕自身の「生きがい」のひとつとして、もう28年間も続けている。したがって、すべて、自腹。自分のお金だ。
「食べ歩き」に興味のある方に、そんなことをぜひ知っておいてほしいと思い、つたない文章「世界のミシュラン三ツ星レストランをほぼほぼ食べ尽くした男の過剰なグルメ紀行」を書いてみた。ミシュランの隠された謎を楽しみつつ、「ああ、会社員を続けながらでも、こんな生き方もできるんだな」と、思ってくれたら幸いである。

そして、行ってみよう! 食べてみよう! 昔の船乗りたちに、星が進路と希望を教えたように、「三ツ星」は今夜も世界各地で、ピカピカ煌きながら、私たちを招いてくれているのだから。(『世界の三ツ星レストランをほぼほぼ食べ尽くした男の過剰なグルメ紀行』より構成)

■僕の三ツ星初体験はパリのあの店だった!

昭和64(1989)年1月3日、僕はパリのセーヌ川のほとり、「ラ・トゥール・ダルジャン」にいた。重厚なレストラン内に、何ものにも恐れぬ日本の若者がひとり、スーツ姿の背筋を伸ばし、澄み切った眼差(まなざ)しで案内された席に座り、ギャルソンが話しかけるのを待っていた。

「ボンソワ・ムッシュ」
「ボンソワ」

藤山は、天井に煌(きらめ)く豪華なシャンデリアの下、与えられた席に座り、まるで常連客のように、ごく自然に、歴史ある店のメニューを受け取った。

「メルシー」

藤山の低く通る声が、館内に静かに響いた……。
これが、僕の三ツ星初体験である。

ちなみに、年号が昭和から平成になったのは、それから4日後の1月7日である。

見よ、風に鳴る この旗を……。(慶應義塾熟歌)

その時の藤山は、時代の大きな変わり目にいたのであった。何言ってんだか。

僕が「ラ・トゥール・ダルジャン」に行ったきっかけは、簡単だった。
あれは、日本でフレンチの食べ歩きをしていた時のことであった。僕は、フランスには本場のレストランを格付けする『ミシュランガイド』という本があることを知った。それによれば、その本は、ヨーロッパ各地のレストランを無印から三ツ星までの4段階の評価をしてあるという。

いまでは、かなり有名だが、いまから約30年も前の日本では、フランスで発行されている『ミシュランガイド』の存在を知っている方は、かなりの食通かフレンチ関係者ぐらいのものだった。

「へえ、すごいな、本場のパリでは、一流レストランやホテルを格付けするそんな本があるんだ」

藤山は、「真実」を知ってしまった。

それがわかってしまったら、東京でどんなに高級フランス料理店の「食べ歩き」をしたところでややむなしい。僕が必死で読み漁あさっていた山本益博氏の『味のグランプリ』も『グルマン』という日本では画期的だと思われた本も、所詮、『ミシュランガイド』の模倣ということを確信してしまったからである。もちろん、この『味のグランプリ』と『グルマン』があったからこそ食べ歩きをはじめたわけだが……。

まさに、それまでの僕は、「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」状態だったことを思い知ったのである。


■三ツ星とはそのために旅行する価値のある料理

特に藤山が驚いたのは、格付けに関する評価である。簡単に、格付けをしていないのだ。本物の『ミシュランガイド』では、三ツ星をつけた理由として、ただ「おいしい」とか、「店の雰囲気やサービスがいい」ということばかりではなく、「そのために旅行する価値のある卓越した料理」と定めていた。

「ただ、食べるためにだけに旅行する価値がある?」

この言葉は、藤山をいたく刺激した。普通、旅行は観光地に行くのが目的で、食事は二の次だ。ところが『ミシュランガイド』の三ツ星レストランは、観光地などどうでもいい。お金と時間をかけて、そこで食事をするだけのためにその店に行っても惜しくないだけの価値があるというわけだ。

「だったら、行って食べるしかない!」

その頃、学生でありながら、東京のフランス料理店をほとんど食べ尽くしていた藤山にとって、パリのエッフェル塔にも、世界のルーブル美術館にも、一大観光地モン・サン・ミッシェルにも寄らずに、ただただ「それを食べるためにだけ、フランスに行く」価値がある料理って、いったいどんな味なのか、どうしても知りたかったのだ。

そこで、僕は、無謀にも、三ツ星レストランの中でも、1933年、『ミシュランガイド』三ツ星レストラン誕生の時からの三ツ星であった「ラ・トゥール・ダルジャン」(現在は一ツ星)に行くことを勝手に決め、日本から予約を入れたのであった。

その後、山本氏にパリで会ったのは、当時、山本氏は「食べ歩き」の先駆者であり、フランス料理の話をともに語れる人が、僕の身近にあまりいなかったからであった。特に、「ラ・トゥール・ダルジャン」に行ってきたあとの僕は、その報告も兼ねて、無性にその話をしたかったのだった。

実際、藤山がはじめてミシュランを読んだ84年の『ミシュランガイド』は、現在とは異なり、本国フランスを中心にヨーロッパ内のレストランを対象としており、ヨーロッパ全体でも三ツ星レストランは、わずか25軒しか存在していなかった。その内訳も、フランス18、ベルギー3、ドイツ3、イギリス1で、なんとイタリアには1軒も三ツ星レストランがなかった

僕は、その中の1軒「ラ・トゥール・ダルジャン」で料理を食べる、ただそれだけのためだけに、若き藤山は、パリへ旅立ったのであったと書きたいが、正直に言えば、凱旋門やエッフェル塔やノートルダム寺院などの観光や、まだシャンゼリゼ通りではなかったルイ・ヴィトン本店やエルメス本店もしっかり訪問している。

たしか、あのパリというより、世界を代表する最高級ホテル「リッツ・パリ」の裏通りであるカンボン通りにあった「ファミリーオテル」というこの近辺では格安でかつ、『ミシュランガイド』に掲載されていた家族経営の小ホテルに連泊した記憶がある。


■酒が飲めないのに思わずワインを注文!


「ラ・トゥール・ダルジャン」は、パリいや、世界を代表する最高級レストランだ。

この「ラ・トゥール・ダルジャン」については、あとでくわしく書くが、ともあれ、藤山の記念すべき「三ツ星食べ歩き」は、この「ラ・トゥール・ダルジャン」からはじまった。

いやぁ、入って見て驚いた。エントランスの通路は45度に曲がっていて、長い通路の先には、タキシード姿の背の高いレセプショニストが日本の学生、藤山を丁重に出迎えてくれた。

いかにも、パリの社交場だ。店内の豪華さはもちろんだが、1階エレベーター横にこの店を訪れた世界の著名人たちの記念写真やサインが飾られてあった。

元英国首相チャーチル、元アメリカ大統領アイゼンハワー、ベトナムの初代首相ホー・チ・ミンも来店していた。

その中でも、一番いい場所に3枚、昭和天皇(裕仁)ご夫妻当時の皇太子(今上天皇明仁)ご夫妻英国のエリザベス女王とエディンバラ公ご夫妻の記念写真があった。日本のエンペラーの訪問を、前オーナーの名物男・故・クロード・テライユ氏が誇りに思っていたにちがいない。

さらに、この店ですごいのは、世界一のワインリストだった。

まるで、分厚い百科事典のようなワインリストが専用の台に置かれている。あまりに厚く、重いので、手で持って読むのは至難の業で、リストを読むための専用の台が用意されている。

こんな店は世界で唯一だろう。年代物のロマネ・コンティからペトリュスなどの最高級ワインはもちろん、良質廉価の知る人ぞ知るワインまで年代別に満遍なくリストに載っていた。

当時でも100万円以上のワインがたくさん記載されていたのもはっきりと覚えている。1万円以下のワインも充実していたのがまたすごい。まさに満遍ないワインリストだ。

その後、この店を合計4回訪問した経験から、あらゆる三ツ星や二ツ星、その他最高級レストランのワインリストを拝見したが、ここ以上のワインリストは存在しないと、自信を持って断言できる。

日本のレストランのワインリスト? 残念ながら、とても勝負にならないと思う。これは致し方ない。

その時、うかつにも藤山は、

「この店では、ワインを飲まないと失礼にあたるのではないか」と思ってしまったのだ。きっと、それだけの歴史を感じさせるワインリストに圧倒されてしまったのかもしれない。

そのため、席に案内され、メニューを見せられた時、この店の名物料理である「仔鴨のトゥール・ダルジャン風(キャヌトン・トゥール・ダルジャン)」とともに、「値段が手ごろのハーフボトル」の赤ワインをオーダーした。

 言っておくが、僕の肉体は、体質的に酒類を受けつけない。こればかりはしかたがない。だが、この店はそんな僕にも「飲まないのは、失礼だよ」と言わんばかりのゴージャスな雰囲気があった。

 おいしい仔鴨には、それにあった上等なワイン……さすがの藤山も、世界の三ツ星に完全に飲み込まれた


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トゥール・ダルジャンのメニュー(本物)。滅多にお目にかかれない逸品


■レストラン創業以来、初めて吐き気をもよおした男?


ワインがテーブルの上で、封が切られ、コルクの栓が抜かれると、テイスティングのために、グラスに少し注がれた。酒の飲めない僕でも、礼儀はわきまえている。唇を浸すようにして、少し口に含み、うなずいてみせた。

すると、ウエイターはトクトクと、ワイングラスに注いだ。

その時のワインの赤さに、藤山は、底知れぬ恐ろしい予感がした。


やがて、前菜に続いて、メインの「仔鴨のトゥール・ダルジャン風」がテーブルに乗せられた。

これが、この店の名物料理。まさにスペシャリテ

しっかりとした味付けされた柔らかな鴨の肉から、噛めば噛むほど、深い味の肉汁が舌の上からしとしとと喉に転がるようにして流れていく。鴨肉独特の風味があとを追う。どこまで噛めば、肉汁がなくなるのだろうかと思うほど、舌の上で肉と肉汁が踊っていた

そこへ、ワインが流れ込む。やや渋めのワインは、いったん肉汁を流しさり、再び、僕の舌をさらなる新たな味の舞台に変える。再び、仔鴨の肉を舌の上で踊らせるか、もう一度ワインの流れにまかせるか……。

本来なら、大満足のはずであった。

だが、当時の僕には、この仔鴨の血をつなぎに使ったソースが、残念ながら、重く感じた。創業1582年、400年超えの歴史を食べるという感じなのだ。そのうえ、体質的に向かないワインを口にしたものだから、初三ツ星店の緊張もあって、あろうことか、吐き気を催してしまったのだ

思わず、ナプキンを口に。

いや、まさか、ここで吐くわけにはいかない。何気なく、唇のまわりを拭ふく仕草で、あたりをうかがった。誰も気づいていない。みんな、おいしそうに食べている。

水を少し飲んで、耐えた。「落ち着け、落ち着け」

私は自分に言い聞かせた。はじめての三ツ星でのこのありさま。人には決して気づかせないようにはしたものの、一瞬でも吐き気をもよおしたのは慙愧(ざんき)に堪えない

これはのちの貴重な体験になった。

なぜなら、それから今日まで、藤山は、たとえ三ツ星レストランであろうとも、ワインをはじめ、酒類は一切飲まないことにしたからである。サービスのグラス・シャンパーニュなどで、ひと口は礼儀として口をつけることはあるが。

これは、同じ「忘れない味」でも、超恥ずかしい思い出である。

藤山 純二郎(ふじやま じゅんじろう)
会社員/料理評論家
東京出身。幼稚舎、普通部、高校、大学と慶應義塾で学ぶ。
祖父は日本商工会議所会頭や初代日本航空会長も務め、岸信介内閣の外相で大活躍した藤山愛一郎。純二郎は普通のサラリーマン。
料理評論家の山本益博の薫陶を受け、89年から『ミシュランガイド』(ミシュラン社)を片手に現在まで28年間、世界の三ツ星レストランを食べ歩き、全119店中、114店を制覇(2017年9月現在)。現在も、会社に長期休暇をとっては、三ツ星の美食を「胃袋に」収める。執筆は、91年『東京ポケット・グルメ〈1992-93年版〉』(文藝春秋)、95年から『東京食べる地図』(昭文社)、『ダイブル−−−−山本益博の東京横浜近郊たべあるき』(昭文社)を95年版から01年版まで記者として参加。

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