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【医療ミステリー】裏切りのメス―第13回―

【前回までのあらすじ】
 医療コンサルタント・下川享をリーダーとする病院再建屋集団「チーム小倉」は、最初のターゲットである「安井会グループ」の調査を開始。バブル期に急成長した安井会グループは、現在、拡大路線の付けがたたり、急速に経営が悪化している事実を突き止めた。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<影のスポンサー>

 2013年3月30日土曜日、私のマンションにチーム小倉のメンバー4人が集まった。すでにWeb会議でモニターを通して、みんな顔見知りにはなっていたが、私を除いた3人が互いに生の姿を目にするのは初めてだった。いまは小倉明俊になりすましている天才外科医、吉元竜馬は吉元の面影を少しでも消すために、この3ヵ月間ひげを伸ばしていた。口ひげと短いあごひげを組み合わせたゴーティスタイルは、繊細な彼の顔をたくましく変身させていた。

 看護師の佐久間君代は上から下までプラダで決めていた。チェック柄のコートを脱ぐと、ダークグレーのシルクのドレスが現れた。普段のボーイッシュな雰囲気とはまったく違う。「僕とデートするときはいつもジーンズ姿なのに」と茶化すと、「私の一張羅よ」と笑った。

 昨日までに事務長の引き継ぎ業務をすべて終えた蒔田直也はやや疲れた表情を見せながらも、「下川さん、みなさん、耳寄りの情報を持ってきました」と武者震いを隠しきれない様子で話し始めた。

「ターゲットの安井会グループですが、想像以上にヤバそうです」

 いつ飛んでもおかしくない状況にあるというのだ。まさにこちらが介入する絶好の機会が訪れているというのが蒔田の見解だった。

「安井会グループを支援する影のスポンサーのひとつに、北関東でパチンコ店を展開するスギモトホールがあるんですが、昨年暮れ、関係を断ったというんです。それで一気に資金繰りが悪化したと」

 東京進出の際の過剰投資、取引銀行の貸し渋りや貸し剥がしなどが重なって、苦しい運営を強いられていた安井会グループだったが、それでも何とか持ちこたえてきたのは、表に名前の出てこないスポンサーの存在があったからだ。蒔田の説明を聞いて、これまで不思議に思っていたこともすべて合点がいった。

 安井会グループを創設した安井芳次と、スギモトホールのオーナー杉本甚太郎は小学校と中学の同級生だった。安井の成績は小中を通して常に二番手を大きく引き離すトップ。神童と呼ばれた。一方、杉本は中学2年のころには地元の愚連隊に入り、恐喝を繰り返す札つきのワルになっていた。

 学生時代、両極端の2人が交差する場面はほとんどなかったが、安井は一度だけ杉本に助けられたことがある。中学3年のとき、近所の小さな書店には置いていない英英辞典を探しに繁華街を訪れると、他校の生徒たち数人に囲まれ、因縁を吹っかけられた。そこにたまたま通りかかった杉本が、瞬殺で全員を殴り倒してしまったのだ。杉本は高校には進まなかったので、中学卒業後、彼らが顔を合わすことはなくなった。

 2人が再会を果たすのはそれから10年後。安井は医学部を卒業し、大学病院で研修医となって2年目のときだった。当直を務めていると、午前0時をまわったころ、杉本が駆け込んできたのだ。安井がこの病院にいることを知って訪ねてきたのは間違いなかった。救急入口に立っていたガードマンに「安井医師を呼んでくれ」と言って、病院に入ってきたという。

 杉本は頭から血を流していた。かなりの量だ。安井が脳神経外科の救急医を呼ぼうとすると、杉本が「大したことはない。オマエに会いにきただけだから」と押しとどめた。パチンコ店の出店を目指し土地を物色していたら、地回りと揉めて袋叩きにあったという。「ただ、オレも反撃に出て、そのうちのひとりを半殺しの目に遭わせてやったがね」と杉本は気負いもせずに話した。

 たしかに傷は浅そうだった。頭皮には血管が集中しているので、ちょっとした傷でも大量の血が流れることがある。安井は念のため、朝になって通常の診療が始まったら、脳の検査を受けるように勧めたが、杉本が再び病院に来ることはなかった。

 その後、杉本はパチンコ店を毎年1店舗ずつ増やし、北関東で五本の指に入るホール経営者になっていた。同時期、安井も病院経営者として頭角を現していたが、大学病院の救急での出会い以来、この成功者2人が連絡を取り合うことはなかった。

<安井と杉本の結託>

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 十数年がたち、日本列島はバブル景気に沸いていた。安井が15床の有床診療所に続き、120床の病院を出したころだった。杉本から会いたいと電話がかかってきた。訝(いぶか)しさを感じながらも、懐かしさがまさった。

 安井は杉本が指定するホテルのスイートルームを訪ねた。20畳を超える会議室の真ん中に大きなマホガニーのテーブルが置かれていた。このだだっ広い部屋にいるのは安井と杉本2人だけだった。杉本は「病院をつくってもらいたい」と切り出した。

 話はこうだった。スギモトホールの最大のライバルであるパチンコチェーンが群馬県の地方都市の駅前で出店を画策している。この計画を何としても阻止したい。ついては、近隣に診療所か病院を開設してほしいというのだ。風営法と各都道府県の条例によって、一定の距離以内に病院があれば、パチンコ店の出店はできない。すでに、杉本はパチンコ店の出店予定地から50mの場所に病院建設用の土地を用意しているという。

 この話に、安井は乗ることにした。病院建設費用まで相手が用立ててくれるという願ってもない申し出だった。杉本はとにかく急いでいた。相手が出店の認可を受ける前に、開設許可の届出を済ませてしまいたい。安井は杉本の要望に従い、1週間で必要な書類をすべて用意し、保健所など関係各所に提出。それからわずか4ヵ月後には300床の病院が完成した。

 ここまで自身が得た情報を微に入り細に入り説明してきた蒔田直也がふっと息をついた。コーヒーでのどを潤すと、再び話を続けた。

「そのころの杉本は自身でもその額がわからないほど稼いでいました。マルサにも狙われたようで、実際、一度、自宅や関係各所に強制捜索が入ったこともある。それまで、銀行に置いていたらばれると、現金をいろいろなところに隠していたんです。事前に強制捜索の情報が入ったので、当日は知り合いの長距離トラックの中にジュラルミンケースを20個以上も隠し、遠出をさせた。捜索差押令状の効力は1日しかない。結局、目ぼしいものは出ず、事なきを得たものの、怖くなった杉本はカネを手元に置かず、どんどん使う方針に変えたんです」

 スギモトホールがバックにつくようになって、安井会グループの資金繰りは一気に楽になった。自己資本比率が上がり、銀行からの融資も有利な条件で受けられるようになったのだ。そのおかげで安井会は7施設を傘下に収め、北関東で主要病院グループのひとつに数えられるようになった。

「もしものときには杉本の潤沢な隠し金があるので、安井会グループは手形の期日を心配するような必要もなくなった。ところが、その頼みの綱のスギモトホールの業績が2005年ころから下がり始める。そこに2008年のリーマンショックによる銀行の貸し渋りが重なり、安井会の未来に暗雲が立ち込めるのです」

<土俵際に追いやられた安井会グループ>

 当局によるたび重なる規制でパチンコの射幸性は急速に失われ、業界全体の客数はピークの3分の1以下にまで減少。2010年以降は倒産ラッシュが続き、スギモトホールも店舗数を4割減らすなど、大幅な縮小を余儀なくされていた。安井会グループの影のスポンサーどころではなくなっていたのだ。

「義侠心の強い杉本は同級生にみっともない姿は見せられないと、最後まで踏みとどまろうとしたようなんですが、企業としては支援打ち切りを決めるしかなかった。ただ、杉本が個人で貸している分については、返済を求めるようなことはしなかった。杉本から依頼されて群馬県に開設した300床の病院の土地建物は彼個人の名義になっていて、安井会は相場の10分の1程度の賃借料を払ってきたのですが、引き続き同じ条件でかまわないということになったようです」

 銀行だけでなく、スギモトホールからも資金調達ができなくなったという事実は、安井会グループの命運が尽きようとしていると言っても大げさではなかった。現実問題として、5月のゴールデンウィーク明けに期日が来る手形が落とせるかどうかも怪しくなっているのだ。

「向こうからすれば、もう待ったなしの段階に入っている。すぐに安井芳次と会う手筈を整えたほうがよいかと思われます」

 蒔田の言葉を聞いて、その場で安井のゴルフ仲間の開業医に電話を入れた。「こちらで融資ができるかもしれないので、安井さんと連絡をとってほしい」と伝えると、その10分後に私の携帯が鳴った。安井本人からだった。

「ぜひ、お会いしたい」

 息を切らしたような声で、安井が言った。相当あせっている様子が手に取るようにわかった。この勝負はもらったと、私は確信した。
(つづく)

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