日本凋落を、誰よりも悲しむアジアの日本語学習者たち【アジアン・レポート】
せっかく学んだ日本語が、ある日、何の役にも立たなくなる
「日本いい国強い国、世界に輝く偉い国」
などと言ってアジアの盟主を自認し、世界に戦いを挑んだ挙げ句、コテンパンに敗れ去った戦前の我らがニッポン。もう二度と戦争しまいと心に誓い、奇跡的な復興を遂げて再びアジアに君臨したが、あろうことか爆発的な経済成長を遂げた中国にその座を奪われ、今日に至っている。
豊かであることには変わりはない。でも、もうどう背伸びしても金の面では中国に敵わない。そんな状況を「今に見ておれ」と歯ぎしりするでもなく、日本人の多くがなんとなく無気力に受け入れてしまっているように思われる。もしくは「国際社会でキラリと光る国に」とか何とか言って、大国との真っ向勝負を避ける形で未来を模索しようとする人たちもいる。
いずれにしても、日本が相対的に弱くなったのは動かしがたい事実であるとの認識は、現実を見ない人やそんな話どうでもいいという人を除けば、今を生きる日本人の共通認識であるように感じられる。
祖国の凋落にあまり悲壮感のない日本人に比べて、なぜ日本は中国の後塵を拝するまでに堕ちたかと心の底から悲しんでくれる人々がいる。それがアジア各国の日本語学習者たちである。
特に観光地の日本語ガイドや物売りのおっさんおばはん、さらには日本人をカモにするポン引きなど、苦労して日本語を体得し、それで食ってきた比較的貧しい人々は、自分たちの生活がかかっているから当然といえば当然だが、まさに藁にもすがる思いで日本の復活を祈ってくれているのだ。
アジア各地で繰り広げられる、日中韓の陣取りバトル
アジア各地を巡っていると「国取りゲーム」で日本が続々敗れていることをしみじみ実感できる。敵は中国だけではない。かつては日本人の天下だったこの国、あの都市がいつの間にかハングルや中国語だらけになっている、なんてことがここ十数年で全く珍しくなくなった。学もなく、日本にも行ったことがないけれど家族を食わすために日本語を学んだアジアの人々が、それをどんな思いで見ているかは想像に難くない。
ラオス、カンボジアは完全に中国の手に落ちた。フィリピンは韓国優勢、タイはソフトパワーでまだ日本が強いが、いつ中国マネーの軍門に下るか分かったものではない。生活のために外国語を身に付けようと思ったら、英語はともかくとして、今の流れは完全に中国語である。
バガンの遺跡を一望できる丘の上で遭遇した日本語を話す物売りの女性。「ニホンジンスクナイ」と悲しそうに言っていたが、この子はまだ外の言語でも学び直しが効く年頃ゆえ救いがある方だ。
まだ日本語学習熱が盛んなアジアの国となるとベトナム、ミャンマー、ネパールなどが挙げられる。いずれも外国人技能実習生とかいう事実上の単純労働者を日本がさかんに受け入れている国だ。
筆者はかつて長いこと、東京の大塚(豊島区)に住んでいた。ここはリトル・ヤンゴンと呼ばれる高田馬場と並んでミャンマー人が多い街として知られている。コンビニから飲食店などのアルバイトにはやたらとミャンマー人が多く、地元の人の中にはそれを良しとしない向きもいる。もっと言うと、蔑視する輩すらいるほどだ。領収書に漢字が書けない、宅急便を頼んだらレジに手間取って待たされたなどとガチ切れしている人もたびたび見かけたことがある。
そんな心の狭い方々に言いたい。眼の前にいるミャンマーから来た若者は、下手したらあなたよりもよほど優秀で、覚悟を持って海を渡ってきているということを。ミャンマー人にとって日本語は比較的学びやすい言語とはいえ(文法上で似た部分がある)、コンビニで働けるほどまで上達するのは容易ではない。語学学習はとかく根気がいるものであり、それを保つのは強固なモチベーションである。
まともに会社勤めをしたら初任給が2万程度の国から、己の人生を変えるために日本語を学ぶことを選んだ彼ら。それも、これからは中国語の時代とか周囲が言う中であえて日本を選び、憧れの国へとやってきた彼らを、どうしてレジが遅いだの注文を間違えただのと罵ったりできようか。
我々は日本がアジア最強だった時代はとうに過ぎていることを自覚した上で、日本を選んでくれた彼らを温かい心で受け入れる必要があると思うのだ。
日中バトルの最前線をゆく
子供であろうと拝む姿は真剣そのもの。歴史のある遺跡でも内装や仏像が比較的新しいのは、ミャンマーの人々にとって寺院や仏塔が生きた信仰の場である証といえる。
アジアでも抜群に親日的なミャンマーですら、今や中国の侵食が著しい。現地に行ってみれば分かるが、首都ヤンゴン一帯はともかくとして、古都マンダレーを中心とする中部ビルマから中国国境にかけての地域はほぼ中国の手に落ちた。空港からマッサージ屋に至るまで、東洋人と見たら「你好」「大哥(おにいさん)」といった有様だ。
ところが同じく中部ビルマ、マンダレーからそう遠くない仏教遺跡の街・バガンに行くと面白いほど中国語が通じず「ドコイクノオニーサン」となる。日中の影響力バトルにおける目に見えない戦線が、マンダレーとバガンの間に存在しているということだ。これとて数年後にはチャイナに押しまくられてバガン陥落、となっても全く不思議ではない。
ちなみにこのバガンなる都市、長年「遺跡の修復方法がひどすぎる」、「仏像のネオン装飾をなんとかせい」などとユネスコからイチャモンをつけられていたが、ついに悲願叶って世界遺産に登録された。
行けば分かることだが、ミャンマーというのは多民族・多宗教国家でありながら世界でも稀にみる「仏国土」としか形容できないほどの仏教至上なお国柄である。
よく東南アジアの仏像はお顔にありがたみを感じない、遺跡の修復が雑と言う人がいるが、それは間違いだ。特にミャンマーでは、全ての仏教遺跡は今も生きた信仰の場に他ならない。お寺や仏様が傷んだりしたら、当然現代の人々が最も良いと思う方法で修復するし、色とかもガンガン塗り直す。ネオンバリバリに飾られた仏像をけしからんと思うのは外国人による価値観の押し付け以外の何物でもない。
自分は仏教徒ではないが、バガンの仏様の美しさは決して日本のものに劣るとは思わない。それらをカタコトの日本語で頑張って案内し、時に少しはぼったくろうとしてくる人々が将来もバガンの地にいてくれることを願ってやまない。
マンダレー市内のパゴダ(仏塔)。自然も遺跡も大変美しい街だが、人々の暮らしは貧しく、観光客が落とす金が多くの住民の生活を支えている。
日本の再起を心より祈って…
海外に行かない人にとっては関係ない話と思いつつも、あえて言えばアジア好きとしては街角で日本語を聞けなくなるのは、なんとも寂しい。
「ニホンダイスキデス」とキラキラ目を輝かせて言う若者だけでなく「オニーサンカッコイイネー」「クスリ?クスリ?」といった怪しげなポン引きすらも、将来的には「そんなの昔いっぱいいたよね」といった懐かし話になってしまうかもしれない。
いずれにしても中国や韓国の進撃をこれ以上許しているようでは、将来、日本語を学ぼうとしている人々をも日本は裏切ることになるかもしれない。
このままで良いのか諸君! と声を張り上げるほど自分に問題意識があるわけではないものの、アジア各地の街角でカタコトの日本語をあやつり日銭を稼ぐ人々が露頭に迷うようなことはひとりの日本人として申し訳なく、日出る国ジャパンの復活を願う次第である。
頑張れ、ニッポン!
<執筆者プロフィール>
■もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。
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