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【医療ミステリー】裏切りのメス―第18回―

【前回までのあらすじ】
 病院再建屋集団「チーム小倉」の交渉に横やりを入れてきた「HOグループ」。そのリーダー尾方肇は元国立大医学部生であり、広域暴力団・鈴代組の企業舎弟で、刑事二課の刑事もマークする人物だった。
思わぬ事態に「チーム小倉」は緊急対策会議を行うこととなった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<主な登場人物>

下川亨(しもかわ・とおる)
1967年4月25日生まれ。病院再建屋集団「チーム小倉」のリーダー。本ストーリーは彼の手記によるもの。

吉元竜馬(よしもと・たつま)小倉明俊(おぐら・あきとし)
 
1974年9月27日生まれ。天才脳外科医。大学病院の教授の策略で逮捕され実刑。医師免許を失うが、小倉明俊医師になりすます。チーム小倉では理事長や院長を担う。

佐久間君代(さくま・きみよ)
1981年12月15日生まれ。チーム小倉では看護部長を務め、看護師集めの独自のネットワークを持つ。

蒔田直也(まきた・なおや)
 1970年6月13日生まれ。チーム小倉では事務長。プレゼンテーションに長ける。

安井芳次(やすい・よしつぐ)
1949年12月20日生まれ。北関東を中心に展開する病院チェーン「安井会グループ」の創設者。

尾方肇(おがた・はじめ)
1973年1月10日生まれ。元国立大医学部生。病院乗っ取り屋「HOグループ」を率いる。広域暴力団・鈴代組の企業舎弟。

湯本利晴(ゆもと・としはる)
1967年8月5日生まれ。刑事。群馬県との県境にある埼玉県北部の警察署に勤務。

<佐久間君代>

 私のマンションに一番早く姿を現したのは佐久間君代だった。チーム小倉の緊急対策会議が始まる8時まで、まだ30分ある。彼女のためにとびきりのエスプレッソを入れることにした。豆は最高級アラビカ種のライトロースト。煎りが浅いほうがカフェインが多く残っていて、朝の寝ぼけた頭にガツンとくるのだ。

「こんな朝早くから申し訳ないね。こんなハードワークになるなんて、想像もしていなかった。本当にすまない」

 苦味より酸味がきわだつエスプレッソを舌の上で転がしながら、佐久間にねぎらいの言葉をかけた。

「大田区のクリニックに勤めていたときのことを思えば、このくらい、なんてことはありません。私を底なし沼から救い出してくれたのは下川さんです。いまでも感謝しているんです」

 看護師の佐久間と出会ったのは7年前、彼女が24歳のときだ。19床に看護師4人。それで24時間体制のシフトを組まなければならないのだから、殺人的な忙しさだった。そんなさなかに飲みに誘って、一度だけ関係を持った。だからというわけではないが、労働環境がきっちりしていて、キャリアアップも図れる世田谷区の総合病院を紹介した。もともと能力が高かった彼女は数年で看護師長に昇りつめた。

「今回、このチーム小倉で仕事のパートナーになってくれたわけだけど、実生活でもパートナーになるチャンスはあったかな」

 朝からする話ではないなと思いながら、以前から聞いてみたかったことを口にしていた。佐久間からそうした雰囲気が伝わってくれば、プロポーズしてみたい気持ちも少しあったのだ。しかし、バイセクシュアルとはいえ、ヘテロ(異性愛者)よりレズビアン指向の強い彼女が首を縦に振るとは思えなかった。

「下川さん、そんな素振り、一回も見せてくれなかったじゃないですか。その場面にならないとわからないけど、たぶん、私はOKしていたと思う」

「じゃあ、いまだったら」

「チーム小倉の連帯を考えるのなら、いまはダメでしょ。メンバー4人のうち2人がカップルというんじゃ、何かとバランスが悪くて空中分解しちゃう」

 うまく、はぐらかされてしまった。これ以上、この話を続けることはなかった。吉元竜馬、蒔田直也が相次いで到着したからだ。あいさつもそこそこに、さっそく会議を始めることにした。

<HOグループの正体>

 私は夜中に信用調査会社にいる知り合いと連絡をとり、病院乗っ取り屋の尾方肇が代表を務める医療コンサルタント会社「メディカルHOコンサルティング」(通称HOグループ)についての報告書を電子ファイルで送ってもらっていた。プリントアウトした報告書を各自に配った。

「私もさっと目を通しただけですが、ポイントをかいつまんで挙げておきます。HOグループの資金源はベルファイナンスという金融業者です。代表は木村恭二郎という男で、鈴代組の鈴山峰雄組長の従弟。正規に貸金業の登録をしていながら、ヤミ金の手法を駆使。借り手に生命保険をかけさせ、自殺に追い込んでカネを取り立てるような非情な手段も平気でとる業者のようです」

「要するに、ベルファイナンスは鈴代組のフロント企業ということですね」と蒔田が口を挟んだ。私は「そうだね」と頷き、こう続けた。

「正規の登録貸金業者といっても、やっていることはヤクザ丸出しだけどね。代表の木村は鈴代組にも構成員として名を列ねていて、役職こそないものの、若頭よりも権力を持っていて、実質的なナンバー2らしい。手形ビジネスに精通していて、尾方肇に手取り足取り指南している。いわば、HOグループの後見人であり、最高顧問といった立場です」

「暴力金融が背後に控えていて、そこがコントロールしているとなると、病院乗っ取りの仕事にロマンのかけらも持っていないということになりますね。医療経営をする気など、はなっからないのでしょう。彼らの目的はいかにカネにするかだけ。効率よく儲けるために短期決戦で勝負して、あとは野となれ山となれ。安井会グループが尾方らの手に落ちれば、半年もたたないうちにその名前は完全消滅してしまいますよ」

 蒔田が言う通りだろう。何としても、HOグループの介入を阻止しなければならない。信用調査会社から入手した報告書は相当、役に立つだろう。だが、これだけでは自信がない。ワンマン理事長の安井芳次に安井会グループが風前のともしびにあることをわからせるには、尾方たちの悪辣さがもっと前面に出てくるような情報がほしい。

 とはいっても、そう簡単な話ではない。タイムリミットが迫っているのだ。尾方が安井を言いくるめて、自分たちの掌中に収めるまでに、1週間はかからないだろう。今日が2013年4月10日(水)。いまも自身が最初に開業した診療所に出ている安井が余裕をもって時間がつくれるのは、診察が午前中で終わる土曜日だけだ。安井を何とか説得して、土曜日の午後に会う段取りをつけるとすれば、タイムリミットは4月13日正午ということになる。それまでに、生々しい情報を入手したい。

 ずっと黙って聞いていた吉元竜馬から「日曜日は使えないのか」という質問が出た。

「14日の日曜日、安井はゴルフ場に出て、尾方とラウンドしていると思われます。安井のゴルフ仲間の開業医によると、尾方が最初に接触を図ったのもゴルフ場だったそうです。そして、意気投合。安井は尾方の策略にまんまとはまったのです。14日は最後の詰めをするに違いありませんから、私たちにとっては13日までが残された勝負の時間なのです」

 ここで蒔田から提案が出た。尾方やHOグループのことを追っている埼玉県北部の所轄署の刑事、湯本利晴と連絡をとってみようというのである。

「いますぐ、湯本刑事の携帯にかけてみましょう。この場で、みんなに私と湯本さんのやりとりを聞いてもらえればと思うんです」

「それはいいね。時間の節約にもなるし、ぜひお願いするよ」

 携帯電話とパソコンをつなぎ、蒔田以外の3人がそれぞれイヤホンで通話内容を聞けるようにセットした。蒔田が湯本の携帯にかけると、向こうの着信音が鳴るか鳴らないかのうちに「おはようございます」という声が聞こえてきた。今日は非番だという。蒔田はここ数日起こった出来事を話した。

<自殺で処理された病院長の死>

「尾方肇が現れましたか。ここのところ、なりをひそめていたので、どうしたかと思っていたんです。安井会グループもよく知っていますよ。うちの署の管轄区域にも、グループの病院がありますからね。安井芳次のような唯我独尊タイプがだまされるんです」

 湯本は自身が勤める警察署の管轄区域で3年ほど前に起こった病院乗っ取り事件にかかわり、尾方の存在を知った。詐欺や業務上横領の容疑で追っていたのだが、逮捕できるだけの材料は揃わず、捜査本部は解散。その後、湯本は空いている時間を見つけては、個人で捜査を継続していた。

「その前に起こった事件を群馬県警の知り合いの刑事から聞いて、尾方に対する疑いを深めたんです。埼玉県との県境に近い群馬県の60床の小規模病院で、尾方らのグループが乗っ取りを企てた。6年ほど前のことですが、これが病院乗っ取り屋としての尾方のデビュー戦だったようです。手形を乱発して、まんまと1億5000万円をせしめてトンズラしたというんです」

 問題はその先だった。

「その病院は結局、閉院したのですが、それからまもなく理事長兼病院長だった男性が群馬県最南端にある諏訪山の山中で遺体で見つかった。大量の向精神薬を服用しており、失意の自殺と見られ、群馬県警もそう処理した。しかし、知り合いの刑事の見立ては違っていた」

 チーム小倉のメンバー4人は全員が微動だにせず、聞き耳を立てていた。

「この理事長は自殺ではなく、殺されたのではないかと……。その理由として、まず、次の就職先が決まっていた点。理事長は出身大学の関連病院に内科部長として招かれることになっていた。それから、からだに無数の傷があった点。向精神薬の大量服用で苦しくなって、自分でからだを掻きむしったのだろうと判断された。しかし、手首をネクタイで縛られたような跡がかすかに残っていたというんです」

「湯本さん、ありがとうございます。いまの話は安井芳次を思いとどまらせるのに使えますね」と蒔田は弾んだ声で言った。

「もし、安井と会うんだったら、僕も同席させてくれないかな。尾方を追いつめる糸口になりそうな気がするんだ」

「実はまだ、アポイントがとれていないんです。何とか、説得しようとは思っていますが」

「安井が難色を示すようだったら、すぐに言ってください。僕のほうから口添えするから。知らない仲じゃないのでね」

 事情を知る刑事が味方につくのなら、こんな心強いことはない。ただ、ひとつだけ懸念はないわけではないが……。
(つづく)



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