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【医療ミステリー】裏切りのメス―第45回―

【前回までのあらすじ】
「チーム小倉」のリーダー下川亨は、メンバー2人を殺害した疑惑のある尾方肇と直接会い、問い詰めることを決意した。チームの湯本利晴が手配をし、尾方との面談に臨んだ下川は、雑談もそこそこに、核心を問いかけた。「あなたはチーム小倉を恨んでいるのではないですか」。その場の全員に緊張が走った。
陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<尾方肇の冗舌>

 1分ほど、たったときだった。静寂を切り裂くように、神妙な面持ちの尾方肇が突然、笑いだした。

「たしかに、チーム小倉を恨んでいますよ」

 おどけたように言って、こう続けた。

「でも、ありえない。下川さんが何をおっしゃりたいのか、わかっていますが、僕もそこまで馬鹿ではありません」

 今回、尾方との面会のアポイントをとるにあたって、湯本利晴はその理由をオブラートに包むようなことはせず、ありのまま伝えたと語っていたが、その通りなのだろう。尾方も、こちらが何を考えているか、正確に把握していた。チーム小倉のメンバー2人の死に尾方が関与しているかどうかを確認するために、ここを訪れたのである。それを承知した上で面会に応じているのだ。どう応対するか、あらかじめ計算していたに違いない。

 だが、そうだとしても、尾方の笑い声はあまりに無邪気に聞こえた。横で固唾を呑んで見守っていた林佳怡(リン・ジャイー=現・尾方佳子)の表情も一気に緩んだ。

 私は自分の推理を疑いながらも、だまされてはいけないと言い聞かせ、気を引き締めていた。顔をこわばらせているのを自覚したが、私の心を見透かすように、尾方は喋り続けた。

「安井会グループをチーム小倉に持っていかれたのが痛くないと言えば、嘘になる。でも、復讐なんて考えませんよ。早い者勝ちという意味では、仮契約まで漕ぎ着けた僕のほうに分があるんでしょうが、そちらが先に安井芳次先生とは接触していたのは事実。僕もあまり偉そうに胸を張れる立場にはない」

「チーム小倉があなたより前に安井さんと接触していたと知ったのはいつの時点ですか」

「あなたがたが安井先生と会った直後に、情報が入ってきた。そこで、僕もすぐに安井先生にアプローチをかけたんです。ただ、こちらはずいぶん前から安井会グループに目をつけ、いろいろ調べていましたからね。そうした動きを知って、チーム小倉は横取りをしようとしたのだと、僕はてっきり思った」

「いや、私たちはまったく尾方さんの動きは知らなかった。2度目に安井さんと会ったとき、急に態度が変わり、別のグループから支援してもらうことになったと言われた。安井さんと最初に会った段階では、ものすごく好感触でしたから、その変わりように驚きました。どこが支援することになったのか、すぐに調べたら、尾方さんが率いるHOグループの名前が浮上したのです」

「チーム小倉が安井先生と接触したのは、こちらの目論みを察知してのものだと思い込んでいた。そうではないと知ったのは、安井先生の襲撃事件で湯本さんから取り調べを受け、そちらはそちらで、僕らの動きとは関係なく、安井会グループを狙っていたと聞かされたときです。たしかに、この医療グループは病院乗っ取り屋が介入しやすい経営状況にあった。自転車操業におちいっていましたからね。ライバルがいつ現れてもおかしくないのに、僕が準備万端にしてから攻めようと考えたのが間違いで、もっと初動を早くしていればと後悔しましたよ」

 病院乗っ取り屋と決めつけられるのは不本意だったが、ともかく、ここまでのところは尾方は嘘をついていないと、私は感じていた。あくまでも直感にすぎなかったが……。ただ、尾方はあまりにも冗舌だった。

「いずれにしても、そちらは僕が安井会グループをターゲットにしていることを知らなかったわけだし、僕が恨みに思うのはお門違いというものでしょう。それから4年近くもたって、チーム小倉のメンバーを標的にするなど、ありえないですよ」

<足抜けのための服役>

 尾方の話は理路整然としていた。私はもうひとつの疑問をぶつけてみた。

「安井さんを襲ったのはなぜですか」

 尾方は逡巡する様子もなく、すぐに答えを返してきた。それは思いもよらぬ言葉だった。

「湯本さんには申し訳ないんだけど、あれは冤罪です」

 湯本の目がギョロッと光った。何か言いたそうだったが、尾方は言葉を挟む余地を与えなかった。

「襲った鹿間凌という男が僕の子分のような存在であったのは事実です。しかし、僕が指示したというのはまったくの誤解。ただ、そう見えるのは、いきさつから仕方ない面もある。その心証をひっくり返すのは僕のほうからすれば、至難のわざだった。そこで、あえて僕は刑務所に入る道を選んだわけです」

「僕が君を罪におとしいれたというのか」

 湯本は絞り出すような声で言った。顔には怒気が浮かんでいた。

「そういうことを言いたいのではないんです。湯本さんは刑事という仕事をまっとうしただけですから。僕がもし冤罪を主張するなら、法廷戦術もまったく違うものになっていた。そうしなかったのは、そのほうが僕にとって得策だと思ったからです」

 安井会グループの理事長だった安井芳次が鈴代組の準構成員、鹿間凌に襲われたのはいまから3年10ヵ月前の2013年4月21日のことだった。命も危ぶまれた安井は、安井会グループ現理事長の小倉明俊こと吉元竜馬の神業ともいえる執刀によって、無事生還した。鹿間、そして鈴代組ナンバー2の木村恭二郎が相次いで逮捕されたが、尾方は逃亡。事件から2ヵ月余りがたった5月27日に、都内の潜伏先で湯本らの手によって逮捕された。

「逃げれば、襲撃にかかわっていると警察は見る」と、少し落ち着きを取り戻した湯本は弁解するように言った。

「それに、君は取り調べでほとんど抗弁しなかったじゃないか」

「逃亡したのは、自身の考えを整理する猶予が欲しかったからです。逮捕は時間の問題だとして、身の潔白を証明するにはどうしたらいいか。いろいろ模索してみたものの、妙案は浮かばなかった。そして、ある結論に達した。罪に服して、それをチャンスに変えようと思ったのです」

 私たちは、尾方が安井襲撃にかかわったことについては、疑う余地がないと考えていた。単なる関与というより、主導的役割を果たしたと見ていたのだ。ただ、あまりにあっさりと罪を認めたことについては、違和感を持っていた。そこで、こちらが考え抜いた末に出した答えは、鈴代組との縁を切るために、この事件を利用したのではないかということだった。このままでは、腐れ縁はいつまでも続く。そこから抜け出すには、この際、刑務所に入ったほうが手っ取り早いと、尾方が思ったのではないかという気がしていたのだ。

 それが確信に変わったのは、尾方が仮釈放を受ける際、審査機関である地方更生保護委員会に、鈴代組との関係を断つと宣した誓約書を提出していると知ったときだった。偽装でそうしたものを出す組関係の受刑者は少なくないが、尾方の場合は心底、組織と関係を切りたがっていると推察された。カネを吸い取るばかりの鈴代組とつながっていても、尾方の側にほとんどメリットはないのである。

<冤罪を主張する尾方>

 私は単刀直入に「鈴代組と縁を切るために、刑務所に入ったということ?」と質問した。

「それは小さくない理由です。僕は正式な組員にはなっていないものの、嫌というほど利用されてきた。せっかく、改善すれば十分、再生の余地のある病院を乗っ取っても、奴らはすぐにカネにすることを要求する。こんなことを繰り返しても何も残らないし、危ない橋を渡り続ければ、今後もたびたび警察の厄介になるのは目に見えている。ここらで、ヒモ付きでないまっとうな病院乗っ取り屋になろうと思ったんです。地方更生保護委員会に出した誓約書の法的効力はともかく、公けに縁切りを宣言している以上、奴らもおいそれとこちらに手を出しにくくなる」

「まっとうな病院乗っ取り屋」とは「チーム小倉のような」という意味なのだろう。その点だけは否定したかったが、尾方はかまわず喋り続ける。

「警察や検察に歯向かわず、向こうが立てたシナリオに従ったのには、もうひとつ理由があります。先に捕まった鹿間凌や木村恭二郎さんに、このままでは申し訳ないと思ったからです。断じて、僕は指示したり依頼したりはしていない。でも、安井先生を襲うにあたって、2人がこちらの気持ちを忖度したのは事実。彼らだけに罪を押しつけるのはさすがに恥ずかしいと思ったんです」

 鹿間も木村もまだ、塀の中にいる。鹿間は安井襲撃の実行犯として警察に捕まってからまもなく、鈴代組から破門された。湯本によると、よくある偽装破門ではなく、組から厄介払いされたのだという。事件のせいで、組事務所にガサ(家宅捜査)が入り、鈴山峰雄組長が激怒。準構成員の立場を剥奪された。現在、鹿間は20代後半に差しかかったところだ。

 この2月に73歳になった木村も、出所しても鈴代組に戻る気はなかった。鈴山組長とは従弟の間柄だったが、数年前から関係が悪化。刑務所に入ったのを機に、自分から組に脱退届を出した。

「こんなことを言うと不遜ですが、2人の面倒は僕が見るつもりです」

 午後2時に尾方のマンションを訪ねてから、3時間以上がたっている。カーテン越しに見える新宿の空もだいぶ暗くなってきた。蒔田直也と白木みさおを殺したのは尾方ではないのか。「ありえない」と言い切ったが、2人の死について具体的な話はまだ一切、出てきていない。尾方に釈明する気はあるのだろうか。疑心がもたげてきた。
(つづく)



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