「生まれてきて、今が1番幸せだ」と思える人生のために -40から始める国際恋愛のススメ②-
●前回までのあらすじ
仕事を辞め、語学留学のために単身渡った上海。そこで40男を待ち受けていたのは、思いもよらない出会いだった。お相手はクラスメイトのタイ人華僑で、メンヘラ気質のニンちゃん30歳。毎日机を並べて勉強し、放課後もずっと一緒に過ごしながらも、己のゲスな心を悟られまいと思いを伝えず寸止めの関係を続けていた。
そんな手も繋げないけれど心がほっこり満たされる幸せに溢れた日々が、やがて終わりを告げようとしていた…。
永遠に続く幸せなんてないことを
思い知らされた転機
悲しいことがあった。
あくまで精神的にだが、命以外の全てを、己の手で壊してしまったような喪失感。
幸せと悲しみは表裏一体。楽しい時間の後には、時として報いがやってくる。20代、30代と散々馬鹿なことをやらかして、身に沁みて分かっていたはずのこの簡単な道理を、異国の地で改めて思い知らされた。
事の起こりはタイ人華僑のニンちゃんに誘われて行くことになった、2泊3日の杭州旅行。世界遺産でも見たいのかと思いきや、杭州にしかない小洒落た豆乳屋があり、そこでインスタ用に写真を撮りたいらしかった。
その頃には彼女がおっとりしているように見えて一度言い出したら絶対曲げない鋼の意志の持ち主であることに気づいていたので、正直心の中では戸惑ったけれど、行かないという選択肢は自分にはなかった。
二人して自習室で旅行計画を立てながら、それでも迷った。いくら仲良しとはいえ、泊まりの旅行に異性を誘うのはどう考えても尋常ならざる事態にほかならぬ。卒業の日まで距離感を一定に保ちつつ、彼女と一緒に過ごす日々を大事にしようと思っていたところで、まさかの奇襲攻撃、トラトラトラ。
当然受けて立たねば男がすたる、と淡い期待を抱いて出かけた旅で、完全に気づいてしまったこと。それは、彼女の目の中に映る自分は、どう甘めに解釈しても女友達以外ありえないということだった。
理由は明確。自分の中国語は、ほぼ全てと言っていいほど独学、しかも夜の仕事で働く女性との交流を通じて身につけたものだからだ。クラスの先生からはよく「女の子みたいなしゃべり方なのね」と言われていたし、ミラノから来たイタリア人華僑の子には面と向かって「お前は女だ」とからかわれていた。
中国語をしゃべる自分はおそらく、ミッツ・マングローブとか楽しんごみたいな感じなのだと思う。さらにクラスメイトが1人を除いて全員女子、先生も全員若い中国人という環境が影響したことも否めない。学校では己の地を出さないように紳士に徹していたつもりが、度が過ぎて淑女になってしまっていたのだった。
ちなみに中国語では女みたいな男のことを「娘娘腔(ニャンニャンチァン)」というのだが、それが俺、まさに俺。当然自覚はないものの、みんなが言うんだからそうなのだろう。
旅行中、ちょっとしたことで彼女とすれ違いがあった。面と向かって謝るのは恥ずかしかったのでメッセージで「ニン(彼女の名前)を本当の妹みたいに思っている」と送った。
彼女の返信は「私も中国であなたみたいな学姐(シュエジエ)に出会えて本当に嬉しい」というものだった。学姐、つまりお姉さん。今でも毎日、仲良く一緒に過ごしているけれど、それ以上の進展はもはや永遠に見込めないのだった。
ある時、彼女の顔色がやけに悪かったのでどうしたのか聞いた。返ってきた言葉は「生理が重くて」。気がある相手、というか異性にさらっと言える話じゃない。
平静を装いつつ、女友達として見られていることを改めて突きつけられた悲しみに打ちひしがれつつも、なるほどどうりで男性恐怖症と言いながら寮の部屋にすっぴん&パジャマで遊びに来たりするわけだと納得した。
残りの留学期間、自分は良き姉として、彼女と接しなくてはならないのだった。
ありったけの想いを込めて、
彼女を“さくらちゃん”と名付けた
自分は、自分のことが好きではない。それは彼女も同じらしく、一緒に食事をしている時に「他の子みたいに毎日明るく笑えない私のことが好きになれない」と言った。インスタ用に写真を撮っても、彼女自身が写っているものは絶対上げない、なぜなら私の顔なんて見たくもないからという徹底した自分嫌い。「いまの仕事(彼女はバンコクに小さいながら自分の会社を持っている)は人を幸せにしていない、だから意味がない」とも言っていた。
自分は「毎日笑顔を見せる子よりも、たまにしか笑わない子の方がいいと思う」と伝えた。理由を聞かれたけれど、その場では伝えられなかった。
またその時、彼女に求められて日本語の名前をつけた。自分が考えた彼女の名前は「さくらちゃん」。「なんで花の名前なの?」と聞かれて、同じく答えられなかった。
どちらも答えを教えることは、貴方が好きです、と言っているに等しいからだ。
答えは、こうだ。
なぜ日本人は、桜をどんな花よりも、深く愛するのか。
一年に一度、長い冬を超えて枯れ木となった桜の木は、春の訪れとともに一斉に花を咲かせて、そしてまたたく間に散ってゆく。刹那の美であるからこそ、日本人は桜をいかなる花よりも尊ぶ。
日本人が桜を愛する理由は、もうひとつある。
自分くらいの歳になると気づくことだが、年に一度しか咲かない桜を、自分はこの人生であと何度見られるだろうか。来年もこの桜を見られるのだろうかと思うと、満開の桜の美しさも、散る桜の名残惜しさも、ひとしお見る者の心を動かすのだ。
作り笑いなんてしない、本当に楽しい時しか笑わない。飾らないあなたの笑顔は、毎日見られないかもしれないけれど、まるで一年に一度だけ咲く桜の花のように美しくて、愛おしい。
だから僕は、あなたにさくらちゃんと名前をつけました。
生きがいを探している、自分は人を幸せにしていないと言っていたけれど、僕はあなたと一緒に勉強する日々の中で、今まで生きてきた中でどの時よりも、あなたから幸せを貰っています。
你是我心中的樱花。我爱你。
(あなたは私の心の中の桜です。あなたのことを愛しています)
といったことを彼女に言った瞬間、次の日から避けられるのが怖くて、最終日に伝えようと思いその言葉を心にしまった。
日本を離れて、生まれ変わったような気持ちになっていた自分。でも、やっぱり怖がりで痛がりな根っこの部分は1ミリも変わっていないことを思い知らされたのだった。
お互い一切秘密なく全てを話せる中国語の先生がいて、その人にことの経緯を伝えたら「なんでそんな中学生みたいなことをしているの」とたしなめられたことがある。
自分でも中学生以下だと思う。が、それには理由がある。ある日、彼女と本屋に行った時に教科書コーナーで気づいたのだが、自分と彼女が学んでいる中国語レベルは、中国人にとっては中1、下手したら小学校5年生レベルなのだった。どうりでうちらのクラスって小学校みたいな感じなわけだと、彼女と一緒に、たくさん笑った。
つまるところ、自分は上海で、人生を小学生からやり直している。自分の腐った性根を正すには、できることなら胎児からやり直したいところだが、さすがにそこまで時間はない。
その時、彼女と一緒にすごす時間は、もうほとんど残されていなかった。それまでに自分はちゃんと大人に戻れるだろうか。真人間に、成れるだろうか。
結論から言うと、真人間には成れなかった。
でも、この話には続きがある。
次回最終回、どうかお読みいただければ幸甚の極みです。
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極めて私的な話にもかかわらずここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。感谢您们的支持!
<執筆者プロフィール>
もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。