見出し画像

【医療ミステリー】裏切りのメス―第51回―

【前回までのあらすじ】
命を狙われたチーム小倉のリーダー・下川亨と妻・佐久間君代。2人を救出した湯川利晴によると犯行時間は20分ほどしかなかったという。短時間で2人を一酸化炭素中毒にしているため、盗聴器で部屋の様子を伺い小型発電機を使って犯行に及んだのではないか、と湯川は推察する。下川はあらためて、犯人を追いつめると決意したのだった。
 陰謀渦巻く病院ビジネスを舞台とした【医療ミステリー】連載。毎週火曜日更新!
-著者プロフィール-
●田中幾太郎/ジャーナリスト
1958年、東京都生まれ。『週刊現代』記者を経てフリー。医療、企業問題を中心に執筆。著書は最新刊として『歯医者のホントの話』(KKベストセラーズ)、その他にも『本当に良い病院 悪い病院』『三菱財閥最強の秘密』(以上、宝島社新書)、『日本マクドナルドに見るサラリーマン社会の崩壊/本日より時間外・退職金なし』(光文社)など多数。

<証拠隠滅>

 2017年4月17日(月)午前9時半、私がいる病室に佐久間君代が姿を見せた。入院用パジャマではなく、すでに洋服を着ている。湯本利晴が未明に一度、私のマンションに戻った際、ベッド横に脱ぎ捨ててあった彼女のジーンズ、ノースリーブシャツ、ジャケットなどを見つけて、持ってきてくれたのだ。私のスラックスとシャツも用意してくれていた。

 佐久間は別の病室に入っていたのだが、先ほど退院手続きをすませたという。10時間前に私とともに一酸化炭素中毒におちいったとは思えないほど、元気な顔をしている。

「久しぶりに8時間以上も寝ちゃった。安井中央病院のほうには午前は休ませてもらうと連絡しておいたから、とりあえず下川さんのマンションに行きましょう」

 湯本も夕方までに群馬の医療モールに顔を出せば大丈夫だという。チーム小倉にとって、医療モール事業への進出は初めてだったので、最初のうちはいろいろトラブルが出てくると覚悟していたが、オープンから2週間、何の問題も起こらなかった。運営責任者で元刑事の湯本が期待以上の手腕を発揮していた。親方日の丸より、裁量範囲が広い民間の仕事のほうが元々、向いていたのだろう。

 自身が被害者となった事件現場に戻るのはあまり気分のいいものではなかったが、他人に聞かれたくない話をするには、やはり私の部屋が無難だった。湯本は途中で家電量販店に寄り、盗聴器発見機を購入した。

「たった5000円ですよ。でも、性能はなかなかのもの。数万円という製品もありますけど、部屋の中を調べるだけなら、これで十分です」

 部屋に入るとさっそく、湯本はラジコンのコントローラーと似たおもちゃのような機械に電源を入れ、差込プラグの付近を中心にアンテナを向けたが、まったく反応しなかった。次に電化製品をひとつひとつ調べ、天井のあたりも探っていたが、やはり反応はなかった。

「あくまでも盗聴器を使っていたという前提ですが、犯人に持ち去られてしまいましたね。僕がここに来るのを察して、あわてて逃げたようなので、もしや部屋に置き忘れたままかとも思ったのですが」

<犯人の行動>

 私は湯本と佐久間のためにエスプレッソコーヒーを淹れながら、事件について切り出した。病室で湯本から説明を受けたが、それだけではわからない疑問点がいくつもあったのだ。

「いまの湯本さんの言葉にもあったけど、犯人はどうやってそのとき、私と佐久間以外の別の人間がこの部屋に来ると察知できたのでしょうか」

「それははっきりしています。僕がここの固定電話にかけ、留守番電話に切り替わると、『いまからそちらに行く』とメッセージを入れているじゃないですか。留守番電話に吹き込んでいる声は、受話器を取らなくても聞こえるようになっている。つまり、部屋に潜んでいる犯人の耳にも届くわけです。これから誰かが来ると知った犯人は、急いで逃げる算段をしたに違いありません」

「その際に、一酸化炭素を発生させるために用意した家庭用の小型発電機を盗聴器と一緒に持ち帰ったと?」

「そうです。これは想像ですが、犯人は発電機を予定の半分も稼働させることができなかったのではないでしょうか。その時間はせいぜい2~3分……。だから、下川さんも佐久間さんも一酸化炭素をそれほど吸い込まず、軽症で済んだのだという気がします」

 湯本が異変に気づいて、留守番電話にメッセージを吹き込まなければ、私と佐久間は一酸化炭素を吸い続け、すでにこの世にはいなかった──。

だが、不思議と恐怖は湧かなかった。まがりなりにも、医療の現場をずっと見てきて、人の死が常に身近にありながらも、自身や、いまもっとも大切なパートナーの死となると、まったく想像できなくなってしまうようだ。

「留守番電話にメッセージを入れて、僕はすぐにマンションの7階にある下川さんの部屋に向かっている。部屋に着くまでに5分。その間に犯人は逃げているわけですが、ひとつしかないエレベーターに乗れば、僕と鉢合わせする可能性が高い。犯人が非常階段を使ったのはほぼ間違いないところでしょう」

「発電機を抱えてですか」

 湯本は頷いた。

「家庭用の小型発電機といっても、通常のタイプだと20㎏はあります。ガソリンも入れているから、もっと重い。それを持って駆け足で階段を降りていくのは相当な重労働でしょう。ただ、犯人はかなりあせっていたはずですから、重さなんか感じる余裕もなかった。火事場のナンとかじゃないですが、こんなときは思った以上の力が出るものです」

 それはよくわかる。追いつめられると、信じられないようなエネルギーが湧いてくることがある。脳内に大量のアドレナリンが分泌されるのだろうか。湯本は続けた。

「昔、僕が担当した事件で、夫を殺した妻が80㎏もある遺体を2階から1階まで降ろし、車のトランクに入れて山奥に運び、土の中に埋めたというケースがありました。その妻の体重は45㎏ほどで小柄でしたが、全部、自分ひとりでやったと供述。事実、その後いくら調べても、共犯者は出てこなかったのです」

 元刑事の経験則に基づく説明は理路整然としていた。ここで、私は最大の疑問を湯本にぶつけてみた。

「私たちの件に関して、警察の捜査が行われている様子がないんだけど、どうしてなのかな」

 佐久間も「そういえば、警察の人は誰も見ていないわね」と首を傾げた。

<警察に通報せず>

「実は通報していないんです」

 湯本は悪びれる様子もなく言った。こうしたケースで、通報しなくても構わないのだろうか。昨年8月まで、埼玉県警・所轄署の刑事だった湯本の立場を考えると、大丈夫なのか心配になった。彼の推理通りであれば、これは殺人未遂事件なのだ。

「本来なら、警視庁の所轄署に連絡を入れるべきなのでしょうが、下川さんたちにとっても逆にわずらわしいことになりやしないかと心配したのです。もし必要なら、これからでも通報できないわけではありません。被害者の命にかかわることなので、人命救助を優先したと言い訳すれば、それで済みます」

 たしかに、警察に調べられるのはごめんだが、何となく釈然としなかった。以前から感じていたことだが、湯本はかつて警視庁によほど不愉快な目に遭わされたに違いない。湯本の次の言葉で、それが確証に変わった。

「警視庁はともかく、佐山翔には連絡を入れて、事情をありのまま伝えておきました」

 埼玉県北部の所轄署で湯本の部下だった佐山は現在、刑事第二課係長を務め、蒔田直也と白木みさおの死に関しても捜査を担当していた。結局、事故死の見方が強まり、所轄署の上層部の判断で、捜査本部は大幅に縮小された。捜査を継続している刑事はほとんどおらず、実質的には解散状態だ。

 警視庁には通報せず、埼玉県警にだけ連絡を入れた。この事実は、湯本が警視庁とはコンタクトをとりたくないと表明しているようなもの。しかし、私はその理由が何なのか、湯本に問い詰めることはしなかった。たぶん、それを口にするだけで、屈辱がよみがえってくるのだろうと思った。私にそんな権利はない。

「下川さんたちの事件が埼玉県警に正式に受理されたわけではないんです。佐山に個人的に話しただけですから。もし、警視庁に通報したとしても、実際に帳場(捜査本部)が立てられるかどうかも微妙なところがある。この部屋を今朝、暗いうちに調べてみましたが、事件の痕跡を見つけることはできなかった。しかも、下川さんも佐久間さんも吸い込んでいる一酸化炭素の量が少なく、結局、事故で処理されてしまう可能性が高いと思ったのです。どうせそんな結果になるのであれば、この事件については警察の介入をさせるべきではないと判断しました」

 佐久間も「そうね」と同意した。

「蒔田さんや白木さんが亡くなったのは、私たちの件よりもっと事件性が高いのは明らかなのに、事故で処理されているんですものね。どうせ事故という結論になるのであれば、警察に土足で踏み込まれるのはごめんだわ」

「とりあえず、立件を目指すのは蒔田さんと白木さんの事件だけでいいと思います。同じ犯人の可能性が高く、そちらが解決すれば、下川さんたちの事件もあぶりだされることになる。佐川のところがあまり捜査する気がないのなら、僕のほうで動かざるをえないような証拠を集めてみせます」

 私は「ひとつだけ懸念している」と前置きして言った。

「私たちの事件があぶりだされると、通報しなかったことで、湯本さんの責任が問われたりはしないのかな。大ごとにならなければいいんだけど」

「たしかに、公務員が職務執行中に犯罪の存在を知った場合、告発する義務があります。だけど、僕はもう公務員ではありませんから」

 こう言って、湯本は笑い飛ばした。そろそろ、安井中央病院のある埼玉県北部に向かわなければならない。私は最後に、もうひとつ質問した。

「ところで、私たちを狙った犯人はやはり尾方肇なのですか。チーム小倉への憎しみという点では奴しか浮かび上がってこない」

「正直、わかりません。ただ、僕はその可能性が薄いのではという気がしだしています」

「うん、私もそう」と佐久間が口を挟んだ。

「奥さんのジャイー(尾方佳子)と会ったとき、こんな彼女がいながら、男がそんな愚行に走るとはとても思えなかった。尾方も、けなげなジャイーを支えていかなければと心底思っているような気がする」

「いずれにしても、今週中に尾方のアリバイを調べてみます」

 湯本の報告待ちだが、尾方が犯人だという考えがここのところ、私の中でもだいぶ揺らいでいた。袋小路に迷い込んだようだった。
(つづく)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?