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【医療ミステリー】裏切りのメス―第17回―


【前回までのあらすじ】
 病院再建屋集団「チーム小倉」と「安井会グループ」の安井芳次理事長との最初の交渉は上々に思えた。
 だが、次の面談で突然、別の支援グループと交渉すると告げられ、断られてしまった。横やりを入れてきた「HOグループ」のリーダー尾方肇は、最近頭角を現してきた新興の病院乗っ取り屋だった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)ほか多数。

<HOグループ>

「うちにもちょっかいを出そうとしてきたことがあるんです」

 蒔田直也は群馬からの帰りの車中で、尾方肇を知った経緯を話し始めた。埼玉県の医療界で、尾方の名前や彼が率いるHOグループの存在がクローズアップされたのは4年前の2009年春のことだった。

「その名前を耳にしたのは、私が埼玉県の総合病院にかかわりだしてまもなくです。うちの病院から北に50kmほどいったところにある220床の中堅病院が乗っ取り屋に潰されたというニュースが飛び込んできた。その首謀者が尾方だったのです」

 医療コンサルタントとして、総合病院の労使紛争の仲裁を託された蒔田は見事、解決に導き、その後、事務長に抜擢された。蒔田によると、病院乗っ取り屋の情報がもたらされたのがプラスに働いたという。

「労使紛争は経営者側の大幅な譲歩に加え、彼らの報酬を半減させるなど、自身の身を切らせることで、一気に解決した。そんな条件を飲ませることができたのは、病院乗っ取り屋のニュースが大きい。倒産に追い込まれた病院は、うちとほぼ同じ規模で、創業一族が牛耳り、経営が苦しいという点でも共通点があった。このままではあそこの二の舞ですよと、70代の理事長と病院長をちょっと脅したら、私の提示した条件をそのまま受け入れてくれたのです」

 そうした意味では、「尾方さまさまだった」と蒔田は笑うが、埼玉県北部にある病院の経営者たちの間ではパニックが起こっていた。「HOグループは同じエリアで次のターゲットを探している」との風説が流れたからだ。

 だが、病院乗っ取りなど、そんなにうまくいくものだろうか。経営者側に断固拒否する気持ちがあれば、乗っ取り屋の介入など許すはずがないと、かつて医療コンサルタントだった私は思っていた。考えが変わったのは、その手法のいくつかを知ってからだ。

<病院乗っ取りの手法>

 2011年暮れに東京拘置所で天才外科医の吉元竜馬と出会い、病院一大チェーンを築く夢がふくらんだ私は保釈後、病院乗っ取り屋の世界を徹底的に調べた。病院チェーンを目指すといっても、50歳をすぎた私が一からつくるのは難しい。となると、乗っ取り屋の手法が参考になるのではないかと思ったのだ。

 瀕死にある病院に乗り込んで、そこを出発点にチェーンを展開する。それがわが構想である。病院を骨の髄までしゃぶろうというのではない。そこが乗っ取り屋とは違うのだが、病院への乗り込み方、経営陣の懐柔の仕方、そして追い落とし方……。そのあたりは乗っ取り屋に大いに学ぶところがあるはずだ。

 いろいろ調べてわかったのは、相手の心理をつく巧みさである。もちろん、彼らは乗っ取り屋と名乗って、病院の経営陣に近づくわけではない。もっとも多いのは、医療コンサルタントを名乗るケースだ。ピンからキリまでさまざまな医療コンサルタントがいるが、特に資格が必要なわけでもなく、病院経営者からしても差別化は難しい。結局、口のうまさが相手の懐に食い込めるかどうかを左右するのだ。

 病院経営者が心を動かされるのは、資金繰りを楽にする方法をもっともらしく説明されることだ。日本の病院の7割は赤字経営なのである。多くの病院は必然的に自転車操業となり、金融機関に高い金利を支払わされている。2ヵ月後に入ってくる診療報酬を早く現金化するために、毎回のように高い金利を支払うのが恒常化。診療報酬を満額で受け取れない状態がいつまでも続くのだ。こんな調子だと、銀行からの借入金も一向に減らない。

 この自転車操業を一度、断ち切ることができれば、無駄な金利を支払わなくて済むというのが病院乗っ取り屋の説明だ。そして、乗っ取り屋は借入金を一気に返す資金を捻出するための手助けができると、言葉巧みに誘いを仕掛けるのである。

 病院乗っ取り屋のパイオニアともいうべきNグループが得意としたのが、有料老人ホームの開設を持ちかける手法だ。「入居予定者からは初期費用として高額の一時金を徴収できるので、最初に莫大なカネが入ってくる。借入金も一気に返せます」と言って、経営者をすっかりその気にさせるのである。そして、手形を乱発。気がついたときにはNグループは行方をくらまし、老人ホームも建てられず、手形は不渡り。病院はまもなく倒産に追い込まれるのである。

「尾方肇はこのNグループの手法を相当、研究しているようです。埼玉県北部の病院を乗っ取った際も、ほぼそのやり方を踏襲している。低利で借りられる金融業者を紹介できると言って理事長に近づき、老人ホーム建設を勧める。そして、手形や小切手を乱発したあとは携帯電話も替え、連絡がとれなくなった。尾方がNグループにいた形跡はありませんが、やり方は驚くほど似ています」

 この病院の倒産劇から2年近くがたったころ、蒔田がいる病院に刑事2人が訪ねてきた。群馬県との県境に近い埼玉県北部の警察署から来たという。年が上のほうは湯本利晴といった。事務長に就いたばかりの蒔田が応対した。

「うちの病院も尾方らに狙われているから、気をつけるように忠告しに来たというんです。湯本さんの年齢は下川さんとほぼ一緒くらい。警察署では刑事第二課に属し、知能犯や暴力犯を追っているそうです。尾方を検挙するために情報を集めているところなので、何か接触があれば、すぐに知らせてほしいとのことでした」

 その後も蒔田はたびたび、湯本と会い、情報交換した。蒔田の側で尾方について提供できることはなかったが、医療界の仕組みについて、ていねいに解説し、湯本から重宝がられたのだ。一方、蒔田も湯本から尾方の情報をいろいろ引き出していた。

<企業舎弟になった医学部生>

 尾方の年齢は30代後半。首都圏の国立大医学部に現役で合格したというから、優秀だったのだろう。大学在学中は新宿のホストクラブでアルバイトをしていた。見た目はいま流行りのボーイズラブ系で、20歳前後の若い女性に人気があったという。

「そのホストクラブで尾方はトラブルに巻き込まれたんです。尾方をひいきにしていた女性の彼氏と称する男が仲間3人と一緒に店にやってきた。そして、尾方を引きずり出し、ボコボコにしてしまったというんです」

 その女性は中国人で実年齢は16歳だった。風俗で働き、せっせと尾方に貢いでいた。それを知った女性の両親が怒りだし、中国系半グレに制裁を加えるように依頼したのだ。香港九龍城砦のスラム街出身者たちでつくる一団だった

 半グレ集団は尾方に慰謝料を請求。その額は少女が貢いできた額の倍の600万円だったが、尾方が支払う場面は訪れなかった。ホストクラブからみかじめ料を徴収している広域暴力団の鈴代組が半グレと話をつけたのだ。どういう形で決着したのかはわからないが、以来、少女や男たちが店に現れることはなかった。

「尾方は鈴代組に大きな借りができてしまったことになる。大学にもこの一件がばれてしまい、退学を求められたわけではないものの、いづらくなり中退。5年生の秋のことです。あと1年半待てば、晴れて医師になっていた可能性が高かっただけに、尾方にとってその代償はあまりにも大きかったと言わざるをえません」

 一方、思わぬ恩恵がもたらされたのは、関東一円に拠点を持つ鈴代組だった。

「尾方は正式な組員になることだけは固辞したようですが、他の要求に対しては断れなかった。医療コンサルタント会社をつくらされ、企業舎弟となることを求められた。しっかり、組の歯車に組み込まれてしまったわけです。どこの組もしのぎに苦労する中で、医療部門という新たな儲け場所を得たのですから、鈴代組にとってこんなおいしいことはなかった。しかも、戦力として加わったのが元国立大医学部生というエリートですからね」

 蒔田の説明が終わるころ、チーム小倉のメンバー4人が乗った車はやっと都内に戻ってきた。時計の針はすでに0時を回っていた。

「みなさん、ご苦労さまでした。思わぬ横やりが入って、安井芳次を口説き落とすどころではなくなってしまいましたが、私たちの船にはバックを切れる舵はついていません。尾方のようなゴロツキに頼れば、すべてを食い尽くされてしまうことを安井にわからせなければならないのです」

 こう力強く宣言してみたものの、時間があまりない。安井会グループが正式に尾方の申し出を受け入れてしまったら、こちらはチャンスを失うのだ。あと数時間しかないが、メンバーたちには朝8時に私のマンションに集まってもらい、緊急対策会議を開くことにした。何としても、この勝負に負けるわけにはいかないのだ。
(つづく)


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