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『こんなに全部バラしてしまって私はどうなってしまうのでしょう』(著・中野剛志)─『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』公開─

 MMTブームの火付け役・中野剛志氏の著『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』は“日本で唯一のMMT解説書”として自民党勉強会のテキストにもなったという。【基礎編】に続き、第2弾『奇跡の経済教室【戦略編】』も注目を集めるとともに売り上げ好調。

「こんなに全部バラしてしまった私は、これからどうなってしまうのでしょう」―中野剛志
 と著書が嘆くほど、わかりやすく、そして濃密に世の中の経済のカラクリを綴った『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』。
今回は試し読みとして、以下の内容を本書籍そのままに公開します。

■はじめに──歴史の転換点
■第1章 基礎知識のまとめ

はじめに─歴史の転換点

本書は、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』の続編になります。ですが、本書だけを読んでも容易に理解できるように、書いています。
もし、それでもなお、本書で分かりにくい箇所や疑問が出てくるようでしたら、是非、『奇跡の経済教室【基礎知識編】』も読んでいただきたいと思います。

さて、『奇跡の経済教室【基礎知識編】』では、主に経済に関する話を中心にして、平成日本の経済政策がほとんど180度と言っていいほど、間違っていたことを明らかにしました。そして、それが日本経済の長期停滞をもたらしたことを示しました。

本書では、長期の経済停滞から脱出するための「戦略」を論じます。つまり、根本的に間違っていた経済政策を修正するには、どうしたらよいかをテーマとするのです。

ところで、経済政策というものは、どうやって決まっていくのでしょうか。
それには、おおざっぱに言って、二つの説があります。

一つは、「経済政策というものには、その発想の元となっている思想がある。思想が、経済政策を決めている」という説です。言わば「思想決定説」です。
この「思想決定説」によれば、経済政策が180度間違っているのは、経済思想が180度間違っているからだということになります。
したがって、経済政策を改める戦略とは、思想を改める戦略だということになります。

もう一つは、「経済政策というものは、その背後に、政策を動かしている勢力がいる。その勢力が、自分たちの得になるように政策を決めているのだ」という説です。これは、「政治決定説」と呼ぶことができます。
「政治決定説」は、180度も間違った経済政策が実行されるのは、一部の、そんな間違った政策によって甘い汁を吸うことができる勢力が政治を動かしているからだと考えます。
したがって、経済政策を改める戦略とは、政治を改革する戦略でなければならないという結論になります。

一口に「経済政策を改める」と言っても、そのための戦略は、「思想決定説」に立つか、「政治決定説」に立つかによって変わってきます。

私は、「思想決定説」が正しい面もあれば、「政治決定説」が正しい面もあると思います。本書は、この両方の説に立って、分析をしていきたいと思います。

このため、もっぱら経済について論じた『奇跡の経済教室【基礎知識編】』とは違って、本書では、政治や思想の話がより多くなります。分析も、より複雑になるでしょう。
ですが、『奇跡の経済教室【基礎知識編】』同様、本書も、できるだけ分かりやすく書くことを第一に心掛けました。
ところで、『奇跡の経済教室【基礎知識編】』を出版した平成31年4月に前後して、アメリカや日本で、現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)、通称MMTという理論が大きな話題となりました。
MMTについては、『奇跡の経済教室【基礎知識編】』でも触れましたが、本書でも、「特別付録」として、MMTについて、分かりやすく解説しています。
というのも、MMTは、日本にとっても世界にとっても、極めて重要な意義をもつ画期的な理論だからです。

さらに本書では、日本に限らず、世界情勢についても話を広げていきます。
言うまでもなく、世界の政治も経済も、大混乱に陥っています。
特に、イギリスのEU(欧州連合)離脱(ブレグジット)を巡る混迷や、アメリカのトランプ大統領が巻き起こす迷走など、世界は、カオスになりかかっています。
どうして、こんな状態になっているのか。
それについても、すっきり分かるような分析ツールを本書は用意しました。
この分析ツールを使えば、現在の世界が大きな歴史的転換点に立っているということが実感できると思います。そして、日本も。
本書を読み終わった方には、日本が進むべき道がはっきりと見えていることでしょう。

それでは、いよいよ『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』の開講です!

第1章 基礎知識のまとめ

日本経済の長期停滞

本編に入る前に、まずは『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』の内容を、ごく簡単に、おさらいすることとしましょう。

日本経済は、長期にわたって停滞しています。欧米ではこの20年間で名目GDP(国内総生産)が2倍程度になっているのに、日本だけがほぼ横ばいです(図1)。

日本経済が成長しなくなった最大の原因は、1998年から始まったデフレ(デフレーション)です。
デフレとは、一定期間にわたって、物価が持続的に下落する現象のことです。その反対に、物価が持続的に上昇する現象は、インフレ(インフレーション)と呼ばれます。
デフレが起きるのは、経済全体の需要(消費と投資)が、供給に比べて少ない状態が続くからです。
「需要不足/供給過剰」が、デフレを引き起こします。
「需要過剰/供給不足」が続くのであれば、インフレが起きます。

デフレとは、物価が継続的に下落することですが、裏を返すと、貨幣の価値が継続的に上昇するということです。
貨幣の価値が上がっていくならば、人々は、モノよりもカネを欲しがるようになります。
消費者は、モノを買わないで、カネを貯め込む。企業は、投資をしないで、貯蓄(内部留保)を増やす。
こうして、貨幣価値が上昇するデフレになると、消費や投資は、ますます減退していきます。
もしインフレであれば、貨幣の価値が下落していくので、人々はカネよりもモノを欲しがるようになります。つまり、消費や投資が積極的に行われるようになります。こうして、経済は成長する。
ただし、インフレが行き過ぎて貨幣の価値が暴落してしまったら、それも問題です。お札が単なる紙切れになってしまったら、経済が成り立たなくなる。これがハイパーインフレです。
ハイパーインフレはよくありませんが、しかし、マイルドなインフレであれば、経済を成長させます。経済成長には、適度なインフレが必要なのです。

さて、日本は、1998年からずっとデフレです。
デフレこそが、平成の日本が成長しなくなった最大の原因であることは明らかです。

「合成の誤謬」

デフレの中では、モノが売れない不景気なので、個人や企業は、みな、消費も投資も手控えてしまいます。それどころか、せっせと節約に励むでしょう。それ自体は、まったくもって経済合理的な行動です。しかし、経済全体で見ると、個人や企業が支出を減らしたら、需要が縮小して、デフレはますますひどくなります。楽になろうと節約したら、かえって苦しくなったというわけです。
節約という、人々が苦しさを乗り切ろうとしてとった合理的な行動が、経済全体で見ると、需要を縮小させ、人々をさらに苦しめるという不条理な結果を招く。
このように、ミクロ(個々の企業や個人)の視点では正しい行動でも、それが積み重なった結果、マクロ(経済全体)の世界では、好ましくない事態がもたらされてしまう。こういう現象を、「合成の誤謬」と言います。
デフレ下での支出の切り詰めという正しい行動が、さらなる需要縮小を招き、デフレが続く。この現象は、まさに「合成の誤謬」です。
このデフレという「合成の誤謬」を回避するためには、誰かが、デフレなのに支出を拡大するという経済非合理的な行動を起こさなければなりません。しかも、経済全体の需要不足が解消できるくらい、大規模に消費や投資を行うことのできる「誰か」です。
その大規模に経済非合理的な行動を起こすことができる「誰か」こそ、政府にほかなりません。
デフレ脱却には、政府による消費や投資の拡大が必要になるのです。

デフレ対策とインフレ対策

経済成長にとって望ましいのは、デフレを阻止し、マイルドなインフレを維持することです。
政府は、デフレにならないよう、かといってインフレにもなり過ぎないよう、経済政策を操って、うまく舵取りをする必要があります。
インフレは「需要過剰/供給不足」の状態。したがって、需要を抑制し、供給を強化するのがインフレ対策です。
反対に、デフレは「需要不足/供給過剰」の状態。需要を拡大し、供給を抑制することがデフレ対策になります。
インフレとデフレとは、正反対の現象なのですから、その対策も正反対になります。
整理すると、表1のようになります。


この表1から明らかなように、平成の日本はデフレであるにもかかわらず、(金融緩和を除き)インフレ対策をやってきました。
日本がデフレから脱却できなくなってしまったのは、政府がデフレなのにインフレ対策をやり続けるという愚を犯したからなのです。

インフレ対策(「小さな政府」、財政健全化、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化)の背景にあるイデオロギーは、「新自由主義」と呼ばれます。
反対に、デフレ対策(「大きな政府」、産業保護、労働者保護)のイデオロギーは、「民主社会主義」と呼ばれます。
新自由主義で有名なのは、1980年代のイギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権です。サッチャー政権やレーガン政権が新自由主義路線をとったのは、当時のイギリスやアメリカがインフレで悩んでいたからです。
平成に入ってからの日本は、このインフレ対策である新自由主義を理想とする改革を断行してきました。平成の日本が、デフレから脱却できなくなり、経済の停滞が続いたのも、当然なのです。

貨幣についての正しい理解(「現代貨幣理論」)

デフレとは貨幣の価値が上昇する現象ですから、貨幣の供給量を増やすと、デフレはおさまるはずです。
その貨幣には、「現金通貨」と「預金通貨」があります。現在では、貨幣のほとんどが「預金通貨」であって、現金通貨はわずかにすぎません。
その預金通貨(銀行預金)を創造するのは、銀行です。いわゆる「信用創造」です。
ここで、重要なポイントは、「預金は、銀行が貸出しを行うと創造される」のだということです。
よく誤解されるように、銀行は、預金を集めて貸出しを行うのではありません。その逆が正しいのです。
例えば、銀行は企業に1000万円を貸し出すのに、手元に1000万円の資金をもっている必要はありません。銀行員は、企業の返済能力を審査した上で、返済できると認めたなら、その企業の銀行口座に1000万円と記帳する。銀行員がコンピュータのキーボードを叩くだけで、企業に1000万円の預金が生まれるのです。
ですから、銀行の貸出しは、銀行の保有する資金量の制約は受けません。貸出しに制約があるとすれば、それは借り手の返済能力です。
借り手の資金需要があれば、銀行は貸出しを行うことができ、銀行による貨幣(預金)の創造が可能になります。逆に、借り手に資金需要がなければ、貸出しもできず、銀行による貨幣供給もできません。
なお、銀行は、いざという時の現金通貨の引き出しに備えて、中央銀行に一定額の準備預金(日本の場合は、「日銀当座預金」)を設けておかなければならないと法令によって決められています。

いわゆる「量的緩和」とは、中央銀行が現金通貨と準備預金の合計である「マネタリー・ベース」の量を増やすという政策です。しかし、マネタリー・ベースを増やしただけでは、貨幣供給量は増えません。
なぜなら、貨幣供給量を増やすのは、借り手の資金需要だからです。
デフレ下で貨幣供給量を増やすためには、政府が資金需要を拡大するしかありません。すなわち、財政出動です。
財政政策とは、貨幣供給量を操作する金融政策でもあるのです。
ところで、通貨は、なぜ価値があるものとされているのでしょうか。

これについて「現代貨幣理論(MMT)」という理論は、次のように論じます。
まず、国家は、国民に対して納税義務を課し、「通貨」を納税手段として法令で決めます。すると、国民は、国家に通貨を支払うことで、納税義務を履行できるようになります。
その結果、通貨は、「国家に課せられた納税義務を解消することができる」という価値をもつこととなります。
その価値ゆえに、通貨は国民に受け入れられ、財・サービスの取引や貯蓄など、納税以外の目的においても広く使用されることとなるわけです。

財政に関する正しい理解(「機能的財政論」)

日本は、巨額の財政赤字を抱えています。GDPに占める政府債務残高は、平成30年度には、ついに240%近くにまで迫っており、主要先進国と比較しても、最悪の水準になっています(図2)。

これは、財政危機にあるギリシャやイタリアよりも、はるかに大きい値です。
それにもかかわらず、日本は財政破綻に陥っていません。
これは、なぜなのでしょうか。
よくある答えは、「民間部門に貯蓄がたっぷりあって、それが日本国債を買っているからだ」というものです。この答えに続いて、「でも、いずれ民間部門の貯蓄が減っていけば、日本は財政破綻してしまう。だから、今から、財政赤字を減らす努力が必要だ」という主張が出てきます。
しかし、これは間違いです。
銀行の貸出しが銀行の資金量の制約を受けないように、民間金融資産は、国債の発行制約ではありません。
そもそも、財政赤字は、それと同額の民間貯蓄を生み出すのです(特別付録①参照)したがって、財政赤字の拡大で民間金融資産が不足することなどあり得ないのです。

また、政府は、自国通貨発行権を有するので、自国通貨建て国債が返済不能になることは、理論上あり得ないし、歴史上も例がありません。
財政破綻(債務不履行)の事例は、自国通貨建てではない国債に関するものです。
自国通貨建て国債が返済不能になることはないので、財政赤字の大きさ(対GDP比政府債務残高など)は、財政危機とは関係がありません。

財政赤字を拡大し続けると、いずれインフレになります。
そのインフレが過剰になった場合には、その時こそ、歳出削減や増税によって、財政赤字を縮小させる必要があります。
つまり、財政赤字の大小を判断するための基準は、インフレ率(物価上昇率)なのです。インフレ率が高ければ、財政赤字が大きい。逆にインフレ率がマイナス(デフレ)であれば、財政赤字が足りない。そう判断すべきなのです。
さて、平成日本は、ずっとデフレでした。ということは、平成日本の財政赤字は大き過ぎたのではなく、小さ過ぎたということです。

通貨発行権を有する政府は財政破綻に陥りません。ということは、政府は、税によって財源を確保する必要がないということです。
したがって、税は、財源確保の手段ではありません。物価調整や所得再分配など、経済全体を調整するための手段なのです。
財政赤字の拡大による金利の高騰を心配する声があります。
しかし、財政赤字の拡大は、それと同額の民間貯蓄の生むので、貯蓄不足による金利の上昇を引き起こしません。
もちろん、デフレを脱却すれば金利は上昇します。しかし、それはむしろ、歓迎すべき状態でしょう。
仮に、金利の高騰がどうしても心配であれば、中央銀行が国債を購入すれば、金利の上昇は容易に抑制できます。

財政赤字は削減できるか

誰かの債務は、別の誰かの債権です。
誰かの赤字は、別の誰かの黒字です。
したがって、単純化して言えば、政府部門の赤字は、民間部門の黒字です。
海外部門も含めて考えるならば、「国内民間部門の収支+国内政府部門の収支+海外部門の収支=0」となります。
国内政府部門の赤字は、「国内民間部門+海外部門」の黒字を意味するのです。
1980年代後半から1990年までのバブル期に政府債務が減ったのは、民間債務の過剰の裏返しにすぎません。
政府部門の黒字がバブルを意味していたのだとするならば、「財政健全化」は「経済不健全化」を意味するということになるでしょう。
日本政府は財政健全化を目指しながら、なかなか達成できません。しかし、それは、財政健全化が無駄な努力だからなのです。
政府は、確かに税率を上げられます。しかし、肝心の税収は、「税率×国民所得」であり、国民所得は景気次第です。
したがって、政府が税率を上げても、税収を思い通りに増やすことはできません。
それどころか、増税はむしろ景気を悪化させるので、税収を増やすことには失敗するでしょう。財政支出の削減も同じです。
したがって、財政健全化の努力は、やるだけ無駄です。
財政健全化の努力は、デフレ下では、むしろ、やってはいけません。
そもそも、財政政策の目的は、「財政の健全化」ではなく、「経済の健全化(デフレからの脱却)」でなければならないのです。

グローバリゼーションの真実

主流派経済学者は、「自由貿易は、それを行う国々にとって利益となる」と信じて疑いません。
しかし、主流派経済学の貿易理論(「リカードの定理」など)や、貿易自由化の効果を試算する経済モデル(CGEモデル)は、現実にはあり得ない前提を置いて、自由貿易が利益をもたらすという結論を導くように細工された代物にすぎません。
これらの理論や経済モデルは、例えば「貿易自由化の結果、ある産業部門において失われた雇用があったとしても、それは瞬時に別の産業部門における雇用によって置き換わるので、失業者は出ない」という前提を置いているのです。
しかし、そんなことは現実にはあり得ません。現実の世界では、ある産業で失業した労働者が、別の産業で仕事に就くのは、大変に難しいのです。
歴史的に見ても、自由貿易が経済成長をもたらすかどうかは自明ではありません。
例えば、1860〜92年のヨーロッパは自由貿易体制にあり、特に1866〜77年は貿易自由化のピークでしたが、この時期のヨーロッパは大不況の真っ最中でした。
他方、当時のアメリカは、世界で最も保護主義的な国家でしたが、目覚ましい発展を遂げ、経済大国へとのし上がりました。
大陸ヨーロッパ諸国は、1892〜94年に景気回復期に入りましたが、この時期は、各国が保護主義化した時期と一致しています。しかも、この時期の貿易はむしろ拡大していました。それどころか、最も保護主義的な措置をとった国々において、最も急速に貿易が拡大していました。他方、この時期、自由貿易に固執していたイギリスは、不況に苦しんでいました。

第二次世界大戦が終わった後、西側世界では、GATT(関税と貿易に関する一般協定)が締結され、このGATTの下で貿易自由化が進められました。
このGATTの下での貿易自由化は、今日の水準と比べると、かなり緩いものでした。
貿易自由化の対象とされたのは、もっぱら工業分野でした。農業分野やサービス分野は、今と違って、基本的に自由化の対象外とされていました。
工業分野においてすら、各国には貿易自由化による激変を緩和するための例外措置が広く認められていました。
また、この頃は、国際資本移動は規制されていたのです。
さらに、各国は、貿易自由化によって不利益を被る産業や階層に対して、補助金の給付や福祉政策などの補償的な措置を講じ、その悪影響を小さくしていました。このため、この頃は、貿易自由化が進めば進むほどに、政府の規模が小さくなるのではなく、逆に大きくなるという現象が見られました。
戦後に成功を収めたとされるGATTの下での貿易体制は、「自由貿易」というよりはむしろ、「管理された自由貿易」あるいは「マイルドな保護貿易」と言うべきでしょう。

ところが、1980年代以降、新自由主義のイデオロギーの下で、貿易自由化はより進められるようになり、国際資本移動も自由化されていきました。
1995年には、世界貿易機関(WTO)が設立されました。
このWTOの下で、貿易自由化の対象は、農業やサービス分野まで拡大しました。その一方で、政府による管理や保護は大幅に後退させられました。本格的なグローバリゼーションの時代の到来です。
しかし、その結果は、どうなったのでしょうか。
世界経済の平均実質成長率は、1950〜73年は4・8%でした。これに対して、1980〜2009年では、3・2%でした。先進諸国の成長率も、1980年以降のほうが鈍化しています。貿易自由化がより徹底された時代のほうが、経済成長しなくなっているのです。
また、1980年以降の先進諸国では、格差が拡大しました。とりわけ、イギリスやアメリカの格差拡大の水準は、戦前のレベルにまで達しています(図3、図4)。


主流派経済学の非現実性

2018年のノーベル経済学賞受賞者のポール・ローマー氏は、受賞の2年前の講演で、「主流派経済学は、過去30年間で、進歩するのではなく、退歩した」と厳しく批判しました。
ローマー氏が特に批判したのは、主流派経済学において30年前から流行している「DSGEモデル(動学的確率的一般均衡モデル)」という理論モデルです。
この理論モデルは、「一般均衡理論」を基礎にしています。
一般均衡理論は、「供給は、常に需要を生み出す」という「セーの法則」を前提としています。しかし、「セーの法則」は、生産物が他の生産物と交換される「物々交換」の世界で成り立つ法則にすぎません。
つまり、一般均衡理論は、貨幣のない物々交換の世界を想定しているのです。
貨幣のない世界を想定した理論モデルを使って平気でいるようだから、主流派経済学は「退歩」したと言われて当然なのです。
供給が常に需要を生み出す「セーの法則」が成り立つならば、財政政策で需要を創出するのは無意味です。また、グローバリゼーションが供給を過剰にして、失業をもたらすなどということも、あり得ません。
主流派経済学者たちが、財政健全化やグローバリゼーションが正しいと信じて疑わないのも、彼らが「セーの法則」や「一般均衡理論」を信じ込んでいるからなのです。
このように、財政政策、金融政策、貿易政策に関して、世の中で一般的に信じられている俗説、マスメディアが流す議論、経済学者や政府の見解の多くは、基本的なところから間違っています。だから、平成の日本経済は、成長しなくなってしまったのです。

以上が、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』の要約です。
この知識を踏まえた上で、いよいよ、『全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』の本編に入ることといたしましょう。
まずは、成長戦略について論じます。


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