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【医療ミステリー】裏切りのメス―第47回―

【前回までのあらすじ】
尾方肇に事件時のアリバイを問い詰めたチーム小倉の面々。だが、理路整然と自らのアリバイを語る尾方に、疑いの余地がないように思えた。だが、リーダーの下川亨と同席した湯川利晴は用意してあったかのような尾方の語りっぷりに、逆に疑いを深めていった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<アリバイの信用性>

「ちょっとだけ、私の東京のマンションに寄っていきませんか」

 帰路を急ぐ湯本利晴を私は引きとめた。第3日曜日の今日は、本来なら佐久間君代と2人だけの時間を過ごすはずだった。尾方肇との面会の予定が入り、4年間守ってきた夫婦のルールを初めて破った。とはいえ、明日の朝までまだ10時間以上ある。夫婦の会話をもつには十分な時間が残されていたが、このまますぐに佐久間と2人だけになるのはしんどかった。

 気持ちがもやもやしていた。湯本も佐久間も同じだっただろう。結局、尾方の部屋に6時間もいたが、奴は尻尾をまったく出さなかった。あれだけ雄弁に語り続ければ、どこかにほころびが出そうなものだ。しかし、話をはぐらかすこともなく、アリバイの組み立てもほぼ完璧だった。だからこそ、かえって釈然としないのだ。

 湯本は明日の朝8時に、医療モールの建設業者との打ち合わせがあるという。内装工事はほぼ完了していたが、4月オープンに向け、最後のチェックをして、微調整する箇所を確認することになっていた。最近、顔色が土気がかっていて、検査を受けるように言ってあったが、その時間もなかなかつくれないようだった。亡くなった蒔田直也と白木みさおの抜けた穴はあまりに大きく、そのしわ寄せが一気に押し寄せている。湯本は「1時間だけなら」と、私の部屋に寄ることを承諾した。

 埼玉県北部の安井中央病院近くのマンションには、チーム小倉が借りている全メンバーの部屋があり、私のところに湯本も何度か寄ったことがあるが、都内のマンションは初めてだった。湯本に酒を勧めようとすると、「尾方のところで十分、飲んだし、二日酔いになるとまずいので」と言うので、エスプレッソコーヒーを入れることにした。

 普段、私が好んで飲むのはエチオピア産のアラビカ種だが、今日はベトナム産のロブスタ種を使った。アラビカ種より品質が落ちるとされるが、酔い覚ましにはこちらのほうが向いている。粗めに挽いたフレンチローストの豆から苦味がそのまま抽出されるのだ。

「尾方が喋ったこと、どう思いました?」

「うーん…」とうなったあと、湯本は「嘘をついているかどうかは別にして、出来すぎている感じが気に食わない」と言った。

「取り調べで流暢に語る奴ほど、嘘で塗り固めているケースが多かった。そういう場合、どこかに必ず、不自然な箇所があるものですが、尾方の話している内容に矛盾はまったくなかった。妙につじつまが合っていて、計算され尽くしていると感じたのです」

 そうなのだ。尾方の話は非の打ちどころがなさすぎたのである。

「もちろん、尾方の言っていることがすべて真実の可能性だって、ないわけじゃない。ただ、元刑事の勘として、尾方は嘘をついているとしか思えないのです」

「今後、どうしていけばいいですか」

「とりあえず、僕のほうで尾方のアリバイを調べてみます。もし突破口があるとしたら、尾方のホスト時代の仲間がやっている歌舞伎町のKという飲食店でしょう。ちょっと顔を出してみて、探りを入れてみます。いくら仲がいいといっても、ただ口裏を合わすだけのアリバイは崩しやすい。そのホスト仲間が嘘をついて、尾方を援護したからといって、それが罪に問われることはほとんどありません。勘違いしていたと言われれば、それまでです。しかし、法廷で証言すれば、偽証罪になる。そのへんをうまくにおわせて、ちょっと脅してやれば、案外簡単に前言をくつがえす奴が多いのです」

 湯本の言葉に少しだけ勇気づけられた気がした。隣で黙って聞いていた佐久間も表情をゆるめた。さすが、半年前まで現役の刑事だっただけのことはある。

「1週間ほど、時間をください。現職ならもっと強引に調べて、2日もあれば、おおよそのことはわかるのでしょうが、なにせ、いまは僕も一般人ですから。それと、新宿はホームグラウンドではないので、あまり無理ができません。埼玉の所轄署の元刑事が何やっているんだと、警視庁の奴らから怪しまれて、やっかいな事態を招いてもまずいですからね。目立たないように調べてみますよ」

 以前から感じていたことだが、湯本の言葉の端々から警視庁に対する敵愾心が見え隠れする。いつか、理由を聞こうと思っているが、いまだその機会に恵まれていない。いまはそれより、湯本のからだのほうが心配だ。蒔田と白木が抜けただけでもパニックなのに、湯本まで倒れるようなことがあったら、チーム小倉は完全に崩壊する。

「仕事のほうもたいへんなのに、そこまで湯本さんに任せていいのかな。くれぐれも無理はしないでください」

「明日、医療モールの工事をチェックして、大きな問題がなければ、スケジュールがだいぶ楽になるので、とりあえず歌舞伎町での尾方の足取りを追ってみますよ」

 こう言い残し、湯本は帰っていった。佐久間と2人きりになったが、ほとんど言葉を交わすことなく、ベッドに潜り込んだ。あまりに疲れていたのだ。翌朝、「5分もしないうちに、大きないびきをかいていたわよ」と佐久間から言われた。

<看護師体制の混乱>

 それから1週間後──。2017年2月26日(日)午後1時、湯本が私の部屋を訪ねてきた。この日は都心ではなく、湯本も住む安井中央病院近くのマンションである。亡くなった蒔田や白木の部屋も、まだ借りたままにしてある。チーム小倉の大切な仲間だというのに、まともな弔いすらできていない。

 今回、佐久間は立ち会わなかった。彼女も目まぐるしい忙しさなのだ。安井会グループ9病院すべての看護師体制を統括する立場であり、さらには安井中央病院看護部長として現場の責任も負っている。昨年9月、白木がチーム小倉のメンバーになってからは、グループ全体の統括を2人で分担するようになり、「だいぶ楽になった」と喜んでいたのだが、二頭体制はわずか5ヵ月足らずで終わった。

 今日も、日曜日だというのに、佐久間は千葉県の病院に行っていた。3年前までは看護師数が足りず、看護師同士のいじめも横行していたが、そのテコ入れに佐久間自身が乗り出し、改革に成功した病院だった。昨年秋からは白木に看護師体制の監督を任せ、特に問題も起きていなかった。ところが、白木が姿を見せなくなると、かつてお局のように傲慢な態度をとっていた元看護部長が再び、我が物顔に振る舞いだしたのである。

 改革に際し、佐久間はこの看護部長だった女性を副看護師長に降格させた。しばらくはなりをひそめていたが、白木が亡くなってわずか1ヵ月足らずの間に、若い看護師たちに横暴な態度をとり始めた。昨晩、その情報を受けた佐久間は今朝すぐに、千葉に向かったのだった。対策が少しでも遅れれば、看護師体制の崩壊につながりかねない。多くの病院が看護師不足に悩む中、働く側からすれば、嫌な思いをしてまでとどまっている理由がないのだ。

「佐久間は湯本さんの報告を聞きたがっていたのですが、急遽、仕事が入ってしまって、早朝から出かけてしまいました。ところで、尾方のアリバイはどうでした?」

 ほんのわずか、湯本の顔が曇ったように見えた。

「結論から言うと、尾方のアリバイは完全ではないにしても、ある程度は信用せざるをえない」と前置きして、湯本は調べた内容をこと細かに話した。

<ひらめき>

 新宿歌舞伎町の洋食居酒屋Kのオーナー兼店長は蒔田と白木が亡くなった1月21日(土)夜、尾方肇が妻のジャイー(尾方佳子)を連れ添って訪れたことを記憶していた。

「何時に来たかはよく覚えていないが、夫婦で顔を出したのは間違いないという。店がヒマで、3人でワインを何本も飲んだというのも、尾方の話と一致します。なぜ、この店長が口裏を合わせているようには見えなかったかというと、時間がきっちりしていなかったからです。尾方と示し合わせているとすれば、もう少し、時間帯をタイトにして話せるはず。そのへんはあまり絞れていないので、逆に嘘はついていないという印象でした」

「尾方自身は8時半くらいに来て、4時間ほど店にいたと話していましたが、何時くらいに店を出たのでしょうか」

「それもはっきりしない。ただ、店長は酒に強い自分としてはめずらしく、ひどく酔っ払ったので、4時間かどうかは別にして、かなり時間をかけて相当な量を飲んだのは間違いなさそうだと振り返っていました」

「そもそも、尾方とジャイーが来たのは1月21日で確かなんですか」

「未明からテレビでアメリカの大統領就任式をずっと見ていて、寝不足になってしまった。その晩、悪酔いした原因のひとつだと思うと語っていたから、日にちは合っていそうですね」

「ドナルド・トランプの就任式か。私もパレードを見たな。となると、日にちは崩せそうもないということか。ただ、店長が酔っ払いすぎている点は引っかかる」

 湯本もうなづいた。

「ウトウトしてしまって、カウンターに突っ伏していた時間帯があるのは店長も認めていました。それが数分だったのか、1時間を超えるのかは判然としない。本人はほんの数十秒だと思っているようでしたが」

「店長は尾方たちが店を出ていくのを確認しているのかな」

「そこはあいまいなんです。店長本人は見送りの言葉をかけたような、かけていないような……。気がついたら、会計のカネ5万円がカウンターに置いてあったそうです」

「となると、尾方が店に入ったのも、出たのも、時間が確定しないということですね。まさか、店長に医療用麻薬を盛っていたなんてことは……」

 湯本がハッとした顔をした。
(つづく)


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