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【医療ミステリー】裏切りのメス―第7回―

【前回までのあらすじ】
 天才外科医・吉元竜馬の有罪を決定付けた看護師・杉本莉緒が語った事件の真相は、新興宗教団体ヤーヌス教団に入信した上司の若山悠太郎教授の策略だった。事件の真相を知り、医師免許も剥奪され、意気消沈する吉本に、彼とのコンビでビジネスを計画している医療コンサルタントの下川亨は、「私が医師免許を復活させる」と断言した。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。


<計画の下準備>

 吉元竜馬と同時期に塀の中に入れられていたといっても、外の空気を吸ったのは私のほうがだいぶ早かった。東京多摩地域の警察署の留置場に23日間、東京拘置所に1ヵ月足らず、合わせて約50日間、拘束されていただけだ。そのあとは保釈が認められ、地裁でも全面勝利。私が逮捕された詐欺容疑は明らかにでっち上げだったから、検察も控訴せず、晴れて自由の身となった。

 一方、吉元は2011年暮れに逮捕されてから、きっかり1年間、塀の中に閉じ込められることになった。東京拘置所にいるときも、保釈請求は一度もしなかった。教授の策略によって絶望の淵に突き落とされ、茫然自失の中で何もする気が起こらなかったのだ。いま外に出たら、もっと悪い事態を招きそうな嫌な予感もしていたからだ。

 逮捕から半年後、1年の懲役が確定した。法廷では当初、反論を試みたものの、すぐに馬鹿らしくなった。起訴状のどこをとってもひとつの真実もなかったが、自分の言うことのほうがよほど嘘っぽく感じられ、容疑を覆すのは到底、無理に思えた。弁護士からも情状酌量を求める方針に切り替えたいと提案され、反論を控えることになった。

「脳外科医としてあまりのハードワークに心身が疲れ切り、思わず患者のからだをさわってしまったのではないですか」という法廷での弁護士の質問に、吉元は「はい」と小さく頷いた。

 結局、裁判官は未決拘留期間の算入をすべて認めてくれ、吉元は半年間、刑務所に入るだけで済んだ。その間、私は毎週欠かさず、栃木県大田原市の刑務所に面会に訪れた。相手の気持ちを和らげて、より親密な関係をつくるのが目的だったが、もうひとつ、私には急いで実行に移さなければいけない企てがあった。吉元が釈放されるまでに医師免許を用意することである。

 強制わいせつで有罪が確定した時点で、吉元の医師免許が取り消されるのは確実となった。このままでは、天才外科医の称号をほしいままにした男も、医師を名乗ることはできなくなってしまう。そうなれば、彼とのコンビでひと儲けたくらむ私の目論みも水泡に帰してしまうのは明らかだった。私は彼のためというよりも、自分のために、この半年の間に医師免許を用意しなければならなかった。

 ただ、そのことを吉元には伝えなかった。私は受刑者の出所後の支援をする者という立場で面会していた。刑務所側も好意的に迎えてはくれていたものの、面会時は刑務官が立ち会うので、計画のすべてを口にするわけにはいかなかった。何しろ、私が考え出した吉元を医師として復活させる手立ては非合法なものだったからだ。

<なりすまし>

 復活といっても、吉元名義の医師免許を再発行させるのはまず無理である。となると、方法は“なりすまし”しかない。巷ではときどき、偽医者のニュースが流れることがある。医師になりすまして結婚詐欺を働いたり、実際に病院に勤務して診察を行っているケース。だが、表沙汰になるのは氷山の一角にすぎない。やろうと思えば、医師に化けるのはそれくらいたやすいのである。

 国家試験に合格すれば交付される医師免許は、亡くなるまで更新する必要がない。一度取ってしまえば、半永久的に医師を名乗ることができ、技術や知識がどんなに時代遅れになろうと、診療行為を続けられる。その医師資格を証明する医師免許は表彰状のようなB4サイズの紙1枚。一応、偽造防止用にすかしが入っているが、原本を持ち歩くことは滅多になく、勤め先の病院にもコピーを提出すればOKという場合がほとんどだ。

 ただし、偽造したコピーを使い、なりすましに成功しても、本当に医師かどうか疑われだしたときはやっかいだ。病院から医師免許の原本を見せるように求められ、すかしがなくて発覚するケースもある。厚生労働省も偽医者かどうか見分けるために、医師資格を確認できる検索システムを公開している。

 そうした網に引っかかれば、あえなく御用となってしまうわけだが、実際に摘発されるケースはそれほど多くはない。思ったほど、偽医者はいないのだろうか。医療コンサルタントとしてこの世界を見てきた私の答えはNOである。偽造コピー1枚だけ持って医療行為に及んでいる偽医者が数多く、街中に潜んでいるとにらんでいる。

なかなか偽医者だと気づかれないのは、内科の開業医レベル程度なら、資格などなくても、本物の医師と同等の診療くらいはできてしまうからだ。少なくとも、私自身はそうだ。医療コンサルタントのお得意さまであるさまざまな開業医を見てきたが、自分より知識を持っていると感じた相手は数えるほどしかいなかった。新しい知識を吸収したり、医療技術の向上に力を入れるより、カネ勘定に貪欲な開業医がほとんどだった。

薬の知識に関しては私のほうがはるかに上だったし、問診や医療機器の扱いもしっかりこなす自信はある。もしやっかいな患者が来れば、大きな病院にまわすだけの話である。そうしたレベルで通用する以上、医師になりすます悪党が次から次に出てきてもおかしくないのだ。

 だからといって、脳外科の世界で数本の指に入る逸材の吉元竜馬をコピー1枚の偽医者に仕立てるわけにはいかない。同じなりすましでも、彼には正真正銘の医師免許を持たせたいと思っていた。私の構想を実現するには、追及されれば、すぐにその正体がばれるような粗末な仕掛けであってはならないのだ。

<鍵となる男>

 吉元のために医師免許を用意するにあたって、私の脳裏にはある男の名前が浮かんでいた。小倉明俊──。関西の総合病院に勤めていた肝胆膵(かんたんすい)外科の医師である。

なぜ、その存在を知ったかというと、私が節税を手助けした和歌山県の開業医から、小倉の行方を調べてほしいと頼まれたからだ。小倉とこの開業医は関西の医科大学の同級生だった。話を聞いているうちに、小倉がその数年前、医療界を震撼させた事件の渦中の人物だったことを思い出していた。

 事件が起きたのは2000年代半ばのことだった。小倉が業務上過失致死で逮捕されたのである。膵臓がん手術を行った数日後に患者が死亡。腫瘍を切除したあと、膵管と小腸、胆管と小腸、胃と小腸の3ヵ所をつなげる消化管再建を施したが、吻合(ふんごう)が十分でなく、深刻な合併症を引き起こしてしまったのだ。

「手術は非常に難しいもので、小倉君のミスとは言えないものでした。亡くなった患者は60代半ばの女性だったのですが、その夫が地元の名士で、小倉君がとんでもない過失を犯したと警察にねじ込み、逮捕されてしまったのです」

 どう考えてもありえない逮捕だったと、事情を知る同級生は憤った。患者を取り違えるなどの単純ミスならともかく、手術にはこうしたリスクがつきまとう。手術の過程でミスを犯したら逮捕されるというのであれば、誰も外科医などできなくなってしまうと、多くの医療関係者が怒りをあらわにした。

 こうした声を無視するように、検察は起訴に踏み切った。地裁で無罪判決が出ると、検察は控訴。高裁でも無罪判決が出て、検察側は上告を断念した。

「地裁判決まで4年の月日を要し、その間、小倉君は病院を休職。無罪判決が出て職場復帰の声がかかったのに、小倉君は休職を続けた。高裁は半年で結審。まもなく無罪が告げられ、今度こそ復帰かと思っていたのですが、結局、病院に戻ることはなかった。すでに、小倉君はメスを握れなくなっていたのです」

 手術の現場に立つのが怖くなっただけではなかった。有罪になるかもしれないという精神的重圧が小倉をアルコール依存症に陥れたのである。次第に酒の量は増え、夜も昼も関係なく飲むようになり、アルコールが切れると手が震えるようになっていた。

「高裁の判決が出て以降は自宅マンションにも戻らなくなり、携帯にいくら電話しても出なくなった。所在がわからなくなって2ヵ月ほどたったころ、医者仲間のひとりから小倉君を大阪・西成のドヤ街にある立ち飲み屋で見かけたという連絡が入った。それで僕も西成に探しにいったんですが、どうしても見つけることはできなかった」

 私の顧客であるこの開業医は、何としても同級生の小倉を見つけ出してほしいと依頼してきた。どうしても立ち直らせたいのだと。だが、もう関西にはいないだろうと私は思った。自分を知っている人間と、いつ顔を合わせるかわからないのだ。いまの落ちぶれた姿を見られたくないに違いなかった。

 たぶん、東京に出てきているのではないかという気がしていた。この私の予感は的中したのだが、小倉の所在をつかんでも、それを依頼者に教えることはしなかった。吉元竜馬の医師資格を取り戻すのに、この男が必ず役に立つと踏んだからだ。
(つづく)


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