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『負けるぐらいなら、嫌われる~ラグビー日本代表、小さきサムライの覚悟』(著/田中史朗) #ラグビー #W杯 #試し読み

 みなさんは4年前の“あの熱狂”を覚えているだろうか―
 2015年のラグビーW杯イングランド大会。W杯で予選突破の経験すらない日本代表が、過去2度の優勝を果たしている強豪・南アフリカ代表を破り、日本中を“ラグビーブーム”へと導いた。
 その立役者のひとりとして活躍した田中史朗が、大会後に出版したのが著書『負けるぐらないなら、嫌われる――』。必要とみれば、エディー・ジョーンズHC(当時)にも恐れず意見し、チームに喝を入れた。ときにリーチ・マイケルともぶつかった。あの奇跡の勝利の裏にあった葛藤、田中史朗の哲学、ラグビー界への提言…素朴ながら熱のこもった言葉でつづられる。

 今年のラグビーW杯では全勝で決勝ラウンドへ駒を進めた日本。もはや「奇跡」ではない。日本代表が強くなったのは必然だったのだ。
※本記事は予告なく、掲載を終了する場合がございます。

はじめに

 練習を終える円陣で、僕は激高した。
「なんで100パーセントの力でやらないんや!!」
 ワールドカップ前の2015年7月、スーパーラグビーでの戦いを終えてニュージーランドから戻ってきた僕は、パシフィック・ネーションズカップでアメリカとカナダを転戦していた日本代表に合流。
 3位・4位決定戦の対トンガ戦、その2日前の練習でのことだ。キャプテンのリーチ マイケル(東芝ブレイブルーパス)がニュージーランドのチーフスで実行していたコンタクト(体を強く当てるプレー)のセッションをみんなで行うことになっていた。
 コンタクトのセッションは、試合に出るメンバーと出ないメンバーとに分かれて行った。だが、試合に出る選手の中に、チームで一番小さい166センチの僕を押しのけられなかったり、逆に僕に押しのけられてしまう選手がいた。
 リーチや堀江翔太(パナソニック ワイルドナイツ)、マイケル・ブロードハースト(リコーブラックラムズ)は全力で向かってきたが、100パーセントの力でコンタクトしてこない選手がいたことに、強い憤(いきどお)りを感じた。
 僕が小さいから手加減したのか、2日後に迫る試合前のケガを恐れたのか、理由はわからない。でも、そんなことは関係ない。
 制止するリーチを振り切って、僕はそのまま数分間、円陣の中で怒りをぶちまけた。
 僕がスーパーラグビーで7月の決勝まで戦っていて、ずっと日本代表の合宿に参加していなかった分、僕の言葉が心に響く選手もいただろうし、逆にうっとうしいと思う選手もいただろう。
 でも、うっとうしいと思われようが、日本代表がワールドカップで勝てば日本のためになる。それを最優先に考えただけだ。
 正直、仲間に厳しく言い続けるのはつらい。
 でも、それは勝つためにはやらなければいけないことだ。
 また、勝つことも大事だが、選手たちが〝日本のために〟という気持ちをもっと強く持って戦わなければいけないと感じた。そのことを強く訴えたかった。
 だから僕は行動に出た。ごく当たり前の発言だ。
 チームのためだったら、いくらでもキツい言葉を投げよう。嫌われたって全然構わない。チームが負けてしまうぐらいなら、チームメイトを厳しく叱咤(しった)して、コーチともとことん言い合う。それで、嫌われてもしょうがない。
 もし仲間外れになっても、浮いてしまっても、チームが強くなれば本望だ。
〝負けるぐらいなら、嫌われる〟
 本書のタイトルにはそういう意味を込めた。
 2015年のワールドカップを戦った日本代表の僕らは、日本のためにすべてを犠牲にして戦ってきた。2019年の日本大会を前に、もう後がなかった。そしてみんな必死に鍛錬して、強くなった。
 チームが強くなるためには、チームメイトに遠慮なんていらない。スーパーラグビーで得た経験を生かして、僕はジャパンのメンバーに厳しいことを言ってきた。嫌な思いをした選手もいただろう。でも、結果として格段に強くなったし、厳しい言葉をかけてきたことで少しは強化に貢献できたと思っている。
 2015年のラグビーワールドカップ以前と以後では、日本のラグビーや僕ら選手を取り巻く環境は、ガラッと変わった。メディアでは連日のようにラグビーが取り上げられるようになったし、トップリーグの報道もかつてとは比べものにならないほど増えた。
 その流れで、僕もたくさんのテレビ番組やイベントに出演して、ワールドカップのこと、番組によっては私生活のことまで、幅広く話をしている。
 トップリーグの2015─2016シーズン開幕当初、秩父宮ラグビー場などで前売りチケットが完売したにもかかわらず、数多くの空席が出た問題があったが、徐々に改善されている。メディアを通じて警鐘を鳴らしたせいか、少しはその解決に貢献できたのかな、と思う。
 そして、2019年のラグビーワールドカップ日本大会を、なんとしても成功させたい。そのためには今後の日本代表はもちろん、スーパーラグビーに新規参入する日本のプロチーム〝サンウルブズ〟の強化も含め、日本ラグビーをもっと盛り上げていきたい。
 その最大のチャンスが、今なのだ。
 2015年のワールドカップで、日本代表が3勝1敗で大会を終えて、ファンのみんなや子どもたちに夢を与えることができた今この時期にこそ、ラグビーの周知活動を進めたい。
 一過性のブームで終わらせたくない。
 だが、僕らがなにもしなければ、ブームのままで終わってしまう。
 絶対にそうはなりたくない。
 そこで今回、本著に僕の思いの丈をぶつけることにした。負けず嫌いだった少年時代からこれまでの生き方、世界のラグビーで出してきた結果、今の言動につながる過程、日本のラグビーや社会そのものに対しての提言など、この本を通じて少しでもラグビーの素晴らしさが広まることを願っている。
 ラグビーをはじめ、いろいろなスポーツに取り組んでいるみなさん、また日々仕事に勤しんでいるビジネスマンの方々にとって、それぞれのコミュニティーや組織の中で少しでもヒントになることがあれば、ぜひ生かしてもらいたいと思う。

第一章 念願の勝利

思いがけない受賞

 現地時間2015年9月18日、第8回ラグビーワールドカップ2015がイングランドで開幕した。1987年以来、4年に1度開催されているこのワールドカップは、15人制ラグビーの世界最大の大会にして、サッカーワールドカップや夏季オリンピックなどに次ぐ大規模なスポーツイベントとして世界中から愛されている。
 翌日9月19日、日本代表は初戦の南アフリカ戦に臨んだ。
〝スプリングボクス〟の愛称で知られる南アフリカ代表は、大会開幕時点で世界ランキング3位、過去のワールドカップで2回優勝している世界でもトップの強豪だ。実力がスコアに直結するラグビーにおいて、当時13位だった日本が南アフリカに勝てる可能性は極めて低いと思われていた。
 そして、日本代表スクラムハーフの田中史朗も、試合前にはそのように考えていたひとりだった。
 意外かもしれないが、南アフリカ戦のことははっきり覚えていない。
スクラムハーフのスターティングメンバーとして出場。4年間、ワールドカップで勝つために厳しい練習をしてきただけに、もちろん勝たなければいけない初戦だったが、正直、試合前の段階では、南アフリカに勝てる可能性は低いと思っていた。
 しかし、試合が進むにつれて、勝てるという確信が沸いてきた。
 そう感じたのは試合が始まって間もなく、序盤のことだ。
 理由は2つある。まず、日本代表のディフェンスが非常によかったこと、そして南アフリカは体が大きくて強かったものの、シンプルで単調なプレーが多かったことだ。
 大きな相手にもきちんと2人でタックルに行くことができていたし、あとは五郎丸歩(ヤマハ発動機ジュビロ)のキックによるエリアマネジメント、そして一人ひとりの戦術理解度もしっかりしていたので、〝これはいける!〟と思ったのだ。
 試合は序盤から、一進一退の攻防となった。
 前半7分、五郎丸のペナルティーゴールで3点を先制し、その後南アフリカにトライを許したものの、29分にはリーチがチーム初トライを決めて逆転する。
 前半を10─12とわずか2点のビハインドで折り返した日本代表は、後半も五郎丸のペナルティーゴールで得点を重ね、後半19分時点で22─22の同点としていた。直後の21分には南アフリカのアドリアーン・ストラウスが田中のタックルを吹っ飛ばしてトライ(およびコンバージョンゴール)を決め、22─29と勝ち越しを許すが、28分には日本代表の五郎丸がサインプレーでつながったパスを受けてインゴールへ飛び込み、トライとゴールで29─29の同点に追いつく。
 南アフリカは32分にペナルティーゴールで3点をリードするが、もはや勝負はどちらに転ぶかわからなくなっていた。
 最後のペナルティーの場面、すでに交代してピッチの外にいた僕は、キャプテンのリーチがどうプレーを選択するのか、ハラハラしながら見守っていた。
 エディー・ジョーンズ(日本代表ヘッドコーチ)はペナルティーゴールで3点を狙い、引き分けで締めくくるよう指示していたと後から聞いた。
 リーチは、エディーの指令に背いた。
 いや、背いたというよりも、引き分けで終わらせるのではなく、勝って歴史を変えようという強い思いでスクラムを選択したのだ。
日本代表のフォワードは、本当に強くなっていた。
 南アフリカ戦最後のスクラムも相手は7人だったにもかかわらず崩されはしたものの、ボールを生かしたプレーにつなげることができ、見ていて本当に頼もしかった。
 最後は、敵陣ゴール前でのマイボールスクラムを起点に、右サイドを突いたリーチがラックを形成。そこから日和佐篤(ひわさ あつし)(サントリーサンゴリアス)、立川理道(たてかわ はるみち)(クボタスピアーズ)、アマナキ・レレィ・マフィ(NTTコミュニケーションズシャイニングアークス)とパスがつながり、最後はカーン・ヘスケス(宗像サニックスブルース)の劇的なトライで34-32。世界を驚かせる歴史的な大逆転勝利だった。大会後、この瞬間は過去8回の大会史で〝最高の瞬間〟に選ばれるほどの名場面となった。

 五郎丸のプレースキックなどで終盤までクロスゲームに持ち込んだことはもちろん、その直前のスクラム選択、そこからの一連のアタック。80分間、どのプレーをひとつ欠いてもあの逆転劇はなかった。すべてのピースがかっちりはまったような勝利だった。
 まるで、ジグソーパズルのように。
 喜びはもちろん大きかった。それでも試合のことがあまり印象に残っていないのは、僕自身がいいプレーをできなかったから。
 試合の最優秀選手である〝マン・オブ・ザ・マッチ〟に僕が選ばれたのも〝なんでやろ?〟というのが正直な感想だった。
 大きくて強い南アフリカに最後まで体を張り続けたフォワードの選手が選ばれるなら納得だし、個人的には、リーチか松島幸太朗(サントリーサンゴリアス)あたりかなと思っていた。

悔しさを忘れない性分

 田中がマン・オブ・ザ・マッチ受賞に戸惑うのは、理由があった。勝利に貢献したはずの南アフリカ戦の中で、田中自身は悔しい思いをしていたからだ。
 それは後半20分のダイレクトタッチと、その直後のトライの献上につながってしまったプレーだった。
 喜ばしいプレーよりも悔しいプレーの方が深く胸に刻まれる。それもまた田中史朗らしさなのかもしれない。
 自分の中でいいと思えたプレーがあまりなかった反面、悔しかったプレーはよく覚えている。
 それは、僕のボックスキックがわずかにダイレクトタッチになってしまった場面と、ストラウスに吹っ飛ばされてトライを許してしまった場面だ。
 ダイレクトタッチの場面は、後半19分に五郎丸がペナルティーゴールを決めて22─22と同点に追いついた直後のこと。南アフリカのハイパントを、ハイボールに強い松島がクリーンキャッチして、ラックができた。
 僕は陣地を取りたかったので、ラックから出たボールをボックスキックですかさず裏側に蹴り出し、ワンバウンドさせてタッチに出すよう狙ったのだが、ギリギリでダイレクトタッチになってしまった。
 ノーバウンドで出たか出ないかぐらいの、紙一重のダイレクト。あそこでしっかりタッチに出してチャンスを作ることができていれば、もっと楽な展開になっていたと思うと本当に悔しい。
 ストラウスに吹っ飛ばされた場面については、僕がディフェンスで孤立してしまったのが原因だ。強いランナーに対してはいつも2人でタックルに入っていたのだが、あの場面ではディフェンスの枚数が足りなくなり、僕が孤立したときに強い選手が来てしまった。
 もちろんすぐに姿勢を作ってタックルに入り、ストラウスを全身で止めようとしたけれど、次の瞬間、僕の体は宙に舞っていた。もっと体を張って、少しでも時間を稼いでいれば誰かがサポートしてくれたはずだが、それができなかったのも残念でしょうがない。
 体が小さいからという、言い訳はできない。
 ミスマッチ、体格差があっても止めなければいけないのが、ラグビーだ。
 しかも、この南アフリカのトライは、僕のダイレクトタッチによる南アフリカボールのラインアウトが起点だった。僕のプレーがきっかけで、せっかく同点に追いついたのに、その直後に22─29と7点差をつけられてしまっただけに、どちらも悔やまれるプレーだった。
 悔しい思いをしながらも、客観的な評価としてマン・オブ・ザ・マッチに選出されるなど、確実に勝利に貢献した田中史朗。
 その一方で、日本代表に負ける可能性を想定していなかった南アフリカ代表選手たちは、試合後は落胆の色を隠せなかったという。そんな中、笑顔で対応していたのがスカルク・バーガー(サントリーサンゴリアス)で、さわやかな笑顔で「おめでとう」と、田中やサントリーのチームメイトたちにしっかり握手してくれたという。
〝彼の人間の大きさを感じた〟と振り返る選手は多い。
 同じくサントリーのフーリー・デュプレアも、沈んだ表情を見せながらも「よくやった」と日本代表に声をかけていたという。こうしたエピソードもいかにもラグビーらしい裏話といえるだろう。
 最後のヘスケスのトライを必死で止めに行った南アフリカ代表ウイング、JP・ピーターセン(パナソニック ワイルドナイツ)は、試合後かなり落ち込んでいた。とても声をかけられる状態ではなかったけど、その後日本で合流してからは冗談を言い合っている。
「勝っちゃってごめんな」
 と言うと、ピーターセンは、
「あれ? 日本代表は何位だったっけ?」
 と、冗談で返してくる。
 日本は決勝トーナメント進出、つまり8強入りを達成できなかったのに対し、南アフリカがブロンズファイナルで勝って3位になったことを引き合いに出してくるのだ。
 また、帰国後、ワールドカップを振り返るバラエティー番組に出演したとき、一緒に出演していた山田章仁(やまだ あきひと)(パナソニック ワイルドナイツ)が、僕がストラウスに吹っ飛ばされたときのことをいじってきた。
 普段からみんなに
「体を張れ!」
と厳しく言ってきた僕が、ストラウスに吹っ飛ばされたのを見て、
〝おまえもな!〟
 と思ったらしいのだ。
 もちろん仲のいい山田ならではの冗談半分のイジリだし、勝つことができたからこそ笑いのネタにされているだけなので、全然構わない。
 ただ、実感した自分の弱さ、申し訳ないという気持ちは今でも消えていない。
 ちなみに、南アフリカ戦の映像はあれから一度も見返していない。出演させてもらったワールドカップを振り返るテレビ番組で少しだけ見たぐらいで、どの場面がどうだったかとか、詳しいことは本当に覚えていないし、反芻(はん すう)するつもりもない。
 番組の収録中、試合を見ながら涙ぐんでしまったこともあったように、映像を見てしまうと気持ちがそっちの方に引っ張られてしまい、現在のプレーに集中できなくなってしまうのだ。
今はトップリーグの試合、そしてスーパーラグビーのシーズンに集中することの方が、はるかに大事だと思っている。

強固な平常心

 南アフリカ戦の試合の週、日本代表のチーム内にはエディー・ジョーンズを筆頭に、かなりの緊張感が漂っていたという。
 たとえば、常に泰然自若(たい ぜん じ じゃく)としている五郎丸も「これまで経験したことがないほどのプレッシャーを感じていた。逃げ出したかった」と言い、日本のラグビーにとって大きな分岐点となる勝負の重圧を、みな一様に感じていた。
 そんな中、田中の反応は違った。世界のラグビーを豊富に経験していたことがその違いを生み出していたのだ。
 南アフリカ戦は、ほとんど緊張していなかった。
 2011年、僕が初めて出場したワールドカップ初戦のフランス戦、国歌斉唱のときは息ができないくらい緊張していた。今回はあのときとは明らかに違った。
 4年間で、なぜここまで大きく変わることができたか。
 その理由のひとつは、スーパーラグビーで3年間プレーしてきたから。
 2015年、僕はスーパーラグビーのニュージーランドのチーム、ハイランダーズで3年目のシーズンを戦い、チームとしてスーパーラグビー初優勝を経験。
 プレーオフの決勝、ハリケーンズ戦。リザーブメンバーとして最後まで出番はなかったけど、それでも試合前の雰囲気、緊張感は特別で、そういう大舞台を経験できたのはとても大きかった。
 だから2015年のワールドカップでも、スタジアムに入って緊張するようなことはなかった。南アフリカ戦、国歌斉唱の前の雰囲気は、スーパーラグビーの決勝で感じた空気と似ているなと感じていた。
〝そういえばこの試合前の感覚、ハイランダーズで味わったな。これが経験というものなのかな〟
 心の中で自然とそう思えたので、とても楽だった。試合もメンタル面で負けることはなかった。
 もちろんスーパーラグビーだけではなく、日本代表での経験も貴重だ。
2013年6月、ウェールズ代表に日本代表として初めて勝つことができた(○23─8)。
 この年の11月には、後にワールドカップを連覇することになるニュージーランド代表・オールブラックスとも対戦し(●6─54)、自分たちの弱さを再認識できた。
 直後のヨーロッパ遠征ではスコットランド代表にかなりの点差で負けてしまったけど(●17─42)、後半の途中まではいい状態で試合ができたのも自信になった。2014年6月にイタリア代表に初勝利できた(○26─23)のも、よかった。
 もちろんスーパーラグビーや日本代表だけではない。三洋電機、パナソニックの一員としてトップリーグの決勝の大舞台に何度も立たせてもらい、優勝してきた経験も大きい。
 こうしたすべての経験が、あの南アフリカ戦に生きていた。緊張や怖さを感じることなく、平常心で戦えた。

止められなかった祝杯

 南アフリカ戦を終えた日本代表は、わずか4日後に第2戦のスコットランド戦に臨んだ。強豪との戦いを経てから中3日、選手の疲労は完全には回復していなかった。一方のスコットランドは、この試合が大会初戦。体力面の条件は明らかにイーブンではなく、日本代表選手のパフォーマンスは時間を経るごとに落ちていった。
 そして、日程面以外でもその原因と思しきエピソードがあった。田中が悔やんでいるのは南アフリカ戦後の〝祝杯〟だった。
 スコットランド戦は、2年前の対戦以上に点差が開いてしまった(●10─45)。
 南アフリカ戦から中3日しかなかった、というのは言い訳になる。
負けたのは自分たちの弱さでしかないし、中3日でも勝てる強さを日本代表は持っていなければいけなかった。
 それでも途中までは、いい勝負ができていた。ただ、後半からみんなの体が動かなくなり始め、そこから点差が開き始めた。
 疲労を口にする選手はいなかったが、僕から見てフォワードは明らかに疲れていた。僕自身は疲れていなかったが、この試合でもいいパフォーマンスはできなかったし、記憶に残っているプレーもない。
 スコットランドはこの試合が初戦だったということもあり、南アフリカと戦ったばかりの日本代表に比べれば、万全な状態で試合ができていたことも大きかっただろう。もちろん疲労度の違いが敗因のすべてではない。小さなミス、風の影響、相手のスクラムハーフ、グレイグ・レイドローらのいいプレー。本当にわずかな差、ほころびから相手に逃げ切られてしまった、そんな試合だった。
 もうひとつ、スコットランド戦の敗因として思い当たることがある。南アフリカに勝ってホテルに帰った夜、みんな〝この日ばかりは〟と控えていたお酒を飲んだのだ。
 お酒を飲むと疲労がぬけにくくなる。次のスコットランド戦のパフォーマンスに影響しかねないので、お酒を飲むことには反対だった。僕もお酒は好きだし、さすがにこの日は一緒になって勝利に酔いしれたかったけど、最後まで飲まなかった。
 ニュージーランドでは、もちろんチームにもよると思うが、試合後にお酒を飲まない、または杯数を控えるというルールがある。
 たとえば日曜日に試合があり次の試合は土曜日というケース、つまり試合間が中5日であれば〝お酒を飲まない〟とか、中6日だったら〝お酒は3杯まで〟とか、かなり細かく決められている。チームのキャプテンがそのルールを決めて、みんなで徹底して守っていた。試合に勝つためには必要な制限なのだ。
 日本代表もそうすべきだと考えた僕は、リーチに進言した。特に南アフリカ戦の後はスコットランド戦まで中3日しかないから、酒を飲むのはやめようと伝えたが、リーチには聞いてもらえなかった。
 僕も飲みたい気持ちはすごくわかるので、さすがにそれ以上は言えなかったが、最後まで粘って説得できなかったのは自分の弱さ、甘さだと思う。僕らは日本を代表してワールドカップで戦っているチームなのだから、もっと厳しく言わなくてはいけなかった。
 結局スコットランドに大差で負けたこともあって、あの時もっと口を酸っぱくして言わなければいけなかったと本当に悔やんだ。
〝せっかく南アフリカに勝ったのに、あいつやかましいな〟
 そう嫌われてでも、酒は控えさせるべきだった。
 勝った相手が南アフリカであれどこであれ、お酒のコントロールも含めて、日本代表としてもっとプライドを持って、次の準備をしなければいけなかった。
 遠慮や甘さを乗り越える必要があった。
 僕らは日本代表なのだから。
 それも、4年に1度の大舞台なのだから。

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