【医療ミステリー】裏切りのメス―第59回―
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【医療ミステリー】裏切りのメス―第59回―

【前回までのあらすじ】
チーム小倉のメンバ-を狙った犯人が、同じメンバーの小倉俊明になりすましている吉元竜馬だと考えたリーダーの下川亨。吉元が大学病院を追われる冤罪事件を起こした、元同僚看護師の杉本莉緒を訪ねた。吉元と事件で使われたと思われる覚せい剤ヤーバーとのつながりを探るためだ。
杉本と話す中で、吉元は大学の卒業旅行でタイへ出かけ、仲間と離れ一人、路地裏のマッサージパーラーから出てくるところを目撃されていた。下川はいったん都心のマンションに戻り、事実を精査しようとしていたのだが……。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<佐久間が襲われた>

 都心のマンションに戻ると、私はすぐにインターネットを開いた。医学界の情報が載っているサイトを片っ端からサーフィンした。吉元竜馬のタイへの渡航歴を確認するためである。

 吉元が大学6年のときに卒業旅行でタイに寄ってから、本物の小倉明俊が亡くなるまで、14年ものブランクがある。殺害に使われたと思われるタイの覚せい剤ヤーバーをその間、ずっと保管していたとは考えにくい。そもそも、卒業旅行の時点で、将来の殺人のために、ヤーバーを持ち帰ってくるという推理はさすがに無理がある。

 こちらで手に入れた可能性もなくはないが、日本国内で出回っている量は限られているし、吉元がそうした売人と接触できるようなルートを持っているとも考えにくい。殺人のためかどうかは別にして、卒業旅行以降にも吉元はタイを訪れ、持ち帰ってきたのではないか。そう思い、渡航の機会がなかったか、調べてみることにしたのだ。

 同じ大学病院の脳神経外科の看護師だった杉本莉緒によると、仕事一筋の吉元が観光を目的とした旅行に時間を割くようなことはなかったという。海外に出かけるとしたら、学会への参加や、現地の大学から講演や指導で招聘されるケースくらいだ。

 タイの脳神経外科関連のサイトを次から次へ開いたが、吉元竜馬の名前はなかなか出てこなかった。そうした作業を繰り返し、2時間ほどたったとき、気になるリポートを見つけた。その中にDr.Yutaro Wakayamaという記述があるのが目に飛び込んできたのだ。

 苦手な英語を読み進めていくと、どうも若山悠太郎教授が2010年10月にタイ・バンコクの医科大で「脳神経外科の現状と今後」というテーマで講演したらしかった。実技指導も行ったとある。

 画面をさらにスクロールしていくと、リポートの最後のほうに小さな写真が載っていて、タイの医科大の教授らしき人物と若山教授、そしてその横に、若山よりずっと若い日本人が写っていた。もしやと写真を拡大すると、鮮明ではないが、見覚えのある顔が浮かび上がってきた。それはまぎれもなく、吉元竜馬だったのである。小倉明俊になりすましている、いまのひげ面の吉元ではなく、かつての神経質そうな端正な顔がそこにはあった。

 吉元は若山教授につきそい、タイを訪れることになったのだろう。看護師の杉本の話では、若山が部下の吉元に憎悪の目を向け始めるのは2011年春。突然の変貌だったというから、まだこのころは、二人の関係は蜜月にあったに違いない。

 若山に随行してバンコクに行った際、吉元は卒業旅行で立ち寄ったパッポン通りの路地裏のマッサージパーラーを再び訪れたのではないか。未成年の少年がサービスを行う、こうした店に対する当局の規制が厳しくなるのはそれからまもなくだったが、まだこの時点では黙認されるケースが多かった。そして、吉元は性的欲求を満たすと同時にヤーバーを手に入れ、ひそかに日本に持ち帰った。そう考えれば、吉元が本物の小倉明俊を死に至らしめるのに、酒とヤーバーを使ったという推理とも、つじつまが合ってくる。

 蒔田直也と白木みさおの殺害も含め、吉元を犯人と断定した以上、けりをつけなければならない。私はイングランドのジン「ボンベイ・サファイア」のロックを片手に、決着の方法を思いめぐらせていた。だが、そんな悠長なことをしている場合ではなかったのだ。

 午後8時半だった。私の携帯が鳴った。湯本利晴からだった。

「佐久間君代さんが襲われた」

 8ヵ月前まで現役の刑事を務め、事件には慣れているはずの男の声は上ずっていた。

「たったいま、安井中央病院に運ばれました。とにかくすぐ来てください」

 私の狼狽ぶりは湯本どころではなかった。言葉を発しようにも、声帯がまったく動かなかった。

<「ヨシモト先生にやられた」>

 自身も含めチーム小倉のメンバーのために1部屋ずつ借りている埼玉県北部のマンションに戻っていれば、すぐに対応できたが、いまは90㎞も離れた都心にいる。しかも、アルコールが入っている。湯本の声を聞いて、酔いはいっぺんに醒めたが、ハイエースを自分で運転するわけにはいかない。タクシー会社に電話すると、ゴールデンウィークの真ん中で、都内にいる利用客もまばらなのだろう。数分でこちらに来てくれるという。マンションの前に出てタクシーを待っていると、5分後に到着した。

 タクシーに乗り込むと即座に、湯本の携帯に連絡を入れた。

「どういう状態なんですか」

「まもなく手術が始まります。外傷性脳内血腫だそうです」

 どこかで耳にした病名だった。まもなく、4年前の出来事が脳裏によみがえってきた。安井会グループ前理事長の安井芳次が病院乗っ取り屋の尾方肇の弟分だった男にゴルフクラブで殴られ、意識不明の重体におちいったときの病名だ。小倉明俊になりすます吉元の見事な執刀で、安井は生還した。佐久間は大丈夫なのだろうか。

「医師の話では五分五分だと──」

「誰が執刀しているんですか」

「徳山了介という30代半ばの脳外科医です。かなり優秀だと聞いていたんですが、実際にそれが実証される場面に出くわしました。2週間ほど前、うちの医療モールに通院していた患者がくも膜下出血で倒れ、安井中央病院に緊急搬送して、この徳山医師が執刀した。開頭クリッピング術を施し、無事成功。その手際の良さに、立ち会ったスタッフたちも一様に感心していたそうです。いまのところ、脳血管攣縮などの後遺症も一切、起こっていません」

 ついこの間まで刑事だったとは思えないほど、ごく自然な感じで、湯本の口から医学用語がポンポン飛び出してくる。刑事になりたてのころ、安井芳次の護衛を担当。四六時中、安井について回り、医療界の事情にくわしくなったとはいえ、治療のことまで触れる機会はほとんどなかったはずだ。昨秋、チーム小倉の正式なメンバーになって、猛勉強したに違いない。

 徳山という医師のことは知らなかったが、安井会グループの外科部門の評判がうなぎのぼりなのは、私の耳にも届いていた。吉元がグループ傘下の病院で脳神経外科の手術に臨んだのは、安井に執刀したのが最初で最後。以降は肝胆膵を中心に、脳領域以外の手術を積極的に担っていた。

 天才の名にふさわしい執刀ぶりで、安井会グループの名声を一気に押し上げる原動力となり、腕の立つ外科医が集まるようになっていた。その中のひとりが徳山だった。

「ところで、僕が部屋に駆けつけたとき、佐久間さんは朦朧とする意識の中で『ヨシモト先生にやられた』と言っていたのですが、ヨシモトって誰だか、ご存知ですか」

 私は言葉に窮した。苦しまぎれに「いま、タクシーの中だから」と言うと、湯本は他人に聞かれたらまずいのだろうと察してくれたようだ。実際には、そういう意味ではなかった。湯本に真実を打ち明けるべきかどうか、この期に及んで、まだ迷っていたのである。

 湯本の側も、ただ「襲われた」と言うだけで、くわしいいきさつは何ひとつ話そうとしない。状況がかなり込み入っていて、電話では説明しにくいのか。それとも私にショックを与えたくなくて、情報を小出しにしているのか。もし後者だったら、佐久間は予断を許さない状態にあるということか。

<犯人とかち合った佐久間>

 午後9時45分、安井中央病院に着いた。タクシーに乗ってから1時間10分。2時間はかかると覚悟していたが、関越自動車道が思いのほか空いていて、運転手もこちらの事情を察してか、制限速度を超えるスピードで走ってくれた。

 手術室の前に行くと、湯本は長椅子には座らず、深刻そうな顔で腕組みをして立っていた。赤い手術中ランプはまだ点灯したままだ。

「どうなっていますか」

「手術が始まってちょうど1時間です。中の様子はまったくわかりません」

 とにかく待つしかない。佐久間と出会ったころのことを思い起こしていた。最初に会ったのは11年前。私が医療コンサルタントとして出入りしていたクリニックの看護師だった。そこは診療所の上限の19床を擁し、入院患者も抱えていたが、看護師は4人しかおらず、ハードワークを強いられていた。

 私はクリニックの内情を探るために、佐久間を飲みに誘い、関係を持った。彼女はまだ24歳だった。人間は死ぬ間際、自身の昔の姿が走馬灯のようによみがえるというが、他者の過去を思い出すのはどうなのだろう。あのころのことを振り返るのは、縁起でもないような気がした。

 ここで佐久間まで失ったら、もう立ち直れない。私は後ろ向きの思考回路を変えるべく、湯本に事件のあらましをたずねていた。

「佐久間はどうしてこんなことになったのですか」

「自分の部屋に戻ったら、犯人とかち合い、中身が入ったワインボトルで頭を殴られたようです。佐久間さんの悲鳴が僕の部屋まで聞こえ、駆けつけたのですが、もう犯人の姿はありませんでした」

 湯本の部屋は佐久間と同じ3階にあり、向かい側の斜め前に位置している。ドアは閉めていたが、絶叫のような叫び声が聞こえてきたという。

「蒔田さんと白木さん、さらには下川さんと佐久間さんを襲ったのと同一犯でしょう。たぶん、犯人はワインに医療用麻薬オピオイドを仕込もうとして、ボトルを手に持っていたのだと思います。そこに佐久間さんが帰ってきたものだから、とっさにそれで殴りかかった。佐久間さんが口にしたヨシモト先生なる人物が犯人に違いありません。下川さん、心当たりはありますか」

 ちょうどそのとき、手術中ランプが消えた。
(つづく)



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