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【医療ミステリー】裏切りのメス―第26回―

【前回までのあらすじ】
「安井会グループ」安井芳次理事長を襲撃した実行犯が、真相を語り始める。予想通り背後には鈴与組が関与していたが、どうやら内部分裂による、組のナンバー2・木村恭二郎の暴走が原因だった。木村は逮捕されたが、その舎弟・尾方肇は行方をくらませた。「チーム小倉」のリーダー・下川亨が一抹の不安を覚える中、チームの吉元竜馬が成り代わっている東京・山谷の身元不明の遺体に関する情報が入った。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<山谷の遺体>

 東京・山谷のドヤ街で亡くなった身元不明の遺体について、新たな事実がもたらされたのは、その死から1ヵ月半がたった2013年5月中旬のことである。情報をくれたのは警視庁の多摩地域にある所轄署に勤める友部隆一というベテラン刑事だった。

 最初に顔を合わせたのは1年半近く前。所轄署の取調室の中だった。私はいわれなき詐欺罪で刑事告訴され、逮捕されたのだ。「申し訳ないね」と友部は繰り返した。容疑者を籠絡させようとして言っているのだろうと警戒したが、そうではなかった。

「明らかに言いがかりだし、こんなことで有罪になるわけないんだが、被害者と称する奴から刑事告訴が出されてしまったからね。まあ、適当にこちらの話につきあってよ」

 友部は私のことを心底、気の毒がっていたのだ。刑事告訴したのは、私が医療コンサルタントとして手助けした開業医の息子だった。認知症となった父からカネをだまし取ったというのだが、私が受け取ったのは適正な額のコンサルタント料であり、文句をつけられる筋合いなど、どこにもなかった。ところが、所轄署の上層部の判断で、私は逮捕されてしまったのだ。友部はどうせ起訴できるわけないと、たかをくくっていたのか、私の話を相槌を打ちながら聞いて、通り一遍の供述調書をつくった。

 だが結局、社会常識が欠落している小太りでオタク感丸出しの検察官によって、私は起訴された。東京拘置所に送られることになったが、結果的に私に大きなチャンスを与えた。現在、小倉明俊になりすましている天才外科医、吉元竜馬との出会いである。このことがチーム小倉の結成につながったのだから、私にとっては僥倖というほかなかった。

 私が拘束されていたのは留置場と拘置所を合わせ50日間にすぎない。保釈が認められ、その後、二度と塀の中に戻ることはなかった。ごく当たり前に無罪を勝ち取り、控訴されることもなかったからだ。そして無罪確定後、友部刑事が謝りたいと言って、私のマンションに菓子折りを持って訪ねてきた。律儀な人物だった。以来、ときどき、携帯で連絡を取り合う仲になった。

「3月末に山谷で亡くなった人はもしかしたら、私が生まれた東北の片田舎に住んでいた叔父かもしれないので、何かわかったら教えてほしい」

 こう頼んだのが1ヵ月ほど前だった。なぜ、多摩地域にいる友部刑事に山谷の身元不明遺体のことを聞こうとしたのか。桜田門の警視庁本部で身元不明の情報を扱っている担当者が警察学校の同期だったと、友部が話していたのを思い出したのだ。

「都内では毎年、約100体もの身元不明遺体が出てくる。その多くが引き取り手がなく無縁仏になってしまうのだそうだ」

 そのときは、私もフーンとあまり興味なそうに聞いていた。それにしても今回、私のあやふやな頼みを友部はよく引き受けたものだ。ゆくえ知れずの叔父がいるのは本当だったが、あとはまるっきりの嘘だった。亡くなったのはかつて関西の病院に勤めていた医師の小倉明俊である。小倉の死を知っているのは私以外では、吉元竜馬だけだ。私が伝えたのである。

 小倉は42歳だったが、長年のアルコール依存症と路上生活を繰り返していたせいで70歳近くに見えた。だからこそ、亡くなっても人物が特定されず、身元不明遺体として処理されていたのだ。警察は事件性がないと考えているようだった。もし、遺体が小倉だとわかってしまえば、私たちがいま進めている病院プロジェクトはいとも簡単に破綻してしまうだろう。このまま、小倉の遺体が身元不明であり続けることが私たちの安全を保証するものなのだ。

 なるべくアンタッチャブルにしておいたほうがいいとわかっているのに、蒸し返すように友部刑事に確認を依頼したのはその後、警察がどう判断しているかを知りたかったからだ。特に、遺体の指紋が気になって仕方がなかった。逮捕歴のある小倉は警察に指紋をとられている。照合すれば、遺体と小倉が結びついてしまうのだ。

 小倉が亡くなった翌日に地元の警察署で遺体を確認した事実は、友部刑事には伏せておいた。それを知れば、なぜ自分に頼むのかと不審がるだろう。念のため、友部にはメールで「失踪からずいぶんたつので、これしかなかった」と叔父の20年前の写真を送っておいた。もちろん、遺体とは別人だったという答えしかありえないのだが……。

 いつもは携帯でのやり取りだが、今回は友部と久々に会うことになった。ホテルのバーラウンジでウイスキーの水割りを傾けながらとも思ったが、友部のほうが断った。

「都内のホテルだと、誰が出入りしたか、警察がけっこうチェックしている。前と同じように下川さんのマンションがありがたい」

 ここのところ、埼玉県北部の安井会中央病院近くの月極マンションと、都内のマンションを行ったり来たりする生活が続いている。2週間前に佐久間君代と結婚してからは、都内のマンションは2人の密会場所になっていた。夫婦なのに密会とはちょっと変な気もするが、チーム小倉の吉元や蒔田直也に結婚したことを知られたくないので仕方ない。

 ただ、今日は佐久間には遠慮してもらった。ひとりで都内のマンションに行くのは、結婚後は初めてだ。そんなことで、別の女性と会っているなどとは思わないだろう。佐久間はさばさばしていて、相手の挙動にいちいち注意を向けたりはしない。のろけるわけではないが、私を誰より信頼してくれている。

<削り取られた指紋>

 約束の午後7時きっかりに、友部がやってきた。顔を合わすのは8ヵ月ぶりだ。銀座久兵衛のにぎりの折詰をみやげに持ってきた。となると、こちらもとびきりの酒を出すしかない。三重の造り酒屋が醸造している而今(じこん)の純米吟醸を饗することにした。芳醇ながら、すっきりとしていて、寿司のような食材ひとつひとつを味わいたいときに向いている酒だ。料理を邪魔する出しゃばる真似はしないが、気がついたら喉に余韻が残り、しっかり自己主張しているのだ。

 折詰であっても、さすがに久兵衛の寿司は美味い。つまんでいるうちに酒も進んだ。最初はそれぞれの近況を話した。友部は現在、私より7歳上の53歳。からだが少々きつくなってきたので、刑事課から地域課に移してもらうことも考えているという。私のほうは、病院チェーンを運営する側にまわり、反社会的勢力ともやり合っていることを話した。

 気づくと、一升瓶は3分の2以上、減っていた。完全に酔いがまわる前に本題に入らなければならない。私は「例の身元不明遺体、どうでした」と切りだした。

「残念ながら、下川さんの叔父さんではなかったよ」

 それはそうだろう。真相をさとられないように「ありがとうございます。叔父はまだどこかで生きているのでしょう」と私はとりつくろった。

「でも、あの遺体については、ちょっと興味深いことが出てきた。指紋がないのだそうだ」

「どういうことですか」

「サンドペーパーか何かで削り取られたのではないかと見ている。もし本当にそうだとしたら、病死ではなく、犯罪の可能性が出てくる。亡くなったのが誰か特定されたら、まずい人間がいるということだ」

「指紋がすり減って、なくなっていた可能性はないのですか」

「それはまずない。指の皮がかなりすり減ったり、剥ければ、一時的に指紋はなくなることはあるが、時間がたてば再生される。火傷とか、指の皮がよほど深く傷つけられれば、元に戻らないケースもないわけではないが、今回の場合は考えにくい」

 指紋にはいくつかの特性がある。まず、世界中の誰を探しても、同じ指紋は存在しない。DNAが同じ一卵性双生児同士でも異なるのだ。2番目の特性として、生まれ持った指紋は一生、変わらない。成長につれて指紋は大きくなっていくが、紋様はずっと一緒だ。3番目は、友部が述べたように、指紋が傷ついても、時間が経過すれば、同じ紋様が再生されるという特性である。

「警察は死後に指紋が削り取られたのではないかと疑念を持っている。死の原因としては事故、ケンカ、殺人など、いくつか考えられる。ただ、そうした傷痕が残っていないだけに、もし殺されたとしても特殊な方法だろう。病死の場合でも、その人物が誰か、よほど知られたくなくて、指紋を削り取ったことになる。その場合、死体損壊に当たるかどうか微妙だが、いずれにしても犯罪のにおいがプンプンする」

 いっぺんに酔いが醒めてしまった。追い討ちをかけるように、友部は続けた。

「現在、警察は帳場(捜査本部)を立てるかどうかで迷っている。亡くなった人間が誰かすらわからないとなると、捜査はやっかいだ。結局、迷宮入りという公算も高い。そこでわざわざ犯罪を掘り起こして、ただでさえ忙しい捜査員を割くべきかどうか、微妙な決断を迫られている」

 私は動揺をさとられないように、うなづきながら友部の言葉を聞いていた。
(つづく)

※次回(第27回)は取材のため、1週空けて再来週の更新になりますので、よろしくお願いします(筆者)。

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