裏切りのメス_イメージgazou

【医療ミステリー】 裏切りのメス─第1回─

 「病院再建屋」を自称する下川亨。彼と仲間のグループは、日本有数の病院チェーンの乗っ取りに成功する。だが、それから間もなく厄災が次々降りかかり、やがて仲間が不審死を遂げる……。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
■田中幾太郎/ジャーナリスト

1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<プロローグ>

 しがないルポライターの俺が下川亨と出会ったのは4年前の夏のことだ。病院乗っ取り屋の新興勢力として、彼の名前が医療界や反社会的勢力の間でちらほらと知られ始めていたころだった。

 病院乗っ取り屋が世間でさかんに取り沙汰されるようになったのは、いまから30年ほど前。その最大組織Nグループが登場してからだ。資金繰りに苦しむ病院に融資をエサに近づき、実質的に経営権を握ると手形を乱発。短期間に病院を食い尽くし、閉鎖に追い込んでしまう荒っぽいヤリ口で、みるみる頭角を現した。実態は乗っ取り屋というよりは病院潰し屋である。その後、Nの方式を真似たYやSといったグループが誕生し、3大乗っ取り屋と称されるようになった。

 一方、同じ病院乗っ取り屋でも、下川のやり方はまるで違った。苦境にある病院に入り込み経営権を奪う。そこまでは一緒だが、そのあとは時間をかけて儲けが出る病院に生まれ変わらせるのだ。そうして再建した病院を自ら運営したり、他の医療法人に高値で売却するのである。

 3大乗っ取り屋のいずれもバックに反社会的勢力がついていたが、下川にはそうした背景はなかった。メシのタネをかっさらう下川は、反社会的勢力にとって目障りな存在になりつつあった。ちょうどそのころ、雑誌社から病院乗っ取りの取材を依頼された俺はとりあえず、この男と会ってみることにした。

 帝国ホテルのロビーラウンジに姿を現した下川は、想像していたイメージとはだいぶ違った。からだ全体からどことなく育ちの良さが滲み出ている。乱暴な喋り方をしながらも、下品さはなく、理知的で医学にも精通している様子だった。その物腰からは、医療界から忌み嫌われる存在だとはとても思えなかった。

 下川もそうだが、病院乗っ取り屋の多くは医療コンサルタントを名乗り、見た目も紳士然としている。でなければ、カモとなる医師に近づいて味方だと勘違いさせることはできない。しかし、こうした連中はどこか卑しさや粗暴さを持ち合わせているのだ。医師をだましていく過程で、その本性をあらわにすることになるのだが、下川の立ち居振る舞いを見ていると、そうした裏の顔があるとは信じられなかった。

 そもそも、犯罪者集団である病院乗っ取り屋がメディアの取材などにまともに対応するはずがないのだ。ところが、下川はこちらの申し出に快く応じてくれたのである。自分はこれまでの乗っ取り屋とは違うという気概と自信があるようだった。とはいえ、下川がアンダーグラウンドの人間であることには変わりはなかった。アポイントをとるために、怪しげな伝手(つて)をいろいろ頼って、やっとその連絡先を手に入れたのだった。会ってまず、なぜ、馬の骨ともわからないライターと会う気になったのかとたずねた。

「君が私のことをよく調べて、理解してくれているようだったから」

 下川の携帯にアポどりの連絡を入れた際、これまでの乗っ取り屋とはまったく違う再建屋としての面を描きたいと伝えてあったのだ。とりあえず、俺は下川の信用を得たようだった。取材には全面的に協力してくれ、その後も定期的に会って情報交換するようになった。最初のうちはホテルのラウンジを使っていたが、気心が知れてくると、新宿3丁目の雑居ビルの地下にあるバーで深夜に落ち合うようになった。終電がなくなる時間帯になると客もまばらで、ディープな話をするにはうってつけの場所だった。

「あいつら腐っている」

 下川の口ぐせだった。「あいつら」とは病院経営者、医薬品メーカー・卸の幹部、厚生労働省の官僚、族議員など、医療界を食い尽くす輩たちのことである。実名を挙げながら、下川は興味深い事実をいろいろ教えてくれた。彼のところには医療にまつわるさまざまな情報が集まっていた。そのおこぼれにあずかりながら、俺はいくつかのスキャンダル記事を書き、小遣い銭を稼いだ。

 数週間前のことだった。下川から呼び出され、いつものバーを訪れると、数冊のノートを渡された。自身で書きためた手記だという。心なしか、下川の顔は青ざめていた。

「君の好きなように使っていい」

 真意がどこにあるのか、測りかねていた。いずれにしても、机の奥にずっとしまっておけという意味ではないだろう。きっと、下川はこれを白日の下にさらしたいのだ──。そう理解した俺は彼の手記をそのまま公表することに決めた。以下はその全文である。

<下川亨の手記>

 のちに相棒となる吉元竜馬と初めて会ったのは8年前、東京拘置所の中だった。私はその時、詐欺罪で起訴され、裁判を待つ身だった。当時はまだ、開業医を相手に節税や相続対策などを指南する冴えない医療コンサルタントにすぎなかった。刑事告訴したのは、東京多摩地域の山間部の町で診療所を開業していた70代後半の医師の一人息子だった。

 その息子は医学部には進まず、会社勤めをしていた。後継者がいない医師は診療所をどう処分すればいいか、私のところに相談に訪れたのだ。向こうからやってきたというより、こちらから食い込んだというほうが正しいだろう。経営問題を抱えていそうな診療所に片っ端から電話をかけ、何か困ったことがあれば連絡してほしいと営業をかけていたのだ。その網に引っかかったのがこの老医師だった。

 ただ、やっかいなことにこの医師は認知症が始まっていた。私もまだそのころは、あまりあこぎな商売をする気はなかった。ましてや認知症の高齢者をだますなど、考えてもいなかった。汚れた世界にどっぷりつかってしまったいまだって、精神はそこまで落ちぶれていないつもりである。

 老医師の症状は「まだら認知症」と呼ばれるもので、物事をしっかり認識できる時と、やりとりをほとんど覚えていないときがあった。その波は不規則で、症状がいつ現れるのかは決まっていなかった。私はなるべく、相手の頭が働いていると思えるときだけビジネスの話をするように心がけた。

 どちらにしても、この状態で医師を続けるのは早晩、無理な話だった。症状が重い患者は少し離れた市立病院にまわすので問題ないとしても、風邪程度の病気でも、処方する薬を間違えれば大ごとになりかねない。老医師をなんとか説得して閉院させることにした。代わりの医師を連れてきて営業を続けさせようかとも思ったが、片田舎の診療所に来てくれそうな人材を見つけ出すのは至難のわざだった。

 閉院に向けた準備を進めると、とんでもない事実に直面した。薬の在庫が大量にあることが判明したのだ。老医師が認知症を発症したことを知って、医薬品卸業者が次々に納品したのである。業者は数社に及び、老医師は短期間に相手から言われるがままに何十枚もの手形を切っていた。薬の在庫は10年かかっても使い切れないような量だった。

 私は業者と掛け合い、薬を引き取らせ、支払い額を大幅に減らさせた。しかし、すでに手形の一部は反社会的勢力のフロント企業にまで流れていた。その支払いを免れるには相当な労力と時間を費やさなければならないと覚悟した。

<天才外科医との出会い>

 どう処理するべきか、いろいろシミュレーションして解決策を模索していたが、そうした時間は長くは続かなかった。老医師が心筋梗塞で急死したからだ。言い方は悪いが、遺族にとっては不幸中の幸いだった。債務は数千万円にも膨らんでいた。一方、資産といえば、診療所兼自宅の土地建物だが、債務額には到底、及ばなかった。診療所を残したいと思うのなら別だが、相続放棄が最善の策であるのは明らかだった。相続人である一人息子も私のアドバイスに従い、その通りにした。

 ところが、こともあろうにこの息子が私を詐欺で刑事告訴してきたのだ。「認知症の父から金品をだまし取った」というのである。たしかに、私は老医師からコンサルタント料として報酬を受け取っていた。だが、決して法外な額ではないし、客観的にも正当な報酬である。しかも、医師の意識がしっかりしている時に取り決めたもので、断じてだまし取るような行為ではないのだ。

 この案件で起訴に踏み切った検察もどうかと思う。起訴されれば有罪率99・9%と言われる日本の司法だが、さすがに私が有罪になることはなかった。一人息子は刑事だけでなく民事でも訴えを起こしていたが、負ける要素はなく、こちらの全面勝利で終結した。

 落ち度はないのに、無駄なエネルギーを使った上に、保釈までの短い期間だったとはいえ、塀の中でくさいメシを食わせられる羽目になるとはひどい話だ。「くさいメシ」とはちょっと言いすぎかもしれない。米7押し麦3の麦飯は独特のにおいがあるものの、けっこうおいしかった。何より、拘置所に入れられたおかげで、大きなメリットがもたらされた。吉元竜馬との出会いである。

 それは戸外運動の時間だった。拘置所の屋上にあるテニスコートほどの運動場には、吹きさらしの冷たい風が吹いていた。少しでもからだを温めようとランニングを始めたら、運動場の隅っこで体育座りをして丸くなっている吉元を見つけたのだ。当時、彼はまだ30代後半にさしかかったころ。顔を見てすぐに、少し前から天才脳外科医として注目を集めだした吉元だとわかった。

 それにしてもなぜ、こんなところにいるのだろうか。訝しく思いながら、私は吉元に声をかけた。


(つづく)

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