「隠れアスペ」はなぜ気づかれないのか? 〜隠れアスペルガーという才能について〜
今月、待望の新刊を上梓する発達障害カウンセラーの吉濱ツトム氏は『世の中には、はっきりとした診断がしづらいグレーゾーンに位置する“隠れアスペルガー”とも呼べる人が大勢いる』と語ります。そして「彼らは、実は才能あふれる素晴らしい人材でもある」と続けます。
はたして、彼らの才能とは何なのか? 周囲が理解すべきなのはどのようなことなのか?
吉濱氏の前著『隠れアスペルガーという才能』から“第1章『「隠れアスペ」はなぜ気づかれないのか?』”を公開します。
新刊にも注目
第1章 「隠れアスペ」はなぜ気づかれないのか?
日本人の20人に1人は「隠れアスペ」!?
一度に2つ以上のことを同時にできない。人に対して異常に緊張する。人の言葉の裏を読めない。ちょっとしたことでパニックを起こしてしまう……こういったアスペルガー症候群の症状をもつ、一見普通の「隠れアスペ」の人たち。
これらはほんの一例で、アスペにはまだまだ多様な症状があります。しかし、「隠れアスペルガー人」は、これらの症状が障害であることに、なかなか気づくことができません。本人だけでなく、周囲も「ちょっと変わった人だな」と思うだけで、発達障害などとは思いもよらないことが多い。それが、本書で隠れアスペを「隠れ」と呼ぶゆえんです。
一方、アスペルガーの特徴のほぼすべてに当てはまり、かつ症状の出方が極端な人は「隠れ」ではない正真正銘のアスペルガー、本書で言う「真性アスペ」です。このアスペルガー症候群の診断基準に当てはまる人たちは、アスペ全体のごく一部。実際は、診断基準を満たさないのにアスペの症状に苦しめられている、グレーゾーンに位置する人々のほうがはるかに多いのです。
アスペルガー症候群は、教科書どおりに言えば90人から100人に1人の割合で存在します。それに対して、グレーゾーンに位置するアスペの人は、文部科学省発表の数字からの推計や『ガイドブック アスペルガー症候群 親と専門家のために』(トニー・アトウッド著、東京書籍、1999年)などによると、日本人の40〜50人に1人くらいとされています。でも、僕の実感としては、20人に1人くらいはいるように思います。発達障害の一種、ADHD(注意欠陥・多動性障害)も、診断がつくのは40人に1人ですが、軽度のADHDなら10人に1人くらいはいると言われています。
隠れアスペが20人に1人というのは、さすがに言い過ぎかもしれません。しかし、40〜50人に1人というのは、相当症状が出ている人に絞り込んだ数字です。この絞り込んだ数字を採用したとしても、日本全体で約300万もの人がアスペの症状に苦しんでいる計算になります。これは、国としても見過ごせない大問題ではないでしょうか?
アスペルガーのグレーゾーンについては、これまでメディアではほとんど触れられていませんでした。しかし、僕の知っている発達障害の専門医の何人かは、「確かにアスペにはグレーな存在がいる」と認めています。そして実際、僕のセッションを受けに来られる発達障害の方の8割は、アスペルガーの診断基準には該当しないけれど、明らかにアスペの症状に苦しんでいます。
人数の多さという点では、「隠れアスペ」は真性アスペをしのぐ深刻な問題と言えるでしょう。だから僕は、訴えたいのです。隠れアスペの人たちの苦しみを見過ごしてはならない。隠れアスペこそ、最優先で改善に取り組むべき層だ、と。
アスペは生まれつきの脳の障害
アスペルガー症候群は、「広汎性発達障害」の一種で、広い意味での自閉症の仲間とされています。政府広報によると、広汎性発達障害は「コミュニケーションの障害」「対人関係・社会性の障害」「パターン化した行動、興味・関心のかたより」があるもの。その中で言語障害があるものが自閉症、言語障害も知能の遅れもないものがアスペルガーとされます。発達障害には、広汎性発達障害の他にADHD(注意欠陥・多動性障害)、LD(学習障害)などもあり、アスペルガーとこれらを併発する人もいます。
では、そもそも「発達障害」とはなんなのでしょうか?
その答えは、非常に明解です。「脳内の器質的障害」が原因で発生する発達の異常。脳のどこかの部分が物理的に損壊もしくは変形し、そのために正常な発達や働きが阻害されているということです。
脳内のどの部分に障害があるかは、現代の科学ではおおよそしか調べることができません。アスペルガー症候群の場合は、脳の一部が委縮していたり損傷していたりするのではなく「神経系が異常に増えすぎている」などという説があります。
障害のある部位によって、症状の出方は異なります。たとえば、ものすごく絵がうまいのに計算がまったくできない人もいれば、逆に数学が天才的に得意だけれど絵がまったく描けない人もいる。ひとくちにアスペルガーと言っても、症状は人によって千差万別なのです。
音楽や絵画など、芸術面で優れた才能を発揮するアスペの人は、その能力に関連する組織の神経密度が異常に高いのではないかと言われています。たとえば、絵を描く能力を担っていると言われる角回(側頭葉の上辺にある組織)に隣接する神経系がなんらかの理由で損傷していると、それを補完するために角回の神経系が発達する。結果として、角回の神経密度が高くなり、芸術に関して突出した能力を発揮するようになるのだと考えられます。
いずれにせよ、この脳の器質的障害の多くは先天性のもの。つまり、アスペルガーを含む発達障害の大半は、生まれつきの障害なのです。
にもかかわらず、自閉症は「親の愛情不足」、ADHDは「しつけの問題」、などと誤解される時代が長らく続きました。自閉症児には子どもを抱き締める「抱っこ療法」が盛んに用いられるなど、今思えばまったく見当違いの対策がとられていたのです。
隠れアスペと真性アスペの違い
アスペの症状は多種多様ですが、基本的には真性アスペのほうが、隠れアスペよりも症状が極端に強く出ます。僕の仕事は、マイナスの方向に出てしまうアスペの症状を改善すると同時に、プラスの方向に伸ばすことにあります。その点、真性アスペよりも隠れアスペのほうが改善させるのは容易です。隠れアスペは真性よりもマイナスの症状が大幅に少なく、プラスの症状を数多くもっています。言いかえれば、アスペならではの長所が多く、短所が少ないという喜ばしいアスペなのです。
真性アスペの場合、マイナスの症状が極端にひどいけれど、プラスもまた極端に良いという特徴があります。たとえば、極めて意志力が弱いという特性を、僕のセッションによってプラスの方向へ転換すると、今度は尋常ではないほど意志が強くなるのです。
僕は真性アスペの中でも、重度の「どアスペ」です。僕自身の経験で言えば、それまで山のように甘い物を食べていたのに、食事をローカーボに切り替えると決めたら、次の日からピタッと止められました。普通だったら、徐々に糖質を減らして少しずつ慣らしていくところですが、真性アスペは、こうと決めたら一瞬でスパッと変えることができます。白か黒か、とにかく極端なのです。
こういった真性アスペの異常なまでの意志の強さは、隠れアスペにはありません。隠れアスペの場合は、全体に振り幅の大きさが真性よりも小さい。簡単に言えば「普通の人」に近いのです。良くも悪くも、度合いの強さは真性に敵いません。
アスペルガーには天才が多く、アインシュタインやビル・ゲイツもアスペだったという話を聞いたことのある人は多いでしょう。確かに、アスペの症状がプラスの方向に向かうと、天才的な能力を発揮することはあります。ただし、そういった突出した天才は真性アスペであり、隠れアスペではありません。
アスペルガーは総じて知能指数が高い傾向にありますが、真性となるとIQ140以上という極端な人がざらにいます。隠れアスペにはそういう天才はいませんが、IQ110以上の「秀才」は多い。ちなみに東大生の平均IQは120です。
アインシュタインのような天才にはなれないけれど、マイナスの症状が少なく、プラスの症状が多いのが隠れアスペ。マイナスの症状をうまく抑えてプラスの症状を伸ばせば、社会的に成功したり才能を生かした職業に就いたりすることは十分可能です。実際、アスペの症状が原因で仕事がうまくいかなかった人も、僕のセッションで症状を改善した後は、ほぼ全員が無事就職を果たしています。
親も気づかない「子どもの隠れアスペ」
僕のもとへは、アスペに悩む本人だけでなく、子どもの発達障害に悩む親御さんもよく来られます。たいがいはADHDとアスぺを併せもっている子どもで、アスペの中でも隠れアスペが多いのは、大人と変わりません。
僕のもとへ隠れアスペのお子さんをを連れてこられる方は、発達障害について相当勉強をしています。そうでなければ、子どもの隠れアスぺに気づくことなどできません。これが真性アスペなら、まだ異常に気づきやすいのですが、「隠れ」の場合は、親も学校の先生も、たいがい症状を見逃して、大人になるまで放置してしまいます。
親が我が子のアスぺに気づけない理由のひとつに、発達障害に対する認識不足が挙げられます。特にアスペルガー症候群については、一般の人はもちろん、教育関係者や小児科医でさえも、十分な知識をもっていません。精神科の医師でさえ、「アスぺの人は笑わないんでしょ」「視線を合わせないんだよね」といったとんでもない誤解をしていることがあります。そのような状況のなか、我が子がちょっと他の子と違うと感じても、アスペのせいだとは思い至らないわけです。
また、障害という言葉に常人とかけ離れたイメージ、劣っているというイメージがあることも挙げられます。障害児=「劣った子ども」と思っているので、「まさかうちの子が障害児だなんて」と認めたがらないのです。
さらに言えば、子どものうちはみんな発達障害に似た動きをするので、わかりづらい。元気な子は多動のように走り回るし、子どもなんだから空気を読めるほうがおかしいくらいです。なので、専門医でも、「隠れ」の場合はアスペだと診断できず、「いやあ、子どもはみんなこんなものですよ」と言って帰してしまいます。結果として、「気のせいかな」と疑念にふたをしてしまうか、「私の育て方が悪いのかしら」と後天的な要因だと誤解してしまうか、どちらかになるのです。
子どものアスペを放置していると、症状がどんどん深刻化して改善しにくくなってしまいます。なるべく早く親がアスペに気づき、対策に取り組んでいただきたいところですが、残念ながら、ほとんど見過ごされているのが現実です。
大人になってからアスペにつまずく人々
アスペルガーは先天性の脳の器質障害ですから、アスペの人は、真性であろうと「隠れ」であろうと、生まれたときからずっとアスペです。それでも「隠れ」の場合は、真性アスペより症状の度合いが弱いので、親は我が子が発達障害であることになかなか気づくことができません。多くの場合、本人も障害があるという自覚のないまま成長していきます。
そんな隠れアスペの子は、大人になるにつれ障害が目立ってきます。子どもの頃はちょっとおかしな言動をしても、親や学校の先生がフォローしてくれたので、障害が目立つことはあまりありません。しかし大人になると、自分の言動は自分の責任とみなされ、周囲の人にフォローしてもらえることは少なくなります。アスペの人は、症状のせいで仕事中にミスをしやすいので、社会人になると特に目立ってしまいます。
また、当たり前ですが、大人になれば周囲から大人としての行動を求められます。アスペルガーの人は、ある一面においては非常に早熟で老成していることがあるのですが、基本的な性質は子どもそのもの。思ったことをストレートに口にしてしまったり、遠回しな言い方を理解できなかったり、やりたいことをやり遂げることに異常に執着したり。言動が子どもじみているから、大人になるにつれて、年齢と言動のギャップが目立ってしまうのです。
仕事や家事など、アスペが苦手とする「やらなければいけないこと」が爆発的に増えるのも要因です。前章で紹介した東大卒のAさんが、まさにそうでしたね。学生時代は、話の合う仲間とだけコミュニケーションをとり、自分が興味のある研究だけに没頭していればよかったのですが、社会人になるとそうはいきません。事務や人づきあいなど、たくさんの苦手な物事に一気に直面して、ミスを連発したりパニックを起こしたりしてしまいました。
こういった理由で、社会に出たとたんにアスペルガーが目立つようになる人が多いのです。学生時代まではそれほど生きづらさを感じていなかった人も、社会に出て初めて「自分はちょっと人と違うんじゃないか?」と気づく。そして人生につまずいてしまうというのが、よくあるパターンです。
隠れアスペは、行き場のない「発達障害難民」
「自分はちょっと人と違うんじゃないか?」と気づいてからも、隠れアスペルガー人がアスペルガーだと自覚するまでには長い道のりがあります。
ネットや本で調べれば、自分の症状が「どうやら発達障害によるものらしい」と見当をつけることはできます。しかし隠れアスペの場合は、ネットなどに掲載されている「アスペルガーの特徴」のすべてに当てはまるわけではありません。当てはまる部分もあれば、まったく当てはまらない部分もある。むしろ真逆の部分もあり、その差があまりにも激しいのです。そのため「アスペだと思ったけど、やっぱり違うのかな?」と混乱してしまいます。
実際のところ、アスペの特性というのは実に多種多様で、誰もが多少はもちあわせている性質でもあります。アスペの場合はその度合いが強すぎるというだけ。たとえば、「緊張しやすい」という性質は、誰にでも当てはまると言えば当てはまります。しかし、「毎日顔を合わせている同僚にも緊張する」「プレゼンのたびに、緊張のあまり吐いてしまう」というのは極端すぎますよね。このように極端な症状をもつのが、アスペルガーなのです。
その極端さが「生きづらさ」につながっているのですが、「隠れ」程度だと、周りの人には理解してもらえません。自分がどれだけ苦しんでいるかを訴えようとしても、言葉ではその極端さがうまく表現できません。「緊張しすぎてツライんだ……」と友人に相談しても、「そんなの誰にでもあることだよ!」と肩をポンポンと叩かれて終わり。こうして周りに理解されることもなく、自分自身でも理由に思い至らず、モヤモヤとしたまま苦しみ続ける……これが隠れアスペならではの悲劇です。
その点、真性アスペなら、アスペの特徴のほぼすべてに当てはまりますから、自分で調べても納得がいきます。それ以前に、症状の出方が強いので、家族や周りの人がなんらかの障害だと気づく可能性が高い。そして医療機関を受診すれば、間違いなくアスペルガー症候群と診断されます。
アスペルガーと診断が下りれば、障害者手帳をもらえ、さまざまな面で金銭的・社会的な優遇を受けられます。就職でも、障害者枠を利用できるというメリットがあります。
一方、隠れアスペにはそれが一切ありません。専門医を訪ねても、「いや、あなたはアスペじゃありませんよ」と言われて追い返されるのが関の山。残念ながら、精神科の医師の中には発達障害のことをあまり理解していない人も少なくありません。ましてや「グレーゾーンに位置するアスペ」の存在など、まったくわからない。わからないから、教科書どおりの診断基準に当てはまらなければ、どうすることもできないのです。
さらには、「ストレス性の抑うつ症状ですね」などと見当違いの診断を下し、抗うつ薬を出してしまう「専門医」までいます。実際は、脳の器質性障害であるにもかかわらず……。
自分の生きづらさの正体がなんなのか、ここがはっきりするだけでも、気持ちはずいぶん楽になるものです。「なるほど、脳に障害があったのか」とわかれば、劣等感にさいなまれたり緊張で震えたりするときも、「障害のせいだ」と自分を納得させ、症状を落ち着かせることができます。僕のもとを訪れる来談者の方々も、「発達障害ですよ」「軽度のアスペルガーですよ」と言ってあげると、みなさんホッとした表情で納得されます。
しかし、まだ見ぬ多くの隠れアスペルガー人たちは、どこにも行き場のない「発達障害難民」としてさまよっています。病院に行っても原因がわからず、周りの人にも理解してもらえない。障害のせいで就職できないのに、福祉も受けられない。症状は軽度であっても、むしろ生きづらさは真性アスペより深刻とも言えるのです。
アスペがわからない日本の専門家たち
隠れアスペルガー人が「発達障害難民」となってしまう背景には、日本の精神医学の遅れがあります。たとえばPTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念がアメリカで広まったのは、60年代に深刻化したベトナム戦争のとき。帰還した兵士の心のトラブルとして知られるようになりました。しかし日本ではそれより大きく遅れをとり、1995年の阪神大震災のときに、ようやくPTSDという言葉が使われるようになったのです。日本のカウンセリングの草分けとされる精神科医・河合隼雄さんは、阪神大震災の後、初めてPTSDという言葉を聞いたそうです。日本の精神医学がどれほど遅れているか、如実にわかるエピソードです。
また、精神科医がアスペルガーという新しい概念を受け付けないという残念な背景もあります。これまでアスペ特有の「生きづらさ」を、さんざん心の問題として扱ってきた手前、脳の器質的障害が原因だったとは言いづらい。今まで築いてきた自分の実績や権威が崩れてしまう。つまり、医師たちは自分の保身のために、今さら「原因はアスペルガーでした」とは言えないわけです。
もうひとつ、アスペの症状は、本来誰もがもっているものです。症状があまり強くない限り、強すぎる劣等感も傷つきやすさも、「そういう性格なんだ」ということで説明がつくと言えばつきます。そのため、障害だとは認識されず、カウンセリングなどで解消していくという判断になりがちなのです。
精神科医の他に、心理カウンセラーを頼る隠れアスペルガー人もいます。しかし、心理学の専門家は、得てして発達障害についてあまり勉強していません。ましてや隠れアスペという障害があることなど知っているはずもありません。精神科医ですらよく知らないのですから、当然といえば当然のことです。
心理カウンセラーにまず言われるのは、幼少時のトラウマや家族関係に原因があるという話。成育歴がアスペの症状を助長している可能性は確かにありますが、アスペはそもそも脳の器質的障害です。トラウマを知ったところで、残念ながら根本的解決にはなりません。
行き場のない隠れアスペの行く先は……
専門機関を訪ねても、一向に良くならない。友達には「気にしすぎだよ」と言われて理解してもらえない。相変わらず情緒不安定や体調不良に苦しめられ、行き場をなくした隠れアスペの人たちは、どこへ行くのでしょう?
自らの生き方の問題だと思い、自己啓発系のセミナーに通う人もいます。そこでは、こんな話をされるでしょう。
「生きづらいって言うけれど、あなたという存在は生きているだけで素晴らしいんですよ。だって考えてもご覧なさい。人間がこの世に生まれてくる確率は宝くじの1等に100万回連続で当たることよりも低い。あなたは選ばれて生まれてきたんですよ!」
こう言われてテンションが上がるのは一瞬だけ。繰り返しになりますが、アスペルガーは心の問題ではなく、生まれつきの脳の器質的障害です。良い話を聞いて感動したところで、障害が解消するわけがありません。やがて高額な受講料を無駄にしたことに気づき、落ち込むのが関の山です。
あるいは、スピリチュアル系のカウンセリングやヒーリングにハマる人も珍しくありません。スピリチュアルにもいろいろあるので一概には言えませんが、科学的事実を完全に無視した「前近代的なスピリチュアル」には問題があります。前近代的なスピ系の人がよく言うのは、「体の感覚に任せましょう」「リラックスしましょう」といった抽象的なアドバイス。体の感覚に任せるとはどういうことか? 過緊張の人が、どうすればリラックスできるのか? 具体的に何をどうすればいいのか肝心なところがわからないので、成果が出るとは思えません。
そもそも、体の感覚に任せていたら、まったく動かないダラダラした生活になってしまいます。人間というのは、なるべく怠けるようにプログラムされているのですから。動けばエネルギーを消費します。エネルギーの枯渇は死に直結しますから、太古の昔から、人間はむやみに体を動かさないように脳にプログラミングされているのです。体を動かさないようにするには、やる気を出さないのが一番。これが体本来の欲求なので、体の感覚になんて従っていたら単なる怠け者になってしまいます。
だいたい、何かと言えば「ストレスを解消しましょう」「リラックスしましょう」と言う現代の風潮に、僕は納得いきません。現代日本はストレス社会と言われますが、歴史上、今ほど快適な時代はなかったはずです。仕事や家事の大部分は機械がやってくれるし、どこでも冷暖房が完備されている。家に居ながらにしてネットでなんでも買える。体を動かす必要がなく、飢えや寒さに怯えることもない。こういった痛みも刺激もない生活は、前頭葉の血流不全を招き、ストレスホルモンが大量分泌することにつながります。つまり、現代人はストレスがなさすぎて、逆にストレスを感じているのです。必要なのは適度なストレス。それなのに、これ以上リラックスさせてどうしようと言うのでしょうか?
かく言う僕も、実はアスペルガーの症状に悩んでいた頃、自己啓発セミナーやヒーリング、代替医療などを片っ端から試していました。「気」の出し方をマスターして講師を務めたこともありましたし、陰陽師の修行に4年を費やしたこともあります。そんな僕がたどり着いた結論は、「アスペは精神論よりも、体にアプローチしたほうがずっと早く改善する」ということ。今は、その考えに基づいて独自のセッションを実施し、おおぜいのアスペの方々を症状改善へと導いています。
とはいえ、最近は代替医療や統合医療と言われる分野で発達障害が重視されるようになってきました。予防医学を行うクリニックの中には、アスペルガーに対して食事療法など栄養面での指導をするところがあります。ただ、栄養面だけでは成果が表れるまで時間がかかる。僕は、さまざまな方法論から「いいとこどり」をして、効果のあるものは片っ端からやってしまおうという考えです。そのほうが早く結果が出るので、時間もお金も無駄にしなくて済みますから。
隠れアスペがスピリチュアルにハマる理由
スピリチュアルについて、お話ししたいことがもうひとつ。それは隠れアスペの人は、スピリチュアルにものすごくハマりやすいということです。
隠れアスペルガー人には、自分の生きづらさを誰にも理解してもらえず、人生に疲れきっている人が多い。加えて、強い劣等感や体調不良を抱えています。そんな彼らが、スピリチュアル系のセミナーなどに行くと、「自分のことを言っている!」と感動することが多いのです。
生きづらい人の思いを、スピリチュアルカウンセラーはうまく言語化して、響きやすい言葉で体系的に伝えます。すると、隠れアスペルガー人は「初めて自分のことを理解してもらえた」「ここが自分の生きる場所だ」と思い込み、面白いようにみんなハマッてしまうのです。実際、スピリチュアル界をのぞいてみると、アスペルガー人ばかり。スピ系はアスペの巣窟なのです。
アスペルガー人がスピ系に惹かれる背景には、もともと哲学的なこと、霊的なことに興味をもちやすい性質だからということもあります。また、子どもの頃幽霊を見たとか、霊的な経験をしたなどという人が多いことも挙げられます。
なぜ霊的な体験をするのかというと、実はアスペルガー人には霊的な能力をもつ人が多いのです。スピリチュアルを肯定している発達障害の専門医たちは、「発達障害が重いほど、なんらかの超能力をもっている可能性が高い」と口を揃えて言います。発達障害全般だけでなく、知的障害やサヴァン症候群の人にも同じことが言えます。その超能力が、見えないものを見たり聞いたりする霊的な能力として発露しているのではないかと思われます。
実際、僕のもとに来る重度の発達障害者は、特にスピリチュアルに興味がなくても、直感力がものすごく鋭かったり霊的な経験をたくさんしていたりします。僕自身も、実は不思議な能力をもっていて、何か悪いことが起こる前に体調が悪くなってそれを回避できたりします。この能力のお陰で、何度も命拾いをしました。理由ははっきりしませんが、脳内である特定の神経系が爆発的に育っているため、量子(最小単位の物質やエネルギー)のもつれが起きやすかったり、量子に対する感度が極端に良くなったりすることで、直感力が上がっているのかもしれません。
よく「超能力を開発するためには右脳を鍛えろ」と言いますが、発達障害の人はみんな右脳の血流が非常に悪いので、おそらくこれは間違いでしょう。いずれにせよ、スピリチュアル的な能力があるアスペルガー人は、スピ系の話に親近感をもち、ハマりやすいわけです。
しかし、スピリチュアルであろうと超能力であろうと、脳の器質的障害を解消してくれるものではありません。スピリチュアルのすべてが悪いわけではありませんが、スピ系のことはいったん忘れて、まずは現実的で合理的な方法で苦しい症状を改善すべきです。
「うちの子が異常行動をして困っている」と言う人に、「それは、あなたの学びのために訪れた試練です。すべては必然だから、受け入れましょう」などと言っても、なんの救いにもなりませんよね。僕に言わせれば、
「それってアスペだよね。だったら体質改善しようよ。ローカーボやろうよ」
という話です。そのほうがよっぽど早く改善します。
あいまいな体の感覚や直感に任せるのではなく、意志力と継続力をもって、科学的な方法論で物理的にアプローチする。これがアスペルガーを改善する一番の近道です。
男性とは異なる女性のアスペルガー
隠れアスペが見過ごされる原因には、「隠れ」ならではの器用さもあります。症状が軽いだけに、人前で無意識に「普通の人」を演じられるのが隠れアスペルガー人です。
特に女性の隠れアスペは、ほとんど見抜かれることがありません。女性は文化的・社会的に「お行儀よくすること」「おとなしくすること」という教えを刷り込まれているからです。女の子は幼い頃から、「おとなしく見せる」演技をすることが習慣づいているのです。
医師の前でも、女性は無意識に演技をして、普通の人を装います。その結果、見事に医師を騙しきって、「あなたがアスペルガーだったら、みんなアスペルガーですよ」などと言われてしまいます。
前章に登場したダメンズ好きのBさんも、その一人です。Bさんは隠れアスペでありながら、周囲に気配りができて人当たりも良く、同僚や後輩たちから慕われる存在でした。それは、Bさんが無意識で「良い子に見えるようにしなくちゃ」と演技をしていた結果なのです。
そもそも、女性のほうが男性よりアスペの症状が軽い傾向にあります。それは、脳の構造の違いによるものです。
アスペルガーは、脳内の神経伝達が過剰になっているか、偏っているかのどちらかです。大半は後者なのですが、脳のどこかの神経に機能不全があれば、女性の場合はその部分を他の部分で補おうとする「補完作用」が働きやすくなっています。
女性の脳は、左右の脳をつなぐ「脳梁」が男性より太く、もともと左右の脳の間で情報のやり取りを盛んに行っています。だから、片方の脳の神経伝達が滞っていても、もう一方の脳で補完するのが男性より容易です。
実際、脳梗塞で後遺症が出やすいのは、圧倒的に男性のほうです。男性の脳は、ある部分の組織が損傷すると、そこの機能は回復しづらい。しかし女性の場合は、1か所潰れても他の部分が機能を補います。アスペルガーの場合も、女性は脳のある部分の器質的障害を他の部分でカバーできるので、軽度のアスペで済む場合が多いのです。
男性のアスペの皆さんは、「女っていいな」と思われたかもしれませんね。しかし、一概にそうとも言えません。女性は日頃から高度なコミュニケーション力を駆使して会話をするので、隠れアスペの女性は大変です。いわゆる「ガールズトーク」というのは、話の内容が抽象的で、雑談が多く、言葉の裏を読みとったり、本心とは裏腹の褒め言葉を言ったりするもの。アスペの人はこういった高度なコミュニケーションが苦手ですから、隠れアスペの女性は日々緊張を強いられているのです。
その点、男性の会話は要件の伝達だけでも成り立ちますから、アスペでもラクです。アスペの女性は、それゆえ女友達より男友達とつるむ傾向が見られます。
日本人にはアスペが多い
先ほど「日本人の40〜50人に1人は隠れアスペルガー」とのデータを紹介しましたが、これは世界的に見ても高い数字です。アスペルガーと診断がつく真性アスペに限っても、先進諸国が1%のところ、日本では2〜2・5%。そう、日本人にはアスペが多いのです。
アスペルガーの人は、その原因である脳の器質的障害によって、モノアミン系に問題がある場合がほとんどです。モノアミン系というのは、脳の神経伝達物質のことで、アドレナリン・ノルアドレナリン・ドーパミン・セロトニンなどを指します。これら神経伝達物質は、人の性格や感情を大きく左右する働きがあります。
アスペに最も特徴的なのは、セロトニンを産出するシステムがほとんど破たんしているということ。セロトニンとは、精神のバランスを整える作用がある物質で、ノルアドレナリンやアドレナリンの暴走を食い止める役割があります。不足すると、キレやすくなったり情緒不安定になったり、抑うつ状態に陥りやすくなったりします。実際、うつ病の人はセロトニンシステムが異常をきたしていることが多いことがわかっています。
セロトニンシステムにはS型とL型があります。S型は、簡単に言えば極めて機能が弱いタイプ。セロトニンの産出や受け取りの機能が弱いので、神経症的で抑うつ状態に陥りやすく、自虐的になったり劣等感をもったりしやすい傾向にあります。これらはアスペの典型的な症状であり、S型はアスペの症状をもたらす要因と考えられます。
それに対して、L型はセロトニンの産出と受け取りの働きが強いので、ポジティブで自己肯定感が強くなりやすい。これはADHDの多動型に多いタイプです。L型の人がアスペを併発しているとしても、アスペとしては特殊なタイプである積極奇異型になります。積極奇異型とは、表面的には自信満々で「俺、最高! 俺を見て!」というタイプ。こういう人はL型の可能性が高く、多動のADHDも強く併発していると思ってもさほど間違いではありません。
日本人にはS型が多く、約80%を占めます。それとは対照的に、L型が70%を占めるのがアメリカ人です。日本人とアメリカ人は「水と油」と言われるほど気質が違いますが、その理由はセロトニンシステムに由来する面が大きいのです。
実際、アメリカ人は自己肯定感が強く、自信満々な人が多いですよね。それはアメリカ人にはセロトニンシステムが強い人が多いから。アメリカ人に「自分は周りよりも優秀だと思うか」と質問すると、約90%はイエスと答えるそうです。
一方、S型の多い日本人はセロトニンが不足しているので、基本的に神経症的な要素が強い。そしてアスペルガーにはS型が多く、S型の多い日本人にはアスペが多いということになります。これは、アスペとうつ病の関連が深いことを示唆します。
そう考えると、合点がいくことがおおいにあります。日本は今、貧困が広がっていると言われていますが、先進国の中では断トツに豊かです。「治安が悪くなった」と言われながらも、凶悪犯罪の発生率は戦後最低、極めて安全な国なのです。水も豊かでおいしいし、世界一インフラが整っている。秩序があって、国民の生活レベルも気質もだいたい揃っていて、暮らしやすい。にもかかわらず、毎年3万人が自殺するというのは、異常と言うほかありません。こんなに恵まれた国なのに、生きづらいと感じている人がこんなにも多い。これも、アスペが多いためと考えれば説明がつくでしょう。
また、日本人はちょっとしたことでも深刻にとらえすぎる傾向があります。たとえば缶詰の箱に傷がついていただけでも、消費者はすぐ返品し、メーカーはすぐ謝罪します。缶詰じたいには傷ひとつないのに……ちょっと病的だと思いませんか? アメリカだったら、液漏れしていたり消費期限が切れていたりする食品が、ざらに売られています。メーカーはよほどのことがない限り、自分の非を認めません。アメリカ人は、たとえホームレスになったとしても「どうにかなるよ」とポジティブ。自己肯定感がハンパなく強いのです。
結局、日本人はS型システムのせいでセロトニンが不足気味だからアスペルガーが多く、自己肯定感が低い国民性なのです。これがうつ病の発症率の高さ、ひいては自殺率の高さにまでつながっているのだと考えられます。厚生労働省によれば、日本のうつ病患者は約15人に1人。うつ病対策という意味でも、アスペを改善することは国民的課題と言えるでしょう。
「障害」という言葉が理解を遠ざける
繰り返しますが、アスペルガーの症状は本来、誰もがもっているものです。その度合いがあまりにも強い、もしくは症状の数が多い人を障害と位置付けている、それだけのことです。その中でも比較的症状が軽い人を「隠れアスペ」と位置付けると、より多くの人がアスペに該当することになります。
こう考えると、アスペを「障害」と呼ぶことにやや抵抗を感じる人もいるでしょう。自分や身近な人のことを「もしかしたらアスペかもしれない」と思っても、「障害者」という枠にはめるとなると認めたくない。そんな人も多いのではないでしょうか。
その背景には、日本人特有の「穢れ思想」があります。日本には古来より、穢れを嫌い、清めたものを良しとする精神風土が根付いてきました。江戸時代には穢多・非人という被差別階級が生まれましたが、ここに障害者も分類されていました。彼らは「穢れ思想」から忌み嫌われる存在になり、その汚名は後世まで脈々と引き継がれることになります。だから、日本人は「障害者=穢れ」だと、どこかで根強く思ってしまうのです。
こういった伝統的な思想背景があることにより、日本では障害者への理解がなかなか進まず、教育面でも遅れをとっていました。障害者は「劣位」「恥ずかしい存在」であって、自分はなりたくない。だから、「発達障害」と言われると「私には」「家族には」当てはまらない、と思ってしまうのです。
また、障害と言うと、ほとんどの人は身体障害や知的障害、あるいは精神障害をイメージします。腕が不自由だったら見た目でわかりますし、知的障害や精神障害があると話せばすぐわかります。そういうわかりやすい障害だけが「障害」という言葉の意味するところだと思い込んでいるのです。
それに対して、発達障害、特にアスペルガーはパッと見ではわかりません。もちろん、専門家が見ればわかりますが、普通の人からは、むしろ健康体にしか見えないのです。
それと言うのも、アスペの人は、体が弱いわりに肌ツヤが良くて年齢より若々しく見える傾向があり、どういうわけか美男美女が多く、筋肉がしっかりあってスタイルも良い。
同時に、頭が良くて発想豊かな人も多い。一般の人がもつ「障害者」のイメージとはかけ離れているので、発達障害だとは気づかれません。それほど「障害」というのは遠い世界のもの、自分たちとはかけ離れたものだと思われているのです。
隠れアスペと、発達障害ではない「定型発達」の間には、明確な線引きがあるわけではなく、区別がつきにくいものです。そういう意味で、発達障害を「障害」と呼ぶことに反対する意見もあります。「害」をひらがなにすべきだとか、「アスペルガー」「ADHD」という呼称を使おうだとか、「凹凸症候群」など別の名称に変えようだとか、さまざまな議論が起こっています。
僕自身は、障害になんの偏見ももっていませんし、差別もしていません。なんと言っても、自分自身がバリバリの「どアスペ」ですから。僕は「障害」と呼ぶことに賛成でもないけれど反対でもない。ただ、その言葉が一般の方の理解を遠ざけているのなら、これからは呼び方を変えたほうがいいとは思います。
先ほどから「障害、障害」と言っていますが、本当のところ、僕はアスペルガーというのは「障害」というより「才能」だと思っています。アスペの短所をうまく抑えれば、持ち前の素晴らしい長所が発揮されるからです。特に隠れアスペは、長所をたくさんもっているので、社会にとって重要な人材となりえます。僕は、そんなアスペルガー人の才能を開花させ、日本社会の発展に貢献したいと思っています。
僕も発達障害で苦しんだ
現在は、隠れアスペをはじめとする発達障害の方々を指導する僕ですが、もともとは重度のアスペルガーでした。いや、現在も真性アスペであることに違いありませんが、以前は今とは比べものにならないくらい、生きるのが苦しかったのです。
僕は小学4年生まで自閉症でした。4年生のとき、交通事故に遭ったのをきっかけに、突如として自閉症からアスペルガーに変わったのです。先ほどから「アスペは生まれつき」とお話ししてきましたが、僕の場合は生まれつき発達障害で、途中から障害の種類が変わったという非常にレアなケースでした。
僕は3歳のときに知的障害と診断されました。当時は自閉症という概念がまだ認知されていなかったのですが、今思えば、中機能型の自閉症だったのでしょう。小学校に入学するとき、両親の希望で、僕は普通学級に入りました。その頃の苦しさは、今も忘れることができません。
朝、なぜだかわからないけれど学校に行くのが怖くて仕方なく、母親にしがみついて「行きたくない!」と泣きわめきます。通学路の途中では、赤信号を渡ろうとして交通安全のおばさんに止められギャン泣き。僕の中には、決まった道をいつも同じ歩数、同じ歩幅、同じ速度で歩くという絶対的なルールがあり、それを守れないと、パニックを起こすのです。
やっとの思いで教室に着くと、今度は中に入るのが怖くて仕方ない。先生やクラスメイトに押されて、ようやく席に着いてからも、自閉症の僕は落ち着いて授業を受けていられません。黒板に書かれた文字が動き出して、鋭利な刃となって襲いかかってくるように僕には見えるのです。突然「ギャー!!」と叫び出す僕に、クラスのみんなは「またか……」とウンザリしています。2時間目からは、授業の妨害をさせないように、職員室へ送られるのが常でした。
奇行の目立つ僕は、いじめの標的にもなりました。持ち物を隠されたり、通路をふさがれたりしてパニックを起こす僕を、いじめっ子たちは面白がってまねします。ドッジボールに無理やり引き入れられ、ボールをバンバン当てられたりもしました。
毎日、絶望的な気持ちで通学するとき、道端に咲く草花を見て、「あの花になれたら、どんなにいいだろう」と本気で思っていました。
そして小学4年のある日。自転車で出かけた僕は、バスと接触事故を起こしました。頭を4回も打ちつけて跳ね飛ばされたのに、不思議なことに骨折すらしておらず、脳に異常もありませんでした。
そして、ものすごく不可解なことがもうひとつ。その日を境に、知的障害や自閉症特有のパニック症状が一切出なくなったのです。
超KYな「どアスペ」に変身した僕
なぜだかわからないけれど、別人のようにおとなしくなった僕に、周囲は驚き、両親はおおいに喜びました。僕自身も、死ぬほど苦しいパニック症状から解放されてホッとしていました。もう奇声を上げて授業を中断させることもなく、学校に行きたくないと泣きわめくこともありません。
しかし、平穏な日々はそう長くは続きませんでした。普通の子になれたかと思ったら、実は重度のアスペルガーに変身していたのです。
アスペになった僕は、ひどい被害者意識にさいなまれるようになりました。たまたま近くにいた人がクスッと笑っただけで、自分が笑われたと思って一日中落ち込む。授業中に手を挙げて指名されないと、「先生は僕をキライなんだ!」と決めつけて泣き出す。母親に「風邪をひくから上着を着ていきなさい」と言われると、「僕のことを弱いヤツだと思っているのかよ!」とキレる。一事が万事、この調子です。
中学生になると、一段と異常性が増しました。ものすごいハイテンションで周囲を辟易させる、超KY男になったのです。おしゃべりを楽しんでいるクラスメートの間に割って入り、「それは違う!」と一方的にベラベラとまくし立て、気が済んだら「じゃ!」と去っていく。授業中に突然、机の上に立ちあがって「先生のやり方は間違っている!」と叫び出す。校内放送を乗っ取って、勝手に演説を始める。不良をつかまえて自説をとうとうと語り、ボコボコにされることもありました。
このように、ものすごくウザいヤツだったのです。当然のことながら友達は一人もおらず、先生からも敬遠されていました。
僕はアスペの中でも珍しい積極奇異型だったのです。自閉症のときは内向的だったのに、180度違うハイテンションな人間になってしまった。しかし、この異常な積極性も中学校生活の後半には鳴りをひそめます。2年生の途中で、一転して内向型のアスペになったのです。
僕は急におとなしく無口になりました。あれほどベラベラと演説をぶっていたのに、今度は人に話しかけられても最低限の返事しかせず、何に対しても「自分は関係ない」という態度です。周囲の人たちは、わけがわからず不気味に思ったことでしょう。
その主な原因は、代謝機能が低下したことにありました。アスペルガーの人は代謝に異常が生じやすく、それが脳の器質的障害のスイッチとなって症状が出やすくなります。この時期に代謝異常が急激に起こったのは、僕が糖質を大量摂取するようになったためです。中学2年のとき、僕の母親は祖母のいじめに耐えきれず家を出ていきました。食事を管理してくれる人がいなくなったので、僕は大好きな甘い物ばかり食べるようになり、糖代謝異常を起こしたというわけです。
毎日、砂糖たっぷりの飲み物やチョコレート、ポテトチップスを大量に摂っていたため、血糖値が乱高下し、セロトニンやドーパミンの分泌が極端に減少していたのでしょう。僕はうつ病のように何に対してもやる気が起きなくなりました。
血糖値は乱高下を繰り返すと、やがて低血糖のまま上昇しなくなります。空腹感が満たされないから、僕はますます甘い物をドカ食いします。糖質の過剰摂取から、怒りや恐怖のもととなるアドレナリンやノルアドレナリンが過剰に分泌され、情緒不安定になりました。また、糖質以外の栄養が不足しているので、栄養を分解するために筋肉が減少し、基礎代謝が低下。自律神経失調症になって体は常にだるく、抑うつ症状の合間にパニックを起こす。それでも血糖値が上がらないので、山盛りの白砂糖を食べ続ける……こんな悪循環を繰り返す暗黒の日々でした。
精神世界に傾倒し、人を癒やせるようになった!
糖質の摂りすぎで体調がすぐれず、精神的にも不安定だった僕は、高校生になると精神世界にのめり込むようになりました。ジョセフ・マーフィーの本を読んでスピリチュアルに興味をもち、死後の世界、超能力、輪廻転生など、スピ系の本を読みあさったのです。先ほど「スピリチュアルに惹かれるのはアスペルガーの特性」と言いましたが、僕はまさにその典型だったわけです。
高校3年のときに、当時通っていた整体院の先生からの紹介で「霊気」を習いました。僕は最初からいきなり「気」を出すことができ、「才能があるかも」と嬉しくなって通いつめました。やがて霊気の先生の紹介で、スピリチュアルな話をする集まりにも参加するようになりました。そこで僕は、スピ好きの仲間ができて、生まれて初めて雑談する楽しみというものを味わえるようになります。その仲間の紹介で霊気の講師を務めるなど、スピリチュアル関係の輪が広がり、僕はますますスピリチュアルに夢中になっていきました。
ところが、僕は霊気の素晴らしさを知れば知るほど、一方である種の限界を感じるようになったのです。せっかく仲間もでき、仕事になると思ったのに、やはり僕の生きる道ではないようだ。ではどうすればいい……?
そう思い悩んでいた頃、毎晩のように悪夢を見るようになりました。生きたまま焼却炉に放り込まれるという恐ろしい夢です。目覚めてからも動悸が収まらず、心身ともに消耗しきって何もできなくなりました。悪夢から目覚めたと思ったら、今度はパニックを起こし過呼吸と痙攣に数時間ごとに襲われる。なぜこんなつらい思いをしなければならないのか? まったく理解できないまま、ただただ耐えるだけの日々が3か月ほど続きました。
3か月後、変化は突然やってきました。最悪のパニック症状がぴたりと止んだと同時に、まったく前触れもなく「手かざし」で病気を癒やせるようになったのです。知り合いのリウマチの人に試したら、長年何をやっても曲がらなかった膝があっさり曲がるようになり、知人は大喜び。僕はこのとき大学1年生。大学にさして執着がなかったので、まもなく中退して、ボランティアで手かざしの施術を行うようになりました。200人くらいに施術をし、7、8割の人に大きな症状の改善が見られました。特に成果が出やすいのは、ヘルニアや変形性関節症。評判を聞きつけ、関節に障害のある人が次々と訪ねて来るようになりました。
しかし、僕自身のアスペルガーという障害は、まだなんの解決もしていませんでした。
物理的なアプローチで、1か月でアスペが改善!
高校生の頃からスピリチュアルにハマった僕は、スピリチュアル仲間の伝手もあり、さまざまなスピ系の施術を学ぶ機会がありました。自分が通っていた整体院でスカウトされ、本気で整体師を目指していた時期もありました。初対面の陰陽師の人にスカウトされ、1年間修業に励んだこともありました。
同時に、「人はなんのために生きるのか」「どうすればより良く生きられるのか」といった哲学的なことばかり考えるようになりました。こういう観念論を議論しあえる仲間ができたことで、僕はますますスピリチュアル的な思想に傾倒していきました。
アスぺの人がこうなると危険です。もともとスピリチュアルに惹かれやすいし、何事においても極端なので、思い込んだら一直線。ついには現実世界よりも精神世界のほうが重要だと感じるようになり、物理的な物事をすべて精神論で片づけられると思い込んでしまったのです。
19歳で家を出た僕は、スピリチュアル生活で得た知識をもとに、自己流の極端な生活をしていました。「体の感覚に任せる」ことを重視して、眠くなったら寝て、自然に目が覚めるまで起きない。結果的に、夜通し起きていて朝6時に就寝するという生活を送っていました。瞑想と呼吸法だけに時間を費やし、運動は一切行いません。食事は玄米菜食で、動物性たんぱく質は抜き。当時の精神至上主義の僕は、これが最上だと信じていたのですが、心身の不調は一向に良くなりません。たとえば、体はいつも鉛のような重さと疲労感に襲われ、精神的には理由のない恐怖や不安、そして抑うつにさいなまれるという状態でした。
それもそのはず、よく考えたら、単にダラダラと不規則な生活をする、運動不足の引きこもりに過ぎないのです。ようやくこのことに気づいたのが、24歳のとき。「結果は1ミリの狂いもなく途中経過を評価するもの」。昔何かで読んだ言葉を思い出し、それが真に迫って感じられたのです。
そこで僕は、自分のやっていたことと学んできたことを照らし合わせ、全部いちから検証し直すことにしました。そして気づいたのです。自分がやってきたことは、高校生のときに整体の先生に教えてもらったことと真逆じゃないか、と。
整体の先生は、僕を整体のアルバイトにスカウトし、霊気の先生を紹介してくれた恩人です。マッサージが得意な僕は、一時その先生に勧められ、整体師の資格取得を目指していたことがあります。しかし、極度の抑うつ症状に襲われて家から出られなくなり、それっきりになっていました。
その先生は、主に分子栄養学に基づいた、物理的なアプローチによる独自の健康法を説いていました。その中には、スピリチュアル系の人が敬遠する「肉食」や「サプリメントの摂取」もありました。スピリチュアルに傾倒していた僕がこれまで見向きもしなかった方法ですが、思い切って試してみることにしました。
すると、驚くべきことに、わずか1か月で心身の不調が解消したのです! 僕はようやく気づきました。心身を変えるのは、「精神論よりも科学的・物理的なアプローチだ」という、当たり前と言えば当たり前のことに……。
ここからは、アスペルガーの本領発揮。そう、思い込んだら一直線です。僕は発達障害に関する科学論文を片っ端から読みあさり、効果的とされる生活習慣を自分自身で検証。本当に効果のある方法を抽出して体系的に整理していきました。常習犯罪者がアスぺと同様の脳の器質的障害をもっていることを知り、犯罪心理学も研究しました。
そうして出来上がったのが、今僕がアスペルガーの方々に提供しているオリジナルの症状改善法です。僕自身、超がつく「どアスぺ」から劇的な改善を遂げたのは、このプログラムを実践したからにほかなりません。この方法をカウンセリング形式で伝え、僕と同じような発達障害に悩む人たちの改善に役立ててもらいました。これが口コミでどんどん広がり、来談者は600人を超えるまでになりました。
君の隠れアスペは治せる!
最悪レベルの「どアスぺ」だった僕は、今こうして発達障害の専門家となり、自分のオフィスで来談者に指導するほか、国内外から講演や指導の依頼をいただけるまでになりました。アスぺ特有の症状は完全になくなったわけではありませんが、コミュニケーションにはほとんど支障がなく、体調も極めて良好です。常に体調不良で何もやる気になれなかった自分、友達が一人もいなかった自分、うつ症状から将来に希望を見いだせなかった自分……そんな過去の自分からは、考えられないほどの進歩です。
僕がアスペルガーの重い症状をここまで克服できたのは、猛烈な努力家だからではありません。科学的なデータをもとに、合理的に体系化したプログラムを継続してきた結果です。この「継続する」というのが難しいと思われるかもしれません。しかしアスペルガー人は、こうと決めたら脇目もふらず同じことを淡々と規則的に繰り返すのが得意ですから、「苦労した」という感覚はありません。
これが隠れアスぺの人であれば、マイナスの症状が少ない上に弱いので、改善するのはずっと簡単です。僕がこれまで指導してきた隠れアスぺの方々は、9割という高率で大幅な改善が見られています。
先ほども延べましたが、アスペルガー症候群というフレームに当てはまらないのに、アスぺの症状に悩んでいる人は、国内で推計300万人にのぼります。それほど多くの人が、アスぺならではの高い能力や人間的な魅力をもっていながら、マイナスの症状に邪魔され、それらを発揮できないままでいるのです。アスぺのマイナスの症状は、放っておくと厚いゴムシートのように本人の核となる魅力を覆い隠し、せっかくの才能を見えなくしてしまいます。結果として、彼ら彼女らは、良くて会社の問題児、悪い場合はニートや引きこもりになってしまう。これは、日本における貴重な人材の損失だと言えるでしょう。
だから僕は、わけのわからない生きづらさに苦しんでいる人たちに、それが隠れアスぺのせいだと知ってほしい。そして「アスぺは改善できるんだよ。しかも隠れアスぺならより簡単にできるんだよ」と伝えていきたいのです。
彼ら彼女らにアスぺのマイナスの症状を克服してもらい、日本に有能な人材を輩出することで社会貢献をする。これが、僕の目標です。膨大な数のアスぺ人が、本来の才能を発揮できるようになれば、日本社会には少なからず良い影響があるはずです。それは、日本が世界との熾烈な競争を勝ち抜くために役立つでしょう。
もっと言えば、アスペルガーの改善法は、アスぺに限らず、すべての人の人生をより良くする方法でもあります。僕のセッションで実践していることと言えば、疲れにくい体質にすること、規則正しい生活にすること、良質な睡眠をとること、栄養を正しく摂ることなど。これらは、健全な心身を保つために、誰にとっても必要なことです。他にも、コミュニケーションの取り方、時間管理の方法などを指導していますが、こういった生きるノウハウも、社会人として必要のない人などいません。
アスペの症状は程度の差こそあれ、「誰もがもっているもの」だと先に述べました。「隠れアスぺ的な症状」をもつ人は、実は身近にウジャウジャいます。体の弱さ、情緒の不安定、恋愛や夫婦関係・人間関係でのつまずき、仕事でのつまずき。「こんなに努力しているのに、なぜかうまくいかない」という物事は、大半が「隠れアスぺ」というフレームで説明がつきます。
アスぺ対策とは、生きづらさを感じるすべての人に通用する、いわば「人生総合改善法」なのです。
自分が隠れアスぺだと思う人も、そうでない人も、生きづらさを感じているのなら、僕の提唱するアスペ対策法を試してみてください。まずは、次の「アスペルガー診断テスト」で、隠れアスペ度を診断してみましょう。
アスペルガー診断テスト
この診断テストは、ケンブリッジ大学自閉症研究チームが作成したアスペルガー指数テストを、千葉大学の若林明雄教授・茨城大学の東條吉邦教授が翻訳したもので、アスペの自己診断に広く使われています。50の質問に、4つの選択肢で答えていき、最後に得点を合計します。
15点以上は「隠れアスペ」の可能性大となります。また、36点以上であれば、真性アスペルガーとしての診断が下るレベルです。しかし、自己診断はあくまでも目安とお考えください。アスペルガー症候群の診断を正確に得るためには、発達障害の専門医療機関を受診し、WAIS‐3というテストを受ける必要があります。
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当てはまる項目にチェックを入れてください。
①そうである ②どちらかといえばそうである
③どちらかといえばそうではない ④そうではない(ちがう)
(01)何かをするときには、一人でするより他の人といっしょにする方が好きだ
(02)同じやり方を何度もくりかえし用いることが好きだ
(03)何かを想像するとき、映像(イメージ)を簡単に思い浮かべることができる
(04)ほかのことがぜんぜん気にならなくなる(目に入らなくなる)くらい、何かに没頭してしまうことがよくある
(05)他の人が気がつかないような小さい物音に気がつくことがある
(06)車のナンバーや時刻表の数字などの一連の数字や、特に意味のない情報に注目する(こだわる)ことがよくある
(07)自分ではていねいに話したつもりでも、話し方が失礼だと周囲の人から言われることがよくある
(08)小説などの物語を読んでいるとき、登場人物がどのような人か(外見など)について簡単にイメージすることができる
(09)日付についてこだわりがある
(10)パーティーや会合などで、いろいろな人の会話についていくことが簡単にできる
(11)自分がおかれている社会的な状況(自分の立場)がすぐにわか
(12)ほかの人は気がつかないような細かいことに、すぐに気づくことが多い
(13)パーティーなどよりも、図書館に行く方が好きだ
(14)作り話には、すぐに気がつく(すぐわかる)
(15)モノよりも人間の方に魅力を感じる
(16)それをすることができないとひどく混乱して(パニックになって)しまうほど、何かに強い興味を持つことがある
(17)他の人と、雑談などのような社交的な会話を楽しむことができ
(18)自分が話をしているときには、なかなか他の人に横から口をはさませない
(19)数字に対するこだわりがある
(20)小説などを読んだり、テレビでドラマなどを観ているとき、登場人物の意図をよく理解できないことがある
(21)小説のようなフィクションを読むのは、あまり好きではない
(22)新しい友人を作ることは、むずかしい
(23)いつでも、ものごとの中に何らかのパターン(型や決まりなど)のようなものに気づく
(24)博物館に行くよりも劇場に行くほうが好きだ
(25)自分の日課が妨害されても混乱することはない
(26)会話をどのように進めたらいいのか、わからなくなってしまうことがよくある
(27)誰かと話をしているときに、相手の話の〝言外の意味〟を理解することは容易である
(28)細部よりも全体的に注意が向くことが多い
(29)電話番号を覚えるのが苦手だ
(30)状況(部屋の様子やものなど)や人間の外見(服装や髪型)などがいつもとちょっと違っているくらいでは、すぐには気がつかないことが多い
(31)自分の話を聞いている相手が退屈しているときは、どのように話をすればいいかわかっている
(32)同時に2つ以上のことをするのは、かんたんである
(33)電話で話をしているとき、自分が話をするタイミングがわからないことがある
(34)自分から進んで何かをすることは楽しい
(35)冗談がわからないことがよくある
(36)相手の顔を見れば、その人が考えていることや感じていることがわかる
(37)じゃまが入って何かを中断されても、すぐにそれまでやっていたことに戻ることができる
(38)人と雑談のような社交的な会話をするのが得意だ
(39)同じことを何度も繰り返していると、周囲の人からよく言われ
(40)子どものころ、友達といっしょに、よく〝○○ごっこ〟(ごっこ遊び)をして遊んでいた
(41)特定の種類のものについての(車について、鳥について、植物についてのような)情報を集めることが好きだ
(42)あること(もの)を、ほかの人がどのように感じるかを想像するのは苦手だ
(43)自分がすることはどんなことでも慎重に計画するのが好きだ
(44)社交的な場面(機会)は楽しい
(45)他人の考え(意図)を理解するのは苦手だ
(46)新しい場面(状況)に不安を感じる
(47)初対面の人と会うことは楽しい
(48)社交的である
(49)人の誕生日を覚えるのは苦手だ
(50)子どもと〝○○ごっこ〟をして遊ぶのがとても得意だ
【採点方法】
項目2、4、5、6、7、9、12、13、16、18、19、20、21、22、23、26、33、35、39、41、42、43、45、46は、①か②に〇をつけた場合に1点、残りの項目は③か④に〇をつけた場合に1点として集計する。
【診断基準】
50~36点 → 専門医に診断される症状の強さです。
35~15点 → 40~60人に1人はいる典型的な隠れアスペルガーの可能性があります。
14~0点 → 特に問題ありません。