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ぶらり大人の廃線旅 第4回 JR可部線 「一部復活」した異例の廃線はかつて浜田を目指していた(後編)

国鉄2万キロの記念碑

 坪野(つぼの)駅の先で第5太田川橋梁を渡れば田之尻駅である。すぐ目の前が太田川であるが、駅の手前には昭和29年(1954)に国鉄全線の営業キロが合計2万キロに達したのを記念する石碑が建てられているそうだ。その先の砂ヶ瀬(ごみがせ)という珍しい読みの地名をもつ集落を過ぎれば、ほどなく中国自動車道の50メートルはありそうな高い橋をくぐって津浪(つなみ)駅に至る。手前には第6太田川橋梁があったはずだが現状は確認していない。

 津浪駅の跡地は道の駅のような施設だが、地元の産物が売られている。駐車場には線路のあったと思しき所に白いペイントで線路の絵が描かれていた。津浪という地名はもしやと思って調べてみると、やはり「山津波」が由来という。駅の東側の地形は太田川の穿入蛇行の痕跡で、その平坦地に集落が開かれている。その流れが削ってできた「環流丘陵」が地区のまん中に聳える丸山(445.8メートル)だ。あるときこの流れを山津波が遮り、現在の流れ方になったと伝えられている。

▲津浪駅

 香草(かぐさ)駅跡には駅名標が保存されているが、その下に地名の由来が記されていた。かつて当地の名産である茶の木を移植した際に「香気高き草」になぞらえたと説明板がある。太田川に立つ川霧が良い味を生み、特にこの香草あたりの茶は広島藩の上級藩士に供する御用茶として買い上げられたそうだ。

 線路の東側に接する急崖の上に聳える百々山(どうどうやま)という珍しい名の山を右れば丁川(ようろがわ)を渡って加計駅に入る。ドウドウは全国的に分布する地名であるが、水の轟音に由来するものが多い。ここでははるか下に俯瞰する太田川の響きであろうか。丁をヨウロと読むのは古語で、ヨボロは膕(ひかがみ)、つまり膝の裏側を意味しているから、屈曲した川に名づけられるらしい。千葉県では蛇行河川の代表格として知られる養老川も形状はまさにヨボロである。

山県郡の中心地・加計はガケ地名か

▲木坂駅

 加計(かけ)は山県郡の中心地で、平成の大合併を経て現在は安芸太田町となった。町名は国名と河川名を並べたものだが、町役場は加計ではなく旧戸河内町にある。加計駅(横川起点46.0キロ)の跡はだだっ広い空間になっており、観光案内所や商工会加計支所の入る「太田川交流館かけはし」が茶色い石州瓦を載せていた。石州−島根県へは国道186号で滝山川を北へ遡れば10キロほどでたどり着く。浜田までは約60キロの道のりだ。

 そういえば加計という地名は一時期マスメディアに毎日のように登場して馴染みの文字となった。カケの地名には他に欠・掛・景などいろいろな字が用いられるが、崖にちなむ地名が多い。ただし『角川日本地名大辞典』には、「川船交通の要衝であったことから舟をつなぐことをいう「かける」にちなむものと思われる」とあって真偽のほどはわからない。加計旧市街の商店街は「街ぐるみ博物館」と銘打っている通り、かなり古い商店建築が残っているので街歩き愛好者には楽しめそうだ。

 浜田へ向かっていくはずの可部線であるが、ここからは島根県に背を向けて南西に進行方向を変える。太田川の流れに従ったもので、この先の戸河内までは本流沿いの少し開けた谷間を進む。加計駅から先は前述の通り昭和44年(1969)に開業した区間なので橋梁はPCコンクリート橋が用いられ、道路との交差は踏切でなく、立体交差になっている。まだ同39年に発足して数年の日本鉄道建設公団(鉄建公団)が着工、完成させた区間だ。

 高い築堤の上にあるのが加計の次の木坂駅(横川起点47.9キロ)で、国道からは70数段の階段がまっすぐ築堤へ上っており、高いホームからは集落全体が見渡せる。山側は棚田になっているのだが、ずいぶん以前から放置された印象だ。その2つ先の上殿駅は中国自動車道戸河内(とごうち)インターのすぐ近くで、その先は太田川7番目の轟(とどろき)橋梁で対岸へ渡る。なぜ第7太田川橋梁と名乗らないのかはわからない。

三段峡に列車が走ったのはわずか34年

 その先は支流の筒賀(つつが)川沿いの旧筒賀村の中心・筒賀駅を経由して再び本流沿いの土居駅へ戻ってくるのだが、そこに全線で最も長い筒賀トンネル(1018メートル)が穿たれている。「津々浦々に鉄道の恩恵を与える」という戦前からの思想がそんなところにも表われているようだ。安芸太田町役場のある戸河内駅を過ぎれば、次はあと2.9キロで終点の三段峡駅(横川起点60.2キロ)である。

 取材したのは2月であったが、戸河内駅では想像もしなかったほど三段峡駅の周辺は雪に埋もれていた。廃止後も保存されているレールも見えなかったし、車止めも雪の上に顔を出した程度である。観光シーズンから外れているためもあってか、駅前の土産物屋や旅館などは戸を閉めている。

 平成17年(2005)に解体されたという駅舎は鉄筋コンクリート造りの立派なものだったそうで、自家用車の保有率がそれほど高くない開業当時、まさに観光といえば鉄道で行くのが当たり前だった頃の名残だろう。昭和60年(1985)までは駅員が詰めていたそうだ(後に出札業務などを簡易委託)。

 それでも駅から雪に半ば埋まった階段をそろそろと降りて三段峡の入口へたどり着くと、雪をかぶった岩の中を澄んだ流れが見えた。昭和44年(1969)に開通して平成15年(2003)に廃止だから、結局は列車が走ったのはわずか34年に過ぎない。恐羅漢山(おそらかんざん)東麓を深く穿つ柴木川の万年単位で変わらぬ流れから見れば、それはごく一瞬の出来事だったに違いない。観光客が来ても来なくても、今日も何事もなかったかのように川は流れている。

▲三段峡入口

今尾 恵介(いまお・けいすけ)
1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1〜5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。

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