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なぜ日本には女性首相が生まれないのか? ─アジアとの比較でみる女性リーダー論─

■女性リーダーと民主主義

 日本では、女性の社会進出をはかるものさしとして、しばしば政治の世界がやり玉に挙げられる。先進国の中で女性議員の割合は最低レベル。新内閣が誕生する度に、ひな壇に並ぶのは脂ぎったオヤジばかり…日本はなんと保守的な「男根社会」であることよ、というわけだ。成熟した民主国家として落第だというのである。

 だが、この点に関しては異論を挟みたくなる。
 歴代首相に女性がひとりもいないことをもって、民主主義の成熟度をはかるのは、100%正解だとは思えないのだ。

 G7に限って言えば、女性リーダーが未だ生まれていないのはアメリカ、フランス、イタリアも同様だ。フランスでは女性首相、アメリカには女性国務長官が既にいるが、女性の最高指導者が過去にいないという点では日本と変わらない。
 さらに、民主主義とは程遠い国でも女性リーダーは決して珍しくない。特にアジアでは、政治的に進んでいるかどうかに関係なく、女性の首相や大統領が割と早い時期から登場している。
 それらの国がG7諸国よりも民主主義の面で成熟しているかどうか、それは分からない。しかし、女性の社会進出と議員割合は関連づけられるとしても、女性リーダーの誕生に関してはそうとは言い切れない。

 なぜ、日本を除く多くのアジア諸国では、欧米諸国に負けず劣らず、続々と女性リーダーが誕生してきたのか。それだけ女性の社会進出が進んでいるということなのだろうか? 
 …というわけで、今回は「アジアの女性リーダー」について考察してみたい。


■アジアの女性リーダーに共通する「血縁」

 アジア諸国で現役の女性リーダーというと、真っ先に思い浮かぶのは台湾の蔡英文総統だ。学者肌の穏やかな人柄ながら、お隣のコワモテ中国と堂々渡り合う胆力を持つ、なかなかの政治家である。

 ちなみに現役としては他にもバングラデシュのシェイク・ハシナ首相がおり、ミャンマーのアウンサンスーチーさんも実質的な最高指導者として活躍している。しかし、ここではまず台湾の蔡総統に注目したい。というのも、蔡総統はアジアに誕生した女性リーダーとしては、かなり特殊であるからだ。
 一体、何が特殊なのか。
 それは萌えキャラ化されるほど一部にファンが多いことでも、見た目と芯の強さのギャップが大きいことでもない。端的に言えば、「世襲政治家ではない」ということである。

 これは裏返せば、アジアのほとんどの女性リーダーは、世襲的要素を持っているという話でもある。前述のスーチーさんは、ミャンマー建国の英雄アウンサン将軍の娘であり、ただいま獄中の韓国・朴槿恵元大統領は「漢江の奇跡」で知られる朴正熙を父に持つ。
 さらに、今でも裏で現役大統領を操っていると噂されるインドネシアのメガワティ元大統領も、やはり初代大統領スカルノの長女。タイのインラック元首相のように、同じく首相を務めた兄のタクシンから禅譲されたケースもある。
 フィリピンのアロヨ元大統領、インドのインディラ・ガンディー元首相、はたまたパキスタンのブット元首相…名前を挙げたらきりがない。例外もあるかもしれないが、世襲的なバックボーンを持たない女性リーダーを、アジアで見つけることは難しい。
 その意味で、学者出身の蔡総統はレアケースなのだ。彼女の存在は、台湾の民主主義が成熟している証といえるかもしれない。

 もちろん筆者は「世襲が悪い」と言っているわけではない。アジアで女性リーダーが意外に多いのは、血脈を重んじる伝統が背景にあるということを強調したいのだ。それをポピュリズム的とみるか、アジアに広く根ざす特質とみるかは意見が分かれるところだろう。

 それに対して欧米の女性リーダーは明快だ。卓越したリーダーシップや政治的調整力、時には男性を圧倒するパワーで権力の頂点に上り詰めるタイプがほとんど。世襲的要素を持つケースもなきにしもあらずだが、それだけでは決め手にならず、結局は政治家としての力量が物を言う。
 ドイツのメルケル首相のように他業界から政治の世界に飛び込み、天下を取ったリーダーも珍しくない。女性の政治参画という点において、欧米諸国が進んでいることは疑いようのない事実といえる。

■男社会の日本政治を変えられるのは誰か?

 まとめれば、女性リーダーの誕生には「欧米型」と「アジア型」の2タイプがあるということだ。

 では、われらがニッポンはどちらなのかといえば…これがどうにもハッキリしない。政治形態としては欧米寄りのはずなのだが、70年以上も民主主義を守ってきた割には女性首相が生まれる兆しがみられない。

 では世襲型なのかというと、確かに日本の政治は茶道や歌舞伎などと同じく「家業」の世界なのではあるまいかと思うほど「看板」が重んじられるが、何故か二世・三世政治家から女性首相が現れていない。

 週刊誌などでしばしば「最も首相に近い女性政治家は誰か?」などという記事が組まれることがある。失礼ながら、筆者はその適正も能力もなかったと思うが、日本が「世襲型」の国であるのならば、田中角栄の娘という金看板を持つ田中真紀子女史は、資格としては申し分なかったはずだ。 
 宰相の器とまではいかなくても、ご本人に人望があり、もう少しマトモな人格であれば、神輿として担がれていたかもしれない。少なくともいま名前が挙がっている女性候補よりは、可能性があったはずである。

 日本に真の女性リーダーが現れるのは、いつの日か。考えるだけで暗い気持ちになる方もいるかもしれないが、自分は絶望する必要はないと思っている。実現の道筋は全く見えてこないが、少なくとも今のままでは問題だという意識は、日本社会にあるからだ。

■そうだ、選挙に行こう

 ところが、お隣りの中国ではそうはいかない。中国は公式には、全面的な男女平等を実現していることになっている。これはが根も葉もない話かというとそうでもなく、確かに日本に比べると進んでいる部分もある。

 中国では女性が子供を産んだ後も働くのは当たり前。能力が同じであれば、男女の間に給与の格差は一応ない。今は少しずつ考え方も変わってきているが、子育てや家事だけをやっていては自分の社会的価値を発揮できないと考える女性も多い。

 とはいえ、中国指導部の面子を見れば分かるように、政治の世界は日本と同様、圧倒的な男社会。でも、「男女平等達成!」とか言ってしまっている以上、自浄効果は期待できない。
 「いや、中国と比べられても…」という声もあるかもしれないが、まだ日本の方がマシと思えなくもないわけだ。
 なんといっても、日本には選挙がある。本気で現状を改めたいと願うなら、女性候補に投票すれば少なくとも女性議員の割合を増やすことは不可能でもなんでもない。

 表立っては口にできないが、そんな政治環境をうらやましいと感じる人々が、中国にはごまんといる。われわれ日本人は少なくとも、投票という「明日を変える方法」を持っているのだ。

 男女平等を成し遂げられるか、そして日本に女性首相が生まれるかどうかは、われわれ有権者の手にかかっている。 

<執筆者プロフィール>
■もがき三太郎
出版業界で雑誌編集者として働いていたが、やがて趣味と実益を兼ねた海外風俗遊びがライフワークとなる。現在は中国を拠点に、アジア諸国と日本を行き来しながら様々なメディアに社会問題からドラッグ事情まで、硬軟織り交ぜたリアルなルポを寄稿している。 



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