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「生まれてきて、今が1番幸せだ」 と思える人生のために -40歳から始める国際恋愛のススメ①-

**メンヘラ女子とクズ男。 
あるカップルが教えてくれたこと**

 出版社で働いていた頃、職場にMさんという先輩がいた。ビジュアルは一見して懲役帰りのチンピラ系、でも一度として怒った顔を見たことがないほど心優しい人だった。そのMさんと自分の共通の友人に「タカ」というこれまた懲役ヅラの奴がいた。Mさんとは野外レイバーの聖地・インドのゴアで知り合ったらしく、自分がタカに初めて会ったのは日比谷線六本木駅の駅階段。初対面の自分に向かって、第一声で「な、なな、なんか持ってない?」とか言うような男だった(彼はもろもろの後遺症で滑舌が極端に悪い)。

 そんな彼に、とある年の正月明け、中央線三鷹行きの車中でバッタリ出会い「彼女ができた」と聞かされた。お相手は家庭内暴力、学校でのいじめ、自殺未遂にパニック障害と病み要素満漢全席のメンヘラ女子で、好きな芸人は鳥肌実。タカにその子の写メを見せてもらったら、心が病みすぎたのか、顔の骨格まで変わっていた。

 聞いて欲しそうな顔をしていたので一応「やったの?」とか尋ねてやると、タカはスマホの画面をスライドさせて、エグい合体写真を見せびらかしながらニヤリ。付き合った経緯を聞いたら予想通り、イリーガルな物質をエサに寝技に持ち込んだとのことだった。まさに惚れ惚れするほどのクズ男、というかどう甘く見ても結構重めの犯罪者(でも根はいい奴だったりする)。
 ところが彼の話によれば、タカとのセックスの最中、そのメンヘラ女子は大粒の涙を流しながら人生で初めてのオーガズムに達し、終わった後に感極まってタカのことを強く抱きしめ「生まれてきて、今が一番幸せ」と言ったのだという。

「ヒ、ヒ、姫始め…」
 中央線の車内にもかかわらず、タカは続けてそう言った。どうしようもない最低男のエロ話と断罪してしまえばそれまでだが、その時自分は彼のクズっぷりよりもメンヘラ彼女が言った「生まれてきて、今が一番幸せ」という言葉の方が心に残って、当時は中央線に乗るたびにふと思い出すこともあった。
 彼女はその瞬間、良し悪しとかは別にして、確かに生まれてきて一番幸せだったんだと思う。

 では自分はどうだろう。生きていてそんな瞬間があるだろうか

 あるとしたら何か。まぁねーだろ、くらいの感じで全然深く考えたりはしておらず、やがてタカが行方不明になってからはその彼女の言葉もすっかり忘れていた。

**退路を断って修羅の国・中国へ

そこで待っていた出会いと幸せ**

 筆者の生業は、エロ本編集者である。正確に言えば、エロ本編集者「だった」。10数年仕事を続けて楽しいこともそれなりにあったけれど、しょせんは虚業。ひたすら編集作業に打ち込んで、性を売り物にしているうちに独身のまま40を過ぎていて、もはや考え方も人生も、後戻りができないところまで進み切ってしまっていた自分。このまま身体が動かなくなるまで仕事を続けて、いつか土に戻れればそれで十分、くらいのことしか考えていなかった。
 ところがいろいろあって仕事を辞め、中国語の勉強のため上海に移り住むこととなり、あのメンヘラ女子が言った言葉を、十数年ぶりに思い出すこととなった。

「アタシ、生まれてきて、今が一番幸せ」

思いもよらないことに、40男である自分が修羅の国・中国で、まさにその境地に達してしまったのであります

 別に変な宗教に入ったわけでも、頭がおかしくなったわけでもないし、イリーガルな物質にうっかり手を出したわけでも決してない。中年真っ盛り、頭もいい加減薄くなってきたこの歳になって、この味を知ろうとは…。

 俺、間違いなくこれまで体験したことのない多幸感に包まれて、上海での留学生活を過ごしてる。

 何があったかというと、相手にとっては迷惑だと承知の上だが、いい歳して留学先のクラスメートの中に好きな子ができて、その子と毎日、机を並べて勉強してる。と言っても一緒にごはんを食べに行ったり、美術館を巡ったり旅行に行ったり、ただそれだけなのだけども、もうどうにも言いようがないほどに心が満たされてるわけなのです。

 食っていくには別段困りはしないけれど、生きててつまらない、どうにも幸せを感じられない。そういう人は日本に決して少なくないと思う。自分もまさにその一人だったから、よく分かる。
 でも、そんな己の中にも幸せを感じるセンサーがちゃんとあるんだってことを、ほんのちょっとしたきっかけで気付かされることもあるのだから、人生は分からないものだ。

 以下、極めて個人的な体験談ゆえに、これを読んでくれている皆様の参考になるかどうか全く自信はないのだけれど、この喜びと、その後にやってきた深い悲しみを、一人でも多くの幸せを求める同胞にお届けしたい
 そんな想いで書き綴る、40からの幸せ探し。下品な話も多々出てくるのはどうかご容赦を。
 

**この子になら今この瞬間、

内蔵全部あげてもいいと本気で思った**

 自分が所属していた留学先の中国語クラスは生徒が全部で18人。そのうち40代は自分を含めて2人しかおらず、アウェー感に押しつぶされそうになりながら初日の授業に挑んだ。

 その日たまたま席が隣になったのが、30歳のタイ人華僑の女の子。彼女からの第一声は「あの…フィリピンから来た方ですか?」(コミュニケーションはお互い拙い中国語)。どうやら自分は、日本人には見えないらしかった。その日からお互いなんとなく毎日同じ席に座るようになり、陽気なクラスメイトの中で自分と彼女だけが激しい人見知り同士だったこともあって、気がついたら授業中から放課後まで、ほぼ一緒に過ごす仲になっていた。

 ちなみに当時の自分はエロ本家業の後遺症で、女子は「若ければ若いほど可愛い」などという愚かな観念に囚われていたのだが、それを崩したのがこのニンちゃん30歳。中国に来る前の自分だったら完全熟女カテゴリーである。
 が、とりあえずむちゃくちゃ可愛い。この子に「内蔵全部くれ」って言われたら無条件で全提供してしまいそうなほど可愛い。

 微笑みの国・タイランド、しかもマレーシア国境のディープサウス出身とは思えないほど、とにかく彼女は笑わない。クラスメイトとも明るく話したりしない、ガラス細工のように繊細で線の細い薄幸美人。さらに若い頃ストーカー被害にあったせいで極度の男性恐怖症らしく、読んでいる本をふと見たら『チベット死者の書』(中国語版)。
 さらに「わたしはこういう病気です」といって、難しい漢字は書けないからとケータイ画面で見せてくれた彼女の病名は「郁症(うつ病)」。タイ最高学府の修士卒でイギリス留学経験もあり抜群に頭はいいが、いろいろとややこしい子なのであった。

 お互い性格が暗いので会話は途切れ途切れ。それでも構わず彼女の方から毎日あれやこれやと話しかけてくるものだから、実を言うと最初は「面倒なことになったな」と思ってた。ご飯を一緒に食べに行っても、これほど美味しくなさそうに食べる子もそうそうお目にかかれまいと思うほど、何かを抱えてしまっていて「楽しく会話しなくては…」というプレッシャーで授業なんぞよりよっぽど集中力がいるというか、気を使う。

 でも、時折自分が言った言葉がツボに入ると、雪のような彼女の白い肌よりさらに白い歯を見せて、控えめにクスクス笑う、そんな感じの女の子。

**挿入なんかしなくたって

一緒にいられればそれで十分幸せだ**

 学校で一緒に過ごしているほとんどの時間、やっぱり彼女はいつも不機嫌そうで、にも関わらず何故か次々と「あそこに行こう、ここに行こう、今度の休みは杭州に一緒に旅行に行こう」とかその子の方から言ってくる。

 ところがたまたま、数日くらいなんとなく授業中も話さないし、放課後も会わない時期があった。その時初めて、自分の感情に気づいた
 「この感じ、いつ以来か…」と記憶をさかのぼってみたのだが、もはや思い出せないくらい昔のことなのだった。

 むろん己の腐った性根は何ら変わっていないので、真面目な話になった時に「イキガイヲ、サガシテイマス」とか日本語(少し喋れる)で言う彼女の話を聞きながら、そんな悩みなんて1日2時間のクンニで治せるのではあるまいかと思う自分がいる。二人とも留学期間はたったの4カ月、所詮はあと数カ月で終わる夢の時間であるから、彼女への好意も己のゲスな本性も、一切悟られないようにせねばならぬ。
 
 つまりゴールは絶対ないわけで、寸止めどころか手も繋げない究極のプラトニック。ところがその満たされない感じがまた良くて、脳内ドーパミン工場がフル操業やむなしといった具合なのだった。

 やはり会社の元先輩で、ことあるごとに「違うんだよオメェ、挿入とかどうでもいいんだよ」とか言ってた人がいたが、今、その言葉の意味が心底分かるような気がする。手を繋げなくたって、挿れなくたって、一緒にいれたらそれで十分幸せだ
 ちなみにその先輩は「俺、フェラチオ上手いよ」とも言っていた。そっちの言葉の方はたぶん一生理解できないと思う。

 彼女と出会って、事の幸不幸に対する考え方もまるで変わった。前の会社ではいろいろあって退職し、シビれる想いもそれなりにしたけれど、そのことがなかったら彼女と出会うことはなかったと思うと、本心から昔の職場のみんなに心からの感謝の気持ちを伝えたい気分。
 冗談じゃなく、本気でそう思ってる。せっかく中国語を勉強しているので無理やり使うと「塞翁失马,焉知非福」、人間万事塞翁が馬とはこのことだ。
 人生も幸せも、何が福と転じるかなんて分からない。そこに生きる意味が、あるのだと思う。
 
 彼女のようなタイ人、もしくは華僑と付き合う中で、これまで自分が抱いてきた人生観も大きく変わった。タイ人、そして華僑を含む中国人は、何よりも家族を大事にする(もしくは家族以外信用しない)
 中国に来るまでは己の生きる目的を「死ぬまでに何人とセックスできるか」とガチで考えていた自分。しかもここ10年くらいの努力の賜物で、全国区は無理でも市町村レベルだったら結構いい順位にランクインできるほどに実績を積み上げてしまっていた。

 そこでまさかの価値観逆転。
 つまるところ大事なものは、何人とセックスしたかとかじゃなく、本当に好きな人と家族を築くことなんではないだろうか。気づいたところで、むろん手遅れ。でも悔い無し。気づけただけでも儲けもんだと思ってる。
 
 …と、話がこれで終わっていれば最高だったのだが、その時の自分は、完全に忘れていた。幸せの後には時として、同じ分だけ悲しみもやってくるということを。

*

次回に続きます。ここまでお読みくださりありがとうございました。多謝!

<執筆者プロフィール>
もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。


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