ミシュラン三ツ星 “忘れ得ぬ一皿”は、「フレンチのレジェンド」のこの料理
「ミシュランガイドの読者にとって、一番大事なことをお知らせしよう。それは、ミシュランの付けた星にただ『ああ、そうか』と甘んじるのではなく、あえて挑戦しようとすることだ。そのためには、まず、自分の『舌』を信じること」
そう語るのは、「世界のミシュラン三ツ星レストランをほぼほぼ食べ尽くした男の過剰なグルメ紀行」の著者、藤山純二郎氏。ヨーロッパの三ツ星レストラン「ラ・トゥール・ダルジャン」の初来店を皮切りに、彼の「ミシュラン制覇」への果てなき旅が始まりました。そんな彼が今まで味わった、もっとも忘れ得ぬ一皿とは?
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名も無きレストランをわずか3年で三ツ星にした男!
「ラ・トゥール・ダルジャン」での三ツ星初デビューから約2か月後の平成元(1989)年2月21日、藤山は、パリ、16区ロンシャン通りに面した「ジャマン」というレストランにいた。
「ラ・トゥール・ダルジャン」に比べてはるかに小さいが、内装が行き届いた40席ほどのこぎれいな店であった。
実は、この「ジャマン」という店、いまは経営が変わってしまい、ミシュランでは無印だが、フランス料理史にその名を残す歴史的名店であった。
「忘れられない味」の話に入る前に、ほんの少しだけ、店の話をしておこう。
オーナー・シェフの名は、ジョエル・ロブション氏。この名を知っている方はとても多いだろう。いや、フランス料理を語るなら、この人の名前を知らない方はいない。
1945年4月7日生まれ。15歳の時、両親が離婚、その後、ホテルの見習いコックになり、28歳で「コンコルド・ラファイエット・ホテル」(現「ハイアットリージェンシー・パリ・エトワール」、ミシュラン非掲載)の総料理長に就任した天才料理人だ。
33歳で「ホテル・ニッコー・ド・パリ」(現「ノボテル・パリ・トゥール・エッフェル」、ミシュランでは「3パビリオン」で掲載)内の「レ・セレブリテ」(現在は閉店)の料理監督になるや、この店は3年後にミシュランの二ツ星になる。
36歳で独立。すでにあったパリ16区ロンシャン通りの「ジャマン」を自ら買い取り、名をそのままに、オーナー・シェフとして、1981年12月新装開店した。
料理人なら誰もが憧れる「星」
すると、どうだ。翌82年に一ツ星、83年に二ツ星、そして、なんと3年後の84年には三ツ星を史上最速で獲得した。ロブション氏は、わずか3年で、買い取ったやや下り坂の一ツ星店を栄えある『ミシュランガイド』三ツ星レストランにしてみせたのである。
そして、94年にこの「ジャマン」を移転し、新たに店名も自分の名を冠にした「ジョエル・ロブション」と変え、内装も豪華になった。
ロブション氏は、以後、世界各地に支店を出し、世界にいま同時に4軒の三ツ星レストランを持つ「フレンチの神様」と言われるようになっていった。
僕が訪れた平成元年は89年だから、ロブションが「ジャマン」を買い取って9年目、三ツ星になって6年目の円熟期であった。
仔羊を食うのは心が痛むが、これも美食のため!
さて、「忘れられない味」である。
藤山がこの「フレンチの神様」と言われるロブション氏の料理で堪能したのは、「仔羊の田園風 フレッシュ香草のサラダ添え」であった。
大皿の中央に仔羊の骨付き肉が3本、まわりにドレッシングの軽くかかった香草とトリュフが彩られている。
この仔羊の肉、ただの仔羊ではない。
正確には「アニョー・ド・レ」と言って、「母乳だけで育った仔羊」のことで、肉の臭みがまったくなく、味もマイルドで高級な食材だ。
だから、フランス人が一番好む肉は、「アニョー」すなわち、仔羊なのだ。特に、「ド・レ」がついた「春先の乳のみ仔羊の肉」は、垂涎(すいぜん)の的である。だから、フランス料理の高級店では、仔羊の肉料理が欠かせない。
ついでに書くが、日本人はジンギスカン料理の影響か、羊の肉というと遠慮がちになる。
ちなみに、羊の肉は生後12か月以下の仔羊の間の肉は「ラム」、それより大きくなった羊の肉を「マトン」と呼んでいるが、「アニョー・ド・レ」は生後まもなくの肉だと思えば理解しやすいかもしれない。
さあ、藤山はその仔羊の肉にフォークとナイフを入れ、切り裂くと口に運んだ。
「ムムッ、なんだ、この柔らかさは!」
肉がスッと口の中に溶けていくようだ。噛むという行為が不要なほど、仔羊の肉が舌の上で勝手に溶解していく。
次に、まわりの香草を肉の上に乗せ、フォークに乗せて口に運んだ。
最初の仔羊のうまさを知った藤山の下は、香草ごとお迎えにいく。舌に乗る前に、何とも高貴な香りが鼻をくすぐる。
「ああ、いい匂いだ」
香りに気をとられていると、舌の上で今度は肉汁と香草がからみあい、シャキシャキ感が生まれる。それにしても、この仔羊の肉の柔らかさはどうだろう。藤山の歯に「噛む」という役割を忘れさせるほど、滑らかでありながら、味の深みを感じさせる。忘れないように、もう一度噛む。
どこから湧き出てくるのだろう、いままで味わったことのない肉汁の甘さがジュッと舌の上で動き出す。そこを一気に喉へ。
「いやあ、たまらない」
ナイフとフォークは、あっという間に2本目の骨付き肉に誘われていった。
ふと、別皿に添えられたジャガイモのピュレ(ラットという種類)にフォークが流れ、舌に運んだ。最初のほっこり感がたまらない。
そして、しばらくすると、溶ける、これも、舌の上でとろける。
少し舌の上で味を楽しむと、やがて、まるでクリームを飲んだかのような滑らかなラットの味が喉を潤し、新たな食欲を生んだ。
さすが、「フレンチの神様」ジョエル・ロブション氏の仔羊料理。その日、テーブル着席前、シェフズルームでなぜかイライラしているように見えた彼が、帰りのシェフズルームでは笑顔になっていた。
「セ・テ・トレ・ボン(たいへんおいしかったですよ)」
「メルシー・ボ・クー(ありがとう)」
オーナーシェフのロブション氏と「ジャマン」にて記念撮影
藤山は、「神様」ロブション氏と別れの挨拶を交わし、店を出たことを昨日のように覚えている。
パリでなくても、東京恵比寿の三ツ星「ジョエル・ロブション」でも食べられる可能性が高いから、藤山と同じ感激を味わってほしい(要事前確認)。
ちなみに、ロブション氏の2017年度の世界の三ツ星4軒の中では、個人的には、マカオの「ロブション・オー・ドーム」(「グランドリスボアホテル」43階)が眺望も素晴らしいので、一番好みである。いつもこの「仔羊の田園風」がアラカルト(単品)でメニューに載っているのも良い。
★ ★ ★
予約が殺到して、ほとんど不可能だと言われている店があれば、世界各国の食道楽たちと席を奪い合い、必ず勝利した。そう語るのは、「世界のミシュラン三ツ星レストランをほぼほぼ食べ尽くした男の過剰なグルメ紀行」の著者、藤山純二郎氏。日本人がめったに足を向けないドイツやオランダの田舎町であっても、「三ツ星」さえ煌きらめいていれば、野を越え、山を越えて、星を頼りに、ひとりで飛行機や電車で最寄りの空港や駅まで出向いて、そこからはタクシーを利用して食べに行った。彼の「ミシュラン制覇」への果てなき旅は続く。
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シェフたちの師匠が創る絶品の魚料理とは?
次に忘れられないのは、魚料理「舌平目のフェルナン・ポワン風」。
フェルナン・ポワンとは人名だが、この人を知っている方は、かなりのフレンチ通だ。
先のジョエル・ロブション氏が「フレンチの神様」なら、フェルナン・ポワン氏は「現代フランス料理の始祖」であり、「現代フランス料理の生みの親」である。
言い換えれば、フランス料理に名を残している多くの三ツ星シェフたちの「師匠」、すなわち「先生」である。
「シェフのシェフ」と言っても過言ではない。
弟子の三ツ星シェフにはポール・ボキューズ氏、故・ジャン・トロワグロ(1926~83)氏、1966年開業の銀座ソニービル地下にあった「マキシム・ド・パリ・銀座」の初代シェフでもあったピエール・トロワグロ(1928~)氏、故・アラン・シャペル(1937~90)氏、南仏のカンヌ近郊の「ロアジス」のルイ・ウーティエ(1930~)氏、アヌシー湖畔の「オーベルジュ・デュ・ペール・ビーズ」の故・フランソワ・ビーズ(1928~84)氏、パリにあった「ヴィヴァロワ」のクロード・ペロー(1931~)氏がいる。
「フェルナン・ポワン風」と名付けているのは、有名な三ツ星シェフ、ポール・ボキューズ氏が自分の師匠のフェルナン・ポワン先生に敬意を表した料理、つまり、古典中の古典料理だということである。
フランスのコロンジュ・オーモン・ドール村にあるポール・ボキューズ本店(写真:藤山純二郎)
海底の栄養分を貪欲に食い集めた「至宝」を頂く贅沢
さて、「シェフのシェフ」フェルナン・ポワン氏風の「舌平目」って、いったいどんな味なのだろうか。
これはたいへんなクラシックな料理なので、作り方をちょっと説明する。
まず、舌平目を白ワインと出汁(だし)で加熱したら、平目を取り出す。そして、骨をすっかり取り、三枚に下ろし重ねて、デュクセルソース(玉ねぎ、マッシュルームなどのみじん切りを炒め、ソースをかけたもの)をかけて、深めの皿に入れておく。
そこに最初の平目の煮汁、生クリーム、大量のバターを溶かし、オーブンで焼く。わかりやすく言えば、いわゆる、グラタンにするわけだ。そして、最後にバジリコ風味のクリームをかける。
これが、「舌平目のフェルナン・ポワン風」だ。
もう、この段階で、グラタンの出来上がりの匂いがしてくるだろう。
その「舌平目のフェルナン・ポワン風」が運ばれて来た。明らかに、見るだけで、食欲がそそられる。さっそく、ナイフとフォークを取った。
そして、表面にグラタンの皮の焦げ目のついた肉厚の舌平目におもむろにナイフを入れ、皿に切り分けながら、取り出し、フォークで塊をすくった。
口に入れた瞬間の味の素晴らしさ。生クリームやバターの味。口の中に一瞬にして広がる舌平目独特の濃厚な風味。続けて、もうひと口。素材を見事に生かした最高級の魚料理である。
「これが、伝説のシェフの味だ! ついに食べたぞ」
こんなに質の高いプリプリした舌平目は食べたことがなかった。
これまでに、こんなに美味な魚料理は食べたことがなかった僕は、これ以上ない幸福感に包まれ、いつまでも食べ続けたいと本気で思った。
伝説の三ツ星シェフ、ポール・ボキューズ氏と
フランス、リヨン郊外12キロの「ポール・ボキューズ」には、もうひとつ、「すずきのパイ包み焼き」という名物料理があるが、これは基本的に2人前からしかオーダーできないが、この「舌平目のフェルナン・ポワン風」は1人前から注文できるので、ひとり旅にはおすすめである。
なお、藤山は大食いで、「ポール・ボキューズ」で2人前からの「すずきのパイ包み焼き」もひとりで食べたこともあるので、ひとりで食べることも不可能ではないことも明記しておこう。
藤山 純二郎(ふじやま じゅんじろう)
会社員/料理評論家
東京出身。幼稚舎、普通部、高校、大学と慶應義塾で学ぶ。
祖父は日本商工会議所会頭や初代日本航空会長も務め、岸信介内閣の外相で大活躍した藤山愛一郎。純二郎は普通のサラリーマン。
料理評論家の山本益博の薫陶を受け、89年から『ミシュランガイド』(ミシュラン社)を片手に現在まで28年間、世界の三ツ星レストランを食べ歩き、全119店中、114店を制覇(2017年9月現在)。現在も、会社に長期休暇をとっては、三ツ星の美食を「胃袋に」収める。執筆は、91年『東京ポケット・グルメ〈1992-93年版〉』(文藝春秋)、95年から『東京食べる地図』(昭文社)、『ダイブル−−−−山本益博の東京横浜近郊たべあるき』(昭文社)を95年版から01年版まで記者として参加。
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