「24時間メモをとれ」by藤田田
4月12日新装版として、復刊する『勝てば官軍』。その推薦文に、話題の起業家前田裕二氏がこう寄せた。「メモこそが、日々を、事業を、そして人生を切り拓く最強の剣である。藤田田社長の成功と生き様が、全てを物語っている」。そう藤田田こそ、最狂の『メモ魔』だったのだ!24時間メモのススメ、その効用まで。同書より構成してお届けする。
■24時間メモをとれ
ベッドルーム、風呂場、トイレット、食卓、リビングルーム――と、わたしの家には、いたるところにメモ用紙と鉛筆がおいてある。メモ用紙といっても、新聞に入っている広告とか不要になったカレンダーを、手があいているときに小さく切ってメモ用紙にするのである。わたしが、テレビを見ていても、食事中でも、本を読みながらでも、寝ているときでも、いつでもどこでも思い出したり思いついたりしたことをすぐにメモするからである。メモをとるのは、わが家にいるときだけではない。人と話をしているときでも、これはいい話だな、ヒントになるなと思えばメモをとる。
そのメモを、わたしは毎日見る。1週間ごとにまとめて整理して見直して、この話はこうなったな、この話はどうなっているのかと点検する。人の名前など、覚えるまでメモをもっている。二年前に亡くなった母の戒名をどうしても覚えられないので、そのメモはいまだにもっているといったぐあいに、だ。
たった一枚のメモにわたしの全生活が入っているといってもいい。
だから、わたしは手帳は持っていないが、メモ用紙はかならず持っている。しかも、わたしがメモをとるのはメモ用紙にというだけではない。誰かと食事をしているときに、ああ、これはメモしておこうということがあれば、たとえば割り箸の袋にメモをする。マッチの箱にもメモをする。
とかく日本人には、重要なことを聞き流し、うろおぼえのままですませてしまう悪癖がある。ときにはわざと曖昧さをおとぼけに利用することすらある。だが、ビジネスに曖昧さは禁物なのだ。
話の要点は、きちっと記録しておくことが必要なのである。それは手帳でなく一枚のメモ用紙でもいいのである。
アメリカ人もよく「おまえはメモ魔だなあ。メモばかりとっているじゃないか」と呆れるが、わたしにとってメモをとるのは子どものころからの習慣なのだ。わたしは、子どものころから記憶のいいほうであまり物忘れはしなかったのだが、いま考えてみるとそれは、わたしにそういう習慣があったからだ。
いまでも、人は「藤田さんは記憶力がいい、よくおぼえている」というけれども、それは「おぼえている」からではなくて「物忘れ防止法」を知っているからなのである。
■メモは「雑学の吸収」
メモをとることは、人生を豊かにするためには欠かせない「雑学の吸収」ということでもある。自分は法律だけ知っていればいい、経済学だけ知っていればいい、というのではなくて、世の中のありとあらゆることを知っていなければ、人生は豊かにならないし、仕事を成功させることもできないのである。
その一例をあげてみよう。
マクドナルドの売上げが甲府でとてもいい成績なので、その理由をいろいろな人に訊ねてみたことがある。「甲府は盆地だから」とか「東京から100キロはなれていて、東京に買い物に来ないからだ」とか、いろんな答えがかえってきたが、わたしにはいまひとつ納得できない。調べてみた。甲府が幕府の天領だったからだという答えが出た。
ことに甲府は「飲み屋の数が日本一多い」ところでもある。武田信玄いらいの金山があったので幕府は天領にしたのだ。
いまはテレビが全国均一化し、県民性などは薄れてきたというが、徳川幕府以来の「習慣」は牢固(ろう こ)としてぬきがたいものがあるのだ。
天領というのは直轄領地だから、江戸から送ってきた金で代官が統治していた。親方日の丸である。だから天領の住民には勤倹貯蓄といったふうはなくて、ある金を全部使ってしまう。その最たるものが将軍のお膝元である江戸だ。だから江戸っ子は「宵越しの金を持たねえ」とタンカを切りえたのだ。
江戸や甲府だけではない。マクドナルドがいい成績をあげている新潟、福島、大阪、長崎はみな幕府の天領だった。新潟で「名物はなんですか?」と問うと「山に生えている杉の木です」という。新潟は佐渡の金山があるので天領だったから、それ以外の「なにか」をつくる必要がなかったのだ。だから山に自生している杉の木だというほど名物はなにもない。
7月(1996年)、トイザ“ら”ス水戸店を開店するとき、社内ディスカッションでは「水戸は東京と離れている田舎だから売れないでしょう」という意見が多かったが、わたしは「いや、売れる」と主張した。いざ、ふたをあけてみると、1日で1800万円の売上げをあげた。
■「水戸は親藩」というメモがあれば…
わたしが「売れる」と主張した根拠は、水戸がかつての徳川ご三家の一つ、つまり「親藩」だったというところにあった。
ところが、大名が統治した藩、とくに外様大名の藩に行くと、鍋島藩は久留米絣、阿波徳島藩は藍の染料といったように、それぞれ特産品の生産を奨励して「いざ!」というときに備えている。百万石の加賀藩も、薩摩藩も外様大名だから、いつ幕府に攻められるかわからないと口ではいわないが考えていたのだろう、勤倹節約の風はきわめて強い。
つまり、わたしが調べたところでは、その地方が「天領」であるか「親藩」であるか「外様」であるかによって、それぞれの“国民性”というか“領民性”は違っていたのである。それから400年後の現在でも、大名の統治下にあった地方の人はよく働くし、サラリーマンとしては非常に忠誠心が高い。天領だったところの人はあまり忠誠心がないといったような“県民性”の違いとして顕著にあらわれているのだ。こうした“県民性”を知っていれば、商売上とても役に立つし、日常の話題を豊富にすることにもなる。
ようするに、政治、経済、歴史、スポーツ、レジャーなど、あらゆる分野にわたって好奇心をぶつけ、雑学に強くなっていけば、話題を豊富にし人脈も広がり、人生を豊かにすることはもちろん、的確な判断を下すためにも大いに役立つのである。そしてその雑学に支えられた広い視野が、正確な判断を生み出すのである。
ところが日本人はとかく「商人はソロバン勘定ができればいい」と考えがちで、大企業のトップでも時間のムダというのだろう、雑学には興味をしめさない人たちが多いが、それはとんでもない錯覚である。その「ソロバン勘定」をする視野が狭いか広いかによって、しばしば企業の明暗を決めることがあるのだ。
現代は、なにをするにも専門以外にじつにさまざまな知識を持っていなければならない時代だ。雑学の知識に乏しく、物事を一つの角度からしか眺められない人間は、人間としても失格だが、ビジネスマンとしても失格なのである。
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