自分の趣味をラノベ風に書いてみたら 第1回
第1回 『Re:高1=ドロップアウト』
わたしが高校をやめたのは二回目の一年生の夏だった。
そもそもわたしには学校というものが向いていなかったらしく、小学六年生のときに遅刻魔になり、朝の会が終わるくらいに登校するようになった。よく学校で先生に「おそよう」と言われていたのを思い出す。
中学校に上がった当初は、先生に恵まれ、また部活の楽しかった一年生二年生のころは、「勉強すればテストの点が伸びる」と当たり前のことに気付いて楽しく勉強していたし、数学の先生に「かねじゃ」というあだ名をつけられて、そのあだ名のおかげでそこそこ友達もいて、二年連続で皆勤賞をもらった。
なのに中学校三年生のころ、急に学校がつらくなってしまった。
勉強は余裕でついていけるのだが、教室にいる同級生が怖く思えて仕方がなくなってしまった。学校が毒の沼地になって、廊下を歩いているだけでHPを削られるのに、さらに同級生という強敵モンスターとのエンカウントもある感じである。ちなみにわたしの装備のイメージは布の服とヒノキの棒である。学校に立ち向かうには、あまりにもわたしは弱すぎた。
廊下を歩いていると突然指をさされて「かねじゃだ!」と言われることがあった。いつの間にか、「かねじゃ」というあだ名は蔑称になっていたのである。くせっ毛の髪を馬鹿にされた(これはバカにしてきた男子がサラサラストレート髪フェチだったかもしれない、『ONE PIECE』の女キャラで一番好きなのはビビだと言っていた……)。中学生当時、わたしはぷくぷくに太っていたので、それをからかわれるのも苦痛だった。
そういう理由で保健室登校になり、中学三年生のときの通知表は数字すら書かれていない科目がいくつかある。保健室とカウンセリングルームの往復で中学生活を過ごし、ちゃんと授業に出てさえいればもっと上の学校に行けたのに、地元ではわりとレベルの低い高校にいくことになった。
しかし入った高校というのが、驚きの無法地帯だったのである。
女子の先輩たちはエクステを付けていたり化粧していたりピアスを開けていたりが当たり前で、男子の先輩はブレザーの下に学校指定ではないチャラいカーディガンを着ていた。
高校の入学式の日、わたしは泣きながら家に帰った。
高校はとても怖かった。担任の先生は「単位」だ「留年」だ「退学」だという話を最強の呪文のように、おっかない口調で語った。入学してすぐそうやって脅しをかけてくる理由が分からないが、とにかく先生はそういう怖いことを話した。わたしにはすでに先生が鬼軍曹に見えていたのだった。無法地帯では軍隊も好き勝手するんだなあ……と、今考えてみるとそう思う。
高校生活初日、すでに教室の後ろのほうに、わたしと同じようなオタク気質女子、というか、腐女子っぽい子らが溜まって『ガンダムSEED』の話をしていて、いいなあ、わたしも推しジャンルを布教したい(当時は推しジャンルなんて言葉はなかったけれども)なあ、と思ったが、その子らはどうやら同じ中学からきてずっと仲よくしている子らのようで、割り込む余地は一ミリもなかった。正直に言うと、わたしは話題になっている『ガンダムSEED』のこともよく知らなかった。わたしの暮らしている秋田県はTBSが入らない(方言で「入らない」は「テレビに映らない」ということである)のに『ガンダムSEED』の話をしていたところを見ると、その子らは電波の関係でギリギリ青森のTBSが見られるところに住んでいたのかもしれない。
自己紹介をすることになって、その腐女子軍団は、「BLが好きです!」と堂々と言った。
一周回ってとても清々しい自己紹介だった。涼宮ハルヒの「ただの人間に興味はありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」という自己紹介を思い出す清々しさだ。
BLというのは「ボーイズラブ」のことで、まさにわたしが中学の美術部で友達と盛り上がっていたことだった。だからわたしもそこで「BLが好きです」と言えばよかったのだが、そんな、BLとはどんなものか調べられたら社会的に死ぬような恥ずかしいことを言う勇気はどこにもなく、口をついて出たのは当時大流行していた『銀魂』という漫画の「趣味は糖分の摂取です」というセリフだった。これを言えばあのオタク集団とテレパシー的につながって仲良くなり、さらにオタクでないクラスメイトにはユーモアがあると認識されるはずだ、とわたしは思った。
しかし「趣味は糖分の摂取です」で察しろ、というのには無理があったようで、オタクでないクラスメイトから「変人」と思われてしまった。
わたしがいたのは近隣ではわりと底辺の学校で、オタクをやっている子らも、漫画のセリフを日常生活に使うような高度なオタク会話を身につけていなかったのである。直接的に「BLが好きです!」と言う腐女子がいることに、そしてその潔さに驚きつつ、アニメや漫画のキャラクターのセリフで会話できなかったことに、わたしは絶望先生のごとく絶望した。
そういうわけで、高校一日目でオタク仲間を作るクエストに失敗した。ゲームのクエストなら成功するまで何度も挑戦できるが、あいにく現実はゲームではない。高校入学の自己紹介は一度きりである。
自己紹介のあとに、新入生を迎える会というのがあって、それも部活動紹介で吹奏楽部の『パイレーツ・オブ・カリビアン』のあの曲の演奏を聴いているうちにひどい腹痛に見舞われて、隣にいた男子が先生を呼んできてくれてヨタヨタしながら保健室に行く、ということになってしまった。
高校は、前述した通り驚きの無法地帯だった。インドのほうがまだマシなのではないだろうか。小中と一緒だった友達に、悪意ゼロでペンケースに落書きされたり、中学までは「ソックスは長いほうが可愛いよ」と言っていた子が突然「ソックスは短いほうが可愛いよ」と言いだすのにショックを受けたりして、「だめだこの学校うけつけない」と思った。学校にいるよりならガンジス川で全裸になって頭のてっぺんまでちゃぽんと沐浴するほうがマシだ。いややっぱりガンジス川もちょっと遠慮したい。どっちやねん。
そう思っているうちに学校に行くと腹痛がして保健室で寝ているほかない……という状況になってしまった。その保健室も、ヤンキーの先輩たちのたまり場になっていて、下品な話をずっとしていた。悪役令嬢だったら学校への巨額の裏金でヤンキーの先輩たちを追い出すやつだ。
ハッキリ言ってここまで分かりやすく学校に適応できないとは思っておらず、さながらゾンビに噛まれたみたいな気分を味わっていた。自分がどんどん、学校に耐えられないゾンビになっていくのは、悲しいことだった。
それを家族に訴えたところ、心療内科に行ってみよう、ということになり、そこからとんとん拍子で休学することになって、まさしくゾンビになる一歩手前で助かった。
その頃は自分の病名をよく知らなかったのだが、のちのち症状や薬の名前を調べてみると「統合失調」であることが分かった。
統合失調はさまざまな妄想が頭の中を渦巻いている、といった感じの病気で、いちばん強烈だったのは「他人に頭の中を覗かれている」という妄想だった。考えていることが全部、世の中にダダ漏れになっている気がした。オタクなので世の中にダダ漏れになったら社会的に死ぬようなことも考えている。それが知られているのではないかという恐怖はすさまじかった。もし、毎晩眠れないときに妄想している主にゲームのイケメンキャラ同士のキャッキャウフフ(だいぶマイルドな表現だが要するにこれがBL、つまりボーイズラブである)を家族に知られていたらどうしよう……などと考えてぞわっとするのだった。
そういうことで薬を飲みつつ、二回目の一年生になった。幼稚園のころから、一級下に意地悪なことを言ってくる男子がいて、そいつがどうか猛勉強して別の高校に行きますように、と願ったが、そいつは猛勉強しなかったので同じ学校の同じ学年になってしまった。
そいつは、「留年した人がさー」などと、勝手にわたしの噂を流して回った。同じ噂話でも、『どうぶつの森』の村人たちより圧倒的にタチが悪い。
一度リアルタイムでそいつが言うのを聞いて、よほど殴ってやろうかと思ったが、しかしそいつはゴリラのような体形をしていて、とてもじゃないが殴ってダメージを与えられるとは思えなかった。『どうぶつの森』の村人だったら落とし穴に落としたのに。
そもそも、みんな同じように電車の時刻表みたいなキャリアを積むシステムである日本の高校において、留年、というシステムはなんのためにあるのか。ドロップアウトする生徒を生み出すだけのシステムではないだろうか。留年すれば変な噂を立てられ、どんどん居場所がなくなっていく。どうせ子供の数は減る一方なのだから、高校なんぞ入りたい生徒はみんな入れてやればいいのである。そして、進級したり卒業したりするのを難しくすればいいのだ。ダブってるやつが当たり前にいるようにすればいいのである。そうすれば、学校の中に多様性が生まれていいのではなかろうか。
当然ながら、高校では保健室登校をしていたら単位が取れない。それはまさに真理である。
そういうわけで、これ以上通ってもなんにもならない、と、二回目の一年生の夏、わたしは高校を退学した。とてもせいせいしたのと同時に、自分は人生の落伍者であると思った。高校中退くらいで人生の落伍者とは大げさだが、そういうことを考えたい中二病のお年頃だったのである。許してほしい。
とにかく当たり前の人間にできることが当たり前にできない、というのは、自分でもショックだったのだ。なんというか、昨日まで当たり前に遊んでいたゲームのセーブデータが消えてしまったようなショックだった。
さて、わたしは中学のころから小説家になりたくて、カリポリカリポリ、ファンタジー小説のようなものを書いていた。今思えば小説のていを成していない落書きに過ぎないのだが、それでも文章を書くことは楽しかった。
しかし高校に入って病気を拾い、薬をガボガボ飲むようになって、さっぱり小説が書けなくなった。ものを考えるパワーが激減したのだ。
わたしの拾った病気は「なにかに集中しすぎる」病気で、その集中を散らす薬を飲んでいたため、小説を書くための集中力まで散らされてしまったのである。新しい、物事に集中できる頭を投げてくれるバタコさんはどこにもいないのであった。
いまは当時よりだいぶ薬が減っていて、集中して小説やエッセイを書けるようになった。しかしそれでも頑張り過ぎると具合を悪くするし興奮しすぎても具合を悪くする。頑張り過ぎないように、小説を書いたら午後からは寝ている。
多趣味人間なので、やりたいことはたくさんあるのだが、しかし具合を悪くしたらなにもできない。だから休むのである。
ちなみに、高校を辞めて少ししてから、しばらくアルバイトをした。しかしそのアルバイトも助成金ありきの会社で、助成金が下りなくなって辞めざるを得なくなってしまった。ちなみにアルバイト代はスーパードルフィー、要するにキャスト製球体関節人形に化けた。
それからあとは、ひたすら小説を書いて暮らしている。そしてカクヨムになんとなく載せたエッセイが、編集者さんの目に留まって、このように原稿料をいただく仕事をしている。
このエッセイは、趣味を拾って趣味に助けられて生きている人生の話である。
ひょっとしたら、趣味で学んだことは、高校で習って大人になると忘れてしまう学問より、わたしの人生を豊かにしているかもしれない。学問にだって尊い価値はあるが、しかしそれはわたしには必要なかったのかもしれない。
勉強することが無限にあるのが楽しい、ということは以前将棋のエッセイで書いた通りである。趣味は、学校で習うことと同じように、学ぶことである。
高校をドロップアウトした人間でも、人間的な暮らしはできるし、楽しみ喜んで暮らすこともできる。この文章で、15年前のわたしのような立場にいる人を励ますことができたら、それより嬉しいことはない。
Profile/金澤流都(かねざわるつ)
平成ヒトケタ生まれ。統合失調症を拾い高校を中退。その後ほんのちょっとアルバイトをしただけで、いまはライトノベル新人賞への投稿をしながら無職の暮らしをしている。両親と猫と暮らしている。
前連載『アラサー女が将棋はじめてみた』
Twitter https://twitter.com/Ruth_Kanezawa
イラスト:真藤ハル
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