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【医療ミステリー】裏切りのメス―第41回―

【前回までのあらすじ】
「チーム小倉」のメンバー、蒔田直也と白木みさおの死因が判明した。一酸化炭素中毒とともに、体内から医療用麻薬「オピオイド」が検出されたのだった。警察は、二人がオピオイドをワインに混ぜて過剰摂取となり、その際、部屋の給湯器が不完全燃焼を起こした事故死であると考えているようだった。「チーム小倉」のリーダー下川亨は、不自然な死因と二人の人柄から、警察の見解に疑念を深めていた。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<捜査縮小>

「捜査が終わることはないとは思いますが……」

 湯本利晴は1分ほど沈黙したあと、口を開いた。わずか1分でも、相手が喋り出すのを待っているのは、とても長く感じる。

「ただ、帳場(捜査本部)が縮小されるのは避けられないようです」

「まだ、事件から2週間じゃないですか」

「警察は事件ではなく事故だと見ているのです。司法解剖の結果と、一酸化炭素中毒が起こりうる可能性がある室内の状況から、そういう判断に傾いたようです」

 それにしても、結論が早い。5ヵ月前に刑事を辞めたばかりの湯本は、どちらの立場なのだろうか。いまだ、警察寄りなのか。それとも、チーム小倉のメンバーとして、仲間の不審死を独自に解明して、もし誰かの策略によるものならば、復讐も辞さない構えなのか。

「湯本さんの部下だった佐山翔刑事は何と言っているのですか」

「さすがに僕に気を使って、捜査は打ち切りとまでは言わないですが、警察が蒔田直也さんと白木みさおさんの件に時間を割くのは期待薄と見たほうがいいかもしれません。というのも、所轄署の管内で別の大きな事件が起きていて、こちらまで人を回す余裕がなくなっているようなのです」

 事件と聞いて、すぐにぴんときた。数日前に群馬県との県境を流れる利根川の埼玉県側で水死体が見つかった事件のことだろう。遺体は大量の水道水を飲み込んでいた。別の場所で溺れさせられ、利根川に遺棄された可能性が高いと見て、警察は殺人事件として捜査を開始したと地元紙に出ていた。

「それでこちらの捜査が打ち切りとは、蒔田君も白木さんも浮かばれないですね」

 いまは民間人の湯本を責めても仕方ないと思いながら、どうしてもきつい口調になってしまう。

「いや、かける人数は減っても、まだ捜査は続けると、佐山は言っていました」

 湯本は弁解したが、心なしか、その言葉に力はなかった。結局は、新事実が出てこない限り、本格的な捜査は行わないということだろう。信憑性のあるタレコミがあれば別だが、警察が能動的に新たな証拠を見つけるために動くことはないと見て間違いなさそうだ。

<疑問だらけの事件>

 私はすでに、蒔田と白木の死が殺人であることに疑いの余地はないと考えるようになっていた。彼らの無念を晴らすためにも、警察が動かざるをえないような証拠をこちらで見つけて突きつけるしか、手立てはないのだ。

 なぜ、殺人を確信したかというと、2人が口にしたはずのオピオイド内服液の袋がひとつも見つからなかったと、湯本が明かしたからだ。内服液タイプの医療用麻薬オピオイドはアルミスティックの袋(5mg入りと10mg入りの2種類)に入っていて、上部を切って、口で吸うように服用する。2人とも致死量までは達していなかったものの、死因のひとつになっているということは、やはり相当な量を体内に取り込んでいるはずである。

 だとしたら、彼らの遺体の周辺には、オピオイドの袋が散乱していないとおかしい。私の疑問に対して、湯本はこう説明した。

「僕も不思議に思い、佐山にたずねたら、あらかじめ、ワインのボトルにオピオイドを入れておいたのではないかと言っていました。数日前にその日のために仕込んでおいて、オピオイドの袋は処分してしまったと。そうしたものを医療目的以外で使った事実が発覚したらまずいですからね」

「ワインのボトルは調べましたか」

「空のボトルが3本あったそうですが、ワイングラスも含め、すべてきれいに洗ってあって、いずれからもオピオイドは検出されなかった。蒔田さんか白木さんが証拠を残さないために、よく洗ったのではないかと……」

 私は頭にカーッと血が上るのを感じた。

「朦朧とする中で、そういうことをやったというのですか」

 湯本は困ったように「あくまでも、佐山の説明です」と言い訳をして、再び考え込むような顔になった。今度は1分ではすまなかった。私は黙々と常温の純米酒を口に流し込みながら、湯本の答えを待っていた。計っていたわけではないが、たぶん3分はすぎていただろう。「僕も疑問には思っているんです」と、ようやく湯本は口を開いた。

「病院業務に携わる2人が自分たちが楽しむために医療用麻薬をくすねるなんて、ありえないと信じています。そんなことをしたら、病院に多大な迷惑がかかる。しかも、その管理体制を担っているのが彼らなのです。自暴自棄になる要素もない中で、自らの首を絞めるようなことをするでしょうか。白木さんはともかく、蒔田さんには僕が刑事のとき、いろいろ協力してもらって、その人柄をよく知っている。取り組んでいる仕事をおとしめるような行動をとるはずがありません」

 警察は捜査の初期段階で、関連する人物の性格や生き方をあまり考慮することはない。先入観を持つと、間違った方向に進むケースが少なくないからだ。一にも二にも、まずは証拠なのである。2人の死については、怪しげなところはあるものの、その証拠が事故を指している。湯本は続けた。

<「トリック」ひとつの仮説>

「計画的な殺人だとすると、犯人は当然、事故に見せかけようとします。ただ、そうなると、いくつか、犯人にとって、突破しなければならない壁がある。一番の関門は、蒔田さんたちがいる部屋にどうやって入ったかです」

「そうか。仮に尾方肇が犯人だとすると、そこがネックになってくるな。蒔田君も白木さんも尾方との面識はないんです。すんなり、部屋に入れるはずがない」

「宅配業者を装って、ドアを開けたとたんに押し入るというのもありえない。部屋の中はまったく荒らされていなかったし、遺体に抵抗のあとがないですから」

 そうか。尾方の犯行説は無理があるのかもしれない。

「ただ、まったく不可能というわけではありません。たとえば、あらかじめ、オピオイド入りのワインを送りつけておくという方法です。下川さんの名前で『日ごろからありがとう。ボジョレー・ヌヴォ―なので早めにお飲みください』とねぎらう言葉を添えて送れば、疑わずに受け取るでしょう。実際、蒔田さんの部屋にあった空ボトルは3本とも、去年11月に出たヌヴォーでした」

 ただ、このシナリオには弱点があると湯本は言った。

「まず、ワインを受け取ってすぐに、律儀な蒔田さんが下川さんに感謝の連絡をするかもしれないという点です」

 蒔田からそうした連絡はなかった。

「それと、このワインをいつ飲むのかわからない点も、犯人にとっては高いハードルになる。もし、何らかの手段で把握できれば、オピオイドが効いて眠りだしたところを見計らって中に入り、練炭を置いて一酸化中毒を起こさせればいいのですが、そう簡単ではありません」

「オピオイド入りのワインを飲む日時が特定できたとして、どうやって尾方は蒔田君の部屋に入るのですか」

「僕が蒔田さんの異変に気づいた際は、マンションの管理人を起こして、マスターキーを借りて部屋に入ったわけですが、実はそうする必要はなかった。蒔田さんは玄関ドア横のガスメーターボックスに合鍵を置いていた。それに気づけば、誰でも簡単に部屋に入れたのです」

「もしそうだとしたら、いろいろな犯行が可能になってきますね。蒔田君がいない時間帯に部屋に侵入して、そこにあるワインにオピオイドを入れておくこともできる。贈り物という不確実な方法をとる必要もない」

 こう話しながら、私は犯人が普段から部屋の中の様子を探る方法があるのに思い至った。

「尾方は蒔田君の部屋に盗聴器を仕掛けたんじゃないかな」

「警察は部屋の隅々まで調べていますが、盗聴器が発見されたとは聞いていません。でも、ありうる話ですね。コンセントに仕込んだ盗聴器なら、設置も回収も簡単です。犯人は蒔田さんや白木さんが亡くなったのを確認したあと、証拠となるコンセントや練炭を回収すればいい」

 さらに、私はあることに気づいた。

「尾方の狙いは最初から蒔田君で、白木さんは巻き添えになったのでしょうが、それはある意味、必然だったのかもしれない。盗聴器でどうやって、蒔田君がオピオイド入りのワインを飲むのを察知するのか。ひとりのときは黙って飲んでいるだろうから難しい。誰かを呼んで、いろいろ会話しているのが前提になる。ボジョレー・ヌヴォーについて話しているのが盗聴器から聞こえてくれば、その日が犯行のチャンスとなるわけです」

「コンセント型盗聴器は高性能のものでも200mくらいが限界。それ以上の距離になると聞こえにくくなります。犯人はしょっちゅう、マンションの近くに車を止めて、盗聴器の電波をキャッチしなければなりません。早急に尾方の乗っている車種を調べて、犯行があったと思われる1月21日の夜11時から22日の午前1時にかけて、そうした車があたりに止まっていなかったか、佐山らに聞き込みをしてもらいます」

 湯本に刑事の本能がよみがえってきているようだった。別れる際、湯本はこうつけ加えた。

「もし、佐山が渋るようでしたら、僕が自分で動きます」

 尾方が犯人であるというのは仮説にすぎないが、どう転ぼうとも、少しずつ真実に近づいている気がした。
(つづく)

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